戊辰戦争拾遺 三河武士たちの戊辰戦争 |
【三河の歴史】 第1部三河吉田藩と戊辰戦争 1.戊辰戦争前夜(松平信古の西上) 2.徳川慶喜の大坂城脱出と吉田藩 3.吉田藩の恭順と従軍 吉田藩と箱館戦争 『説夢録』 箱館新選組隊士《木下勝蔵》 【三河武士がゆく】 戊辰戦争拾遺 |
第1部 三河吉田藩と戊辰戦争 |
『説夢録』 2003年10月28日 |
■石川忠恕 |
箱館戦争の資料に『説夢録』という戦記があります。 明治28年6月に発行され、著作者は「故石川忠恕」、編輯兼発行者は「浅岡岩太郎」となっています。三河屋幸三郎は浅岡の父親です。 現在わたしたちが『説夢録』を図書館で見ることができるのは以下の書籍です。 『幕末維新史料叢書4』(人物往来社、1968年、昭和43年) 『箱館戦争史料集』(新人物往来社、1996年8月、平成8年) 『幕末維新史料叢書4』は古書店で比較的簡単に入手できますが、『箱館戦争史料集』は入手困難であり、古書店でも高額な販売価格となっています。 所収内容ですが、『箱館戦争史料集』では「序文」「函館戦争義士人名録」が省略されているのが惜しまれ、『幕末維新史料叢書4』では解説がありません。 著者の石川忠恕は、上野戦争に参加後、新政府軍の目を逃れて潜伏し、品川沖にあった榎本艦隊の長鯨丸(仙台を経て回天艦に乗換)に乗船をゆるされ、蝦夷地へ向かいます。 箱館戦争では一連隊(隊長、松岡四郎次郎)に属し輜重役を務め、箱館政府成立後には、江差奉行支配調役に転じています。江差奉行は一連隊隊長(兼任)の松岡四郎次郎で、江差奉行並が『麦叢録』の著者、小杉雅之進です。 『説夢録』と『麦叢録』の関係は、後から書こうと思いますが、著者である、一連隊の石川と海軍の小杉の関係はこの辺りから強いものになっていったのかと思います。 五稜郭開城後、青森の蓮華寺(「蓮華寺賊名前」による)や弘前の最勝院(「遊撃隊起終録」による)に謹慎しておりましたが、ここで『説夢録』の原稿を書きあげました。明治2年9月のことです。 栗賀大介著、『箱館戦争始末記』(新人物往来社、昭和48年)の「箱館降伏人名簿」に青森の蓮心寺と蓮華寺の降伏人名簿が記載されており、「七ノ間」「海軍方」として「石川□平」の名があります。七ノ間の降伏人を見ると海軍関係者が多いものの、必ずしも海軍関係者ばかりではなく、同役である江差奉行支配調役の名も見られ、氏名から見て忠恕のこととみてよいでしょう。 「遊撃隊起終録」の「戊辰戦争参加義士人名録」には「会計奉行(榎本対馬・川村録四郎)」支配の「調方」、「江(江差)」「石川證平」とあります。また、「江差役所調役 石川證平」ともある。「遊撃隊起終録」の著者は後に岡崎町長となる岡崎藩士玉置弥五左衛門です。 |
■三河屋幸三郎と『説夢録』 2008/07/14 |
『説夢録』の原稿が石川忠恕の手を離れて、後に発行される経過は、子母沢寛の「近世遊侠ばなし」(『仁侠の世界』、新人物往来社、所収)の《箱館脱走余聞》に物語として詳しく書かれていますので、これに従った概略を述べます。内容に関しては大きな問題点がありますが、後で指摘します。 石川忠恕は謹慎中、自分の命がどうなるのかわからない状況のなかで、江戸から津軽に流れてきた無宿人鉄五郎(と伝わる)に、「三幸」と呼ばれた侠客三河屋幸三郎(本姓浅岡)の元へ『説夢録』の原稿を届けてくれるように頼みます。 箱館政府軍の降伏人が書き記したものなど持っていては咎めをうける危険があります。しかし、義侠心あふれる鉄五郎は危険を承知でこれを引き受けます。 明治2年10月、約束通り鉄五郎は、横浜弁天通にあった三幸の支店にあらわれ、幸三郎に原稿を手渡しました(『説夢録』序にもみられる)。忠恕と幸三郎の関係については確認できません。 幸三郎は、父親が遠島になった関係で八丈島で生まれ神田旅籠町に一家を構え、侠客として名が知られていましたが、飾職問屋や雑貨商を生業として横浜にも支店をもっていました。彰義隊とはつながりがあったようで、彰義隊の武器を秘匿したりして陰ながら応援していたようです。また、上野戦争後、彰義隊士の遺骸の火葬や埋葬を円通寺の仏磨和尚とともにおこなったり、敗走した隊士を匿ったりもしたようで、かなり危ない橋を渡っていたと言えるでしょう。そのような義侠心にあつい人であるため、忠恕の望みをかなえてくれるだろうという期待があって幸三郎を頼ったのかもしれません。忠恕と幸三郎の接点が、彰義隊であった可能性はありますが、確認はできません。 『説夢録』が出版されるまでにはいくつかの問題をクリアする必要があったようです。明治28年(1895年)にようやく発行されますが、幸三郎は既に亡く(明治22年死去)、幸三郎の息子、浅岡岩太郎が父の七回忌にあたり福地源一郎や三宅雪嶺の序などを得て印刷したものです。発行までに時間がかかったのは、新政府に配慮したものか、その他の事情があったのかはよく分かりませんが、幸三郎と岩太郎父子がいなかったら『説夢録』は世に出ることがなかったでしょう。 |
【三河の歴史】 第1部三河吉田藩と戊辰戦争 1.戊辰戦争前夜(松平信古の西上) 2.徳川慶喜の大坂城脱出と吉田藩 3.吉田藩の恭順と従軍 『説夢録』 【三河武士がゆく】 |