三州吉田宿の御札降りと、ええじゃないか
概要001

【三河武士がゆく】
 
■三州吉田宿の御札降りと、ええじゃないか(1) 
 再考、三州吉田宿船町の御札降りと船町文庫 2009年6月21日 
★A4サイズ13頁

《もくじ》
1.三河国吉田宿船町の御札降り
2.船町文庫(龍運寺)
3.佐藤閑翠翁と『三州吉田船町史稿』
4.「渡船場諸雑記」と船町の御札降り
5.『豊橋市史』にみられる船町文庫資料
6.旧愛知県史資料「渡船場諸雑記」について
 
■三州吉田宿の御札降りと、ええじゃないか(2)
「渡船場諸雑記」にみる船町御札降り
2010年3月25日
★A4サイズ14頁

《もくじ》
1.三河国吉田宿船町の御札降り
2.「渡船場諸雑記」《旧愛知県史資料》
3.「渡船場諸雑記」を読む
4.船町御札降りの問題点

 
■三州吉田宿の御札降りと、ええじゃないか(3) 
 
船町御札降り論争 
2010年12月1日
★A4サイズ7頁 

《もくじ》

(1)田村貞雄 「「ええじゃないか」の発端と御鍬百年祭・補遺」
(2)田村貞雄 『ええじゃないか始まる』
(3)野口五郎  『霊的秘儀としての「ええじゃないか」』
(4)大久保友治 「慶応三年最初の御札降りについて」
(5)渡辺和敏 「慶応三年「御札降り騒動」発祥地の動向」
(6)渡辺和敏 『ええじゃないか』
(7)田村貞雄 「『阿波ええぢゃないか』考・余録」
(8)田村貞雄 「「ええじゃないか」の東西南北」
(9)木村直樹 「「ええじゃないか」再考」
(10)豊橋市の刊行書
(11)資料再検討の必要性

【内容説明】
慶応三年、三河国吉田宿船町の御札降りは「渡船場諸雑記」によってわかりますが、『三州吉田船町史稿』に抜萃した佐藤又八氏による誤写ではないかとされ、歴史上、なおざりにされているように感じます。

ええじゃないかの発端とされる牟呂村の御札降り騒動の資料である「留記」には、最初に御札が降ったのは七月十四日とされています。この七月十四日が慶応三年の御札降り騒動の発端となる降札であると断定されているからです。

この「三州吉田宿の御札降りと、ええじゃないか(3)」に取り上げた論考以外の、ええじゃないかに関する書籍は、牟呂村七月十四日の降札について記述しても、船町御札降りについてほとんど触れることはありません。

船町御札降りの時期はどうして、誤りとされたのか?
研究者によって船町御札降りがどのように扱われてきたのか?

以上の2点について、まとめてみました。

本当に、誤写であったのかという疑問は、「三州吉田宿の御札降りと、ええじゃないか(2)」によって解決したと思います。しかし、降札を6月としたとき、他の同時代資料とは食い違う箇所が見受けら、事実この矛盾が、誤写説を補強いています。この矛盾については(4)以降に書く予定です。

 
■三州吉田宿の御札降りと、ええじゃないか(4)
「萬歳書留控」と下地村御鍬祭
2011年4月15日 2012/02/08改訂
★A4サイズ18頁

《もくじ》

1.「萬歳書留控」を読み直す
(1)伊雑宮百年祭
(2)今度は下地船町より初吉田町中へ追々降下り
2.下地村御鍬祭
(1)下地村と船町、どちらが早いか?
(2)下地村御鍬祭の規模

【内容抜粋】

1.「萬歳書留控」を読み直す

三州吉田宿船町の御札降りが、慶応三年(1867年)六月であったとする資料は「渡船場諸雑記」のみで、原本の確認はできないものの、該当箇所について、『三州吉田船町史稿』所収資料と愛知県史編さん室に保管されている謄写資料とで確認ができることは既に述べてきました。

御札降りに関するその他の資料には、船町御札降りの日付が記されず、『三州吉田宿の御札降りと、ええじゃないか』(3)で書きましたように、大久保友治氏が、「慶応三年最初の御札降りについて」(『三河地域史研究』第十六号、平成十年・1998年)で、「萬歳書留控」や「留記」の記述をとりあげて六月降札を肯定しました。しかし、船町御札降りは、ええじゃないかやおかげ参り研究の世界では依然として顧みられることがありません。これには、一次史料である「萬歳書留控」や「留記」のなかに、船町の六月降札を疑いたくなるような箇所があることも一因だと思います。わたしは、これらの資料を再検討することの必要性を強く感じており、迷路に入り込むことを承知の上で取り掛かることにしました。

 
■三州吉田宿の御札降りと、ええじゃないか(5)
牟呂村御札降りは、ええじゃないかの発端といえるのか?
2013年1月4日
★A4サイズ28頁

《もくじ》

1.ええじゃないか発端資料としての「留記」
2.牟呂村御札降り
(1)御札降りの概要
(2)御札の降り方
(3)御札降りの背景
3.小村の対応と故障
(1)小村の対応
(2)松嶋新田の故障
(3)中牟呂の故障
4.「ええじゃないか」 の発端といえるのか
(1)「ええじゃないか」 発端資料
(2)最初の御札降りか
(3)周辺への波及
(4)村の秩序を乗り越えたのか

[表]
表1 牟呂村御札降り年表
表2 地域別牟呂村御札降り表
表3 牟呂村御札降り月別降札数
表4 牟呂村御札降り種類別降札数

★A4サイズ7頁 
【内容説明】
慶応三年の牟呂村(現豊橋市)御札降りを詳細に記述した「留記」(牟呂八幡宮神主、森田光尋著)の影響は大きく、慶応三年のええじゃないかの発端とされる事が多いと思います。しかし、牟呂村に先行する御札降り史料の誤写が前提になっていることもあり、いくつかの疑問にぶつかります。それらの疑問をひとつずつ考察していきます、

 

【参考資料の入手について】

私が見た資料のほとんどは、豊橋市図書館が所蔵しています。

※田村貞雄、『ええじゃないか始まる』青木書店、昭和六十二年・1987年)は、手元に置いておきたい一冊ですが、新刊では入手困難です(2011/02/04)。

※渡辺和敏、『ええじゃないか』(あるむ)は、活字で「留記」を見られる新刊本です。段々と入手困難になってきたようです。「留記」については、豊橋市図書館に複写(コピー)がありましたので、全文確認をしました。

※木村直樹、「「ええじゃないか」再考」は、田村貞雄編、『「ええじゃないか」の伝播』、岩田書院、平成二十二年・2010年所収。2011/02/04現在入手可能だと思います。

※私は御鍬祭・伊雑宮・住吉踊についてほとんど知ることがなかったので、木村氏の『御鍬祭考―民衆の伊勢信仰』(樹林舎、平成十九・2007年)を何回も読んで参考にさせていただいた。御鍬祭とシカウチ神事にも触れているので興味深い一冊でした。2011/02/04現在入手可能だと思います。

※「萬歳書留控」を活字化した『幕末三河国神主記録』(清文堂出版、平成六年・1994年)は、アマゾンでは「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」となっています(2011/02/04)。豊橋市図書館に複写(コピー)がありましたので関係箇所だけ確認をしました。

『豊橋市浄慈院日別雑記』(あるむ)は、4巻まで出版されています。 第4巻の所収内容には慶応三年は含まれません。アマゾンでは4巻のみ購入可能になっています。(2011/02/04現在)


 

概要001
【三河武士がゆく】