戦国時代、豊橋市に津波の被害があっただぞん
 

★東三河の津波ハザードマップ★
【三河武士がゆく】
 
■高満(たかみち) 2012/04/12

嘉永七年十一月四日の大地震

安政二年
七月二十六日大風雨
八月二十日大風雨
九月二十八日
十月二日大地震

地震でも大風雨でも高満と表記

『幕末三河国神主記録』


■戦国時代、豊橋市に津波の被害があっただぞん 2011/05/12
2012/01/18訂正

豊橋市大村町にある八所神社の案内板には、天文八年(1539年)に大津波で流失したとあります。別の資料には天文九年(1540年)に「大内潮」で大村の人家がことごとく流失したとするものがあります。大内潮とは、津波や高潮を指す言葉なのでしょう。大雨による豊川の洪水を指すのではないと思います。この時の津波により、文献が失われたようなので、神社を管理する家や庄屋の家に伝わってきたのかもしれません。

豊橋市馬見塚町にある正行山専願寺のあたりは、この地を開いた渡辺家の氏寺であった正行寺があった場所といわれています。《馬見塚長生会》というサイトに専願寺につい書かれており、文中、天文九年に渡辺家の当主が津波のため溺死したとあります。

これらの資料の典拠がわからないので、何とも言えませんが、天文八年か天文九年、あるいは両年に津波があったことは確かなようです。

馬見塚町と大村町は豊川流域にあり、馬見塚町は現在の河口から約3q、大村町は河口より約10qに位置しています。当時は現在のような堤防や豊川放水路はなく、河口部は現在よりも上流にあり、河口部周辺には湿地帯が広がっていたでしょう。このため、水害に遭いやすく、大きな洪水のたびに流路も変わったと思われます。天文の大津波の四十数年前、明応年間には大地震があり、これにより豊川の流路が変わりました。(この地震で浜名湖が現在のように海とつながりました)

当時の防水設備の状況を大きく差し引いて考えなくてはなりませんが、大規模な地震や津波が来たとき、豊川下流域の低地帯は、河岸段丘上の地域と比べ、水の被害を受ける確率が高いと言えます。


【お世話になったサイト】

《神社探訪・狛犬見聞録》2011年5月2日確認
http://8.pro.tok2.com/~tetsuyosie/index.html
〈八所神社〉 ※八所神社の案内板
http://8.pro.tok2.com/~tetsuyosie/aichi/toyohashisi/hassyo/hassyo.html

《馬見塚長生会》2011年5月2日確認
http://www.tees.ne.jp/~hamano/index.htm
〈正行山専願寺〉「専願寺と大施餓鬼の由来」
http://www.tees.ne.jp/~hamano/photo5.htm


■戦国時代、豊橋市に津波の被害があっただぞん(2) 2011/05/29


大村や馬見塚以外で、天文八年(1539年)・天文九年の津波の被害を調べてみました。

出典が不明ですが、『校区のあゆみ 津田』〈豊橋校区史50〉によれば、天文九年の暴風雨及び洪水によって寺社が流されたことがわかります。

天文九年:進雄神社(横須賀)洪水により社殿流出
天文九年:山王権現社(下五井)洪水で社殿流出
天文九年:満光寺(下五井出郷の瓜郷)洪水で流出
天文九年:常光寺(下五井)洪水で流出

なお、下五井日吉神社所蔵の天文十年十一月の棟札に、「山王御宝殿」(『豊橋市史』第五巻)とあり、天文九年に流出した社殿を再建したものと思われます。

『校区のあゆみ 津田』には、渡辺平内次家について書かれていました。『豊橋百科事典』によれば、渡辺家は豊川右岸の豊橋市川崎町にあるようです。現在の馬見塚町は、豊川左岸にあり、豊川によって別けられているのですが、豊川の流路が現在と異なり、豊川の左岸に現在の川崎町が位置していた時期もあったようです。

ここで問題なのは、「津波」ではなく、「洪水」とあることです。原典で確かめていないので、何とも言えませんが、台風や大雨・長雨による洪水を意味しているのかもしれません。


■戦国時代、豊橋市に津波の被害があっただぞん(3) 2011/05/30 

江戸時代に成立した「参河国聞書」(『豊橋市史』第五巻)では次のことがわかります。

天文八年八月十七日:大雨洪水。三州大汐津波。
天文九年四月九日:洪水

八年と九年の両年に洪水があったことがわかりますが、地域が付してある事項以外は地域は不明です。広範囲を意味している場合も考えられます。また、三州といっても現豊橋地方が含まれているとは限りません。これは前提にしておきたいところです。

「三州大汐津波」とは何を意味しているのでしょうか?大汐は夕方のものであるようで、高潮を意味していると思われます。高潮は台風、津波は地震によるもので、洪水は雨・台風・地震でもおこると思うのですが、果たして、「参河国聞書」の著者が、それらの区別をしていたかはわかりません。

「三州大汐津波」の前に「大雨洪水」とあるのも気になります。「大雨洪水」と「三州大汐津波」を切り離して、別の時期のものとするのか、それとも、大雨の影響で大汐津波となったと関連づけて考えるのかで解釈が異なってきます。

両年の洪水と八年の津波が豊橋地方を含んだものであれば、天文八年と天文九年に被害があっても間違いではありません。

ただ、「参河国聞書」には「地震」という言葉はみられないのです。

※安政地震の領内被害を吉田藩から幕府へ届けていますが、その届書に「当月四日辰之中刻大地震并海辺村々高汐入」とあり、地震による津波のことを「高汐」と表現しています。(『豊橋市史』第二巻)2012/01/18

■戦国時代、豊橋市に津波の被害があっただぞん(4) 2011/05/31


『京都歴史災害研究』第6号(PDF版)により、次のことがわかります。

天文八年閏六月:洪水
天文八年八月十五日・十六日:洪水
天文八年八月十七日:洪水

天文九年四月九日:洪水
天文九年五月十四日:洪水
天文九年五月十四日:洪水
天文九年五月十五日:洪水

両年に洪水の被害があったのですが、豊橋地方にも影響があったのかはわかりません。ただし、天文八年八月十七日と天文九年四月九日の洪水の記録は、「参河国聞書」の記録と同じです。「参河国聞書」の分類の仕方や典拠がわかりませんので、何とも言えないところです。

ただ、『京都歴史災害研究』にも両年の地震の記録はありませんでした。


〈京都歴史災害研究〉
http://www.rits-dmuch.jp/jp/results/disaster/
《立命館大学 歴史都市防災研究センター》
http://www.rits-dmuch.jp//jp/index.html


■戦国時代、豊橋市に津波の被害があっただぞん(5)2011/06/01

今回、天文八年と天文九年の豊橋市の津波について調べてみました。最初、津波は地震が原因であると思っていましたが、地震という言葉を見つけることができませんでした。天文八年の被害は高潮によるものかもしれません。

一部の資料で、天文九年とされる大村を襲った「大内潮」も、地震の記録が見つからなければ、台風による高潮とみたほうがよいかもしれません。

高潮は津波と比べると規模が小さいイメージがありますが、昭和三十四年の伊勢湾台風のとき、伊勢湾を中心に高潮で大きな被害が出ました。最近では、平成二十一年、三河湾をおそった台風18号により三河港の岸壁を海水が乗り越えて、神野埠頭にあったコンテナを押し流した高潮は記憶に新しいところです。

天文の頃には、豊川放水路はもちろんのこと、堤防や天気予報もなく、海岸線も現在よりも近かったと思われます。このような状況であっても、現在の海岸線から6〜7q(豊川河口から10qほど上流)に位置する大村の人家がことごとく流失したとされる天文九年の高潮は、かなりの規模だったことでしょう。そして、同年の洪水(高潮とは書かれていない)により大きな被害を受けたと思われる横須賀、下五井、瓜郷は、大村よりも下流域に位置しています。

被災原因が特定できませんでしたが、天文八年と九年の天災が高潮・津波・洪水のうちどれであったとしても、天文八年の大村同様の被害があったと推定できます。現在豊川右岸に位置する大村・津田・下地校区(北部中学校区)内で、天文九年以前の神社の棟札がほとんど見つからないという事実があります。

豊川の流路は何度も変わっていますが、北部中学校区は豊川の河岸段丘下の沖積低地にすっぽりと入っています。過去多くの水害に悩まされてきた地域であり、霞堤(鎧堤)築堤以降、遊水池とされた地域です。豊川放水路や近代的な堤防が建設され以前のような大きな水害に遭うことがなくなりましたが、少し前までは、洪水による大小の池が残り、村に小船が備えられていました。大雨で道路が冠水することは今でもよくあり、宅地は道路よりも一段高く土が盛られるのが普通で、台風や大雨による被害を受けやすい地域です。

したがって、地震による津波、台風による高潮、そして大雨が想定外の規模であったり、同時に発生した場合は、大きな被害が想定されることは確かなことなのです。

結局、史料をみていないので、中途半端なものになってしまったという反省がありますが、これ以上の時間的余裕はありませんので終わりとします。防災の専門家の方、よろしくお願い致します。

※安政地震の領内被害を吉田藩から幕府へ届けていますが、その届書に「当月四日辰之中刻大地震并海辺村々高汐入」とあり、地震による津波のことを「高汐」と表現しています。(『豊橋市史』第二巻)2012/01/18

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