戊辰戦争拾遺
 


■明治維新の考え方  2001/10/28
■【新選組血風録】における左右田一平 2008/02/04
■新選組・箱館戦争・・・史料の取り扱い 2008/02/06
■ウラがとれていない箱館新選組隊士、木下勝蔵 2009/01/04
■長州藩諸隊の反乱と派遣切り  2009年05月16日
■三州吉田宿の御札降りと、ええじゃないか 2009年6月21日
■ウィンチェスター銃かヘンリー銃か? 2012年12月10日
■山本八重のスペンサー銃?2013/01/06
■徳川慶喜が愛した女性「お芳」2014年10月
■小野友五郎の戊辰戦争 2020年7月15日

 

三河武士たちの戊辰戦争

第1部三河吉田藩と戊辰戦争

1.戊辰戦争前夜(松平信古の西上)
2.徳川慶喜の大坂城脱出と吉田藩
3.吉田藩の恭順と従軍

吉田藩と箱館戦争

1.『説夢録』
2.箱館新選組隊士《木下勝蔵》
 

【三河武士がゆく】

 
■明治維新の考え方  2001/10/28

明治維新をえがいたある時代劇のせりふ
「生き残ったというだけで、政府の要職についているものがいる」

これは裏返せば、
「その価値のないものが、要職につくと世の中が乱れる」
ということです。
ある映画のせりふ、
「つまらん人間が上に立つと多くの人が死ぬ」
と言うのと同じことです。

明治維新で要職についた人々のすべてが、「つまらない」人間ではないが、墓の下で眠る維新をみることができなかった人々は明治という時代をどのように見ていたでしょうか。
「これは違うぞ!」
「これでいいのだ!」

人それぞれでしょうが、わたしは、ちょうど終戦から現在に至る時代と同じだと思っています。
今(現在)というよいもむしろ戦争直後の改革などをどのような目で見ていたのか、興味があります。
戦争でなくなったすべての人々はどのように見ているのかなと思います。

「生き残ったというだけで、政府の要職についていたものはいないのか」
「つまらない人間が上に立っていたのではないのか」

「御一新」「文明開化」「廃仏毀釈」「脱亜入欧」の名の下に、多くの良きもの(人・文化・物・自然)が失われました。改革に反対する勢力は権力による弾圧によって次第に抑えられて、その一部は政府と結託していくことになります。ただ、近代化・欧米化する事が日本のとる道(生き残る道)であるかのごとく思いこんでいた人々の指導によって、次世代が育てられ、その次世代の指導者たちによって日本はどのような道を歩んでいったのでしょうか。倒幕そのものを否定する人は少ないかもしれませんが、このような維新後の歴史を見ると維新のあり方そのものに疑問をもつ人は少なくないと思います。

明治維新とは何であったのか?
問題は、間違いがどこにあるのかをはっきりしたうえで、問題を解決していくことです。
歴史が現代を生きる我々の生活に結びつくのです。


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【新選組血風録】における左右田一平 2008/02/04

斎藤一をいろんな人が演じていますが、左右田一平演じる齋藤一がいちばん好きです!

飄々としてとらえどころがないかと思えば、頑なで一途な武士の一分を持ち合わせ、淡々として割り切るタイプかと思えば、どこに秘めていたのかわからないほどの情熱が迸る。実は、義理に堅く人情にもろい。

表面に出ることがない男の渋みを見事に表現しています。《海仙寺党全滅》《あかね雲》は忘れられない作品です。

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■新選組・箱館戦争・・・史料の取り扱い 2008年2月6日

私は彰義隊に参加した三河吉田藩士の動向を卒論テーマとしたことがあります。大学卒業後、全く研究から遠のいていました。2000年頃勤めを辞め、仕事はないものかと買ったばかりのパソコンでHPを見ていたとき、箱館新選組隊士「木下勝蔵」の名前がいきなり飛び込んできました。衝撃的な出会いでした。

当時私が追っていた人物だったのです。彰義隊参加者とはいえませんが、箱館戦争で降伏した新選組の一員であり、謹慎後吉田藩(当時は豊橋藩と改称)に引き渡されていました。それ以上追うことができずに、時間切れ(卒業)となってしまったのです。

そのHPには私の全く知らない情報が載っていました。「なんだこれは!」びっくりするやら嬉しやらで、直ぐさま卒論を引っ張り出してきました。しかし、大きな問題がありました。出典が明記してないのです。これは私にとって大問題です。

出典が明記されていなければ、本当かどうかを調べる術がありません。学術論文ではないので、出典を明記する必要がないのですが、どうしても知りたくて、いてもたってもいられないので、HP管理者に出典をお聞きしたところ、残念ながら教えていただけませんでした。

教えてもらえないとよけいに知りたくなるもので、古本屋のお客さんから情報をいただくことに成功しました。それは、『別冊歴史読本 新選組隊士録』の「特集事典 新選組隊士事典」にありました。1998年9月8日発行だから、2年ほど前に出ていたのですが、卒業以来ほとんど新選組には触れていなかったので、知る由もなかったわけです。

だが、またしても大問題が……。

もし、このとき出典が明記されていたら、私はこの文章を書いていないと思います。そういう意味でこの本に感謝しています。

ただ、お金を読者が支払う以上は出典を明記して欲しいというのが私の考え方です。木下勝蔵の記事に関してはいくつかの問題点があることがわかりました。

読者が資料に行き着いて、検証ができるから資料として使えるのでしょう。

『新選組史料集』(8,800円)が1,993年に、『新選組日誌』というすごい本が1995年に新人物往来社から出されました。これが上下で2万円くらいしました。『新選組史料集』は1995年に、『新選組日誌』は2003年にコンパクト版が半額くらいで出ていますが、出た当時はとても買えません。

『新選組日誌』には出典の詳細が明記されていない史料があります。ということは、原書を見たのか、写しか、活字になったものかがわからないばかりか、その史料の素性がわからないということになり、読者に提供される史料価値の判断材料が乏しくて、「使えない史料」になってしまうことを意味しています。

膨大な史料のなかから新選組関係のものだけ引っ張ってくるのですから、その労力と資金と時間は計り知れないとは思います。しかし、これだけ高価な本なのですから、出典の詳細明記と史料の解題をしてくださいと言いたくなるのは私だけでしょうか。とくに、『新選組日誌』はその性格上、史料の断片を掲載することになります。だからこそ、史料のじゅうぶんな解説が必要なのです。

新選組ではありませんが、1996年に出された『箱館戦争史料集』もまた高いのです(9800円)。しかも、現在ではまともな値段では手に入らないし、市場にもほとんど出ないでしょう。庶民泣かせの史料集です。所収史料の『説夢録』解説の参考となった子母沢寛の著書には明らかな間違いがあります。さらに、自序以外の序文と、「函館戦争義士人名録」をカットしたのはいかがなものかと思います。同様に「遊撃隊起終録」の箱館戦争関係分のみの収録は仕方がないとしても、付冊の「戊辰戦争参加義士人名録」のカットはとても残念なことです。

私は三冊とも(『新選組日誌』は下巻のみ)古書店で購入しましたが、高額、入手困難、公共の図書館も数館(愛知県内の場合)しか所蔵していない、手頃ではない資料なのです。

だんだん、問題点の指摘というよりも、ぼやきが多くなってきたので、この辺で締めることにしますが、要するに、提供された史料が事実であるかどうかを確かめることができなければ、たとえ事実であったとしても、事実であるとは認められないということです。

こういう一見どうでもよいような、実はとても重要なことが抜けて
いるのは、とても残念なことと常々感じていました。

ただ、ここ数年の間に、出典や所在を明記したものが出されるようになったので、良い流れになってきたとは思っています。

学術的なものになったらおもしろくなくなってしまう、ロマンが消えてしまうという考えの方もいらっしゃると思います。確かに、学術論文は、頭が痛くなってきますね。覚悟をしないと読む気にならないです。でも、真偽をふまえながら、事実のなかに新たなロマンを見いだしていくこともまたこれもひとつの道ですから。

どれが正しいということではなく、各自の思いはそれぞれです。私は『燃えよ剣』がバックボーンですから。そこらヘンはしっかりと分けています。

多くの方はご存じだと思いますが、『歴史読本』2004年3月号、《特集近藤・土方・沖田の新選組》の特別企画@「新選組研究の回顧と展望」で中村武生氏が問題点を指摘して課題を見いだしていますので、ぜひお読みになってはいかがでしょうか。

新選組研究家や愛好家の方々は本当に熱心で、地道に史料発掘をされていると思います。それだけに「史料」「資料」とうたったものに関しては、読み手が検証できる情報を明記していただきたいです。出版社との兼ね合いもあるのでしょうが、よくわかりません。(新選組の一ファンより)


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■ウラがとれていない箱館新選組隊士、木下勝蔵 2009/01/04

箱館新選組隊士木下勝蔵(木下勝三)についてのプロフィールの大部分は、「弁天台場籠城者名簿」(『霊山歴史館紀要』第7号、1994年)を典拠としています。

「元三州吉田藩当時並士官 松井郷右衛門忰 幼少ヨリ浪人 父役名不分 木下勝三 二十二歳  生国参州 目見以下」

しかし、この史料以外に勝蔵の素性に関する詳細なデータは見あたりません。

つまり、厳密にいえばウラがとれているわけではありません。

戦後、吉田藩に預けられているので、吉田藩との関係は認められますが、吉田藩サイドにおける木下勝蔵のデータが見つかりません。

新選組関係の書籍を見ると、断定されているかのような書き方をしているものを見受けます。新選組関連のサイトも、おそらくこれをうけているものと思われるものが多いと思います。

しかし、ウラがとれない以上、典拠を述べずに断定的な記載をすることは危険だと思います。

木下勝蔵は、いつどこで新選組に参加したのかも不明です。入隊の理由もまったくわかっていません。箱館戦争において新選組隊士として弁天台場に籠もっていなければ、サイトには登場さえしなかったでしょう。

であったとしても、購入者がお金を払う、書籍については、ウラをとることと、典拠を明記することを最低限してもよいと思います。

これが購入者への誠意でもあります。そして、新選組研究の発展にとってプラスになることだと思います。

★箱館新選組隊士木下勝蔵
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■長州藩諸隊の反乱と派遣切り  2009年05月16日

高杉晋作の組織した奇兵隊で有名な長州藩の諸隊は、武士・農民・その他の庶民で組織されていました。

諸隊は長州征伐(幕長戦争)で幕府軍と戦い、戊辰戦争でも前線で戦いました。そのため、戦死者の数も多かったようです。

しかし、戦争が終わると兵士は不要となり、諸隊は解散を命じられ人員の整理が始まりました。一部は新政府の兵として再雇用されますが多くは職を失うことになりました。

藩士や隊士のうち、上層部であった者は新政府内部で優遇されていきます。一方、戦死者や戦傷者、そしてリストラされた隊士達はじゅうぶんな手当を受けることなく、放り出されることになりました。

単純には言えませんが、優遇されたり残留したのは正社員であり、リストラされた隊士は派遣やパート従業員という見方もできます。

このような状況で反乱がおきました。

反乱は木戸孝允らによって鎮圧され、多くの者が本当に首を斬られました。

ピンチを乗り越える時に、利用するだけ利用して、不要になったら冷酷に切り捨ててしまう。

明治が始まったばかりのお話しですが、長州藩と平成の大企業、似ていませんか。

何のために命をかけて戦ってきたのか?

もういらないからあとは自分たちで何とかしてくださいではなく、長州藩は全員を受け入れるだけの、新しい雇傭を積極的につくりだす必要があったのです。藩として責任を持って報いることをしなかったために、悲劇はおきてしまったのです。

企業も政府も雇傭をつくりだす努力をするべきです。

高杉晋作や坂本龍馬が生きていたらと思うのは、買い被りすぎでしょうか。

乱れた世の中から時代はヒーローを生み出します。

思いもよらぬ方向(もちろん良い方向)へ時代を導いていく平成の坂本龍馬や高杉晋作がいないかと期待しています。


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