日本史一般
 

■旧暦(太陰太陽暦)と新暦(太陽暦)の採用 2009/01/25
■日本史の常識に疑問? 地方史編纂にみる残念な点 2009/12/20
■日本史の本・雑誌を買うときに最も注意したいこと(誰が書いたのかが問題ではない) 2009/12/20


 
【三河武士がゆく】
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■旧暦(太陰太陽暦)と新暦(太陽暦)の採用 2009/01/25

学校で使用する教科書では、旧暦(太陰太陽暦)をそのまま西洋暦に対照させて用いても困ることはありませんので、意識をせずにいると、細かなところで勘違いをすることになります。

播州赤穂浪士のえど吉良邸討ち入りは、元禄15年12月14日とされております。当時は明けるまでを前日と数える習慣があったそうで、現在の時刻でみますと、12月15日になるようです。

江戸時代は地球温暖化の現代とは違って幾分寒かったので、12月の江戸でも大雪が降るのだと思ってはいけません。

元禄15年12月15日は、西洋のグレゴリオ暦に換算しますと、1703年1月31日になるそうです。びっくりですね。その時期であれば、大雪・積雪も不思議なことではありません。

ですから、西暦も1702年ではなく、1703年となります。日本史のテストに出たらどちらでも○にしちゃいましょう。

同様に、慶応3年12月19日の王政復古の大号令が、グレゴリオ暦ですと、1868年1月3日となります。1867年ではないのです。
      
明治新政府は、明治5年12月3日を、明治6年1月1日としました。グレゴリオ暦1873年1月1日にあたります。これで、新旧の暦のズレはなくなりました。

この問題を考えるときはあまり細かいことを気にしない方が良いと思います。

そもそも、異なった暦を使用しているのですから、どこかに無理が出てきてあたりまえのことなのです。新暦以前は旧暦ので書かれているのですから。そこに無理矢理西洋暦をねじ込むようなものです。

どちらの表記方法がより混乱しないかと考えるのが無難だと思います。

わたしは、感覚的には1ヶ月くらいのズレとおぼえるようにしています。そこらヘンは適当ですから。

『歴史読本』2009年1月号、特集:日本の暦(旧暦の見方楽しみ方)は、1601年(慶長6年)から1872年(明治5年)までの「新旧暦月日対照表」がとても便利です。

閏月はもちろんのこと、普通の歴史書籍では書いてあることが少ない、大の月(30日)・小の月(29日)もはっきりとわかります。これがありがたい。

暦の説明はもちろんのこと、節句やしきたりなどの解説あります。
日本史を調べたいと思っている人にはとても便利な一冊だと思います。

 

ただ、夜中の12時過ぎ(九ツ過ぎといった方が良いのかわかりませんが)で日にち
を変えて表記していることもあるそうです。混乱しますね。


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■日本史の常識に疑問? 地方史編纂にみる残念な点 2009/12/20

お金がたりないというのが、大きな理由なのかも知れません。

執筆担当者は、自治体職員のほか、大学教授や小中高の教諭が多いと思いますが、編纂スタッフの数が少ないのは大きな問題です。

日本史の専門家といっても、それぞれの得意分野があり、研究テーマは限られていることがあります。地域の江戸時代幕末をテーマとしたとしても、執筆責任者がひとりであるというのは危険なことです。地方史・郷土史といいますと、何十年も研究をしている在野の人がたくさんいます。その人たちの持っている情報のほうが、学者よりも確実で重要なばあいがあります。

『○○県史』に明らかな誤りをみつけ、出典をみてみると、執筆者が資料を全部、または該当する部分の前後を読んでいないことに気づいたりします。

『○○市史』で当然触れる内容が記されていないとき、不思議に思って執筆担当者をみると、狭い意味での専門外であったり、該当分野の専門家であっても、地理的に担当地域外を専門にしている人であったりします。地域外の専門家でも、地域の郷土史家や愛好家から情報を得る人であれば、問題はありません。

数十年に一度、大事な予算を使って作るのですから、じゅうぶんな予算をつけて作ってもらいたいです。購入する方も、一冊数千円のお金を払っているのです。


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■日本史の本・雑誌を買うときに最も注意したいこと(誰が書いたのかが問題ではない) 2009/12/20

定説・通説でもよく調べてみると、論拠が曖昧なものがあります。恣意的ではと疑いたくなるようなものさえ見かけることがあります。

なぜ、定説・通説となってしまったのか?

これは、有名な学者・作家などが主張したものが、マスメディアにより、世間一般に知れ渡ったことが大きな原因と思われます。故意的ではない情報操作とも言うべきでしょうか。

「教科書に書いていない」「新説」「授業では教えない」とうたっている日本史の内容も要注意です。情報の発信元が根拠としているものを確かめずに鵜呑みにするのは危険なことです。

隠されていた事実と言われるようなもののなかには、普通に歴史を知っているものであれば、当然知っているようなことがあったり、知っていても、論拠がイマイチなので、敢えて触れないというものがあるからです。

自説の正当性を主張するときには、学術的な意味合いのある文章でなくとも、資料の正確さを知るための案内として、註をつけて参考とした資料を紹介したり、補足説明をします。

歴史の本を買うときには、ここに注意してください。

誰が書いたのかではなく、何をもとにして書いたのかが大問題なのです。

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【三河武士がゆく】