ふるさとの風景
穂国雑話

■おいしい「うどん屋」
■牛川屋に勝るものなし
■大崎屋 安くてうまい不揃いのうどん
■《にかけ》しか食べません
■東三河の味に合わないうどん屋はもたない

【お気に入りのうどん屋】
【江戸一】
【林屋】
【勢川】大岩店 2011/04/20

【たまや】(たこ焼き)
【豊橋カレーうどん】 食べたことがない!

■うどんを語る
★困ったお店
■作り置きを出す店
■店員が気付いてくれない店 

【お気に入りのラーメン屋】
■三味(豊川市)2009/01/03
■ふきのとう(東栄町)(閉店)

【以前よく行ったラーメン屋】
■山昭亭 
■豊栄ラーメン(閉店)
 《いちょう》の味噌ラーメン 2013/10/23
■ときわ(ラーメン屋ではありません)
■若松屋(豊川市)(閉店)

【県外編】
■手打ちラーメン 珍来 
■奥三河の校歌 2001年06月18日
■昔と同じ味 2001年11月20日

■国史上より観たる豊橋地方 2008/12/28
■新潟県長岡市立中央図書館・・・互尊文庫 2008/12/29


【三河武士がゆく】

 
 
■おいしい「うどん屋」

 
《以前よく行ったうどん屋》
 
■牛川屋に勝るものなし

わたしは、うどんが大好物です。むかし、うちの近所に【牛川屋】という、うどんをゆでて売る店がありました。大きな釜におがこをたくさん入れて湯を沸かしていました。買い物かを片手によくお使いに行きました。ひと玉いくらだったか忘れましたが、盆暮れ正月慶弔事以外は外食などしたことがなかったので、外で食べるどの食事よりもおいしく感じました。

いまでも、【牛川屋】のうどんを基準にうどんの善し悪しを決めています。いまはもう、【牛川屋】はありませんが、絶対にあの味は忘れられません。わたしの父は、ゆでたての、うどんに「たまり」をかけて食べるのが好きでした。

豊橋のうどん屋の数は、全国的に見てどうなのかは知らないが、喫茶店と同じくらい多い方だと思います。わたしは、はじめてのうどん屋ではたいがい、「にかけ」と「ざるうどん」を食べて味をはかります。他人が、どれだけおいしいといっても自分にあっていなければ、どうにもなりませんから、まず、味の混ざっていない、シンプルなものを注文するのです。

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■大崎屋 安くてうまい不揃いのうどん

名豊ビルの裏手にあった、地元のひとはよくご存じの【大崎屋】、ここのうどんは、つゆが辛くて、うどんが不揃いで、時たま、おばちゃんの指がダシになっていたけど、とにかく安くてうまかったですね。昭和50年代前半で、たしか「にかけ」一杯、90円、大盛りになると100円くらいだったと思います。当時中学生だったわたしのこづかいでも、じゅうぶん外食ができました。この店も、いまはもう無くなってしまいましたが、わたしの母親の世代でも若いころによく食べに行ったという話を聞きます。こういう店がだんだん消えていくのはとても残念です。豊橋のうどんは、「安くて、おいしい」のがあたりまえだったあの頃を思うと、いまだに良き伝統を守っているお店を探してみたくなります。

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■《にかけ》しか食べません

30代半ば頃まで、よく行っていた八町校区にある店です。代替わりしてからは行っていないので現在の味はわかりません。したがって、店名は書きません。

「にかけ」はいちばんと言いたいくらい私の口に合っていました。一般的に豊橋で「にかけ」とは「にかけうどん」を意味します。

麺の太さ・コシ・感触、つゆのダシ加減・風味・味の濃さなど、バランスのとれたにかけでした。また、そのつゆをタレに使っていたのかどうかわかりませんが、焼き肉が絶妙でした。この焼き肉とにかけの定食のようなものをよく食べていました。

どちらも食べずにはいられなかったのです。

最近のうどん屋のつゆは、コクや風味がないものが多いように思います。濃いだけ、辛いだけ、というつゆはいただけません。よいものを使って、上手にダシを取れば、醤油を入れ過ぎなくても、コクと風味のあるつゆができると聞きました。鰹の匂いがしなければ、にかけを食べた気になりません。

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■東三河の味に合わないうどん屋はもたない

豊橋市は人口対して喫茶店が多いといわれていますが、うどん屋の数も多いのではないでしょうか。うどんに関して舌が肥えている味に厳しいお客さんが多いと思います。それも、幼いころからうどんに慣れ親しんでいるからだと思います。

新しくできたうどん屋に興味をもち、入ってみると、味が舌になじまないことがままあります。あまり長くもたないと感じることもあります。価格が安い場合は、それでもお客さんが入っていますが、いつの間にか閉店しています。

決してまずいわけではなく、価格も庶民的で助かるのですが、また来たいと思わないので、どうしても足が遠のきます。

東三河のうどんは、色はたまりのような色ですが、決して辛すぎず、濃い味でもないのです。鰹をメインにしたダシがしかりと出ていて、コクがあり、くどくない。メンはつるつるの白玉うどんが基本です。

ネギ、かまぼこ、油揚げ、家庭ではヤマサのちくわなどを乗せて食べます。塩辛くないので、つゆは全部飲みます。家庭では、残ったつゆに御飯を入れて食べたりもします。

いちばん勘違いしていると思うのは、ダシのとりかたに問題があるのに、こくがない、何かが足りないと判断して、醤油を使いすぎたり、みりんを入れすぎたりして、塩辛いつゆや、くどいつゆを作ってしまうことのような気がします。


 
【お気に入りのうどん屋】

私が、食べ物屋、とくに麺類を扱う店に期待することは、

@いつでも同じ味で食べられること
A家で食べるよりもおいしいこと

です。お金を支払う以上、期待せずにはいられません。
 
【江戸一】(豊橋市岩田店、豊小学校の近く)

濃い味が苦手な人にはここの味かな?
つゆがまろやかで、甘みがある。切れはあまりない。

濃い味噌煮込みが苦手な知人が、ここの味噌煮込みなら食べられると言っていました。

私はほとんど、《にかけうどん》と《カレーうどん》です。

ここの大将はバレーボールの柳本監督に似ています。

 
【林屋】(当古橋の南・姫街道沿い)

ほとんど《味噌煮込み》か《にかけうどん》です。
味噌煮込みの味噌くさいところが好きです。

 
【勢川】大岩店 2011/04/20

まだ2回(にかけ・カツ丼・天丼)ですが、ハズレていません。白くてツルツルの豊橋うどんです。

勢川本店が「豊橋カレーうどん」で、テレビに登場していました。松葉公園や町(駅前・広小路周辺を「マチ」と呼ぶ)に行くとき、店の前を通りかかると、つゆの匂いがしたものです。
 
【たまや】(たこ焼き)

勢川本店の同じ通りに《たまや》(漢字だったかも)というものすごくおいしいたこ焼き屋があったのですが・・・

今だ東三で、たまやのたこ焼きを超える味を知りません。

三匹の子豚のお皿、ソースでべとべとのチャンピオンなどなつかしい。

死ぬまでにもう一度出会いたい味です。

似た味のお店があったら教えてください。

 
【豊橋カレーうどん】 食べたことがない!

一度は食べてみたいのですが、まず好きなものを食べてしまうのです。今日は、注文しようかなと思っていても、「何にします?」と言われた瞬間、「にかけ」「カツ丼」に変わってしまうのはどうしてでしょう。

毎日のようにうどん食べていたら、チャンスが巡ってくるかもしれません。一度は食べてみたいと思っています。

★ここ数年食べていないお店は削除しました。(2010/05/12)
★接客態度や店の雰囲気があまりよくない店や、最近味が落ちた店の名前は公表しません。自然に淘汰されていくと思います。

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■うどんを語る

私は最初に入ったお店では、ほとんど、《にかけうどん》と《ざるそば》を食べます。たまに《ざるそば》が《ざるうどん》や《カツ丼》に変わりますが、にかけは必ずと言っていいほど頼むことにしています。にかけを食べればその店の味がほとんどわかるからです。ごまかしが利きません。いろんな具がまざっていると味がぼやけます。


うどん:豊橋うどんというのか三河うどんというのか知りませんが、基本的に、つるつるの中太麺で、外は柔らかくて中は少し腰がある麺が好きです。私のめんの原点は知る人ぞ知る【牛川屋】です。現在ではもうありません。白玉うどんとでもいうのでしょうか、柔らかくつるつるでありながら、ややコシがあり、簡単に切れそうで切れない。そういうめんは今は少ないと思います。牛川屋は大きな釜でおが粉を使って茹でていました。

私はめん以外、あまり食べないので、めんの堅さには敏感です。苦情は一切言いませんが、職人が減っているのかなあと残念に思うことがままあります。うどん王国であぐらをかいていると、いつしか地元の衆もうどん離れをしていくことになるかもしれませんぞ。

つゆ:適度に濃い味が好きです。キレがあるけれども、まろやかな味が口の中に残るような、そして、魚のだしの香りがしっかりとついてくるような、そんなつゆはなかなかお目にはかかれません。この店のうどんとこの店のつゆを合わせたら理想に近くなると感じるときはありますが。

味噌煮込みうどんしっかりと味噌の味を主張している味噌煮込みが好きです。味噌煮込みのうどんの堅さは少しかためが好きですが、にんじんが少し堅いのはダメです。鶏肉の柔らかいところが入っているのが好きです。脂身は苦手です。

カレーうどんだしのうまみがしっかり出ていて、くどくないのが好きです。脂身がなくて柔らかい鶏肉が入っているとラッキーです。

カツ丼:私にとってカツ丼はごちそうでした。何かのお祝いとかお客さんが来たときにしか食べられなかったものです。ある映画のワンシーンで、高倉健さんが、コップのビールを飲み干し、本当においしそうに、カツ丼とラーメンを食べるのです。あれを思い出すと、やっぱりカツ丼かなと。

つゆがおいしいうどん屋のカツ丼はおいしいと思っています。ただ、専門ではないので、肉の選び方、カツの揚げ方、全体の火の通し方など問題はあります。私は、衣が薄くてからっと揚がり、ほんのりピンク色で、脂身が甘くて赤身もとても柔らかく、卵はトロトロなのが好きです。しかし、今までこの条件をクリアした、うどん屋のカツ丼にめぐり会ったことはありません。火が通りすぎて、煮込んだようなカツ丼が多いのが残念です。うどん屋で始めてカツ丼を注文するときは内心ドキドキしているのです。

以前は、カツ丼を食べるときには、旧豊橋市民病院の近くにあった食堂で食べていました。私の条件にあった絶妙な味でした。あのカツ丼以上のカツ丼にめぐり会いたいと思っています。煮すぎなければ、合格という店はあるのですが、なかなかめぐり会えません。

揚げ出し豆腐とどて煮:おいしいうどん屋では、絶妙な味にめぐり会うことができます。そういうお店は通いたくなりますね。お酒がおいしくいただけるわけです。比較的近所にそういった店がありまして、揚げ出しやどてが欲しくなると通っておりましたところが、少し時間をおいてお店に行きましたところ、メニューにどても揚げ出しもなくなっておりました。理由を聞きますと、つくる人が辞めてしまったとのことでした。それから、足が遠のいたのはもうすまでもありません。(2007/06/21追記)

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■作り置きを出す店

盆・暮れ・正月・ゴールデンウイークなどのお客さんが多いときは、私はうどん屋にはあまり行きません。あきらかに茹で置きをしためんを使うお店と遭遇する確率が高くなるからです。今まで、二回ありました。幸い上記の店(支店)ではありませんが、私が保証するものでもありません。

素人でも、今茹でたものか、そうでないはすぐにわかります。
いつもの味は良くても、二度と行く気になりません。ご注意ください。

ある年のゴールデンウイークだったと思います。東海地方の他県のお店(有名な)で、熱くないカツ丼?(レンジでチンをしたのが冷めかかったような)が出てきた時には、さすがにびっくりして取り替えてもらおうかと思いましたが。「これが、今日私に与えられたものだ」とありがたく頂戴いたしました。

★先日、豊川市と豊橋市の老舗で《衣が焦げる寸前のカツ丼》《温かくないカツ丼》(冷たいわけではありません)と《腰のないにかけうどん》をいただきました。楽しみにしてそれだけのお金を支払うのです。今までそのようなことがなかっただけにがっかりしました。

でも、私はクレームをつけません。なぜなら、もったいないからです。これが今日与えられたものだと思って手を合わせて食べることにしています。食材には責任はありません。でも、我慢できないからここに書いてしまうのは自分が未熟だと思います。
追記:2010/05/12

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■店員が気付いてくれない店 2008/12/18
 
久々に豊川市のうどん屋に行いきました。
座敷に座りましたが、店が混んでいたわけでもないのに店員が来ません。
レジのところが混んでいたので見えなかったのだと思い、
しばらくしてから呼び出しブザーを鳴らしました。
それでもまだ来ません。
また、しばらくしてからブザーを鳴らしましたが、それでも店員が来ません。
いつもいた男性店員が、この日はいなかったこと以外、いつもと変わった点はありません。
これ以上待てないので、少し遠くなりますが、インターの向こうの山科に行って、ざるそばの大盛りを食べてきました。おいしかったです。


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【お気に入りのラーメン屋】

東三河のラーメン屋といいましても、私のよく行く店は現在では一店です。
 
■三味(豊川市)2009/01/03

豊橋から豊川体育館に向かって南大通りを北進して、右にコンビニのある、[南大通り2]の交差点を右折し、[寺町]交差点を通過し、しばらく行くと[中条住宅前]という交差点の角にあります。

オーソドックスな昔ながらの屋台ラーメンの味だと感じます。
私の知る屋台ラーメンは昭和の豊橋の味です。
深夜に食べる三角公園や東映の映画館のところにあった屋台のラーメンは格別でした。今風ではありません。それがいい。

餃子
生ビール
ラーメン

これが定番です。

 
 
【たまに行くラーメン屋】
 
■ふきのとう(東栄町)2009/01/03 ★閉店

国道151号線を豊橋から長野方面へ向かって、本郷を過ぎてしばらく行くと左側にあります。

飯田方面やおきよめの湯へ行くときに、時間に余裕がると寄ってきます。
ここでは味噌ラーメンばかり食べています。
(昔の若松屋の味に近い)

のれん分けだという話もありますが、あの味はそうそう出せない。間違っていたらすみません。訂正します。

当然のことですが、お客さんは地元の人が多いようにも感じられます。

味もよく、店の人の人当たりもよい店だという印象があり、これが、日帰り温泉の食堂で食べずにわざわざ立ち寄る理由のひとつとなっています。

 
■東栄町《ふきのとう》の味噌ラーメン 2011/05/04  ★閉店

旧一宮町にあった《若松屋》の味噌ラーメンが食べられなくなったと知り、無性にあの独特の味噌ラーメンを食べたくなったので、東栄町にある《ふきのとう》へ行ってきました。

おきよめの湯ができた頃、知ったと思うのですが、最初どんぶりの中身を見て食べてびっくりしました。食べて二度びっくり。若松屋の味そっくりだったからです。

それもそのはず、聞けば(最近聞いたのですが)若松屋で教えてもらったとのこと。

京都から離れた地方に昔の京言葉が残っているという話を聞いたことがあります。この店の味噌ラーメンは、昔の若松屋の味に近いと思います。

免許を取って、行動範囲が広がり、通うようになったのが知立の吉野屋と若松屋でした。その若松屋がもう無いというのは寂しいです。それまで私の中の味噌ラーメンといえば、広小路にあった《豊栄ラーメン》の味噌ラーメンでした(ここもおいしかった)。若松屋はそれまで食べたものとはまったく違うもので、三河の和風赤味噌ラーメンという感じでした。

私はやみつきになりましたが、好き嫌いがはっきりかれるのではないかという感じもしました。とくに昔の若松屋の味は主張がはっきりしていたと思います。母がたまに作っていた、卵入りで野菜がたっぷりと入ったドロドロの味噌汁、あれが甦ってくるような懐かしいふるさとの味です。

★私は味噌ラーメン以外のラーメンは注文したことがありません。

国道151号線は夜の交通量は少なく、お客さんがいなければ早く閉めることもあるそうです。お昼時に行けば無難です。昼食を食べてから《とうえい温泉》や、ちょっと足を伸ばして《湯〜らんどパルとよね》や《おきよめの湯》などの日帰り温泉を楽しむのもどうでしょうか。

■ふきのとう
愛知県北設楽郡東栄町大字振草字古戸土橋 ★閉店

画像は豊根側から写したものです。 ★店外にトイレがあります。




 
【以前よく行ったラーメン屋】
 
■山昭亭 2009/01/03

子どもの頃お客さんが来ると出前をとっていたのは、北島にあった「山昭亭」です。今は移転して吉田方にあります。数十年食べていませんが、なつかしいです。
 
■豊栄ラーメン 2009/01/03 ★2012年4月30日閉店

精文館とときわアーケードを挟んだ向かい側の角にあります。現在の味は知りませんが、高校生のころまでは町(豊橋駅前周辺)に行くと、味噌ラーメンばかり食べていました。

食券を買うのにとまどっていたあの頃が懐かしいです。

ものすごく心地よい声を出していた白ひげのおじいさんも名物でした。とても懐かしいです。


■らーめん工房豊栄〈豊橋市) 《普通》の味噌ラーメン 2011年05月08日

豊橋の人に豊橋の味噌ラーメンの味を問えば、豊栄ラーメンを思い浮かべる人が多いでしょう。

私のなかでは若松屋と双璧をなしています。

至って普通の味噌ラーメンですが、ほぼ味噌ラーメン(但し、三味では醤油)しか注文しない私にとっては、この味が基準となっています。

「普通」という言葉は範囲が広く、自分だけに通用するような曖昧な言葉なので、一人一人に普通があるように、自分が普通だと思っても他人にしてみたら、普通ではないことがあります。

未だにこの普通の味噌ラーメンを大きく超えるような味には出会っていません。似たような味とはめぐり会っていますが。ただし、若松屋はまったく異なる味なので比較対象になりません。

味噌ラーメンは、こってりでは合いませんし、出汁を取りすぎ入れすぎでは味噌本来の香りや味がぼやけます。麺は、味噌とスープといっしょに、舌の奥の側面の下側に絡むものがベストです。ほどよい甘みと食感をのこし、喉にゴツゴツあたりながら滑り落ちていく感覚がたまりません。

味噌、スープ、麺がそろっていて、はじめて普通の味噌ラーメンと言えるのです。

しかし、私は一時期、豊栄ラーメンから離れていました。訪れるようになったのはここ一・二年のことです。理由は、麺を細く変えたからです。何年か経ち、偶々町に出たときに立ち寄り、以前のような麺にもどっていた事を確認してから、行っても大丈夫だと安心しました。

こちらの舌も変化しているので、確信を持っては言えませんが、長い年月のなかで、味噌やスープは、ほとんど変わっていないように感じます。でも、少しあっさりしたように感じます。麺や具には変化があるように思いますので、時々精文館に行ったとき、味を確かめて、安心している次第です。

精文館と豊栄ラーメンは十代の頃のセットメニューでした。昨日も行ってきました。最近は健康のことを考えて野菜入りを注文することが多いのですが、珍しく味噌チャーシューを食べることにしました。お腹が空いていたせいか、大盛りが食べたくなり、食券を探しましたが見あたりません。現在サービスで麺が大盛りになることを聞き、さっそく味噌チャーシューの大盛りを注文しました。お腹いっぱいになり、大満足で精文館へ向かいました。

私にとって、普通の味噌ラーメンが、一番おいしい味です。
★2011/05/07現在の味


■ヘルシーな味噌ラーメンがあれば 2011/06/21

久しぶりに行ってきました。まだ大盛りサービスをやっていたので大盛りの味噌を食べました。

あの値段でこの味で大盛りなので、じゅうぶん満足ですが、

今さらながらに少し気になったことを二つ。

私は塩分を控えているので、メンマは薄味のほうが助かります。残すのはもったいないので食べますが、これ以上濃い味では厳しいです。

味がついていない普通のゆで卵を選択できるとよいです。ゆで卵は好きですが、家で食べることはほとんど無いので、そのものの味を楽しみたいです。

味噌がじゅうぶん主張しているので、具の味付けは控えめの方が有り難いです。

閉店 2012/12/14

昨日迄閉店を知らずにいました。セブンイレブンと寧々家がオープンの準備をしていました。何が何だかわからずに、道行く人に尋ねると、移転ではなく閉店だとのことした。「いちょう」(姉妹店・なめし田楽がメイン)で食べられるかも知れないとお聞きしたので、すぐに地下のいちょうの前まで行きました。それらしいメニューがありました。

帰宅後、いちょうのHPで確認しました。4月30日で閉店したそうです。

いちょうのHP

豊橋駅前店では10月7日から姉妹店であった「らーめん工房(旧豊栄ラーメン)」のらーめんメニューを取り入れ、「味噌ラーメン」を再現しているそうです。

食べてみないとわかりませんので、そのときにまた更新します。

 
《いちょう》の味噌ラーメン 2013/10/23

「いちょう」に行ってきました。

私の中の味噌ラーメンは、やっぱり、この味です。

店の雰囲気も手伝ってか、少し味が上品になったように感じました。

迷わず、味噌の大盛りを注文しました。スープもすべて飲み干しました。

ごちそうさまでした。また味噌ラーメンを食べに行きます。

いちょうのHP

 
■ときわ 2009/01/03

知る人ぞ知る店、甘党「ときわ」。神明公園のところに昔からある店で、学校の帰りなどによく行っていました。ラーメン屋ではなく、大判焼き、かき氷、ソフトクリーム、あんみつなどがメインだったのでしょうが、焼きそばとラーメンを必ずと言っていいほど食べていました。

ラーメンは普通の特徴のないラーメンなのですが、なぜか食べてしまうのです。安いということもあるのですが、ラーメンと焼きそばを食べて、ソフトクリームか大判焼きを食べながら帰るというのがパターンでした。

焼きそばは、これがまた変わっていました。高校の時、友人を連れて行ってすすめたのが、焼きそばでした。出てきた焼きそばを見て一言「これが焼きそば?」
説明がしにくいのですが、我々が通常抱く焼きそばのイメージとはかなりかけ離れていることは確かです。どこかの地方ではあるのかもしれませんが、ナポリタンスパゲッティのような、でも麺はスパゲッティではなく、平たくてぶつ切れで、うまく表現することは不可能です。そして、レタスかキャベツが一切れ載っていたような。

数年前、たぶん豊橋祭りの時に子どもと立ち寄りました。ラーメンか焼きそばを頼もうとしたのですが、もうやっていないとのこと。残念。ご兄弟でやっていたのですが、亡くなられたので、やれなくなったという話でした。このときどちらを頼もうとしたのか忘れてしまいました。あの焼きそばはまだ食べられるのでしょうか?

古い便所に書いてある言葉が何ともいえない味があったのをおぼえています。

 
★店のおばさんによりますと、現在はラーメンも焼きそばも作っていません。焼きそばの麺は店で加工していたそうです。他の店ではお目にかかることができなかったのも頷けました(2015/10/23追記)

 
■若松屋(豊川市)2009/01/03 ★閉店

自動車に乗り出したころから三十代前半までは、度々行っては味噌ラーメンばかり食べていました。いっぺん食べてみなければ独特の味はわかりません。味は多くの方が紹介されていますが、私は先代の味の方が合っていました。でも、マイルドな味にすることによって、幅広いお客さんをゲットしているのではないでしょうか。豊川を眺めながらの広い座敷で食べる開放感もなかなか変わっていてよかったです。

■ふきのとう(東栄町)
 
【県外編】
 
■手打ちラーメン 珍来 2009/01/03

長野市に行くと帰り道に、必ずと言っていいほど立ち寄るのがこのお店。
ひとりで初めて車で長野に行ったときに、飛び込んだのがこの店でした。
2000年ころですから十年近く前になりますね。
今風の店構えではありませんが、味噌ラーメンがおいしかったです。

それ以来ここでは毎回味噌ラーメンです。
次にいつ来られるのかわかりませんから。

ここ数年行っていないので、味はわかりません。
数年前に行ったときには、少し味が変わっていたように感じました。
誰がつくるのかでも少し変わってくるのだと思います。
次に行ったときに、また報告します。


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■奥三河の校歌 2001年06月18日

『新城・南設・北設 学校の沿革と校章・校旗・校歌』という本があります。

幼稚園・小学校・中学校・高校・短大などの校歌・校章などが余すところ無くおさめられており、編集にあたった方々のご苦労が手にとるようです。
時代に押し流されて、消えてゆく山間部の学校を偲び、「今のうちにやっておかなければ!」というお気持ちがあったのでしょう。
本来であれば、このようなことは行政が行うべきなのですが、見るに見かねて、やるかたない思いで、おつくりになられたのでしょう。自費出版だと思います。

発行責任者:桟敷馨
編集発行:平成12年12月31日(350部限定出版)
まさに足で書いたという表現がぴったりの労作です。


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■昔と同じ味 2001年11月20日


久々に町へ出た。以前よく行った映画館が壊されていた。飲み屋が駐車場に変わっていた。思い出がどんどん消えていくようで、町が遠くなっていく。さらに、足が遠のくだろう。
そういえば「大崎屋」(1杯100円以下のうどん屋)も消えてコンクリートの建物になっていた。

高校の頃よく行った食堂に立ち寄る。焼きそばとラーメンを注文したが、ラーメンは今やってないのだという。焼きそばも忙しくてできるかどうかわからないということだったので、別のものを頼んだ。おやじさんは、かなり年老いていた。おやじさんと同じ年頃の人がいたのだが、姿が見えない。他に店の人もいたが「おばあさんと二人でやってるもんだで」と聞いて、もう一人の人がどうなったのかを聞かなかった。後継者は、いないようだ。食べ終わろうとした頃、「今なら焼きそば、できるよ」と言われたので、迷わずお願いした。昔と同じ味だった。

こういう店がどんどん消えていくのがさびしい。


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■国史上より観たる豊橋地方 2008/12/28

『国史上より観たる豊橋地方』(昭和12年発行)という、豊橋市長を歴任後、衆議院議員をつとめた大口喜六氏の地方史書があります。

図書館の書籍データがどのようにつくられるのかを知りません。書名をあらわすときには、

1.表題・外題
2.背題・背書
3.扉題
4.奥書

など、図書館によって基準が異なるようです。上記は私流の解釈です。他に目次にある目次題ともいうべきものもあります。私の認識では、扉題と奥書は同じものが多いように思いますので、扉題を書名とします。異なるときは、奥書を書名にしますが、迷うときは研究所の参考文献やネットなどで調べて多く用いられている方を使用します。本来の作者の意図はどこになるのかが本筋ですが、多用されなければヒットしないということも言えます。

以前、探求書をどうしても探すことができずに、国会図書館で複写をすることになりました。その後、別のタイトルで他の図書館に所蔵されていることを知ったことがあります。

できれば、両方の書き方でデータ入力していてくれたらよかったのにと思いました。

そこで、『国史上より観たる豊橋地方』の題ですが、以下のようになります。

1.背題:『國史上より見たる豊橋地方』
2.扉題:『國史上より観たる豊橋地方』
3.奥書:『國史上より観たる豊橋地方』

書名は上記のようになっていますので、どこを基準とするのかで図書館蔵書データが異なります。これは、仕方がないのかなと思います。

研究書の参考文献では両方とも使用されています。

『とよはしの歴史』(平成8年・1996年、豊橋市編集発)の「主な参考文献」では、『国史上より観たる豊橋地方』

『豊橋百科事典』(平成18年・2006年、豊橋百科事典編集委員会編集、豊橋市文化市民部文化課発行)では、『国史上より観たる豊橋地方』

上記の二冊を読んだ読者は、検索するときに『国史上より観たる豊橋地方』で検索をかける可能性が高いと言えます。

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■吉田藩から豊橋藩へ 2009/01/03
2009/02/18更新

吉田藩は、明治2年5月20日、弁事伝達所より呼び出され、以下のような命令を受けます。


「是迄 吉田城与申来候処、此度転名被仰出候間、旧名地名取調、二三名早々可申出旨御沙汰ニ相成候」(『吉田藩日記』362頁)


これに対し吉田藩は、5月23日、「豊橋」「関屋」の名を調べて、弁事役所へ差し出して指図を仰いでいます。(『吉田藩日記』364頁)

さらに、5月28日、「豊橋」「今橋」「関屋」三つの名を調べて、弁事役所へ差し出しています。(『吉田藩日記』368頁)

「今橋」が付け加えられた経緯についてはわかりません。

そして、6月19日に豊橋藩と替えるように命じられました。


「是迄吉田藩与申来候処、今日ヨリ豊橋藩与藩名替被仰出候事」(『吉田藩日記』394頁)


版籍奉還が認められた藩主大河内信古は、同日、吉田藩知事ではなく、豊橋藩知事を仰せ付けられています。

同日の藩日記から「豊橋」の名称が用いられています。

これをうけて、6月22日、豊橋藩は、民部官駅逓司、公議所へ藩名・駅名の変更を届け出ています。また、諸門に差し出してある鑑札の引き替えが間に合わないので、これまでの鑑札を使用することを軍務官へ届け出ています。

藩名の変更は、政府機関内部で事前に通達されるのではなく、変更を命じられた藩から、関係役所へ届け出ることによって知ることになっていたのでしょうか。それとも、事前に通達されていて、形式的に届け出ていたのでしょうか。

藩名変更を命じられたのは、伊予吉田藩(伊達家)との混同を避けるためだったと思います。しかし、三河吉田藩の方が名称を変えるように命じられたのかについては、よくわかっていません。諸説あるようですが、確たる証拠は見つかっていないようです。

恭順の意思表明が遅かったためという説もありますが、慶応四年二月に東海道先鋒総督府と大総督府が吉田に入りますが、それ以前の段階で、朝廷・新政府への工作がおこなわれ、新政府軍として四日市・桑名周辺へ出しており、少なくとも敵対の意志がないことは新政府には伝わっていました。

大政奉還から戊辰戦争終了までの政治的な行動に理由を求めるのであれば、以下のように他の理由がいくつかあげられ、これらが積み重なっていくのだと思います。

藩主松平信古が間部詮勝の実子であった。
大坂城代であった時期の行動。
朝廷の上京命令に従っていない。慶応四年三月上京。
大政奉還後の行動。
王政復古後の行動。
鳥羽・伏見の戦いの時の行動。
藩士が彰義隊へ参加。
藩士が箱館戦争などへ旧幕府軍として参加。

現在では豊橋市となっていますが、「今橋市」や「関屋市」と呼ばれていたかもしれませんね。

 
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※【東三河、近代のお話】へもどる
 

【三河武士がゆく】