学校の統廃合問題

◆「学校が消える」統廃合問題を考える◆
 

■学校の統廃合
■「東京都東久留米市立第八小学校」の統廃合問題
■統廃合される高校
■がんばれ本郷高校(その1)
■がんばれ本郷高校(その2)
■がんばれ本郷高校(その3) 2001/04/16
■愛知県立保育大学校が消えた 2001/04/26
■愛知県の高校が廃止されるらしい 2001/08/27
■それでも学校をつぶしますか 【愛知県立田口高校稲武校舎(旧稲武分校)】 2002年03月12日
■東栄町へ送ったメール 2002年09月06日
■自分たちで育てる  2002年09月25日
■廃校対象である高校を抱える地域行政の対応 2002年11月25日
■廃校から一年が経とうとしています 2009/03/30
 
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【三河武士がゆく】
■学校の統廃合

過疎化の進む地域では、入学生の減少に伴う学校の統廃合の波が押し寄せています。人口が多い愛知県でも例外ではありません。

わたしは、小規模にも勤務してきましたが、確かに、在校生の人数に対して、予算や教職員数の割合が大きくなり、学校運営上の負担が増加して、財政を圧迫するということはあります。また、在校生の学校生活に大きく支障が出る場合は、統廃合などを考えざるを得ない状況があります。しかし、ぎりぎりの段階までは、地域とのつながりを考え、また地域の協力を得ながら、現在ある教育環境を維持していくことが望ましいと考えます。

いったいどれくらいの生徒数であれば、学校が維持できるのかというと、それは人の見方、考え方によってさまざまです。学校の統廃合を決定するのは行政側であり、その思惑も単純なものではないでしょう。最近、「公立学校無用論」なるものが、出てきているようですが、
日本全国どこにでも、教育環境(学校)をつくりだすことができるのが、公教育の良さです。

少なくとも、「地元の学校で学びたい」という子どもが、そこにいて、保護者も学校の存続を望み、地域の人たちの協力体制を得ることが可能であれば、学校存続を否定する明確な理由のない限り、統廃合をおこなうべきではないと考えます。

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■「東京都東久留米市立第八小学校」の統廃合問題

地元の小学校の統廃合が、単に学級数や児童数の減少によるものではないと考える保護者の方が、小学校の存続に向けて活動しています。その熱心な活動ぶりを、このHPから伺い知ることができます。学校の統廃合問題に取り組むうえでも、とても参考になります。

[関連サイト]                 
◆子供の学校・地域の学校            
「東久留米の学校の教育環境を考えてみませんか」

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■統廃合される高校

人口減少地域の学校統廃合がすすんでいます。理由は、生徒数の減少と財政難です。

僻地といわれる山間部・島・海岸部に学校が存在している意義は、ものすごく大きいわけです。また、日本全体の生徒数が多かったときには、数十キロも離れた地域から生徒が入学してきたわけです。

地元の協力を得られない、また地元の意志で統廃合をする場合は別ですが、地元の人たちが、その存続を願い、能力に応じて学ぼうという意志を持っている生徒がひとりでもいれば、教育環境を整えるのが、大人の役割です。憲法でも権利は保障されています。教育を経済の犠牲にして、人の情けを重んじることを放棄してしまえば、日本はさらにこどもの数が減り、さらに深刻な財政難がやってくるでしょう。この過ちに気付かなければ真の教育改革はあり得ません。

予算、人事、教育課程、地元の協力などを考えれば、方法はいくらでもあります。生徒数が少なくなった、必要がなくなった、役割を終えたからと言って切り捨てるようなやり方には賛成できません。

都会の人間の頭だけで物事を考えて、定員、定数、予算などの数字にこだわり、処理していくというような情けのないやり方では、人を育てる環境は作りにくいものです。合理的なものの考え方を否定しませんが、なんでも合理的に物事を考える教育をうけると、人とのつきあい方も合理的となり、人間関係の価値判断を物質的なものやデータに頼ることしかできない人間になになりやすいものです。
 
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■がんばれ本郷高校(その1)

愛知県東三河地区の北設楽郡東栄町に、昨年まで、「県立本郷高等学校」という高校がありました。今
年から、校名が「新城東高校本郷校舎」と変わり、分校となりました。

東栄町では、人口の減少に伴い、高校へ入学してくる生徒数も減少していきました。数年前に寮をつく
りましたが、入学生の減少は止められませんでした(わたしには、寮の設置に関について、その意図と
効果はわかりませんが)。入学生の減少には、単に人口の減少という理由だけではなく、その他の複雑
な問題も絡んでいますが、項をあらためてお話しします。「分校化」が決定されるまでのいきさつや、
分校化発表後の地元の動きはまったく知りませんが、在校生ばかりでなく、その保護者や、職員、卒業
生、地元の人たちは、さぞかし寂しい思いをしているでしょう。

学校名が無くなること以外に、分校になることで、何が変わるのか、少しだけお話しします。
例えば、県教委宛の提出書類などは、県庁(名古屋)まで行かなくても、本校へ行くだけですみますが、
校長がいないので、決裁をもらうためには、そのために本校まで赴かなくてはなりません。また、予算
・職員数・事務的労力・機動性などを考えると、分校になることでプラス面よりも、マイナス面のほう
が多く考えられます。

わたしには、「新城東高校本郷校舎」という校名はなじみません。わたしにとっては、いつまでも、「本
郷高校」のままでいいと思います。

分校になってしまったからにはもうどうすることもできませんが、少人数の学校というのは、大規模校
ではできない、生徒と学校職員と保護者を含めた地元の人々が一体となった教育環境づくりがそれぞれ
の努力次第では可能です。すばらしい、教育環境をつくりだして、すばらしい教育をおこなっていって
ほしいです。

「フレー!」「フレー!」「本郷!」


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■がんばれ本郷高校(その2)

わたしは数年前から、地元豊橋でおこなわれる、本郷高校野球部の試合を見に行くことにしています。それは、偶然観戦した試合での部員や応援のする人々の姿に好感をもったからです。わたしは、いつも目立たぬように、応援席の後方に陣取っているのですが、とくに相手校が、大応援団を繰り出してきたときには応援に熱が入ります。めったにお目にかかれないのですが(失礼!)、得点したときには、それはもう狂喜乱舞とまではいきませんが、我がことのように飛び上がらんばかりの喜びです。

ある試合で、審判のジャッジにヤジが飛びました。その時、男の人が「いかん、いかん。審判をやじってはいかん」と制止しました。そんな姿にも、とても好感が持てました。生まれたばかりの下の子をかごへ入れて観戦していたときのことです。ライナー性のファールボールが、かごに立てかけていた傘を直撃したことがありました。傘の骨は折れましたが、幸い
こどもは無事だったのですが、すぐに、応援席から誰かのお母さんが駆けつけて、「大丈夫だった?」と声をかけてくれました。その後も、わざわざ、最上段までジュースを差し入れしてくれたりして、なにかと気を遣ってもらいました。別になんでもない、ちょっとしたふれあいなのですが、どこの誰とも知らないものに、さりげなく気を遣う姿に、人の情けを感じました。大応援団の中に埋没していたら、このような個としてのふれあいは、なかなかありません。

わたしは、運動部の顧問をしていましたが、ひとつ廃部にしています。生徒数の多い大規模校ですら、部活動の運営がままならない時代にあって、小規模校のそれは、大げさではなく、筆舌に尽くしがたいものがあります。今年(平成十二年)は、分校になってから、はじめての夏です。ここのところ、公式戦に出たりでなかったりで、とても心配していましたが、大会の組み合わせに名前を見つけたときにはとてもうれしかったです。今年の試合は、今年は、日程の関係で観戦できませんでしたが、来年は、絶対に見に行くつもりです。

「フレー!」「フレー!」「本郷!」
 
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■がんばれ本郷高校(その3)  2001/04/16

本郷高校のホームページが3月30日に復活しました。喜ばしいことです。
しかし、本年度の新入生は11名です。
本郷高校に何があったのかはわかりません。いやそれよりも地元の東栄中学と中学3年生およびその保護者の方に、お話を聞いてみなければ何もわからないでしょう。

このままの、状態が続き、さらに入学生が減少していけば、現在の愛知県の財政状況を考えると、学校の存続が危ぶまれることになります。

私は、地域の学校に勤めていたので、人口が少ない地域における学校の役割が軽くないことはわかっています。地元との関係が希薄となり、地域から浮き上がってしまえば、その学校のひとつの役割は失われたと言えます。やがて、地元も活力源を失っていくことでしょう。

入学生減少の原因はいくつか考えられますが、それも想像の域を出ないのでここでは控えますが、かつて、生徒数が多かったときに、豊橋市周辺の地域の生徒の受け入れ先となり、平成3年には寮もできあがり、受け入れ態勢を整えたにもかかわらず、平成5年度をもって家政科が廃止され、生徒数も年々減少の一途をたどり、平成10年度には1学級となり、平成12年度には、実質分校となりました。地域の過疎化や全体の少子化の影響があったにしても、あの寮の建設は何だったのだろうか?今、寮はどうなっているのか?

過去のことばかり言っていても仕方ありません。今年入学した11人の宝物を、社会の宝物として育てて送り出すことが今の本郷高校の使命です。

少人数教育の利点をフルに生かした環境で、他校へ行った人たちが、「本郷に行っておけばよかった」とうらやましがるような素晴らしい高校生活を送っていただきたいと思います。

※春季東三河高校野球大会に本郷が出場していました。全敗でしたが、うれしいですねえ。しかし、今年の男子新入生が確か2名とか。この先心配ですが、今年も豊橋球場でその勇姿を見たいものです。

※7月17日(火)岡崎球場で「本郷」対「知立東」の試合がおこなわれました。結果は、1対8(8回コールド)で負けてしまいました。応援に行けなかったのがとても残念です。過酷な条件のなかで、選手も監督も本当にご苦労さんです。団体競技というのは、チームを組んで出場することがどれだけたいへんなことか。

しかし、メンバーを見て一抹の不安が。1年生の部員がいない!登録メンバー12名のうち、3年5名、2年7名です。2年生が7名ということは・・・
1年生は2名だと聞いている。来年の新入生に期待するしかないのか。

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■愛知県立保育大学校が消えた 2001/04/26

2001年3月で、愛知県立保育大学校(1978年開校)が廃校となりました。1998年の廃止決定を受けたものです。理由は、少子化による保育士需要の減少と他の機関の充実であるらしいのですが、県の財政逼迫も当然手伝ってのことでしょう。

最後の卒業生の9割近くが保育士となるそうです。私の教え子のなかにも大学校の卒業生がおり、私自身10年ほど前に見学に行ったこともあります。少人数教育で、生徒を大切に育て、良い保育士として社会に送り出すことができる教育機関であると思っておりましたが、とても残念です。

「学生数が少ないだけに先生たちも親身になってもらえていたし、研究課程※の現役の保育士のかたとの交流もあったのでほかの学校よりも優れていると思っていました。せめて研究課程だけでも残していただけたらよかったのに・・・」(教え子談)

※現職保育士の研修課程

ここ数年の大学校の状態は知りませんが、素晴らしい学校は残しておいてほしいものです。
県民にとって有意義な財産なのですから。

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■愛知県の高校が廃止されるらしい 2001/08/27

愛知県の県立高校のうち11校が2010年度までに廃止されるらしい。
※詳細についてはわからないので、ご存じの方がいらしたらおしえてください。

つくるよりつぶすほうが簡単である。
一度つぶしたら、再建はまず無理である。

全体からみれば、全く関係がない人たちのほうが多いだろう。
しかし、該当地域にとっては大きな問題である。

該当地域の小学生(2010年度までの高校入学生)のほとんどが影響を受けることになる。
先の話ではない。高校入学を直前に控えたときにはもう手遅れとなっているのだ。

おそらく廃校になるのは、定員を大きく下回っている状態が長年続いている高校だと思う。
交通の不便な周辺地域である場合がほとんどではないか。
だとしたら、当該地域の高校通学者は、長時間・長距離の通学を強いられるか、寮・下宿を探す方法しかない。なかには、高校進学をあきらめざるをえないケースがでてくるかもしれない。

統廃合による利便性をいくらあげたところで、生徒と親には、経済的・肉体的・精神的・時間的な負担を強いることになるのは確かだ。

公教育とは何であるのか?

解決しなければならない多くの課題はあるが、三重県の構想に見られるような、教師が学校間(校舎間)移動する方式などで対応する術はないのだろうか。絶対にないのであろうか。

※各地で取り組まれている方策をご紹介ください。

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■稲武町長へ手紙を書く

※内容を掲載するつもりでしたが、下書き用のコピーを紛失してしまったため、記録として残しておきます。大体の内容は、今まで私が主張してきた内容の通りです。
 
■それでも学校をつぶしますか 2002年03月12日【愛知県立田口高校稲武校舎(旧稲武分校)】

 
■町の人からいただいた手紙

名前はわからないが、町の人から稲高宛てに手紙が届いた。
さっそく、職員室前の掲示板と教室に張って、「これを誇りとしてほしい」という話を何回もした記憶がある。生徒はおぼえていなかったりして。
筆跡や文章から察して、年輩の人と思われる。
すべての人の見方でないことはじゅうぶん承知の上(苦情もある)だが、地域の人から愛される学校をつぶして良いのかという思いがある。
 
前略 
過日は稲武町民運動会に職員生徒の皆さんが御参加下され誠に御苦労さまでした。
やや肌寒い天候ではありましたが、私にとってとても気持ちのよい一日でありました。その要因の一つに稲高の生徒の皆さんの清々しさを見たことを挙げることができます。高校生の皆さんが終日真面目な態度で町の行事に参加してくれたということは大変嬉しいことでありました。実を申しますと、終日正面の席側面方向から生徒の見学の様子、演技の様子を見させていただきました。勿論、全校生徒の髪や服装などが清楚であることも好印象の大きな要因の一つでもあります。

組体操では演技間の移動と気をつけの姿勢に生徒の心の素直さを見ました。こうした活動ができるようになるまでの先生方の御苦労と生徒の皆さんの努力に敬意を表します。こうした様子を見るにつけ、稲武町民の一人としてわが町の高校と高校生を大変誇りに思います。これからもこのすばらしい校風、伝統を守り育てていただくことを心からお願い申し上げます。

突然のお便りをお許し下さい。まずは感動の気持ちをお伝えしたく、筆をとりました。
                                            草々
  一町民より

★このような学校の多くがつぶされつつあります。愛知県の人口の多くを占める地域に住む人たちには無縁のようにも思えますが、それは大きな間違いなのです。金がないとか、生徒数が少ないと適正な教育ができないという理由で、本当につぶしてもよいのでしょうか。

学校再編成の理由のひとつとして、小規模学校では活力の減少があげられています。愛知県によれば、このような学校は、活力がなくなる学校ということになるのでしょうか?生徒は減少の一途をたどり、教員の数も少ない。たしかに、クラス編成や教科・科目の選択、学校行事、部活動など選択の機会は限定されます。しかし、それが直接的に活力のない学校につながるとする意見を言う人は、地域の学校の何をどれだけ知っているというのでしょうか。学校の規模によって教育内容には一長一短があり、地域の特性も考慮しなくてはなりません。教育委員の人は何人が何回地域を訪れて、どれだけの内容を把握しているのでしょうか。

また、金がないというのなら、どのような優先順位をつけているかということです。空港建設にしても、万博にしてもそれなりの必要性があってのことだとは思います。しかし、絶対に必要なことだとは思いません。新しくつくるわけではありません。今あるものをつぶしてまでも得るものは何であるのかを考えて欲しいものです。

学校側も地域の人々に愛される魅力ある学校づくりをしていかなければなりません。地元の中学生や保護者が、地元に高校があるのにもかかわらず、わざわざ、高い費用をかけて遠隔地の高校へ通学したり、下宿をしている理由を正面から受け止めるべきです。小規模なだけに再建も早くできますが、荒れていくのも早いのです。それだけに、教職員1人1人にかかる責任は重いわけです。

 
■廃校がそこまできている

そんな愛すべき稲高が消えようとしている。
愛知県教育委員会は、県内の校舎(旧分校)の廃校を決定してしまった。
少子化による生徒の減少と財政難がその主な理由だ。
平たくいえば、「少ない生徒を相手にするだけの教育費は使えない」ということだ。
「学校規模の適正化」という言葉がある。
ひとつの学校の生徒数の基準を国が示し、各自治体が地域の状況をふまえて、生徒数の上・下限をもうけて学校編成をおこなっていくというものである。時に統廃合のひとつの理由付けにこのよくわからない学校規模の適正化が使われることもある。しかし、私はピンとこない。何を根拠にして適正というのかがわからない。根拠が曖昧であり、具体的でない。とても体験によって導かれた数値とは思えないのだ。大・中・小規模校それぞれ一長一短があり、極端すぎる数値以外は、適正だと確定できる要素はない。生徒数が少ない学校はそれなりに工夫をし、知恵を絞り、助け合うものだ。人智をバカにしてはいけない。
しかし、このようなことをひとりで言っていても何もかわらない。
確実に学校の再編成はすすんでいるのだ。
 
■稲高がなくなる

今、稲高が無くなろうとしています。稲武の皆さん、稲高をなくさないように、県教育委員会や町長にお願いしましょう。一度なくなったものを再びつくることは困難です。1年間の維持に1億円くらいかかるそうです。万博や空港をつくる費用を少し節約するだけで、維持は可能です。また、町や周辺の地域と協力して、資金を出し合って学校を維持することも不可能ではありません。皆さんが協力して、稲高を守ってください。何もしなければそれで終わってしまいます。

平成13年の秋に、町長に手紙を出しました。返事が無いので、何がどうなっているのかわかりません。平成14年2月に、統廃合を考えるシンポジウムに出席しましたが、稲武の人は女性が一人見えている(たぶん)だけでした。その女性は、稲武教育のすばらしさについて語っていました。

以前稲高にお世話になりました私にとって、稲高が無くなってしまうことはとてもつらいことです。何とかして、存続の方法を探ってもらいたいものです。そのためには、住民が結束して協力することです。


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■東栄町へ送ったメール  2002年09月06日

(※新聞の朝刊でとりあげられた廃校反対運動の記事を読んで)

役場のなかで、本郷高校の存続を真剣に考えている人へ

本郷高校が廃校になるということですが、いつまで県に頼っているのでしょうか。学年1クラスの分校規模の学校を維持するのに年間1億円程度の費用が必要となります。しかし、法律が改正されたことですし、町立を検討するとか、中高一貫校へ移行するとか、町外の地域からも協力してもらったりして、存続の道を開くことは可能です。

町としていろいろと手を打っているようですが、家政科が廃止されたときに危機感を感じるべきでした。そして、分校化されたときに本当に動かなければならなかったのです。遅すぎます。ここまで来ては、どうにもならないでしょう。残された道は自前の教育施設を造ることです。

県が一度決めたことを撤回する可能性はきわめて低く、県に頼るかぎりは廃校の運命は変えられません。存続させたいのなら自分で生き残っていく道を考えていく方法を考え出す。行政というのはそういうものです。道はあるのです。東栄町のこどもたちに自前の教育を施したらどうでしょうか。ちなみに町(あるいは村)立の塾を設置している地方公共団体もあります。かたちは違っても育てようと思えば何でもできるのです。

温泉を作るのは良いことですが、若者たちがみんな出て行ってしまうような町では仕方がありません。新城まで出れば豊橋を向き、豊橋まで出れば、名古屋を向き、名古屋からは東京へと、どんどん町から遠ざかっていく傾向があるのではないでしょうか。人材確保が困難になり、人口もさらに減少して高齢化が進んだ末に何が起こるのかを考えてみても恐ろしいかぎりです。痛くもかゆくもないのですから中央はそんなことまで考えてくれません。

※リンク集に本郷高校はじめ学校関係のHPはありますか?

★廃校対象である高校を抱える地域行政の対応


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■自分たちで育てる(自前の教育) 2002年09月25日

そろそろ、今まで乗っかっていた部分から脱却することが必要となったきているのではないでしょうか。地方分権というのは先ず都道府県が国から自立していくというのではなく、市町村が都道府県から自立していく動きから始まってこそ本物になると考えます。元気のある市町村が多く集まってこそ都道府県もそのエネルギーを吸収して勢いのある行政ができるというものです。

国も都道府県も政的に苦しく末端のことまでかまってはいられないとなれば自分でやるしかないのです。究極的な言い方をすれば、住民も行政を頼らずに自分でやると言うことです。ただし、税金を払っている分はしっかりやってもらわなくてはなりません。しかし、個人には限界があります。個人では補えない部分を公がカバーしてていくのですが、国よりも都道府県、都道府県よりも市町村のほうがより地域の実情に通じています。地域だからこそ身動きがとれないと言うこともありますが、地域の実情はやはりその場に住んでいるものでなければ理解できません。地域の実情に沿ったかたちで教育を実現していくには、市町村単位でおこなわれる教育行政が今のところベストではないかと思います。

保守的な傾向が強い愛知県であっても犬山市のような元気のよい市もあります。犬山市の小中学校は全学年30人学級制を決定の方向で進めています。不足分の教師の補充に充てる費用は自前です。教育のために金を使うような自治体の住民でありたいと思うのは私だけではないはずです。旧習にとらわれなければ、方法などいくらでもあるはずです。金がなければ無いなりに頭と体を使って住民のために何とかすることが行政のあるべき姿なのです。いちいち細部にわたってまで県の顔色をうかがってびくびくしているようでは、改革はできません。何にどれだけ金と人を使うのかはその地方行政機関の質によります。


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■廃校対象である高校を抱える地域行政の対応 2002年11月25日

2002年10月22日、廃校の対象となっている現校舎(旧分校)の所在地である
■渥美郡赤羽根町(成章高等学校赤羽根校舎)
赤羽根町からの返信
■北設楽郡稲武町(田口高等学校稲武校舎)
稲武町からの返信
■北設楽郡東栄町(新城東高等学校本郷校舎)
東栄町からの返信

へメールを送りました。内容はそれぞれ多少異なりますが、公立高校の中高一貫校の例を挙げ、中高一貫とまではいかないまでも、町および周辺地域による自前の学校経営ができないものかというような意見を述べ、行政としての取り組みに関して質問しました。

 
■赤羽根町からの返信

※2002年10月31日付
※不都合があれば消去しますのでご連絡ください。

貴重なご意見ありがとうございます。
 成章高等学校赤羽根校舎の町としての取り組みと県の対応についてのお尋ねがありましたが、まずその基本となっております愛知県教育委員会が策定しました県立高等学校再編整備基本計画について紹介します。

 この計画は、社会の変化や生徒の多様化、少子化の進行による生徒数の減少などの課題に対応し、魅力と活力ある県立高等学校をつくるための総合的、長期的な計画です。

 基本的な方針としまして「魅力ある学校づくりの推進」、「活力ある学校づくりの推進」、「教育環境の整備」の3点を掲げています。

 そして赤羽根校舎に関係する学校再編計画につきましては、活力ある学校づくりの一環として位置づけされております。

 学校の小規模化がもたらす学校行事の縮小や部活動の種類、内容の制約、様々な友人たちとの交流や切磋琢磨の機会の減少、教員が減少することによる多様な教科、科目の開設の困難性が学校活力を阻害する要因として考えられます。

 これらを踏まえ、計画では全日制高等学校の適正な標準規模を1学年6学級から8学級(1学級40名を前提)とし、平成22年度までに原則として全ての学校が標準規模を確保できるよう再編を行うこととし、現在の県内3校舎については、1学年1学級といった現状では学校の活力を確保することが困難なため募集を停止することになっています。

 募集停止の時期については、第1学年における入学者数が平成14年度以降連続して20人未満となった場合、又は地元中学校からの第1学年における入学者数が平成14年度以降2年連続して入学者数の2分の1未満となった場合には翌年度に募集停止する方針です。

この計画については、昨年12月、県教育委員会の財務施設課長から説明を聞きました。

 そして県内中学校卒業者数が昭和63年のピーク時と比較し、平成18年には6割に減少するという少子化の現象、県教育委員会の高等学校教育のあり方についての考えも理解できるものでありますので、もちろん赤羽根校舎の存続は望ましいことではありますが、県計画は止むを得ないものと判断いたしました。

 さて、赤羽根町の取り組みですが、8月5日にPTA役員の方たちとお会いし、話を伺いました。

 内容は、せめて平成18年の最終年度まで存続してもらうよう活動をしたいとのことで協力依頼があり、協力を約束しました。

 そして県教育委員会、県会議員、成章高等学校の校長、教頭等にも話を聞いております。

 今後の県との話し合いについては、アンケート、署名の結果を受け、PTAの役員の皆さん方と大変厳しい状況にあると思いますが県教育委員会に対し要望を行いたいと考えています。

赤羽根町 総務課

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■稲武町からの返信
※最終的に11月22日にいただいた内容
※不都合があれば消去しますのでご連絡ください。
平成14年10月25日
稲武町教育委員会教育長
 
県立高等学校再編整備基本計画について

 前略、過日は愛知県立田口高等学校稲武校舎の存続に関しまして貴重なご意見をいただきありがとうございました。

 現在示されております県立高等学校再編に関する愛知県の方針は、ご存じのとおり校舎についてはすべて整理するというものであります。

 稲武校舎の整理統合を含めた基本計画の発表以来、校舎在校生の保護者のみならず小中学校の保護者からも町に対して存続を求める意見が寄せられ,現在稲武校舎の同窓生を中心にアンケート調査や存続に向けての署名運動が展開されつつあります。

 稲武校舎の地元であります本町といたしましても、高等学校の喪失は若者の町外流出を加速し地域の活力を失う要因であるとの認識からこの存続を願っているところであり、昨年末には、町議会において存続への特段の配慮を要望する意見書を採択し愛知県知事並びに愛知県教育委員会教育長あて提出したところであります。

 さて、ご提案いただきました町立の中高一貫教育校についてでありますが、稲武校舎の存続を含めまして現在の校舎を取り巻く状況は非常に厳しいと言わざるを得ません。

 全国的に顕在化しております少子化傾向は、ただでさえ過疎化が進行している山間地域においてはさらに深刻で、本年の稲武小学校の新入学児童はわずか17名であり、来年度以降も減少傾向にあります。加えて地元中学から他市町村の高校へ進学する割合は年々増加傾向にあり過半数の生徒が町外への進学を希望するといった状況のなか、今後近隣町村も同様に少子化が進んでいることから考えますと学校を維持する生徒の確保が困難な状況を迎えることが懸念されます。

 稲武校舎の存続は願って止みませんが、以上のような状況並びに近年の地方財政の状況を勘案いたしますと本町として独自の中高一貫校を設立運営することは困難であると言わざるを得ません。

 貴殿におかれましては貴重なご意見並びに情報をいただきありがとうございました。
 今後の稲武町教育行政の参考にさせていただきたいと思います。  
 
 上記文書は教育長名でありますが、内容につきましては町長と協議されたものであります。

※2001年(平成13年)秋、稲武町長宛にメールではなく手紙を送りました。どこの馬の骨ともわからない人間相手にいちいち返事が来るはずもなく、それでもと思い今度はメールを送りました。その返信が以上の内容です。
 
■東栄町からの返信

教育委員会へ伝えるという内容のメールをいただきましたが、1ヶ月近くたってもお返事をいただけないので、お断りのメールを送らせていただきました(これ以上待てない!)。客観的に見て、東栄町の教育委員会は住民の意見には返事をしない方針と思われる。総務課の担当の方は丁寧に対応していただきました。

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★以上の三町の対応にも見えますように、それぞれの自治体の温度差が対応に見られたような気がしました。財政難と合併問題という懸案の前に学校の統廃合問題は県内的にはさほど大きな問題として取り上げられることもなく、じわじわと確実に廃校の日がやってきたように思えます。赤羽根町は田原市と、稲武町は豊田市と合併していきました。そして、2006年3月に赤羽根分校(成章高校赤羽根校舎)が、2008年3月を持って稲武分校(田口高校稲武校舎)と、本郷高校(新城東高校本郷校舎)が長い歴史の幕をおろしました。(2008/05/06)

 
 
■廃校から一年が経とうとしています 2009/03/30

愛知県立新城東高等学校本郷校舎(かつての本郷高校)
愛知県立田口高等学校稲武校舎(かつての稲武分校)

が廃校になってから一年が経とうとしています。

わたしには、正常な学校生活を送ることができないという理由で僻地教育を切り捨ててきた愛知県のやり方には納得できません。少なくとも、廃校方針を発表した時点では、適正な教育をおこなう事ができる生徒数であったのです。

地方自治体は金がないと言いますが、人こそ金に勝る財産です。県が頼りにならなければ、自前で育てる工夫をしたらよいのです。人と同じ事をしていては、沈んでいくだけです。なぜやろうとしないのか?不思議でなりません。創造・開拓・開発を実践できる地域の指導者がいないのかなあ。

と、この十年くらい考えていましたが、結局ぼやきになってしまいました。

負け犬の遠吠えのようだと言われそうですが、いいのです。
負け犬にも五分の魂。
ひと吠えも二吠えもしなければ、腹の虫が治まらないこともあります。


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【三河武士がゆく】