父の足跡

砲兵情報聯隊 国鉄飯田線

【三河武士がゆく】

★寄せ書きのある日章旗や千人針など戦没者の遺品をお持ちの方へ(厚生労働省HP)

■砲兵情報聯隊

★私の父親は満州牡丹江省の東寧に配置されていた《砲兵情報連隊(砲兵情報聯隊)》に所属していました。ほんとうかどうかわかりませんが、鼻水や小便が凍る話しはよく聞かされました。当時の写真は残っているのですが、詳しい話を聞く機会もないままに亡くなったため、ほとんど当時の状況がわかりません。終戦前に本土防衛のために内地に引き上げて九十九里浜でたこつぼばかり掘っていたとよく話しておりました。砲兵情報連隊について少し調べてみましたが、詳しいことはほとんどわかりませんでした。おそらく、ハルビン編成の砲兵情報第2連隊だと思います。戦友会もあるのかないのかわかりません。父親が亡くなってから20年が過ぎようとしています。ちょっと調べてみたくなりました。(2006/06)

★その後、関係者の方からメールやお便りをいただき、ハルビン編成の砲兵情報第二連隊(軍隊の符号では2ANになるそうです)であること、その聯隊史があること、父は十六年兵であったこと、そして戦友会の存在がわかり、(やはり)父は戦友会に一度も出席していないことがわかりました。戦友会は最後となってしまったようで残念です。

★参考文献『砲兵情報第二聯隊史』編集・発行四一会 平成十年

 
 
 
 
 


 
「矢島写真・東寧」とあり。
上着の胸ポケットには、逆三角形のような四一部隊の標識が着いている

 



 

 
 
終戦時の八街で写した中隊全員の写真だそうです。
 
 
元の写真はもう少しい大きいなサイズです。
終戦時の八街で写した中隊全員の写真だそうです。

 



 
■東寧重砲兵聯隊第一中隊の戦い 2011年08月10日
 
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