古本は邂逅の一語に尽きる
 
 

■あすなろ三三七拍子 (講談社文庫) 2014年06月17日

■『別冊宝島81 原発大論争』 JICC 1988年(昭和63年)2012年12月05日

■『歴史読本』新選組京都15大事件の謎が入手できない!2012年07月25日

■『敵兵を救助せよ』2010年08月06日

■『そだちの科学』、「おとなの発達障害」 2010年06月07日

■『戦前の少年犯罪』管賀江留郎 2010年05月31日

■三州吉田城の天守? 2010年02月14日

■豊橋市図書館と『中島三郎助文書』 2010年02月08日

■『特攻からの生還 知られざる特攻隊員の記録』 2010年02月03日

■NHK大河ドラマ「龍馬伝」と日本史の学習 2010年01月31日

■『覚えておきたい 古文書くずし字200選』 2010年01月20日

■『はだしのゲンはピカドンを忘れない』(1) 2009年03月20日

■『歴史読本』2009年1月号、日本の暦 2009年01月25日

■『説夢録』(箱館戦争史料) 2008年10月03日

■嗚呼ズンゲン−ある秘められた玉砕戦の顛末− 2008年09月27日

■「生き延びてはならなかった最前線部隊」を見て2010年08月05日

■『あんちゃん』(水谷豊)  2008年09月21日

■「新選組研究の回顧と展望」(『歴史読本』) 2008年09月19日

■「新選組研究の回顧と展望」(『歴史読本』特集近藤・土方・沖田の新選組)

■『燃えよ剣』司馬遼太郎(新潮文庫) 2008年09月17日

■『三州横山話』 早川孝太郎 大正10年
 
もどる
三河武士がゆく
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
■あすなろ三三七拍子 (講談社文庫) 2014年06月17日 
 


あすなろ三三七拍子 上巻を読みました

久々に熱くなった一冊


「思い通りにならない人生を、本気で応援する男!」


友人に勧められて購入した文庫本の上巻をやっと読み終えた。一日数ページずつのペースだが、毎回楽しみにしている。

男には、心にズシリとくる言葉が並んでいるからだ。

応援団は特異な組織である。自分がプレーすることはない。主役になることはないのだ。

「主役は選手。わしらは選手を応援する立場。その『分』を忘れたらあかん」


厳しさは一番とう自負があり、時として、プレーヤよりもハードな練習をする。

「応援する相手よりたくさん汗をかくことでしか、自分たちはひとを応援する資格を持てないんです!」
「汗をかくためには理屈は要らんのです!」


しかし、どれだけ頑張って応援をしても、負けたと言っては叱られ、試合に勝つことがあっても、気合が入っていないと言っては叱られる。

不条理な世界だ。

あくまでも、飯を食べた数がものを言う。絶対的な縦社会だ。

「むだが多いですよね、いろんな面で。つまらないメンツとか、先輩だからどうだとかOBだからどうだとか、根性だの意地だの、そんなことばっかりじゃないですか」 

と言う、女性団員沙耶の分析は言い得て妙である。

どんなに、悔しくても、スポーツのように先輩を追い越すことはできない。感情の持っていきどころがないのだ。そういう環境だからこそ、磨かれることがある。

そして、感動がある。

「もう一つは、涙を流すことです」


不条理な世界は、もちろん応援団だけではない。仕事、家庭、大きく言えば人生そのものが思い通りに行かない。だが、理屈ではない何かがあるから、まだ倒れずにこうして立っているのではないでしょうか。

「学ランの襟がなんでこんなに高いか知ってるか?うつむかないようにするためだ」


 
 
 
■別冊宝島81 原発大論争 JICC 1988年(昭和63年)2012年12月05日
 
どのような考えのもとに25年間、原子力発電がおこなわれてきたのかを考えるとき、参考になると思います。

1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故の2年後に発刊されたものですが、当時の考え方に触れることによって、25年間で何が変わったのか、変わらなかったのかを考えるのには良い材料だと思います。

また、今回、原発問題がひとつの争点となっている衆議院選挙を控えており、当時原子力発電の問題に触れることのなかった若い世代の人には参考になると思います。

【内容】

電力会社VS反原発派
電力会社の虎の巻「内部資料原子力発電に関する疑問に答えて」に、反原発派の論客15人が総反撃

原発は絶対安全が保障されているか?
チェルノブイリとスリーマイル
出力調整運転は安全なのか?
巨大地震が原発を襲ったら?
原発労働者の仕事にミスはないのか?原発事故が起きたら誰が責任をとるのか?
日本以外の国は原発から撤退しているのではないか?
原発の放射能は危険ではないか?
日本の食品も放射能に汚染されているのではないか?
放射性廃棄物はどうやって処分するのか?
原発で石油は節約できるのか?
原発がなければ電気は足りないのか?
原発は本当に安いのか?
原発は経済性を優先しているのではないか?
石油代替エネルギーは原子力しかないのか?
事故を隠して原発のPRをしているのではないか?
原発は地域を豊かにするか?
原発は日本の核武装につながるのではないか?
再処理工場は本当に安全なのか?
プルトニウムは安全で有効なエネルギーなのか?

 
 
■『歴史読本』新選組京都15大事件の謎が入手できない!2012年07月25日

『歴史読本』9月号が新選組特集(新選組京都15大事件の謎)だというので、久々に発売日の7月24日に買うことにしましたが、一日遅れて本日書店に行ってきました。

しかし、3軒の書店をまわったのですが、

一軒目 「(本店から)配本をカットされた(不景気ということか?)」
二件目 「売れないと配本を切られる。数日遅れで入荷することも有る」
三軒目 まったく気配がないので、店員に聞くのは止めました。

以前は、当然のように並んでいた『歴史読本』もこんな状態なのかと愕然。

最近、新しい歴史雑誌がいくつか出版されているので、歴史ブームなのかと思っていただけに、残念でした。

土曜日にもう一度行ってみようと思います。
 
 
■『敵兵を救助せよ』2010年08月06日
 
『敵兵を救助せよ 英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』
惠隆之介 草思社

この本は戦記ものであり、教育書でもあるようなものです。
学校の教師などの教育者に読んでもらいたい本でもあります。

日本海軍駆逐艦「電」の工藤俊作艦長は、ジャワ島北方スラバヤ沖で、漂流するイギリスの巡洋艦・駆逐艦の乗組員四百数十名を救出したことで知られています。

艦長の着任訓示
「本日より、本艦は私的制裁を禁止する。とくに鉄拳制裁は厳禁する」
172頁

当初は軟弱な艦長ではないかという声があったそうです。

それでも、鉄拳制裁は止まなかったそうですが、艦長は決して軟弱ではありませんでした。

戦闘が行われた海域で、救助のために艦を停止させることは、非常に危険なことなのだそうです。攻撃の的になるおそれがあるのです。

艦長の教育者としての手腕は、今の教育者の手本ともいえるものです。

例えば、哨戒活動中に流木を敵潜水艦の潜望鏡と誤って報告した見張りに対して、怒ることなく、「その注意力は立派だ」と誉めたのです。

このため、四○○○メートル先の潜望鏡を識別できる見張りが増えたそうです。

欠点や失敗を叱ることは容易いことです。わたしも、他人の欠点が目につきやすく、叱ったり注意することが多かったのです。

長所や優れた面を誉めることも容易いことです。

ここでは、教育者の性格が如実に表れる場面です。どれが絶対に正解ということは私は言いません。しかし、失敗を長所に変えて誉めることは至難の業です。

失敗を誉めて、直すのではなく、

失敗を逆手にとって、成功させる

これは、わかっていてもできないものです。

人を生かす教育が、多くの人命救助へとつながったのでしょう。

「よき軍人である前に、よき人間であれ」と語った海軍兵学校時の校長は鈴木貫太郎でした。

鈴木は、

鉄拳制裁禁止
歴史および哲学教育強化
試験成績公表禁止(出世競争意識の防止)

といっ海軍兵学校の教育改革に取り組みました。

鉄拳制裁をしたものは退校させると明言し、「鉄拳によってしか部下を心服させ、指揮しえない士官は、士官たる資格なし」と

「最後の海軍大将」井上成美も鈴木の薫陶を受けています。

圧力に屈せず(良い)信念を貫くという点でもこの三人は共通しているのではないでしょうか。

工藤艦長は他の艦へ移り、駆逐艦「雷」は、昭和19年4月13日潜水艦の魚雷攻撃により撃沈され、全員戦死をしています。

戦後の工藤艦長の生き方に少なからず影響を与えたともいわれます。

鈴木は千葉の実家にひっそりと暮らし、井上成美も世に出ることはしませんでした。

『終戦宰相鈴木貫太郎』『最後の海軍大将井上成美』などと共に、ぜひ教育者に読んでいただきたい一冊です。
 
 
■『そだちの科学』、「おとなの発達障害」 2010年06月07日
 
『そだちの科学』13号、特集「おとなの発達障害」(2009年)

世間では、発達障害がこどものものであるという思い込みがあると思うのです。発達に関わる問題なのですから、当然、こどもの延長線上にあるおとなの問題でもあるのです。これは、単純にこどもの人口よりもおとなの人口の方が多い事を考えると、問題の深刻さが見えてくるのではないでしょうか。

しかし、その対応は、どうなっているのでしょうか?

『そだちの科学』13(2009年11月15日発行)では、「おとなの発達障害」を特集しています。

最前戦の専門科たちによる内容読んで、より深刻さを感じると同時に、ここから解決の糸口を見つけられるのではないかという希望も少し感じました。


※『そだちの科学』を所蔵する公共図書館は少なく、雑誌として貸出禁止扱いとなれば、読む機会がさらに少なくなるのが残念です。


編集人と執筆者、執筆の時点で勤務していた病院などの機関を書いておきますが、昨年のデータですので、現時点(2010年6月7日)で所属しているかどうかはわかりません。

そのなかで、執筆者が確認ができた機関のホームページのみ掲載します。私は病院で選ぶのではなく、医師で選びます。

ただし、HP作成時には在籍していても、現時点でどうなっているかは、わかりません。該当の病院へ直接おたずねください。

■おとなの発達障害・・・(6)おとなはどこへ相談しますか?

 
 
■『戦前の少年犯罪』管賀江留郎 2010年05月31日
 

内容を検証したわけではないが、著者がこつこつと戦前の新聞などの報道史料から丹念に拾い上げて積み重ねたものだと思う。

報道関係のテレビに出演している人たちの多くは口をそろえて「昔はこんな風ではなかった」「むかしの方が良かった」という。実際に私もそう思うことがある。

でも、本当にそうだろうか?と思った人がこのような本を書くのだ。

この本を読むと、自分の中で都合の悪い部分、思い出したくないような部分を上手に忘れていたことに気付かされる。

戦前だけでなく、戦後についても、同様のことが言える。
犯罪だけに焦点を絞ってみるが、今思えば「○○だから」と、特定の人にある程度のことが許されていた。そういう時代が長く続いていたのだと思う。

軍人の世界は特にわかりやすい。一兵卒は、ちょっとしたミスでも制裁を受けることがあり、軍律や命令に反するようなことがあれば、銃殺されることもある。しかし、一部の特権を持った軍人は、軽い罰や左遷・辞職で済まされることがあった。左遷の場合、カムバックの望みがある。十五年戦争の指導層のなかにどれだけそのような軍人がいるか。

おとなは、「若かったから」「そういう時代だった」「そういう世界だ」という言葉で、笑いながら若者に話すかも知れない。でも、「そういう時代だった」という言葉をおとなの言い逃れだけと切り捨ててはいけない。貧困、社会的な環境などが自分ではどうすることもできないくらい大きな影響を与えていたこと、そうのような時代背景をじゅうぶんに考える必要がある。

その時代に、現在のではなく、当時の社会環境のもとで、教育を受けた自分が置かれたとしたら、どうなのか?

私たちが歴史に触れていくうえで、忘れてはならないことだ。

書いていたら、山中恒氏の『昔ガヨカッタハズガナイ』が読みたくなって本棚を探したが、見つからなかった。
 
 
■三州吉田城の天守? 2010年02月14日
 

少し前になりますが、豊橋市美術博物館編集の『吉田城シンポジウム報告 検証・吉田城』(平成十八年・2006年)を読んで感動しました。

三浦正幸氏は、「今、よみがえる吉田城 ―その建物復元に向けて―」で、吉田城は未完成の城ではなく、完成した城であり、天守がなかったのではなく、「天守と呼んでいなかった」としています。天守と呼ぶか否かは、それぞれの事情によって異なるようです。そして、東海地方で吉田城を越える城は駿府城と名古屋城だと。

半谷健司氏は 『詳説・吉田城と池田照政』で、櫓・城門・惣構えなどを検証に基づいて考察しています。

吉田城の特徴は、以下の点にあるそうです。

@天守を設けない。
A本丸を中心に三重櫓を多配。

そして、

1590年代に完成した全国でも最初期の平城
当時の最新築城技術を駆使
実戦向け城郭

と位置づけています。

下に参考にした書籍を書きました。
この三冊をお読みになってから、もう一度吉田城を訪れてみませんか。

【参考】

1.高橋延年・柳史朗共著 『三州吉田城の石垣と刻印』 昭和47年(1972年)6月15日

2.豊橋市美術博物館編集 『吉田城シンポジウム報告 検証・吉田城』 豊橋市教育委員会 平成18年(2006年)3月31日

3.半谷健司 『詳説・吉田城と池田照政 〜遂に判明!吉田城本丸天守(代用)鉄三重櫓の外観全貌とその最期〜』 オフィス・ハニー 平成21年(2009年)8月1日

 
 
■豊橋市図書館と『中島三郎助文書』 2010年02月08日
 

前回と今回のNHK大河ドラマ『龍馬伝』は、ペリー来航による日本国内の動揺を描いています。ペリー来航時に応接にあたった浦賀奉行与力中島三郎助は数奇な生涯をおくります。

豊橋市図書館には『中島三郎助文書』(中島義生編、1996年) が 所蔵されています。

最近では入手困難になり、所蔵している図書館も少なく、さらに禁帯となっていたりして、 めったにお目にかかることができません。豊橋市図書館の蔵書も禁帯で、借りられませんが、手に届くところにあるのはうれしいことです。

愛知県内市町村立図書館の横断検索で「中島三郎助」を検索しますと、豊橋市図書館が14件と最も多く、次に多い岡崎市立図書館は5件です。(2010/02/08現在)

三河国吉田藩士穂積清軒(清七郎)の母は、中島三郎助の姉にあたります。晴軒は洋学者として知られており、叔父三郎助との関係も深いものだったようで、三郎助の紹介で幕府軍艦操練所の翻訳方になっています。晴軒の弟が穂積寅九郎で、一時期三郎助のもとにいました。

吉田藩士(吉田藩は、のち豊橋藩となる)と福沢諭吉の関係は深く、丸善の社長や要職に吉田藩士の名が見られ、慶應義塾にも入塾しています。『慶應義塾入社帳』には、入塾のときの保証人として穂積寅九郎の名が見られます。

私は見たことがありませんが、穂積寅九郎により、中島三郎助が所蔵した洋書が豊橋市図書館に寄贈されたそうです。

箱館戦争で、二人の息子と共に箱館千代ヶ岡陣屋で討ち死にした叔父中島三郎助同様、穂積清軒も熱心な佐幕論者であり、吉田藩士の彰義隊参加事件に関係したとされ、藩により処罰をされています。

参考
「『穂積清軒略伝』について」
「吉田藩脱藩彰義隊参加者をめぐって」
『在村の蘭学』(田崎哲郎、名著出版、1985)
 
 
■『特攻からの生還 知られざる特攻隊員の記録』 2010年02月03日
 

鈴木勘次『特攻からの生還 知られざる特攻隊員の記録』 光人社 2005年

先に海軍の陸上爆撃機「銀河」による第二次丹作戦の梓特別攻撃隊について触れました。

著者は第二次攻撃隊として出撃する予定で、大分県宇佐飛行場で待機していましたが、第二次攻撃は中止されました。


そして、菊水三号作戦により、昭和二十年四月十七日、鹿児島県出水基地から出撃しました。

予定していた他の銀河の故障により、二時間遅れの単機出撃となったり、途中酸素吸入器が故障したりして、アクシデントが続きました。

実際に突入して奇跡的に生還した著者の言葉は重い。

「説明のつかないような苦痛が走り、時間とともに死が本物になっていく」

「身に迫る肉体の消滅という現実を痛感せずにはいられない」

(本文より)


著者は、「はじめに」や本文のなかで、特攻隊員は今の若者たちと何ら変わらなかったということを強調しています。特別な見方をされることには当時も違和感をもっていたようです。

私たちは、知らないから、勝手に想像してイメージを作り上げてしまうことがあります。それが人を苦しめることがあることを知らなければならないと思います。



「現代の人々は、「特攻」というと、スリルとか、豪快だとかと思い浮かべるかも知れませんが、本当の弾丸の飛び交う中を飛んだことがないので、無理からぬことと思います。とにかくいまのヤングの方たちと何ら変わらぬ若者であったことだけは事実です。」

「はじめに」より
 
 
■NHK大河ドラマ「龍馬伝」と日本史の学習 2010年01月31日

日本史がわからないと言う声はよく聞きます。
つまらない、興味がないというところから始まっているの場合が多いのでは。

なぜつまらないのか、理由はたくさんありますが、
またお話しします。

私が十代のころ、周囲で司馬遼太郎がはやっていました。
テレビか雑誌で誰かが言っていましたが、

『燃えよ剣』『竜馬がゆく』

どちらを先に読むのかで、勤王と佐幕とに大きく別れると。

私は、生まれていましたが、『竜馬がゆく』は記憶にありません。『天と地と』はかすかに残っています。

ブログの最初に書いていますが、テレビの再放送の影響で、『燃えよ剣』の文庫本を購入しました。

それでかどうかわかりませんが、新選組が好きになりました。

その後、『峠』で河井継之助や長岡藩に興味を持ちました。

なぜかわかりませんが、朝日山で討ち死にした時山直八が気になりましたが、深入りはしていません。

大河ドラマ『花神』では松平健演じていました。彼は豊橋市出身です。

『花神』では、村田蔵六よりも、久坂玄瑞・高杉晋作、イネに興味が。

佐幕一辺倒かというとそうでもなく、いや厳密に言うと、『竜馬がゆく』を読むまでは佐幕色が強かったのですが、竜馬の魅力に引き込まれてしまいました。

歴史は、このようにして本やドラマを入り口としていくことが多いのだと思います。

人物史や物語を中心とした日本史の授業を展開すると、もっと歴史好きの人が増えてくるのだと思います。
 
 
■『覚えておきたい 古文書くずし字200選』 2010年01月20日
 

昨年、近世の古文書を読む必要ができたので、
『くずし解読字典』を引っ張り出してみましたが、
なかなかはかどりません。

もともと読めたわけではないので、
いきなりこのレベルの字典では難しかったと思い、
古書店で見つけた
『覚えておきたい 古文書くずし字500選』柏書房を購入しました。

わかりやすいのでおすすめですが、
500選の前に出版された200選が気になり出しました。

順序が逆なので、余計に覚えずらかったのですが、
200選を読むようになって、少し自信がついてきました。

200選とはいえ、500選の倍くらい用例が載せられており、
用例の読み方も添えられているので、ありがたいです。

古文書は日常の生活では使いませんので、実用的ではありませんが
私の半分眠っていた右脳も少しずつ動きだしました。
頭の体操にはなりますよ。

古文書を始めようという方にはお薦めの一冊です。

ついでに、

かな文字に慣れるには、以下の本はどうでしょうか。
私は、『寺子屋式 古文書手習い』を買いました。

『江戸かな古文書入門』
『寺子屋式 古文書手習い』

かなが少し読めるようになると、
文がつながって理解出来るようになりました。

字典類はそれからでも遅くはないと思います。
『くずし解読字典』は持っておきたい一冊です。
 
 
■『はだしのゲンはピカドンを忘れない』(1) 2009年03月20日
 

『はだしのゲン』を書いた中沢啓治氏は、昭和20年8月6日広島で被爆して、首筋と頭の真後ろがケロイドになりながらも奇跡的に助かりました。

母親は、二階の物干しにいましたが、ちょうど軒下に入ったところで吹き飛ばされたために助かったそうです。

しかし、父親・姉・弟失い、陸軍の暁部隊で死体整理にあたっていた叔父を残留放射能で失いました。

姉が、学校の道具をそろえてから行くので先に行ってと言わなければ、死んでいたかもしれません。

校門に入る直前に同級生の母親が呼び止めなければ、死んでいたかもしれません。

そのとき、学校の塀に背中を付けていなければ、死んでいたかもしれません。

同級生の母親は即死状態だったそうです。

被爆時母親のお腹にあった妹は栄養失調で亡くなり、昭和四十一年母親を白血病で失います。火葬された母親は「頭蓋骨も骨も全然ない。おきの中に白い粉が点々としているだけ」だったそうです。

 
■『歴史読本』2009年1月号、日本の暦 2009年01月25日




『歴史読本』2009年1月号 特集:日本の暦

学校で使用する教科書では、旧暦(太陰太陽暦)をそのまま西洋暦に対照させて用いても困ることはありませんので、意識をせずにいると、細かなところで勘違いをすることになります。

播州赤穂浪士のえど吉良邸討ち入りは、元禄15年12月14日とされております。当時は明けるまでを前日と数える習慣があったそうで、現在の時刻でみますと、12月15日になるようです。 

江戸時代は地球温暖化の現代とは違って幾分寒かったので、12月の江戸でも大雪が降るのだと思ってはいけません。

元禄15年12月15日は、西洋のグレゴリオ暦に換算しますと、1703年1月31日になるそうです。びっくりですね。その時期であれば、大雪・積雪も不思議なことではありません。

ですから、西暦も1702年ではなく、1703年となります。日本史のテストに出たらどちらでも○にしちゃいましょう。

同様に、慶応3年12月19日の王政復古の大号令が、グレゴリオ暦ですと、1868年1月3日となります。1867年ではないのです。

明治新政府は、明治5年12月3日を、明治6年1月1日としました。グレゴリオ暦1873年1月1日にあたります。これで、新旧の暦のズレはなくなりました。

この問題を考えるときはあまり細かいことを気にしない方が良いと思います。

そもそも、異なった暦を使用しているのですから、どこかに無理が出てきてあたりまえのことなのです。新暦以前は旧暦ので書かれているのですから。そこに無理矢理西洋暦をねじ込むようなものです。

どちらの表記方法がより混乱しないかと考えるのが無難だと思います。

わたしは、感覚的には1ヶ月くらいのズレとおぼえるようにしています。そこらヘンは適当ですから。

『歴史読本』2009年1月号、特集:日本の暦(旧暦の見方楽しみ方)は、1601年(慶長6年)から1872年(明治5年)までの「新旧暦月日対照表」がとても便利です。

閏月はもちろんのこと、普通の歴史書籍では書いてあることが少ない、大の月(30日)・小の月(29日)もはっきりとわかります。これがありがたい。

暦の説明はもちろんのこと、節句やしきたりなどの解説あります。
日本史を調べてたいと思っている人にはとても便利な一冊だと思います。
 
 
■『説夢録』(箱館戦争史料) 2008年10月03日
 


『説夢録』は明治26年発行の箱館戦争の戦記です。著者の石川忠恕は三河吉田藩士石川證平のことで、彰義隊に参加後、品川沖から榎本艦隊に収容されて蝦夷地へ渡っています。編輯兼発行責任
者は浅岡岩太郎です。浅岡の父は三河屋幸三郎です。

三河屋幸三郎のエピソードが語られるときに、子母沢寛の《箱館脱走余聞》(「近世遊侠ばなし」)が参考にされることがあり、そこには、『説夢録』が世に出る経緯が書かれています。問題なのは『説夢録』の解説や、この《箱館脱走余聞》では石川が獄中で病死したことになっていることです。

奥書では著者の石川忠恕は故人になっています。これ自体は発行当時故人であれば何も問題ありませんが、幽閉先の青森で獄中死したとなれば問題です。なぜなら、石川忠恕は生きていたからです。吉田藩から箱館戦争に参加した石川姓は石川證平ひとりであり、石川忠恕は石川證平とみてよく、證平は豊橋藩(旧吉田藩)に引き渡された後釈放されています。

こうなりますと、《箱館脱走余聞》の内容はどこまでが真実であるのか疑わしくなってきます。また、『説夢録』そのものが、石川忠恕ひとりの著述であるのかも疑ってかかる余地が生じてきます。
 
 
■嗚呼ズンゲン−ある秘められた玉砕戦の顛末− 2008年09月27日
 
2007年8月にNHKで放映された「鬼太郎が見た玉砕−水木しげるの戦争−」は、『総員玉砕せよ』を原作としており、水木しげる氏のニューブリテン島での戦争体験に基づいています。

『水木しげるのラバウル戦記』によれば、水木氏は内地からパラオへ、パラオから信濃丸という日露戦争でバルチック艦隊を発見した老朽艦で、魚雷攻撃を受けながら、ニューブリテン島のココボに上陸しました。その後、ズンゲン支隊に編入されてズンゲンに赴き、さらに前線監視のためバイエンに派遣されます。

この、バイエンに派遣された分隊は武装した現地人により襲撃を受けて全滅します。しかし、水木氏は不寝番として海軍の見張り台にいたために奇跡的に助かり、必死の思いで友軍部隊にたどり着き、所属する中隊に戻ることができました。しかし、「なんで逃げ帰ったんだ。皆が死んだんだから、おまえも死ね」という言葉が返ってきました。これ以来、「中隊長も軍隊も理解できなくなり、同時に激しい怒りがこみ上げてきた」そうです。

 
やがて陸軍の中隊に戻ることになった水木サンを待ちうけていたのは、上官たちの冷たい反応でした。小隊長「陛下からいただいた銃を捨てて、よく戻ってこられたもんだな」とイヤミを言い、中隊長は「仲間がみんな死んだのに、おまえはなぜ逃げてきたのだ。死に場所は俺が見つけてやるぞ」と不機嫌になって黙り込む。
(2011/01/19追記)
「水木しげる 百歳まで生きるでしょう」『NHK知るを楽しむ 人生の歩き方』43頁
 

その後、空襲によって左腕を失うほどのケガを負い、ココボの野戦病院送りとなったので、ズンゲンの玉砕戦には参加してません。ズンゲン支隊の過酷で悲惨な状況は堀亀二氏によって「嗚呼ズンゲン−ある秘められた玉砕戦の顛末−」(『丸別冊 太平洋戦争証言シリーズ1 空白の戦記 中・北部ソロモンの攻防戦』)に詳しく述べられています。



まったく納得がいかない、理不尽としか思えないことによって死ななければならない状況におかれたとき、死というものをいかに受け止めていくのかを考えさせられました。

 
 
■「生き延びてはならなかった最前線部隊」を見て2010年08月05日

7月30日にNHKで放映された「生き延びてはならなかった最前線部隊 〜ニューブリテン島・ズンゲン支隊〜」を見ました。

戦争である以上勝たねばならないわけです。命令や形式を命よりも重んじて、兵士を人とも思わずに死に追い込んでいくような戦いをしていた日本は、本気で勝とうとしていたのでしょうか。

勝つことを目的とするのであれば、できる限り損害を少なくして、少なく戦って勝つことです。戦わずして勝つことが戦いの極意ともいいます。

人を活かすことが剣の極意でありながら、理不尽な命令の下に自軍の兵士を死地に追いやることが組織的(軍か師団かわかりませんが)におこなわれていたというのは信じられないようなことです。

上にある者が戦争に勝つことよりも、理不尽な命令を実行すること、全軍の士気を落とさないように生き残った兵士を殺すことに力を注ぐような軍隊が勝てるわけがありません。

死ななくてもよいのに死んでいった人やその家族はどんな思いだったでしょうか。

水木しげるという人は、そのような軍隊にいて、組織の大きな欠陥や人間の醜さに気付き、それを残された人たちに知らしめる役割を持って生き延びてきたのだと思います。

この人間の醜さや組織の怖さは、今の社会にも依然として存在します。
 
 
■『あんちゃん』(水谷豊)  2008年09月21日
 

表紙画像
『あんちゃん』(水谷豊)  1983/3/1 金子成人 日本テレビ

映画館は満席状態でした。
映画「相棒」の人気はすごい。
地方の映画館で「席を詰めて座ってください」と言われることはめずらしい。

わたしにとって水谷豊の魅力といえば、《熱い》そして《あたたかい》ところです。
派手さはなくなりましたが、「相棒」にはそのような味がにじみ出ているのではないでしょうか。

映画の宣伝もあって、最近、ドラマ以外でよく水谷豊の姿を見かけます。「カリフォルニアコネクション」を歌っていた頃の朴訥としたイメージとは異なり、少しびっくりさせられました。ドラマ以外でよくしゃべる水谷豊を見たことがなかったもので。

先日NHKで歌っている姿を見て、懐かしさのあまり、途中から録画して一緒に口ずさんでいました。あんちゃんの主題歌「普通のラブ・ソング」の《俺は普通の男、普通に生き》という歌詞が好きなんです。挿入歌の、「宇佐木温泉音頭」のほうが耳に残っているという人の方が多いかもしれませんね。

水谷豊出演作品のなかで好きな作品は「あんちゃん」(日本テレビ・土曜グランド劇場)です。
役のなかでの徳子(伊藤蘭)との相性がとても良かったですね。でも、本当に結婚するとは思ってもみなかったです。三浦洋一との掛け合いも、池中玄太とは違った雰囲気で好きでした。でも、もうこの世にいないんですよね。

最初、女子プロレスが舞台で、全日本女子プロレスの選手がでてくるのですが、けっこう女子プロレスも好きでみていたので、これはこれで楽しんで見ていました。

最近、衛星放送の再放送で、この人も、この人もだというくらいに、この世にいないんだと思いながら見ていました。脇をかためている人からゲストまで、すごい人たちが勢揃いです。東千代之介・大友柳太郎・村田英雄・水嶋道太郎・寺田農・蟹江敬三・松田優作・阿藤海、女優では、淡島千景・初井言栄・千石規子から二宮さよ子・ 山本みどり・浅野真弓など、勝手に私の好きな人たちを並べているだけですが、これらの渋い俳優や味のある女優の存在が大きかったとも言えるだと思います。印象深い作品です。

松田優作との共演は、探偵物語の他にもいくつかあるのでしょうか。水谷豊と松田優作との関係は、『優作トーク』や『甦れ!探偵物語』で読んで知ったくらいですので、よくわかりませんが、二人の親密な関係は意外でした。

《あんちゃん》また見たくなってきました。(2008・6)
 
 
■「新選組研究の回顧と展望」(『歴史読本』) 2008年09月19日



 
 
■「新選組研究の回顧と展望」(『歴史読本』特集近藤・土方・沖田の新選組)

新選組に限ったことではありませんが。

新選組に、より史実に近いかたちで接してみたくなったとき、まず頼りになるのは、『新選組史料集』・『新選組日誌』・『箱館戦争史料集』・(新人物往来社)などに収められている史料と、元隊士や当時を知る人の自伝・回顧録や体験談です。

しかし、これらの資料を手にすることは簡単ではありません。刊本でも高価であり、古書価格であっても定価より高いものもあります。また、ほとんど古書店に流通しない資料もあります。図書館で借りたらよいと思っても、所蔵している地方図書館はほとんどなく、相互協力や国会図書館を利用しなければ読むことができないことも少なくありません。

このように苦労して手にした史料の信憑性に問題があったらどうでしょうか?

使われている史料がどのような性格を持っているのかということは、もっとも基本的で、重要なポイントです。

そして、それを確かめるためには読者が史料に行き着くことができることが前提となります。たとえば、上記の『新選組史料集』『箱館戦争史料集』でも全文掲載していないものがあります。『新選組日誌』はその性格上、新選組に関係がある部分だけを抜き出して掲載しています。広く知られていない史料について、その前後や全体に関わる情報は読者にはほとんどわかりません。

埋もれた史料の発掘や新史料の発見は想像以上にたいへんなことだと思います。しかし、どんなに価値のある史料であっても、読者にその史料の素性がわからなければ、内容の信憑性はなくなってしまいます。ここ数年はその点が改善されてきたように思われますが、上記資料は高価で発行部数の少ないものだけにたいへん残念なことだと思っています。

『歴史読本』2004年3月号、《特集近藤・土方・沖田の新選組》の「新選組研究の回顧と展望」で中村武生氏が問題点を指摘しています。

 
 
■『燃えよ剣』司馬遼太郎(新潮文庫) 2008年09月17日


『燃えよ剣』司馬遼太郎(新潮文庫)
昭和五十一年十一月二十日

私を歴史好きにさせた1冊です。
新選組や土方歳三の生き様。

少年の頃ですから、男とはこのように生きるべきだと、思いこみました。
その後の人生に大きな影響を与えたといっても過言ではありません。

坂本龍馬も好きなので、『竜馬がゆく』との出会いの方が先だったとしたら、
どうなっていたか、ふと思ったことがあります。

ただ、私の場合は、テレビの再放送を見て、原作を読んでみたくなったほうなので、栗塚旭(土方歳三)や島田順司(沖田総司)など俳優の影響が大きかったのはたしかです。

中学生のころ近所の本屋で買ったものです。
ボロボロですが今でも大切にしています。


 
■『三州横山話』 早川孝太郎 大正10年
 



数年前、長野県松本市にある古本屋のカウンターの下に何気なく積まれていました。
古本は、探していないときに見つかることが多いような気がします。七十を少し過ぎたくらいのご主人も、とても親切で、山積みの本をひっくり返しても、嫌な顔ひとつせずに、いっしょに探していただきました。ここまでしてくれる人はそう多くいません。たいてい、「そこら辺になければ、ないよ」で終わりです。ひどいのになると、「勝手に見るな」というような人もいます。(※何のために店に本を置いているのでしょうか?)
素敵な本との出会いの場には、人との出会いもあります。
このような本が、そっと置いてある古本屋っていいものです。(2001年)

 
古本は邂逅の一語に尽きる
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三河武士がゆく