「昭和のこころ」ノスタルジー世界のブログ
古い奴だとお思いでしょうが

いじめ問題】
 
 


■2012年度、小中高校いじめ把握件数、19万8108件 2013年12月11日
■道徳教科化よりも、大人のいじめをなくせ 2013年03月21日
■深刻な大人のいじめ・・・ネット社会のいじめは子どもだけではない 2012年12月17日
■いじめの発覚を阻むもの・・・指導はやり通せ 2012/07/28
■人権か命か 2012年07月18日
■大津の中学生自殺事件について 2012年07月15日
■大津の中学生自殺事件について 2012年07月11日
■メディアの「責任」 いじめは、揶揄・嘲弄と嫉妬・劣等感から始まる2012年02月13日
■惻隠の心を育てよう(小学生陸上大会にて)2011年7月4日
■担任が変わる努力を 2011/05/31
■もっと臆病でいい・・・ネットいじめ 2011/03/28
■おとなの発達障害・・・おとなのいじめ 2010年08月05日
■なんとなく・・・いじめ以外の何ものでもない 2010年07月16日
■いじめ、なぜ気がつかないのか?
■迷惑メール相談センター 2010年04月09日
■ネットいじめ・・・見つけたらすぐに相談しましょう
■ネットいじめ対策に朗報
■子どもを救う時、責任感やプライドは不要です 2010年04月05日
■三人の先生を思い出しました。 2010年04月01日
■いじめ・虐待から子どもを救う人は誰なのか?
■いじめの縮図をここに見たのは私だけでしょうか?
■発達障害といじめ

三河武士がゆく
いじめ問題対策室

 
■2012年度、小中高校いじめ把握件数、19万8108件 2013年12月11日

1985年度の調査開始以来最多とのことです。どこかで何度も書いていますが、調査のやり方、指導の方法、教師の対応によって数字はいくらでも変わってきます。大事なことは、数ではなく、内容なのです。どのようないじめがあり、どのように対応し、どのような経緯をたどっているのかということなのです。

なかには、教師が頑張るといじめが増えるという、なんだかわけのわからない矛盾した数字が出現することがあるのです。

数字のウラを読むと実態が見えてきます。


 
■道徳教科化よりも、大人のいじめをなくせ 2013年03月21日

範を垂れることなしに、何が道徳教育なのか?

子供のいじめをなくしていくには、大人がいじめを止めればよいのです。

人の陰口、悪口、言葉汚く罵ることを止めたらよいのです。

自分に都合のよい人だけではなく、誰にでも愛情を持って接したらよいのです。

話題になれば、一斉に叩きはじめるようなマスコミの体質をあらためたらよいのです。

優しさや愛情に満ちた大人の社会をつくれば、子供は自然に道徳が身につくのです。

大人が痛みを背負わず、子供だけに、道徳を強いるようでは先が見えています。

視点が全くずれているように思えてなりません。

 
■深刻な大人のいじめ・・・ネット社会のいじめは子どもだけではない 2012年12月17日

ある女性の元国会議員が、とてもひどい言葉で攻撃されていました。政治には関係がないようなことまで書かれていました。

見えないところから、気に入らない人間を徹底的に攻撃をする行為。

集団による個人へのいじめ以外の何ものでもありません。

確証はありませんが、いじめをしている人たちは子どもとは思えません。

この、いじめをしている人たちが、いじめであると自覚しているのかも問題です。

これはいじめでは無いと、信じながら、気にくわない人間に対して悪口を言い、排除をしようとする人たちに、いじめはいけませんと言ってもわからないし、心に響くこともないでしょう。

逆ギレされるかもしれません。

心の闇は深いのです。

子どものいじめ問題を解決するためには、大人のいじめ問題に取り組む必要があります。

気付いた人がいればすぐに書き込みを削除して頂きたいものです。


 
■いじめの発覚を阻むもの・・・指導はやり通せ 2012/07/28 

いじめの指導をしっかりやる、いじめが多い学校と
いじめの指導をいい加減にやる、いじめの少ない学校。

あなたはどちらを選びますか?

いじめの指導・生徒指導(生活指導)をしっかりやると、
いじめの認知件数や生徒指導件数が増えます。
すると、奇妙な現象が起こることがあります。

学校のイメージが悪くなるのです。

「不良のいる学校」「いじめの多い学校」「荒れた学校」「厳しい学校」「怖い先生が多い」「やりすぎだ」

一部のマスコミの取り上げ方にも問題があります。
学校や教師を快く思っていない人もいます。
こういう人に取材すれば、結果は自ずから知れています。

よくよく記者に聞いてみると、内情・実情をよく知らない人からの情報であったりもします。

表面だけ調べて、批判的・否定的なイメージでとらえられやすい記事を書く人もいるのです。情報操作はあたりまえと言えばそれまでですが。

書くのは一人でも、記事を見る人は、少数ではないのです。

高校であれば、受験生減少につながる大問題です。
管理職が引いてしまうこともあります。
教師がくさることもあります。
あまりやる気が無い教師もいます。

しかし、めげずにコツコツとやっていけば、イメージも良くなります。
なにより、学校の雰囲気が良くなります。子どもたちの顔つきが変わってきます。

時には厳しい指導も必要ですし、答えはすぐに出ません。
要は人と人とつながり(人間関係)なのです。
指導は曲げずにやり通すこと、我慢・辛抱なのです。


※事情をよく知らない人が、わかったような顔でメディアで発言をするのがあぶないのです。

 
■人権か命か 2012年07月18日 

いじめだけで無く、様々な問題を早期発見・早期対応するために、
アンケートや検査(身体検査・持ち物検査など)おこなうこともあります。
私もされたことがあります。される方は嫌なモノです。

問題と関係があるそのものずばりが出てくるときもあれば、
別のモノが出てくるときもあります。
そこから、核心へ迫ったり、新たな問題を認識することもできます。
問題が水面下で進行しているときは、
何かが出やすいのです。

頻繁におこなうわけではなく、
ある程度確かな情報を得てから、慎重におこなうのです。
人権に配慮するノウハウも当然あります。
説明もしますし、具体的な実施方法もあります。

当時問題視された学校や教師の多くが配慮に欠けていたとも考えられます。
また、生徒と教師、保護者と教師間のコミュニケーションが不足していたこともあるでしょう。
配慮に欠けた指導は新たな問題の誘因となります。

やむを得ず、生徒を守るためにおこなうことであっても、

「人権侵害のおそれがある」
「人権問題になる」
「マスコミが騒ぎ出す」
「裁判になったら勝てない」

という理由で公立の学校は(すべての学校ではありませんが)一歩引いてしまった事もあると思います。私の感覚では、愛知県東三河地方の場合30年ほど前から段々と引いてきたのではないでしょうか。

どちらを向いて教育しているのかと言う批判もあるでしょう。
実際に、子供の事だけを考えて、体を張る、職を賭す教師の数は少なかったと思います。

それにはいくつかの理由があります。

教師自身の性格
教育委員会・学校の方針
保護者の対応
マスコミの対応
政治の対応

複雑に絡み合っているのです。単純ではありません。

これは、いじめだけでは無く、

授業妨害・怠学と学習権
道路交通法と三ない運動
不登校とプライバシー
学校が家庭の問題にどこまで入り込めるか

などなど多くの問題にも通じるのです。


 
■大津の中学生自殺事件について 2012年07月15日 

なぜ、「いじめ」であると、判断できないのか?

他の生徒から「いじめ」であるという通報をうけた担任が、
現場に駆けつけて当事者から事情を聞き、
他の教員と話し合った結果「けんか」であると判断したそうです。

教員が何人で判断を下したのかわかりませんが、
メンバーの誰もが、いじめで無ければよいのにと言う考えを持っていると、
いじめで無くなってしまうことがあると思います。

ひとりでも、いじめであると強硬に主張する人がいると、
中間的な人がいじめに傾く事もあると思います。

いじめで無いのならケンカだと。

そのときは、いじめと言わなくても、実はいじめの時もあるのです。

確たる根拠がないのに、事実が曲げられる。
これは怖い事なのですが、証拠がはっきりしていないと、
こうなることもあるでしょう。

ボクシングやプロレスという名目で、嫌がる子どもを無理矢理相手にさせて、
いじめていたケースもありました。

通報者からどの程度、事情の聞き取りをおこなったのでしょうか?

第三者の生徒がいじめられているという通報を教師にするときは、
よくよくのことだと思います。
その子自身がリスクを背負うことになります。
その勇気も踏みにじられたことになるのです。


 
■大津の中学生自殺事件について 2012年07月11日 

保護者に口止めを要求。何を守りたいのか?

報道によれば、アンケート調査の結果を保護者に渡す条件として、口止めを要求していた事が明らかになったそうです。

これが事実であれば、もう弁解の余地はありません。

いじめがあれば、表に出す(正式に指導する)けど、よろしいか?

という、確認を被害者本人にすることはあります。

本人がどうしても嫌だという時もあったり、説得して同意をしてもらったり、個々の状況に応じて色々です。

保護者の同意を得るときもあります。保護者から子供に説得してもらうこともあります。

事情をあきらかにしていく過程で、被害者側が言いたくないこと、思い出したくないことも出てきます。
つらい思いをさせているなと思いながらも、問題を解決するために徹底した原因究明をしていくのです。

どの事案でもすべてオープンにというわけではありません。

しかし、今回の場合、事は重大であり、保護者も原因究明を望んでいたのです。
隠蔽するなどもってのほかです。

隠蔽することで何を守ろうとしたのでしょうか?

正当な理由があればちゃんと話したらよいのです。
後からずるずる出てくるような往生際の悪いことは止めて欲しいものです。

なお、滋賀県警は本格的な捜査に乗り出したとのこと。
これも大問題なのです。
被害者が自殺したら、事件として捜査をしないというのはまったく考えられないのです。
(自殺の原因に事件性を感じなかったということか?)


 
■メディアの「責任」 いじめは、揶揄・嘲弄と嫉妬・劣等感から始まる2012年02月13日

マイナス、否定的な内容でよく見るランキング。

「○○してほしくない有名人」
「○○したくない有名人」

これをネタに売れることもあるのかもしれない。

芸能界のことをまったく知らない私にとっては、
「いじめ」にしかみえないような時もある。

だが、なかには傷つく人もいるかもしれない。
(その思いやりの心を持ってほしい)

人を傷つければ、いじめたことにもなる。

極論を言うつもりはないが、目に余ることがある。

例えば、学校などの教育現場や職場で同じようなことをやったら、
どれだけ攻撃されることか?メディアの取り上げ方は凄まじい。

同じメディアがやっていることは何か?

メディアという巨大な組織を使えば、不特定多数の人に及ぼす影響は甚だしい。

しかも、
仕掛け人の顔が見えない。
止める者もいない。
残忍で陰湿ないじめはこのようにして起きる。

これは良いのか?良いわけがない。

恨み・悲しみ・憎しみが、やがて見えない仕掛け人に集中するのは当然のこと。
その人も良い人生を送ることが出来るとはとても思えない。

いじめをなくそうと多くの人に呼びかけるのがメディアの役割ではないのか?
このようなことはすぐに止めることだ。

子どもは模倣をするのです。

すべてできなくとも、おとなは良いモデルとなる意識を持って生活したいものです。

いじめ問題

 
■惻隠の心を育てよう(小学生陸上大会にて)2011年7月4日

7月2日(土)、市内小学生陸上競技大会での出来事です。

久しぶりの陸上競技場でした。タータンになったのは知っていましたが、計測がおらず、テレビで見るような電子掲示板にタイムが出るのにビックリしました。

大雨が降り、土のトラックでドロドロになりながら走っていた選手たちがいたころを思うと、すばらしい環境で走ることができる子どもたちは幸せだと思いました。

しかし、ちょっと後味の悪いハプニングが起こったのです。

女子80Mハードルでトップを走っていた選手がゴール間近で転倒したのです。「アッ」と大きな声が出てしまったのですが、転倒と同時に私の近くにいいた一部の観客から歓声が湧いたのには驚きました。後ろを走っていた選手の関係者のようでした。私は教師がその中にいないで欲しいと思いました。

状況はまったく異なりますが、保育園の運動会のことです。前を走っていた園児が転倒しました。すぐ後ろを走っていた園児が、抱き起こして、手を繋いで仲良くゴールしました。それを見ていた人たちの多くが暖かい拍手を送りました。

真逆を見た私の心は複雑でした。

小学生は2番手の選手と差が開き、ぶっちぎりの一着だっただけに、余計に悔しかったと思います。しかし、大会はこれからもあります。決してくさらずに、この悔しい思いをバネにして成長したらよいのです。今はそのような気になれないかもしれませんが。

大切なのは、同じ状況になった選手を見たときに、体や心を気遣うことができるような人に成長していくことだと思います。そのようなことを求められているのだと感じました。

これは、いじめをする人、される人、気付いている人にも言えることだと思うのです。いじめをなくしていくための方向性はわかっているのだけれども・・・なぜ無くならないのか?

いじめ問題

 
■担任が変わる努力を 2011/05/31

いじめを受けていた生徒に対して、
「なぜ、もっと早く言わないの」と言う担任がいます。

その担任自身が、悩みを誰にも打ち明けられずにいることがあります。

担任が変わる努力をする方が、早道のことがあるのです。

いじめ問題
 
■もっと臆病でいい・・・ネットいじめ 2011/03/28

若い人(だけでもないが)のなかには、気軽に日常の感覚でネットの世界に無防備で参加していく人たちがいます。

私は、怖くて、無防備ではとてもできません。特に名前もわからない人たちと意見を交わそうとは思いません。(相談は別です)

私のように大人になってから、ネットの世界(携帯はもちろん)ができた世代と、生まれたときから存在する世代でも意識の決定的な違いが見られるのかもしれません。

公然とではなく、見つからないように落書きやガラス割りなどをする人たちのなかには、自分が誰であるのかを他人がわかる状況では、とてもできないという人がいます。

顔がわからなければ、過剰になるわけです。

そのようなネットの世界に無防備で入っていけば、傷つくリスクは当然高いわけです。

相手が誰かわからなかったり、飛び入り参加がいたり、多くの人がいじめを見つめているのです。

そんな怖い世界は御免です。

大胆すぎるひとは、もっと臆病でもいいと思います。

いじめ問題
 
■おとなの発達障害・・・おとなのいじめ 2010年08月05日

いじめられる子どものひとつの傾向として、
嫌なことをされたときの対応がわからないということがあげられます。

変わった反応・違った反応をしたために、
さらにいじめを受けるということもあります。

しかし、保護者・教育者が適切なアドバイスをしていくことで、
徐々に適応することがあります。

おとなの場合も同じです。いや、おとなのいじめの方が、
巧妙で陰湿です。

それだけに、いじめに気付かなかったり、
ショックが大きかったりすることもあるでしょう。

おとなだから嫌なことに対応できるという考え方は間違っています。
適応ではなくただ耐えていることもあるからです。

周囲の人、上司・同僚が気をつけて声をかけてみてください。
それだけでも違うと思います。さらに適切なアドバイスができればよいと思います。

いじめ問題
 
■なんとなく・・・いじめ以外の何ものでもない 2010年07月16日

いじめる側に対して
「それがいじめというのもだ」

いじめられる側に
「いじめられているという、ことだぞ」

何回も、何回も話をしながら、いじめについて理解を促す。

やっと何回目かに、顔つきが変わることもある。

いじめに気がついた瞬間です。

ゴメンナサイと涙を流さんばかりの人もいる。

ことの重大さがわかれば、何とかなる。

たとえば、「借りているだけ」、「ちょっと叩いただけ」という意識であっても、

「何回も長期間借りて返さなければ、自分だったら、どう思うか?」

「腹が立つ」


「ちょっと蹴っただけでと言うが、何回もやられたり、
アザが残ったらどう思うか?」

「切れる」

なんとなく、していることでも、相手にとっては苦痛になる。

ただし、これは親の虐待行為と似ているのかもしれないが、

仲間と思っていると、端から見ると苦痛だろうと、
いじめられていると思われるようなことであっても、
いじめる側に対して、嫌だと思う気持ちと同時に、
好きだとか嫌われたくない、という気持ちが混在することがある。

いじめられている(本人は自覚している場合と、
自覚の意識が薄い場合がある)側は、いじめている側を嫌いではないということが、
いじめの発覚を遅らせることがある。

いじめ問題
 
■いじめ、なぜ気がつかないのか?

学校は責められますね。

気付いていて、手を打たなければ責められてもしかたがない。

ただ、学校の肩を持たせてもらえば、

本当に気がつかないいじめもあるのです。

教育者であろうが、親であろうが、気がつかないこともあります。

巧妙に隠蔽されるいじめ
当事者同士(または被害者)に強い自覚がないいじめ
被害者が言わない、認めないいじめ
(一見)仲良しグループ内のいじめ
校外のみのいじめ
他校の生徒同士(または相手が有職者)のいじめ
周囲の気がついている者が言わないいじめ
第三者が関心を持たないいじめ

すぐに思いつくだけでも、いくつもあります。

いじめを見つける努力を教師が怠ったのであれば、
これは責められて当然です。

しかし、個々のいじめの問題がどこにあるのか、
そして解決方法はどこにあるのかを論議・模索せずに簡単に学校を責めても、
真の解決には至りません。


一部のマスコミは、
スケープゴートをつくりだして問題の本質をうやむやにします。

一部のマスコミは、やり玉に挙げて攻撃していたかと思えば、
手のひらを返して賞賛します。または、矛先を変えます。


これって、おとなのいじめではないですか?

このいじめになぜ気がつかないのか?

いじめている側が、自覚がないのか?

被害者は自覚していると思います。

被害のない第三者が、関心を持たないパターンか?

職場でも、町内でも、PTAでも同じです。

いじめ問題
 
■迷惑メール相談センター 2010年04月09日

迷惑メール相談センター
http://www.dekyo.or.jp/soudan/


リンクページも参考になります。
相談する場所がたくさんあることがわかります。

相談を受ける機関は、
その立場により対応が異なることがあるかもしれません。
ひとつにしぼらずに、複数の機関に相談することも必要かと思います。

いじめ問題
 
■ネットいじめ・・・見つけたらすぐに相談しましょう

多くの人が見ている(見る危険性がある)場所に悪口を書かれたら、
誰でも嫌です。
それも、書いた人が誰かわからない。

インターネットによるいじめや、善意ではないうわさにより、
自殺や殺人がおこることもあります。
命を守るためには、言論の自由は制限されるべきです。

掲示板やブログなどに悪口を書かれたら、
すぐに親や先生に相談しましょう。

その後は、見ないのが良いのだけれども。

言いたい奴には言わしておけ、
という時もあります。

いじめ問題
 
■ネットいじめ対策に朗報

一歩前進。朗報です。

2010年4月8日、
インターネット掲示板で中傷された人が、
書き込んだ人の情報の開示をNTTドコモに求めた裁判の上告審判決で、

最高裁はドコモの上告を棄却しました。
これにより判決が確定しました。

プロバイダ責任制限法に定めるところの、
名誉を毀損された人に対して
書き込んだ人(発信者)の情報を開示する義務が、
プロバイダーにあることを、
最高裁が示したことには大きな意義があります。

ドコモが上告であらそっていたということは、
この点がはっきりしていなかったことを意味しています。

いじめ問題
 
■子どもを救う時、責任感やプライドは不要です 2010年04月05日

学校で教師が毎日のように子供を見ていても、
いじめ、虐待に気付かないことはあります。

気付いてからの対応には、教師によって差があります。
これは、教師の性格に左右されるからです。

私は、ひとりで問題をかかえこんで、
自分で問題を解決しようとする教師でした。
このため、問題解決を遅らせ、判断を誤ったことがあります。
責任感やプライドが問題解決を邪魔したのです。

子どもたちは、何を望んでいるのでしょうか?

なりふり構わず子どもを助けようとする教師を、
子どもは待ち望んでいるのです。

失敗や批判をおそれると、
できそうで、できないものです。

失敗しないために慎重になって、
かえってそれが失敗を招くこともあります。

機先を制しなければならないときに、
後手後手にまわるときは、このようなときでした。

一人で問題を解決できる教師よりも、
皆で解決していく教師の方が優秀だと思います。

まず、身近な人に相談してみることです。


いじめ問題
 
■三人の先生を思い出しました。 2010年04月01日


「いじめ・虐待から子どもを救う人は誰なのか?」を書いていて、
三人の先生を思いだしました。

ある集団暴行事件で、加害者の生徒たちに担任の先生が手をあげました。
悲しみやくやしさが入り乱れ、怒りにまかせたような状態だったようです。
叩かれた生徒たちは、
叩かれた痛みと同時に心の痛みと被害者の痛みを感じたそうです。
それ以後、同様の事件はおきなかったと思います。

(※体罰を是認しているわけではありません。生徒にケガを負わせる危険性があります)

クラスでいじめがはやり、いたずらが横行し、小さな事件が頻発していました。
担任の先生が、授業をつぶして、全員正座です。先生も正座です。
涙ながらに、「どうしてお前たちは・・・」内容はおぼえていません。
先生の涙と気迫が伝わってきました。
それ以後、クラスは落ち着いていったように思います。
(※正座を体罰とする考え方があります)

もうひとり、いじめではないのですが、ある事件に憤慨して、
授業中に怒りをあらわにした先生は、
「犯人を見つけたら、クビなってもいいから・・・」
私は無関係でしたが、先生の怒りと気迫に圧倒されました。
それ以後、同じ事件はおこらなかったように思います。
(※教師生命をかけるより、犯罪になります)

今思えば、《いい先生》だったと思うのです。

今であれば、この三人の先生は、各方面から叩かれ、
ダメな教師のレッテルを貼られることでしょう。

このうち、ひとりはクビになる可能性が大です。

しかし、結果として、救われた人たちはいたのです。

最近、こういう先生がいないというよりも、
社会全体が存在を許さないのだと思います。

いじめ問題
 
■いじめ・虐待から子どもを救う人は誰なのか?


以前、HPに「真面目な上司と水木しげる」という文章を書いたことを思い出しました。

我々は、真面目で職務に忠実な人が人を救うと思いがちです。
しかし、それだけではないようなのです。

かつて、ある雑誌でゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげる氏が、
以下のようなことを書いていました。

《真面目な人ほど、上の命令に忠実であり、部下に『死んでこい』と言えるものだ》

わたしは、この言葉に少しショックを受けました。

戦記や戦争体験記などを読むと、軍紀に反したり、
命令違反をしたりする人が、人の命を救う話が出てきます。

上官に逆らって、
無茶な命令(部下を危険にさらすような命令)に従わなかったり、
従うフリをして、実行しなかったりして、部下の命を救うような話が。

職務上、子どもを救うポジションにある人たちは、真面目で、勤勉で、
善良で、良心的な人たちだったと思うのです。

不思議です。わからない。

水木先生に逆らうようだが、真面目とか不真面目という問題ではなく、
人の命の重さと自分の立場をどのように考えているのかということと
関係しているのかなとも思うのです。

水木しげる先生の言葉のなかには、子どもを救うヒントがあるのだと思います。

いじめ問題
 
■いじめの縮図をここに見たのは私だけでしょうか?


それまで、だれもが恐れて手を出さなかった領域に、
あることがきっかけで、我も我もと、
寄ってたかるようになることがありますね。

「末代までの恥」と言った高校野球監督の気持ちはわかります。

しかし、発言の場を弁えなかったというミスはどうしようもありません。

ただ、あの監督なりに詫びをいれ、
それは世間の皆様に受け入れなかったということなのだと思います。

収拾をつけるために、辞めるというけじめをつけた。

かつて、私の母校が高校野球の県予選で、
テレビ放映の段階まで進みました。試合は負けて、勝利チームの監督がインタビューで、
相手が違っていたら危なかったというようなコメントをしました。

若い頃の私はこれを聞いて、カチンときました。
母校がけなされたと思ったからです。

「来年こそは、見返してやれ」

その後、雪辱を果たしたかどうかは、記憶にありません。

今から思えば、この監督は自分のチームのふがいなさを表現したに過ぎず、
相手チームをけなしたりこけにしたわけではないのだと思います。
しかし、相手チームへの配慮に欠けていたのは、
今回のことと同じだと思います。

自分が率いるチームが不甲斐ないゲームをすると、こういうことはよくあることです。

地方予選を勝ち抜いたチームとそうでないチームが
同じ大会に出場する仕組みを作った以上、当然出てくることなのです。

勝ち抜いたチームは、負けまいと思って頑張ればよい。
そうでないチームは、食ってやろうと思って頑張ったらよいのです。

たくましさとは、そのようなところから生まれてくるのではないでしょうか。

小が大を制するのは、胸がスカッとするものです。

対立という山を通り越して、お互いを認め合ったりすることもあるのだと思います。

わたしは、あの監督のことをまったく知りません。認めているわけでも、擁護しているわけでもありません

しかし、

いじめの縮図をここに見たのは私だけでしょうか?

いじめ問題
■発達障害といじめ

以前、いじめ問題に取り組んでいましたが、
発達障害を持った人の場合、
障害そのものの発見や自他の理解が困難であることが、
より問題を深刻化していることにショックを受けました。

よほど大人が正しい知識と認識力を持って接しなければ、
その発見と対策は困難です。精神科医や心理学者であっても、
問診でも気付かないことがあります。

発達障害者がいじめられるのは、最初はその言動にもありますが、
本人の対応が大きくかかわってくると思います。

対応の仕方がわからないのです。
これは本当に深刻です。

親や教師が早く気付くことです。

ふざけていたり、反抗していたりしているのではありません。

普通、この状況ではこのように対応するというセオリーがあてはまりません。

Aの状況下では、Bという反応をするのが普通であっても、
CやDの反応をしたときには、叱るのではなく、疑ってみてください。

すきで、そうしているのではないのです。


いじめ問題
 

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三河武士がゆく
いじめ問題対策室