「昭和のこころ」ノスタルジー世界のブログ
古い奴だとお思いでしょうが

【倫理・宗教・生き方】
 

■お化けのような蜘蛛? 2014年11月1日

■「生きざまは、死にざまだ」 2014年9月16日

■あまのじゃく 2014年9月15日

■あすなろ三三七拍子の夜 2014年9月8日

■あすなろ三三七拍子が最終回 2014年9月8日

■暖かい絵 2014年2月11日

■ど忘れ・・・清洲会議 2013年12月11日

■山崎智也が黄金のヘルメットを 2012年12月24日

■梨とセメダイン臭 2012年12月17日

■上司や先輩ににアイデアを受け入れてもらう方法を考えよう 2012年12月17日

■衆議院選挙が原因か?人の迷惑顧みず、0120の電話が鳴り響く 2012年12月16日

■スポーツ選手の不祥事はなぜおこるのか? 2011年12月29日

■旺文社スポーツ教室 ラグビー 大西鐵之祐著 2011/03/08

■絶望で自殺をしない 2010年08月15日

■NHKスペシャル「玉砕 隠された真実」を見て

■虐待死・孤独死・自殺・非行死 2010年08月08日

■菅直人首相を突き上げる民主党議員には責任はないのか? 2010年08月05日

■私はカウンセリングを甘く考えていた 2010年07月05日

■「○○していれば」 カウンセラーの苦悩 2010年07月04日

■因果応報を知ることができるのか? 2010年06月29日

■お墓について 先祖代々のお墓を移動する 2010年06月19日

■そのパワースポット、どんなパワーか知っていて行くのですか? 2010年06月13日

■責任追及 けじめをつけるのは誰なのか? 2010年05月09日

■「あんたの代わりは、いくらでもいる」2010年05月08日

■「おい、おまえがいないと会社つぶれちゃうのか?」 2010年05月08日

■親がつらいと、子もつらい 2010年05月02日

■李下に冠を正さず・・・しっかりせよ民主党 2010年04月30日

■戦争とは、愛するものを守れないことでもある 2010年04月14日

■予期せぬ幸せが向こうからやってくるために 2010年04月09日

■目くそ鼻くそを笑う 2010年02月14日

■気になる。安治川親方はどうなるのか? 2010年02月03日

■生まれてきてよかったなということがある 2010年02月02日

■生きる力・・・コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命を見て

■子どものあいさつに助けられたお話し2010年01月20日

■テレビドラマ「JIN 仁」、自分が、アブラハムやイサクになれるのか? 2009年11月18日

■46歳オヤジの星、西武復帰 2009年11月15日

■炎のタックルマン、石塚武生氏逝く2009年08月07日

■阿修羅 2009年06月16日

■男はつらいよ「それを言っちゃあおしまいよ」2009年05月22

■大学スポーツ 相次ぐ不祥事と連帯責任2009年04月20日

■因果応報

■一流選手とトッププレーヤー 2009年03月13日

■地獄の仏になりたい 2009年02月13日

■神様だけには背きたくない 2008/07/21

■袖振り合うも他生の縁 2006/07/11

■途絶えなかったDNA 2005年8月13日

■他人のために祈る 2009/01/04

■祈り2 2009/01/04

■祈り・・・どんなときでも 2009/01/03

■ただだから 2008/12/31

■風のガーデンと菩薩 2008/12/19

■良い性格が自分を守る 2008/11/03


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三河武士がゆく
 
■お化けのような蜘蛛? 2014年11月1日

ちょっと恥ずかしかった話。

借りていた本をもう一度借りたくて、
「借りられるなら、借りたいのですが」
と言った時に後ろの方から、
「お化けのような蜘蛛がおるぞん」
という男性の言葉。

私はその瞬間にかたまる。
「お化けだって?」と私。
「大きな蜘蛛がいるという意味ですよ」と受付の女性。

恐る恐る振り返ると、手のひらサイズの蜘蛛が3〜4メートル向こうに。
動き出したらすぐに逃げようと身構える。

「大丈夫ですよ」と受付の女性。
「(この人何を言っているのだろう?全然大丈夫じゃない)私は蜘蛛がダメなんです」

本が借りられるという意味だったんですね。

勘違いはタイミングで生まれるのだと思いました。
 
 
■「生きざまは、死にざまだ」 2014年9月16日

「あすなろ三三七拍子」だけでなく、「おやじの背中」、「軍師官兵衛」、「花子とアン」など、「生きること、死ぬこと」をわかりやすく描いた番組をよく見ている。

最近、いや、以前からそうなのだが、死というものにこだわる癖がある。いつのまにか、死について考えてしまう。かといって、死にたいわけではない、自殺もいやだ。人一倍死への恐怖は強いと思う。また、死と真正面から向き合っているのでもない。

十代から二十代前半、軍記物、戦記物をむさぼり読んだ。特攻隊員や学徒兵の遺書に涙を流し、戦国武将の死にざまなどが書かれた書物を真剣に読んだ。

誰の言葉か、忘れたが「どのように生きるのかは、どのように死ぬかということだ」という言葉が好きで、何回もノートに書いていた若い頃があった。おそれも何も知らずに、前向きに生きようともがいていた頃だ。

最近、死を打ち消す時、この言葉を思い出してつぶやく。「生きざまは、死にざまだ」。半世紀生き延びる事ができた事に感謝して、どのように生きるのかをしっかり考えようと思う。

 
■あまのじゃく 2014年9月15日

結局バスの最終に乗り遅れて、酔いを醒ましながら1時間ほど歩く事となった。

ある方から「あなたは、あまのじゃくですね」と言われた事を思いだした。

子供の頃からそうだったのかは不明だが、私は気が付くと少数派の方に所属している事が多かったと思う。わざわざ、そちらを選ぶわけではないが、多数派にいると居心地が悪くなってしまう。

新しく動きを起こすことは好きなのだが、軌道に乗ったり、先が見えてしまうと、別の事に関心が移るので、人も物もお金も集まらないのだと思う。言い方は悪いが、つまらなくなるのが原因のような気がする。自分ではよくわからない。安定志向だと思うのだが、安定すると落ち着かなくなる。

仕事も、人生もまさにその通になった。
 
■あすなろ三三七拍子の夜 2014年9月8日

先日、お酒を飲んだ相手は、「あすなろ三三七拍子」の登場人物のモデルとなった斎藤裕一氏と山下正人氏の先輩にあたる人だった。病気や薬の話から始まり、生中の2杯目に差し掛かった頃ドラマの話題になった。ああでもない、こうでもないと私の寸評が始まり、やがて、学生時代がテーマとなった。

私と違って、先輩は不平・不満や他人の悪口・批判などあまり言う人ではない。山ほどエピソードがあるだろうに当時の事についても、多くは語らず、ただ「あいつらの代は、えらかった」と述べてその理由を訥々と語った。

私は彼らの事をそれほど詳しくは知らない。当時の事については、東名高速のオービスにひっかかった程度の事しか書けないのが残念だ。斎藤氏について、卒業後のあるエピソードが話題に上った。胸が熱くなる話だった。彼らと最後に会ったのはこの先輩の結婚式だったように思うから、もう20年近く会っていない。
 
 
■あすなろ三三七拍子が最終回 2014年9月8日

スピッツが何者であるか知らず、最初は違和感を持ちながら聴いていた主題歌もやっと耳に
馴染んできた今日この頃であるのに、早くも最終回になるという。視聴率が低く、打ち切りになると、ネット上では噂されているが、全く残念な事だ。日本も終わりだとまでは言わないが、時代が求めていないのか、実は必要とされているのに、気付いていないのかなのだろう。

このドラマは、大学の応援団が舞台になってはいるが、昔の青春ドラマやスポ根ドラマ、学園ドラマとホームドラマなどの要素を感じさせるノスタルジックで安定感のある作品であり、このような作品を見た事がないであろう若い人たちに見て頂きたいと思っていただけに、寂しい。
 
 
■暖かい絵 2014年2月11日

「どりふぇす」(童里夢フェスティバルU)に行ってきました。あいトピアで開催された社会福祉法人童里夢の活動発表会です。当日は大雪が予想されましたが、幸いの雨の中、多くの方が訪れていました。

展示されていた作品を見てから、太鼓クラブの発表を楽しみました。そこで、展示されていた2枚の絵に目がとまり、しばらくの間じっと見つめていました。町を俯瞰した絵で、瓦、板、葉などが一枚一枚ペンで細かく描かれていました。

太鼓クラブの発表が終わり、会場を出るときにもう一度立ち止まって少しの間だけ絵を見つめました。絵全体から感じる暖かさをもうしばらく味わっていたかったのですが、時間に限りがあったので、会場をあとにしました。

可愛いメロンパンをふたつ買って帰りました。

帰宅してからどうにもあの2枚の絵が気になり、インターネットで調べてみると、作者は、さわらび会グループの明日香という施設に通っている辻勇二さんであることがわかりました。

作品展があれば、見に行きたいと思っています。

 
■ど忘れ・・・清洲会議 2013年12月11日

映画『清洲会議』を観てきました。

チケット売り場窓口で、頭の中が真っ白になりました。

映画の題名が出てこないのです。

というよりも、何を見に来たのかを忘れてしまったのです。

「あれ、あれ」「あれ、あれ」

と言ってもわかるはずもなし。

「あれ、あれ」でしばらくつないで、思い出そうとしましたが出てきません。

後ろに人が待っていると思うと、よけいにあせります。あせるとさらに出てこない。

「どのようなジャンルですか?」と売り場のお姉さんに問われました。

助かった。何となくイメージを思い出した。

それでも、すぐには出てきません。

「う〜ん、時代劇、時代劇」

ところが時代劇?はふたつ上映中でした。

「『47RONIN』でしょうか?」

英語か?時代劇か?と思いつつ

「そっちじゃない方」

と答えて、事なきを得ました。

これも「ど忘れ」というのでしょうか?

 
■山崎智也が黄金のヘルメットを 2012年12月24日

2012年、第27回賞金王決定戦

見事なまくり差しとしか言いようがなかった。4カドから一気にとまではいかないが、
「あっ、捲るか、差すか」(まくり差した)
「あっ、届くか」(届いた)
「(2マーク)しっかりと回れるか」(早めにハンドル入れている)

あとはどうにもならなかった。

12月19日電撃的な引退をした女子競艇会のトップレーサー横西奏恵との結婚も電撃だった。

横西のブログには、次のようにある。

これからは智也さんのサポーターとして
主婦業に専念したいと思います。


妻と娘への最高のクリスマスプレゼント。

男冥利に尽きるではないか。

あまりにもできすぎている。

心ないコメントを書かれることがあるかもしれない。
しかし、きょうは素直に「おめでとう」と言おう。

ちなみに私は買ってはいない。
 
 
■梨とセメダイン臭 2012年12月17日

梨を食べたときにセメダイン臭がしたことがありませんか?

今回、とても気になったので、インターネットで調べてみました。

酢酸エチルというものの臭いだそうです。梨が熟しすぎると臭うようです。

以前、ラーメンのチャーシューで同じようにセメダイン臭が、天丼のエビ天で漂白剤の臭いがしたことがあります。

毒でなければ、気にせずにおいしいおいしいと食べることができます。
鼻がよすぎるのも時には困ったものです。
 
 
■上司や先輩ににアイデアを受け入れてもらう方法を考えよう 2012年12月17日
 
戦時中、陸軍の航空機の整備をしていたある人が、民間の飛行学校時代に修得した技術を使うと二時間で試運転できたものが、同じ修理を軍のベテラン整備士がおこなうと二日かかったそうです。

二時間と二日ではあまりにも違いすぎます。戦局に影響をあたえるような技術であったかもしれませんね。

二時間でできる技術は頭から受け入れられなかったそうです。

相手の頑固さ硬直した思考回路を責めたくなります。

企業や官公庁という組織においてはよくある話しですが、頭の硬い先輩や上司のツボを押して少しでも自分の意見や考えが受け入れられる方法を考えることに時間を費やす方が効果的です。

手伝ってもらったり、教えてもらいながら、相手が気付くようなくふうをするのも一つの方法です。妬まれることがないように注意しましょう。

世のため人のためになるような技術であればなおさらを眠らせてはいけません。
 
 
■衆議院選挙が原因か?人の迷惑顧みず、0120の電話が鳴り響く 2012年12月16日

選挙戦は始まると0120から始まるフリーダイヤルからしきりに電話がかかってくるようになりました。

私は原則的に、登録していない電話番号には出ないようにしています。

知人であれば携帯にかけてくるかメールが来ます。

その他の場合でも、必要があってかかってくる場合は、留守電にメッセージを入れてくれますので、私が必要があればかけ直します。必要がなければかけることはありません。

問題のフリーダイヤルを調べてみると、選挙のアンケート調査のようでした。

しかし、

夜の10時(22時)直前にかかってきたこともありました。
良識ある人ではこのようなことはしません。

留守番電話にエッセーを入れることもしません。

したがって、私は何度かかってきても電話に出ることはなかったのです。

自分の欲求を満たすためには他人の迷惑を顧みない人たちが、選挙のアンケートをして何の大義があるのでしょうか?
 
■スポーツ選手の不祥事はなぜおこるのか? 2011年12月29日

エリート教育の弊害として、戦前の陸大・陸士教育にはヒューマニズム・アカデミズムが足りなかったと語っている出身者たちがいますが、スポーツにおいても全く同じことがいえるわけです。

実に恐ろしいことです。何年もかかって(教育されて)そうなったのです。

本人の性格も問題なのですが、そこに至るまでの大人たちの教育姿勢が大きな問題なのです。

勝利至上主義の中に人として如何に生きるかという課題を真正面から投げ込む教育が必要なのです。

 
■旺文社スポーツ教室 ラグビー 大西鐵之祐著 2011/03/08

毎年のようにルールが変わり、プレーが変わり、競技の運び方が変わるにつれて、新しい指導書・解説書が出されるのは当然のことです。初心者や基本的な技術を学びたい時には、ヤヤ難しいかなと思いますが、最近では『ラグビークリニック』のように『ラグビーマガジン』の技術の解説や練習方法を集めたような雑誌が出され、とても参考になっているのではないでしょうか。

昔のスポーツの指導書・解説書(もちろん著者によりけりです)を読んでいて感じるのは、わかりやすいということです。かゆいところに手が届くような感じなのです。

シンプル過ぎて今さら聞くに聞けないような基本的・基礎的なことを、現在出版されている書籍から探しても見つからなかったり、ネットでもなかなか探すことができないときがあります。また、探していたことが書かれていても(自分が)理解力に乏しく、ツボにはまった解説をしてくれるような人が周りにいないときもあります。このようなとき、昔の本を引っ張り出してきて読むことで、疑問が解決することがあるのではないでしょうか。

現在ではビデオや動画など当たり前のように用いられますが、以前はあってもビデオが普及していません。当然デジカメもありません。無いのが当たり前のなかで、ビジュアル面を補うための、言葉の用い方は勉強になります。できる人には簡単なことであっても、できない人にとっては困難なのです。難しいことを難しく伝えることほど簡単なことはありませんね。その難しいことを平易な言葉でわかりやすく伝えるのが指導者のテクニックであり、愛情です。

現在のビジュアル面での発展は良いことなのですが、機器に頼りがちになり、言葉で伝えるという技術が退化していると感じることもあります。

この本は、指導者に対する指導書ともいえます。

「時には、自分のチームのプレヤ−の悪い点ばかりを見て、第三者的な批評を下しているコーチャーを見受けるが、自ら指導の下手なことを公表しているようなもので見苦しい。こんなコーチャーは悪いところはわかるが、それをどう直したらよいのかということがわからないため、プレヤーの欠点ばかりを指摘する。しかし最も必要なことは、そうした悪いところを直させる指導なのである」(161-162頁)

ラグビーに限らずどんなことにも通用する言葉です。

指導者やプレーヤーに対する心構えなどの精神面に関するアドバイスにページを割いているのも特徴かと思います。

今まで読んできたラグビーの入門書・技術書のなかで、わかりやすく、かゆいところに手が届くような、お薦めの一冊です。

■絶望で自殺をしない 2010年08月15日

自殺の原因に絶望があります。

死なないためには絶望しないことです。

あなたを、愛する人が一人でもいれば、

あなたを、心配する人が一人でもいれば、

あなたを、気にする人が一人でもいれば、

あなたを、厳しくい叱ったり怒ったりする本人が一人でもいれば、

あなたたに、声をかけたり挨拶してくれる人が一人でもいれば、

あなたに、見守ってくれている人が一人でもいれば、

あなたを、愛する御先祖様(故人)が一人でもいれば

決して絶望ではありません。だから、死ぬこともないのです。

いないいう人は、探し方が足りないのです。

自分によいことだけをしてくれる人だけが、自分にとって為になるわけではありません。

探しきれなかったら、めーるをください。

 
■NHKスペシャル「玉砕 隠された真実」を見て

私は必要な嘘はあると思っています。

実際にそうしています。

嘘が嘘を呼び、嘘で塗り固められていくのです。

自殺を強要する参謀、

玉砕を命令する大本営、

特攻を強制する雰囲気


すべてとは言いませんが、死ぬことを強制方が弱いのだと思います。

強制されて死んでいった人の方が、強いのだと思います。

弱い人間が強い人間を死に追いやったのが戦争なのです。

水木しげる氏の

《真面目な人ほど、上の命令に忠実であり、部下に『死んでこい』と言えるものだ》

という言葉が胸につきささってきました。

自分に正直に生きること(良心に忠実に生きること)が、今の私たちにも求められているのではないでしょうか。
 

 
■虐待死・孤独死・自殺・非行死 2010年08月08日
・・・生命を守ることよりもプライバシーの壁は高いのか?


生命を守ることよりもプライバシーを守る権利が優先されるかのよ
うな状況を作り出してきた背景は何であるのか?

命の方が大事でしょうという場面であっても、

プライバシーの侵害

ペナルティをうける

マスコミに叩かれる

世間の攻撃を受ける

裁判になったら負ける

クビなるかも知れない

といったことが原因で、腰が引けてしまう人たちが多いのは事実
です。

私も、二の足を踏んだことが何回もあります。

敢えて擁護しますが、その人だけに責任がるのではありません。

多くの命が奪われてもなお、行政の強制的な執行力が弱いのは
なぜなのか?

事件として取り上げられるような事案は別として、そうでないよう
なものまで、針小棒大にとりあげてプライバシーの保護がなによ
りも勝るような雰囲気を作り上げようとした人たちはいなかったの
でしょうか?


公務員の不足・システムの未整備も原因なのです。公務員を増
やして対応できる制度をつくり両輪をしっかりと動かせば、多くの
命を救うことができます。

なぜやらないのでしょうか?

どこかの政治家のように、公務員を減らすことで世の中がよくなる
と言っていてよいのでしょうか?必要なところには増加するべき
なのです。

民間の活用ももちろん必要ですので、どんどんやっていただきた
いが、範囲にも問題があり、利潤追求に反することができないと
いう制限があります。

今この国がおかしいのではなく、以前から変な国だったのです。

生命がプライバシーよりも優先する社会でなければならないと思
います。

 
■菅直人首相を突き上げる民主党議員には責任はないのか? 2010年08月05日


参議院選の敗北の責任を、それぞれが自にもとめるような、政党
であれば健全といえます。民主党に限らず、そのような政治家が
多ければ日本の将来は明るいといえます。

テレビニュースの範囲でしか我々は知ることができません。多く
の議員が健全であると思いたい。

大きな失策があれば辞めるのは自然なことです。実際に政治らし
いことをおこなっていないのです。消費税に関する発言を含め
て、選挙に負けたからといって、己の政党の党首を引きずり下ろ
そうとする光景を国民が見て、やっぱり民主党に入れなくてよか
ったと思う人もいるのではないでしょうか。

民主党だけではありませんが、政治家が国民と政党とどちらを見
て行動しているのかという、生き様がそこに見られます。


 
■私はカウンセリングを甘く考えていた 2010年07月05日

情熱ややる気があれば何でもできると思い、深く考えず我武者
羅になった時期がありました。

しかし、全部を請け負えるわけではなく、背負い込むことはでき
ないことを、段々と知るようになるのです。

家庭環境や障害、病気・事故のような、運命ともいうべきことは、
どうにもならない。どう受け止めていくかということを話すのが精
一杯で、それ以上は・・・

絶望というほどの相談内容に対して、言葉が出ないときがありま
した。これは背負えないと思いました。「背負う」という思い上がり
が間違っていたのですが、逃げることしか考えなくなてしまったこ
とがあります。相談とはこんなに重いことなのかと。

しかし、ここで逃げたら、自殺するのではないかと、この人は死ん
でしまうのではないかと思えるほど、私自身が追い込まれていた
のです。相手は、それほどまでではなかったかもしれませんが、
どうかなってしまうと恐ろしくなりました。

それでも、いくら振り絞っても出てきません。頭で考えることをや
めて、何とかしなければ、何とかしなければと思い、必死の思い
で絞り出したのが、「うんち」の話です。


 
■「○○していれば」 カウンセラーの苦悩 2010年07月04日

先日、何かの本かテレビで(実にいい加減な記憶)、公的施設の
相談員の方のお話しが載っていました。

担当をしていた人が自殺をしてしまったと。

カウンセリングという横文字を使うとスマートなイメージを持つ方
もいるかもしれませんが、相談を受けるということは、相談者の人
生のある部分を請け負ってしまうことがあり、その重圧やストレ
ス、肉体的な疲労などで、自分がつぶれてしまうこともあります。

共感的態度は必要であるけれども、共感しすぎると、いつの間に
か重圧がかかっていることがあり、気付いた時には抜け出せな
い。でも解決方法がない、と言うような蟻地獄状態になりかねな
いときがあります。この仕事に携わる人は、冷静に状況を判断す
るためにアクセルとブレーキを踏み間違えない能力が必要なの
だと思います。

切り替えや前向きな姿勢も大事です。

このような資質または後天的に修得した能力なしに、カウンセリ
ングをするのは危険です。

精神的な病になるカウンセラーが増加していると、どこかで?言
われていましたが、同様に教師も増加しているそうです。

いっぽう、カウンセリングをしない精神科の医師がいるといいま
す。どうやって患者と意思の疎通を図るのでしょうか?

 
■因果応報を知ることができるのか? 2010年06月29日

大小に限らず、知らず知らずに、良いこと、悪いことをしていたと
します。

至らぬ部分を補うために修行が与えられたとします。

修行は厳しいものです。

しかし、チャンスを与えられたのは、善行によるものです。


このことに気付くときもあれば、気付かずに不平不満や懐疑を抱
くこともあります。

「なにも悪いことをしていない。よいことをしているのに、悪いこと
ばかりだ」

気付かなければ、こうなります。
私も、この部類です。

因果応報と自業自得は、わかりやすいときもあれば、気付かない
ときもあります。

よくよく、心を落ち着けて、精神を研ぎ澄ましてみなければわから
ない時もあるので、
おっちょこちょいの私には厳しいです。

 
お墓について 先祖代々のお墓を移動する 2010年06月19日

我が家の確認できる過去帳は、江戸時代中期から始まっていま
す。先祖代々のお墓は、小さな山の中腹にありました。

お墓参りにはペットボトルに水を入れて行きました。歩くことがで
きなかった父を背に坂を登っていくと、少し開けた場所に出ま
す。そこが墓地になっており、三家ほどの家が利用する墓所とな
っていました。

墓地からは、きらきらと光る海が遠くに見え、のどかな景色が広
がっていました。

ところが、いくつかある小さな墓石のなかには地震によって土中
に埋まり、半分色が変わったものがあり、墓地の整理をした時に
入りきらなかった墓石が片隅に寄せ集められていました。その中
にも色の変わった墓石や欠けた墓石があったように思います。

三十年ほど前、その代々の墓をすべて整理して、現在のお墓と
一緒にしようとしたことがあります。檀那寺と墓石屋へ芯抜き・芯
入れなどをお願いして、明日というときに、父が倒れました。

知り合いの宗教家にこのことをお話ししました。先祖の中には移
動したくない人もいます。生きている人の都合で整理をするので
すから、納得していただいたうえで、慎重に真心を込めてお墓の
整理をおこなう事が望ましいと教えていただきました。

自分たちの都合だけで、おこなおうとしていたことをお詫びしまし
た。そして、お許しをいただけるように願いました。

現在の墓地にすべておさまっていただいたのは、それから数年
後です。

人によっては、生きている人の都合が優先という考えもあります。
確かに振り回されてはいけませんが、御先祖様のことを思いやる
気持ちも必要だと思います。

このようなことがあったので、お墓のことには興味を持ち、本を読
んで自分なりに研究しました。以前から関係書が何冊か出されて
いましたが、最近は、寺院や墓石屋のサイトも増えていますの
で、手軽に情報を得ることができるようになりました。

しかし、情報量が多すぎ、大方のところでは同じような内容であ
っても、まったく異なっているところもありますので、何が何だか
わからなくなってしまうこともあるのではないでしょうか。

そこで、今まで調べてきたお墓に関する情報サイトをつくることに
しました。諸説ある場合は、何が正しくて、正しくないのかが判断
できないので、そのまま諸説を載せます。あとは、よろしくご判断
ください。出典はできる限り明記しますので図書館などでご確認
ください。

ただし、著者の主張が何を根拠にしているのかを、慎重に判断
するべきです。○○が書いていることだから、正しいという考え方
をするのではなく、よく考えることが大切だと思います。

最も大切にしたいのは、真心です。立派な墓石を建立したからと
言っても、真心ある御供養をしなければどれほどの意味があるで
しょうか。また、表面的なかたちにこだわるのはよくありませんが、
礼儀や作法も真心をかたちにしたものという考え方もあります。こ
ころが大切といいながら常軌を逸した言動は慎むべきです。時
間もお金もあるのに、お墓参りをしないということでは、御先祖様
がどう思うでしょうか。

御先祖様は、生きていませんが、亡くなった人間と考えたらよい
のです。

 
■そのパワースポット、どんなパワーか知っていて行くのですか? 2010年06月13日

2010年6月8日にNHKで放送された《爆問学問》「京都パワー
スポット ミステリーツアー」を見ました。

民俗学者の小松和彦氏から、とても良いお話しをお聞きすること
ができました。

以前、読んだ本を思い出しました。朝日ソノラマの『闇の検証
霊能者寺尾玲子の新都市伝説』を五集まで読んだことがあるの
ですが、墓所や戦場はもちろんのことパワースポットと呼ばれる
場所には、亡くなった方のさまざまな思いや、いろいろな種類の
パワーがあるということが書かれていました。内容を信じる信じな
いは別として、これは重要なことなのです。

パワースポットと呼ばれる場所へ行き、不思議な体験をした人が
いるかもしれませんが、そのパワーが何であるのかをわかって行
った人がどれくらいいるのでしょうか。

私は、何であるのか知らずに、行くことはとても怖くてできませ
ん。

場所によっては、利己的なお願い事や他人を不幸にするような
お願い事をする人がいるかもしれません。人間の欲は負のパワ
ーを増大させるのではないでしょうか。欲得のために多くの人が
集まってくる場所は、わたしにとっては怖い場所です。パワース
ポットの中にはそのような人間が作り出した危険な場所もあるか
も知れません。

「人を呪わば穴二つ」という言葉があります。巻き添えを食って穴
が三つになったら笑えませんね。

パワーの強弱や大小のことではありません。

テレビによって気軽なイメージが作られてしまうのは怖いと思いま
す。

どうしようもなく行き詰まったり、生きるか死ぬかのような病気にな
ったり、深く思い悩んでいる人が神仏にすがるような場合とは明
らかに異なり、利己的な欲や興味本位でパワースポットへ近寄る
には覚悟が必要なのかも。


 
■責任追及 けじめをつけるのは誰なのか? 2010年05月09日

本当は組織のあり方に問題があるのに、個人が詰め腹を切らさ
れる。

本当は個人に責任があるのに、組織の存在が問題になる。


個人が責任をとれば、組織の問題はうやむやになり、

組織が解体されたら、個人の責任も追及されない。

このようにして、本質的な問題は解決されずに、
マイナス要因が脈脈と続いているのが今の日本です。

旧軍・軍人、官僚組織・官僚、政党・政治家の問題と責任は、
追求されずにここまで来ています。

当事者やその組織と多くのマスコミが、

組織が悪いといったときには、個人の責任を追及しましょう。

個人の責任を追及しているときには、組織の問題を明らかにしま
しょう。

 
■「あんたの代わりは、いくらでもいる」2010年05月08日

「おい、おまえがいないと会社つぶれちゃうのか?」を書いてい
て思いだしたことがあります。


30歳くらいの時です。仕事の飲み会で、健康上の問題から先輩
の酒を断ったところ、「あんたの代わりは、いくらでもいる」と言わ
れ、腹を立てたことがあります。

今、思えば、それくらいの余裕を持って仕事をしていた方が良か
ったのかも。

自分がいなければという、責任感と思い上がった気持ちが、生活
から余裕を失わせていました。

「自分の代わりはいくらでもいる」というリラックスした気持ちが大
切です。


 
■「おい、おまえがいないと会社つぶれちゃうのか?」 2010年05月08日

《男はつらいよ 第41作 寅次郎心の旅路》より

そんなことはないのです。
いや、もしかしたらあるかもしれません。

でも、健康が第一です。

重い病気になれば、働くことができません。
そのほうが、大きく会社に迷惑をかけるのです。

冷静に考えたらすぐにわかることが、わからない。
家族がこんセリフを言うものなら、激怒することも。

一日くらい休んでも何とかなると思って、
休むのも会社のため家族のためです。

病気になるくらいなら、思い切って休みましょう。
息抜きは絶対に必要です。

会社には代わりはいても、家族には代わりはいません。

おとうさんやおかあさんやこどもの代わりはいないのです。

「おい、おまえがいないと会社つぶれちゃうのか?」

 
■親がつらいと、子もつらい 2010年05月02日

以前、
「親が悲しむと、子供も悲しむから、感謝をして、笑うようにしてい
ます」
と言われたことがあります。

そんなことを普段感じさせないような人の言葉だっただけに、ズ
シンと響きました。

そして、この言葉に救われました。

 
■李下に冠を正さず・・・しっかりせよ民主党 2010年04月30日

「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」という言葉があります。

秘書といえば家族も同然、家族でなくとも、側近や腹心、
直属の部下であります。

秘書の不祥事を、己の不祥事と受け止めることができるか否か。

一旦身を退き、けじめをつけてから、新たに出直すも良し、
後進に道を譲るも良しです。

ケジメには、色々な考え方がありますが、
進退を誤ると、人心が離れるのは当然の成り行きです。

民主党がガタガタしているのは、そこです。

おそれずに、けじめをつけることです。
やる気があれば、またそこからやり直せばよいのです。


 
■戦争とは、愛するものを守れないことでもある 2010年04月14日

10年ほど前、イスラエルの銃撃戦で、親子が凶弾に倒れる衝撃
的な映像が流れた。第二次世界大戦後、朝鮮でもベトナムでも
カンボジアでも湾岸でもその他世界のいたるところで戦いがおこ
なわれてきたが、必ず、兵士以外の者が巻き添えを食って死ん
でいくのだ。

もしも、あの父親が、自分で、少年が息子であったら、あの時点
で何ができただろうか?男も女も、大人も子どもも老人も、障害
者も病人も一切関係なく戦いの場におかれ、そして死んでいく。
あれが戦争の姿だ。「子どもを助けてくれ!」と叫んだところで、
誰が助け得ただろうか。見ていたカメラマンも何もすることができ
なかった。

どれだけ子どもを愛していようが、普段勇ましいこ言っていようと
も、あの状況では愛する者を守ることができない。それが戦争
だ。

戦争とは、愛するものを守れない。

戦争を知らない世代のわたしでも、わかった。

龍馬にはそれがわかっていたのかもしれない。

 
■予期せぬ幸せが向こうからやってくるために 2010年04月09日

・・・幸せが向こうからやってくるために

わたしの花粉症は、平成2年に突然やってきました。
前兆があったのかもしれませんが、わたしにはいきなりという感じ
でした。

誰かが、花粉症の発症をコップの水に例えました。

コップに水がたまっていくときは、誰も気付かない。
一杯になり、コップからあふれてきたとき、
はじめて自分が花粉症だと気付く。

昨日までの自分とはうって変わり、くしゃみ・鼻水・鼻づまり・目の
かゆみ・体のかゆみ・だるい・微熱・喉の痛み・咳き込みなどに悩
まされることになります。

仏教には、因果応報、自業自得、善因善果、悪因悪果という教
えがあります。
苦労が報われて、急に良いことばかりめぐってくるようであれば、
何も言うことはありません。

しかし、そのような人ばかりではありません。

不幸はいつ襲ってくるかわかりません。

わたしの四十数年の人生で、
コップの水(不幸や災難)があふれ出るタイミングがわかったこと
はありません。
わたしは感度が悪すぎる。
そのたびに、「何で」「どうして」と嘆き悲しみ恨み、ヤケになる。

わたしがこのようにオギャーと生まれ出た目的の第一段階は、
この感度を良くすることから始まるのかもしれない。
もう遅いのか?
まだまだ時間はある。(あって欲しい)

もうこれ以上、水があふれないようにしたい。
誰でもこう思います。

そのための第一歩として、前向きな自分を演じることです。

将来のことを考えられないときは、考えなくて良いと思います。
あれこれ考えるよりも、

今日一日だけを、今だけを前向きに乗り切る。
これを積み重ねていくことです。

負の思いは悪いことを、プラスの思いは良いことを運んできます。
小さな良いことをたくさん考えてみましょう。

今この瞬間から始められることです。

コツコツ努力の結果として、
良いことが向こうの方からやってくるかもしれません。


 
■目くそ鼻くそを笑う 2010年02月14日

テレビ・新聞・書籍・雑誌・自分の周りで、目くそが鼻くそを笑っ
ている姿を見て、それを笑っている自分にハッと気がつく。

自分が目くそになっている。
いつの間にか人の揚げ足をとっている。
今まで書いてきた文章を見て、恥ずかしくなり、消そうと思う。

でも、その証として消さないで残しておこうとも思う。

他人の欠点を見つけて指摘することは楽なことです。
自分の欠点に気がついて、正すことは難しい。

気がつけば、自分を優位に持っていくために、他人を攻撃してい
るのです。

踊らされるな、踊らされる自分が悪い。
他人の所為にせず、自分の姿を鏡に映す。
すべて自分の鏡なのだ。
それを教えていただいた人に感謝。

朝起きた時、トイレ、お風呂、寝る時。

そういう気持ちで毎日自分の気持ちを立て直す機会を作りたいと
思いました。

 
■気になる。安治川親方はどうなるのか? 2010年02月03日

貴乃花親方に一票を投じた安治川親方は日本相撲協会を退職
することを表明しました。

年寄名跡や親方株の内容はよくわかりませんが、けじめをつけた
いという理由からのようです。私は、それはそれで、ひとつの道
だと思っています。

立浪一門からみれば裏切り行為になるのでしょうが、貴乃花が安
治川親方をどう処遇するのかで、男をあげることができるでしょ
う。

同様に貴乃花についてきた親方たちが大相撲で生き残ることが
できるような方向に持っていくことも大切です。

改革の犠牲者としてしまうには、惜しいのではないでしょうか。

 
■生まれてきてよかったなということがある 2010年02月02日

『男はつらいよ』
「生まれてきてよかったなということがある」

映画『男はつらいよ』に、寅さんが甥の満男の問いに答える場面
があります。

満男は、哲学的な質問を寅さんにします。
「人間は何のために生きているのか?」

寅さんは、答えます。
「生まれてきてよかったなということがある。そのために人間は生
きているのじゃないのか」

そうです。生きていれば、あー生きててよかったと思うことがある
と思います。

「よかった」内容は人それぞれであっても、刹那的な快楽的を指
しているのではないと思います。

ほんとうに生きていることのすばらしさを味わったことがなけれ
ば、死ぬまではずっと生き続けることです。

生きているからこそできることがあります。

〈追記〉
12月の終わりか正月でしたね。
寅さんを見終えて、映画館から出てると風が寒いわけです。
暖かい心を抱きながら家路を急いだ記憶がいくつかあります。

『男はつらいよ』は、喜怒哀楽がわかりやすくぎっしりと詰め込ま
れた映画だと思います。

 
■生きる力・・・コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命を見て

見る度にストレスがたまるようで、
たまらないようで、
よくわからないまま見てしまう。

自分の代わりに悩みを抱えて苦しみ、
そして乗り越えて行く姿を
自分に投影してドラマを見ている人もいるだろう。

それが原因なのかもしれない。

過去のイタミを引きずるのであれば、
せめてその何分の一でも人の役に立てたい。

そうすることで、人生の帳尻を合わせたい。
そうしなければ、
何のために生きてきたのかわらない。
死んでたまるか、バカヤロー!(猪木張りで)

と思いながら生き延びることは、不謹慎だろうか。

生きていれば、いつかどこかで変わることができるのです。

変わらないと思っている人は、変わるまで生きようと思うことです。

 
■子どものあいさつに助けられたお話し2010年01月20日

子どもが体調を崩し、小学校へ連れに行ったときのお話しです。
ちょうど給食から放課になる時間帯であったらしく運動場では子
どもたちが遊んでいました。

子どもの体調の事が気にかかり、少し緊張感をもちながら昇降口
へ行くと、掃除をしている子どもがいました。低学年の男の子だ
とも思いますが、私の顔を見ると「こんにちは!」と言う元気な声
が飛んできました。

「あっ」私はこころのなかで、少し後悔をしました。「こんにちは」
と返しました。知っていたのですが、とっさに保健室の場所を訪
ねました。この子どもと言葉を交わしたくなったらからです。

いつの間にか緊張が解けて、平常心で保健室のドアをノックする
ことができました。男の子のおかげです。男の子は、私に小さな
幸せを与えたということを知りません。私も顔を見てもわかりませ
ん。

あいさつは、その言葉以上に、相手に幸せをもたらすものです。

ありがとうございました。たすかりました。

 
■絶望したとき、死にたいとき 実行してみる三つの無理矢理 2009年12月20日

大切な友人からとても良いことを教えていただきました。

《つらい時、悲しいとき、死にたいと思ったとき》


【1】望みを唱える

少しでも自分の脳を騙して「こうありたい」と思うこと(今の自分と
は反対のことになるのかも)を声に出して唱える

私は、元気です。ありがとうございます。
私は、幸せです。ありがとうございます。

過去形にしちゃうと、もっと良いそうです。

私は、元気になりました。ありがとうございます。
私は、幸せになりました。ありがとうございます。

★声に出して唱えることで、脳は本当に騙され、そのように進む
のだそうです。


【2】無理矢理にでも笑う

今だけ笑おう。
明日は考えない。今でいい。

と、必死に笑うことです。

★笑顔は良いものを引き寄せます


【3】小さな幸せを沢山探して行こう

小さな幸せを沢山集めれば、いつか大きな幸せになるのではな
いかと思い、身の回りの小さな幸せを見つけて感謝を増やしてい
きましょう。

★感謝は幸福を呼び込みます


《注意》
気を緩めるとマイナス思考になります。
マイナスの思いは、さらにマイナスを呼び込みます
気合いを入れてやってみてください。

好転しなくても、あきらめずに継続することです。

★《お願い》自殺からひとりでも多く救い出せたらと思っていま
す。賛同していただける方は、「三つの無理矢理」のお話しを、
携帯・ブログ・HPサイトなどで、広めていただけたらと思います。

 
■テレビドラマ「JIN 仁」、自分が、アブラハムやイサクになれるのか? 2009年11月18日

テレビドラマ「JIN 仁」結局見ています。
作者を知りませんが、宗教的な感覚の持ち主のような気がしま
す。

神様は乗り越えられない試練を与えない

神様は乗り越えられる問題しか与えない

という言葉は、宗教的な教えのなかにあります。

しかし、と言っても逆らうわけではありませんが、

試練や問題に直面しているときには、わからないものです。
おのれの境遇を恨み、他人を恨んだりねたみ、知らず知らずのう
ちにズルズルと闇の中に引き込まれていきます。

『旧約聖書』のアブラハムとイサクの話は、そのことの軽重にかか
わらず、私たちには必ず存在します。

あきらめる、くさる、絶望することはよくあることです。
しかし、次が大問題なのです。

この言葉を知っているかいないか、
その気持ちに少しでもなるかならないか、
ダメ元で信じてみるかみないか、

人生が、大きく変わってきます。
わたしも、自信があるわけではありません。

自分が、アブラハムでいられるのか、イサクでいられるのか、その
時になってみなければ正直言ってわかりませんが、つらい時苦し
い時こそ、神様が与えられた価値ある修行と思って乗り越える努
力をしようと思えるようになりたいです。

このように書くのは、自分が迷っているからです。

 
■46歳オヤジの星、西武復帰 2009年11月15日

横浜の工藤公康投手が西武復帰が決まりました。46歳オヤジの
星。あまり野球は興味がありませんが、甲子園での名電高工藤の
カーブがすごかったのは今でもおぼえています。工藤が頑張っ
ていると、まだ20代30代の連中の向こうを張ってやれるのでは
ないかと勘違いしてしまうほど、勇気づけられます。50代60代
に比べればまだまだひよっこにしか見えない40代です。40代の
皆さん頑張りましょう。
 
■炎のタックルマン、石塚武生氏逝く2009年08月07日

常総学院高校ラグビー部監督の石塚武生氏が57歳の若さで急死しました。

多くのカラダの小さな選手が、石塚氏の姿から勇気と希望を与えられたと思います。

数年前、『炎のタックルマン』を読みました。
栄光と挫折。満身創痍。体はボロボロだったそうです。

私は、プレーヤーとしての最後のころの姿をテレビで見ただけですが、ぎりぎりまで頑張る姿、「ひたむき」にラグビーに打ち込む姿勢には、心打たれました。

ありがとうございました。

ご冥福を祈り申し上げます。

合掌

 
■阿修羅 2009年06月16日

私は知りませんでしたが、興福寺の阿修羅像は、とても女性に人
気があるそうです。

自分が正しいと正義を貫きすぎて、いつの間にか悪もの扱いさ
れてしまった阿修羅。わたしには、その表情が怒りとも苦悩とも見
えます。

正義と言っても、何のための正義なのか?誰にとっての正義なの
か?によってさまざまです。

絶対に正しいと思ったことでも、よくよく考えると少し違った考え
方ができることもあります。

 
■男はつらいよ「それを言っちゃあおしまいよ」2009年05月22日

久しぶりに映画『男はつらいよ』を見ました。

寅さんは「それを言っちゃあおしまいよ」と言ってケンカになるシ
ーン良くあります。

そしてまた戻ってきます。

私たちのなかにも、「それを言ってはおしまい」という、自分が作
っている枠組みがあります。

人間である以上枠組みからはみ出てしまうこともあると思います。

はみ出てからどうするかが大切なのです。

啖呵を切って去っていく寅さんは、映像とは違って弱々しく感じ
られ、

戻ってきた寅さんは、恥ずかしそうではあっても、大きく感じられ
るのは、この辺の人間的な成長を表現しているように思います。

精神的にみて啖呵を切るのはもうそれ以上受け入れられないと
いうことです。

わたしも、よく啖呵を切る方でした。

 
■大学スポーツ 相次ぐ不祥事と連帯責任2009年04月20日

日本体育大学陸上競技部の不祥事問題で、400名におよぶ部員が連帯責任を負うことになりました。

大学スポーツの不祥事が最近多すぎるような気がします。数というよりも、程度の問題もあります。

高校の野球部の不祥事で大会参加ができないことは、あってはいけないが、よくある話です。厳しすぎるという声があります。私もそう思います。

しかし、大学は別問題だと思います。最高学府であり、分別のつく年齢であり、学生の約半数は法律上の大人でもあるからです。

悪いことはしてはいけませんが、どうしてもやめられないのであれば、組織や集団を離れるべきです。

一人または一部の者のために全体が連帯責任を負うという罰則は日本だけではないと思いますが、日本を象徴していると思います。

わたし自身も、小さいことばかりで、詳細は忘れていますが、連帯責任を負わされた事は何回もありますし、その原因となったこともあります。

ほとんどが、小学校のときだったように記憶しています。小学生ながらも、矛盾を感じ、怒りをおぼえ、反省もしました。小学生の時だったからよかったような気がしています。

あのまま、大人になっていたら、本当に他人事や集団のことをまったく考えない自分勝手な人間になっていたかもしれません。

小学校で、そのような嫌な、後味の悪くなるような教育をしてくれたから、その後の自分があったとも思ってます。

叱られなくてもわかる人間と、
叱られてわかる人間と、
叱られてもわからない人間と、

いろいろいます。

自分の失敗が、集団においてどのような影響をもたらすのかを、想像する力がすこし弱くなってきている社会なのかもしれません。

このような想像力が乏しくなれば犯罪は増えます。

この流れを変えていく必要があります。

 
■因果応報

手塚治虫氏の『ブッダ』を読んでいたら、釈迦の前身が出てきま
した。

前世での因縁は良く言われます。
生きている今でさえも因縁を作っています。
だから、生きている私たちにとって、因果応報は現実的な法則な
のです。

結果は今世のみとは限りませんね。
すぐに結果が出ないかもしれません。
それは、目に見えるようなものとは限りません。

因果応報を今世という短いスパンで考えがちです。

結果を良いものにしたいのであれば、生きているうちに善因縁を
積み重ねることです。

これが、生きている私たちに与えられた特権です。


 
■一流選手とトッププレーヤー 2009年03月13日

トッププレーヤーといわれる人たちの不祥事が相次ぎます。昔も
あったといえばそれまでですが、 以前は一流選手といえば心が
ともなった人をさしている場合がおおかたような気がします。

一芸に秀でるだけでは、人間の成長とはいえないということで
す。秀でていないものに努力することは困難です。まして、結果
のみえにくい心を成長させていくことは。

スポーツも芸術も勉強もあらゆることに通じます。


 
■地獄の仏になりたい 2009年02月13日

私はよく学校のガラスを割った。もちろん故意にではない。

ガラスを割ると人が群がる。ほとんどが野次馬で、またおまえかと
いった具合だ。視線が気になる。体裁は悪く、少し心細くなる。

あるとき、廊下の大きなガラスを割り、片付けを始めた。
そのとき、黙ってガラスの破片を掃き始めた女生徒に気付いた。
私はうれしいよりも先にびっくりして、ありがとうの声も出なかっ
た。

世の中にはこういう人もいるのだと、自分とはまったく異なる人を
見ているようだった。


二十代、私は弱いくせに酒を飲んでは吐いた。たいてい店のトイ
レに吐くのだが、それでも気分が悪く路上で吐くこともよくあっ
た。

以前広小路にあった映画館の角を曲がった所に、丁度もたれか
かって吐くのに都合の良い場所があった。

吐くものが無くなると喉のあたりから出血をする。コンクリートにに
じむ血を見ながら、妙に安心したり、どこまでこの血が出るのかと
興味を持ちながら監察することもあった。もちろん苦しくてたまら
ない。

ゲロを吐いている酔っぱらいに近づく人はまずいない。
しかし、一回だけ声をかけられたことがある。

「だいじょうぶですか?」
「はい」
「頑張ってください」

本当に短いやりとりだったが、正確でないかも知れない。
だが、二十年以上経ったいまでもおぼえている。

時間帯からして店を終わって帰る途中だったと思う。
私はコンクリートしかみていないのでその女性の顔はわからな
い。声も忘れてしまったが、言葉の暖かさが身にしみた。

あるとき、チンピラにからまれて、殴られているときに、助けに入
ってきてくれた青年もいた。

地獄に仏という言葉がある。
おおげさかも知れないが、そう思った。

二つの状況がまったく異なるお話しを書きました。この世にも大
小さまざまな地獄があります。

どこかで仏に会っていることでしょう。気が付かないだけなのかも
しれません。

早く気付けば、人生が変わってきます。

ちょっとした人のぬくもりの積み重ねが人を生かすエネルギーと
なります。

わたしは、このような人間になりたいと思って生きてきましたが、
未だなれずにいます。

それはきっと自然な行為だからなのでしょう。だからといって、何
もしなければこのまま成長せずに一生を終わることになります。

思っても実行することは難しい。


 
■神様だけには背きたくない 2008/07/21

昔の映画であったかテレビかは忘れましたが、印象に残っている
セリフがあります。

「法律に背くのは怖くないが、神様だけには背きたくない」

ルールを破ったり、法律に反したりすることは良くないことです。
悪いことです。

しかし、「神様だけには背きたくない」という自分自身の行動規範
は、人の生き方にとって重要な役割を持っています。

法律を守っていても、神様に背いて生きている人はいると思いま
す。

ルールどおりやっているのだから悪くないでしょうという考えを持
った人もいるでしょう。

しかし、本人は意識していなくとも、本当はとても心が傷ついて
いることなのだと思います。

「(誰も)見ていないから大丈夫だよ」ということってたまにありま
す。

《天網恢々疎にして漏らさず》

誰も見ていないからよいのではありませんね。必ず神様は見てい
るという考え方は、いかなる時にも揺るぎない心をもって行動す
るべきだという考え方につながると思います。

大人にこの気持ちがあれば、子どもはしっかりと大人のまねをす
るようになるでしょう。そこが、子育ての絶好のチャンスです。

 
■袖振り合うも他生の縁 2006/07/11

「袖すり合うも他生の縁」とも言うそうです。若い人はどうかと思い
ますが、日常生活で自然に使う言葉です。仏教的な教えから生
じた言葉だそうです。

袖が振り合う人、通勤電車の隣に座った人、エレベーターで一
緒になった人などであっても、すべて前世からの縁があってこう
なっているということであり、人の出会いはどんな些細なことであ
っても偶然はなく、必然であるということを理解して生活するとよ
いということなのでしょう。

そう考えますと、親子・兄弟・夫婦などの肉親、親戚や隣近所と
のご縁はどんなに深いものであるのかは言うまでもありませんね。
我々の周りを見渡してみてください。友人・先輩・後輩・上司・部
下・教師・お客・取引先など、他生の縁で結ばれた人たちを数え
あげたらきりがありません。

私たちは毎日人間のなかで生活しています。したがいまして人
間関係の悩みがつきまとうことになり、これに振り回されて、病気
になったり、人生を大きく変えることにもなります。

人間関係の諸問題を解決するためには他生の縁を意識すること
が大切だと思います。

 
■途絶えなかったDNA 2005年8月13日

自分がこの世に存在しているということは、人類誕生より自分に
至るまでのDNAが途絶えなかったことを意味していますね。

「それって、すごいことなんだよ」と、こどもにおしえてあげるとよ
いと思います。

ある養護教諭からの受け売りです。妊娠の仕組みから始まって
いくのですが、多すぎてここに内容は書けません。漠然と思って
はいましたが、あらためて言われたことで、しっかりと心に響きま
した。

親があり、祖父母があり、ご先祖様あってこそ、今の自分があると
いうことを感じることも大切なことですね。

あたりまえのことですが、一人の人間がこの世に存在するために
は両親ふたりだけでは不可能だったわけです。

4人の祖父母の血が、その思いが、8人の曾祖父母の血が、そし
てあとは計算しませんが、ものすごい数の人が、私ひとりの誕生
に関係しているということを理解することが、先祖供養にもつなが
り、自分が存在していることの重要性を「すごい」「奇跡的なの
だ」と感じられたらいいのだと思います。

それだけでも、人の命を大切し、自分の命も大切にしたいと思う
人が一人でも増えてくれたらよいと思っています。

 
■他人のために祈る 2009/01/04

自分が不幸のどん底だと感じてしまうと、他人の幸せを祈ること
は難しくなりますね。

自分も幸せなときは、素直に他人の幸せを祈ったり喜んだりする
ことができるのに。


世のため人のためにと一所懸命に働いてきた人が、奈落の底に
落ちてしまうことがあります。

ものすごい試練を与えられたということです。

極悪非道の限りを尽くした人が地獄に堕ちるのとはわけが違いま
す。

この試練に耐えられない人もいると思います。

しかし、どんな状況に置かれても他人の幸せを祈る人もいます。

すごいと思います。

 
■祈り2 2009/01/04

先ほどの話を聞いていた人が尋ねました。

「それでは、寝たきりで、意識がない人はどうなのですか?祈るこ
とはできません」

僧侶は答えました。

「すべてのことには意味があります。その状態で生きていることが
学びとなっています。修行や何かの償いをしているということで
す」

親・子・きょうだい・夫婦・恋人などからしたら、生きているだけで
支えとなっている人もいます。

生きているだけで、愛をもらったり、勇気づけられたり、頑張る力
を与えられたりすることもあります。

そのような経験をしたことがあるのではないでしょうか。

健康であることが幸せだと感じて、感謝することはよくあります。
しかし、健康でないことが全くの不幸だと思ってしまうと、その後
の言葉が出て来ません。

 
■祈り・・・どんなときでも 2009/01/03

ある僧侶が、病気か事故で寝たきりとなった人から話を聞きまし
た。

「私はもう世のため人のために働くことができません。絶望です」

僧侶は答えました。

「たとえ、寝たきりとなって、
体を動かすことができなくとも、
声を発することができなくても、
他人の幸せを祈ることはできます」

祈ることは誰でもできます。
場所や時間の制限もありません。

真心があれば。

真心って何なのでしょうか?

 
■ただだから 2008/12/31 

『佐賀のがばいばあちゃん三日めくり2008格言カレンダー』の
最後のページには、「走れ!昭広。ただだから」とあります。

私たちは○○がないから、○○できないと言うときがあります。

お金がないからお墓が建てられない。
遠い(近くない)からお墓参りに行くことができない。
時間がないから、お経を読むことができない。

などなど。

気持ちがあれば、祈ることができると思います。

お金があっても
時間があっても

ただそれだけでは、祈ることはできません。

「皆様の幸せをお祈りしましょう。ただだから」

 
■風のガーデンと菩薩 2008/12/19

倉本聰の脚本は心が重くなると思いつつも、チャンネルを合わせ
てしまったがために、最終回まで見てしまいました。

緒形拳は、中井貴一の最期を看たいという伊藤欄の申し出を断
ります。

「うちは、長いことバラバラでした でも、あいつの最期を一緒に
闘うことで、家族が、はじめて結ばれつつあります」とは、緒形拳
のセリフです。

以前、ラジオで聞いた話を思い出しました。非行を繰り返してい
た少年が亡くなったことにより、それまでバラバラだった家族がひ
とつになったという内容です。

この話をしたお坊さんは、この少年は菩薩であったというのです。
菩薩行だと。

少年が非行を繰り返したことが家族がバラバラになった原因では
ありません。それ以前からのことです。少年は意識していなくて
も、自分が犠牲となり、家族がひとつになる方向に導いたという
のです。

私のような凡人は、犠牲にならなくてもいいから、生きていて欲し
いと思ってしまいます。

死ぬ前に家族が気付いて心を入れ替えれば、死ななくてすむの
でしょうか?それとも、役割だというのでしょうか。

緒形拳がもうこの世にいないということが、つらいドラマでした。

※敬称略

 
■良い性格が自分を守る 2008/11/03 

子どもを育てるときに、勉強ができた方がよい、スポーツができた
方がよい、特技があった方がよいと思う親はたくさんいると思いま
す。もちろん性格がいちばんに決まっていますが、気がつくと性
格以外のところに子どもを評価する基準が移動しています。

良く生きることと、良い生活をすることは必ずしも同じではありま
せんね。しかし、親は子どもに対して少しでも良い生活をして欲
しいと願うあまり、大事な部分から目を離してしまうことがありま
す。

良く生きるためには良い心が必要だと思います。

良い性格は、学歴よりも、お金よりも、権力よりも強く自分を守っ
てくれます。
 


【倫理・宗教・生き方】

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