「昭和のこころ」ノスタルジー世界のブログ
古い奴だとお思いでしょうが

心の歌
 

■シベリア特措法と「異国の丘」 2010年06月17日

■父の歌(2)「男なら」 2009年03月15日

■父の歌(1)・・・軍歌 2009年03月13日

■世代を超えた歌(5)「チャンチキおけさ」 2009年03月11日

■世代を超えた歌(4)「惜別の歌」 2009年03月08日

■世代を超えた歌(3)「キセキ」 2009年03月07日

■世代を超えた歌(2) 2009年03月05日

■世代を超えた歌(1) 2009年03月03日


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三河武士がゆく
 
 
■シベリア特措法と「異国の丘」 2010年06月17日


シベリア抑留者の救済法である《シベリア特措法》(戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法)が成立しました。

テレビニュースを見ていて、「異国の丘」を思い出しました。

生前、父がよく口ずさんでいた歌です。
父は、満州の東寧にいましたが、部隊が内地に移動しています。
そのまま、東寧にいれば、どうなっていたかわかりません。

幼かったわたしは,歌の意味はわかりません。
意味を知ったのはずいぶん後からだったように思います。

モンテンルパ
長崎の鐘

書けばきりがないですが、

一つの歌には、深い意味があります。背景があります。
その意味を知ることによって、学ぶこともあるのです。

歌い継ぐことをしていってもらいたい歌です。

「わすれちゃならない」歌なのであります。


数年前、父の同年兵の方からお手紙をいただきました。
父は一度も戦友会には顔を出さなかったそうです。
理由はまったくわかりません。

父にとっては、
満州東寧の丘は「異国の丘」だったのかもしれません。

 
■父の歌(2)「男なら」 2009年03月15日


父は「男なら」が好きでした。

先日、叔母の法事で父を知る人とお話ができました。
空襲で焼け野原になり、六畳ほどの広さに杉皮の屋根で暮らしていたそうです。
若くして父を失い一家を支えていかなければならなかった父の苦労や思いが歌を通して伝わってくるようです。
 
                 【男なら】
                西岡水朗 作詞
                草笛圭三 作曲
                   
                   一
                男なら 男なら
             未練のこすすな 昔の夢に
             もとをただせば 裸じゃないか
             度胸ひとつで 押して行け
               男なら やってみな
                   
                   二
                男なら 男なら
             七つころんで 八つで起きる
              思い直せば 愉快な世界
              若い心は デカク持て
               男なら やってみな
                   
                   三
                男なら 男なら
             あの娘一人に くよくよするな
            花の日本だ 眼(まなこ)を変えて
              見ればいずこも 花ざかり
               男なら やってみな
                   
                   四
                男なら 男なら
           お洒落する間に 腕(かいな)を磨け
           磨きゃ前途(ゆくて) が 楽にもなるが
             お洒落するのは 楽じゃない
               男なら やってみな
                   
                   五
                男なら 男なら
              雨も嵐も 恐れてなろか
             どんと乗り切れ 浮き世の波を
              船は男の 意気でやる
               男なら やってみな
                   
                   六
                男なら 男なら
            愚痴は言うまい 嘆いちゃならぬ
            それで済まなきゃ 人形のように
              顔で泣かずに 腹で泣け
               男なら やってみな
                   
                   七
                男なら 男なら
             生まれた時は 裸じゃないか
             死んでいくのも 裸じゃないか
             生きている間の ひと仕事
               男なら やってみな
                   
                   八
                男なら 男なら
             未練のこすな 浮き世のことは
              花は散りぎわ 男は度胸
             生命投げ出しゃ 怖くない
               男なら やってみな
 

私もこの歌は好きです。

 
■父の歌(1)・・・軍歌 2009年03月13日

私の父親は故人ですが、大正十年生まれの十六年兵で、満州におりました。終戦間近になり、九十九里浜防御ためにたこつぼを掘っていたため、私が存在しております。場所が場所だけに、もう少し戦争が長引いていたらどうなっていたかわかりません。

演歌も好きだったようですが、よく軍歌を歌っていました。一刻者のところがあり、幼いころの私には封建主義の象徴のような人に見え、反発していましたが、知らず知らずのうちに、私も軍歌をよく口ずさむようになりました。

しかし、軍歌というだけで毛嫌いする人もいます。右翼だと言う人もいます。軍歌がどのように使われたのかをまったく知らないわけではありません。

しかし、表面的な一部をとらえて全否定をするのはいかがなものでしょうか。

私にとっての軍歌は父の子守歌です。

 
■世代を超えた歌(5)「チャンチキおけさ」 2009年03月11日

まだ酒をおぼえて間もないころ、焼き鳥屋へ行き、スナックへ行き、わけのわからない酒を飲み、意味がわからずに歌いました。

カラオケも8トラックの最後くらいの時代で、知っている歌であれば、店中のお客さんが一緒に歌い出すという和気あいあいとした雰囲気が酒場にはありました。

カラオケが無くとも、まさに知らぬ同士が小皿たたいてという歌詞がどこの酒場でも珍しくないような時代でした。

この歌を歌うと年配のおじさんたちが盛り上がるのだと思い、わけのわからないまま歌っていたことがあります。

カラオケボックスとは異なった、さっきまでまったく知らなかった人たちがひとつになって歌う雰囲気は、なかなか気持ちの良いものでした。

最近飲むに行くことはほとんどありませんが、今はどうなのでしょうか。

世代を超えた歌を肩を組みながら歌うことができたのも、当時のおじさんたちが粋だったからでもあるのです。

 
■世代を超えた歌(4)「惜別の歌」 2009年03月08日

「惜別の歌」は、メロディーも歌詞も大好きです。

歌詞は、島崎藤村の「高楼」(『若菜集』)が元になっており、嫁ぐ姉と妹との別れを惜しむ心情を歌ったものだそうです。

「惜別の歌」は、戦時中、動員された中央大学の勤労学徒の出征時に歌われていたものだそうです。

友人が、小林旭の歌が好きで、彼から借りたカセットテープがきっかけですが、大学のサークルで4年生を送る時の歌にもなっていました。私は中央大学ではありませんが、多くの大学でも歌い継がれているのでしょうか。

戦争という悲しく・厳しい時代背景によってこの歌が生まれてきたことも同時に受け継がれていくことを望みます。

当時は嫁ぐことは永遠の別れになりかねないくらいの意味を持っていたのかもしれません。霧島昇の「誰か故郷を想はざる」を思い出してしまいました。

そして、「高楼」もまた悲しい歌です。

ここ数年行っていませんが、小諸を訪れると、歌碑を見に行くのが常になっています。

 
■世代を超えた歌(3)「キセキ」 2009年03月07日

歌詞が難しくてわ子どもたちにはわからないという人たちは、英語の歌や外国の歌をおぼえた時にはどうだったのでしょうか?

百人一首はおぼえたのでしょうか?これも立派な歌ですね。

校歌の歌詞も難しいでしょう。
もっとも、このような人たちは昔の校歌にも反対する人がいると思います。

あまりこのようなことばかり言っていても出口がないので。

私は、メロディーが気にいれば今の若者が歌っている歌でも好きになります。「ルーキーズ」のテーマソング「キセキ」は大好きですが、何を言っているのかよくわかりません。

でも、よい歌だと思って聞いています。

子どものころわからない歌詞でも、大人になってから理解することがほとんどなのでは。

江戸時代、何回も幕府が禁止した踊や歌であっても、民衆はあの手この手で復活させていきました。

理屈を付けて難しことを言うから、良い歌がドンドン減っていくのです。

 
■世代を超えた歌(2) 2009年03月05日

ボランティアの高校生が、老人とコミュニケーションを図るために、昔の歌をおぼえようとしているといった話を聞きます。

よいことだと思います。ほほえましいことだと思います。

「意味がわからないから」
「歌詞が現代的でないから」
「戦前の歌は軍国調だから」

といった理由で、お年寄り(といっても、戦前の)が好きな歌を子どもたちがおぼえることに反対する人もいるでしょうか?

しかし、これを学校でおぼえようとすると反対する人たちがいます。何かを子どもたちから奪ってしまったような気がします。

よい歌は(個人差がありますが)、どこでおぼえてもよい歌だと思います。

 
■世代を超えた歌(1) 2009年03月03日

横浜市には、横浜市歌という老若男女、多くの人が歌うことができる共通の歌があるそうです。明治四十二年から歌われているということですから、ずいぶん長い歴史があるわけです。作詞は森鴎外だそうです。

明治から親しまれている歌で、老人から子どもまで一緒に歌うことができる歌はどれだけあるでしょうか。

私の世代ですと、そのような歌は、文部省唱歌として学校で教わった歌がほとんどだと思います。でも、歌うことはできます。厳しい音楽の先生に叱られながらしっかり覚えました。意味もわからずに。

日本の四季や風土、文化・行事などを歌い込んだものが多かったように思えます。

いつのころからか、学校の授業から古き良き歌が消えていきました。

古き良きものであっても、時代に合わないからといって切り捨てていくのは日本のお家芸のような気がします。

私の子どものころも、今のように普通の生活では、歌謡曲やフォークソングなどを歌っていました。生活のなかの歌は、おしえなくても自分で好きにおぼえるものです。

そうでない歌もあると思います。
 

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