| . welcome back to Gold Coast 2009 In the memory of Billy Rack U |
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- 前書き - introduction
5年ぶりに訪れたGold Coastには残されたモノがたくさんあった。
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やはり心の拠り所はここに帰ってくるようだ。
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第一作のBilly Rack 物語 も読んでもらえると、もっともっと理解してもらえるはず。
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青年時代から続く、19年に及ぶ心の旅に、さあ、同期して下さい!
※写真が多いので全画面で見てちょ!
出発 2009年12月6日 いよいよ5年ぶりとなる渡豪だ。 為替の高騰(AU$一時期\100!・・・最低は¥55。 この50円の差はワーホリなどで、 100万円持って行ったとすると50万円もの差が出る! 今は約80円だが物価も上がり、 しかも日本は格安競争の恩恵もあり、とさほど変わらなくなっている)や、 原油の高騰による燃油サーチャージの影響(現在はまた復活傾向)も一段落。 さらに今秋には、5年間何とか営んだchoppy's marketの閉店もあり、足が軽くなった。 しかもJETSTARの世紀の特売、二人で何と¥58,800(全部込)のチケットがゲットでき、 そんなことで全てのタイミングが揃い、あの懐かしい場所へ訪れることにした。 出発は初の関空。他国の経由便だと思えば安易なものだ。 名古屋から近鉄でバスと乗継だ。期間限定のレール&バスの格安チケットをゲット! さらに空港でも今はWEBからの購入が出来る為、チェックインもチケットレスだ。 以前は毎回毎回、大使館でビザの発給を受けなければならなかったが、 今ではネットでETASと呼ばれる電子査証(事前登録ビザ)が取れるので楽になったもんだ。 だが、毎回申請しなければならないので、早く廃止して欲しい。 まぁ、これが無くなるとオーストラリア行くぞって感じが薄れるかもしれないが・・・。 ちなみに今もあると思うが、毎年、あるいは年に数回訪れる人向けに、 僕も以前は取っていたが、数次査証(一回の滞在が3〜6ヶ月・4年間有効)もある。 さて、いよいよ関空に到着。早くチェックインを済ませ関空観光しようとしたら、 なんと! Gold coast発の便が整備が遅れ、出発が翌日の早朝とな!? まぁ、こんな事は珍しくないので、早々と航空会社の用意した隣接のホテルにチェックイン。 関空を満喫する事にした。 到着 翌朝、予定時間より遅れる事10時間、Jet star・JQ20便は、 数年前から国際空港になった、Gold coast air port (旧coolangatta air port)に到着。 着陸前に眼下に広がる、懐かしい景色がやっと現実となった。 まずはレンタカー。遅れるのは知っていただろうが送迎の電話を入れないと。。 しかし、公衆電話が見当たらない。職員に聞けば、まだ施設内に出来ていないとの事。 空港職員ですら「unusefull」だとさ・・・。 と言う訳でオフィスで電話を借り、待つこと10分余り、 暴走送迎バスに揺られレンタカーは無事ゲット。ちなみに今回、初の保険にも加入。 そして、こちらで大ブレイク中の韓国車は、Kirraにある kirra on the beachに到着。 だがoffice hour が過ぎていたので reseption には張り紙が。 「あなたのroom nomberは207です。鍵は部屋のテーブルの上に置いてあります、 駐車場の利用方法は・・・・云々」 落ち着いて読めば何てことない文面だが、なぜか総てにおいて焦っていて、 プールサイドでBBQってた、おねーちゃんたちに「can you help me?」ってやってしまった。 快く教えてくれたが、俺は途中でこの簡単な文面を理解したので恥ずかしかった。 部屋は1991年に初めて来た時と同じつくり。いわゆるオールドタイプ・アパートメント。 1F、2Fは1bed room、 3と4Fはつながっている2bed room だ。 目の前は公園を挟んで国道とビーチが広がる、静かな場所で、 公園の前にバス停、横には週末にライブをやるパブとワインヤード併設の酒屋、 と、願っても無い環境だ。 かなり迷って決めただけの事はある。 今回はベースとなる宿泊場所に本当に困った。 5年のブランクがあるとはいえ、オーストラリアも2000年のシドニーオリンピック景気以降、 経済成長が著しく、道路、建物、物価、はてには人々の意識レベルまで上がってしまい、 今では日本をしのぐ世界第5位の経済国にまで発展してしまった。 従って、ここクーランガッタも例外ではなく経済成長の波にもまれ、 休日以外でも人の溢れる、近代ビルの立ち並ぶ街へと成長し、僕がかつて訪れた、 田舎ののんびりしたサーフタウンでは無くなってしまった。 この雑踏を避けるように、ブロードビーチ、バーレー、ノースキラなどへ移動した時期もあった。 だが今回はあえて、クーランガッタを選んだのは理由がある。 もし今回で、自分の中に大切にしまってあるクーランガッタとのギャップが大きくなっていれば 今回限りでベースを他の街へ移すつもりの覚悟があったからだ。 だが、意外と今回の滞在は新しさの中に昔が見え隠れする、良い滞在になった。 「Bring back Kirra」 この運動が示すかのように、 街は失った海岸を取り戻す活動を地道に繰り返していた。 その結果、今ではスーパーバンクと呼ばれるようになったsnapperは別として、 kirraや greenmountが復活傾向にあるのはうれしい限りだ。 それらと同じように、近代文化に見切りをつけた回帰主義者が増えているのも現実だ。 例えばロングボードやSUPの増加、 Byron bay を拠点とする過去のヒッピー文化に便乗したback to natural movement、 裏路地に現存する古い町並みや商店街、それらに集まる人々。 まだまだモノを大切にし、ゆったりしたオージーのライフスタイルは残っていた。 特にここ、Gold Coast はそういう街なんだと思った。 到着して2日程は、ここにいる実感がなく、目を閉じて再び開けば家の寝床に戻る気がした。 夢の中にいるような、ドコにいるのか分からない、本当に不思議な気分だった。 現実、この5年ぶりに、どうやって対応して良いのか分からなかった。 到着初日の夜に行った買出しも、もはやテーマパークの中に入るようで大興奮、 酒屋に至っては、品数の多さ(特にワイン)に目が回った程だ。 初日の夜はベランダで夜風に吹かれ、ワインとチーズ、焼き鳥?他。でくつろいだ。 毎夜その行動は繰り返されたことは言うまでも無かろう。。。。 飲めや、食えや。。。 |
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![]() ↑ 相変わらず賑わいを見せるモール内のフードコート ![]() ↑ 安くてボリュームのあるケバブ。なぜか日本では人気が無い ![]() ↑ どうだ!このチーズの種類!こんな棚が3倍は続く |
![]() ↑ 見えるかな?昔からある「カエル岩」 誰が塗ったのか??? ![]() ↑ ほとんど all days no surf だった Snapper rocks ![]() ↑ 「D'Bar」 サーファーから言えばポイント全滅の根源、送砂機が堤防の奥に |
観光 とりあえずレンタカーを4日借りたので、その間に一仕事。 なんせ、車が無ければ何も出来ないほどオーストラリアは広いのだ。 しかし今回は、車に頼るのは4日間、あとは自分の足とバスを使う事にした。 Petrol=燃料。ガソリンは約105円。最近ではエタノールを含むEco Unleadedまで出た。 ちなみにDeasel以外に、Leaded(有鉛) Unleaded(無鉛)がある。 初日。 いつも必ず訪れるTamborin Mountainへ。 ここはゴールドコーストから1時間余りの丘陵地帯。 清里みたいなトコか? 世界遺産にも指定されている、Hinter Landと呼ばれる亜熱帯雨林が広がる。 無限に広がる手付かずの山々、美しい森、素晴らしい滝など見所が多い。 のんびりと時間を掛けて、ピクニック気分で過ごすのがオージー流だ。 森の中には倒れた木々、ブッシュファイヤーや落雷で燃え焦げた木、 下を見れば、そこからまた息吹く自然の姿が垣間見られる。 ブッシュターキー(野生の七面鳥)やリザード(オオトカゲ)もそこら中に現れる。 ハンググライダーが飛ぶ丘もある、素晴らしい場所だ。 ただ、今回残念だったのは週末に観光客が集中する為、週頭はほとんどが閉まっており、 静けさの中を歩く事になったが、これはこれでまた良い。 帰路は美しい夕焼けを見ながら、土ボタルで有名な natural bridgeへ向かうことにした。 ところが道に迷い、現地に着くのに1時間のところ、2時間を要した。 まぁ、内陸で迷うことを思えば死ぬことも無いし、何とかなるものである。 入り口には国立公園のレンジャー(子連れ!)が見張っており、ツアー客以外や トーチを持たない人、夜間に初めて訪れる人は入れないようだった。 土ボタルが生息する洞窟までは、真っ暗闇の中を20分程歩いて行かなければならないので、 ライトは必需品だ。この時はこっちでは不要の文化、携帯電話のライトが役に立つ。 昔は夜のシークレットスポットであったこの場所も、さすがに観光化されており、 ツアー客が押し寄せ(ほとんどが日本人ツアー)、土ボタルの数も減っていると言う。 土ボタルとはハエみたいなやつの幼虫で、天上から垂れ下がり、 ヨダレ?で餌となるコムシを捕るために身体を光らせるらしいが、 NZを含む南半球の一部にしか生息しない不思議な生き物だ。 そしてパートナーがグースカ眠る中、暗い山道を2時間掛けて車は走った。 夜12時ともなれば酒屋も閉まっている。 唯一開いている店、発見!!! 喜び、物色する俺 どうしてもビールが・・・・ ![]() |
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部屋はこんな感じ。いたってシンプルなワンルーム![]() ![]() |
色とりどりの魚介類![]() |
食事 しかし、相変わらずオージーは良く食べる。 負けじと俺達も食べる。 毎回、必ず5kg太る!が目標だ。 オーストラリアはビールもうまいが(個人的には地元のXXXX!) ![]() ワインは特筆すべきものがある。 日本でも同じものを飲むことが可能なのだが、やはり違う! 味が・・・丸いのである。 解り易く言えば、同じものを冷凍してレンジで解凍するような感じ? 空輸であれば、一度高度が上がるため圧力に変動が生じるのか? 船便であれば、一度赤道をまたぐからか? なんせ違うのである。 これは間違いなく言える。 地物は地元で食せ! である。 そう、これを食べなきゃ始まらない、Fish &chips! 何の偏屈も無い、いたってシンプルな食い物(料理とは言えない)だ。 通になると?魚の種類はもちろん、揚げ方(butterd・てんぷら、crumbed・パン粉)にこだわる。 「perch, crumbed please」 と言うようなれば完璧である。 そして、ピザ! きました! 一番大きいサイズのみで、価格はほぼ同じ。 テイクアウェイで頼めば¥800前後!! Pizza HutでもAll you can eatやってるし。 (昼夜、平日週末で値段が違う) これも生地を選ぼう、thin(crispy or crust)、 thik(pan)が頼めればOK! ちなみにどれも、フチまで具がぎっしり! チーズも最高!! で、たまたま通ったホテルの下のレストランバーで、 take out special, any family size Pizza with 6pack= $25.00! なんじゃあ!?6Packのビールだけでも$15はすんのに、ピザ付で$25?? 開店前で30分待ち、車はその時は既に無く、坂道を延々と30分掛けて帰りました。。。 はぁ。 ここはビッグメニューが売りで、1/2kilo とか1kiroのステーキや、ボウルごとチップスとか、 そりゃあ、まぁ!の連続。しかも繁盛してる。 孫を連れた、じいちゃん・ばあちゃんたちのグループが 「みんなで食べれば大丈夫だよ〜」的なことを楽しそうに盛り上がってたわな。 また行かねば。。。 |
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マックの期間限定バーガー、ベーコンチーズバーガー?
波乗り 波乗りである。。やはりサーフィンしなきゃ! ところが今回は全くといっていい程、波に見放され、 車の移動にも限界があり、地元で待機を余儀なくされた。 ビーチはどこもオンショアの膝〜腰の厚い波。 ロングやSUPでやっとである。 ショートのサーフィンほとんど見なかったなんて、どういう事? 結局チャンネル7のニュース(夕方に波と釣り情報がある)では、 風をかわせる、Spit の膝〜腰が一番いいみたいだった。 「terrible surf, every day」 で終わるかと思えば、「maybe flat」で締められた。 結局、数日後、風向きが変わり、唯一Green mountで一日だけやれた。 オーストラリアのサーフィン業界もついに、時代の波を受けたらしく、 フォームは発泡スチロールからバイオ・フォームや科学フォームへ移行。 老舗の強いトコ(ローカル支持とか)や量販店が力を持っているようだ。 10年ほど前から業界に新しいシステムが導入され、大手のシェーパーが手を組み、 どのブランドが売れても、一律コミッションが入る形がそれだ。 一時期は良かったようだが、次第とシェーパーは個々の存在が薄くなり、 現在では表通りに面した個人ショップは、ほとんど見られない。 以前はインドネシアに置いた生産コネクションも、今はタイにベースが移り、 産業も低価格の販売競争が続き、量産の格安海外産ボードが大量に並び、 一流シェイパーはじっと奥で腰を据える。 そんな現状だ。 その中で回帰ムーブメントが起き(戻っただけかも?)時代はロングやSUPが増えている。 攻撃的なサーフィンで知られるオージーものんびりしてきたようだ。 なかには、店頭で見たのだが、はぁ?? 誰が乗るの? ・・・ロング? ・・・SUP? みたいな巨大な厚み、長さ、幅を持ったボードも出現している。 オーストラリアとは日本と違い、オーダーシステムがほとんど無い。 いわば、プロやライダーの一部に限られた恩恵なのだ。 店頭に並ぶボードも、適当にメーカーが「こんなの」って送ってくるし、色やデザインも適当。 その中で、店頭で自分の気に入った物を見て触って選ぶのがオージー流だ。 数年間サーフショップを営んできて思ったことだが、 サーファーは自然を愛し、守るはずだが、少し疑問を感じてきた。 それはまず、ボードの材料。 フォーム、樹脂、クロスに至ってすべて有害物質だという事。 ウエットスーツも同じことが言える、石油由来の素材。 永久に使えるものではない。 外観こそ変わらなくても、経年による変化や熱によるソリ、ねじれ等は必ず生じる。 一般サーファーは新調するのに何年掛けることだろう? プロやライダーは年間に何本消費するか知ってる? 現状は埋めるか燃やすかしか選択は無い。 あるいはミニチュアボードに変身か、子供用に変身か。 いずれにしろ、消費→リサイクル?は到底、追いつかないであろう。 自分自身もボードは、もったいないし10年近く使うが、 周知のとおり、5年も使えば板はリペアだらけでボロボロになり、 マジックボードは片鱗もうかがわれない姿になっているはずだ。 こうなると登場するのが、新素材や耐久財。 サーフボード自体が歴史とともに進化してきたものだが、 フォーム素材は半世紀に及んで使用されてきた。 そろそろ世代交代せなかんな。 で、右のFire wire。 これ、信じられんくらい軽い。 価格も日本の半分だし ・・・ 次回は買おっと ・・・。 航空運賃払っても得だわ。 量産・量販のボード、 こいつらはいったいドコへ行くやら・・・ |
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これだわ〜!これ! |
僕とBilly Rack 今回の旅の目玉であり、テーマだったのがオーストラリア回帰の旅。 最終日前日に、お互いにフリーの日を設けた。 旅は気心の知れた仲間や家族と共にするのも良いが、 個人での旅は最高に魅力に溢れている。 そして見知らぬ土地で行き詰ったとき、ごまかしの効かない自分自身を知る事により、 一回りの成長へと導いてくれる。 また、それに負けた者は帰国の途に着く。 僕はもう一度、自分を育ててくれたクーランガッタの街を、隅から隅まで歩きたいと思ったからだ。 まだ、この街は自分の軌道修正の場としての位置づけを持っているだろうか? 自分にとっての価値観は変わっていないだろうか? そんな気持ちが今回はとても大きく、内心、不安で心配でたまらなかった。 そんな気持ちを胸に、たくさんの思い出が詰まった街を歩き出すことにした。 天候は今回初の曇り。空が重たい。 だが基本は徒歩。 車窓からは見えない、感じられないものがある。 kirraのアイコンであるPizza hutを通り過ぎ、かつては木製だったビーチフェンスも今やアルミ製。 相変わらず休憩小屋のHUTが風情を残してくれているが、海までは遠い。 かつてスーパーチューブを見せていた面影は無い。 big groyne と呼ばれる堤防の横から飛び込み、川のような流れを必死にパドルしたっけ。 当時フラット・シェアしていたヤツが、kirra のバレルに入り、 「世界の kirra のチューブだぞ!」と狂喜狂乱して、国際電話かけまっくっていたのを思い出す。 その翌日、僕も川のような流れに耐え、オーバーヘッドのkirra にプル・イン! ボトムでバウンドしたが、フェイスで体制を整えて前方を見ると、 めくり上がってくる壁が、延々と出来て来るではないか! そしてそれは、トンネルのように丸く均一にチューブを形成し始めた。 出口を目指し、必死のトリミング ・・・ まだ潰れない。。。 潰されるギリギリまで耐えて、カッティングアウト。 無意識のうちにバンザイをしていた。 「夢の世界」 これが世界中のサーファーを魅了して止まない、 kirra のチューブだ。 やはり、その夜、俺も国際電話したっけ。。。 ![]() kirra 横のビーチは除砂作業で閉鎖中 クーランガッタのビーチ脇の歩道 クーランガッタの街は、ビーチに面した海沿いと、メインストリートとなる目抜き通りとがある。 行きは開発と変化の進む、海岸沿いを歩いてみた。 ビーチが一時終わる地点の green mount〜 Rainbow bay周辺では、 昔、宿泊したアパートたちが今もがんばっていた。 だが、更地になっていた所やや建て替えも多かった。 そしてgreen mount の入り口からはmount 断崖の越えだ。 過去に何度もゲッティングアウトのたびに歩いた場所だ。 ポイントの奥から snapper rocks 〜 rainbow bay 〜 green mount と三つのポイントを降りてくる。 距離にして300〜500mはある、レギュラーのポイントブレイクだ。 メローな green mount では大きなターンを練習した。 波の面が斜め下に出来てくるので、「タメ」の練習には最適で、 タメてタメて、タメまくって我慢した後の、ギリギリのリッピングが最高だった。 人生最高のダブルオーバーの波もココだった。 どんぶら、どんぶらと揺らめく海面、 掴み所の無いピーク、 ひたすら長い、ボトムに降りきれないスロープ、 バタバタとひたすら暴れるボード、 やっと降りたボトムから、見上げると巨大な壁・・・ イルカ達がショアブレイクで、ジャンピングプルアウト・・・ そんな忘れられないポイントだ。 snapper から対岸のサーファーズの摩天楼まで、 すべてが見渡せるgreen mount (丘)のカーブには、ウッドデッキやアルミ製の手摺、 ベンチまで整備され、昔と姿は変われど最高の景観には変わりない。 その真新しい見晴台に埋め込まれたパネルはあった! !!!「Billy Rack Look Out」!!! Billy の面影を追うつもりでもなかったので、何が起きたのか分からないほどの衝撃だ。 感動が身体中を駆け巡った ・・・ 思い出が走馬灯のように蘇るとは、まさにこの事だった。 前回来た時には無かったのに・・・ Billyはいつもココへパドルアウトしてたっけ・・・ また、この時期、このタイミングで逢えるとは思わなかった・・・ 最高のポジションに Billy は居た。 今もビーチを見守るように。 そして翌日、今回の滞在で一日だけ、ここの波に10年ぶりに乗ることが出来た。 そして、これからもクーランガッタに来る事を約束して。 ![]() |
![]() ↑kirra のボードウオーク。 かつては質素だった ![]() ↑Billyが住んでいたアパートの跡地にはマンションが(左奥) ![]() ↑今も変わらない green mount 入り口。10年の時を過ぎビーチが戻ってきた! ![]() ![]() ↑Billy Rack Look Out からの眺め ![]() |
僕の今回の旅の目的は正解だった。
これからもゴールドコーストが拠り所になる確信が持てた旅だった。
帰国前日には、何とバーレーで毎年盛大に行われるクリスマスイベントにも行くことが出来た。
若い頃の、自分を正当化できる、そんな魅力を再発見することもできた。
そしていつまでも
これからも毎年!そしてありがとう!
Billy Rack with Coolangatta, Gold coast!4225
![]() BIlly Rack 見晴台 9th Dec 2001 定礎 Billy Rack(William Jahon Rachinger)1934- 2000 に捧ぐ こよなく知られた尊敬すべき地元の才能を 共に養われた地域の文化と共に讃える。 1964、この地に移ったBillyはサーフボードを削り、貸し、 サンオイルの提供など、新たなビーチビジネスを開拓した その多大なるサーフィン界への貢献は ラビット、MP、ピート・タウゼントなどの世界チャンピオンを育て オーストラリア初のサーフアカデミーをこの地に創立に至る 30年に渡る、地元サーフ・ライフセービングの会員でもあり 1997年には Iron man マスタークラスを制した。 この見晴台は数々の受賞をした当地開発プロジェクトと 地元ゴールドコースト市・クイーンズランド州政府により完成 |
![]() ↑ ここも10年以上前に仲間と泊まった最高の場所 ![]() ↑ こんなトコも何ヶ月いたのかなぁ。ここも変わった思い出だ。 ![]() ↑ この四角いのは最初に半年住んだトコ。泥棒にも入られた |
![]() ↑ 長期滞在は必ずここでお世話になるローカル不動産屋 ![]() ↑ 昔ケンタッキー。Fish & chipsの店を経て現在家具屋。裏に住んでた。 ![]() ↑ ココもビーチ正面の好立地だった |
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![]() . ![]() . ![]() ↑ これは帰国前日のバーレーのクリスマスイベント。火災でなく花火です |
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また来年!

かつてマイケル・ピーターソン(MP)がスタビーズの激戦終了後にもたれ掛かったバーレーのシャワー室の外壁
俺もついでにフラついてみたが、オージー達の目は冷たかった