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もう10年以上も前の事だ
オーストラリア・クーランガッタに住んでいた頃、 1人の老人と知り合った。
ぼろアパートのガレージで毎日のように、ひたすら板を修理している。
子供からイケてるおねーちゃん、老若男女を問わず来客が絶えない。

よく見ると「Bad Billy's Surfshop」 手作りの”一応看板”がある。
彼は子供達に無償で板を貸したり、
修理をしてあげている、オーストラリアでは有名なレジェント・サーファーだった。
ミュージシャン、エンターテイナーの顔を持つ、地域の人気者「Billy Rack」は、
さすがにもう、ビッグウエーブは無理だが、今なお自宅正面の
クラシック・ポイント 「Green Mount Beach」に、

毎朝欠かさずニーパドルでパドルアウトする現役サーファーだ。
Billyは以前は日本人嫌いだったらしく、僕らと話すまでは、
日本人にはかなりの偏見を持っていたらしいが、
たまたま僕とシェア(家賃を割る共同生活)していた
大阪の「ハル」がBilly との人脈をつないでくれた。

この男、正道会館本部所属のサーフィン初心者で怖いもの知らず。
オーバーヘッドのバレルに突っ込み板を真っ二つにしたりした。
Billy と同じアパートに住む少年3人組を弟分に仕込み、慕わせていた。
(少年3人組も現在は25〜27才。今をときめくクーリーキッズになって、
ASPを戦っている... だったらすごいが。。 )
ハルが帰国する時に、Billy のエンタメ会場になってる地元の
ホテルの一階部分に併設するオープン・バーの前を通った。
「everybody say goodbye to my friend HALU〜!! 」って
やってくれたから、お客さん全員が「ウォ〜〜!」って感じになって
音楽と酒が入り乱れながら、壮絶にハルを送り出してくれた^^
それからも、そんなBilly と僕は日増しに仲良くなっていった。
しまいには「日本人にもっと来て欲しいから」と、
Billy のメッセージを日本語訳した看板を作ったこともあった。

また、オーストラリア全土で毎年行われているロングオンリーのコンテスト
「Mal Function Gold coast」にもBilly は出場していた。
Mal とはロングボード 、つまりMalibu board の事で
function とは儀式、催しを掛け合わせたゴロである。
Billy は over 60 のクラスに出場する傍ら、
エルビスの格好をしてビーチの人気を独占していた。

本当に書き切れない思い出がBillyとはある。
自宅の2階に招かれた時の事。その散らかっている部屋の中に
大会で入賞したときのトロフィーやらが、無造作に置いてある。
壁や床を指差し、「この穴は昔クレイジーな奴が暴れて、マシンガンを
ぶっ放したんだ、死ぬかと思ったよ。」...今では笑い話だが。。。
また、pawnbroker (セコンドハンドショップ) に付いてきてくれ、
買取の値段を(顔で)吊り上げてくれたこともある。
雨の日に傘を貸してくれたのだが、
その傘にとても老人とは思えない落書きをしたり...。

...オーストラリアの老人に多いのだが、やさしいのである。
脱線するが、いくつかの老人達との出会いがある。
@定番挨拶の「こにっちわ」から始まり、
「日本に昔いたんだが分からない言葉がある、
ごしゅうの兵隊さんって何だ?」
「ごしゅう?」??? ...!「ごうしゅう」「豪州」だ!
A「ワインメーカーズナイト」いわゆる、ワイン醸造者主催のライトディナーだ。
見知らぬ同士が宅を囲み、ワインと食事で、そこはまるで日本の
集団居酒屋状態。そこで仲良くなった老夫婦に後日、昼食に呼ばれ
初の赤シャンペンでグロッキーになったが最後は家まで送り届けてくれた。
中華の回転テーブルを愛用していたのが印象的だった。
パーティには持ってこいだとか。
Bビーチで肩を叩かれ「ニッポンジンデスカァ」
「ワタシ、ニッポンノウタヲ ウタイマス」
「♪アーカーイーリンゴーニー ...」
彼は最後まで日本語で歌った。。。後日、やはりお茶に招かれた。
帰国後「赤いりんご」の記念切手でクリスマスカードを送ってあげた。
オーストラリアの老人に共通して言える事は、戦争で日本に来日経験
があるという事で、日本ではいい体験をしているらしい。
だからやさしくしてくれるのかな?
僕も日本に来ている外国人(特にオージー)には感謝の意で
親切に接してあげるのを心がけている。

Billy に戻ろう。
忘れられないのが帰国当日。
玄関のドアの下に何か置いてある。
拾い上げてみるとなんと!...This is certify ...??
Greenmount Beach Boardriders Club ...??
上の部分に鉛筆で「Best Regards ※感謝の意」とある。
凄い物をもらってしまった。。いいのかな。。
ここでオーストラリアのビーチカルチャーに少し触れてみよう。
Greenmount Beach のほとりに建つS.L.S.C(surf life saving club)
ライフセーブ、ビーチレクリェーション、パブなど生活の全てをカバーし、

各地のビーチに必ずある、オージーライフの基地となる施設で
終日、休み無く老若男女の人々が集う場所である。
ラーフセイバーとはボランティアで活動され、オージー憧れの英雄でもある。
そこに付随し、全国対抗戦も行われる、Boardriders Clubの
「Greenmount Beach Boardriders Club」の会員証だ。
ラビット、マイケル・ピーターソン、ピーター・タウネント、ウェイン・ディーン ・ ・ ・ 等々、
ゴールドコーストが誇る、そうそうたるの顔ぶれのファミリーチームの証なのだ。

そんな誇りあるCertify (証明書) を帰国際にプレゼントされた。
レプリカは、ひっそりと店の片隅に飾ってあるが、
本物は大切に保管してある。
いつかこのデザインのノベルティを作ろうと思っている。
そして、いくらかはS.L.S.C に寄付できれば...と。
そして帰国して数年後、再渡豪する機会があり、再びBilly を尋ねた。
だが ...
そこには巨大なコンドミニアムが建設中で、ぼろアパートの影は無かった。
向かいにある、「Greenmount Beeach
Boardriders Club」は、
「Tweed & Coolangatta Surf Life Saving Club」に変わっていた。
※二つの隣接する州、NSWとQLD の町の名前
”有名人”Billy のこと、誰もが行方を知っているからと思い、
初老のマネージャーらしきスタッフに声を掛けてみた。
「Billyは何処に行ったのか知ってるかい?」
「...dead」 「...Billy は死んだよ。。」
「...... は?」 「......!!!!! 」
事実・・・そんな気もしていた。 かなりの高齢だったから...。
言葉に詰まりながらも「Billyの墓の場所を知ってるかい?」と、僕。
彼は、指をさして「...over there」
「......!」
そうだ、Billy RackはGreenmount Beeach にいつもいるんだ ...。
全身が震えた ...。
この瞬間に、僕にとってのBilly Rack は本物のLedgend になった。
人はいつかは亡くなる、数々の思いを残して。
Billyは、ずっと僕の心の中に残っている。
その後、少しでもBilly の事が知りたくて
インターネットが普及してから検索したが、情報は得られなかった。
ところが ...! 今年に入ってからヒットしたのだ!
なんと、息子のMason がデビューしたのだ!
(離婚歴の多いBilly は5人(たしか)の子供がいた。)
...うれしかった!!

※今、流行のユルいアコーステック・サーフミュージックは偉大なる
偉大なるNat Young の息子Beau Young をはじめとし、
オーストラリアカルチャーに息づいている。
あの偉大な父Billy の影響を受け、
ミュージシャンとして歩み始めたMason Rack を応援して下さい!
http://www.myspace.com/masonrackband 試聴可
オフィシャルホームページhttp://www.masonrack.com/
シドニー・オリンピック以来、好景気で物価も意識レベルも上がり、
経済大国の仲間入りを果たしたオーストラリア。
自然と足が遠のいていたが、これを期にまた訪れるのも悪くない。

雨降りの日にBilly がくれた傘には、
あの一時代を作った「Bad Billy's」 のイラストサインが描いてある。
いつも誰にでも優しかったBilly の魂は、
消滅してしまったGreen Mount Beach の沖で
今もたくさんのサーファー達を見守ってくれている ...。
 
ありがとう、Billy ! see ya soon, mate !
| see ya, Australia ! |
あとがき
1991年、24歳の時に初めて訪れたオーストラリア。
自己主張が人一倍強かった僕は、会社にとって良かれと思ってやった事も、職場にとっては良からず(方針・趣旨・あるいは管理職の好き嫌い)と言う事を体験し、社会のシステムに矛盾を感じ出していた頃、年齢の条件ギリギリと言う事で、ためらわずワーキングホリデーで渡豪する。
日本では認められなかった事も、ここでは評価される、こう言うライフスタイルもあるんだ、と言う事に気付き、以降、意識の基盤をオーストラリアに置き、毎年のように数ヶ月通う。
オーストラリアを訪れ、たまに違和感を感じる時は、後で気付くのだが、自分の考え方やライフスタイルが日本ナイズされている時だと知る。
その後、ライフスタイルのバロメーターや軌道修正としての価値をオーストラリアに見出す。
現在は2005年の渡豪を最後に、オーストラリアの経済成長に付いて行けず静観視している。
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