ペットセラピー、音楽セラピーについて : 第1回 
緊急追悼:大野桂子さん

平成13年5月16日、資生会八事病院精神科勤務の音楽療法士、
大野桂子さんがお亡くなりになりました。 享年45歳という若さでした。

彼女は、早くからイギリスで音楽療法を学び、全音連の第一回認定士として
老人と障害児・者との臨床の現場にこだわり、常に一線で活躍されてきました。
私個人も共に音楽に興じたり、お酒を飲んだりと、お付き合いさせていただきました。

誰もがペットや音楽と身近に接することはできる現代、それらから得ることのできる、
多大な影響は、はかり知る事はできないほどの力を秘めているのです。

二十代の頃、情熱を燃やした少林寺拳法の主旨である、愛と力を綴った曲が発表になったとき
真っ先に音楽の秘めた力を一人でも多くの人に知ってもらうため
部内機関紙に投稿したことを、このような機会に思い出しました。

― 音楽は戦争や革命を起こす事はできないが、人の命を救う事はできるのです ―

動物愛好家、音楽に関わる皆さん、
もう一度それらが与えてくれる影響力を考えてみてみませんか?



大野桂子さんの経歴

英国Guildhall School of Music and Drama Post-Graduate Diploma Course in Music Therapy卒業。
1986年資生会八事病院精神科に常勤音楽療法士として就任、現在に至る。
その間、特別養護老人ホーム八事苑音楽療法士、名古屋大学医療技術短大学部非常勤講師、
愛知医療学院非常勤講師、名古屋音楽大学非常勤講師、他、各種セミナー講師等を兼任。
1996年JC主催第10回Targ賞地域部門受賞。東京音楽療法協会正会員、日本芸術療法学会会員、
日本臨床音楽療法協会役員、愛知県音楽療法研究会コーディネーター。
英国音楽療法協会認定音楽療法士。全日本音楽療法連盟認定音楽療法士。




某誌の抜粋記事より             臨床音楽療法協会誌2000年第5号の抜粋記事より



臨床の現場の”生”の感覚を伝えたい

 「無意識と言われる領域に、一般の心理療法はアプローチする事ができるのかもしれませんが、なんとなく音楽の世界と言うものは、無意識と身体の接合部分とも言うような、非常に深いところに入り込める、そういう何かがあるんです」

 現場での実践に裏打ちされた大野先生の言葉には、なんともいえない重みがある。長年にわたり、精神科という現場で、数多くの臨床のケースを扱ってきたからこそだ。

 「重い痴呆性老人や重複障害を持った子供たちのような外科医とつながる接点が希薄になりがちな人たちが、奇跡的な、コミュニケイティブな関わりを持てるようになったりするとか、そういうことがあるわけですよ。音楽だけに許された領域と言うか、そういう音楽の特殊な場所っていうのがあるんです。それは、自然科学の中で見極められた領域ではまったく無かったりする。普通に日常的な、表層的な関わりの中では絶対に達成できないところに食い込んでいって、そこから命の光なるものを提供したり、栄養のやり取りのような事を直接的にやれる場所が確かにあるんです」

こう語る大野先生は、臨床の現場、それも精神科という、音楽療法にとっては特に慎重さを要する分野で活躍している。

 「音楽療法とはいったい意識のどの辺を扱うものなのか。音楽療法がいったい人間の真相に何ができるのか、まだまだわからないことも多い。音楽が薬物のように定型の効果をもたらすものなのかもまだわからない」

とも言う。
 名古屋音楽大学では、円陣を組むように学生を座らせて講義をしている。その学生たちの座り方にもセラピストとしての大野先生は反応する。単なるhow to では無い、何か本質に感じるものを教えたいからだ。

 「自分の治療観は毎日更新されています。それは下手をすると見解が代わってしまうと言う事にもなるわけですが、やはりそのときの自分に忠実に語るようにしています。現存するさまざまな治療観を紹介し、その中で自分の治療観もある種の偏りを持つことをまず提示します。そしてそれは、日々更新している事を率直に言います。そうすると彼らも、通り一辺倒の教科書的な講義からは得られない何かを感じ取ってくれると思うのです。」

 大野先生は”性”の感覚を伝える事の重要性を痛感している。先生が勉強したイギリスでは、専門的なことを教える人は全部大学の外から読んでいた。臨床実習は最初から取り組まされた。臨床にかかわらなければ文献に書いてある事の意味は絶対にわからないからだ。

 「文献のあちこちでかかれているような事ももちろん講義で話しますが、例えば実際の現場での見方としては、こういうこともあり得るんだとか、私の臨床の香りやにおいを感じてもらうことで、文献が補いきれない事を何とか体験してもらいたいと思っています」

音楽療法という空間の可能性に魅せられて

 精神科における音楽療法には独特の難しさがあるという。

「例えば障害児などの場合に比べ、精神科の領域では立ち遅れがあるかもしれません。子供たちの世界というのは、発達ということに視点をあてたときには、例えば進歩と言う形で客観的な尺度を捕らえやすいのですが、精神科の領域においては回復する、治るっていうことは進歩ということとは若干ニュアンスが違ってきます。医師の処方無しにはできませんし、医療という枠内でおこなう緊張感には相当なものがあります」

 そういう危うさにもかかわらず、精神科には非常に魅力を感じると言う。ここ、1、2年は、個別臨床にも積極的に取り組んでいる。

「私は、臨床的に学習したものが多いですね。ここに介入しすぎると患者さんたちはしんどいんだなあとか負担がくるんだなあとか、そういう経験の積み重ねが臨床の知となり音楽療法の枠付けになっていて、その上で最近は個別臨床もおこないます。音楽療法という集団療法が多いのですが、集団に比べると個別空間というのはかなり異質なのです。分裂病の重い患者さんになればなるほど、例えば集団ではまったく自分を出さず、たった3人の集団でもしゃべらない人が、2人の空間になるとぺらぺらしゃべりだしたり、歌いだすとかね。2人きりになったとたんに、時空の質、空間の質が一変するというか、その人にとっての質感が全部変るっていうか。おそらく精神科音楽療法の制度を向上させるには個別療法の実践が必須だと思いますが、いずれにしろ、セラピストに高い技術が要求される場面だと思いますね。今は、新たな充実感と緊張感を持ってやっています」


 音楽療法はまだまだ未開拓の分野だ。そのフロンティアはあまりにも広大である。人間の意識の深層に音はどこまで食いこめるのか。どのように食いこめばよいのか。〜以下略

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音楽療法研究

Japanese Annual of Clinical Music Therapy Vol. 5, 2000           臨床音楽療法協会

■特  集「音楽療法士の養成教育」
 特集にあたって…………………………………………………………………………………………………林  庸二
 日本における音楽療法士養成現状と問題点…………………………………………………………………村井 靖児
 日本と米国の音楽療法士養成に思う…………………………………………………………………………栗林 文雄
 音楽療法士養成教育における感性化トレーニングについて…………………………………………………岡崎 香奈
 地方自治体が独自に行った音楽療法研修事業の内容と考察………………………………………………門間 陽子
原著論文
 音楽療法グループ活動で不適切行動を繰り返す自閉症児への統合的洞察によるアプローチ ……………生野 里花
 自閉症児の言葉の発達を促音楽アプローチ………………………………………大岩みどり・山本悠美子・益子  務
 パーキンソン病患者に対する音楽療法の効果
〜歌唱が肺機能に与える影響〜 ……………………………大塚 裕一
 中学男子のグリークワークにおける音楽と言語の役割………………………………………………………塩谷百合子
 音楽療法教育におけるピアノ速攻演奏習得システムの検討 ………………………………………………二俣   泉
事例研究
 水頭症児への音楽療法〜意思表出の変化〜………………………………………………………………小川 尚子
 自閉傾向をもつ発達遅滞時への音楽療法
〜外科医への気づきと言語発達のためのアプロ−チ〜………鎌倉 賀子
 ”Ur Song(普遍的な歌)”による「声」を用いた音楽療法………………………………………………………高山   仁
 音楽療法実習生の臨床技術臨床的態度に関する検討………………… 舘いずみ・池田奈央・二俣 泉・塩谷百合子
 多重障害児に対する音楽療法の試み……………………………………………………………………… 野田奈津代
 音楽療法により著名に改善したくも膜下出欠後遺症の事例…………………………………………………橋本 加寿
 音楽療法における非言語的コミュニケーション発達過程について……………………………… 薬師神彩・大原かおる
 精神科ディケアにおける阿波踊りとくんちを活用した音楽療法………………………………………………幸 絵美加
資  料
 アンケート調査に見る知的障害関係施設における音楽活動の実態 ………………………………………平林 真紀
書   評
 音楽療法の設計図 …………………………………………………………………………………………… 青  巧美
 
響きの器 ……………………………………………………………………………………………………… 大野 桂子
 「音楽療法の実践高齢者/緩和ケアの現場から」 ……………………………………………………………古賀 幹敏
臨床音楽療法協会第6回大会・第4回講習会を終えて……………………………………………………志水 哲雄
バーバラ・ヘッサ−教授を迎えて……………………………………………………………………………村井 靖児
臨床音楽療法協会第6回大会印象記…………………………………………………………………萩野・鎌田・平林
第9回世界音楽療法会議の報告…………………………………………………………………………………貫  行子

多田・フォン・トゥビッケル・房代著

響 き の 器(人間と歴史社) 

音楽療法に関する出版物が年々数を増し多様化していく中、いわゆる「学術書」といった枠を乗り越えて音楽療法が語られる機会も増えている。より柔軟、多次元的に音楽療法という現象が捕えられることによって、我々はむしろその奥にある本質へと導かれていくのかもしれない。そういった意味で本書が刊行されたことは大変意義深い。一見すると、音楽療法家の体験談が綴られたエッセイ集といったところであるが、内容は学術的にも評価されるべき多くの観点を有し、そうした「本質」への示に富んでいる。音楽療法の根本的な意味論を投げかけてくるような重みのある一冊である。

 著者の多田・フォン・トゥビッケル・房代氏は日本とドイツで育まれた経験豊かな音楽療法家である。本書はその半生の中で著者自身が体験したり思案したりした事などが綴られ、束ねられたものである。これらは実に珠玉のエピソードといえるものであり、主に、音楽や音に関する音楽療法的思案、実践事例の紹介などのほか、音楽療法かになるまでとなってからのライフヒストリー的な事柄も織り込まれている。それらを通して著者は、音楽やあらゆる「生」の中に偏在する「響き」を一環としたテーマとして見出していく。文体は時には叙情的であり、誌的でもあるが、それは読者に論理の世界のみでは理解しえないような情緒、あるいは直感を介した理解をもたらすであろう。そうした描写性が音楽の世界と共鳴するのでろうか、音楽療法空間の内外に生起する様々なモチーフが実にリアルに、共体験的に読むものの胸に迫ってくる。文字どうり「響く」のである。著者自身の心のた旅、思案の旅はいつのまにか我々自身のインナーとリップへと引き継がれてゆく。

 このような特色から、評書としても、予備知識的にここで内容の詳細に触れる事は控えたい。ただ何れにしろ、この本特有の静けさと迫力は、読み手の意思や状態に拘われず、我々読者を知らずして「原点」に方位づけてしまうだろう。決して力む事の無い穏やかな「口調」は、ゆっくり確実に、著者の言う「中心の感覚」へ進ませてくれる。人の「生」に宿る「音楽」そしてそこに至る「響き」といった中核部へのトリップ様の体験は快楽的でさえある。自分自身の「中心」や「実存」をも呼びさますからだろうか。著者の思索は時に音楽の枠を越え、芸術日、そして生命現象としての形態美に及ぶが、その立体化によって却って「生命の法則」内に息づく音・音楽の形が鮮明化する。 

 おそらく本書の価値はまず、誰も言葉では示しきれないようなその場所、すなわち「音楽療法って、いったい何なの?」と言ったような音楽療法自体の存在の「所以」のようなものを、読み手側の主観の介入を存分に許す事で、この根底において実体験させてしまうようなところにあると思う。また、上記のような「生」全体に通ずる生態系、特に音楽における「表現系」とその「象徴」の「読み取り」は、ともすると「科学」の範疇からはみ出しかねず難解とされるが、これらをあきらめず探求しつづける事の意味と可能性を再認識させてくれる。しかし「響き」がそうであるように、著者の目は決してそこに留まるのではなく、一人一人固有の「響き」がまた外の世界へ、さらに広大な世界へと旅立ち、時空を超えて「響きあう」のを観る。それもまた音楽の、音楽療法の「所以」であることを感じつつ、この世のあらゆる「生」を包み込む壮大な「響き」へと広がっていく。その一方で、揺らぎならある対極を見出し移行しつづける「生」、そして均衝、脱均衝を繰り返しながら常にどこかへ向かおうとする「生」の普遍的な同性をも映し出す。

 日本とドイツを往抗する中、東西文化に誇る「普遍」なるものを著者は自ずと感じ取っていたのかもしれない。またいくつかのエピソ−ドで引用さらる歴史的な文献や書物からも、時を越えて「在る」ものへの希求を感じさせる。この大きな心的空間のスケールの中で養われた知識や経験が、著者自身の深奥に既に在った「普遍」と再び出会い、共鳴し、「響き」となり、その「器」としての著者自身を通して、この味わい深い書物となってくれたに違いない。
                                           (大野桂子)