コロナ禍、数年前の何不自由なく集い、言葉を交わしていた日常が懐かしく感じられます。当たり前のようにやっていたフェスタや体育祭などの行事が、校区の人々の心をつなぐ大切なものであったと、改めて思い知らされます。1日も早くワクチン接種がみんなに行き渡り、安心して暮らせる日常が戻ってくることを願っています。それまでは最低限のことを徹底して守り、健康に十分気をつけていきましょう。 新たなメンバーで、次のような校区づくりを心がけていきますので、よろしくお願いします。 1 平和で、安心、安全に暮らせる校区づくり 2 みんなが集い、心が通い合う、明るく活気ある校区づくり |
||
二川南校区自治会長・安村 信弘 |
(令和6年度) |
町名 | 自治会長 | 組数 | 回覧数 | 加入世帯数 | 配布総数 |
大岩町本郷 | 春日 昭一 | 8 | 10 | 70 | 50 |
大岩町南一区 | 安村 信弘 | 20 | 21 | 533 | 538 |
大岩町南二区 | 岸川 健二 | 33 | 34 | 776 | 779 |
大岩町南三区 | 前田 弘孝 | 32 | 32 | 391 | 400 |
大岩町南丘 | 伊藤 健一 | 24 | 24 | 413 | 430 |
大岩町久保田 | 石野 秀夫 | 9 | 21 | 343 | 346 |
二川町南町 | 中川 亨 | 21 | 32 | 524 | 515 |
豊清町 | 加藤 賢吾 | 10 | 13 | 160 | 170 |
三弥町 | 水鳥 正博 | 4 | 8 | 73 | 76 |
弥栄町 | 竹内 全貴 | 2 | 2 | 25 | 27 |
豊栄町 | 伊藤 芳明 | 7 | 9 | 148 | 155 |
11町 | 合 計 | 170 | 206 | 3456 | 3486 |
|
平安時代の東海道は国府(豊川)より渡津(小坂井)を経て豊川を渡り二川近辺を通って遠江国の浜松橋(浜名湖、今切)へ出た。 鎌倉に幕府が開かれてからは、鎌倉と朝廷のあった京都を結ぶ鎌倉街道として往来がはげしかった。 |
慶長 6年(1601) | 徳川家康は 東海道宿駅制度を確定し、二川宿と大岩宿を設置。 二川村は現三弥町中原、大岩村は現大岩町本郷にあった。 |
明治 元年(1868) | 二川村と大岩村は三河県の管轄下にあった。 |
11年 | 二川村と大脇新田と合併し二川村となる。 雲谷村と中原村、原村と合併し谷川村となる。 |
22年 | 二川村は大岩村、谷川村と合併し大川村となる。 |
26年 | 大川村は町制をしき、大川町となる。 当時渥美郡には豊橋町、田原町、大川町の3町があった。 |
39年 | 大川町、谷川町、細谷村、小澤村、が合併し二川町となる。 同年8月豊橋町は市制をしき渥美郡より独立豊橋市となる。 |
昭和 30年(1955)3月 | 二川町は豊橋市と合併し現在に至る。 |
55年6月 | 過大校解消対策委員会が発足し、二川校区が一丸となり新校区設立を推進。 |
56年1月 | 新校区を、久保田・豊清を含む梅田川の南側とし、その建設予定地を二川中学校周辺に決定。 |
61年 | オープンスペースを持つ学校とし、造成工事に入る。 |
61年3月 | 市議会議により新設小学校名を二川南小学校と決定。 |
62年 | 当初9町(大岩南、本郷、南丘、久保田、二川町南町、豊清、三弥、弥栄、豊栄) その後、大岩南を(1区、2区、3区)分割し11町となる。 |
63年4月 | 二川南小学校開校(市内50番目) 二川校区より分離、二川南校区が誕生した。 |
平成 3年 | 二川宿本陣まつり・大名行列に参加 |
4年 | 納涼夏祭り開催(現在のふたなんフェスタ) |
5年 | 豊橋まつり・市民総おどり参加 |
7年 | 「みんなで創ろう二川南」を合い言葉に、二川南校区コミュニティ推進委員会を結成した。 |
15年 | 二川駅(旧駅舎・明治29年開業)が改築され、南口から豊橋動植物園へ直結された。 これを機に、二川中学校の3校区(二川・谷川・二川南)が一体となって、防犯・防災・交通安全に力を注いでいる。 |