トリイフォトスタジオの批評写真塾

最終更新日 2006-10−28

デジカメ時代の写真
2006-10-28
  デジタル一眼からカメラ付き携帯まで、幅広くカメラが行き渡り、写真のショット数は
予想ができない。
 写真は誰でもが簡単に撮れ必要に応じて色々に利用されるようになった。
 そこで、アマチュアカメラマンが楽しんでいる写真の今後はどうなるのであろう。
 自分だけで楽しんで納得しているアマチュアカメラマンは別として、ただ綺麗な
風景に出会えただけで、シャッターを押しまくっていただけのカメラマンは多いはづ
である。
 今まできちっと写真を勉強してきた人は、頭の中で仕上がりの差別化が出来上が
っているが、そうでない人は違いが分からないと思う。
 人の心を動かす写真とは、ちゃんとした写真技術と構図で作家の考えが伝わってくる
魅力あるできばえのものである。
 「作家の才能に触れられる」というのが、見せられる者の楽しみになるならば、それは
本物の腕前である。
 誰でも撮れる時代こそ、差別化できる能力がめだって必要になってきた。
 これからの勉強が、うまさの勝負となるでしょう。
デジカメとフィルムカメラ
2006-6-17
 コニカミノルタとアグファがフィルムから撤退したが、今度はフジフィルムが
デジカメに圧され、価格を早くも吊り上げに掛かった。
 現実的に大安売りもあるので上がったように感じられないかも知れないが
いつも買う価格よりも、最高2割程度まで引き上げると伝えている。
 だが、普通の人はデジカメばかりなので、今は影響ないであろう。
 値上げを感じるのは、たまにフィルムカメラをひっぱりだして使う人ではなく、たぶん
リバーサルフィルムに拘っている人たちになるだろう。
 ちょとここでフィルムとデジタルの実用上の性能についてみるとしよう。
 写真はデジタルでもフィルムでも投資金額を考えなければ大した違いはないと思う。
結果、どちらでも良いのである。
 撮ったものが直ぐに必要ならばデジカメが便利だし、愛着をもって大切に使った
フィルムカメラは、知り尽くしているがゆえにmonoの大切さを教えてくれる。
 大半のアマチュアカメラマンは両方を手放せないだろう。
 よく、この両者の表現力と描写力を問う人がいるが、違うのは描写だけです。
 プロ作家においても今やデジタルのお世話にならなければ昔の、命ともいえる代表作品は
甦らなくなりました。
 
 さらに一般観者がプロ作品の原画(作者自信がが最初に作品と認めたもの)を見ようとしても
それが原画か否かは作者自身に尋ねなければ分からないのである。
 写真紙焼きサイズを決めている作家もいればそうでない人もいる。
 原画にこだわって各地で展覧会をする人、そうでない作家もいる。
 印刷物などは、写真の大きさ、色具合などすべてバラバラである。
 この色でないと作品の真意が伝わらないというものではないらしい。
 有名スターのヌード写真ならば、鑑賞者は写っているだけでよいが
 無名女性のヌードならば、肌の色艶など、撮りたかったのか  そうでなかったのか
曖昧になってしまうし、作家の訴えるものも伝わってこないと思うのだが・・・。
 写真作家でもそういう曖昧さをも含んでいるので、さほど現状で描写力は必要ないのである。
 今の時代、銀塩フィルムに裏切られた悔しさを、まだまだ使えるフィルムカメラを如何しようと
思わせる気持ちをメーカーに問うのであって、現実、写真は何も困らないのである。
 
本格的デジカメ時代
2006-2-1
 平成の万博も終わり、明けて翌年の今年、本格的にデジカメの時代が来た。
 事実上、ニコンがフィルムカメラから撤退し、一週間も置かずに名門コニカミノルタが
カメラ市場から消える知らせを聞くことになった。
 日本で最初のフィルムはコニカが作った。私のモノクロ写真時代は昭和万博まで
ほとんどサクラフィルム(コニカ)であった。
 フジフィルムをたまに買って入れると当時のペンタックスSVの巻上げが重かった
のを今、また、思い出した。
 フィルムカメラ時代がなつかしく思うのも、今だからだろう。そのうちデジタル一色
で何の不便も感じなく時が来る予感がする。
 今は、NIKONのD2XとD100を使用しているが、仕事としては写真を撮って現像を待つ
フィルム時代のほうがゆったりとして人間らしいゆとりがもてた。
 したがって、仕事と無関係のカメラは、今のところ逆らってフィルムカメラを使用している。
 何かフィルムにお金をかけると変な快感が味わえるのを覚えてのことだが何だろう。
 お金の掛からない写真ってつまらないような気分に陥る。
 思い起こすと 写真が撮りたくてもフィルムの買えない時代に私の写真の眼が育った
ようだ。ものを見るにはそういう経験も必要ではないのか、何でも手に入る時代には
創造性の心の鬱積も味わえなくなった。
 技術無しでも写真が写る時代に、作品の違いが判る一般観者が生まれてくるだろうか。
 たとえば、風景写真を見て自然現象に感動しても、趣を大事にする日本人の心の表現
まで、観者は、その中に要求してこないだろう。
 作者が気持ちを入れても、観者は写真に対して記録や現象にしか見えてこない。
 作品を見る観者は、作者を通してそれを見ていることに気づかない。自分も同じ空間に
立てば同じように写真が撮れると思って疑わないだろう。
 一般的に見るならば、只の写真のように見える作品に興味は薄れて行きそうである。
 デジカメもデジタル処理も発展途上なのに完成品であるフィルムカメラ分野を企業の
都合で取りやめ、現在、本物志向を得られない状態だ。
 行き着くところまで行ったカメラに既存の写真プリント業や印刷業が追いついて行かない。
 そういう混乱の中、カメラメーカーのカメラ分野は小規模生産であり、今後の展開は見え
てこない。
 
デジカメ時代の写真上達法
2005-8-17
 昭和万博以後、一般の人にカラー写真が急速に広がった。
 ニコンF2が発売当時はフジカラーフィルムに厚みがあり、36枚撮りを入れた時
フィルム巻き上げが途中で不可能になった。サービスセンターに飛び込み、置いてきたが
その後の回答でコダックを使用するように支持された思い出がある。
 平成万博の年、フィルムの要らない普及型デジタル一眼がブームになりつつある。
 フィルムと現像にお金が掛からなくなった現在、これから写真を習う人が被写体に
向かって撮ることができるのだろうか。
 無意味にシャッターを押し続け、その中の一枚が良ければよいのだと思い込みはしないだろうか。
 それはもう、スチール写真でなく、ムービーに近い撮影方法だ。
 写真とは詩のようなものだと、私は考えている。
 つまり、詩の言葉一つ一つが唯一の研ぎ澄まされた表現であるように、シャッターを切るときも唯一の
表現でなければいけない。
 これは、自分の写真を選ぶ方法の一つだが、デジタルを使って白黒画面に変換してみてください。意外に
写真の本筋が見て取れます。色だけに頼って美しいと思っても、構図や光の強弱、露出、ハレーションなど
また、前後で同系色が重なっているため奥行きが同化しているなど、結構写真の欠点に気づかされます。
 色がない分、表現範囲が本質に迫ってくるのでしっかりと被写体に対峙できるようになるでしょう。
 安易にシャッターを押し続けるカメラマンの方々、写真上達法の一部に入れておいてください。
 
 


続、デジカメの時代
2005-7-22
 低価格一眼レフがあっという間にデジタルカメラにも投入されて
誰でも買える時代に突入した。
 その昔、キャノンABUやミノルタのα7000などは大衆機なのに
かなり品薄状態が続くほどの大人気であった。
 しかし今では、大型量販店やネットショップで探せば楽に手に入る
ため、発売後の混乱は見られない。
 魅力ある商品の在庫があるということは、魅力がないというよりも、写真を撮るという
行為に十分満足していると考えたほうが正論であろう。
 一般の消費者は、自分の撮った写真が同時プリントされていたフィルム
時代、今見ると如何に無駄な同じようなカットをプリントさせられていたか
写真の山をみて学習してしまった。
 白黒の時代、一般の人は、シャッターを押した写真全部が欲しがった。
 それが進化し、カラー時代の同時プリントに発展したのである。
 デジタル時代に入り、写真整理術がめんどうな人々のために、コンピュータが
勝手にデータとして保存をしてくれる為、邪魔にならなくなったが、ファイリング
しないので、これからは、探すのに困難になってくるのである。
 ともあれ、プリントをしない時代に入っているが、デジタルカメラでの保存がGreg主導
なのはメーカーの身勝手なのではないか、永久保存にむかない拡張子は今でも
まるでweb専用と言い張っているようだ。
 「プリントもできます。」と言うような文句でなく、必要な写真はすぐにプリントして
おかないと質の良いプリントは望めませんと助言をすべきだと考えるが如何だろう。
 これからの時代、コンピュータは押入れのようなものだが、いったん入り込むと何処へ
しまったか、分からなくなる時代が到来するのでくれぐれも気をつけよう。
 


デジカメをペン代わりに使う高齢化
2005-6-1
 今後、否応なしに高齢化が進む。
 どんな人間でも年を取るのだが、困ったことに記憶が希薄になる。
 人にもよるが前日の食事メニューを思い出すのにも時間がかかる。
 そこで写真を仕事としている者として提案するのだが、デジカメを
メモ代わりに使うのは如何であろうか。
 日付けも入るし、接写も容易、画像も繰り返し出し入れ自由、さらに
繰り返し使えるメディアなので費用も掛からない。
コンピュータと連結して使えればベストだが、テレビでも映し出せる。
 軽く、片手で操作できる大型ディィスプレイ付きデジカメは、携帯電話
のように傍に置くと生活に役立つと思う。
 メディアのスペアを持っていれば、孫や家族の写真などを入れておくとよい。
いつでも電子アルバムとしてテレビで楽しむことができる。
 デジカメの使い方は、まだまだ使う人によって色々工夫できることと、老化を
防ぐよい方法のひとつともなる。
 筆の変わりに、考えに入れるべきかも知れないようです。


デジカメが街にあふれる今後
2005-3-13
 写真業界やプリンタ業界は、2005年にデジカメがほぼ全世帯に行き渡る数字になると
踏んでいる。これに関して写真プリントをお店に出す割合は、ショット数の2割程度とのデータらしい。
 
 今や、デジカメは、人々の中に蔓延し、記録するだけにとどまらない。
伸び続ける写真のショット数は、画像をしゃべり言葉と同列で扱い、話題を膨らましてゆく、メディア
だからである。
 せっかく手足となるまで研究されたデジカメだから正しい使い方をして欲しいものだ。
 カメラという道具は、一歩使い方を間違えれば十分人を嫌がらせることができる。
 故、ダイアナ妃もカメラさえなければあのようにならなかっただろう。
 また、トラブルといえば素人なのにカメラつき携帯ですれ違いザマ、スターを狙ってシャッター押す姿勢は、
自分の感情を抑えられない子供じみた行動であり、いくら社会現象でも、人の迷惑を考えて慎んだほうがよい。
 写真に携わっている私にとっても、結構迷惑をこうむる事実がある。スタジオ撮影やホテルなどで集合
写真を撮影している際、いきなり携帯のストロボを炊くことで、私のストロボが同調し、せっかく集めた人々
の気を散らして、はじめからやり直しになる。それを注意しているとよい写真が撮れないのでそのまま続けるが
ひどい場合は、仕事にならないので一言文句を言う。本人はプロのストロボを同調させる気はないのだが
カメラつき携帯を考えずに使うと知らない間に他人に迷惑をかけている一例でもある。
場所や状況を考えず自分勝手にシャッターを垂れ流す、そういう使い方は、是非謹んでほしいと願う。
 写真のショット数が伸び続けるのは、今の世の中、当然であるが、目的を誤った使用法は、運転中
の携帯以上に人の心に影響をあたえるので自分自身の品格が問わる。
 携帯電話のマナー違反と同様にカメラつき携帯もマナーを守ってもらいたい




写真の将来を予測する
2004-7-10
どうなるのか芸術写真分野

 デジタルで、写真ができるようになって随分経ち、写真の世界に混乱が生じるようになってきました。PHOTOSHOP系の画像ソフトを購入すると元画像を簡単に変化させることができ、一般の人たちの「写真に写っているものは、ほぼ、そのもの自身が存在するだろう」という概念は崩れました。もともとプロの撮るコマーシャルや人物写真は、より良くする目的で加工が行われていましたが、写真らしさを逸脱しないことが暗黙の了解でした。
 このような自由に変化可能な写真が存在する状況下、写真の好きな現アマチュアの人は、自分の趣味の行く末は如何なることだろうと見守っていることでしょう。
 以前にも書きましたが、アマチュアの年齢層が若者と熟年組に二極化しています。このどちらの層にも言えることですが、今までの「自分を表現する手段としての媒体が、たまたま写真であっただけ。」の心情を持ち続ければ、アマチュアにとってデジタル化は表現の領域を拡大したすばらしいものになるでしょう。
 所詮、デジタルソフトを使用した作品で表現力の基礎のない人が使った場合、人に訴える力は生まれません。逆に力のある人が、必要に応じて使えば、訴求力は増すでしょう。
 機材を揃え、使いこなすのは大変でしょうが、アマチュアの人は、なんの制約があるわけではなく、むしろ、一段高いところに機材があり、結構、これが、おもしろそうだと興味を持っていただきたい。もともと写真は、新し好きの人たちが先駆者であった歴史がありますから。
 
 
デジタルカメラの話
2004-4
知るとお得なデジタルカメラデータ保存法
 
 このコーナーを、ほぼ一年近くも更新していなかったため随分とデジタル写真の様子が変わりました。
 去年の今頃、コンタックス高級フィルムコンパクトカメラのTVコマーシャルを見られましたが、今は、デジタルカメラ一色となり、フィルムカメラは一般に忘れられた存在のようです。
 プロカメラマンやアマチュア写真家達は、完成度の高いフィルムにエールを送ることを惜しまない一方、デジタルカメラにも興味を示しています。
ここに来て安価なデジタル一眼レフも一般化する様子で、選択肢も広がりを見せています。
 その中で、デジタルカメラの撮影済みデータを何にすればよいかということは気になるところです。
 デジタル一眼で、 風景写真を保存するには、RAWが豊富な情報量を持ち最適です。 しかし、画像処理が面倒な人向けではありません。そういう人は、従来のフィルムがよいでしょう。
 という私は今現在、デジ一眼で作品をつくり、CDかハードディスクに保存する方法は見送っています(ハイライトの色域がデジ一眼では気に入らないため)。しかし、仕事では使い勝手のよいデジ一眼で楽をしています。ここでは、用途に応じてGreg/TIFF/RAWを使い分けています。
 デジ一眼が作品づくりに納得できる使用(こだわりは手前味噌)になれば、ハードディスクにRAWで保存管理することになるでしょう。
 
写真プリントの話
2003-4-26更新

知るとお得なデジタルカメラプリントとデジタルメディアプリント(その2)
 
 春になり、デジタル写真事情も変化を見せはじめています。
 デジタルカメラ使用後のプリントは、現像所の作る書き込みCDーROM(フジカラーCD)
を利用すると、画像すべてに色の修正をし、画像メディア(たとえばスマートメディア一枚に
収まっている画像)のすべてを1枚に整理してくれます。
 さらに価格も下がりCD1枚¥500が目安のようです。これはつまりフィルムのネガ現像
したものを持っている意味と同じになるでしょう。
 ここまでは宣伝のようなことを述べましたが言いたいことは今からです。
 注意しなければいけないことは、プリントは、CD−ROM書き込みの現像マンによって、色の違い
が、大いにあることを知ってほしい。色出しのうまい現像マンを選ぶと、どこの店に持っていっても、
そのCD-ROMにおさめられた色が基本となり、現像液の管理がいきとどいた店ならばほぼ同じ
色になるでしょう。
 言い換えれば、色だしのうまい現像マンを選べば、いつどこでもきれいなプリントを得ることが
でき、同時にプリントした店の現像液管理状態も明解になるということです。

 さらにデジタルカメラプリントとメディアプリントの拡大率は、今春から写真店で全紙大まで出来るように
なり、作品づくりをする方は、フィルム、現像料金を気にせずどしどしデジカメで撮れるようになりました。。
 またカビやキズのついた古いフィルム原版もコンピュータとこのシステムを使えば、昔の作品もなつかしい
思い出としてよみがえることでしょう。
 このようにプリントが銀塩フィルムと同様ならば、これからは安心してデジタルに移行できるということ
になります。
 ただし、フィルム撮影でレンズの味や色を楽しむ趣味の方はこの限りではありませんので
べつにお楽しみください。
 
 最近、東京だけの一部模擬店で、フジフィルムが行っているサービスですが
カメラ付携帯電話からIDナンバーをプリント機に入力し、その機械の前まで持ちに行けば
プリント(やや小さい)が自動的に仕上げて、待っているというお楽しみ版もあるようです。
 昨今、プリントの多様化(なんでもあり)時代において、良いか悪いかの二極化で判断できなくなってくると、
時流に乗り遅れそうに思えるのは、私だけでしょうか。

 最後にデジカメをお使いの方、コンピュータでメディアをつかいこなしている方は良いのですが、
カメラはわかるがメディアの理解がイマイチの方、増えています。
大切な写真はすぐにプリントしないと、200枚もカメラの中に保管しておくと後の整理が大変になるので、
気をつけましょう。
 



写真プリントの話
2002-10-26更新

知るとお得なデジタルカメラプリントとデジタルメディアプリント
 今年の後半になってカメラ店はデジカメとメディアに対し、基本料なしのプリント料金のみでプリント
ををはじめるようになりました。
 これは、支払う合計額が、0円プリントより安く、1カット、撮っただけでも、店頭に行けば、L判、30円程
度でプリントしてくれるのです。

 今まで、写真は、フィルムを買い、それを現像してからプリントを得ていた。それがデジカメの急速な進歩
によって、フィルム代も現像代もなしに、いきなりプリントができあがるのです。
 さらにデジカメがすごいのは、必要な写真だけフロッピー、CD-ROMなどメディアにコピーして注文すれば
無駄がでないことです。
 ご存知のように、デジカメは、コンピュータで画像が見たい願いから生まれたものですが、それがアッと言
う間に、これだけの進化です。
 
 しかし、残念なことに、デジカメの販売量に対して、いまのところ実践的使い方の指導がないので、
カメラ店でデジタルを従来の印画紙に焼いていることも大半の人々は知らずこれを利用していません。
 
 普通の人が、家庭用プリンターで出力する時、写真画質ペーパーとインキ代、さらに自分の時間もバカ
にならず、おもしろさは最初だけ、終いに、良質なプリントを作るのは必要以上入っているパック品を買わな
ければならないなど、経費の負担も、やはり、最初の頃だけだったという結末になり、プリント作業は年賀状
に向けて考慮中の進行形状態。
記念写真はカメラに入りっぱなし、撮っておけば、腐らないし、いつでもプリントできるからという気持ちに戻っ
てしまうようです。進化したのはカメラだけで、性格は変化しないようです。

 結局のところ、カメラ店にまかせていたプリント作業をテレビ宣伝を見てやってみたが、プリントを焼くことに
自分が興味を持っていないことに気がついただけのことです。
 記念、記録写真は、アルバムに残しておきたいという価値を持つだけで、普通の人はプリントまでしないの
です。 一般の人が家庭用プリンタを写真で使うのは年賀状時が大半とデジカメプリンター調査で出ています。
 
 私は、人ごとながら一般の人がどんなプリントを出力するか興味がありますが、今のところ家庭でプリントす
るには誰でも写真プリントの操作ができるようなものではなく、まだまだ、めんどうな機械なのです。
 ただし、アマチュア、プロなどの拡大プリントは画質がよくなればおもしろいかも知れません。
 アマチュアの方は、自分なりのプリントが希望だと思いますが、感動させるには、いまいち勉強不足でピン
とこないものがあります。
 私の経験ですが、デジタル写真は、従来の写真とやはり違うのを今のところ感じます。
 色の深みが少ないところ、画像がシャープすぎるところに人間のもつあいまいさが機械的な感じを嫌うのかも
知れません。
 また、それとは別に、画像処理を深く研究することによって、イメージの世界を創れる可能性があり、プロの中では
すでに実践している人もいます。
 最後に、記念、記録写真におけるデジカメは公害に対しやさしく対処できる良さを持っていることも、ネガをすぐに
捨てる人達が多い中、朗報です。
 今後、急速なデジタルカメラの普及に何が欲しく、何ができるか、わからないままに買ったデジカメは、使わない
うちに形を変えて次世代カメラへと急速に向かっているのは事実です。
 若者が、ゲーム感覚で時代について行く中、そうでないものは時代の乖離を思い知らされるかも知れませんね。




 ぶらり散歩
2002-8-3
 夏と言えば花火、若い女性の ゆかた姿が目立つようになったのも久しいが、今では、連れ立って歩く男もゆかたを愛用している。このゆかた姿が二人だったり、グループ(男女混合、女性だけ、男性だけ、若い夫婦の子連れ)だったり、また女性一人ゆかた姿でナンパなどしている姿が走馬灯のようにみえる。
 その中で写真を職業としている私は、マンウオッチングしながらカメラを持たずにスナップのフレーミングの間合いに入っている習性が悲しい。
 歩く途中で、遅まきながら発見したものが、全身プリクラの、若者利用法であった。
 街の中心にある全身プリクラ店舗(全身プリクラの品揃え豊富で楽しめる)の前でゆかた姿の男女が溢れているではないか。
 今、カメラは24時間街に溢れているのでいつでも写すことは可能だが、人物は写るがすっきりとした子供写真館風背景にはならない。全身プリクラの売りは写真館競争の激しい中、料金の安さ、シャッターを何回押しても気に入る写真が作れるまで押し続けOK、欲しい写真のみプリントでOK、多少の品質に違いは有るが、子供写真館のアルバイトさんに写してもらうよりお値打ち納得価格、また本格的写真館に行かなくても自分で納得すればそれで良し。
 この若者たちが親になった時、七五三撮影は全身プリクラになる可能性を秘めている。
 そのとき子供写真館は、全身プリクラとなり、小人数のアルバイトで衣装貸出しを本業としているかも知れない。
 いままで、我々カメラマンは、ただシャッターを押し続けていただけで、悪い言葉で言えばプロらしく館の中でバック紙とプロストロボを見せつければ素人はだませると思い上がっていたことが裏目に出た。全身プリクラは背景とプロの考えた素人だましのテクニックがお客さんのニーズにフィットしボックスとなってしまったのだ。
 お客様の人生の凝縮をさらに、心を、我々カメラマンはレンズを借りて写真にしていなかったように思える。
 一部の職業カメラマンを除いて大半の写真は見よう見真似の撮影技術で、素人臭い。
 多勢の修行中途半端なカメラマンが素人っぽい写真の方が、へたくそな修整を加えた写真よりも、お客さんには受けると連呼したため修整のイロハも修行せずに、今、修整は崩れ去った。
 スターのポスターは修整を加えてあるから綺麗で、欠点を隠した修整無しで長時間魅了させられるとは思えない。そのように考えれば、早くに気がついたものを、今となっては、誰も修整を教えてくれないのである。
修整技術も覚えないで、今後もカメラマンとして続けていく多くのカメラマンの先行きが不安で寂しいこの頃である。
 アマチュアのデジタルカメラ考
2002-3-16
 デジタルカメラは、普及とともに、いろいろな場所で使用している風景が見られるようになりました。カメラといえば使い捨てカメラやデジタルカメラが大半を占め、ひところのコンパクトカメラは、持っていても、使わなくなる傾向が顕著になってきました。
 記念写真を撮っている人をみると圧倒的にデジタルカメラなのです。
 デジタルカメラは超便利なのですが、一般の人達が撮ったメディアを開き写真の中身をみると一枚あたりの費用が0円コストという感覚に知らず知らずのうちに馴れ、写っていればいいという緊張を欠いた脱力感を写し込んでいると読み取れる映像を発見できます。
 事実、写真を写される側にとっても、シャッター音のしないカメラというのは私たちの感覚にない部分なので、リズムが掴めずデジカメの前では徐々に大胆になっていきます。
 人間の負の部分がデジタルで写るのです。以前の人物写真は、写す側と写される側の一瞬の緊張感が特性であったがそれが崩れつつあります。これはすでに新しい映像文化が始まっていると捉えたほうが写っている内容を説明し易くなります。
 つまりデジタルカメラでは費用が只なので今まで写さなかったところを気にしないで写せるようになったのです。緊張と堕落があるならば堕落側を撮る気持ちさえ持てば写せるのです。ムービーでいうならば高いコストのかかるフィルムを使用した時代ではとてもできなかったことをビデオの時代に入り、制約無しに写しまくれる幸運が訪れ、そのため、TVではご存知のような有益と思えないような番組でも作れるようになり、数を打つうちに高視聴率を連日続けるようになります。高価なフィルム時代ではできなかったことです。
 ことの善悪は大衆が決めることであって、今後は、デジカメとインターネットホームページを使い、以前は一部のプロカメラマンの十八番だったような脱力感的な負の写真映像がネット上で頻繁にみられるようになる時代がやってくるでしょう。
  
 写真を考える
2001-11
今日の、写真の使い方や見方はいろいろありますが、わかり安く理解するためには現代に氾濫する写真をどのように分けるかが重要となります。
 大半の人々にとって写真は従来どおり、家庭の記録、記念ですが、会社等では公式書類に添付し証明・証拠用に使うこともあれば、、名簿作成時の顔写真としても添付する。また、コンピュータで送るデータに利用することもあります。
 つまり写真が進化することによって使い道のほうが世の中では非常に重要になってきたのです。少し前までは一般的に写真を写すというのは、動かない証拠というような気持ちがあり、写っているものは事実であると受け止めていました。ここにきて写真は本物である添え書きが必要になる時代に突入してきました。
 写真の送り手と受け手の信頼関係がないと写真として信用はしてもらえません。大抵のトリックはできるからです。そのため、これからものごとを写真で送れというような資料は完全でなくなるでしょう。さらなる科学の発達が短期間に写真から受けていた恩恵を壊してしまったのです。
 このようなことを持ちだしたのは、アマチュアカメラマンの写真が今後どうなるかという疑問を訊かれたからです。
 私の答えとしては素材の変化はあるが、目的をもった写真であれば楽しみとしては変わらないと考えます。写真づくりを趣味の世界として楽しめば良いのです。アマチュアが写真を写す趣味の人口は、写真を写すから趣味とするわけではなく、以前から少ないのです。
 しかし、少ないからこそアマチュアの価値ある大伸し写真が人々を驚かすのです。一般の人は普通のカメラで撮って大きく伸ばす必要性がないのです。もともと大きくするつもりもないので、大伸ばしをしたアマチュアの写真をみて意外に感じるのです。
 大抵の初心者カメラマンはベテランの大きな写真を見て写真の魅力にとりつかれ”写真ことはじめ”となります。さらに、写真は奥が深いので、その魅力を知ってしまうと虜になるようです。
 写真人口は増えませんが趣味としている人たちの変化はあります。
 最近の傾向として、若い女性や年配の方が多く、カメラで自分を表現したいと思っていることが特徴のようです。もちろんカメラは自分を表現する手段ですがもう少し幅広い層にもこの魅力を知っていただきたいと考えます。

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