「 筆と書 」

 はじめに 

 今日、書道では盛んに古典の臨書が行われている。私自身古典の臨書をしてみると、まるで酒を飲んで酔ったような書き方(酔筆)でなければ書けない。では、何故このような書き方を行わなければならないのであろうか。

 筆にはいろいろな種類があり、その用途も多種多様である。単に字を書くだけならどのような筆でも書ける。しかし、ある特定の書を書こうと思えば、それに適した筆でなければ容易に書くことは出来ない。

 現代の書家の書であれば、その書で使用されたものと類似した筆を入手することは不可能ではない。では、昔の書を書く時は(臨書する時は)どうであろうか。酔筆でなければ臨書ができない理由は、筆自体が違うからではないであろうか。

 現在の筆と、古典が書かれた時代の筆とが、基本的に異質であるならば、当時の書と同じような筆使いは不可能であり、形だけを追い求める現代の古典臨書は無意味ではないであろうか。

 そこで、筆と書の因果関係を調べようと思い、遥か悠久の時を遡り、西暦八〇〇年頃(一二〇〇年前頃)、書聖空海が最澄に出した手紙「風信帖」の筆を再現することにより、古典全体を解明しようと試みた。これは報告書である。









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