由 緒

慶安元年4月、徳川三代将軍家光公は、日光山東照宮へ御参拝の折、「東照社の縁起」を御覧になられました。

 「東照(家康公)神君のお父君であられる贈大納言廣忠卿が子どものないことを憂いて、お母君であられる北の方傳通院と御一緒に鳳来寺峯薬師へ御参籠され御祈願をなされたら、その証があって、ある夜、北の方傳通院殿(於代の方)は、『東 の方より老翁が来て、金珠を与えられる』という夢を見られました。それから間もなく北の方傳通院殿が身ごもられ、12ケ月過ぎ、天文11年壬寅年(1542)12月26日に御出産遊ばされたのが東照神君でした

 三代将軍家光公は改めて東照神君への思いを新たにされ、その恩返しとして、鳳来寺薬師堂をはじめ数多
くの堂坊を再建され、また、東照宮を新設することを思い立たれました。
 慶安元年4月に御造営の旨を命じられ、四代将軍家綱の代、慶安4年辛卯年(1651)9月17日に
落成創祀されました。

 その後、16回程修理が施され、平成の大修理(平成15年・第17回修理)により創建当時(約360

年前)の美しさを彷彿されます。
 
   
 
[言い伝え]
 家康公が誕生した時、鳳来寺の本堂に祀ってあった真達羅大将(寅の神)が忽然といなくなった。そして、家康公が亡くなられた時、突然、真達羅大将が現れた。
 だれ言うとなく、家康公は真達羅大将の生まれ代わり(化身)だと・・・・・・・・・ 寅童子
 

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