禅のこみち

仏具のはなし


木魚
木魚

木魚のはなし
 あらためて説明するまでもありませんが、木魚(もくぎょ)は、おのリズムをとる仏具です。しかし、そのはじまりは、人々を集めるための道具だったようです。なぜ、「魚」が(ほ)られているのかは、いろいろな説がありますが、魚は昼も夜も目を開いていることから、「人々を目覚めさせるため」とも、「修行も魚のように昼も夜もなく努めるものだ」という理由ともいわれています。木魚は中国で生まれ、日本には江戸時代に黄檗宗(おうばくしゅう)という禅宗(ぜんしゅう)とともに伝わりました。

 木魚には「もうひとつ」あります。それは、魚鼓
(ぎょく)と呼ばれるもので、文字どおり、魚の形をした木の板でできています。おもに、食事の時間を知らせる時にたたかれました。




袈裟のはなし
 袈裟(けさ)とは昔のインドの言葉「カーサーヤ」を音訳したもので、「赤褐色(せっかっしょく)」の意味です。音訳とは、意味を翻訳するのではなく、現地の読み方をそのまま漢字に当てはめるものです。たとえば、昔「アメリカ」を「亜米利加」と書いたようなものです。

 お釈迦
(しゃか)さまの当時、袈裟は人がてた布を(ひろ)ってつくられたといわれています。色も原色(げんしょく)(赤・青・黄など)をさけ、布を何枚もぬい合わせたものでした。人々が十分に使いふるした布を身に着けることで、どんなものでも大切に使わせていただく気持ちを、修行者たちは思い起こしたのかもしれません。

 袈裟
の形には、ある話があります。それは、お釈迦さまがある日、弟子の一人と田んぼのあぜ道を歩いていたときのことです。田んぼの青々とした美しさを見て、お釈迦さまは、「この田んぼのような形を、修行者の服装に取り入れられないか」と言い、弟子がそのとおりにしたのが現在の袈裟の形になったといわれています。田んぼにをまけば、やがて実のなるように、修行に努めれば、やがてさとりを得られるようになるのだとの、お釈迦さまの教えが袈裟にはあらわされているのでしょう。



数珠


数珠のはなし
 数珠(じゅず)は、みなさんにとって最も身近な仏具だと思います。しかし、もともと仏教のものではなく、インドで仏教よりも古いバラモン教で使われていたものを、仏教に取り入れたといわれています。バラモン教では、となえた呪文(じゅもん)の回数をかぞえるために使われました。

 やがて、数珠は奈良時代に中国から伝わりました。の数は、人間の煩悩
(ぼんのう)の数といわれている「108」が基本ですが、大きさによって半数の「54」だったり、さらに半数の「27」や、「18」だったりさまざまです。みずからの煩悩に気づき、少しでも心をらかにするために数珠を持つといわれています。



五色幕
本堂色幕

五色幕のはなし
 五色幕(ごしきまく)にあるそれぞれの色は、「5つの智慧(ちえ)」をあらわしています。ちなみに仏教でいう「智慧」とは、のことではありません。次から次にあふれてくる人間の欲望をむなしいものだと知り、物事をありのままに正しく見つめていくことを「智慧」といいます。

◆ 青 …… 「成所作智
(じょうしょさち)
(あらゆるものを完成にみちびく智慧

◆ 白 …… 「平等性智
(びょうどうしょうち)
(すべてのものが平等であることを知る智慧

◆ 赤 …… 「法界体性智
(ほっかいたいしょうち)
(物事の本質を明らかにする智慧

◆ 黄 …… 「大円鏡智
(だいえんきょうち)
のように、あらゆるものを差別なく見ることのできる智慧

◆ 黒(緑) …… 「妙観察智
(みょうかんざっち)
(平等であっても、それぞれ違うものであることを知る智慧



天蓋
本堂天蓋

天蓋のはなし
 天蓋(てんがい)は、もともとインドで身分の高い人が日よけの(かさ)をさしていたことにします。また、お釈迦さまが説法するときに、強い日ざしをさけるために信者がしたするともいわれます。それが、いつしか仏像の上に飾られるものになり、本堂にも飾られるようになりました。



法鼓


法鼓のはなし
 法鼓(ほっく)は、お施餓鬼会(せがきえ)彼岸(ひがん)法要などの儀式のときに、僧侶(そうりょ)本堂に入ってくるまで打ち鳴らされます。人々に儀式のはじまりを音で知らせる役割をたす仏具です。



半鐘


半鐘のはなし
 半鐘(はんしょう)も、儀式の始まりを知らせる仏具の一つです。


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