萬福寺の歴史

臨済宗になる前

本尊の大日如来

 萬福寺の歴史は寛治5年(1091)、平安時代の後期に始まると伝えられています。このことから萬福寺は、はじめから臨済宗ではなかったと考えられます。日本に初めての禅寺である聖福寺(しょうふくじ)が、栄西禅師によって九州の博多に建てられたのが建久6年(1195)だからです。

 それでは、萬福寺は最初、何の宗派だったのでしょうか?推測ですが、本尊(ほんぞん:お寺の中心となる仏さま)が大日如来であることから「真言宗」であったのではないかと思われます。禅が日本に伝わる前の仏教の中で、本尊さまが大日如来というのは、真言宗に多くみられるからです。

 ちなみに天台宗は釈如来、浄土宗は阿弥陀如来をご本尊としていることが多いですが、萬福寺のようにお寺の由来によってさまざまです。ご自身の菩提寺の本尊さまがどのような仏さまか、見てみるといいかもしれませんね。


臨済宗になってから

萬福寺本堂と山門

  臨済宗としては、萬福寺は要関紹印(ようかんしょういん)というお坊さまが、雪江宗深(せっこうそうしん)という徳の高いお坊さまを招いて開かれました。室町時代のころのことです。

 お寺を開いた雪江宗深禅師を「開山(かいさん)」、開く手助けをした要関紹印禅師を「開基(かいき)」といいます。「開基」はお寺を開くため、お金を出してくれた檀家さんをいう場合もあります。

 はじめは鎌倉の建長寺派でしたが、天正年間(戦国時代)に戦火に焼かれたのち妙心寺派になり、現在にいたっています。

 鎌倉時代には源頼朝の保護を受け、江戸時代初期の慶長6年(1601)には徳川四天王の一人、酒井忠次からお墨付きを与えられました。しかし残念なことに、それらは昭和3年(1928)の火事によって失われてしまいました。

 なお、現在の本堂は昭和5年(1930)に建てられたものです。


萬福寺は寺子屋だった

朴道和尚の歌碑

 萬福寺は寺子屋でもありました。寺子屋ではお百姓さんの子供たちが「読み・書き・そろばん」を学んでいました。

 幕末の嘉永年間に、住職であった岡部朴道(おかべはくどう)が先生となり、寺子屋が始まりました。寺子屋は全国的に幕末から明治にかけて広く普及し、豊橋には約250余りあったといわれています。

 しかし萬福寺の寺子屋は、明治6年(1873)に廃止となりました。明治の新しい教育制度ができ、藩校(武士の子供の学校)や寺子屋は整理されたからです。明治7年には「橋良(はしら)学校」が現在の橋良町にある正光寺(しょうこうじ)にでき、朴道和尚もそこの先生になりました。

 萬福寺の境内には、当時の教え子たちが建てた朴道和尚の歌碑があります。碑の表は「朴道翁之碑」とあります。裏には朴道和尚の辞世の句と思われる歌がきざまれています。

 また同じころ、寺子屋の先生だったお百姓さんの近藤亀蔵という方の墓碑が萬福寺にあります。やはり教え子たちによって建てられたものです。