東北へ | |
2011年4月19日 | |
石巻市立 門脇中学校 | |
今回訪れた中で最も大きな体育館で、多くの方が被災生活されています。せめてダンボールの仕切りでもあれば、少しは落ちついて暮せるでしょうが・・・・・ ただただ、邪魔にならぬように高石は静かに歌わせていただきました。 |
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石巻市 向陽地区公民館 | |
石巻市 吉田地区公民館 | |
4月20日 | |
気仙沼市立 階上中学校 | |
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「あの人、誰かわからんわ。」と声をかけてくださった、30代くらいの被災されている女性。「高石ともやというフォークソング歌手です。皆に頑張ろうと言わないで、静かに励ましたいと言ってここに来ました。」涙をいっぱい流しながらずっと聞いてくださいました。どんなに、つらいことがあったのか。それは聞けずに「また、来させてください。気をつけてください。」と帰路に着きました。 |
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気仙沼市立 面瀬中学校 | |
体育館に入るなり、「お、高石ともやさん!」と天から高石が降って来たように驚いてくれた60代くらいの男性。高石が「たいへんだったねえ〜」と声かけると、「皆一緒だから、僕だけ被災したわけではないから。」と、明るく淡々と答えてくださいました。寝ておられた奥さんを起こしに行って近くで一緒に聞いてくださいました。 | ![]() |
気仙沼市 浄土宗 浄念寺 | |
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浄土宗お坊さん「ひとさじの会」の方々による。お蕎麦の炊き出しのあと、歌いだしました。 大阪府警の方も8人程聞いてくださいました。 聞いてくださっている被災者の気持ちを想いながら、静かに歌っていた高石に、同年輩の女性から 「よかった〜もう一度、さっきの海の歌をうたってください。」とリクエストがありました。大津波で海に飲み込まれた漁師町、海を見るのも嫌なのでは、海の歌を聞いてもらえるかな〜と気にしていた、高石。勇気を持って歌ったら、皆さんも一緒に歌ってくださいました。 |
海に向って 【詞】 笠木透 【曲】 A,P,カーター *わたしはひとり海に向って 立っているのです 海の風に吹かれながら 立ちつくしているのです こわれる 世界を 止めようも ありません 何が 私に できると いうのでしょうか *(繰り返し) あふれる 想いを 止めようも ありません わかって いるのに どうにも できないのです *(繰り返し) 流れる 涙を 止めようも ありません それでも それでも 精一杯 生きたいのです |
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歌い終わって外に出て、野良猫と話していたら、70代くらいの女性が話しかけてくださいました。「鹿折唐桑駅のプラットフォームまで逃げたら『大津波が来るぞ〜ここも危ない!』と言われ、山のほうに逃げたのよ。水が膝まで来たのよ。何もかも失ってしまったわ。」と話してくださいました。また、お会いしたいです。 | |
気仙沼市立 鹿折中学校 | |
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気仙沼市立 新月中学校 | |
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4月21日 | |
大槌町 大念寺 | |
北へ行くほど、被害がひどく、自衛官やボランテアの姿も見えなくなります。 気仙沼と同じく津波の後、3日間燃え続けた大槌町は被害がより甚大です。言葉になりません・・・ 国道から登って行くと、大槌小学校があります。小学校の左上に上下二本の木があり、下の木は焼け焦げていました。 小学校の上に大念寺があり、「小学校のお陰で、お墓も、お寺も、流されずにすみました。小学校の横まで水が来て、ぐるぐると回っていました。」 お寺の方々も火を逃れるため山へ避難されたそうです。「町内ではうちのお寺だけ残ったのです。まだ1、000人の方が行方不明です。」とご住職が話してくださいました。 宗派を越え、他の被災されたお寺のご住職も大念寺に避難されています。安置されている200霊に手を合わせました。 ご住職やてきぱき働いていらした女性たち、私たちは何もできなく歯がゆいですが、、、祈っています。 |
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高石ともや事務所 中田ゆり子 |