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走る
何を目標にするか  河合隼雄(心理学者)       

 高石ともやさんと話し合いをしたことがある。高石さんは歌手であり、マラソンランナーでもあるユニークな人である。
人間の生きる姿を歌った高石さんのフォークソングはなかなか素晴らしい。
「家族関係の意義」などと題したわれわれ学者の講演を聴いたりするよりも、高石さんと一緒に「高石ともやのファミリー・フォーク」を歌うほうが、よい家族関係をつくるのにはるかに効果がある、と私は思っている。
 マラソンといっても、高石さんはアメリカ横断などというのをするのだから、まったくよく走れるものだと思うが、その秘訣のひとつは、高石さんによると、「あっ、あの雲の下まで走ろう」とか、「山がだんだん近づいてきたぞ」とか、自分の走っている周囲の自然物をある程度の目標にして走っていると、どんどん走れるのだそうである。「数字にこだわって走っていると、やたらに疲れるのですよ」と言われる。
 今日は何`メー卜ル走ろうとか、時速何`で走るとして、今日は`ぐらい走ったとか、数字にこだわっていると、なんだかだんだんとしんどくなってくる。今日はまだ何`しか走っていないなどと考え出すと、重荷を背負って走っているようになってくる。ところが、雲や木や山や、その他の自然物などを相手にしていると、知らぬ聞にどんどんと走れるのだそうだ。
 それでは、オリンピックのマラソン選手などはどうなのだろう。
マラソンといっても一分一秒を争う勝負になる。五`メー卜ルごとのタイムはどのくらいか、自分のこれまでの記録と他のライバルの選手の記録と比較するとどうか、そこには「数字」がいっぱい浮かぶことであろう。
ところで、確か有名なマラソンランナーだったと思うが、自分はただ「次の電柱まで、次の電柱まで」と思って走ったという言葉があったと思う。
 プロ」のスポーツ選手である限り、「数字」に関心のない人はないであろう。相撲の世界にも「星勘定」という言葉もある。しかし、この選手の言葉にあるように、|数字」にこだわらずに走るところに妙味がでてくるのではないだろうか。「プロ」の選手であるかきり、「数字」が気になら
ないということはないであろう。といって、それに「とらわれ」ていると、かえって駄目になるのではないだろうか。高石さんの言うとおり「疲れが倍加してしまう」のは、「プロ」の選手でも同じであろう。
[数字」のことをどこかで念頭におきつつ、それにとらわれずにいることを、プロでも大選手と言われる人は、うまく見いだしているのではないかと思われる。
 人生もマラソンにたとえられたりするが、われわれが人生マラソンを走っていくうえで、「数字」にこだわっていないか、考えてみるといいであろう。「自分は何点をとったか」「席次は何番か」「何平方bの土地を買ったか」「年収はいくらか」。確かにマラソン人生も数字に満ち満ちている。そして、われわれは「数字」にとらわれてしまって「やたら疲れて」いないだろうか。
 人生マラソンにおけるさまざまな「数字」が嫌になるのは当然である。それを無理に気にしないでおこうとすると、疲れはもっとひどくなるだろう。「俺は気にしない」と大声で触れ歩いて、周囲の人を疲れさせるのも芸がない。とすると、数字を気にしながらも、自分の人生マラソンで、「あの雲まで」とか「山が近づいてきた」といえるような「風景」がどのくらい見え、とのくらい楽しめているかと考えてみるのがいいのではなかろうか。数字では計算できない人生の風景をどのくらい自分は見ているのか。人生のマラソンは、その到達点である「死」に早く着いた人が「勝ち」などということはない点を考えるならば、途中の風景を楽しまずに、まっしぐらに走る馬鹿さ加減も分かってくるだろう。
■ 大会出場暦 ー アメリカ横断マラソン ー  ” 走る ” 高石ともや 
誰がつけたかそのあだ名、登りの名人”アップ・ヒル・トミー”

ー アメリカ横断マラソンー(1993年)より ー


年にふさわしく
  風にふさわしく
病気の時は 病気のままに
  元気な時は 元気なままに
    走りつづけようと思います

そしていつものあいさつですが
  走る人にも 走らない人にも
    走れない人にも いつも 
いい風が 吹きますように

ありがとう
          
         − 高石ともや -