ウェイン・レイニーのGP500デビューイヤーとなった88年、彼の評価は決して高いものではなかった
開幕の鈴鹿で劇的な勝利を飾ったケビン・シュワンツ、ヨーロッパラウンド開幕戦でローソンに競り勝ったケビン・マギー・・・彼らの放つ強烈な光が前年のAMAチャンピオンに影を落としていた
このポルトガルGPを冠したヘレスで、レイニーはたまっていた鬱憤を爆発させるかのようなスタートダッシュでレースをリードする。シュワンツがトラブルでリタイアすると、ついていけるのはチームメイトで彼よりも若いゼッケンを付けるケビン・マギーただ一人という状態になった
しかし、彼を後年まで悩ませる”魔”が忍び寄ってくる
残り10周を切った頃から、彼のダンロップタイヤが悲鳴を上げはじめる
それでも超人的なコントロールでラップタイムをキープしていたが、彼の背後にはもうひとつの敵が追い上げてくる・・・
エディ・ローソンは灼熱のヘレスで終盤レイニーを1秒近く上回るラップタイムでその差を詰めてきた。そして残り2ラップ、ついにローソンにかわされたレイニーは、ガッツポーズでチェッカーを受けるミシュランタイヤを履いた同じマシンを10数メートル後方から見つめていた・・・
勝てたレースだった。灼熱のヘレスでなければ・・・ローソンと同じタイヤだったら・・・しかしそれは言い訳でしかない。このレースが初の表彰台だったレイニーの評価は、パドックでは所詮”善戦”でしかなかった
この後、彼は第12戦英国GPで念願の初優勝を遂げる。GP屈指のテクニカルコースのドニントンパークでの勝利は、彼に大いなる賞賛をもたらすはずだった・・・
しかし、このイギリスでの勝利は別の意味でのセンセーションを巻き起こした
レイニーのマシンに装着されていた”カーボンディスクブレーキ”・・・遂にトップチームが実戦投入に踏み切ったこのパーツは、レイニーが120%のライディングで勝ち取ったレースに「カーボンブレーキのおかげで・・・」という枕詞を付けることになってしまった
ローソン、ガードナー・・・そしてシュワンツ、ドゥーハンといった歴史に残るライダーたちと同時期にGPを走り、3連覇を成し遂げたウェイン・レイニー
彼の真の偉大さを理解していたのは、一緒に走った彼らだけだったのかもしれない
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