80's Memory  


#3

孤独の英雄(86' TBCビッグロードレース) 

featuring, Tadahiko Taira


 
 この年、世界GP250ccクラスに参戦した平忠彦の最終戦での勝利は、NHKのニュースまでが報じるほどの大事件だった
 日本中のレースファンが、日本の”英雄”の活躍を知ることとなり、GPシーズン終了後の国内レースに押しかけた

 平はその期待を裏切らなかった。全日本最終戦の鈴鹿、ホンダの事実上のエースに成長したワイン・ガードナーとの一騎打ちを制した平は、このSUGOのイベントレースで王者エディ・ローソンと真っ向勝負をすることとなった

 ヤマハは平のマシンをイベントレースとは思えないほどの体制で整備し、対するローソンもGPチームを引き連れてやってきた。予選の合間にカートに興じていたローソンは、最後にはキッチリとポールタイムを出して貫禄をみせた

 レースはマモラ、ボールドウィンのチーム・ロバーツ勢がじわじわと遅れると平とローソンの一騎打ちとなった。誰もが鈴鹿での勝利の再現を予感していた・・・

 やがてその時はきた
 これまで再三シケインでアウトから仕掛けていた平に対し、当然のようラインを外寄
りにとるローソン。しかし最終ラップ、平はその空いたローソンのイン側を差し、そのままフィニッシュラインまで逃げ切った。その差、わずか3/100秒・・・

 レース後、平に対して大げさにおどけて見せるローソン。最高の結末に観衆は大いに酔いしれ、翌シーズン満を持して500ccクラスに参戦する平の活躍を確信した

 しかし、平の心のどこかに割り切れないモノがつかえていたことは想像に難くない
 「3年連続で全日本の500ccクラスを制した自分が、なぜ250ccで参戦しなければならなかったのか?」

 ガードナーにも、ローソンにも勝ったことが、かえって彼の疑念を増幅させたのではないだろうか
 肉体的にも、精神的にも最も充実したシーズンを、慣れない250との格闘に費やした彼の無念はどれほどのものだったろうか・・・

 翌年、彼は自らが中心となって開発したマシンで世界GPの500ccに参戦する。しかし、250で過ごしたシーズンの影響か、87’YZRは歴史的失敗作との烙印をおされてしまう・・・

 寡黙な彼は、最後までチームにもヤマハにも恨み言ひとつ言わずに、第一線を去っていった

 
 

 

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