「ライダーにとって、初優勝というのはやっぱり特別なものなんですか?」
motoGPのBS放送で解説をつとめていた坂田和人に、NHKのアナウンサーが尋ねた
「そう…ですね。やっぱり…」
言葉少なに、伏し目がちに坂田は答えた
1990年代、多くの日本人ライダーがグランプリ・サーカスの仲間入りをした。中でも125ccクラスを走る日本人ライダーたちの多くは、メーカーとのつながりを持たないプライベーターとして参戦した
彼らは独力で英語やイタリア語を身につけ、その才能あふれる走りで本場のチーム・ライダーたちに認められ、これまでの日本人ライダーに対するイメージを一新させた
そんな新世代日本人グランプリライダーの筆頭が坂田和人、上田昇、若井伸之の3人だった。彼らは91年にともに125ccクラスに参戦するや常にトップ争いに加わり、上田の2勝をはじめ翌シーズンもチャンピオン争いを繰り広げた
93年、3人の中で一番長身の若井が250ccにステップアップした。スズキワークスに迎えられた彼の将来の栄光を誰もが確信していた。もちろん、坂田も上田も…
あまりにも突然の悲劇だった
予選2日目、コースインしようとフル加速した若井の前に、突然人影が現われる。立ち入り禁止区域にいたその観客は、オフィシャルに促されピットエリアに戻ろうとしてピットロードを横切ろうとしていた
アスファルトに叩きつけられた若井はそのまま帰らぬ人となった。一方、彼の手がクッションとなり、その観客は軽傷を負っただけだった…
翌日、一度は出走をキャンセルしようとした坂田だったが、直前に行われた250ccの原田哲也の劇的な優勝に刺激されたのか、誓いをあらたにスターティング・グリッドに付いた
スタートしてすぐにトップに立った坂田は、そのまま中盤にかけてリードを広げるが、チェッカーが近づくにつれてペースを乱す…まるで彼の心の内を写すかのように…
ワルドマンの猛追をしのぎ、ついにグランプリ初優勝を果たした坂田。シャンパンファイトのない表彰式で、勝者はただ天を仰ぎ、涙にくれていた
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