YSR80 by YAMAHA  


CODE NAME 2GX
PRODUCE/YEAR YAMAHA 1987
ENGINE 2stroke 79cc
POWER 8.8hp/8,000rpm
MAX TORQUE 0.81kg-m/7,500rpm
Length/Width/Height 1,575 / 635 / 930 (mm)
DRY WEIGHT 75kg
TRANSMISSION 5speed return
FUEL/OIL CAPACITY 8.0/0.7 (L)
SPARKPLUG NGK BR8HS/BR8ES  ND IWF24
BATTERY なくても走る
with me
1987-1994 (8years)

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黒ずくめは逆に目立つんだよね

 まわりの友人たちが就職活動がどーのこーのと騒ぎ出した頃、突然前から暖めていたアイデアを宣言した
 「オレはレーサーになる」

 その頃乗ってたファミリアを売ってツナギとマシン=YSR80を買った
 本当は80ccにテック21カラーはないんだけど、バイク屋さんに頼んで50の外装を乗っけてもらった

 その頃、ミニバイクレースは全盛期。田舎の小さなサーキットさえも練習走行日から熱気ムンムンである
 いきなり目の前走ってたヤツがコースアウトしてコース脇の木に激突した。最終コーナー前でコケたヤツはヘルメットを脱がすと血を吐いて倒れた・・・

 でも、コワいとかは全然感じなかった。コースで見る景色はテレビで見るオンボード映像そのまんまだったし、リアの滑りも慣れれば心地よかった

 でも、ひとつだけ「ついていけない」ことがあった

 それは無理矢理にでもインに入ってヒジで相手を押し出してまで前に出ようとする連中が多かったこと・・・


 レースなんだから、結果として着順が前のヤツが勝ち、なんてことは百も承知している。でも、”速い”ヤツじゃなくて”強引なヤツ”が成績を残して評価されるような世界に、僕は魅力を感じなくなっていった

 そんなとき、僕は予選レースでチームメイトとバトルの最中、彼のクラッシュに巻き込まれてコースアウトし、予選落ちした
 レース後、彼は「ごめん」と誤りにきてくれた
 「いいよ。全然気にしてないよ」心から言った

 もう僕は気づいていた。自分がレーサーにとって致命的に資質に欠けていることに・・・  

 僕には「勝ちたい」という闘争心がまったくなかった。対向車も、信号機も、飛び出してくるガキンチョもいないコースで、気持ちよく走りたかっただけなんだ、ということに・・・



ゼッケン21だったらカンペキだったのに・・・

CAGIVA 80?


実はカウル内側はガムテだらけ・・・

 レースをやめても、YSRにはちょこちょこ乗ってた。でも、だんだんテック21カラーが恥ずかしくなってきた・・・「いっちょヤルか!」

 ホームセンターで水性塗料のスプレーを買い込み、ガレージにこもること1週間で真っ赤なカジバ80ができあがった

 ゼッケン7はもちろんエディ・ローソンのレプリカ(本当は彼がデイトナで乗った”バンス&ハインズ”のカラーにしたかったのだけど、色数が多いし・・・デザインが複雑だったし・・・)。

 予想外にキレイにできたので、嬉しくてあちこち走り回った

 ある日、いつものようにガソリンスタンドへ行くと、新米サンが給油してくれた
 そしてノズルをタンクから抜くとき・・・「あっ!」
 ガソリンがダバーっとタンクの上を流れた・・・

 そのときは気が付かなかったが、家に帰ると・・・「塗装がぁーーーー!」Σ(゚д゚lll)ガーン

水性塗料はあっさりとろけていた・・・

 どうせボロボロなんだから・・・と、久しぶりにミニバイクコースへ走りにいった

 パチンコ屋の駐車場の一部にタイヤを並べて造られた特設コース。1周わずか30秒弱で走れるコースだけど、近いし安かったのでちょくちょく走りに行った

 ある日、管理人のオジサンと話してたら「この前、青木兄弟の末っ子が来た」という。なんでもオジサンは昔から青木兄弟と知り合いらしい
 「で、アイツら何秒くらいで走るの?」
 「んー、25秒くらいかな」

 僕のベストタイムより3秒も速かった・・・


 やがてYSRも酷使されてきたツケが回ってくる
 エンジンがかからなくなり、キャブを組み直してもアイドリングしない。マフラー焼いても、エアクリ換えてもダメだった

 結局、そのままガレージセールで旅立っていった



カジバ初優勝記念モデル



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