Z400FX (E4) by KAWASAKI  


CODE NAME Z400-E4
PRODUCE/YEAR KAWASAKI 1982
ENGINE DOHC 399cc
POWER 43hp/9,500rpm
MAX TORQUE 3.5kg-m/7,500rpm
Length/Width/Height 2,100 / 795 / 1,155 (mm)
DRY WEIGHT 192kg
TRANSMISSION 6speed return
FUEL/OIL CAPACITY 15.0/3.0(L)
SPARKPLUG NGK D8EA / ND 24ES-U
BATTERY 12V12AH
with me
1985-2000 (16years)

History of FX & me


もちろん、目指すは「あいつとララバイ」

 車検込み(当然消費税など存在しなかった)で25万円・・・これが当時(1985年)の相場

 街には48馬力の400ccがあふれていた。GSX、CBX、GPZ、XJ・・・すでに”1世代前”のバイクになってしまっていたFXだけど、これで新型をブチ抜くのがカッコいいと信じて走り続け
る・・・しかなかったんだな。貧乏だったし・・・

ハンドル トマゼリ セパレート
ステップ

マックレーン

マフラー モリワキワンピース
リアサス カヤバ
スタビ キジマ
その他 ウィンカー、ミラー、ブレーキホース

 やがて時代は空前のレプリカブームへ・・・

 フルカウルの2スト250ccは45馬力、400ccに至っては59馬力にまでパワーアップされ、
FXはもはやただの重い単車になってしまった・・・

 それにところどころくたびれてきたので、エンジンのオーバーホール&450cc化。そしてハンドルはコンチに、マフラーもKERKERへと”オトナのバイク”へと変貌していった・・・てゆーか正直、レプリカと張り合うのに疲れたんだよ

エンジン

モリワキ450ccキット

マフラー KERKERメガホン
オイルクーラー キジマ
ステアリングダンパー NHK



メットはレプリカだけどね・・・

Touring in OKINAWA(April 90')


沖縄本島、最北端のあたりの峠

 まわりのバイク乗りがみんな「北海道、でっかいどー」などと騒ぎ出した。なんか不愉快なので、沖縄に行くことにした

 大阪から那覇まで通常30時間ほどらしいのだが、低気圧の直撃を受け大揺れ40時間。出航までサンシンを弾いてた船員までリバースしてやがった

 那覇の港で船から下り、走り出した最初のカーブでコケそうになった。沖縄の道路はメチャ滑るのである
 おまけに大シケの船倉で海水をたっぷり浴びたFXはそこらじゅうに
サビが・・・
 最初に見つけたガソリンスタンドで「CRC貸してください」とお願いするが怪訝そうな表情・・・「あの、潤滑剤のスプレーを・・・」というと、「あ、あれね!」といって見たこともないブランドのスプレーを貸してくれた。沖縄にはCRC5-56がないのか?

 ほかにも、ふつうの街道沿いのスタンドにハイオクがなかったり、消費税がなかったり、いろんなカルチャーショックを体験した

 


 さて明日は帰りのフェリーに・・・ということで南部戦跡を巡る

 ひめゆりの塔の道を挟んだところにあるおみやげ物屋が「ひめゆりそば」とモデルガンを売っていた・・・アメリカ人のバスツアーが笑顔で写真を撮りまくっている・・・

 那覇へ戻ってきたところで悲劇がおきる。突然のスコールにリアタイヤをとられ、コケてしまった

 しかも場所は沖縄一の繁華街、国際通り。修学旅行の高校生に思いっきり笑われた
 乾燥で200キロの車体+大荷物の下敷きになった左足に力が入らず、地元の人何人かに手伝ってもらい、
やっと車体を起こした

 翌朝、ひん曲がったシフトペダルを無理矢理伸ばし、フェリー乗り場へ・・・船の中で靴を脱ぐと左足の親指が3倍くらいに腫れて青くなってた
  (今でも左足の親指はほとんど曲がらない)


よくこのポジションで1000kmも走ったなぁ・・・

Touring in OKINAWA(April 91')



右のオフ車は芦屋から来た女の子
身長180cm!両足べったり!
 前年セパハンで最後には首が回らなくなった経験から、一文字ハンドルを装着、ついでにマフラーもノーマルにしてみたら・・・これが乗りやすいこと!楽々大阪まで着いてしまった(普段は何なんだ・・・)

 フェリーも前年死ぬほど揺れた琉球海運に見切りをつけ、その4倍はあろうかという有村海運の飛龍2号に。プール付きで、うっかり寝過ごすと台湾まで行ってしまうというほどの豪華客船だ
 (後で知ったが、この年琉球海運はカラオケルーム、ラウンジ付きの新型の超大型船を就航させていたらしい・・・shit!)

 おかげで体調バッチシで現地到着。とりあえず本島中部で2泊キャンプ。ステーキ食って、ミリタリーグッズを買って、泳いで(寒かった!)存分に楽しんだあと、念願の離島(といっても本島のすぐ横)の伊江島へ向かった

 島のホテルで2泊予約し、とりあえず走り出す。と1時間で回ってしまった。ヒマなので山登りをしたり、米軍の滑走路に入り込んで走り回る

 そして島唯一のレストランで晩飯を食べてホテルに戻ると、案の定、客は僕一人だった・・・てゆーか、島全部で僕一人だったと思う

 翌朝、再び走り出す。が、もう回るところなどどこにもない。しかし明日まで宿はある・・・しょうがないので一日中日光浴をして、夕方レストランへ行くと・・・休みだった

 ホテルへ戻り、英語のチャンネルを延々と見続ける。なんか食欲もなくなってきた・・・

 次の朝一番のフェリーで島を脱出。どうにもにぎやかな場所へ行きたくなり、那覇の中心部のホテルにチェックインし街をうろつく
 しかし、まったく食欲がわいてこない。A&Wのハンバーガーを1つ食べるのがやっとだった・・・



島でヘルメットかぶってるのは僕だけ・・・



沖縄の象徴、ルート58。基地と海の間を走る

 
 思えば伊江島に着いた日からまともに食事をしていない
 国際通りを歩いていても、何かフラフラする・・・

 「このままでは大阪から家まで(約250キロ)走って帰ることができないかもしれない・・・」そんな不安もあって「何か食べなきゃ」と思い、ホテル近くの喫茶店に入った。「何か軽い食べ物を・・・」と言ったらフルーツとトースト、それに地元のコーヒー豆をサンゴ水で抽出したコーヒーを特別にアイスにして出してくれた

 これで本当に生き返った。”五臓六腑にしみわたる”という言葉がこれほど実感できたのは生まれて初めてだった  


 元気が出たところで嘉手納の基地を見に行く。基地の見える丘でぼーっとしていたら、左ハンドルのパブリカにのったおじさんが話しかけてきた・・・「本土の人?オートバイで来たの?」
 おじさんは基地にあるいろんな施設や飛行機の話をしてくれ、おまけにアイスキャンディーまでおごってくれた
 「イイ旅してね。気を付けてね!」


 心まで元気にしてもらって、無事に家まで帰ることができた



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