豊橋市制110周年記念 こんなところに豊橋マーク(2016.7.23)

 私の住む愛知県豊橋市は今年(2016年)で110周年を迎えています。豊橋市が誕生したのは1906年、偶然にも三極管が発明された年と同じです。以下、真空管はまったく関係ありませんが、興味があればご覧ください。

豊橋マークについて

 豊橋市のマーク(正しくは市徽章)は下の写真の形をしています。豊橋市の公式ウェブサイトにある解説によれば、「旧吉田藩主の大河内家が一般公務及び軍事の際に徽章として用いた「千切(ちぎり)」を、明治42年6月制定襲用したもので、千切は結合・団結の意を象徴する」とあり、由緒正しいデザインであることがわかります。

豊橋市徽章



 歴史の古いものであるにもかかわらず幾何学的なモチーフでできており、古さを感じさせないデザインで気に入っています。市内では「ちぎりまんじゅう」という和菓子が販売されているなど、このマークは市内いたるところで目にすることができます。一例として、マンホールのふたをご紹介します。

豊橋市内のマンホールのふた。マークのプロポーションが変えられています。
こんなところに豊橋マーク

 以下の物件は私が街の中で見つけ、「豊橋市徽章をモチーフにしたのではないか?」と勝手に想像しているものです。気候温暖な土地柄からか、豊橋市民は穏やかで控えめな人が多いといわれます。当然ながらこれらの物件も大変控えめで地味に愛市精神を表明しており、ちょっとやそっとでは気が付かないところが奥ゆかしいです。

1.「とよばし」の欄干の親柱

 2016年春にNHK教育テレビの0655という番組で、「さらば豊橋」という歌が放送され、地元で話題となりました。歌の最後の場面に写されていた「豊橋」という文字の書かれた欄干の親柱の形状は、豊橋市徽章がモチーフになっていると思われます。豊橋市民であれば、普通に連想すると思います。


2.中部電力新本町変電所の梁

 豊橋の中心市街地にある変電所の一部です。『豊橋発展会連盟三十年のあゆみ』という本によれば、この変電所が建設されたのは昭和42年ころだそうです。建設に至るでには商店街の発展を阻害するとして地元の激しい反対運動があったそうですが、変電所に隣接して商店街に面して商業ビルを建設することで地元の同意が得られたとのことです。そのような経緯から変電所の外観も周辺環境に配慮したと思うのですが、ウルトラマン世代の私には秘密基地のようにに見えます。壁面中央から斜めに突き出す袖壁から秘密兵器が出てきそうなデザインです。壁の両端から突き出した梁の形状が豊橋市徽章に見えます。これも地元への配慮でしょうか。

3.豊橋市役所西庁舎屋上塔屋換気口

 これは、上記2件よりもさらに「控えめ度」が高い物件です。下左側の写真は豊橋市庁舎の屋上です。私には中央にある換気口の形状が豊橋市徽章の上半分に見えます。
 豊橋市庁舎は西棟と東棟に分かれています。西棟は昭和54年、東棟は平成8年に建てられました。背の高い東棟の最上階には展望室があります。ある時、展望室から西棟の屋上を見下ろして見つけたのが、上述の換気口です。西棟はいかにも市庁舎らしいまっ四角な外観を持つ建物なのに、機能的な理由のなさそうな形状がなぜこんなところにあるのか非常に気になりました。ほかにも扉の色がなぜかここだけ黄色だったり、地味な市庁舎にしてはここだけ「攻めた」デザインをしているように思います。
 この屋上は後に東棟ができるまで、ほとんど人の目にふれることのない場所でした。設計者が熱い思い入れを込めて誰の目にもつかない場所に隠された徽章を作ったのではないかと想像してみると楽しいです。


塔屋の真ん中にある台形に注目 (赤い矢印で示した部分)

手前の低い建物が西棟、奥の高い建物が東棟

トップページに戻る