田原市神戸の寝祭り


毎年,2月、旧正月の頃(2月2,3,4日)になると、田原市神戸地区の辻には立て札がたてられる。地区内の神明社と久丸神社で行われる祭礼「寝祭り」のお知らせ。「何月何日の何時に行います。その間の通行に気をつけてください」という内容である。同じ知らせは回覧板でも回され、学校や保育園など人が集まる施設にも一言注意がされる。特にこどもの下校時間に(14時〜16時)祭礼が行われる為、授業は午前中に終わり早退してこの「寝祭り」に遭遇しないように配慮がなされている。私もこの地区に住んで長くなるが久丸神社の大祭、神明社の大祭には何度か足を運んだことはあるがこの「寝祭り」に関してはまだ一度もお目にかかってない。なぜ小さな神社の祭礼を、これほど細かく告知するのか。それは、この祭礼が「見てはいけない」祭りだから。寝祭りは、里人によって何百年も伝承されながら、ごく限られた者しか目にすることのない、不思議な祭礼なのである  

 
見てはいけない神様の「里帰り」京の都に由来する神戸の寝祭り

案内の立て札 神明社の大祭 神明社の御神殿
久丸神社元旦祭 久丸神社で初詣



                                                 
寝祭りは、南北朝の皇子「久丸様」を祀る祭礼である。神戸地区内の久丸神社と神明社の間で渡御の神事が行われる。「見てはいけない」のはその渡御の行列である。見た人には厄災が訪れると言うので、かっては渡御の時刻になると里人は家にこもり、雨戸を立てきった。その様がまるで寝静まっているようであるから、「寝祭り」と呼び慣わされて来たのだという。
「久丸神社の久丸様のところに、神明社からお嫁さんが来ていて、年に一度お里帰りをされる。それが「寝祭り」です。かっては神職だけで執り行ったらしいですが、今では神明社の氏子6人、久丸神社の12人が出て祭りを手伝っています。」と神戸中島在住の松井弥一さん。松井さんは先頃まで、神明社氏子総代として寝祭りに関わって来た 「祭りの日程は年によって違いますが、巳の日、を待たずに祭礼を行うと良くないことが、起きると言われています。第1日目には神明社から久丸神社まで皆でお迎えに行き、神職がご神体を首にかけ、旗を持って神明社まで行列してゆく。「見てはいけない」のはその行列が歩いているところです。
第2日目には久丸神社から、お迎えが来ますから、帰りの行列を「見てはいけない」。渡御と神事は午後2時頃から夕方にかけてですから、その間、行列が通る道筋にいないようにすれば、見なくてすむわけですね。行列を見てはいけないのは久丸様が人と会うのをお嫌いになったからだと伝えられています。」
行列は、久丸神社のある神戸漆田からバイパス沿いにある神明社に向かう。昔は神社周辺を除けば畑ばっかりだったというから、気をつけてさえすれば、見なくてすむルートである。「地域の人は道筋を知ってるから、家に閉じこもるわけではなく、道から離れたところにいるだけ。それほど、厳格なものではありません。どちらかと言えば、気持ちの問題ですね。

「見てしまった」後のフォローも万全 里人の心が守る寝祭りのルール


さて、「見てはいけない」渡御の行列ではあるが、心ならずとも「見てしまう」ことはある。祭礼の日が毎年〃なら習慣として気をつけることも出来ようが、旧正月に合わせて行うため、毎年変わる。お知らせをも見落としたり、ひ付けを失念していると、つい、うっかりと「見てしまう」見てしまったら、どうすれば良いか。誰もが気になるところである。見ると「病気になる」とか、「目がみえなくなる」とか言われていますが、実際に何か起こるということはないでしょう。そもそも、車がバンバン通るバイパスを行列して行くわけですから、事情を知らない車内の人は「あれは何だろう?」とじっくり見てますし(笑い)。うっかり見てしまっても、祭りが終わった後の「謝罪祭」でお祓いをしてもらえれば大丈夫、ということになってます。毎年4〜5人おいでるかな。見てしまった人から問い合わせがあった場合でも「気になるになら、謝罪祭にいくか、後でお参りすれば良いのいではないですか」と伝えるようにしています。
実際に今までのお祭り中でも,下校中のこども達の集団と出会った、お葬式のマイクロバスとすれ違った、など「見てしまった」エピソードはたくさん残されている。保育園の送迎バスと出会った時には園長先生が代表してお祓いを受けたそうである。「見ると、たたりがあるとか、そんな風な考えは方はどうかと思いますね。私としては「見てはいけない」という決まりには「たまにはお参りに行きなさい」という意味がこめられていると思う。以前、行列の最中に東部中学校の生徒達とばったり、出会ったことがあるんです。そのまま行過ぎてしまうだろうと思っていたら、皆で何事か相談して、やがて神社に入って行き、ホットした様子で出てきました。たぶん、自分達で考えてお参りをして来たのだと思います。私はそういう姿勢が正しいと思う。暮らしの中のちょっとした決まりごとを重んじ、自分なりに対処する気持ちが一番大切なのではないでしょうか。

零落の貴人を思いやる心里人のやさしさが祭りを伝える


決して見てはいけない神様の行列。そんな言い方をすると、なんとなく不気味な色合いが漂う神戸の寝祭り。しかし実際にはもう少し肩の力が抜けた感じで伝承されている地域のお祭りであった。お話を聞いて印象に残るのは「見てしまった」エピソードにも何かほのぼのとしたもんがあり、全体にあたたかみが感じられること。それは「見てはいけない」という決まりが出来た、その背景に由来するのではないかと思う。
久丸親王は南北朝の乱により都を逃れてたどりついた流浪の皇子である。この地にいることがわかれば、本人はもちろん、いつわっていた地元の名家までが罰せられる可能性があった。それゆえ、生涯、外との接触を避けながら粛々と孤独な日々を送っていたと考えられる本来なら、都にあって華やかな日々を謳歌できたはずが、東国のひなびた里で一生を終える我が身、我が立場を恥じる気持ちも強かったであろう。里人達はそんな薄幸の貴人の零落そた姿から敢えて目をそらすことで、彼に対する思いやりを示したのではないか。そして亡くなった後には「見てはいけない」神として祀ることで、その心をいささかでも慰めようとした。外に公開されるわけでもなく、里人の楽しみになるわでもなく、ただ、真摯に伝承され続けてきた寝祭りの歴史には神戸の里人の思いやりがこめられているように思えてならない。よるばない人を助け、零落した姿には敢えて目を向けることなく、それとなく守り続けようとした神戸の里人。寝祭りのルールは
渥美半島の人々の心が生んだあたたかな「べからず」なのだろう。

追記  雑誌 東三河地方拠点都市地域整備推進協議会発行の「ほの国通信」より引用させていただきました。
      執筆者の大林恭子様のご好意により、掲載することが出来ました。ご協力ありがとうございました。

久丸神社にある明治天皇の書 久丸神社御遷宮
神明社にて平成15年10月 神明社御神殿