我が家の自家用車の歴史

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☆十一代目カローラツーリング1800令和元年11月~現在に至る(総額290万円)

カローラ・フィルダーの後継車だ、現物を観て無く8月のうちに注文してあった。
横幅が広がり3ナンバーに成り、排気量も1800CCに成ったので、少し燃費が悪くなった。
高齢者用にブレーキ等安全装置が大幅に改良された。
ただセンサーが効いて、うるさいくらいピーピーと教えてくれる、前後方用ドライブモニター
などオプション、ナビは携帯画面をモニター画面に映し出せるので必要なくなった。
携帯電話がかかってきても、ハンドルのボタンを押せば通話が出来るようになりました。
遠方に行く用事が無くなって、走行距離が大幅ダウンである。


※カローラ・ツーリング1800特別仕様車ナンバーは相変わらず188です(

☆十代目カローラ・フィルダー1500平成26年11月~令和元年11月(総額270万円)

またまたカローラ・フィルダーを買った。
ナンバーは188を継続、黒は汚れが目立って仕方ないので、白色系メタリックにした。
相変わらず年間4,500キロ位しか乗らなくなった。
上位車種なので、オプションはナビ・TV・位で後は標準装備だった。
5年間でタイヤ・バッテリー交換なしでした。


カローラフィルダー1500特別仕様車


☆九代目カローラ・フィルダー1500平成21年12月~平成26年11月(総額250万円)

下取り価格は滅茶苦茶安かったけれど(95万円)、国産車カローラフィルダーに乗り換えた。
野球審判に行く時、大きな荷物の積載出来るのが良かった(何時もM氏を迎えに行って居た)
ナンバーは『188』を継承、独り身に成って年2回次兄宅の大阪に行くくらいで遠のりは無く、
年5,000キロも乗らなくなった。
自家用車としては初めて黒色を買ったが、掃除が大変でした。
もう一つ後部ドア、リヤガラスに色の濃い目のフィルムを張ったのですが、夜間走行の際
後ろからのライトはまぶしくありませんが、コロナの湯の地下駐車場でバックにて駐車する時
暗すぎて困ったことが有りました、やはりほどほどが良いようです。


※カローラ・フィルダー1500限定特別車

☆八代目ワーゲンゴルフ2000GT平成17年1月~平成21年12月(総額370万円)

前年夏に家内が直腸がん手術をして10月退院、12月に再入院するまで通院したのですが、
ランクルプラドは『座席が高く乗り降りが大変だから』という事で、セダンに買い替えることに
しました、年末に契約して1月第一週納車され、家内の退院は新車で迎えに行くことが出来
ました。
排ガス規制が厳しくなると言う事で、3年目の車検の際買い替えを検討したが下取りが
140万円という事で断念、約5年乗って下取りに出したら、ランクルの人気が急上昇215万円で
買い取ってくれました。
ドイツの車だけあって、高速の走行は安定感があり、ハイオクでしたがリッター当たり15キロ
はしりました、市内走行は8キロくらいでした。
家内は二度目の入院で、自分の残された時間が分かって初めて家内の希望のナンバーに
しました、「188」でした、私達を残して死にたくないの思いを込めて「イヤヤ」を希望した
のでしょう。
私は3月末退職、4月1日から再就職も4月20日過ぎ三度目の入院、連日病院に見舞いに行き
6月9日に家内は亡くなり、ゴルフには20回くらいしか乗ることはありませんでした。
再就職先もすぐ辞めて以来現在まで無職です。


※ワーゲンゴルフ2000GT 同型車、暖房は直ぐ効きましたが、冷房は能力が低くドイツの
車らしかった、カーナビ、ステレオなどオプション多数。

☆七代目ランクルプラドXTリミテッド平成11年3月~平成17年1月(総額390万円)

『セダンの乗用車ばかりでたまには高い位置から景色を見たい』と言う家内の要望を聞いて、
ランクルプラドを愛知トヨタから購入、車両価格は310万ほどでしたが、オプションが凄く高値で 
フロントのガードバンバー(55,000円)ルーフ(20,000円)TRF(横滑り防止装置115,000円) 
カーステレオ一体型音声ナビ(350,000円)フォグランプ(35,000円)両サイドアルミステップ、
スピード取り締まり予知機等全てオプションでした。(幼児用座席はサービスにて)
2トン近い総重量のせいか市内走行は7~8キロ、しかし高速長距離は15キロ以上も走った。
長距離運転は、安芸の宮島、錦帯橋、広島市内、尾道(泊)しまなみ海道、耕三寺、
琴平宮、高松〈泊)徳島、淡路島、大阪(泊)の3泊4日で行きました。
白川郷、金沢兼六園、和倉温泉(泊)能登半島、松島水族館、東尋坊、三国温泉(泊)
敦賀、魚センター、昆布会館、3月末の春休みでしたが途中雪が舞い大変な天候の中
家内・孫を2人乗せて廻ってきました。
軽井沢、鬼押し、草津温泉(泊)白根山、善光寺、清里、箱根(泊)は2泊3日でした。
冬でも4輪駆動のお陰で豊根の温泉に行くことが出来ました。
大阪の従姉妹の夫が亡くなり、喪服など有ってくるまで出掛け、1月31日に大阪の葬式
三・七日を済ませ、Pm6:00に出発、名神が通行止めに成って名阪周りで帰宅の途に
ついたのですが、五月橋から亀山まで大雪で大渋滞、翌朝豊橋に着いたのがAm7:00過ぎ
直ぐ着替えて出勤したのが一番の思い出です。


※3000CCジィーゼルターボ’(7人乗)遠距離は良く行ったが5年で走行25000キロでした。
豊根温泉、本宮の湯に行った際、農業用500ℓタンクに温泉を買ってきて、ポンプで風呂に入れ、
家で温泉気分を味わったことが出来ました。

☆ 六代目 コロナマークⅡグランデ 平成6年3月~平成11年1月(総額320万円)

名古屋トヨペットで購入、4ドアタイプらしく頭上回りも広くなり、走りも静かさもよくなった。
白色(下は少し茶系のツートン)にしたので管理も楽になりました。
通勤には大半ホンダカブ90を使っていたので、レジャー以外余り乗る機会が無かった。
一番の遠出が年に一度行く、兄たちが住む大阪位で、長女の孫たちを乗せスーパー
温泉に良く行きました。


※2500グランデ フル装備なのでリヤガラスのフイルム張り位しか追加は
 無かった。携帯電話は小型になり性能、通信範囲も格段広くなりました。

☆ 五代目 コロナマークⅡSDX 昭和62年3月~平成6年3月(総額280万円)

元クラッシャーズで一緒に野球をしていた、荒井君の勤務先ユタカ自動車で新車購入、
本当は、2500グランデが欲しかったが、長女が京都の大学進学が決まっていたので
ワンランク落として2500スーパーサルーン4ドアを買いました。
4ドアと言ってもロングノーズで、ハードトップタイプのスポーティーな4ドア車でした。
2,500だけあってよく走るのは良かったが、室内はやや狭かったです。
2歳違いの次女も大学に行って重なり、2年間給料全て京都・名古屋の授業料・下宿代で
消えており、次の新車をなかなか買えなかったです。
この車が一番長く乗った車に成りました、京都にも良く行って、妻と二人だけで遠出も
したので、3,4000キロも走行、四国架橋宇野坂出ルート開通直ぐに行き、当時は橋の
上で記念撮影出来ました(本当はいけないのですが交通量が少なかったので)
一番長く乗りましたが、バッテリー・タイヤは新車のままでした。


※2,500マークⅡ濃いグリーンメタリックでしたが、汚れが目立って掃除が大変でした。
オプションでこのメタリック塗装、ステレオ、自動車電話はトランクにアンテナ立ても、
AUだったせいか山間部は圏外が多かったです。

☆ 四代目 カローラ1500SEサルーン 昭和57年4月~昭和62年3月(総額150万円)
当時カローラセダンとしては最高位の車種でした。
4速オートマチック、パワーステアリング、カーステレオも標準装備、座席もモケット
仕様で大衆車としては豪華な内装でした。
5年前に代車で借りた、セールスの病気快気祝いを兼ねて彼から買いました。
父母の病院送迎をしていて『古い車は危ないから』と父が50万円出して呉れました。
夏に家族4人で甲子園高校野球を観に行ったり、軽井沢、草津温泉、日光まで亡き
家内と2人で行った思い出があります。


※カローラ1500CC SEサルーン アルミホイル、速度取り締まり機オプション
この車は前輪駆動、軽快な走りを楽しめることが出来た。

☆ 三代目 カローラ1200SDX 昭和52年4月~昭和57年4月 (総額120万円)

春休みに結婚10周年を記念して、新婚旅行で行った紀伊半島一周2泊3日の旅行は、
納車前だったので担当セールスの車を借りて、勝浦温泉(ホテル中之島)白浜温泉
 (白浜三楽壮)雄琴温泉(雄山閣)に宿泊(新婚旅行のホテルとは別でしたが)いい
思い出です。待望の普通車購入、エヤコンを付けたので少々パワー不足だったが
夏は快適に乗ることが出来ました。
買ってすぐ琵琶湖バレーへ家族4人で最初のドライブ、軽自動車と違い子供たちは
後部座席が広いと喜んでおりました。


※この車と同型のカローラ三代目の車でした
1200CCフロントエンジン、FF車4ドアのノーマルな自動車 乗者定員5人
私の車は、白色でアルミホイル、エヤコン、8トラデッキはオプション

☆ 二代目 スバルR2デラックス 昭和45年11月~昭和52年4月 (総額45万円)

45年4月実家に家を新築、次女の出産の為私の勤務する病院ではなく他の産婦人科医院
入院中、妻に内緒で購入、退院の日産婦人科医院に迎えに行ったのですが、車が違うので
妻が玄関から中々出て来ず私が呼びに行ってようやく乗車『2人目が生まれたのに、新車に乗り換える気が知れない』と大層怒られたのを記憶しています。
翌年3月末妻は子育て、私の両親の面倒を見る為退職して、専業主婦になりました。
昭和47年~48年はオイルショック時代で、中々満タンに給油してくれなかった。
トイレットペーパーの買い占めが横行して、並んで買った思い出があります。
2サイクルエンジンでしたが、ガソリンとオイルを別々に給油するタイプでした、相変わらず排ガスは多かった。
一番の遠出は、長女4歳の誕生日の伊豆半島一周


※2サイクルリヤエンジン360CC 定員4人 後部座席は子供2人が丁度良い広さ。


☆ 初代 スバル360デラックス 昭和42年12月~昭和45年11月 (総額25万円)

昭和42年4月1日結婚した暮れ、妻が妊娠したので送迎用に中古を購入した。
クッションは抜群に良かったが、雨降りの日にリヤエンジンに水が掛かり、エンジン始動が
悪くなり、今の若者には理解できないだろうが、デスキャップを拭いて乾かし始動した。
ブレーキ性能も悪く車間距離をとって運転、アクセルワイヤーが埃で重くなった際は、
自分で外して掃除後油をさして軽くした、独特のスタイルで扉は前開きでした。
とにかく手間暇かかった車でしたが、この当時自家用車はあまり普及していなかったので
誇らしげに、たまには家族でドライブもしました。
妻が通って居た産婦人科の有る病院に、昭和43年4月人事異動でまさかの勤務に成り
驚きました、6月に長女が誕生して役に立ちました。


※2サイクル混合ガソリン 360CC 定員4人 後部座席は小児用。