[Canon(カノン)]

『この曲だ』

 コンテストの選曲をしていた僕は、ヤストが選んだ数曲聴いているときに、その曲に出会った。僕は、その場で、曲のタイトルを確認した。

[パッへルベル作曲 カノン]

「それ、いいだろう。この間、金管で演奏されたモノを手に入れたばっかりなんだ」
 ヤストが、満足そうな顔をしている。僕が気に入ったからだ。

「難しくないかなあ」
 どうしても、やりたいけれど、小学生最後のアンサンブルコンテストでこれを吹くことができるのだろうか。でも、やりたい。

「大丈夫さ。この曲、輪唱みたいなんだよ。ほとんど、おんなじモノを繰り返しているだけなんだ」

「輪唱って」
 僕は、ヤストに聴き返した。

「あれあれ、カエルの歌あっただろう。♪カエルのうーたーがー きこえてくるよーってずれて歌う歌。この曲も、ほとんど同じメロディをずらして演奏しているんだよ」

「へー」
 僕は、カエルのうたとこの曲が、同じモノだと信じたくないが、でも、演奏したくなった。そして……

「ヤスト、これにしようぜ。ユリ先生にお願いしよう」
 ヤストの部屋の隅に、まだ新しい、トロンボーンがあった。ヤストの手が届くようになったからと、やっと買ってもらった銀色のトロンボーンだった。どうやら、ヤストはそのトロンボーンを使える曲を探していたらしい。僕は、はめられたのかな。でも、僕は、この曲じゃなければダメだと思った。



「パッへルベルのカノンね。楽器の割り振りをしなきゃいけないけれど、ちょうどいいかも。あなたたちがやる気になってくれるんなら、大会にも出られるかもよ」
 ユリ先生は、ヤストの家から持ってきた曲を聴いて、僕達にそう言った。
 僕達は、子どもの数が少ない南十字島にいるため、少人数のモノしか参加できない。そのかわり、一人が陸上やら、吹奏楽やら、水泳などをタイムや個人の興味あるなしなどから選抜するので、年がら年中、大会続きで大忙しだ。

「トランペットのナオミが転校してしまったから、ちょうど、あなたたちのメンバーにぴったりね」
 ユリ先生は、音楽にあわせながら、指を動かしていた。指揮者のように。頭の中には、誰がどの部分をやるのか、もう、パート分けしている。

「チューバをやるユウが大変ね。ヤストが、少し請け負わないといけないなあ」
 ユリ先生は、ホントは、演奏するのが好きなんだと思う。地球防衛軍のマーチング隊の演奏を聞いている時も、すごく楽しそうだった。だって、聴きながら、指が動いているんだもん。
 
 そんなこんなで、毎年、義理のように参加していたコンテストがとても楽しくなった。

 カノンの、何度も何度も繰り返している部分を、僕は主に担当した。僕一人だけで、5分間は無理なので、ヤストと僕がなんとか二人でその役目ができるように、先生は楽譜を書き換えてくれた。



「コンテスト、いつだった?」
 ソファーでゴロンとしている僕に、父が声をかけてきた。僕は、指だけの練習をしていたのをストップさせた。

「1ヵ月後の25日の土曜だよ。どうして?」
 
「聴きに行きたいから」
 当たり前の答えが帰ってきた。

「期待しないでね。コンテストって言ったって、小・中・高と一チームずつ出て、ちょっとオトナの人の模範演技みたいなのがあるだけの演奏会なんだから」

「でも、コンテストを高得点で通過すれば、全国大会へ出れるんだろう」
 僕は、父の言葉にドキリとした。

「出られるわけないじゃん。毎年、コンテストは参加するだけなの」
 僕は、強く否定した。父は笑っていた。父の笑顔は苦手だ。時々、いろんなことを見透かされているから、気づかれないよう、僕は、クッションに顔を埋めた。



「どう?5分間は長いでしょ」
 ユリ先生の指摘どおり、僕一人だけでは、1番低音の部分を繰り返し吹くのは、限界があった。

「まあ、みんな、指は動くようになったから、あとは、リズムを崩さないように。特に、ユウとヤストは短調な低音部分だから、全体のリズムも、あなたたちの出来次第よ。がんばりなさい」
 ラスト一週間、僕達は遅い時間まで練習をした。かなりいい出来になってきていた。

「ユウ、お父様がお迎えに来たわよ」
 遅くまで音楽室に残っていた僕を、父が迎えに来た。


「自分で帰ることできるから、もう、迎えはいいよ」
 帰り道、僕は、父に向かって言った。

「そう……」
 父の声は、少し寂しそうだった。少し、言い過ぎてしまったかな。ありがとうぐらい言っておけばよかったと、僕は後悔した。



 大会当日の朝、父は、いつものように食事をして、いつものように、僕に「気をつけていってらっしゃい」を言った。

「あ、今日は……」
 僕は、そのあとを言うのをやめた。
「う、ううん。出来るだけがんばってみるよ。参加するだけだって言ったけど」

「仕事があるから、聴きにいけるかどうかわからないけど、がんばれ。あれだけ練習したんだから」

 僕は頷いた。機会があったら、父の前でも演奏してみよう。



 コンテスト開始前、僕達は、念入りに音だしをした。いくら出場数が少ないとはいえ、審査員は、全国共通のポイントチェックをして、どの会場で演奏しても平等なのだ。もちろん、各会場の演奏は、本部へ映像がすぐ届けられ、本部審査員によるチェックもある。

「昨日までの練習の出来はいいんだから、今日は自信を持って演奏しなさい」
 ユリ先生はそう言うと、先頭のヤストの肩を、ポンっと叩いた。ヤストは、さっきから少しカチカチになっていた。
 僕達は、舞台へ出て行った。
 舞台に並べられた椅子に座り、僕は、どっしりとしたチューバを股の間に下ろした。

「金管5重奏、パッへルベルのカノンです」
 曲目紹介のナレーションが流れた。僕は、舞台から、客席の方へ目を向けた。

『なんで?!』
 目を疑った。前から3列目の客席に父と、そして、ふだんはTOKYOにいるはずの母が仲良く並んで座っている。僕は、つばを飲み込んだ。

「おいっ」
 ヤストの小さな声が耳に飛び込んできた。僕がスタートの合図を出さなくてはならない。すっかり、忘れてしまった。大きく呼吸をして僕は体を大きく揺らした。始まりの合図だ。

 僕は、顔を上げないよう、指を見ていた。顔を上げたら、父と母の顔をまた見てしまう。
 どうして、母がいるのだろう。今週は、忙しいと言っていたのに。父もなぜ、母が来ることを言ってくれなかったのだろうか。朝、あっさり父が見送ったのは、このことを内緒にするためだったのだろうか……
 全国大会へ出れば、会場のTOKYOへ行くことになって、母に会いに行ける、母に聞かせあげられる……カノンを聞いた時、そう思った。この曲は、前に母の部屋に行った時、聴いた曲だった。母はこの曲が好きなのだろうか。好きならば、きっと、喜んでくれるはず……なのに……

『しまった……』
 僕は、いろいろ考えてしまったせいもあって、リズムを崩してしまった。それに、もう、とっくにヤストと交代しなくてはならなかった。
 リズムが狂ってしまった僕のパートに突然、ヤストの音が入ってきた。僕は指を止め、ヤストを見た。ヤストは、機械の動きのように正確に、手を引いたり伸ばしたりしてトロンボーンを操っていた。僕は、とにかく、次に交代するところまで、暫し休憩をした。マウスピースから唇をはずした。でも、顔を上げれない。上げたら、父と母の顔を探してしまう。今は、そんなことをしているときじゃない。


 演奏が終わり、僕は、顔を上げられず、そのまま、カーテンの方へ逃げた。
 僕は、観客席から見えないところまで来ると、ヤストの肩へ頭を軽くぶつけた。
『ごめん……』

「しかたない。あがっちゃうってこと、お前にもあったんだなあ」
 ヤストは頭を振って、そのまま歩いていってしまった。口では、そう言っているものの、くやしいのだろう。その顔を見せたくないのだろう。それは他のメンバーも一緒だったようで、ユリ先生が
「中学行ったら、もっと、上手く演奏できるよ」
って言ってくれても、皆は、無言のままだった。僕は、顔を上げることができなかった。

「ユウ、お母さまよ」
 楽器を片付けている僕の後ろに、ユリ先生と母がいた。

『おかあさん』
 僕は、涙がこぼれてしまった。ホントは、みんなに悪いと思ってずっと我慢してきたのに、母の顔を見たら、我慢ができなくなった。母は、そっと腕を伸ばし、僕を抱きしめてくれた。少し、恥ずかしかったが、僕は、頭を母の胸元に傾けた。
 
 結果は、ポイントはいままでに比べて良かったが、それでも、全国大会のレベルではなかった。
 その後、会場を離れ、母と二人っきりになった。僕は、久々に、母と手をつないだ。もう、母とそんなに身長の差がないことを、目の高さで気づいた。

「お父さんは?」

「仕事だからって、あなたの演奏を聞いて、すぐ仕事へ戻って行ってしまったわ」

 僕は、それ以上細かいことを聞かなかった。父のことだから、気をきかせて、僕と母を二人っきりにしてくれたに違いない。僕は、父の行動のパターンが何となく見えてくるときがあった。

 父との二人の生活は、同じ毎日の繰り返しのような気がしていた。でも、それは、カノンの曲のように、同じように繰り返しているようで、少しずつ違うメロディになっていっていたのだ、気づかないうちに。優しいメロディが重なり合って、重なるほど、僕は、父に深く深く包みこまれていた。その中で、僕も、父を真似して、また少し違ったメロディを重ね合わせていたのだろうか。


 このカノンにも終わりがあるように、いつか、父との生活にも終わりがるのだろうかと、僕は、その時、少し寂しくなったことを、この曲を聴くたびに思い出す……
End


押し入れTOP