「春が来て君は…」
 
「おい、どこへ行ったのか、ちゃんと把握しておけよ」
 その怒鳴り声に、次郎の体は硬くなった。

「すみません。何箇所か連絡を入れていますので……」

「困るんだよ。軍の威信もかかっているんだからね」
 捨て台詞のような言葉は、もう、次郎の耳に残っていなかった。耳のイヤホンに聞こえる音に意識を集中していた。誰かからの電話が着信している合図の音。

「6時間前に……わかりました。ありがとうございます」
 欲しかった情報でもあり、無駄な情報でもあった。
 しかし、自分の予想が多少あったったことが、うれしかった。

『ほんの少し近づけた……』
 

「いいか、あと1時だぞ……」

 そして、また、着信の音。
「はい……そうですか。すみません。ユウ君は……そうですか。……大丈夫です。ありがとうございます」
 
 次郎が視線を上げると、さっきの広報官がにらんでいた。

「見つからないのか」
 その後の言葉を言わせないために、黙っていた次郎は、声を出した。
「必ず、来ますから」

 その言葉に、広報官がかぶっていた帽子をくちゃっとつかんだ。その姿を次郎はにらんでいた。
「わかった。わかったから……」
 その男の小さなため息が次郎の耳に届いた。
 次郎もその男も、もうとっくに気がついていた。待つしかないということを。

『待っています、古代さん……』
 次郎は、窓の外の青い空を見た。

 テュルル、テュルル……
 次郎は、また聞こえた小さな音に、全神経を集中させた。

「次郎、仕事中、ごめんなさい……」
 母の声だった。

「今、大介のお墓に来ているんだけど、古代さんに会ったら、お礼を言っておいて欲しいと思って……」

「どういうこと?」
 次郎は、自分の声を気にしつつ、イヤホンから聞こえてきた声に答えた。

「大介のお墓に花が手向けられていて……多分、古代さんだと思うの。まだ、新しいお花よ。ホントにさっき置いていったばかりのような」

 次郎は、自分の予想をさらに強く確信した。
『もうすぐ来る。きっと来る』
 
「ありがとう、おかあさん。古代さんに、ちゃんと伝えておくね」
 次郎はそう答えると、オフのスイッチを押した。

「もうすぐ来ます」
 次郎は、広報官の男に告げた。男は小さく頷いた。

 次郎は、進の軍復帰を派手にやることはないと思っている。こんな形で、発表をするなんて、チャンチャラおかしいと。
 昨日から姿をくらました進を、怖気づいたと思っている輩もいるだろう。しかし、次郎は、進なりの儀式をしているのではないかと思った。進は、南十字島の自宅に立ち寄っており、兄の墓にも立ち寄っていた。
 確実に近づきながら、ここへ来る。ここに来れば、もう、後戻りはできないだろう。
 次郎自身も軍人になると最後の覚悟を決めた時、同じように、兄の墓や学校などの思い出の場所との決別をした。そう、だからきっと来る……



 風が吹くたび、桜の花びらがかさかさと音を立てながら、流れていく。進は、その様子を、木にもたれながら、半刻ほど眺めていた。
 病院の中庭にある桜の木。ここで仕事に出かける彼女を送ったこともあった。長い時間待っていて、慌てて走って来る彼女を迎えたこともあった。楽しい思い出も、悲しい思い出も二人で分け合っていた。ずっと、そうしていくはずだった。
 結婚する前も、結婚してからも、お互いの住処(すみか)や仕事場に戻るたび、何度もさようならを交わした。「さようなら」と言葉にしたことはなかったけれど。あの頃は、こんなに長い間、離れることになるとは思っていなかった。
 
 桜の花は散っていくが、また、来年も同じように花を咲かせるだろう。待つことは可能だが、その繰り返しをただ、こうして見ているだけでも時間は過ぎていく。けれど、今の進にとって、散っていく花びらは、あの頃と違って、紙ふぶきと同じ、ただ、舞っている白いモノでしかなかった。

『彼女が穏やかに、二人の日々を思い出せますように。そんな幸せな時が、今の彼女にありますように』
 


「古代さん!」

「心配をかけたな」

「いえ」
 次郎の答えに進は笑った。
 次郎は、自分がよほどほっとした顔をしたのだと気づき、恥ずかしくなった。
 
「あっ」
 先を歩いていく進の髪から、ひらりと白い花びらが、ピシリと伸びた進の背中を、流れるように落ちていった。花びらは、無機質な色の床にゆっくりと舞いおりた。そして、人が近くを通るたびに、小さくふわりふわりと床を飛び跳ねた。

『今の古代さんにとって、自分は、この花びらのように役に立たない存在かもしれない。けれど……けれど…』
 次郎は、進の背中を追いかけた。


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SORAMIMI 

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