If---千一夜物語---

(1)

「弟が明日、お前のクラスに転入するんだ。よろしく頼むよ」

 雪は、去年の担任にそう言われると、なんだかムッとしてきた。

『なんで、私なのよ』

「おとなしい奴なんだ。頭はいいんだけどな。運動もできるし。ほら、全国高等学校総合試験も3位だぞ。お前、4位だっただろ。ちょっと、トロイところがあって心配なんだ」

 全国高等学校総合試験......学力、体力の総合試験。

『な〜んだ、学校が、また、レベル上げたくて集めたのね』

 雪の通う学校は、学力、運動ともにレベルの高い超有名私立高校の武蔵学園だった。たびたび、やってくる転校生は、こう言った優秀な生徒が多い。生徒からも露骨な優等生集めと言われていた。雪も、ここの上位にいるが、割と自由な校風が好きで、この学校に来たのである。

 言った本人は、手をあげて立ち去っていってしまった。

『ほんと、勝手なんだから』

 いつも、都合いいように使われていて、雪の不満は、今でも爆発しそうだった。

『いいわ、思いっきり、かわいがってあげるから』

 雪は、何もなかったごとく歩き始めた。心の中で舌をだして、あっかんべを去り行く男の背中に投げ掛けていた。

 

「新しい転校生だ」

 翌日、教室は、騒がしかった。

 雪は、いつもの通り、知らぬそぶりで、教室にいた。

「また、頭のいい奴らしいよ」

 情報通の相原義一がどこから仕入れたかわからない情報を話していた。

「どんな子か楽しみよね」

 後ろからの声に雪は密かに思った。

『みてらっしゃい......。私が鍛えてあげるわ』

 始業のベルがなると、皆、席につきはじめた。担任が朝の会で、転校生を連れて来るはずだ。

「雪、雪、男の子よ」

 今日は、何を仕掛けようか、それを考えていた雪は、担任が教室に入ってくるのに気がつけなかった。

 

『へえ〜、なんとなく、似てるわね。外見は』

 一人の少年が入ってきて、生徒達のおしゃべりは、過熱した。

「静かにしなさい。朝の挨拶が先でしょ」

 どすの効いた低音の声で、担任が怒鳴った。生徒達は、静かになり、日直の号令に合わせて挨拶を行った。

 雪は、その間、転校生の動きを観察していた。おどおどした雰囲気はあったが、なんのなんの、挨拶し終わるまで、結構、こちらを観察している。

『思っていたより、ましか......』

 雪は、頭の手帳にチェックしていった。

「今日から、一人仲間が増えます。さあ、自己紹介して」

 担任は、気が効くタイプではない。きっと、先生同志で、頼まれているに違いないが、特別には、扱うつもりはないだろうという態度に、雪は、ホッした。

 教室中の目が注がれ、多少、あがったようであるが、転校生は、顔を上げてひと呼吸おいた。

「古代進です。よろしくお願いします」

 その名前に一瞬皆、驚いた。また、ざわめき。

『そう、古代なんて名前、そうざらにあるものではないもんね』

 担任は、手をぽんぽん大きく叩いた。

「そのとおり、B組の古代先生の弟さんよ。驚くな、総合テスト3位だからな。皆も、見習え」

 その言葉に、進の顔は赤くなった。

『<総合テスト3位>の言葉は苦手なんだ』

 雪は、自分自身も、<総合テスト4位>が苦手であった。

「雪、あなた級長だから、世話役頼むわよ」

『はいはい』

 返事をしないわけにいかず、雪は、とびっきりの笑顔をつくった。

「はい」

 雪の返事に担任は、満足したのか、雪の隣を移動させて、席の確保をし始めた。

「じゃ、古代さん、森さんの横に座って」

「はい......」

「じゃ、朝の会続けるわよ。今日は、3限が......」

 担任が恒例の今日の予定変更を言い始めた。雪は、席につく進ににっこりした。

「よろしく」

 小さくそういうと、進は、ほんのちょっぴり、頭を下げた。

『まっ、いいか』

 大抵、雪の笑顔に、男どもは、一旦どきっとする。雪は、武器にはしたくなかったが、自分を愛想よく見せる手段に使っていた。

 

「教科書は、持っているの?」

 一限が始まる前、雪は、声をかけた。

「ええ、一応、兄がそろえてくれて。でも、前の学校で使っていた教科書と随分違うので、不安だけど」

『なによ、3位なんでしょ』 

 雪は、ほほえみながら、進に答えた。

「そうね、予習も必要な科目もあるから、おいおい覚えていくといいわ。つぎの語学は、予習が必要なのよ。先生は、ポイント言って、あとは、余談ばっかりだけど」

「そう、どこからなの?」

「そうね......」

 雪は、二回前の授業の最後に読んだところを探した。

「ここかな。この間の最後は」

『前々回の終わりだよ』

「ありがとう」

 進は、笑顔を返した。それから、教科書に目を通し始めた。

 雪は、そっと、進の側から離れた。教室の後ろでは、何人かの生徒が雪からの報告を待っていた。

「ねえねえ、ちょっと、いいじゃない」

「なにが?」

「転校生」

『あの兄貴の弟だぞ』

 雪は、教科書に印をつけている進の姿を見ながら、ちょっと悪いことしちゃったかなと思った。

『あんまり、頭のいいとこひけらかすより、最初にドジって普通だって皆に思わせた方が、彼のためなんだから』

 授業が始まる前、雪は、進の耳もとにぼそっと呟いた。

「わからない単語があったら、聞いてね」

「ありがとう」

『よく笑うやつだな』

 

 語学の授業、この科目は、前から順番にあたっていく。今日は、進の列からであった。

『ふっふっふ、やっと、気づいたわね』

 雪に言われた所から始まってないので、進は、一瞬戸惑った様子であった。しかし、どこから読み始めたか、やっとわかったようである。

「じゃ、転校生ね。この部分、訳せるかしら。できなかったら、飛ばすけど」

 進が今日来たことを知っているようである。

「直訳なんですがいいですか?」

「いいわよ。内容も、把握できてないんだし、できるかぎりで」

「はい。それじゃ......」

 訳している途中、一瞬、進は、雪の方を見たが、雪は、知らぬそぶりをした。

『この単語の意味を知りたいんだわ』

 難しい単語が一つあったのを、予習した雪は知っていた。しかし、進は、難しい単語も気にせず、卒なく訳してしまった。

『なんて奴。この人、学力の方で、滅茶滅茶いい点とった人なのかしら』

 授業が終わると、雪は、本当にすまないという顔で、進に謝った。

「ごめんなさい。てっきりここからだと思っちゃって」

 進は怒っている感じではなかった。

「いいよ。君も、予習し間違えたんだろ」

「え、ええ......。でも、凄いわ。私も、あの単語は、ちょっと、意味わからなかったから」

「ああ、偶然、どっかで、一回だけ見たことがあったから、何だったか、すぐ思いだせなくて」

『やっぱ、すごそうだな』

「3限は、体育祭の練習だから、なにか、得意なものがあったら、エントリーしてね」

『運動能力は、どれほどかしら......』

「水泳以外なら、なんとか」

『おいこら、体育祭に、水泳競技はないぞ』

 雪は、とりあえず、笑顔を作った。

「古代先生の弟さんってことは、運動得意よね。なんて言ったって、古代先生、体育の先生だから」

 進は、手を振って、否定した。

「いいや、兄さんほどは......」

「是非、リレーは、勝ちたいので、アンカーに入って欲しいわ」

『ふふふ、クラス対抗リレーは、スウェーデンリレーよ。ラストは、400ね』

「お願いね」

『誰もやってくれないのよ』

 進は、雪の笑顔攻撃に、たじろいでしまったようだった。

『私の笑顔に対して、ダメって言えないだろう』

 

(2)

 体育の時間の前、雪は、男子の着替え室の手前で、進と別れた。

「じゃ、ロッカーには、カギがついているから、乱数字を入れてカギを閉めてね。番号は忘れないように」

『心配症なんだなあ』

 進は、雪の細かい忠告に苦笑いした。

『ほんと、立派な級長さんだ』

 ドアを開けて中に入ると、もう、すでに皆、着替えを済ませていた。

 進と入れ違いで出ていく男子生徒達。進は、急いで、開いたロッカーを探した。

 進が手をかけたロッカーの横が、思いっきり閉められ、数字がカタカタセットされていった。

「なにするんだ」

 進の横で着替え終わった生徒がドアを閉めた生徒に怒鳴った。

 ドアを閉めた生徒二人は、笑って立ち去っていった。

「ちくしょう!」

 雰囲気に似合わない台詞に進は驚いた。

「ああ、すまない」

 進の存在に気づいたのか、我に戻って、眼鏡を押さえた。

「数字ね、8846だったよ」

「え?」

 進が数字を言うとにっこり笑った。

「ありがとう。たまに、変ないじめがあるんだ。気にしちゃいないんだが」

 以外とさばさばしている姿に進は、感心した。

「見かけないけど、君は?」

「F組に転校したばかりの古代進です。よろしく」

 差し出した進の手を両手でしっかり握り締めた。

「E組の南部、南部康雄。早く着替えないと体育に遅刻するよ」 

「そうだね」

「じゃ」

 急いで、着替えを始めた進は、嬉しくなった。

『おっと、級長にしかられる』

 進は、数字をセットすると走り出した。

 

 グランドに並ぶ男女。体育教師の守の合図で、競技別に分かれ始めた。

「ああ、古代くん、あなた、スエーデンリレーよ。あっちに行って、メンバーと練習して」

 雪は、そういうと走り去ってまた、別の集まりに近づいて何かを話していた。

『大変だなあ、級長』

 進は、グランドの隅に集まっている数人の固まりめざした。

「遅くなってすみません」

「いや、いいんだ。級長が勝手にアンカーだって言っていたけど、いいのか?」

「う〜ん、どのくらい役に立てるかわからないけど」

「スエーデンリレーだから、100、200、300と増えていって、アンカーは400なんだぞ」

「何とか、やってみます」

 進の言葉に不安を覚えつつ、とにかく四人でストレッチを始めた。軽く走りながらのバトンの練習、他の三人は、進の動きに少し安心した。

 

 授業の最後、守が生徒を集めた。三々五々に散らばっていた生徒達は、集まってきた。

「それでは、これでかたづけに入るけれど、今日は、スエーデンリレーのメンバーも揃ったし、一回通しで走ってみよう」

 第一走者が、スタートラインについた。進は、髪をたすきでぎゅっととめ、気合いを入れた。

 さすがにアンカーは、速そうなメンバーが揃っていた。進は、体をほぐした。400全速力でどれくらい走れるのか、自分の中でも不安はあった。

『最近、運動やってないからな』

 6クラスが走る中、F組とE組は、抜きつ抜かれつでトップを争った。さっきであった南部康夫も第二走者で走っていた。

 練習と言いつつ、結構、まじで走っている。進のF組は、少しE組から遅れをとって、最終のコーナーをまわってきた。先に隣のE組が動きだす。進もその動きにあわせるように少しづつ動きだした。

 バトンの感触。進は、しっかり掴んで、足を思いっきりけり始めた。

 声援が、聞こえる。

 E組アンカーと並んだ進は、一歩一歩足を前に出すことが、かなり苦しく感じるようになった。しかし、進の視界から、E組アンカーが消えていた。

『後少し』

 ゴールのラインを意識した進は、さらに、大きく踏み出すように意識した。

『あっ』

 思った瞬間、体は大きく崩れた。進は、ライン寸前で、体を滑らせた。

 転んだ進の横をE組アンカーが過ぎ去った。進は、起き上がり、這うようにラインを超えた。

「大丈夫か?」

 E組のアンカーが手を差し出した。恥ずかしかったが、今の気持ちでは、一人で立ち上がるほど、足が言うことを聞いてくれない。進は、その手にすがりつき、立ち上がった。

「すごいな、本番、楽しみにしてるよ」

「ああ、本番は、転びはしないからな」

 進は、今度は、負けたくないと強く思った。守はその進の姿をただ見守っていた。

 

「大丈夫?」

 級長の雪が近寄ってきた。進は、張った太股のことを気づかれないように、できるだけ普通に歩いた。

「運動不足だった......。かっこわるかったね」

 雪は、意外にケロっとしている進に驚いた。

『やっぱり、運動神経も凄いわ』

「驚いたわ、E組の島くんを追いこすなんて」

「いや、彼が一番だったよ」

「本番まで、体作っていかなきゃね」

「ああ......。彼、島っていうの?」

「そうよ、島大介。例の総合試験6位。この学校で、あなたの一番のライバルになるのかな」

 進は、クラスメートに囲まれている大介の姿を目で追った。その進に視界の中にいた康雄が手を振った。進も手を上げて応えた。

「あら、彼を知っているの?」

 雪は、不思議そうに進に声をかけた。

「うん、さっき、着替え室でね」

「彼は、財閥の御曹子だからね。味方も多いけど、敵も多いわ......。まあ、本人が気にしてないのが凄いけど」

「へ〜え、そうなの」

「まあ、そこそこの関わりしてないと、変なやつらに絡まれるから気をつけてね」

 雪が心配して、助言してくれていることに、進は気づいた。突然、雪が大きな声を上げた。

「ああ〜、血が出ているじゃない。かなり擦りむいてるし」

「いいよ、水で洗っておけば」

「だめ、きちんと手当てしておかなきゃ」

 雪は、近くにいたクラスメートに、次の時間遅れて教室に戻ることを告げ、進の腕を掴んで引っ張った。

「保健室に行くわよ。大事なアンカーなんだから、体には、気をつけなきゃ」

 進は、自分がもし、こんなにも、足が速くなかったら、彼女はなんと言ったのだろうかと想像した。

 歩くのがゆっくりになった進を気にして雪が振り返った。

「アンカーじゃなくても、ちゃんと、保健室に連れていくわよ」

 雪には、読まれていた。

「よかったわ。アンカーができる人がうちのクラスに来てくれて......。このリレーは、うちのメンバーじゃ勝てないかなって、思っていたから......」

『級長、気を使っているんだな』

「これで、また、一つ、勝てそうな気になって、みんながんばってくれるわ」

 進は、雪の級長の職を全うしている姿に感心してしまった。

『凄い人だ......』

 保健室で、進は、また雪に感心してしまった。進の傷を消毒して、手早くほう帯を巻いていく姿、まるできちんとそういう訓練を受けているかのようだった。

 

(3)

 進のリレーでの姿には、皆、恐れ入ったようである。皆の目が、親し気になってきたことを進は感じていた。

「ランチタイムのことは、おれに聞いてよ」

 昼前に、同じクラスの太田健二郎が声をかけてきた。

「今日のランチメニューは?」

 雪の質問に、太田健二郎は、何か思い出している顔になった。

「う〜ん、6日は、お代わり自由の照り焼きチキンバーガーとコーンスープ、果物は、オレンジ.....」

「太田くんは、一ヶ月のメニューが、頭の中に全部おさまっているのよ」 

 雪は、進に耳打ちした。

「部活は、我が体操部へ」

 昼休みに、違うクラスの加藤三朗が山本明とやってきた。

「ダメよ、彼は、柔道部に入いる予定なんだから」

 雪は、まるで、マネージャーのように進の予定を決めていった。

「なんで、柔道部なんだよ。古代さんは、インターハイで、体操で入賞できる実力があるんだ」

「お兄さんの古代先生が柔道部の顧問なのよ。柔道部に決まってるじゃない」

 山本明の言葉を雪は、ぴしゃりとはねのける。

「そうやって、自分の部へ連れていこうとするんだな」

「さあさあ、もう、午後の授業が始まるわよ。帰って帰って」

 加藤三朗と山本明は、雪に簡単に撃沈されてしまった。

 

 授業が終わり、進が帰り支度をしていると、雪も慌てて片付け始めた。

「今日は、一日ありがとう。級長は、部活があるんでしょ、ぼく、一人で帰りますから」

 進は、雪の面倒見のよさがちょっとありがた迷惑のように思えてきた。

『もう、いい加減、一人になりたいな』

「だめよ、怪我もしてるんだし。今日は、送っていくわ」

「えっ」

 進は、それ以上言えなかった。言っても、覆されることは、今日一日でよく学習した。

『はあ〜』

「じゃあ、図書室だけ、行かせてくれる?蔵書とか見たいし」

 雪の瞳は、キラキラ輝き出した。

「じゃあ、図書室で待ち合わせしましょ。私、ちょっと、部室に寄ってくるから。入部届けも持ってくるね。図書室はね、隣の棟の......」

 進は、雪から解放されて、ホッとした。

 

 図書室は、進の想像以上の蔵書で、進は満足した。

『さすが、有名私立だけあるよな。前の学校より、うんと、読みたい本がある......』

 進は、棚の中に、前から読みたかったものを見つけた。

『続編、出たんだ。この人の宇宙体験記、面白かったからな』

 進が手を出そうとした時、横からすっと、手が伸びて、本を掴んでしまった。

「あっ」

 進が声を出すと掴んだ本人も、進が、この本を狙っていたことに気がついた。顔を見合わせて、進は、驚いた。向こうも驚いたようだった。

「ご、ごめん、君も読もうとしてた?」

 それは、リレーで争った島大介だった。

「でも、先につかんだのは、君なんだから、君が読むべきだよ」

 進は遠慮する大介に笑顔で答えた。

「ぼくは、君が返したあとでいいよ」

 進の言葉に気を良くしたのか、大介は、嬉しそうな顔をした。

「よかった。この人の前の本、凄くよくって、楽しみにしていたんだ」

「えっ、君も」

 進は、大介が自分と同じことを思っていて、嬉しくなった。決して、ベストセラーとは言い難い本。同じ本に同じような感想を持った......何年も会えなかった同胞に会えたような喜び......。

「この人、大学の教授らしいけど、そっちの方は、いまいちらしいんだ。でも、この人の宇宙での生活の体験記を読んでいると、自分も、こんな風に宇宙旅行したいなあって、思ってしまって......」

「そうそう、特に、冥王星での原生動物との出会いなんかも、視点が凄くよくって......」

「宇宙物理学の人なのに、哲学的なところもあって」

「知ってる?この人、来年、ここの上の大学に来るかもしれないんだって」

「え〜、そうなんだ」

 二人の会話が弾んでいるところに雪が図書室に入ってきた。

「古代くん、おまたせ。あら、島くん、じゃない。二人で、何盛り上がっていたの?」

 雪の言葉に進はなんだか逆らえなくなってきた。

「ああ、この本のことでね」

「ふ〜ん、沖田十三......聞かない人ね」

「あまり、有名人ではないんだ」

「偶然、二人とも前作を読んでいてね、話が合ったものだから......。じゃ、古代さん、また」

 大介も、雪が得意でないらしい。

 進に目で合図するかのように、大介は、まばたきをして、図書の貸し出しコーナーへ向かっていった。

「古代くんは、借りないの?」

「うん、彼が読み終わったら、借りるから」

 

 

(4)

「よかった?部活、柔道部で」

 多少、気になったのか、雪の対応が優しい。

「いいんだ、体操はね。やってると、筋肉が付きすぎちゃって、泳げなくなっちゃうんだ]

「なんで?」

「ほら、筋肉の方が重いでしょ。イルカと泳ぎたいなあと思っても、沈みっぱなしじゃ、一緒に泳げない」

『イルカと泳ぎたい......この人って、いったいどんな人なのかしら』

 雪は、ますます、この少年の奥(?)の深さに驚いた。

「初日から、彼女とデートですか」

 二人の和やかな(?)会話を、二人の男が遮った。

『あっ、着替え室で、南部さんのロッカーを閉めた奴らだ』

 進は、二人の顔を見て思い出した。

「なに?」

 果敢な級長は、二人を睨みつけた。

「聡明な森級長も、天才くんが好きなんだね」

 明らかに絡んでいると思われる相手の態度に、進は、無視して通り過ぎ去りたかった。

 が、それは、雪が許さなかった。

「何が言いたいのよ。言いがかりも程々にしなさい。頭が良くて、あなたたちに迷惑かけてないでしょ」

『級長、そこまで、相手をたきつけるなー』

 進は、ため息をつきそうになった。正義感からなのか、プライドからなのか......。

「余計なことするのが、腹立つっちゅうの。級長、あんたも正義感ぶって目障りなんだよ」

 片方が、ポケットから、何かを握り締め、取り出した。さっと、ふりかざすと、刃がきらりと光った。

『ナイフ......』

 相手がどれほどの肝が座ったやつなのかわからないが、とにかく、下手に振り回されても、こっちが怪我をする可能性がある。進は、雪と男達との間隔に神経を集中させていた。

『級長があぶない』

「行こう、級長......。今度は、一人の時に、今日の話し合いの続きをさせてくれないか」

 進は、雪の手を引っ張って、自分の方へ寄せた。

「あなた一人になったら、こいつら何するかわかんないわよ」

 雪がそう言い終わるか終わらないうちに、ナイフの刃が雪の顔に向かっていた。

 だんっ

 進は、手で、ナイフを弾いた。握っている手許目掛けて思いっきり拳を入れたので、相手にも、ダメージがあったようだ。

「いいかげんにしろ。人に向かって刃物をふりまわすなんて。今回だけは、見逃してやろう。次回から、手加減しないからな」

 進の大きな声で雪は驚いた。ナイフが自分に向いていたことも死角で目に入らなかったこともあり、雪は、何が起きたかよくわからなかった。しかし、進の左の手の甲から、血が地面にしたたり落ちているのを見て、やっと、ことの真相がわかってきた。

「ちぇっ」

 進の声のせいもあって、人が集まり出したので、二人は、ナイフを拾うと走り去っていった。進は、その二人が見えなくなるまで、突っ立っていた。

「古代くん.....、古代くん、血が」

「ああ」

 何もなかったように、進は、ハンカチで血の出ているあたりをくるんだ。

「ちょっと、待て、ちょっと、待たんか」

 その様子を見ていた、一人の男が近寄ってきた。さっと、進の左手を取り、ハンカチをはずした。

「こりゃあ、ちょっと、深いな。ちょっと、来い、ちゃんと診んと、えらいことになるかもしれん」

 雪も、思ったより深い傷口を見て、驚いた。

「診てもらいましょ、なんか、お医者さんみたいだし」

 進は、雪のペースが戻ってきていたので、安心した。

 二人は、その男について、路地をいくつも曲がった。

『佐渡犬ネコ病院?』

 看板を見て、二人は、驚いた。

『まあ、この時間、フツーの医者は、仕事中だよな』

 進は、ちょっと、ため息をついた。

「でも、ほら、人間も可って書いてあるわ」

 雪のポジティブな所は、進も同調するところがあった。

『まっ、縫うことぐらい獣医でもできるか』

 佐渡は、細かく、進の手を触っていった。指先から、手首へ。

「どうじゃい、わしが触ったところで、いつもとちがう感触のところがなかったかい」

「いえ、いつもと同じです」

「まあ、動いているところを見ると、神経は切れておらんみたいだな」

「ええ、僕もそう思います」

 佐渡という獣医は、進に耳打ちした。

「彼女の前でかっこつけるのも、ほどのどにな」

 進は、恋人同士だと勘違いされているんだなと思った。

「はい」

 佐渡の笑顔に進が答えた。雪は、進の治療の間、ずっと、無言で、ただ、じっと佐渡と進の手を見ていた。

 佐渡は、縫い終わると、テーブルの上にあったコップに近くの一升瓶を傾けた。

「はあ〜、仕事のあとの一杯は、うまいな」

「あの〜、治療費は?」

 進が申し訳なさそうに言うと、佐渡は、二杯めの酒をコップに注ぎながら、

「いらんいらん。わしが診たくて診ただけじゃからなあ。また、数日たったら、横のべっぴんさんと来て、お酌でもしてくれたら、こんなにうれしいことはないんだが」

と、嬉しそうな顔をして言った。

『級長が目当て?』

 進が目をぱちくりさせていると、雪が進の腕をとって、引っ張った。

「はい、また来ます。それでは、今日は、ありがとうございます」

 雪は、おじぎをすると進の腕をとったまま、外へ出た。

 

「また、この病院にくるの?」

「そうよ、あなたの手の経過を診てもらわなきゃ」

『何考えてるんだろ。エロじじいかもしれないぞ』

「いい腕だったわ」

  雪の顔が嬉しそうだった。

「えっ?」

「あの先生、いい腕ね。とてもきれいだわ、縫い方。手際もよかったし」

 佐渡の動作を思い出しているのだろうか。雪の横顔は、すばらしい舞台か映画を観た人のようにすがすがしい顔をしていた。

「ごめんなさいね。私、お医者さんになりたくて。つい、お医者さんの仕種見ちゃうの」

「うん、見た目で判断しちゃいけないね。家のおやじも医者だから、治療のシーンって見なれてるけど、あの先生、丁寧だった」

「でしょ、また、来ましょ。なんか、面白そう、あの先生」

『う〜ん、やっぱり、級長は、フツーの女の子とは違うな』

 

(5)

 雪が送ると言ってきかなかったため、進は、守のマンションの入り口まで、送ってもらうことになった。

『子どもじゃないんだから......』

「ねえねえ、あのウィンドウの絵、きれい」

 画廊の入り口に飾ってある、女性の絵を見て、雪は、うれしそうな顔をしていた。

『ああしていると、かわいいんだけどな』

 進は、雪が美しい少女だと、その時、気づいた。そのとたん、急に相手が女性だと意識し始めてしまった。

『<級長>という役職が頭にあって、すっかりそれに振り回されていた』

「ねえ、あの絵の人、とってもいい顔」

 進の腕をつかんで、絵を指差した。

『それにしても、無防備な人だなあ』

 進は、どきどきしだした心を隠すように、わざと、平静を装った。

「ん?」

 進は、驚いた。

「ねっ、きれいな人でしょ」

「ああ」

「描いた人の恋人なのかな。私も、こんな風に描いてもらいたいなあ」

 進は、感慨深気に絵を見つめた。そして、その後、横で、いろんな推測を一人喋っている雪を見た。

『君も、十分......』

「ねえ、どうしたの?」

 突然、自分の方に雪が向いたので、進は驚いた。

「いや、ごめん、ちょっと考え事してた」

「あ〜、いやらしいこと考えていたんでしょ」

「そうじゃないさ」

 進は、その絵から離れた。

『なんにも、知らない癖に』

「あーん、待って」

 雪は、進を追い掛けた。

 

「志郎ちゃん、どうしたの?」

 画廊の隅から、窓の外をうかがっていた真田志郎は、奥から、お茶を運んできた女性の声で、我に帰った。

「いや、かわいいカップルが、君の絵を見ていたから、見ていたんだ」

「あら惜しい。私だったら、未来のお客さんをこの中に入れたのに」

「君は、大事なクライアントの未来の奥さんだから、そんなことまで......」

「あらあら、お茶を入れて欲しいって言ったの、志郎ちゃんよ」

「そうだね。それにしても、君のフィアンセ殿はまだだね」

「そうね。時間にルーズだから」

 いくつもの絵がかかっている中、二人は、入れたてのお茶を飲んだ。

「志郎ちゃん、すごいね。研究室辞めちゃって」

「いや、二足のわらじをはくほど、器用じゃないだけさ」

 がらん、がらんっ

 旧式のドアが開く。その時、一人の男が駆け込んできた。

 

「今日は、ありがとう」 

「ううん、こっちこそ、私のせいでけがさせてしまって」

『しかし、よく、ここだって、知ってたなあ。とっとと別れないと、部屋まで行くって言いそうだ』

 進は、ほう帯の巻かれた左手を上げて、走り去ろうとした。

「あれ、ねえ、あの人、さっき見た絵の......」

 雪の声で、マンションの入り口を見た。進は、入ってきた人物を見て、雪の手を引っ張って柱の影に隠れた。

「な、何?」

 強引に引っ張られた雪は、進の力で手首が痛くなった。

『男の子の力って......』

 進の視線の先を雪も見た。

 二人は、なぜか同じように、その場で、息を潜めて、同じところを見つめていた。

 視線の先には、マンションに入っていく守と、同伴の女性がいた。そのカップルが消え去るまで、二人は、相手の鼓動が感じ取れるぐらいぴったりくっ付いたまま、動かなかった。

「だれ?あの人......」

 雪の抑揚のない声が進の胸元に響いた。

「兄さんの恋人。というか、結婚がきまっちゃったから、フィアンセ」

 進も、自分で言った言葉を噛みしめていた。

『そう、兄さんのフィアンセ』

 二人の周りは、急に静かになった。

 進は、自分の胸元にいる雪が震えているのに気づいた。

 雪は、泣いていた。目から押さえていた涙がほろりとこぼれた。

「ごめんなさい」

 進の手を振り切って走り去ろうとした時、進は、雪を抱きとめた。

 雪は、一瞬驚いた。

「泣きなよ。思いっきり」

 雪は、進の腕の中で、向きを変えた。

「泣きたい時は、泣いた方がいいよ」

 雪は、進の胸の中で泣いた。進は、そっと抱きしめながら、空を見上げ、目を閉じた。その進の頬にも、ひとすじの涙が流れた。

 

(6)

「古代先生のこと好きだった......」

 二人は、公園のブランコにのって、ゆらゆらゆれていた。

「僕も、あの人のことが好きだった。兄さんに結婚するって言われた時、どんな顔をしたらいいのかわからなくて、笑っちゃった」

「無理に笑わなくていいのに」

 雪は、立ち上がって、大きくブランコを揺らした。

「そうだね。いつも、みんなに心配かけちゃだめだと思っていたから......。実家から出てきたのも、両親の診療所が忙しくて、これ以上、親に迷惑かけたくないなあって、思ってね。兄さんは、結婚したら、別のとこに住むから、さっきのマンションに住むなら、早い方がいいなって」

 進も大きくブランコを揺らした。

「どれだけ揺らしたら、空に届くかな」

『やっぱり、変なことばっかり考えてる......』

 雪は、進の楽しそうな顔を見てそう思った。

「すみません」

 二人の後ろから、老人の声がかかった。二人は、ブランコをゆっくり減速させた。

「この子に、ブランコを貸してもらえんかの」

 おじいさんのかたわらに、小さい女の子がいた。

「いいですよ」

 進は、足を伸ばして地面につけた。

 ブランコが止まると、女の子は近づいて、進から、ブランコを譲ってもらった。

「良かったね、アイコ」

 まだうまくこげないらしく、老人が女の子の小さな背中を押した。

 雪も小さくジャンプして下りた。

「さようなら」

 女の子が二人に片手を振った。

「さようなら」

「さようなら」

 二人は、女の子に声をかけながら、くすりと笑った。

「ほんと、さようならだったわね」

「ああ」

「そうだ、私の家に来ない?あんな家に帰りたくないでしょ」

 雪は、進が守とその恋人のいるところに帰り辛いと思ったのだろう。

「私の家にいらっしゃい。私一人っ子だから、友だちを連れてくると、親が喜ぶの」

「えっ、だって、急に行ったら......」

「いいの。ちょっと待って」

 雪は、鞄から携帯電話を取り出した。

「ママ、私。今から友だち連れて帰っていい?......じゃ、帰るね」

 そして、もう一度、番号を押して、別の所にかけた。

「あっ、古代先生。進君、私ん家で御飯食べるから。......えっ、おどしてない、おどしてない。じゃ、10時に迎えに来て」

 あまりにも、素早い対応に進は驚いた。

「さっ、行きましょ」

 雪は、進の腕をとった。

 

 

 雪の家での歓迎振りで進は、またまた驚いた。

『さすが、彼女の両親だけある』

「うれしいわ、男の子なんて、初めてだから......。張り切って作るからね、夕食」

「ママ、作り過ぎないでね」

「パパも何かつくるよ。うん、いつもの夕食じゃ足らないだろう」

「もう......」

「進君、ゆっくりしてね」

「あっ、はい」

「古代先生の弟ってことは、次男よね。家にも、男の子が欲しいって思っていたのよ。今どき、婿養子ってないけれど、息子のようなお婿さん欲しかったのよ」

『婿養子......』

「ママ、まだ、付き合って初日の彼に、そんな話しないで。ママ、嫌われちゃうわよ」

『付き合って、初日!?』

「そんなことないわよね」

「ええ」

 進の笑顔は引きつっていった。

「結婚早くても、いいからね。学校も、ここから出てもいいのよ」

「ママ、結婚の話、しないで」

「あら、雪。こういうのは、早いうちにわかっていた方がいいのよ。相手も悩んじゃうから」

「言う方が悩むでしょ」

「そんなことないわ」

 雪と雪ママはどんどんヒートアップしていった。

「進君、あんまり、気にしないで......」

「ええ」

 大人しそうな雪の父親が声をかけてきた。

「君、釣り好き?」

「ええ、実家の側が海なので、よく行っていました」

「どうだね、今度、二人で釣りに行かんかね。いい場所を見つけてね。誰かと行きたいと思っていたんだ」

「いいですね、お父さん」

「お父さん......いいね、もう一回言ってもらえんかね」

「お父さん......ですか」

『それにしちゃ、いろいろあった一日だなあ』

 進は、多少口元を引きつらせながら、雪の家族と夕食を迎えた。

 

(7)

「お兄様、お姉様の支度ができました」

 床につきそうなほどの豊かな髪がゆれる。

「ああ、わかった。君について行けばいいのかな」

「はい」

 二人は、長い廊下を歩いていった。

「お姉様と、千以上の手紙を交換していらしたとか。いったい、お二人は、何を話していらしたのか、お聞きしたいわ」

 ふふっと思い出し笑いをした男は、その質問を受けるべきか迷った。

「そうだね。それは、私が、銀河系の地球という星を、第2のガミラス星にしようと思っていた時から始まった」

「まあ、そんなお考えがあったのですか」

 女性は、驚いたらしく、歩みを止めてしまった。男は、歩くように勧めた。

「そう、その時、君の姉君は、私にメールをよこした。......<もし、あなたが地球を攻めることがあったらば、私は、地球の人々に一つのメッセージを送るでしょう>と」

「それで、どうなさったのですか」

「それから、二人で、仮想の話を紡いでいった。まだ、科学的に波動システムを開発できていない地球にそのシステムを伝え、イスカンダルに、放射能から地球を救うコスモクリーナーDがあることを彼女は伝えると言う。それに対して、私は、徹底的に阻止すると返事をした」

「それから?」

「それから......、地球の人々は、見事イスカンダルに辿り着いたよ。我がガミラスを滅ぼし」

 男はにっこり笑った。

「スターシャとのメールは、何年も続いた。そして、私は、気づいた。他の星の人々の運命を狂わさず、私達の運命を変える方法を見つけるべきではないかと」

「方法は、見つかりました?」

「いや、まだだ。けれど、彼女は、一緒に探そうと言ってくれた。彼女や私の部下たちみんなで考えていけば、見つかるかもしれない」

 女性は、にっこり微笑んだ。

「なぜ、お姉様が、あなたを愛したのかがわかりましたわ。お二人の愛のように、ガミラスとイスカンダルの未来は、いつまでも続くことでしょう」

 女性は、一つの部屋の前に立ち止まり、部屋のボタンを押し始めた。

「それでは、デスラー総統、これよりイスカンダルの王家の婚儀を始めたいと思います」

「ありがとう、サーシャ」

 サーシャと呼ばれる女性がボタンを押した瞬間、ドアが静かに開いた。その部屋のまん中に、画面で見るよりも美しく輝くスターシャが立っていた。

 部屋の天井は、 満天の星が部屋を覆うガラスのような透明の素材を通して、きらきら輝く。

 

 3つの星の人々は、優しい思いに満ちた夜を迎えていた。

END

 

※後日譚
   皆さん、いろいろ苦労は絶えないようです・・・

イラストBYりかよんさま

なぜ、



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