ラ・カンパネラ

  

 西暦2217年 地球……

 ユキは暗く静かな家に、そっと入った。ピアノの音が聞こえてくる。進が音楽を聴きながら寝てしまったのだろうかと、リビングのドアを開ける。
(『ラ・カンパネラ』?)
 鐘の音がかき鳴らされているような曲は、子どもの不安な心の音のように聞こえる。外から帰ってきたユキにとって、リビングは思ったほど暖かくなく、その理由は、ドアを開けてすぐ理解できた。進は窓をあけたまま、外を見ている。
「ああ、ごめんね」
 ユキの帰りに気づいた進は、窓を閉め、部屋の空調のスイッチを押した。そして、ピアノのふたを突然閉めるように、音楽も曲の途中で止めた。
「美雪はね、さっき部屋に戻っていったから、まだ、起きているかも。今日も佐渡先生のところに寄ってきたそうだ。まあ、帰りは必ずアナライザーが送ってくれるから、心配はないんだけど」
 進は、話しながら、ユキの食事の用意をし始めた。ユキは、窓際により、窓の外を見た。思っていた通り、アクエリアス氷塊が月の光を受けて、銀の翼を広げたように輝いている。
「今日は、月の光を受けているせいか、アクエリアス氷塊が明るいね」
 ユキのしゃべる前に進がアクエリアス氷塊のことを口にした。甘い香りとともに、進はユキに近づいて、手にしていたカップをユキに渡す。それでも、アクエリアス氷塊については、いつも進はそれ以上言わない。14年前にあそこで何かあったか、そして、何を思っているのか、その時を共有していたのだから、何も言わなくてもいいだろうと思っているのか、それとも思い出したくないのか、口にすることはない。
 二人は無言でホットココアを飲みながら、窓の外で妖しく輝くアクエリアス氷塊を見ていた。
 レンジの音が聞こえ、台所に戻ろうとする進の腕にユキは手をそっとかけた。
「ごめんなさい。今日は、少し軽めの夕食をとったから、もう晩御飯いいわ。太ってしまうし」
 ユキはそう言うと、窓の外をまた見た。きっと進は笑顔でうなづいてくれるとわかっていたから、余計その笑顔を見たくなかった。
 14年前、当初は進の体調が戻るまでと、進は地上勤務になった。いつの間にか、作戦参謀の中ではエース格となり、参謀本部のトップとなるのもそんなに遠くないだろうと言われている。だが、子どもを育てながら生活をするために、二人は勤務時間や休みを調整しながらであったため、家庭を第一にしている進に対して、芳しくない意見を持つ者も防衛軍の中にはいた。また、歴戦の勇者である進に太陽系内外の艦隊への復帰を望む声もあった。しかし、進は地上勤務の希望をずっと出していた。
「あなた……」
 それでも、ユキは、進が時折アクエリアス氷塊を見ながら、一人考えごとをしているのを知っている。察しのいい進は、見られたと思うと、その場を笑顔でごまかしていたが、そんな時の進の笑顔は年々翳りが深くなっていった。
「美雪、中学生になって、体が急に大きくなってきたわよね」
「そうだね、言うことも、一人前になってきたし、こっちはたじたじだよ。下着が出しっぱなし、脱ぎっぱなしの時もあるから、部屋にも入れない」
「最近はブラジャーもつけ始めたから。年頃の娘のお父さんは大変ね」
 二人は並んでカップのココアを飲みながら、娘・美雪の話をする。ずっと側にいる家族がいて、たわいない話をして、平和に暮らす……それは、とても幸せなことだとユキは思うが、ふと見せる進のさみしげな横顔が、ユキにも不安をもたらす。進の心はあの回遊水惑星アクエリアスが残していった氷の輝きを見て、押さえきれないほど、限界にきているのではないかと。
「……」
 話が途切れ、進はユキの顔を覗き込む。進は優しくユキの唇に触れる。二人はカップを置き、しばし固く抱き合う。ユキは進の背中越しに見える、もう地平に消えていくアクエリアス氷塊を恨めしく見た。
 シャワーを浴び、二人ベッドで結ばれていても、進の心がどこかにいってしまっているのをユキは感じていた。その後もなかなか寝つけないユキは、進の腕の中で寝たふりをしていたが、進も眠れず、顔をみられまいとユキを抱き寄せ、時が速くすぎるのを祈っているかのようだった。
(今日で最後にしよう)
 ユキは進の腕を払い、バスローブを羽織ると、ベッドに座った。
 進も目をあけ、無表情に天井をずっと見ていた。
「もう、いいから」
 ユキは進に頬に手を持っていき、やさしくなでた。
「あなたはもう限界に来ている。自分でもわかってるでしょ。でも、あなたは私や美雪に縛られ、地球防衛軍に縛られ、この地球に、そして、あのアクエリアスに沈んだヤマトにも縛られている……これ以上、私、見ていられない。あなたの心がもう、まいっている。悲鳴をあげているの、わかってるから」
 進の頬に涙が流れる。
「幸せなのに、君と美雪とこの平和の地球でくらしているのはとても幸せなのに、なぜ、こんなに心が騒ぐのか、なぜ、こんなに苦しいのか……」
 ユキは進を引き寄せ、胸の中に抱いた。進は声を抑えながらも、ユキに腕に抱かれて泣いた。ユキは、優しく進の頭を抱き寄せ、時折、頬にキスをした。
「宇宙(そら)にいってらっしゃい。私、待っているから。帰ってくるのを待っている」
 

「言っちゃったんですか」
 相原義一はユキからの話にうわずった声を出した。ユキはうなづいた。
「皆、なんとなく心配して、短期間でもいいから、基地の勤務か艦隊の勤務に変わるのを勧めていたんです」
 ユキは、進のことを察していたのは自分だけではないことで、安心をした。
「カウンセリングにも行きだしたの。その方が、辞めやすいから」
「えっ、辞めちゃうんですか」
「ええ、中途半端にしていたら、彼も中途半端にずっと縛られ続けてしまうわ」
「でも、そんなことをしたら、ホントに宇宙のどっかに行ってしまいますよ」
「いいの。それで、彼が元気になれるのなら」
 ユキはくすりと笑った。本当に進は糸が切れたたこのように、手を離してしまった風船のように、高く高く見えなくなってしまうところまで行ってしまうだろうとユキは思った。
「それがいいんだろうな」
 真田志郎がつぶやく。
「愛するユキや美雪ちゃんが地球にいるんだ、永遠に飛んでいってしまうわけはないよ。あの男は」
 ユキは、少しはじらうかのように頬を染めた。義一は身を乗り出す。
「そうでしょうか」
「大丈夫さ。そしてあいつは、また、強くなってかえってくる」
「そうですね。彼ほど強い男は、この銀河系にいないと思ってます」
 ユキはくすりとわらった。
「大丈夫、あいつが戻ってくる頃には、あいつが絶対戻ってくるものを作るから」
 志郎は、昼間の空にうっすらと見えるアクエリアス氷塊を指さした。
「その前にリハビリをしてもらおう。じゃじゃ馬相手をするまでに元気になってもらわないと」
 ユキは空でキラキラと時折輝くアクエリアス氷塊を見上げた。
「そうですね」
 青い空、緑に覆われ、動物たちも徐々に増え始めた地球。進はこの地球を捨てることは絶対ないとユキは確信していた。
(だから、いってらっしゃい。ちゃんと地球に戻ってきてね)


「あのー、面接はこちらですか?」
 進の自宅に一人の男が訪ねてきた。
「大村耕作……外周艦隊の戦艦で副官をしている大村さんですか?」
 進は目の前できちんと背を伸ばし座っている男と対峙していた。
「私のことを存じてくださっていたなんて、ありがとうございます」
 男の笑顔に進も圧倒されかけていた。
「私の船はただの貨物船ですよ。ワープはできますが、クラスも小さい。とてもあなたが満足できる船ではありません」
 男は進から視線をそらさずまっすぐ進の目を見ていた。そして、口元がにこりとした。
「私の夢は、若くしてヤマトの指揮をして、何度も地球を救った伝説の男・古代進の下で働くことなんです。夢がかなうんです。私、妻も子もいません。夢がかなうなら、何でも捨てられます。独身の特権です」
 大きく笑う男の顔を見ていて進は頼もしく感じた。
「どうぞ」
 ユキは、大村耕作の前に紅茶を置いた。ユキは進の旅立ちに一切口を挟むことはしなかったが、進の準備をずっと見守っていた。
「そうそう、理解あるご家族がいることも大切ですよ」
 耕作は、ユキに頭を下げると、紅茶を飲み干した。
「ふうー、おいしい紅茶ありがとうございます。それでは、第一の仕事として、船長に差し上げる紅茶の煎れ方、教えていただけませんか」
 もう四十を超えているだろう男が、進とユキを前にして、気持ちの良いほど良い笑顔でいった言葉を聞いて、二人は噴出して笑った。二人は顔を見やった。こんなに吹っ切れて笑うことができたのはいつが最後だったのだろうか。
「いいですよ。では、こちらにおいでください」
 ユキはとてもいい男が進の補佐をしてくれる役割をやってくれそうなのが、うれしかった。
「おい、まだ採用するとは……」
(やれやれ)
 大村耕作まで辞めさせたとなったら、また軍の関係者から何を言われるだろうかと一瞬進の頭をよぎったが、気持ちは晴れ上がった青い空のような清々しかった。
 その時、キラリと、窓の外の空で光る。陽(ひ)の加減で昼間時折見せるアクエリアス氷塊の煌きだった。
 誰にも責められなかった、けれど、自分自身はどうしても許せなかった。そして、今でも許せないでいた。
「ヤマトに縛られているか……」
 進はユキに言われた言葉をつぶやいた。
 そして、ふっと、数日後に控えている娘の誕生日のプレゼントを買うことを思い出した。
(あの人だったら、孫にどんなプレゼントを送っていたのだろうか)
 小さく息を吐き、窓の外のアクエリアス氷塊のあたりを見る。しかし、アクエリアス氷塊の輝きは、昼間はなかなか捉えられない。確かにそこには残骸のような氷の塊があるのに。
(出航前の最後の家族のイベントになりそうだな)
 進は部屋を見回し、こうしてここで生活をして生きていることを、感謝しなければと思った。

おわり


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