「想人」第十話 ユキ

(1)
 ユウは、次郎の背中を見て歩いていた。無言の次郎の背中は、いつもより小さく見える。
 涼子に追い出されるように、自室に帰るように言われた二人だったが、言葉を交わすことなく、部屋の方向へ流れて行く通路に立っていた。


 トナティカ付近、銀河の中心部近くは、銀河が不安定であり、うかつにワープをすれば、次元のひずみの中に取り残され、元の次元に戻ることができなくなる可能性が大きい。何度も、何度もくどいほど計測して、確実にワープが出来るポイントを見つけなければ、ワープ失敗につながる。
 ワープの失敗−−−それは、ヤマトの生還にも関わる。ワープ可能であれば、即ワープできる体制の中での小刻みの睡眠による疲労を防ぐため、ユウと次郎は寝ることが現在優先すべき1番の仕事であった。


「涼子先生、元気でしたね」
 ユウは、何か話さなくてはと迷ったあげく、涼子の名を出した。しかし、次郎から言葉は返ってこなかった。

 医務室を出るときの涼子はやけにはしゃいでいた。ユウにはその原因がよくわからなかったが、きっと次郎と何かいいことでもあったのだろう程度に思っていた。
 次郎は、だんまりを決め込んだように、何も答えてくれなかった。ユウは、的外れの質問をしたことに気づいた。

 トナティカから地球への帰還、ユウには、母を失ったということだけが現実で、他の人のコトを考えることができなかった。涼子と次郎のその後のことなど、当然眼中になく、その後の二人のことは、この航海に参加するまで、気にも留めてなかった。

 次郎は無言のまま、自分の部屋近くで通路脇に下りた。隣室のユウもつられるように下り、自然に次郎の横に並ぶことになった。そこでユウは、やっと次郎の横顔を見ることができた。

『涙……』
 
 次郎の頬に涙の道ができていた。その道にそって、しずくの一つ一つが、さっと流れていた。さっきから、次郎が無言だったのは、泣いているせいだったのだと、ユウは知った。
 次郎は、ドアの前で、ロウ人形のように動かない。なのに、新しいしずくが、頬を伝ってまた一つ、そしてまた一つと流れ落ちていた。そのたびに、ユウの心は、ちくりちくり、針に刺されていくようだった。

「す、すみません」
 ユウは、視線をはずした。静かな廊下は、ただヤマトのエンジンの音がかすかに響いているだけだった。やっと、我に返ったのか、次郎は頬の涙を指で払い、その痕跡を何とか消そうと努力していた。ユウは、顔をあげることが出来ず、ただ、黙ってこうべを垂れていることしかできなかった。

「は、あは、……」
 次郎は声をもらした。ユウは、不思議だった。
「ふふふ、ははは……」

 ユウは、次郎のようすをただ、呆然と見続けていた。次郎は、一人笑っていた。


(2)
「大丈夫ですか?」
 ユウは、湯気が立っているカップを次郎に差し出した。次郎は、両手の平でそのカップを包み込むように受け取った。

 次郎の涙、そして、笑い……ユウには理解できなかったが、廊下にいれば、誰かに見られてしまう。ユウは、次郎の腕を取って自分の部屋へ入れた。次郎を自分のベットに座らせると、急いで紅茶を煎れ、渡したのであった。

 次郎がなんとかカップを落とさないように受け取ったのを見届けると、ユウはそっと次郎の脇に座った。

「すみません。涼子先生とは、ずっと上手くいっているかと……あっ、すみません」
 ユウは、次郎の膝の上の手をチラッと見た。両手の中にあるカップは、受け取ったままの状態で、次郎の手の中にあった。
 
 立ち昇っていた白い湯気が、するすると天井へ流れて行く。ユウは、何度も白い湯気が消えていく様を見ていた。
 初めて配属されたヤマト。クラッシックな形、自動化されてないが、性能は最新鋭。単艦での戦闘……慣れないことばかりの約2ヶ月。疲れて寝るだけの日々だった。忙しい毎日の中、こうしてぼんやりできたのは初めてだった。

 単調な動きをしていた湯気が、追い払われていくように左右に揺れた。ユウは、現実に引き戻された。湯気の揺れは、次郎がカップを持ち上げ、カップの表面へ息を吹きかけはじめたせいだった。

「猫舌なんだ」
 次郎は目を細め、優しい眼で笑った。それにつられる様にユウも笑みを作った。

「三年……案外早かったな。お前も、いつの間にか大きくなってるし……」
 確かに、二人の体格は近づきつつあった。座った時の目の高さがほとんど同じである。

「こんなに泣けるんだなー、涼子に振られたことだけで」
 次郎は、こぼれそうな笑い声をこらえるのに必死のようだった。手に持っていたカップの琥珀色の液体が小さな波を立てていた。

「自分のことだけど、わからないもんだ。兄貴が死んだ時以来かな、人前で泣いたのは」
 そう言い終わると、次郎は、また、何度もカップに息を吹きかけた。カップを何度も回し、次郎はカップの端に口をつけた。
 次郎は、肩を少しびくんとさせた。

「熱かったですか」

「大丈夫。ふうー」
 次郎は、大きく息を吐いた。
 
 次郎の様子にホッとしたユウは、自分の紅茶に一口飲んだ。
『にがっ』
 あわてていて、冷まさずに熱湯をポットに注いでしまったことに気がついた。そのせいで、苦味のある紅茶になっていた。ユウはその苦い紅茶を口に含み、次郎を見守った。

「俺の兄貴は俺の小さい時に、ヤマトで死んだんだ。初代のヤマトが沈む前に。兄貴があと十年ぐらい生きていたら、君と俺ぐらいの年齢差だったハズなんだよなあ。こんな感じになれたんだよなあ。兄貴が生きていたら……」
 そう言うと、次郎はうつむいた。下向きにまつ毛がはえているせいか、次郎の顔がいっそう寂しく見えた。

「君と俺ぐらいの年齢差なら、色々話せそうだ……。兄貴と話したかった。兄貴が死んだとき、俺、子どもだったから、兄貴もいいたいこと言えなかったんだろうな……。幽霊でもいいから、兄貴ともう一度会いたいなんて思っているんだぜ。今でも。そのせいか、兄貴と同じ年で、兄貴の親友だった古代艦長を見ていると、つい、兄貴と重ねてしまうんだ」
 言葉を止めると、次郎は、また、一生懸命、フゥフゥと息を吹きかけはじめた。何かを思い出しているのか、次第に、次郎は穏やかな顔つきになっていった。

「艦長がにくかった時もあった。どうして兄貴を連れて帰ってきてくれなかったかって、子どもの時は、それはそれはうらんださ。軍から離れていた頃の古代艦長は、幸せそうだったから、余計、そう思ったんだ。けれど、トナティカから脱出する時、あの時の艦長は、ものすごくくやしがっていた。苦しんでいた。俺もそうだった。仲間がたくさん死んでいったのに、ユキさんを置き去りにしてしまったのに、それで、幸せになんて……涼子と結婚して、地球で幸せに暮らすなんてこと考えられなかった」
 次郎は、またカップを口元に持っていき、ホンの少々口に含み、大きく息を吐いた。

「すまない。こんな話をして……」
 次郎は、ユウの顔色が変わったことを察知して、口を閉ざした。

「気にしないでください。むしろ、聞きたいんです」

 ユウの言葉に、再び次郎の唇を動き出した。
「……艦長は、兄貴や仲間たちとの思い出と失った悲しみをずっと背負いながら生きている…今もね」
 じっと、ただ聞いているだけのユウに、次郎は微笑んだ。

「トナティカから地球へ戻って来る時の艦長を見ていたら、どうしても、艦長といっしょに航海したくてね。艦長と同じ宇宙を感じたかった。そうすることが、兄とつながる道のような気がして……ま、そんな風で涼子のことなんか考えられなくて、結果、愛想つかれてしまったんだけどね。……あっ、だけど、艦長のせいじゃないんだからな。根本的な原因は俺自身だから、お前、気にするなよ」
 次郎は、にっと笑うとまた、息をふきかけ、カップを傾けた。

 いつもより、何倍もおしゃべりになっている次郎の話を聞きながら、ユウは進に言われた言葉を思い出していた。昔、トナティカへ行く前に言われた言葉……

「お前に宇宙を見せたいんだ。だから、一緒に行かないか」

(3)

「何、それ?」
 ユウは思わず声をあげ、教科書が詰ったカバンを足元に落とした。久々に母が来たと思ったら、宇宙へ行かないか、親子3人いっしょよ、なんて無邪気な言葉。何か変だと思った。母がケーキを作るなんて(テーブルの上に、でんと置かれたケーキを見た時も少しあきれたが)、何かあるとは思ったものの、その意外な話の展開に唖然としてしまったユウは、落としたカバンを拾えずにいた。

 30秒ほどしただろうか、ユウは、カバンを持ち上げると、キッと母親を睨んだ。
「こっちの都合もあるんだ……」
 そう小さな声でつぶやくと、体の向きを変えて、自分の部屋へ向かった。

 ユウは、そのまま、部屋にこもった形になった。母にドア越しに何を言われても、ベッドの上から動かなかった。
 自分の態度で、母は悲しんでいるのかもしれない。しかし、行ったことも見たこともない太陽系外の惑星に一緒に行こう、学校はそこの星の子と一緒のところへ行けばいいと、簡単に言われたことも合わせて、ユウは、母の一方的な提案に、かなり不服だった。

 父が帰ってきて、しばらくたった。ユウは、ずっと、ドアの向こうの様子を想像していた。きっと、二人は、次の手を考えているに違いない……


「もう、かえっちゃったよ」
 進の声をドアの向こうで聞いた時、なんだか涙が出てきた。

カチッとドアの開く音。ユウは、体の向きを反対側に向けた。

「すまないな。突然で」
 ユウは、後頭部に、進の手の感触を感じた。進の指がユウの髪の毛を何度もすくようになでる。ユウは、母親を悲しませてしまったことに後悔していた。だから、何も言えなかった。

「ケーキを食べないか」
 そう言われた時、ユウは小さく頷いた。

 ケーキには、ろうそくが立てられていた。薄暗い部屋の中で、進はろうそくに火をつけた。
「この間のお前の誕生日に来れなかったからって、がんばって作っていたんだよ、このケーキ」
 その後、進は、何も言わなかった。ろうそくの溶けたロウが、ケーキの上に落ちていく。二人は、ケーキを挟んで、その様子をずっと見ていた。


「お前に宇宙を見せたいんだ。だから、一緒に行かないか」
 ユウは、思わず、進の顔を見た。
 進のやさしい目を見たときに、ユウは、下唇をかんだ。それ以上、進の目を見続けることができず、視線をケーキの皿に移した。

「返事は、ギリギリまででいい。自分で考えなさい。私はお前ぐらいの歳には、両親はいなかった。一人で寂しかったが、どうにか周りの人の助けを借りて過ごすことができた。だから、親の側に必ずしもいなければならないこともない。地球にいたいのなら、それもいいさ。ただ、私はお前に、宇宙でのことを何一つ伝えてない。だからこそ、お前を連れて行きたいんだ」

 フッ
 進の息がろうそくの炎を大きく揺らし、吹き消した。進は、窓へ向かった。窓の外は、黒い布の上に白い砂を散らしたように、たくさんの星が白く輝いていた。

 ユウは、知っていた。父は、いつも夜空を、星を、キラキラ輝くアクエリアス氷塊を見上げていた。あそこには、たくさんの思い出があるから、あんなになつかしそうな目で見上げているのだ。そして、ユウも、いつか、父と母の見た宇宙を見てみたいと深く思うようになっていた。


「いいよ。一緒に行くよ……ケーキありがとう。おいしかった……」
 あくる日の朝、ユウは、朝1番に、母へ電話をかけた。

(4)
 第二艦橋では、 航海班の航路探索スタッフが航海班副チーフの桜内真理のもと、細かく分析されたこの空間のデータをチェックしていた。真理は操縦よりも、データ分析や艦の航路計画を立てることの方が得意であり、班長の次郎からその方面の仕事を一任されていた。

「桜内さん、OKです。ワープ可能です」
 別モニターで、データをチェックしていた真理は、その声に反応して振り返った。

「もう一度、確認して。ワープ失敗は、ヤマトの任務遂行の一番の障害よ。慎重に。それと…安藤さん、航海長と機関長にワープ準備をお願いしてきて。」
 真理は、第二艦橋を見渡し、手があいている乗組員に声をかけた。そのとき、第二艦橋の出入り口に、この部屋には見慣れない制服が真理の視界に入った。黒地に黄色のラインが入った服……澪であった。

「機関長へ連絡できました。航海長の居場所を今、確認中です」
「桜内さん、もう一回解析結果をコンピュータで確認しましたが、ワープ可能とコンピュータは判断しました。データは、こちらです」

 渡されたデータをペンでチェックをしながら、真理は最終のデータ確認を自分でやり始めた。周りは、その真理の様子をうかがっている。第二艦橋は静かになった。

「いいわ。何度も確認ありがとう。これを第一艦橋へ回して。ワープ開始地点と終了予定地点のデータもいっしょにお願いします」
 真理の言葉で、また、第二艦橋は、人の行き来が激しくなり、声が飛びかった。
 ニコリともせず、真理は、データのプリントを元の持ち主に返すと、ドアの横の壁にもたれている澪をもう一度見た。澪は、真理が近づいて来ると気づくと、体を壁から離した。

「何か?」
 その目は、さっきプリント類を真剣に睨むようにチェックしていた真理となんら変わりがなかった。

「いつ、艦載機での訓練の許可を出してくれるのか、聞きに来た……」
 澪は、真理から視線をはずした。真理の後ろには、航海班のメンバーが、せわしく動いていた。

「聞いていたでしょ。ヤマトはもうすぐ、ワープする。ワープ後、すぐワープ可能かチェックして、可能であれば、連続でもワープする……そう説明したはずだけど」
 腕を組んで、威圧的な声で、真理は、澪に答えた。

「わかってる」
 
 真理は、自分より背の高い澪を、上目でキッと、睨んだ。
「じゃ、いいじゃない」

「ワープとワープの間に、こっちだって、外へ出て、索敵したいと思っているのよ」
「そう言ってても、スクランブル状態に入ったら、すぐワープして逃げなきゃならないんだから、ヤマトから離れるのは得策ではないの。索敵に行った艦載機が敵に見つかったらどうするの。戻るのが遅くて、ヤマトが攻撃されるようなことがあったらどうする?今は、確実に、この空間から、できるだけ離れることが」
 真理は、少し声を荒げてしまったことに気がつき、口を閉ざした。

「桜内さん、航海長に連絡つきました。航海長から桜内さんに、第一艦橋へ来て欲しいという伝言がありました」
 真理の背後から男の声が入ってきた。真理と澪のやり取りを見ていて声を挟めずにいたようだった。

「わかりました。今すぐ行きますから、後はお願い」
 真理は、手に持っていた書類を並べ、枚数を確認をすると、そのまま澪の横を通って、ドアへ一歩踏み出した。
 
 真理は、すれ違いざまに、ちらりと澪の顔をもう一度見た。
「ということで行くわね……食事、ちゃんと食べなさいよ。好き嫌いが多いんだから、あんた。」

「うん」
 澪は真一文字に閉じていた口元をほころばせた。


(5)
「ワープ終了」
 次郎の声と同時に、第一艦橋にいくつかの息の吐く音が聞こえた。

 ワープというのは、人に不快をあたえるものなのだろうか。ユウは、何度も経験したが、ワープの時に、妙に気が張って、息を止めてしまうくせがあった。訓練学校の時に、「もしワープに失敗した時は、次元と次元の狭間に挟まれて、消失してしまうだろう」と1番最初に言われたことが、頭に残っているせいなのかもしれない。しかし、ユウ以外の者も、ワープ終了後、こうして息を吐くのだから、案外、皆同じように、ワープの恐怖を抱えているのかもしれない。それは、次郎も同じようだった。ユウは、次郎の終了の言葉の後に、次郎が息を吐いたのを聞いた。

「何?」
 覗き込んだユウに気づいた次郎は、いぶかしがった。

「えっ、あ、いえ」
 ユウは、しどろもどろになり、言葉に詰った。

「航海長、右舷前方、障害物です。回避を!」
 俊介の声がユウと次郎の小さな緊張の中に飛び込んできた。メインパネルに、ヤマトの航路と岩隗の予想ルートが映しだされた。。

「取り舵いっぱい」
 操縦桿を思いっきり引いていた次郎の顔は険しい。
 ユウは、メインパネルを見守った。

『!』
 ユウは、目の前のキーを叩いた。

「主砲発射準備、1番、2番照準をあわせろ」
 ユウは、思わず叫んだ。このままでは、岩隗を完全に避け切るのは難しい。直撃は避けることはできるかもしれないが、双方のスピードがのった状態で、岩隗が船体をかする時の危険性より、至近距離で岩隗粉砕をユウは選んだ。

 カタッタッ
 真理は、キーを叩いて、緊急回避の警告音を全艦に鳴らした。
「発射、5秒以内で、ユウ」
 葵の小さい声が聞こえる。
 タッタッタッ
 目の前の標準の数値が揃う。もう一息吸う時間も惜しい。
「主砲、発射」
 
『割れろ!細かく割れろ!』
 ユウは、椅子から落とされないように体を固定し、パネルを祈るように見た。

「来ます」
 俊介の声と共に、艦体に衝撃が走った。揺れがあると覚悟していたユウは、椅子から落ちることなく、揺れを過ごすことができた。

『医務室あたり?』
 ユウは、その艦の揺れ方から、ヤマトの右舷側面に粉砕された岩の一部が当たったことを直感した。
『だとしたら……』

「側方展望室近くに、小さな塊が当たりました。居住区にかなり強い衝撃があったようです。装甲の破損は、中程度。艦内に影響はありません。今から、修理にはいります」
 葵の声で、皆、一斉に息を吐く。
 
 フー
 一際大きな吐く息が、ユウの耳元に届いた。
「助かった……」
 その声にユウは、次郎の方へ顔を向けた。

「間に合わないと思った瞬間、発射を決めてくれて助かったよ。回避運動に気をとられて、声に出せなかった」

「いいえ、すごく、こわかったです、自分で判断するって。いつもなら、かんちょ…」
 ユウは、口を閉じた。
 
「行けよ」
 ユウは、次郎の言葉に驚いた。

「気になるなら、行ってこい」
 次郎は、憤怒の形相で、ユウを睨んでいた。ユウは恥ずかしくなった。艦に揺れが生じた時、頭の中によぎったのは、進のいる医務室のことで、今も、進の無事が気になっていた。次郎にはすべて見透かされていた。

「あの……」
 口ごもるユウに、次郎は、行けよと、ドアの方を指さした。
 

(6)
 医務室は、多少、モノが飛び交った程度で、さほど被害がなかった。もちろん、ベットの進は、瞬時に固定されたため、被害はまったくなかった。

「だめでしょうか」
 ユウは、医務室の片隅で一息ついている佐渡酒造に詰め寄っていた。
 
 佐渡は、ユウの目をじっと見ていた。手は、先ほどの衝撃で飛ばされた愛用の茶わんをなでていた。

「一杯」

「はっ?」
 ユウは、その言葉に驚いた。佐渡は、ユウに向かって茶わんを差し出した。

「酒を一杯ついでくれんか」
 ユウは、近くにあった一升瓶を手にした。

「なみなみにな」
 ユウが注いでいる最中に、佐渡は声をかけた。
「は、ハイ」

 酒がこぼれないように、一升瓶を抱えるように注いだ。あと一摘、あと一滴としずくの行方を見ながら、ユウは注ぎ続けた。

「よし、ストップじゃ。次の一摘で、あふれ出るじゃろ」
 ずずずと佐渡は、茶わんの酒を飲みだした。そして、飲み干した茶わんを差し出し、もう一回、ユウに酒をそそぐよう催促した。
 ユウは、こぼさぬよう、ビンを支えている腕に神経を集中させた。

「さっきの気持ちじゃ、多すぎてもいかん。ぎりぎりの線でひく気持ちじゃ」
「は…い……」 
 佐渡の言葉に答えているユウの目は、茶わんの表面に釘付けになっていた。ユウは、注ぎ終わると息を吐いた。

「できるか?」
 佐渡は、茶わんの酒をごくごくと飲み始めた。
 その様子を見ていたユウは、固唾を飲み込んだ。

「やってみます」
 
 佐渡は、ユウの言葉を聞くと、にやりとし、口の周りの酒を腕でぬぐった。
「ならば、いいだろう。ただし、多少は寝なさい。寝不足で、仕事に差し障るようでは許可できん」

「ありがとうございます」
 ユウは一歩下がると、頭を深々と下げた。

 進の眠る治療室へ向かうユウを、佐渡は見送った。

「艦長が目が覚めるまで側にいたい、か……おやじより素直じゃな」
 佐渡は心地のよい酔い感じながら、一人、大きな口をさらに広げて笑った。


(7)
 ユウはベッドの側に突っ立って、進を見つめた。静かな寝息が微かに聞こえるだけで、ユウはただその音を聞いていた。ユウは目をつむった。耳に届く小さな寝息は、懐かしさをつれてきた。一緒に寝ていた頃、子守唄のように聞いていた音。ユウは、その音にあわせて息を吸って吐いた。

「座ったら?」
 少し低めな涼子の声で、ユウは目を開けた。

「まいっちゃうわよ。座りながら待った方がいいわ」
 
 反応しないユウの横を通ると、涼子はベッド脇の椅子の座面下のレバーを調整しだした。椅子の座面は少しずつ下がっていった。
 立ち上がった涼子は、椅子の上に片膝を乗せ、座面に体重をかけた。白衣が大きく揺れた。

「これで椅子に座りながら、ベッドにもたれて寝ることができる……長丁場になりそうな時は、こうやっておいて、机で寝るみたいな体勢で待った方がいいのよ」
 涼子は満足げに微笑んだ。

「さっ」
 ユウの腕を引っ張ると、涼子はユウに座るように促した。

「あ、あの」
 ユウは、椅子に押し付けられた。

 涼子は、ベッドの敷布カバーを調整し、進の体位を少し変えはじめた。進の体がベッドの反対側へ移動すると、ユウの前にほんの少しのスペースが出来上がった。

「少し寝た方がいいわよ。異常が起こったら、機械から警告音が出るわ。そしたら、こっちのボタンで仮眠中の佐渡先生に連絡すること」

 ユウは、唇を少し開けた。何かを言いたいのだが、言葉にならなかった。

「大丈夫、艦長は。数時間後には、間違いなく覚醒するのは確かなんだから。あなたは、ここで寝て待つ」
 ユウの目の前のスペースに、長い涼子の指が弾んでいた。
 
「いいじゃない。別に変なことじゃない。むしろ、人間らしいことよ。家族が、病んだ家族を気にすることも、側にいたいことは」
 涼子の前髪が涼子の頬にかかる。涼子はその下がってきた前髪を持ち上げ、白衣のポケットにつけていたピンで留めた。ユウは、その柔らかなしぐさを見ていた。

「むしろ、安心したわ。さっきの艦の揺れを気にしてくれたこと」
 涼子はニコリとした。ユウは、見ていたことを気づかれて、はずかしくなった。隠そうとすればするほど、ユウの頬は紅潮していった。
 
「次郎ももう少し、艦の安定を気にしてくれたら……。医務室は、比較的に、艦の揺れに対して強く設計されているけれど、手術中や重態の患者さんにとっては、死へ直結することもあるからね」
 『次郎』の名に、ユウは、ますます唇を固くした。

「とにかく、果報は寝て待て。さっ」
 涼子は、ユウの背中をとんとんっと軽く叩くと、部屋を出て行った。
 涼子の長い髪はバレッタで留められていたが、何本か落ちた後ろ髪が、白衣の肩に揺れていた。


(8)
 低いイス……。まるで子どもの頃のイスのようだ。僕は確かに、こんな風にイスに座って、そして、こんな風にこの人の寝顔を以前見ていたことがあった。あの時は、この人と離れるのがいやで、かなりわがままを言って側にいさせてもらった。今は?今は、どうなのだろうか。少なくとも、あの時よりは、多少マシで、冷静に見ることができるようになっている。たぶん、それだけは確かであると思う。

 数年前まで、父と離れることなく、一緒に過ごしてきた。それは、僕が生まれてからずっと続いていたと思う。というのは、僕自身、そんな昔のことは記憶にない。ただ、父は、僕が生まれる直前に軍人を辞め、「タダの人」になったらしい。地球防衛軍にいた父は、それは、それは、最速の出世をして、地球で知らぬ人がいないほどの有名人だったらしい。でも、僕はそんなことを知らない。知っていたのは、僕の父親としてのこの人だった。
 毎日、二人は、ゆっくり一日を過ごした。朝、起きて、ごはんを食べて、二人はそれぞれ学校へ行って、夕方は、買い物へ行って、二人でご飯を作った。いい音楽を聴いたり、いい詩を聞いた日は、そのことをご飯を食べながら、自慢した。いい天気だったら、外で虫を捕まえたり、昼寝をしたり、夜、星を見に行ったり。毎日、毎月、毎年、大きな事件もなく、二人の時が流れていった。もちろん、母がいる3人の時もあったけど、大多数の日数は、父とすごした。
 父はよく泣いた。実験で、海に棲む大型の哺乳類を研究していた父は、実験用の動物たちが死んでしまったり、人の手から離れなくなってしまったりした時に、涙を浮かべていた。夜空を見上げながら……。
「人のできることは、ホンの少しのことだけだ」
 そう言っているくせに、
「願っていれば、いつかかなうかもしれない」
と、あきらめは悪い人だった。

 父の昔のことを聞いたのは、学校だった。授業の時、先生が言った言葉。
「当然、貴方は、知っているわよね」なんてことを僕に言った。
『えっ、何のこと?僕のお父さんは、少しぐうたらな学者だよ』
 そう思っていた僕は、それまで知らなかったことをたくさん聞かされた。
『ヤマト』……その中で出てきた一隻の戦艦の名前……
 学校帰り、ヤストを引きずって彼の家に行って、それまで知らなかった父のことを白状させた。

「そんなこと、ホントに知らなかったのか」
 ヤストに言われて、くやしいのか、悲しいのかわからずに泣きわめいた。

 それから、周りの大人たちの、父への反応を見るようになった。それまでは、何も思うことはなかった。南十字島であるから、軍人が多いところだから、父の所に来る人たちのほとんどが軍人であることに疑問を感じることがなかった。けれど、その時から気づいた。彼らは、父の元部下たちだった。彼らは、さりげなく、父へは敬語または、尊敬の念が感じられるしぐさで接していた。父は、それを覆い隠そうともせず、また、気負うことなく、自然に接していた。
 二人の間の生活は、何1つ変わることなかったのに、僕の周りへの見方が変わったことにより、僕の感じ方が随分変わった。

 もう1つ気づいたこと、それは父の笑顔。父は、いつもにこやかに笑っていたけれど、父の笑顔の裏には、寂しい顔が存在していた。笑いの後、フッと見せる寂しい顔の時、一体何を思っていたのだろうか。どこを見ていたのだろうか。

 「お前に宇宙を見せたいんだ。だから、一緒に行かないか」
 そう父に言われたとき、断れなかった。僕にも、1つ野望があったからだ。
『本当の父を見てみたい……』
 何となく感じていた、目の前にいる父ではない、僕の見たことのない父の姿……

 その見たかった、もう一人の父を見ることができたのは、トナティカからの脱出の時だった。


(9)
 宇宙へ出れば、もう一人の『古代進』を見ることができると思っていた僕の予想は、大きな誤算があった。父は、どこへ行ってもマイペース人間だということを忘れていたのだ。だから、トナティカからの去るときまで、その姿を見ることができなかった。

 父の生活は、地球からトナティカへと変わっても、大して変わらなかった。ただ、毎日の生活に母が加わったことで、多少、家事負担がなくなって、その時間はゴロゴロ寝ている時間が増えただけのようだった。たとえば、仕事は、事務的なことを午前・午後に振り分け、昼間の時間は、母の診療時間に合わせて、休憩時間になっていた。これは、昼間に必ず昼寝の風習があったトナティカの人達の生活に合わせていたといえばそうなのだろうが、うっかり忘れ物をして、この時間に家に戻ったりすると、二人が仲良く寝ている姿を見ることになり、まだ少し子どもだった僕は、ちょっとショックだったりしたこともあった。(もちろん、そんな時は、こっそりその場を逃げ去ったのだが)
 それ以上に、父と母が言葉を交わすことなく、頷きあったりわかり合ったりする姿を目にするたび、僕は、父母から離れなくてはと、自覚せざるを得ない状態になっていた。

 平和でのんびりとした時間が過ぎ、トナティカの言葉を覚え、友だちも増えた頃、トナティカでの友達の助言があって、ますます家から出なければならない状態になった。
 トナティカの子ども達は好きな人ができるころ、大抵、大人と一緒に住まず、同じ年齢の子ども達と寝起きをするようになる。トナティカでは、性に対して寛容で、奔放で、若いカップルは珍しくない。トナティカの友達とその手の話をするのは、少々苦手だった。友達からは、子どもだとからかわれても、僕は、毎日家に帰っていた。今思うと、父から離れるのが怖かったのかもしれない。父と母の親密な関係に、入り込めなくなってきたことに、焦りを感じていたのかもしれない。でも、その一方、親から離れなければならないと、トナティカの友達の姿をみて、少しずつ覚悟を決めていた。その日は、もう近いことも知っていた。
 
 そんな中、突然、トナティカを離れなければならない日が来た。それは、父や母と別れの日でもあった。

 トナティカ最後の日の前の日、僕は父とたくさんの花を摘んだ。その行き帰り、二人だけで歩きながら、ずっと話を続けた。トナティカの風習のこと、言葉のこと、新しい友達のこと……。久しぶりの二人っきりが何より楽しかった。あれが二人で何かをしたのが最後のような気がする。
 たくさんの花を持つ僕。落とした花を拾う父。僕の花をうれしそうに受け取る母。僕は、二人の前では、いつまでも無邪気な子どもでいたかった。
 
 周りの人はいつも僕を子ども扱いをした。トナティカのその花には、プロポーズの意味があることを知っていたし、男女の関係の大抵のことは、トナティカの友達から聞いていたのでよく知っていた。花を贈って受け取るということがどういうことなのか、そんなことだって知っていた。
 友達たちが、お気に入りの女の子へ花を贈る話をしている中、自分には、まだ、その花を贈る人がいなかったので、いつも、聞き役だった。母へ渡したのは、トナティカでの意味ではなく、ただ、母の笑顔を純粋に見たいだけだった。

 その日は、目的の母の笑顔も見ることができて、かなり浮かれていた。次郎さんから、花の咲いているところへの案内を頼まれた時も、快く受けた。翌日も母の笑顔が見ることができると、密かに思っていたし、誰よりもトナティカのことを知っていることを実証できる。そうすれば、少しは、大人の扱いになるんじゃないか……いつまでも、子どもではないことをわかってもらえるいいチャンスのはずだった。

 次郎さんたちと出かけた時、前日の花のあったあたりは、すでに花がしぼんでいた。しかし、そこで帰る気になれなかった。もう少し奥へ行けば、少し遅咲きの花があることを、トナティカの友だちから聞いていたからだ。次郎さんは、少し躊躇した。僕はじっと返事を待っていた。
 『せっかくここまで来たんだしな』
 その言葉を聞くと、僕は森のさらに奥へ向かって駆け出した。

 最初に異変に気づいたのは、次郎さんだった。
『誰かに見られている』
 そう言って、花を摘んでいた僕と涼子先生に囁いた。お昼ご飯をもう少し明るいところへ戻って食べようと、小さな子ども達を説得して、来た道を帰ろうとした。
 どこからか、足音が聞こえ出した。誰かがいるのは、僕にもわかった。僕達は走り出した。木が茂った薄暗い森。
 次郎さんは、腰の銃を取り出し、セフティロックを解除していた。涼子先生も、銃を取り出した。次郎さんの目は、先へ行けと言っていた。
 僕達は走った。なるべく、隠れることのできる木のある方を選んで。次郎さんの声が聞こえた。『涼子、ここは俺に任せて……』と。次郎さんは、その場に残った。
 『行くんだ』
 その声を聞いた時、ギュッと奥歯に力を入れた。怖かった。そうでもしないと、歯がガチガチなりそうだった。

キシューン
 1つの銃声が聞こえた時、地球が頭に浮かんだ。もしかしたら、僕は、二度と地球へ帰れなくなるんじゃないだろうか……
 でも、止まるわけにはいかない。僕は、頭の中の記憶を総動員して、近道を探した。
 前方の木のかげに殺気を感じた。誰かいる……ぞっとして、足がすくんだ。

 涼子先生の『退きなさい』という言葉で、僕は、小さな子達の手を引っ張って、体を伏せさせた。銃の音がいくつもいくつも聞こえ、僕はただ、伏せているしかなかった。少し顔を上げた時、こちらに走って来る人影が、涼子先生の銃に撃たれ、倒れていった。僕は立ち上がった。木のかげにいたのは、その一人だけだった。なのに、起き上がってこないその人にむけて、涼子先生は、何度も何度も撃っていた。僕は、小さい子達の目を覆うように、自分の体で二人を覆った。銃の音だけが、カラになっていた頭にこだました。

 後から来た次郎さんが涼子先生へ声をかけ、やっと涼子先生の手が止まった。
 僕達は、再び歩きだした。次郎さんは、涼子先生を引っ張っていた。僕は、子どもをなだめながら、覚えている道を戻った。

 森の出口で、トナティカでの友達のプファンが僕達を待っていた。顔色が良くない。『すぐに発進しないといけない』と繰り返していた。狙われたのは、僕達だけでなく、地球人だけでもなく、トナティカの主要の所が押さえられつつあったようだ。地球人を駆逐するだけじゃなくて、トナティカの制圧も兼ねていた。
 あちこちから爆発する音が聞こえ、炎を避けて、僕達は、発進直前の艦(ふね)にたどり着いた。でもなんとかプファンの道案内でたどり着くことができた。
「行かなきゃ」
 そう言って、プファンは去っていった。ときどき振り返るプファンの白い歯がとてもきれいだったことが印象に残っている。
 僕はタラップを昇りながら、大きく手を振った。トナティカの別れの言葉を叫びながら。
 
 タラップの金属の冷たさが、さっきまで感じていた炎の熱さを忘れさせてくれた。僕は深く息を吸った。煙の匂いが鼻についた。さっき僕達がいた森は、赤く燃えていた。


(10)
「……ただいま、お配りしているカードのナンバーで、食事・配給等を振り分けております。お体の調子が悪い方、小さいお子さまをお連れの方等で、ご不便をなさっている方は、内線2060にご連絡ください。直接、医務室・調理室・艦橋には、いらっしゃらないようにお願いします。必ず、艦内に何箇所も設置されているインターフォンを使って、内線番号2060に問い合わせてください。ご家族やお知り合いの方が、艦に乗っているのか確認したい方は、内線2055の方へお願いします。……」

 騒がしい艦内に、何度も何度も同じような放送が繰り返された。
 
 一緒に花を摘みに出かけた子どもたちを、その親に引き渡すと、僕は、周りが異常なほど騒がしいことに、気がついた。罵倒する人、泣いている人、インターフォンの前に並んでいる人。その中で、カードを渡しながら、頭を下げている、制服を着ている女の人。

「何人か残ったそうだ」
 小さな喋り声が僕の耳に届いた。
「自分の意思で残ったのだから、仕方がない」
「かわいそうに」
「私たちだって、助かるかどうか、わからないのだもの。残った方がよかったのかもしれない」
 人間の耳は、すばらしくできている。囁き程度の声なのに、僕の耳にきちんと届いている。僕がその二人の方を見ると、二人は口を閉ざしてしまった。それどころか、わざと、僕から避けるように体をひそめ、また、二人でひそやかな話をし出した。どんなに注意を払って聞こうと思っても、その声は小さすぎて、聞き取ることができなかった。

「7人残ったそうよ。自分の意思だった見たい。先生も……」
 インターフォンを下ろした女性が隣の女性に話している声が聞こえてきた。やはり、僕と目が合うと、次の人にインターフォンの前を譲り、僕と反対の方向へ去っていった。
 その人たちだけでない。なんとなく、他の人も、ちらりちらり、僕の方を見ている。
 胸の鼓動が大きくなってきた。どくんどくん、血が流れ出すのが自覚できるぐらい胸の鼓動が強くなっていった。
『怖い……』

 僕は、その人たちの視線を避けるために動き出した。といっても、普段の艦内とは違って、たくさんの人が乗っていた。定員なんて軽くオーバーしている。

「本艦は、5分後ワープします。なるべく、体を固定できるところに移動してください」

 僕は、この艦”エバーグリーン”のことをよく知っている。父が仕事場に使っていたせいか、しばしば遊びにきて、無意味な艦内めぐりをした。

「ここのレバーを引き出して、ひねると、座席が下りてくるんです」
 僕は、何人かの人に説明した。誰が何のために作ったのか、廊下の何箇所にイスが格納されていた。

「あなたも座ったら」
 座った子ども達にベルトをしていた僕に、やさしい声がかかった。母の声に似ているような気がした。

「あ、はい……」
 その声の主は、母とは似つかない容貌だった。でも、なぜかうれしかった。

『ワープが終わったら、艦橋へ行こう。父がいるはずだ……』
 僕は、ベルトをキュッと少しきつめにすると、目を閉じた。
 目を閉じている僕は、また、不特定多数の人たちに見られている気がした。
『怖い……』

 ああ、そうだ。ワープの時、息を止めてしまうくせは、この時からだった。
 ワープが明けると、僕は大きく息を吸い、艦橋へ向かった。 
 
(11)
 佐渡は、忙しく機械の記録したデータをチェックした。細かい字が見え難いせいか、何度も眼鏡を目から離したり近づけたりして、データを読み取っていた。
「ふー、歳は取りたくないものだ」
 佐渡は独り言を言うと、記録用紙を元の位置に戻した。

「佐渡…せんせ…」
 最初は、聞き間違いかと思って、佐渡は、気に留めなかった。

「佐渡先生……」
 二度目の声で、佐渡は振り向いた。

「艦長、目が覚めましたか」
 佐渡は、ニコリと微笑む進の顔を見た。佐渡は、進の寝ているベッドに再び歩み寄った。

「艦長、大丈夫じゃよ。あんたもヤマトも」
 進は小さく頷いた。佐渡の視線は、進の傍らで寝ているユウへ向いた。その視線に従って、進の視線も、ベッド脇に移った。

「あんたのことが心配なんじゃ」
 進の指先は、傍らで寝ているユウの頭の方へのびていった。
 指がユウの髪に触れそうになった途端、指先の動きが止まる。
 
「待ちくたびれて、寝てしまったようじゃ」
 その言葉で、進の指先が、ユウの髪に届き、髪をなでた。何度も何度も確かめるように、進の指先は、ユウの髪をなでた。

「なかなか死ねないものなのですね」
 進の言葉に佐渡は目を細めた。
「そうそう、簡単に死んでもらっては困る。わしが死なせん」

「そうですね。ほんとに先生のお蔭だ」

「艦長……」

「大丈夫ですよ、佐渡先生。私だって死にたくない。ただ、結構、こんな体でも、長生きできるのだなと感心しているのです」

「ホントですよ、先生。皆、私が死ぬために戦っていると思っているでしょ。私は少しもそんなこと思ったことないんですけどね。真田さんもいつも、そんなことを気にして……」

「前の手術の終わった時に……真田さん、気にして……」
 佐渡は眉間を寄せた。

「私には生きなきゃならない理由があるのです」



(12)
 何から話したら……前のヤマトが沈んだ時のことから話しましょうか。
 沈みゆくヤマトを見送らなければならなかった私は、自分が選んだ道なのに、何一つ納得できていませんでした。きっと、沖田さんもそうだったと思います。あの時は、あの方法しかなかった。しかし、初代ヤマトと沖田さんとの永遠の別れは、わが身が引き裂かれてしまったように、苦しいものでした。ヤマトに残ったのは、沖田さんだけではなかった。私の心の一部も、あの時、あそこに残ったのです。そのかわり、私も沖田艦長の心の一部をもらったような気がします。だから、ことあるごとに、私に『生きろ!』とその心が叫んでいるのかもしれないですね。

 初代のヤマトが沈んだ後、私は、この体、もう宇宙へ出ることができない体で生きなければなりませんでした。投薬と治療が必要な私は、宇宙勤務からはずれ、地上勤務になりました。
 地上勤務は、決して嫌ではありませんでした。しかし、考える時間がありすぎた……何度も何度も、沖田さんとヤマトの最期のシーンが頭の中で繰り返していました。何度考えても、ヤマトは自沈してしまう。そして沖田さんは、帰って来ない。
 
 ……そう言えば、ヤマトの最初の旅の後、沖田さんが死んでしまったと思っていた時からずっと、私は、沖田さんが生きていたら、なんと私に言うのかといつも考えていましたっけ。
 沖田さんが生きていたら、きっと私にこう言うに違いない……『お前の行きたい道へ行きなさい』。
 自己暗示なのかもしれませんね。
 
 話がそれてしまいましたね。
 私の行きたい道……私は、宇宙戦士にならない人生を考えました。もし、両親があの時死ななかったら、私はどうしていたのだろう、と。そうして、私は、子どもの頃に捨ててしまった夢を思い出しはじめました。ユキも賛同してくれました。『私も同じように生きて行きたい』と、彼女も新しい道を考え始めるようになりました。そうした頃です。当分、子どもは恵まれないだろうと言われていたのに、彼女が妊娠していたことに気がついたのは。それは、ものすごく、私たちに勇気をくれました……私たちが実行に移すことができたのは、この子のおかげかもしれない。この子と新しい人生を歩める……これ以上素敵なことはないでしょう。完全にリセットできるわけではないですが、私たちは、やり直すことができるチャンスがあるのです。それも、新しい家族と共に!
 さまざまな準備をしながら、私たちは、この子の出産を待ちました。その月日は、毎日が夢のようでした。ユキといろいろなことを話し合って、計画表を何度も何度も作りました。
 そして、そう、この子が生まれた日のことは、きっと忘れないでしょう。こんなにも愛しいモノが、この世の中に存在することを初めて知りました。人が簡単に死んでいく世界にいた私は、新しい命の重さを腕の中でしっかり感じました。


 二人で決めた計画通り、この子がホントに小さい頃は3人で、それから私がメインで子育てをしました。実際、ユキの方が、大学での勉強の時間が必要だったし、彼女は彼女なりの配慮で、私に子育てをわざとさせたかったようです。思春期の入り口で、父と母を失った私は、どう子どもに接したらいいのか、不安がっていましたから。
 それから、ユキは単身大学へ、私とこの子は研究のため南十字島で暮らすという変形した家族となりました。私は毎日、ユキの計画通りの日々をこなす。体にムリせず、適度に運動を入れて。二人っきりの生活は、それなりに楽しかったし、同じ地球にいるので、ユキにも自由に会いに行けました。地球が平和であったことを本当に感謝していました。お互いやりたかったことを勉強して、世間から少し遠ざかって…十何年間、苦労もなく、楽しい生活ができたのは、何よりも、地球が戦いもなく、安心して暮らせる星だったからです。

 ああ、こうしていると、なんだか、あの日を思い出します。この子が小さい時、私が倒れた時のことです。倒れた後、ずっと、私の側から離れないこの子の姿を見て……生きなきゃいけないなと強く思いました。この子と生きるために、一分でも一秒でも長く生きたい、石に食らいついでも。……それまでは…何となく、生きていることに疲れることもあったのです。ヤマトに乗艦(の)っていた時に、ああすればこうすればと考えてしまったり、自分はこんな風に楽に生きていていいのだろうかと思ったり。でも、この子の小さな手がギュッと私の手が握り締めているという感触をうっすらとした意識の中で感じた時、生きたいと痛切に思ったのです。この子の成長を見続けたい、と。

 皆も何となく察していたようですね。私がそんな気になっていたのを。だから、結構、私たちの生活をみんなで応援してくれました。そういう仲間がいてくれた……私は幸せ者です。
 ユキを失った時、また、心配しだしましてね、あいつらは。私が、死にたがっているんじゃないかって、あの時は、やけに皆が小うるさい奴らに思えました。確かに、彼女を地球へ連れて帰れなかったのは、誰が見ても、私の責任でしたからね。それに、かなり私もすさんでいましたから、そう思われても仕方がなかったのですが。


 そうそう、なぜトナティカへ行くことになったのか、佐渡先生には話してませんでしたね。

 はぁー
 自分でも、どうしようもないことってないですか、先生。
 私は、子育てをしながら、大型の海に棲む哺乳類の研究をしていましたが……実験はことごとく失敗していました。地球の海へ放した彼らは、どうしても、長く生きることができなかったのです。
 同じ頃、ユキも悩みを持っていました。彼女は、私の病気のこともあって、宇宙放射線病の研究をしていました。でも、彼女は、研究をすればする程、直接患者と触れ合う機会がなくなっていきました。彼女も、自分の目標とのズレを感じ始めていました。
 そんな時です。トナティカ行きの話が出たのは。


(13)
「古代さんの手術、無事終了だそうですよ」
 真田志郎は、その言葉に足を止めた。その声は、後から走ってきた相原義一だった。

「そうか……よかったな」
 志郎は、さっきまで頭の中に駆けめぐらせていた数字を追い出し、進の笑顔を思い出していた。

「私は心配ですよ。いつ攻撃されてもおかしくない空域なんですよ」
 義一は、志郎の笑顔に水をさした。

「奴の場合は、気持ちの問題なんだ。少なくとも、三年前と違う。息子もいる。仲間もいる」

「息子はわかりますが、仲間って?」

「新しいヤマトの乗組員たちだよ。奴は1人じゃない。生死を共にしている仲間が側にいる……」

 志郎は、手に持っていたファイルをギュッと持ち直した。義一に手を振ると、志郎の足は、さっきの方向へ踏み出していた。
 



「サーシャ……」
 進の声は小さく震えていた。しかし、澪には、進の声は届いていた。 初めて見た肉親。澪は、目の前のベッドに寝ている男が、血のつながりのある叔父だと直感的にわかった。でも、この男は、どうして自分に、苦しさを押し殺して笑顔を作っているのだろう。なぜ、自分は、こんなに涙が出てくるほど、この人に会いたがっていたのだろう。

 澪は、机の上の一枚の写真を見ていた。まだあどけない笑顔の少年と若い進が笑っている写真……育ての親の志郎にもらった写真……


「父に会わせてください。おじさんだったら、知っているんでしょ」
 志郎に詰め寄る少年は、志郎以外は見えなかった。少なくとも、少年は覚えていなかった。澪がその側にいたことを。

「お願いです。どうして母を置いてこなくてはならなかったのか、父の口からききたいんです」
 
 澪は、少年の顔のラインを指でなぞった。

「馬鹿」
 澪は、少年の顔を指ではじいた。




(14)
「……どうでしょうか」
 本国から送られてきたと言う資料を見ていたスヴァンホルムは、相手の声は聞こえていなかった。

「数日後、こちらの内容の……」
 スヴァンホルムは、顔を上げると睨んだ。
「す、すみません……」
 男はそれ以上、声を出さず、小さく1歩下がった。

『当然だ。これくらい本国がしてくれても、私のこの何年かは取り戻せない』
 スヴァンホルムは、何度も何度も、そこに書かれている文章を読んだ。


 あの男は、まこと不思議な男だった。だからこそ、私もだまされ続けたのだ。今考えると、それも、あの男の思惑だったのだろう。私を油断させるという。
 長老は、あの男を気に入ったようだった。私と違って、ボラーの人間ではないということだけでなく、あの男には人を引きつける魅力があった。
 その後、あの男とは何度か館(やかた)で会った。長老は、何度も我々を自分の所に呼んで、たわいない話を聞きたがった。というより、何も言わない長老との時間をつぶすために、自分たちのことを話さなければならないのだから、長老は相手の素性を知りたくて、館に呼び寄せていたのだろう。私は、長老からある程度気にいられていると自負していたが、あの男の頻度は、私に迫っていた。そして、ある日、私以上に会っていたことに気づいた。

「古代殿のトータは美しい方だった」
 長老の言葉に私は驚いた。<トータ>は、妻と同じような意味で、きちんと書類上の契約を夫婦間に求めないこの星でのつれあいのことをそう呼ぶ。我々の国では、妻または、体の関係のある相手のことだと理解していた。地球ではなんというのだろうか。

 まあ、いい。
 私自身も、あの男に、今まで出会ったことのないような、深さを感じてしまった。だからこそ、今まで、誰にも話したことのないことまで話してしまったのだ。

「地球の言葉で<イトオシイ>ってことか」
 私の話を笑わず、地球の言葉に置き換えて、意味を理解してくれた。

「イシュタルムのことがイトオシイのだろう、スヴァンホルムは」
 長老の所に仕えている、銀の髪の乙女イシュタルムを見ると、私は心が高鳴った。通常、本国であれば、私ほどの地位があれば、そのことを相手の親御に伝えれば、即、結婚となり、私のモノとなるが、彼女に対しては、なるべく彼女に嫌われることなく、彼女本人に伝えたかった。というのも、この館で長老に仕えている者は、大抵、孤児または、体が不自由な者ばかりで、彼らは、シュ・バランケ『神に祝福されし者』と呼ばれ、トナティカでも、特別に大切に扱われているし、彼らの言動は、長老へ伝わりやすい。だから、本国のようなことはできないし、イシュタルム自身に嫌悪されたら、と考えるだけで髪すら触れることができなかった。あの男は、それが<イトオシイ>からだと言う。
「では、<イトオシイ>とは何だ?古代」
 と聞き返すと、今度は奴がしどろもどろになりながら、いろいろな言葉を並べた。
 曰く、
「一番大事な存在」
 また曰く、
「彼女の笑顔を見ることが幸せに感じる」
「ずっといっしょにいたい気持ちになる」……

 どれも私の気持ちを言いえていた。
 だからだ。私のことをすべて理解してくれる男だと思ってしまったのだ。

 
 
(15)
「古代の手術は無事終了だそうだ」
 志郎に報告書を返すと、地球防衛軍司令長官のロバート・デューイはつぶやいた。
 志郎は、デューイの言葉に頷いた。

「誰かから聞いていたのか……そのことは…まあ、いいだろう」
 機密であるはずのことが、志郎の耳に入っていた……本当は、そんなことはあってはならないことなのだが、デューイは、この点を詰問しなかった。デューイには、大体の情報のルートはわかっていた。

 窓の外は雨だった。ざわざわと叩きつけるように降る雨音は聞こえないが、窓に伝う無数の水の流れと暗く厚い曇天の空が、雨の激しさをしめしていた。

「やはり、古代の側に、君を置いておくべきだったな」
 地球にもヤマトにも時間がないことは、もちろん、志郎の耳には入ってきていた。普段は、絶大な信頼を進に寄せているデューイが、少し弱気になっていたこともうわさで聞いていた。
 デューイの手が顎を撫で回し始めた。
 迷っているデューイに向かい、志郎はきっぱり答えた。

「いえ、これでいいのです」

 デューイの手の動きが止まった。
 
 志郎は、デューイの一連の動きをずっと見つめていた。
「彼は、もう一度、ヤマトの艦長をやり直す必要があるのです。長官、ご心配ですか?」

「良心がうずくのかな。トナティカへ古代が行くことになったのは、我々の責任でもあるから」

「あの時は仕方がありませんでした。前任者の汚職で、連邦政府内ではトナティカからの撤退案も浮上していましたし、長く均衡を保っていたガミラスとボラーの力のバランスが崩れかけ、いつ戦争に入るかという不安定な時期でありました。古代進をトナティカの総領事に置くことで、あの状況を打開しようという案は、連邦政府と地球防衛軍指令本部の双方の合意で決めたはずです。長官だけのせいではありません」

「少し追いつめてしまったのではないか。大学側やユキへも、圧力をかけて」
 
「古代は、そんなことで動くような男ではありません、長官」
 志郎は背を伸ばし、敬礼をした。
 デューイの返礼を受けたあと、志郎はそれ以上何も言わず、部屋を出た。

 志郎は、デューイに強くなって欲しいと思った。
 地球の艦隊も再び堅牢な防衛ラインを築き、ボラーの侵攻を防いでいた。ヤマトも遅れ気味とはいえ、まだ、致命的な遅れではない。連邦政府の議会やマスコミからの後ろ向きの意見に屈することなく、ヤマトを信じ続けて欲しいと、志郎は願うように思った。
 新ヤマト開発プロジェクト責任者である志郎は、信じて待つことの難しさを毎日何かにつけて実感していた。イスカンダルへ旅立った後、地球ではどれほどのことが起きていたか、こうして残る身になって、志郎は初めて知った。残る者にも戦いはある。


『不器用な男だからな、アイツは』

 志郎は、窓のガラスに伝って流れる無数の小さな川のような雨粒たちの行く末を見ながら、進のトナティカ行きを聞かされた日も雨だったことを思い出した。
 進がトナティカ行きを承知した……志郎にとって意外であった。志郎は、家族同行で行くという進の本意を、その時何度も考えた。その志郎の頭の中に、あの冬月からヤマトの最期を見送った進の姿が蘇ってきた。
『もしかしたら……』
 何度悔いても戻ることはできない、志郎の姉の死を引き起こした事故……それと同じような思いを進は感じているとしたら……
 志郎は新しいヤマトを、進のために造った。それは、技術者としての意地でもあった。

『お前の意地はなんだ?古代』
 
(16)
 私のトナティカ行きには、いろいろな思惑があったのは、確かです。
 トナティカは、中立を保っていて、ボラーやガルマンガミラスと正式な貿易ができない状態だった地球は、トナティカのような中立を守っている星とのつながりで、この宇宙で孤独にならずにいました。トナティカを中継することで、ボラーとガルマンガミラスの物や情報が地球へもたらされていたのです。
 トナティカでの貿易は、国対国ではなく、個人としてしていることになっていました。その辺りの采配が領事館に求められていたのです。見て見ぬフリをする部分、厳しく取り締まる部分。長老とさしで渡り合えるか……といろいろな注文がありましたが、一番の魅力は、自然に満ちたトナティカでの自由時間は、自分の研究のために使ってもいいという条件でした。
 私らしくないですか。そんなに正義を振りかざしていたわけではないですよ。昔から。
 開発もされず、そして、長く人々に大切にされていたトナティカの自然を直に触れられるチャンスと家族と暮らせるチャンスが、地球での研究で散々つまづいていた男の目の前に出された訳です。
 久しぶりの宇宙……その時、気づきました。ずっと、宇宙に戻りたかった。
 体のことで、もう、宇宙へ行けないのだとあきらめていましたから。地球の大気圏を出て、アクエリアス氷塊にある灯台を見た時、私は気づいたのです。本当は、ここへ戻ってきたかった。そして、ここからもう一度やり直したかった。逃げたのではないと言い聞かせていたのは、あきらめなければならない現実から逃げる方便だったのです。
 ユキはもっと早くから気づいていたのでしょうね。私をこのトナティカへ行かせるために彼女は、仕事を辞めて私の所に戻ってきました。彼女は研究より臨床の方をやりたかったと言っていましたが、本当は、私を宇宙へ出したかったのです。



「嬉しそう」

「嬉しそう?僕が」

「そう、あなたがそんな目をしているのを見るのは久しぶりだわ」

「そう?」
 進が答えると、ユキは頬にかかった髪を手で押さえ、耳の方へなでながら、ニコリと微笑んだ。そのままユキは、進の体へ寄り添い、自分の体を委ねた。
 それ以上何も言わず、ユキは窓の外の星を眺めていた。進もユキの体の温かさを感じながら、窓の外を眺めた。

 その時の航海は、平穏な航海でした。そして、初めて見るトナティカの緑は、深く、限りないと思うぐらい大地を覆っていました。大地に風が走ると、緑は一斉に揺れ、空から降りていく我々の艦を包み込むように迎えてくれました。トナティカが豊かな星であることは、その美しい緑を見ただけでわかりました。 
(17)
「すまないな。部屋まで押しかけてきてしまって」
 
「気にするな。昔は、酒飲んだ時に、よく押しかけてきたじゃないか。あれよりマシさ。それより艦長のことなら、涼子先生に、直接聞けばいいのに」
 
「ダメなんだ。この間、完璧に振られた」
 次郎の言葉に俊介は、一瞬言葉を続けられずに、息を飲んだ。
 ずっと待ち構えていたかのように、俊介が部屋に入るなり、次郎がやって来た。進の容態を心配もしているだろうが、それにかこつけて来たに違いないことも何となく気づいていた。しかし、涼子とのことでまいっているとは、俊介には予想できなかった。

「あ、あのさ」
 俊介の声は、少し上ずっていた。
「艦長の容態なら、大丈夫だ。脳波の様子から、覚醒も近かい……」
 
「そう……」
 次郎の消え入りそうな声で、俊介は、事の重大さに気がついた。俊介は、テーブルの資料をパラパラと見始めた。
 次郎は、物音一つたてず、突っ立っていた。紙の音だけがむなしく響く。

「涼子先生に何言われた?」
 手に持っていた資料を机に置くと、俊介は、なるべく目を合わせないよう、次郎に質問をした。

「……勘違いしていたのさ。涼子はとっくに別れていたつもりだったのに、俺は、ただ、離れていただけだと思っていた…そういうこと」
 次郎の言葉の、一つ一つのセンテンスに頷きながら、俊介は次郎の顔を見た。

「泣いてもいいぞ」

「もう、泣いた。まいった、こんなにダメージがあるなんて」

「いいんだよ。泣けるのは、それだけ好きだったって証拠さ。悪いことじゃない」
 
「すまないな。愚痴の報告で」

「いいさ、こっちはこれで、おおっぴらに涼子先生にモーションかけることができる」

「きついな。お前ホントに心配してくれてるのか」
 次郎は大きなため息をついた。

「してるしてる。だから、今度は、俺のところで泣けよ。じゃなきゃ捨てるぞ。俺ん時は、お前の前で泣いただろ」

「そうだったな」
 次郎は、看護師になった俊介が突然やって来て、泣き出した時を思い出した。
『好きだった女(ひと)を看取ったって時だな』
「わかった。今度はお前のとこで泣くさ」

「わかったなら、今日は、よく寝ろ。おいしいものでも連想しながらがいいぞ」

「先輩、いいアドバイスありがとうございます」
 次郎は、俊介に敬礼のポーズを取った。

「地球に返ったら、ボトル一本おごれよ。この手のアドバイス料は高いんだぜ」

「フッ」
「は、ハハハ」
 二人は声を出して笑った。ホンの少し、毎日馬鹿なことをして教官にしかられていた宇宙戦士訓練学校時代の二人に、戻ることができた気がした。



(18)

 トナティカでの日々は充実していました。今思うと、夢のようでした。

 私にはたくさんの課題を与えられていたが、苦にはなりませんでした。私に与えられた課題の一つは、長老の信頼を回復すること。もう一つは、どこの星とも同盟を組んでいない地球が孤立しないように、出来る限りの情報を集めることでした。
 トナティカという星は、トナティキと自称する部族の居住地帯のみ開かれていて、その他のほとんどの地は未開の地でした。星のほとんどの人は原始的な生活をしている星なのです。それでも、ボラーやガルマンのどちらにも属せず、中立を保っていました。地球と違って、豊かな鉱物資源を引き換えに、外部からの科学・医療等の知識を取り入れ、交易もしていました。それだけでなく、この地には、ボラーやガルマンを離れ、住み着いた者も多数住んでいました。
 トナティキの長老は、代々、体が不自由だが、特別な能力を持っている人でした。出生率の低さもあって、トナティカでは、身体・知的に未発達・欠損のある子どもは、神が恵みを与えた者として、大切に扱われていました。ユキは、出生率の低さや異常な胎児の多さを調べるために、私は、トナティカの自然を調査するといった名目で、トナティキの人たちの中に容易に入って行くことができました。この子も……トナティキの子どもと同じように学校に行かせました。私たちの目論見通り、若いこの子は一番早くトナティキの子どもたちの中に入っていけました。


「熱っぽいんじゃない」
 ユキは進のおでこに手をもっていった。
 進は、その手をそっと払いのけた。

「少し、疲れが出ただけだよ。昨日は、花を摘みに森の奥へ行ってきたからね」
 進は、机の上の書類を確認しながら、空いているスペースに積み上げていった。

 ユキは受話器を持ち上げると、地球防衛軍の艦でトナティカ停泊中のエバーグリーンの艦長室へ取り次ぐ旨の電話をかけた。

「ユキ!」
 途中まで黙って見ていた進は、ユキの名を叫んだ。ユキは、受話器を持ったまま、進から離れながら、話をし続けた。

「ちょっと、待って、ユキ」
 進から遠ざかろうとするユキを、進は追いかけるのだが、ユキはするりと進の手をかわしながら、話し続けた。

「そうです。約束通りお願いします」
 ユキがそう言って電話を切るのが早かったのか、進がユキの受話器をつかむのが早かったのか。
 ユキは手に持っていた受話器を進にすんなり渡すと、ニコリと進へ笑顔を向けた。
「約束よ」

「ユキ、まだ、再発したって事が確定したワケじゃない」

「ダメよ。トナティカ行きを決めた時に、私が出した条件よ。疑わしい時も含めるって。そう決めたでしょ」

「仕事だって、引継ぎが必要だ」

「あなたへの引継ぎだって、ほとんどなかったわ。今すぐ長老に帰ることを告げれば、何も問題はないわ」
 ユキの言葉に進は何も言い返すことができなかった。

「スヴァンには」

「私を理由にしてもいいわ」

 進は、大きく息を吐いた。
 進は額におりてきた前髪を、頭へ撫で付けた。
「まいったな」

「さあ、長老のところへ行きましょう。長老のことだもの。先に理由を察知しているかもよ」


 トナティカ最後の日は突然やってきました。
 そして、この時のユキの決断が、トナティカにいた多くの地球人の命を救うことになるのです。



(19)

 キュッキュ、キュッキュ、キュッキュ……
 ガーネイと呼ばれるトナティカの鳥の声が、輪唱しているかのように、森のあちこちから、途切れることなく聞こえていた。
 進は、一瞬立ち止まった。

「どうしたの?」

「今日は、やけに騒がしいような気がして……」
 進は、頭上を見渡した。そこには、枝が絡みつくぐらい密集している森の木々があった。

 ユキは、進の腕を、そっとつかんだ。
 
「大丈夫だよ」
 進は、ユキの手を握り返すと、再び歩き出した。

『長老の館が遠く感じる……』
 進は、普段より重い足取りであることを自覚していた。ガーネイの金属をすり合わせたような声がうっとうしく思えた。
『素直な体だ』

 しかし、こんなことに負けて、黙って地球に帰ることになったら、二代続けて地球の総領事が突然帰ったと、取り戻した長老からの信頼が泡のように消えてしまうだろう。

『それだけは何とか避けなければ』
 進は、首に流れる汗を服の襟で押さえた。

 進は、黙々と歩き、ユキは、そのペースにあわせて歩いていた。並んで歩くふたりの指先が腕が揺れるたび、軽くふれあう。指先の感触で、ふたりはお互いを確認していた。
 
 やがて、二人は立ち止まり、建物を埋め尽くすほどの緑を見上げた。

『着いたか』
 進は、大きく息を吸うと、後ろを振り返った。ガーネイの鳴き声が、相変わらず遠くから聞こえている。

『!』
 進の指先をギュッとユキが握っていた。進は、ユキに笑顔で応えた。

『大丈夫』
 進は自分に言い聞かせるために、ユキの指先を握り返した。
 
(20)
「森が……今日はいろいろなことがありそうだ」
 長老ピヤコウクは一人の少年と共に、進とユキの前に現れた。そして、その第一声で、進は、自分の感じていた、《いつもとちがう森の様子》をこの長老も感じとっているのだと気づいた。

「そうは思わなんだか。地球の友よ」
 進は、一旦でかかった言葉を飲み込んだ。ユキの言っていたとおり、なぜ今日、進達が突然きたのか、長老にはお見通しだったようである。

「はい。すみません……地球の艦(ふね)が出立の用意をしているせいでしょうか」
 進は、低姿勢だった。

「それだけではないだろうよ。……さて、今日は、お二人で、何のご用件かな」
 地球側の動きは、たぶん、長老の目や耳となって動いている者たちの情報で、とっくに知っているだろう。だが、進は、《形式的に》であるが、話さねばならない。
 
「急に、地球に帰ることになりました。……私の体のことで……」
 目の見えぬ長老が、進の言葉に顔を傾げた。進は言葉を続けた。
「もともとの約束なのです。私の病気が再発した時には、無条件で、地球に帰還をすることは。それが、こんな形になるとは、思っていませんでした」

 長老は、うんうんと頷いた。進の言葉に満足したようだった。
「気をつけよ、友よ。今日は、いろんな思惑がこの星を覆っている……動物たちは、私たちより敏感じゃ。早く立ち去るのは得策だろう。私たちには気を使うでない。元気になったならば、また、この星に来てくだされ」

「ありがとうございます」
 進は膝をつけ、頭を下げた。トナティカでの、最大の礼を長老へ送った。
 進は目を閉じ、ホッと息をついた。自分の口で直接話ができたことで、進の任務は終わるはず……だった。

 キュキュキュキュキュキュッ
 バサバサバサッ

 羽音と激しい鳴き声が建物のすぐ外から起こる。進は立ち上がった。ガーネイの高い声が、卑下した笑いのようにますます不快に響いてきた。。

「イシュタルムが帰ってきたようだ」
 長老の館に出入りしている銀の髪の女性の名を長老が口にした。
 イシュタルム……イシュタルムの髪の毛は、この星でも珍しい、透けるような銀の色をしていた。色素をつかさどる遺伝子の異常があって、イシュタルムは他のトナティカ人と違う銀髪と銀色の瞳をしているのだというのが、ユキの推測だった。長老の側にいつも付き添う佳人は、トナティカの中でも、有名であり、慕われてもいた。イシュタルムが、一番最初にユキの診療所の助手をしてくれたおかげで、診療所は開いた当初より、トナティカの人々に受け入れられていた。

 進達の前に現れたイシュタルムは、乱れた髪のまま、衣服も、正確な着付けたはほど遠く、わざと粗末な感じを受けるように着ていた。乱れた髪を隠すように、一枚のボロ布をかぶっていたが、その布から銀の髪が幾筋もこぼれていた。誰が見ても、イシュタルムだとわかってしまう状態だった。

 イシュタルムは震えていた。部屋の入り口にたどり着いたことでホッとしたのか、そこでペタンと座り込んだ。その様子を見ていたユキは、イシュタルムの側へ駆け寄った。

「どうしたの? イシュタルム」
 ユキは、そっと、イシュタルムの髪を包んでいたボロ布をおろした。ユキは、隠している部分に傷でも負っているのではないかと、視線を走らせた。それらしい傷がないと気づいたユキは、イシュタルムの体を抱きしめた。
 
 ユキの腕の中で、ふるえ続けていたイシュタルムが、何かを思い出したかのように、頭をもたげた。
「逃げて……」

「えっ?」
 つぶやくような小さな声が聞き取れず、ユキは、訊き返した。

「ボラーが一斉の攻撃を始める。ガルマンガミラスにも、地球人にも、そして、私たちにも……。早く逃げないと……」

 イシュタルムはスヴァンホルムのところで聞いたようです。聞いたというのか、彼女自身、姿だけではなく、他の長老の側近のように、多少の超能力を持っていて、気づいたというべきかもしれません。その後、私たちは、イシュタルムの案内で、艦(ふね)までの近道を行くことになりました。

(21)

 私たちは、イシュタルムの案内どおり、普段使っている道ではない、湿地帯近くの道を使いました。イシュタルムは何も言いませんでしたが、もしかしたら、一斉の攻撃と同時に、私だけの追っ手が、別にいたのかもしれません。
 進の肌は、じとりと汗ばんできた。いつもの、木道が設置してある道と違い、気を緩ませると、ぬかるみに足を取られてしまう、ほとんど道とは言えないところをイシュタルムは進んでいった。

「スヴァンは、なんと、言って…いたんだ?」
 進の言葉に、イシュタルムは、答えようとしなかった。
 進は、乱れた呼吸をどうにかしたくて、一旦立ち止まった。話をしたために、呼吸が必要以上に乱れてしまっていた。
 それに気づき、振り向いたイシュタルムは、進を気遣うユキと呼吸を整えている進を交互に見た。赤みのない唇が、かすかに動いた。
「ボラーの艦に避難してこいと……でも、彼も、突然知らされたようです。とても、驚いていましたから……」
 イシュタルムの髪は、いつものように編み上げらているわけではなく、長い髪は、体にまとわりついていた。肌は、いつも以上に白く、白い衣装からのぞく手足は、服の色より白く見えた。

「そうか……」
 進は息を吐くよう言うと、また、足を踏み出し、歩き始めた。イシュタルムも進に合わせるように、白い足を惜しげもなく、ぬかるみの中へと進めた。
 
 いつもと違う道。鬱蒼とした木々に光を遮られ、どちらに進んでいるかわからない。不安を感じつつ、ユキと進はイシュタルムについていくしかなかった。

「イシュタルム、この道でいいの?」
 ユキの言葉にイシュタルムは何も答えなかった。
 かなり進んでいるのに、森からはでられず、ますます奥へと導かれているようだった。

「イシュタルム!」
 ユキの言葉に答えず、イシュタルムの銀の髪の毛が大きく揺れた。柔らかい地面から、薄手のサンダルを引っ張りあげるように足をもたげると、近くにある木へ向かって、ふらふらと進みだした。まるで地に足がついていないように、足取りは危うかった。そのまま、イシュタルムの体は、どおっと木に倒れていった。

「イシュ……」
 ユキは、倒れたイシュタルムがまとった布の裾についた血を見て、言葉を失った。
 イシュタルムは、下腹を抱えるようにうずくまっていた。

「どうして、イシュタルム。どうして、がまんして……」
 ユキは、足につたう血を確認すると、イシュタルムの体をより乾いた地面へ導いた。

「私はいいのです。この湿地帯の端をずっと進んでいけば、地球の艦の側に出ることができます。湿地帯は、あまり人が来ないところなので、安全だと思います」
 イシュタルムはそう言うと、顔をゆがめた。

「早く、艦への攻撃が始まったら、帰ることができなくなります。もう少し行くと、森が薄くなり、明るくなります。そうしたら、右手の方へ進んで……うっ……」
 イシュタルムは、痛さのすべてを体の中に押し込めようとしているか、身を縮めた。
 私とユキは、その時気づきました。イシュタルムが、子どもを宿していたことを。そして、私たちは、ホンの一瞬、彼女を疑ったことを恥じました。彼女は、自分を犠牲にして、私たちを艦へと導いてくれていたのです。

(22)
 
「あなた方は故郷へ、地球へ帰らなければ……。スヴァンホルムの意思だけでは、どうにもならないのです、今は。ボラー本国からの絶対的な命令だから……」
 イシュタルムの手が顔色を覗き込んでいたユキの体を強く押す。イシュタルム自身、あふれ出る涙を押さえきれず、全身震えながら泣き出した。声を立てまいと両手で口を押さえるイシュタルムを、進は直視できなかった。

「ダメよ、動いちゃ。イシュ、聞いて。あなたにとって、今は大事な時なの」
 ユキは、イシュタルムの白く細い指を握り締めた。
 イシュタルムは、自分の体の変調に、激しく動揺していた。まずは、落ち着かせるしかないと、ユキはイシュタルムの体を抱きかかえた。ユキは、イシュタルムの背中を、やさしくさすった。
 ユキの「大丈夫、大丈夫」という言葉が、子守唄のようにやさしく聞こえる。そのうち、ユキの体の内からもれ聞こえていた嗚咽の声も、体の震えも、徐々に小さくなっていった。

「すみません。こんな時に、気が動転してしまって。」
 イシュタルムは、ユキから体を離した。服の襟元を寄せ、身なりを少し整えたイシュタルムは、スッと顔をもたげた。

「少し落ち着きました……私に構わず行ってください。でないと、私は何ためにこの子を犠牲にしたかわからなくなります」

 口を開こうとした進をユキがさえぎった。イシュタルムと進の間に壁を作るようにユキが立ちはだかった。

 ユキは、進の指先をそっとつまむように触れた。
 進は、ユキの、真剣な眼差しに気づいた。そのやさしい目つきに、進はつい、目をそらしたくなった。

「私は、彼女とここに残るわ……」

『そんな……』 
 進は、言いかけた言葉を飲み込んだ。
 進の指先にユキの指先が再び触れた。それは、ほんの軽く、かろうじて感知できるほど瞬間であったが、進の身に染み込んでいくように、その感覚は刻み込まれていった。

「彼女を置いて行くことはできない……友として、医者として、そして、女として」
 進は、その時のユキの姿を、ただ、瞳を凝らして見続けることしかできなかった。


「イシュタルムとユキは、診療所での仕事仲間としてでなく、姉妹のように、いつもいろいろなことを話し合っていました。それだけでなく、医者として、傷ついたものを置いて行くことは、その時の彼女には出来なかったでしょう。それは、親しいイシュタルムでなくても。でも、私は、何を言われても、彼女を引きずってでも、ユキと一緒に地球に戻るつもりでした」
 進は、傍らで眠るユウの髪の、ほんの表面をそっとなでた。

「ですが、私は、ユキを強引に、連れて帰ることができなかった。彼女を失うことがどんなに苦しいかを知っていたのに……」
 進は、ユウに触れていた指先を、少しずつユウから遠ざけた。

「ユキも妊娠していたのです。女として、子どもをお腹に宿しているいるもの同士として、放っておくことなどできなかったでしょう。私も強引に引き止めることはできなかった……ユキがどんなにその妊娠をどんなに待ち望んでいたか、そして、妊娠に気づいたときから、どんなに毎日を楽しくすごしていたか、私は知っていましたから……」
 

(23) 
「あなたには、あなたを待っている人達がいる……」
 そう言って、ユキはもう一度、私の指先をそっと握りました。
 ユキは、私が軍を去ってから、それまで一度たりとも人のために生きなさいとは言ったことがありませんでした。でも、その時の私の職務は、確かに、トナティカにいる地球人の命を守らなければならないわけで、ユキは、そういう生き方を私に望んだのだと私は自分に言い聞かせました。

 私は、その場を立ち去りました。言い訳がましいですが、進んでその道を選んだわけではありません。
 
 トナティカから離れても、何度もユキと別れたシーンの夢を見ました。けれど、私は、艦へ向かって走り出すのです。彼女が触れた指先の感覚は、ずっと生々しく私の指先に残っているのに……私は、立ち止まることも、引き返すこともできず、ただ、走り去ることしかできないのです。夢の中でも……

 出航準備をしていたエバーグリーンに地球帰還を希望するものを乗せ、トナティカを離れました。トナティカのエメラルドの大陸……できるだけ細かいワープを繰り返し、航路を気づかれないように私たちは地球へ逃げ帰りました。無事に地球に帰ることができたのは、スヴァンホルムが、私たちが帰れるように見逃してくれたのかもしれません。
 太陽の光を受け、一際青く透きとおっている地球を見た時、私はイスカンダルへたどり着いた時のように、心が震えました。
 ユキの言葉の呪縛が解けたせいでしょうか。私は、その後、意識を失いました。

 私が目覚めたのは、地球の病院のベッドの中でした。あの時、目覚めた私の目に映ったのは、白い天井だけ……白い天井は、私に、ユキを失ったことを否が応でも私に感じさせました。
 病院のベッドの上、私は、ユキとの生活をどうしたら戻せるのか、それだけを考えていました。思い出だけで生きていけるほど、私は強い人間ではありません。思い出にしたくない……いつもすぐ側にあった彼女の笑顔を思い出だけにしたくなかった。

 そして、私は、自ら考えた、彼女と再び会うための最短の方法を実行することにしたのです。地球の危機を乗り越えさえすれば、再びトナティカへ行くことも可能になる……この3年間は、そのことだけを考えて生きていました。

 先生、私は、間違っていたのでしょうか。迷うことはなかった。目的のためなら、戦うことも厭わなかった。でも、なぜでしょう。この子を見ていると、私は、どこか道を間違えてしまったような気がするのです。
 私は、この子の父親であることを捨てたのです。最短の時間で、私の限られた時間でユキを取り戻すために。なのに……どうしてこの子は、私の側にいるのでしょうか。どうして…この子が側にいるだけで、私は幸せな気持ちになるのでしょうか……

(24)
「もう一人のあなただからですよ。艦長」

 天井を見上げていた進は、佐渡の顔に視線をゆっくり向けた。
「もう、一人……?」

「そう、昔のあんたじゃ」

「昔の……」
 進は、佐渡の言葉を繰り替えした。

「ああ……」
 進は微笑んだ。目を閉じ、小さく息を吸った。



「もう、いいだろう。艦長は、また、深い眠りに入いられた」
 佐渡の言葉がユウの耳に入ってきた。
 

(25)
 うとうとしていたユウの後頭部をやさしく誰かの指が往復していた。ユウは、それが誰の手かわかっていた。昔何度も同じように、なでてもらった記憶が甦る。寂しいと思っている時に、必ずその手の感触があった。
 ユウは、聞きなれた声をずっと聞いた。聞きたかった話。それよりも、話をしている間中、その手は、ユウの頭をやさしくなでた。ユウは目を閉じ、その手の感触をすべて感じ取ろうと努力した。

 涙が流れる。体の震えを止めようと、ユウは、体の中心にすべてを押し込めようとした。力を入れないように。体が動かぬように。シーツに涙を押し付け、ユウはただ、進の話を聞いていた。


「もう、顔を上げても、いいぞ」
 佐渡の声で、ユウは頭を持ち上げた。進は軽い寝息を立てて寝ていた。

「フフフッ」
 ユウの顔を見ると、佐渡は小さな笑い声を立てた。

 涙で濡れる頬を、ユウは両手で軽く叩いた。

「あ、あの……」
 よろっと立ち上がると、ユウは、つばを飲みこんだ。

「寝言だ。本人も話したことすら憶えていないだろう。夢うつつの状態じゃ」
 佐渡は、進の腕をそっと、毛布の中にしまいこんだ。ユウは、その様子をぼおっと眺めていた。

「寝言……」

「そう、寝言じゃ」
 
 ユウは、進の顔をもう一度見た。

「『もう一人のあなた』とは、どういうことなのですか」

「似ているんじゃよ、前のヤマトの艦長である沖田艦長と古代艦長。古代艦長とあんたがね」
 ユウは佐渡の言葉に目をパチクリさせた。

「沖田艦長と古代艦長は親子のようじゃった」
 佐渡は、ベッドの傍らに置いてあったカルテを持ち上げると、ページをめくった。持っていたペン先をペロッとなめると、さらさらと文字を綴った。

「親子……」
 小さく上下する進の胸板を、ユウは、飽きることなく見続けた。



(26)
「佐渡先生」

「なんじゃい」

「いえ、いいんです」
 ユウは、鼻をすすった。
 すかさず佐渡は、ユウにティッシュを差し出した。ユウは、息を吸うと思いっきり鼻をかんだ。
 
 スッと首筋に一筋の汗が流れた。寝たフリをしていたときの体の緊張が、少しずつ抜けていく。
 ユウは、ゆっくり呼吸を繰り返しながら、体を少しずつ解放をしていった。

「佐渡先生」

「んー、なんじゃ」
 佐渡は、簡単な返事だけを返した。

「いきます。目的は果たせましたから」
 ユウは、背中をぴんと伸ばした。

「もう寝なさい」
 佐渡の目は、カルテ手元に向いていたが、ユウの言葉に何度も頷いていた。

「はい」
 ユウは、軽く会釈をした。

 佐渡は、眼鏡を少し持ち上げ、立ち去るユウの後姿を確認した。振り返る様子がないと確認すると、眼鏡を左右に振りながらかけなおし、また、カルテのチェックを始めた。


(27)
 タカタカタカタタタ……タタ……
 ユウは、端末のキーの上に指を走らせた。何度も何度も押し寄せる感情の波を、かろうじて手を動かしていることで、堰き止めていた。
 コンピュータ室の一角、乗組員が多少のチェックを受けるだけで使える端末機。並んでいる画面の前にいる者みな、何らかの理由で眠れない者たちだった。ユウも佐渡に寝るように言われたものの、寝る気が起こらず、キーの音が響くこの部屋に来ていた。

「検索の仕方が悪いのかな」

 カタ
 ユウは、エスケープのキーを押して、また、元の画面に戻った。

「セキュリティがかかっているのよ」
 その声にユウは振り向いた。澪がそこにいた。
 割と自由に使えるせいか、ただゲームをする者・仕事の片付けをする者など、先ほどから何人か部屋を出入りしていた。

「ちょっと、かして」
 ユウを押しのけ、席に割り込んだ澪は、軽やかな指の動きで、次々と画面を操っていった。ユウは、ピアニストのように途切れなくキーを打ち続ける澪の手を見ていた。

カタ、カタ、カタ
 澪の手の動きが緩やかになる。
 完全に止まると、澪は目を閉じ、何かを念じているように体全体を集中させていた。
「そうか……」
 再び、澪の手が動き始める。

「これでいいわ」
 
 タン
 
 澪がキーを勢いよく叩くと、画面一面に文字が広がった。
 
 タン、タタン
 キーの上に腕を伸ばすと、ユウは、その画面を閉じる命令を行なった。

「何するの!」
 澪は、長い髪が大きく揺れる。澪が席から立ち上がり、ユウと対峙する形となった。

「やっぱ、いいよ」

「艦長のプロフィール見たかったんでしょ」
 澪の言葉に、何も返さず、ユウは微笑んだ。
「いいんだ……」
 
 澪は、また、キーの上へそっと指を伸ばしていった。さっきやった作業を繰り返す。

「艦長、目を覚ましたよ」
 
「そう……」
 ユウの話を聞き流し、澪の指は、相変わらず動き続けた。

「行ってきたら?」
 その言葉に、澪は首を振った。

「いいの」

「どうして?」

「そんなことどうでもいいでしょ」

 澪の大きな声に、部屋の隅の端末をいじっていた男が振り返った。
 ユウは、その男に軽く頭を下げると、澪の耳元で囁いた。
「どうでもよくない」
 
「思い出なのよ」

『思い出……?』
 
カタッ 
キーの音が合図となって、二人の目の前の画面に、再び溢れんばかりの文字が羅列し始めた。

<思い出にしたくない……>
 ユウの頭の中に、進の言葉が甦ってきた。

<思い出にしたくない……>
 それだけの事で、再び宇宙へ出た進。この三年間の進の経歴は、そのまま、進のギリギリの生き方だった。ムチャな作戦を単独でしたことも、味方の窮地を救うために、艦をつぶしたり……

 ユウは、澪と並んで、進の経歴をたどって行った。

<思い出にしたくない……>
 
 そうして、二人は黙ったまま、しばらく画面を見詰め続けた。
 

(28)
『思い出……』
 ユウは一人ベッドの中で考えていた。

 画面を見ながら、ぷいっと部屋から出て行ってしまった澪。『思い出』という言葉。
 ユウは両手で頭を抱えた。

 『思い出』……母の笑顔……

 ベッドから、サイドの机を見ると、母が写る写真がちょうど視線の中に入ってきた。
 
 ユウは、ゆっくり起き上がって、テーブルに近づいた。両手でそっと写真立てを持ち上げると、ユウは母の笑顔に微笑みかけた。




「どうしたんだ」
 真田志郎は、相原義一に引きずり回されるように、義一の部屋につれて行かれた。

 周りを確認した義一は、志郎の耳元に囁いた。
「さっき入った極秘の情報です。……」

「そんな……」
 志郎の言葉が思ったより大きかったのを気にした義一は、指を立てた。

「どうなるのか、わかりません。しかし、このままだと……」
 義一は、足元に目をやった。小さなため息をこらえることができず、思わずもらしてしまった。
「つらいです。もう、私たちではどうにもならない」

 志郎も思わず、目を閉じた。
『どうする古代。お前はどうする』




「ユキ……」
 眠る進の乾いた唇が小さく動く。
 部屋の中は、小さな明かりと小さな機械音。そして、進の小さな寝息が、艦底から響いてくるヤマトのエンジン音に包まれていった。
第10話「ユキ」終わり
第11話「ヤマトより愛をこめて」へ続く
 

なぜ、この話を書いたのか、知りたい方はこちらを読んでね
SORAMIMI 

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