「想人」第11話 ヤマトより愛をこめて

(1)
「先日の戦闘については以上です」
 ユウが話し終えると、進は軽く頷いた。

 機械類を多少つけているものの、進は艦長室に戻っていた。佐渡は、「艦内どこにいても同じ」と判断し、艦長室での寝ながらできる執務のみ許可した。今日は、進が職務から離れていた間の報告を聞くため、島次郎、徳川太助とユウの三人が呼ばれていた。

 次郎に指導を受けながら、ユウは今日の報告書を作成していた。次郎の指導は、内容ではなく、細かい言い回しの訂正が多かったが、次郎の文章能力は確かに定評があって、ユウも、自分の報告書が随分さまになったのは、次郎のおかげだと思っていた。

 報告を聞き終わった進が、更に細かいデータが書かれた資料をめくり、細かい数字をチェックしはじめた。ユウは、ただ、報告書との相違点がないことを祈った。
 
 ピシッと、紙を弾き、 資料の最後の一枚であることを確認すると、進は顔を上げた。ベッドの周りにいる三人の背筋が、ピンと伸びる。

「森」
 
「は、はい」
 ユウは、小さくつばを飲み込み、次の言葉を待った。
「よく、波動砲発射の決断ができたな」
 ユウの目は丸くなった。

「あの……発射を決めたのは私の勝手ですみません。波動砲発射はしかるべき時のみと習いました……ですから……」

「そうだ、波動砲はただの兵器ではない。波動砲はその先を考えながら使う兵器だ。艦隊の位置から少しずれた所を狙ったそうだな」
(その先……)
 ユウの目をじっと見ている進の目は、いつもの精彩を取り戻していた。
「相手はほとんど損耗していないようだが、追撃はなかった……」
 ユウは、後退したい気持ちを押しとどめ、進の話を聞いた。
「とにかく、波動砲をむやみに使う事は、地球防衛軍の中でも慎重になっている。本来はもっと議論されるべきことであるはずなのに」
「使用は間違っていましたか」
 進はユウの不安そうな声を聞くと、さらに言葉を続けた。
「悩んだら、基本に戻りなさい。我々地球人類は、他の生命を脅かすことをさけるために他の星との接触を避けてきた。そして、生活や環境、思想の違う他の星の人々への攻撃も慎重になるようにというのが、地球連邦の考えだ」
 進は目を伏せた。
「では、波動砲の使用の条件は何なのですか?」
「我々、地球人類は試されているのかもしれない」
 ユウは、進のたとえが意外なことだったので驚いた。
「あの、そ、それは……」
「地球人類だけでなく、他の星の人々と接触して共生していく道を探す事は、共通の課題かもしれない、この宇宙に生きるすべての者の」

「イスカンダルからの支援で、私たちは簡単に波動エンジンを得、そのエネルギーを使った波動砲を開発しました。人類の考えより技術が先行してしまったってことですよね、艦長」
 徳川太助は助け舟を出すように言葉を挟んだ。
「そうだな。扱う我々は、選択したことが正しいか、そのことをいつも考えながら使用する必要がある」
 進の言葉は、ユウも何となく感じていたことだった。ユウは、深々と頭を下げた。
「艦長、ありがとうございます。私も今回の使用をもう一度考えてみます。他の方法がなかったのか、どうすればよかったのか」
 


(2)
「悪いことを言われていたワケじゃないんだ。もう少し、自信をもたなきゃ」
 艦長室を出て、胸をなでおろしたユウの背中を、太助がポンと叩く。

「艦長が元気そうでよかったな」
 次郎の言葉は、ユウの気持ちを代弁していた。確かにユウは、進の様子のよさに安堵していた。
 
 エレベーターが停まると、第一艦橋のドアが開いた。ドアの音に気づいたヤストが、ユウに向かって手をあげた。ヤストがユウの顔を見たのは一瞬だったが、ユウの顔を見て満足したのか、また、手元の仕事に取り掛かり始めていた。


「艦長の回復、結構はやいね」
「ああ、割と早い段階で手術ができかからな」
 言葉を交わす次郎と橘俊介の横をユウは通り過ぎた。
「家族が側にいるってこともあるんじゃないかな」
 俊介がユウを意識して言った言葉に、ユウは振り返ることなく席への最短距離を大またで進んだ。

 『どうして……この子を見ていると、私は、幸せな気持ちになるのでしょうか……
 ユウは進の言葉を思い出していた。

「どうした?」
 ヤストの言葉で、ユウは、ゆっくり振り向いた。

「なんでもない。報告がうまくいったから、少し安心した…それだけだよ」

「そうだろうな。その顔見ていると、何となく予想がつく。……ま、それは、それとして、コスモタイガー隊の火気類の換装についてなんだけどさ」
 ヤストは、何事もなかったように話を続けた。


「工場長、波動エンジンの点検で気づいたことを相談したいんだけど……」
「わかりました、機関長。データがありましたら、そちらを送ってください」
「航海長、今後の航海計画のことですが……」
 第一艦橋内に声が飛び交う。
 
 その中、一人、フェイだけが、ふに落ちないことを思いながら、何度もチェックを繰り返していた。
『どうして、こんなに面倒なことを……』
 フェイは一人、さっき入った地球からの短い通信を分析していた。
 何重の暗号が絡み合って、わざとわかりにくい文章になっていた。雑音のような、余分な部分を一つ一つ取り除いていくと、一つの言葉が浮き出てきた。
『何の意味があるのだろう』
 手元の画面を見直すと、二文字の漢字が浮かんでいた。黒い画面に浮かぶオレンジ色の文字……

<停戦>


(3)
「ありがとう。おいしかった」
 進は、傍らに立つ男に微笑んだ。
 口に含んだスープが、体の中に染み込むように取り込まれていくのを進は感じていた。

「野菜を煮て作っただけのスープですよ」

「おいしいよ。匂いもきつくないしね」

「そのことは言いっこなしです。艦長」

「そうだな……」
 進は、カップを男の方へ少し差し出した。男は、両手で受け取ると、進に白いナプキンを手渡した。

「希望の部署へ配属できなくて、コックとしての道しかなかったか……すまなかったな」
 進は、軽く口元を押さえると、目を伏せた。

「いいんですよ。宇宙へ出れましたから」
 受け取ったカップを手元のふきんで軽く拭くとトレーにそっと伏せた。

「艦長、最近、乗組員の食事の量が全体的に減ってきています」

「不安……か」

「結びついているのか、どうか。しかし、楽しい雰囲気での食事ではないことは確かです。私の料理の腕が落ちたせいかもしれませんが」

「別の角度からの報告も聞いてみよう。君の腕が落ちたせいではないと思うよ、私が保証しよう」
 進は、使用したナプキンをコック長に近づけた。コック長が両手で受け取ると、手の内できれいに折りたたんでいった。

「では、艦長、失礼します」

「ありがとう。コック長が君でよかった、長谷川」

「あなたの艦(ふね)に乗ることができてうれしいです」
 
 進は、ドアの隙間に消えていく男の姿を最後まで見送った。進のたった一口のために、長い時間、鍋の前にいたのだろう。

 進は地球から発つ前に、各乗組員のプロフィールを何度も読んだ。そして、彼らがここに来る前のことを想像した。もちろん、コック長の長谷川啓(ひろむ)のことも。乗組員たちが繰り広げるそれぞれの行動をまとめあげる。何度も何度も修正を加えつつ、より強く最大に力をどうしたら引き出せるのか考えることが、進の楽しみになっていた。
 しかし、その反面、小さな揺れは、共振を繰り返して、やがて大きな揺れとなることもある。
『さて、どんな揺れが起きるのか……』

 進は、今まで起きていたベッドの角度を、手元のコントローラーで、少しずつ平になるようになおしていった。

トン
 閉じかけた目を開いた進は、今の音が錯覚ではないかと耳をすました。

「リーです、艦長。お話したいことがあります」
 
『やはり、ドアの音がしたのか』
 進は、錯覚ではないことを喜んだ。感覚が戻りかけている証拠だ。

「はいりたまえ」

 ドアの隙間からあらわれたのは、頬を紅潮させたリー・フェイだった。

 

(4)
「すみません」
 フェイは繰り返した。

「大事な用件があったのではないのか、フェイ」
 進の言葉にフェイの茶色がかった瞳が一段と大きくなった。

「はい、実は……」
 フェイは、不規則に地球方向からくる通信をチェックをしていた時にみつかった、短い通信文のことを話した。

「通信文に、好きな曲の音階を記号にしたものにくるんで、送る方法です。誰が送ったのか、特定の人にわかる方法なのです。私たち通信士の中で、チャットとして使う場合に、よくこの方法を使います」

「今回の曲は、とてもマイナーな曲で、私には、誰が誰に送ったものなのかわかりません。艦長だったら、わかるかもしれないと思ったのです」

「曲名は?」

「日本の昔の曲でした。『北上夜曲』という曲です。通信文は、『停戦』です」

「『ていせん』?」

「互いの攻撃的行為を止める意味の停戦です」
 フェイの答えに、進は、それ以上、何も言わなかった。
 フェイは窓の向こうを見つめる進を静かに見守った。
 進は、疲れた目を休ませるように、そっと瞼を閉じた。目を閉じたまま、頭の中に、『北上夜曲』の好きな友を思い出していた。

「ありがとう」
 進は目を開くと、フェイに微笑んだ。フェイは、一瞬、その進の笑顔に見とれた。進の笑みは、フェイに父親の笑顔を想像させた。

「送り主はわかったよ。ただ、単語一つだけでは、何がいいたいのかよくわからない。この通信の前後はどうだったんだ」
 
「あの、ムダな通信がなくなりました。通信の環境が悪いのか、または禁止されたのか、私にはわかりません」

「そんなものさ」

「えっ?」

「何かのヒントなんだろう。地球に何かがあったのか。それとも、こちらが何か障害を起こすような空域に入ったのか」
 フェイの顔がくもっていった。

「今は、この通信のことを他の乗組員に言わないでおいてくれないか。こちらに原因があるようだったら、一両日には、何らかの動きがあるはずだ」

「地球の方が問題なのですか?」

「次の定期通信を待ちなさい。悪い方へ考えないことだ。たとえば、この通信自体、我々をかく乱するための罠なのかもしれない」
 進の笑顔に合わせるように、フェイは愛想笑いを返した。

「少しでも、地球からの通信がおかしい場合は、私が寝ている場合でも、報告して欲しい。いいかい、確定するまで誰に言わない」
 進は、フェイの顔を直視した。
 フェイのまつ毛が茶色がかった彼女の虹彩をだんだん覆っていった。

「大丈夫だ。ボラーが知っているほど、北上夜曲は有名ではない。そんな曲を選ぶ男は、地球に一人しかいない」
フェイが不安そうな顔を起こすと、進は頷きながら、フェイに微笑んだ。

『大きな揺れになりそうだな』
 


(5)
 短時間の飛行訓練のみのコスモタイガー隊は、ほぼ毎日を愛機のチェックに時間をかけていた。
「チェックのし過ぎで、穴が開いちゃいそうよね」
 山県さおりが、定期点検項目にチェックを入れると、愛機をそっとなでた。
 
「あと1回のワープで抜けられるんだろう」
 ユウの愛機コスモ・ゼロをいっしょに点検していた三上大樹(だいき)が、隣でチェックの様子を見ていたユウに声をかけた。
「あ、ああ」
 
 このトナティカ付近の不安定な空域を抜ければ、ガルマンガミラスの勢力圏に入ることができる。トナティカ付近は、その不安定さで、攻められることが難しいところで、文明的に遅れていたトナティカが、ガミラスとボラーの間で生き残ることができたのも、砂漠の中のオアシスのような存在だったからだった。

「銀河系内っていうから、もっと、早く着けるかと思ったら、意外とチンタラチンタラだもんな」
 コスモタイガーを整備している他の隊員たちがおしゃべりをはじめた。急に戦闘に入るかもしれないと言われつつも、こうも、戦闘もなく何日もすぎると、緊張感がなくなる。

「そうだよなあ。マジに間に合わないんじゃないかって、不安になったもんな」

「そうそう、飯時って特にね。地球の家族は、ちゃんと飯食ってんのかなーって考えちゃったり」
 ユウは、チェックの機械から目を離し、話をしている一団の方へ目をやった。

「えー、楽天的なあんたでも、心配してんだ」

「ひっでえなあ。これだけ考える時間があると、つい、嫌な考えも浮かんじゃうのさ。間にあわなかったら、どうなっちゃうのかっ……」
 男は、隣の女に小突かれた。
 ユウは、二人のばつが悪そうな顔を見てしまった。

「すみません、チーフ……」
 ユウは、返す言葉がなかった。進のことばかり頭にあったユウは、他の乗組員の気持ちを考える余裕はなかった。

 いつの間にか、格納庫にいる者の視線がユウに集まっていった。

「大丈夫よ、艦長はちゃんと考えているから」
 澪のぴしゃりとした言葉が、緊張した空気を切った。

「で、しょ。チーフ」
 澪がにこりと笑みを浮かべていた。ユウは、背中を押された気がした。

「ああ」



(6)
「ありがとう」
 早足で歩く澪の後ろを、ユウは必死で追いかけた。
 澪は少し無視をして歩いていったが、突然立ち止まった。急いで追いつこうをしていたユウは、そのままぶつかった。

「だめじゃない。皆を不安にさせるような雰囲気作っちゃ」

「そ、そうだよね」
 ユウは、唇を噛んだ。

「特に、次のワープは、この空域を抜ける大切なチャンスでしょ。そのために、緊張をぐんと高く持っていかなきゃならないのに、ふらふらした気持ちでいちゃだめでしょ」
 
「ああのさ……」

「なに?」
 澪のまだ何かあるのかと、少しいぶかしがる顔を前にして、ユウはまたも、言葉に詰った。

トゥトゥトゥ、トゥ、トゥ   トゥトゥトゥ、トゥ、トゥ
 ユウの腰の通信機が突然鳴り出す。

「第一艦橋へ召集の合図よ」
 
「ああ」
 ユウは、通信機のボタンをオフにすると、第一艦橋へ向かうレーンへ乗り換えた。
 ユウは大きくため息をついた。


 
(7)
 第一艦橋には、すでに、他のメンバーは集まっていた。

「どうしたんだ」
 第一艦橋に飛び込んだユウは、ヤストに声をかけた。ヤストは、小さく顎を動かした。ヤストの視線の先の艦長席には、進が座っていた。

「これで全員揃ったな。フェイ、説明を」

「はい。艦内標準時間19時22分、地球の司令本部から通信がありました。ボラーからの停戦の申込みについての通信です」

「停戦って……」
 前に乗り出したユウの体は、ヤストの右腕でそっと、押しとどめられた。ユウは、ヤストに小さく頷いた。

「話し合いをしたいという提案がボラーからあったそうです。戦争状態になったことは望んだことではなく、地球がブラックホールの影響で居住不能の危機に瀕しているのは、ボラー側の責任でもあるので、移住先を提供することで、長期停戦を提案してきたそうです」
 
 フェイは、箇条書きになった書類を上から順番に読んでいった。
「移住先は、惑星トナティカ。先住民の扱いは、地球に任せるとの事です。話し合いで決定次第、トナティカからボラーは完全撤退。その後は、ボラーと友好条約を結んで、交易や、貿易船の寄航地として使いたいという要望があるそうです」
 
 一旦、話を止めたフェイは、進の頷きと共に、話を再開した。
「とりあえず、話し合いのテーブルにのるかどうかの協議を大統領の諮問機関や防衛会議で検討したそうです。しかし、結論を一本化することができず、結局、現在のヤマトの進行状況や今後の身通しなどを考慮して、艦長の判断に一任するということに決ったそうです」

「責任逃れじゃないですか」

「それで艦長は……」
 
 第一艦橋がざわめきだした。ユウは、進の顔を、ただ、じっと見つめていた。

「話し合いには乗らない。地球側にもそう連絡する。ただしワープ直前だ。我々はあと1回のワープで、この航行しにくい空域からやっと出ることができる。ワープまでの間の時間、ボラー連邦の攻撃が一番の懸念だったが、今回のこの申し出のチャンスを最大限に使う。3時間後のワープまで、戦闘配備のまま全員待機。以上」
 進が一人一人の顔を見渡した。
 進を見ていたユウは、進と目が合った。進の視線はユウのところで止まったまま、動かなかった。
 二人の視線は、しばらく止まっていた。

「あの、艦長……」
 ユウは、息を小さく吸った。
「話し合いはどうしてしないのですか」

「これは、ボラー側の時間かせぎにしか思えない。いくら好条件でも、彼らがそれを守るとは思えない。時間の消耗と、危険なところに自ら飛び込んでいくことを考えると、何一つ得なことはない」
 進がまばたきをした。
 
 ユウは握った拳に力をこめながら、小さな1歩を前に出した。
「トナティカの住民たちの開放にもつながるかもしれないんですよ」

「その手伝いをするほど、今の私たちは余裕があるわけではない。時間は限られている」

「ヤマトの乗組員たちは、この航海が間に合うかどうかの疑問を持っています。その意見を聞かず、航海し続けるのはずるいと思います」
 『ずるい』と言った瞬間、ユウはしまったと思った。他の言葉を考えている間に、進が艦長席から立ち上がった。
「甘い考えだ。足止めされることがどういうことなのか、わかっているのか」
 ユウは、更に進から見下ろされる形となった。

「このボラーからの提案を、皆で考えてもいいじゃないですか」
 ユウの体はだんだん、進の座る艦長席に近づいていった。

「今の状態では、意見は必ず分かれるだろう。迷っている時間はないのだ」

「しかし……」
 
「やめておけ」
 飛び出そうとするユウの体を、腕を、ヤストの腕がぐっと押さえた。
「ヤス! 放せ」

 ユウがヤストの手を振り解こうとしている間、進は、艦長室へと椅子を移動させていた。

「艦長、待ってください。もう少し皆で議論させてください。まだ、ワープまで3時間あるじゃないですか」
 ユウの言葉が終わらぬ間に、進の椅子は、艦長室へ収まっていった。



(8)
「くやしいですね」

「くやしい?」
 真田志郎は、自分の部屋に尋ねてきた相原義一の言葉を繰り返した。手の中のカップは、普段よりたくさんのミルクのせいで、ベージュの膜で表面が覆われていた。

「ここ数日、真田さんも、寝ずに駆けずり回っていたじゃないですか」
 義一のため息が、義一の持っていたカップの表面に、小さな波紋を起こしていた。

「まだまださ」
 志郎は、カップのコーヒーを一気に飲み干した。
 志郎の胸へ、熱いものが流れ込んでいった。志郎は、目を閉じ、その熱さが通り過ぎるのを待った。

「俺たちの仕事は、見守っているだけではない。帰ってくる場所を守ることも仕事の一つさ」

「帰ってくる場所を守ることですか……そういえば、私たちの航海の時は、必ず、帰って来るべきところがありましたね。地球には、私たちの帰る場所を守ってくれていた人たちがいた……」
 義一の言葉に志郎は頷いた。
 志郎はカップを山積みになった机の端に置くと、大きく背伸びをした。その姿を見ていた義一と目が合うと小さく笑った。

「私たちが今度はそれをする番ですね、真田さん」

「そう、古代たちがどんな選択をするかはわからない。けれど、どんな選択をしても、地球にいる人たちに納得してもらわなくてはならない。資料の方は、今、集めてもらっているところさ」

トゥ、トゥ、トゥ、トゥ、トゥ、トゥ
 志郎の傍らの電話が鳴り出した。

「さあ、休憩時間は終わりだ。もう一仕事が始まる」
 志郎は、机の上の書類を一気に寄せて抱きかかえると、義一に部屋をでるよう、促した。



(9)
「やせがまん、しているんです。艦長。きっと、我々よりも、誰よりもトナティカへ行きたいのに」
 おさまり切れないユウを、ヤストはずっと体を使って押さえ込んでいた。

「時間がないんだ」
 ヤストの腕を島次郎がほどきながら、つぶやいた。
「我々がこうしてこまめにワープしているおかげで、位置がわからず、大きな戦闘に巻き込まれずにすんでいるんだ。戦闘になれば、時間も、人の命も奪われていく。艦長のおっしゃるとおり、ここで交渉するメリットがない」

「このまま3時間、そのときまで、他の乗組員に黙っていろってことですか」
 ユウは、進へぶつけるべき言葉を、次郎にぶつけていた。

「黙っていろとも言われなかったぞ」
 
「機関長!」
 進を除いた中で、第一艦橋で一番年上である徳川太助が助け舟を出すと、次郎が叫んだ。

「機関長、皆を乱すことを言わないでください」

「航海長、このコトを秘密裏に進めるとは艦長は言ってはいない」
 橘俊介の言葉に、次郎はうなった。
「お前……」
 
「でも、艦長命令は、絶対です。軍規にもそうあります……あっ」
 桜内真理は、一度言った自分の言葉で、何かを思い出した。

「絶対ではありません。一部修正があります。変な修正がありましたよね。よくテストに出ませんでした?」
 坂上葵が皆に問い掛けるように小さくつぶやいた。

「一部修正……」
 ユウは、宇宙戦士訓練学校のころのことを思い浮かべた。書き忘れて、三角にされた……

『そっか、その手があったか……』



(10)
「で、これ?」
 南部ヤストは、受け取った紙を指でつかんで、ユウの目の前で振りかざした。ユウは、その紙をつかみ取り、もう一度、ヤストの目の前に差し出した。
「あのね、おもちゃにしないで。大事なんだから。ねっ」
 
「これの報酬は?」
 再びヤストが紙を振りかざそうとするので、ユウはにらんだ。

「そんなのあるわけないだろう。まずは、黙って署名をしろ」

「ちょっと、待った。俺はどういう理由で署名をしなきゃならないんだ」

「ボラーと艦長の話し合いの機会をけってまで、航海し続けることに反対……うー、ボラーとの交渉の機会を艦長一人だけで決めるのは反対……」

「ちゃんと、説明つけないと、誰も署名をしてくれないぞ。ホレ、お前はどうしたい。ずるいだの、やせ我慢しているなんて言っていちゃあ、みんなを説得できないぜ」
 ユウは、ゆっくり頷いた。

「ヘタな文章でもいいんだ、うまく書こうと思うな」
 ヤストは紙の裏側に書き出した。
「まずは、お前がなぜ、この署名をはじめたかだ」

「すまないな」
 
「ホントに悪いと思っているんだったら、俺んとこくるな。早く、言いたいことを言えよ。まずは、お前の中の整頓だ」
 ユウは、もう一度、頷いた。

 ヤストはせかすように、ペン先で紙の表面を突付いた。ヤストの様子を見ながら、ユウは、最後に見たトナティカの風景を思い出していた。
「じゃあ、まずは……」
  


(11)
 新しい署名の紙が出来上がると、ヤストは砲術班へ、ユウはコスモタイガー隊へ持っていって、署名してもらうことにした。
 ユウは、コスモタイガーを整備していた澪を格納庫の外に呼んだ。

「お願いしたいんだ」
 
「どういうこと?」
 澪は渡された紙をチラリと見ると、首を少し傾げた。その動きにあわせて、澪の金の髪が小さく波を打つ。

「そこに書いてあるとおり、ボラー連邦から地球に一つの提案が出ていて……」
 ユウの言葉を聞いていた澪は、長いまつげを上下に揺らした。澪の長く柔らかいまつげが、少しブラウンがかった澪の瞳をきりりと浮き立たせていた。
 ユウは、澪の目から肩へと視線をそらした。

 澪は、もう一度紙に視線を落とした。紙を持つ澪の白い指先が、ゆっくり、紙の上を動いていった。澪の視線は、その指の先にあった。

「だめかな?」
 ユウの言葉に、澪は顔を上げた。

 澪は、ユウに紙をつき返した。
「ダメかどうか、私にはわからない。この艦(ふね)は、ガルマンガミラスへ行くことが一番の目標でしょ。だから、艦長がそれを最優先してもいいわけじゃない?」
 
「艦長の一人の負担にしたくないんだ」
 ユウは、澪の差し出した紙を受け取らず、半歩下がる。そして、唇にギュッと力を入れた。

「艦長の選択が間違っているってこと?」

「みんなで考えたいんだ。艦長だって、悩んでいる。トナティカには母を置いて脱出した。トナティカへ母を捜しに行くために、軍へ復帰したんだから」
 澪のまつ毛が大きく揺れた。
 
「そうかもしれないけれど、私情を挟むべきではないから、艦長は進むことを選んだのでしょう」

「そ、そうなんだ。艦長の選択の理由って、私情を挟んだと本人が思いたくないからだと思うんだ。もし、母がトナティカに残らなかったら、艦長は、こんな選択をしない……」

 澪のまつ毛がゆっくり上下する。
「それって、あなたの推測だけでしょ」

「う……でも、艦長は、不利な状況だとわかっていても、乗組員の気持ちを汲むタイプなんだ。乗組員たちが、どう思うかを必ず考えている。乗組員の何割かは、この旅に不安を持っているかもしれない。ボラーの条件の方が確実だと思うかもしれない。僕達乗組員の意見を艦長に出したいんだ。艦長の選択をくつがえすのが、目的じゃない」
 澪は少しうつむくと、キッと顔を上げた。肩にゆったりかかった髪が、さらりと体のラインに沿って流れ落ちていった。

「私が反対したら、それで終わりだものね」
 ユウは、その言葉に唇を噛んだ。澪は、形勢が自分にあると確信したのか、口元を緩ませた。
「わかったわ。私は、どうするか、コスモタイガー隊のみんなの意見を聞いてから考える。いいでしょ」

「いい…よ」
 
「!」
 署名の紙を持っていたユウの手首が揺れた。澪の手がユウの手首をギュッとつかんでいた。ユウは反射的に手を自分の体の脇に引き寄せた。
 澪の口元は微笑んでいた。
「コスモタイガー隊の分、もらうわよ」
 澪は、手にしていた紙をユウの顔面にちらつかせた。
「ああ、お願い…するよ」
 
 澪は、パッと手を離した。
「ダメじゃない、そんな顔をしていちゃ。全乗組員の意見を聞きたいんでしょ。もっと、勢いつけて回らないと。そんなへこんだ顔じゃ、誰も賛同してくれないわよ」
 
『ありがとう……』
 
 ユウは、揺れる金の髪を見送った。

『さっ、まだまだ、これから……』
 ユウは、手にした紙を、もう一度ギュッと握り締め、確認した。

 ワープまであと2時間……


(12)
「どう? コスモタイガー隊は」

「なんとか」
 インターフォンで話すユウは、ヤストには澪のことを言えなかった。

「そう。砲術は順調。木下さんが世話役になってくれるって。まあ、あの人は、砲術班でも結構人気のある人だから大丈夫だと思う。こっちは、第二艦橋へ行くよ。航海班の連中に署名をお願いしてみる」

「すまないな、じゃあ、俺は医務室と食堂の方」
 インターフォンを切ると、ユウは、医務室へ向かう方のレーンに乗った。

「ユウ……待ってください」
 かすれた声がユウの後から聞こえてきた。リー・フェイが走って近づいてきた。

「どうした?」
 フェイは答えず、肩でを上下させて、呼吸を整えていた。

「わ、私も、お手伝いをしたいと思って、探していました。私、通信班の署名を集めます。通信班は、地球の家族を心配してか、本当はやっていけない無断の通信をやっている者がいます。でも、今まで、黙認してきました。だって、地球の家族は、ただ待っているだけですから。私たち、もしかしたら、逃げてきたんじゃないかって、後ろめたいんです。だから……」
 ユウの笑みで、フェイは、しゃべることをやめた。

「みんな、そうなんだよ。いろいろ、航海している中で思っているんだ」
 ユウは、手に持っていた紙をフェイに差し出した。

「みんなの意見を知りたいんだ。賛成でも、反対でも、誰も恨まない。そう伝えて欲しい」
 フェイは、こくりと頷いた。
 
「わかりました。それから、私、第一艦橋にいます。署名した人の数を確認しますので、書いてもらった署名は、第一艦橋の私の所に届けるようにしてもらえますか」
 
「ありがとう。時間がないので、そうしてもらえると助かるよ」

「では」
 フェイは、反対のレーンに移った。
 反対方向に動いているので、二人の間は、見る間に広がっていった。フェイが小さく頷いた。ユウは、自分がそこで下りなければならないことに気づいた。

『医務室か……』
 ユウは、両手でもう一度、署名の用紙をギュッと握り、心に念じた。
『元気ださなくっちゃ』



(13)
「ちょっと、ここの棚、ちゃんと確認してないじゃない。ガーゼや包帯が足らないわよ」
 柳原涼子のどなり声が響く。
「まったく……」
 涼子は、ポケットから大きな髪留めを取り出し、ウェーブのかかった髪を簡単にまとめ、手元のカルテに目を向けた。

「あ…涼子先生……」
 ユウは、遠慮がちに声をかけてみた。

「ごめんなさい。今、カルテのチェック中。患者のこと以外のことは、受け付けていませーん」
 顔を上げずに涼子は、カルテをチェックしては、分類していた。
 涼子の持っていたペンがふと止まり、涼子は、顔をもたげた。

「あら、ユウ、どうしたの。ごめんなさい。さっきから看護師が、ああだ、こうだうるさくて、また、その話の続きかなって」

「えっ、署名を……。何?……これってさあ……」
 涼子は、差し出された紙を読むと、ユウの顔をのぞきこんだ。

「まあ、がんばんなさい。私は、こんなことしかできないけど……」
 涼子は、持っていたペンで、サインを入れた。

「ちょっと、看護師たちを集めなさい。たらたらしていないで。短時間で済ませたいの」
 涼子は、近くにいた看護師を呼び止めた。
「ユウ、これどうすればいいの?」

 あまりにもテキパキ指示を出す涼子に、ユウは、きょとんとしてしまった。

「何しているの? 時間がないんでしょ。いい方法があるんだから、使わない手ないじゃない。いいわね。あの時、こんなこと考えて、早くみんなで決断すれば、ユキさんをトナティカへ置き去りなんてことなかった……」
 涼子はさみしそうに微笑んだ。涼子は、落ちかけてきた前髪の一部を持ち上げて耳にかけた。その指先を、ユウの肩越しに指し向けた。その先は、佐渡酒造の寝ている畳敷きの部屋だった。
 
 ユウは頭を下げると、佐渡酒造の寝息の聞こえる部屋へ1歩1歩近づいた。

 佐渡は、相変わらず、一升瓶を抱えて寝ていた。誰が掛けたのか、病室で使われている毛布が体にかかっていて、佐渡の頭と、一升瓶の先だけが出ている。起こすのが惜しまれるほど、佐渡がよく寝ているので、ユウは、その傍らに、ちょんと腰をかけて、顔の様子を毛布のすき間からうかがった。
 
「ばあ〜〜」
 突然、佐渡の毛布が持ち上がり、白目をむき出した佐渡の顔がユウの目の前に現れた。ユウは、一瞬体を後へ引いた。
 
「何、するんですか、先生」

「ははは。わしの寝込みを襲うからじゃ。さて、何の用かな。こんな時に、ここに来るなんざ、何か用でもあるんだろ」
 佐渡は、手にした一升瓶を開け、ごくりと飲み、顔をしかめた。

「これです」
 ユウが差し出した紙を、佐渡は眼鏡を掛けて、腕を伸ばし、紙を少し遠ざけて読み出した。
 ユウは自然に、正座になって、佐渡の前に座っていた。

「おい、書くものを貸してくれんか。はっ? 持ってない? だめだ、だめだ、こういう時は、ちゃんと何本も持っているものだ。おい、誰か、使ってないペンを何本か持ってきてくれ。 食うわけじゃない。また、回収すればいい。早く、持ってこい」

 近くの看護師が、10本ほどペンを出して、佐渡の所に持ってきた。佐渡は、その中の一本で、名前を書き始めた。
「涼子先生仕込でなあ、みな、よう動く。……おい、次は、本物の一升瓶を。水が入ってないヤツを持ってきてくれ」

「佐渡先生、お酒は、一日5合までです」
 涼子の声に、佐渡は、頭をちょんと叩き、ユウの耳元に顔を近づけた。
「ホント、最近、いい医者になったわ。わしも、頭があがらん」
 おどけた佐渡の姿は、なんだかうれしそうだとユウは思った。



(14)
「困るのよ。仕事中に、余計なものを回されるのは」
 ヤストは胸元に返された紙を受け取るしかなかった。桜内真理の言うとおり、第二艦橋は、ワープの計測チェックに追われていた。

「ワープまであと1時間よ。エンジンルームからのエンジンのチェックは? じゃあ、今、聞いてみて」
 指示を出している真理は、ヤストの存在などないように、仕事の続きをし始めた。

『やべっ、ここは、ムリなのか……』
 ヤストは、ワープまでの時間を表示している時計を見た。時計のデジタル表示の数字が60から59に変わっていった。

トゥルーン

 第二艦橋の入り口が開く音にヤストが目をやると、入ってくる島次郎と目が合った。
 その瞬間、スッと真理が二人の間の空間に入ってきた。
「早く、出ていって」
 真理は、小さく投げ捨てるかのように、ヤストに向かって小さな声をつぶしたようにはき出した。ヤストは、手に持っていた紙をギュッと握った。

「南部、どうした?」
 次郎は、パネルに映しだされている情報を読み取ったあと、ヤストの方に目を向けた。

「いえ、いいんです」
 ヤストは、最後の抵抗として、真理を睨み、低い声で答えた。
 
 次郎は、ヤストと真理の両方を見比べた。
「何があった? 桜内」

 真理は黙っていたが、後で見守っていた航海班の一人が口を開いた。

「南部砲術長は、署名を持ってきたのです。……艦長は、一時停戦を申し込まれたのを断るそうですが、私は、私はどうしても、賛同できません」

 次郎は、ヤストの手に持っている紙を見た。

「あ、あのですね、航海ちょ…」
 ヤストは、ふと、ここは、ユウに任せればよかったと、自分の判断を後悔した。
「受け付けないって言ったでしょう」
 ヤストの言葉を真理はかき消そうとした。
 次郎は、そのやり取りをじっと見ていた。ヤストの肩が上下する。

「私は署名したいのです。航海長、今の私たちは、それも許されませんか」
 また一人、航海班の男が、ユウたちの中に入ってきた。第二艦橋にいる者たちの視線が一ヶ所に集まる。
 機械が発する無機質な音だけが第二艦橋に響いていた。
 
「…すればいい。署名したい奴は、すればいい」
 次郎のつぶやいたような小さな声が、第二艦橋にいる者の耳、すべてに届いた。ヤストは、皆の顔が一瞬にして変わったのに気づいた。そして、自分のやっていることに、少々の満足感を覚えた。

「航海長……」
 真理は、小さなため息を漏らした。その肩を次郎は軽く叩いた。
 
 ヤストの手の中の紙は、さっきまで作業をしていた者たちの手に次々に渡されていった。というより、なかば、奪い取られていくように、スッと手から離れていった。次郎は、すばやくサインを済ませた者が、いきいきと自分の持ち場に戻っていく様子を見守っていた。

「書かせてもらうよ」
 次郎は、ヤストの手元に残った用紙を、差し出すように手を差し伸べた。
「い、いいんですか」
 
 ヤストは、差し出しながら、わけもわからず深く頭を下げていた。
「ありがとうございます」

 そんなヤストの様子を気にかけず、次郎は、文面に目をやった。そして、ポケットに入っていたペンを出して、一気に名前を書いた。
 次郎は、目を閉じた。浮かぶのは、トナティカから去るエバーグリーンの艦橋での進の姿だった。
『あなたを一人にしたくない……』


「仕事が増えたぞ。もう一つ計測するポイントが増えた……」
 次郎の声が第二艦橋に響いた。

「時間の節約のためよ」
 真理は自分の名を書くと、紙をヤストにつき返した。

(15)
「すみません、艦長。お休み中に」
 葵は、頭を下げた。黒くさらりとした髪が、葵の頬を隠した。

「少し横になっていただけだ。それに君が悪いことをしたわけではないのだから、謝る必要はないよ」
 進は、葵にむかって腕をのばした。頭を下げ続けていた葵は、目の前に出された白い紙に気づくと、頭をもたげた。葵がさっき、進に渡した紙だった。

 進は、葵に紙を返し、言葉を続けた。
「当然の権利なのだから」
 それだけ言うと進は、前面の窓へ体の向きをかえた。進は艦長席の椅子に軽くもたれかかって、窓の外の星々をながめていた。

「艦長……」
 進の後姿は、宇宙戦士の緊迫感のある背中ではなく、ゆったりリラックスした背中だった。葵はそんな背中を見たことがある。研究室で研究が行き詰まった時に決って談笑の口火を切っていた、真田志郎の背中に似ていた。

「坂上工場長、宇宙勤務は、どの程度の経験かな」
 葵は、思わぬ進の質問に、ピクリと体を反応させた。

「わ、私は研究室での勤務が長くて、惑星の基地勤務が数ヶ月程度です。こんなに地球から離れたことは、今回が初めてです」
 葵は自分がはずかしくなった。
 葵の頭は、顔を隠すために、また、うつむいた。
 進は、葵の髪の流れで隠れていく横顔をちらりと見た。そして、椅子にもたれたまま、上半身だけねじって、後ろに立っている葵の方を見ていた。

「この艦の乗組員で、何人くらいいると思う? 太陽系外の航海経験者が」

「半分…くらいでしょうか?」

「4分の1だ。しかし、これでも、他の艦よりそろえてもらった方だ」

「そうなんですか」
 葵の髪がさっと流れた。
 葵が顔を上げると、自然に進と目が合った。進は、ニコリと微笑み、うなづいた。

「その程度なのだ。ボラーとの戦闘空域外を航行したものは少ない。その上、銀河系の不安定さ。そして今回のボラーからの停戦の申込み……不安になる者が多くて当然だ」
 進の体は、再び窓の方へ向きを変えた。葵は、手の中の紙と進の後姿を交互に見た。

「私たちがしなければならないのは、乗組員それぞれがどうしたいのかの再確認なんだ。命令だからと、自分の内なる不安を隠して航海していることほど、危険なことはない」
 
『もしかして、艦長は……』
 話し終えた進の後姿を見ていた葵は、一番結果を楽しみにしているのは、進ではないかと思った。


(16)
「フェイ、こっちが、第二艦橋で集めてきた署名」
 ヤストは、第一艦橋で、署名のチェックをしているフェイに用紙を手渡した。

「ありがとうございます、ヤストさん。これは、チェックが済んでいない人のリストです。コスモタイガー隊の分は、澪さんが持ってきてくれるそうです。ユウは、機関室へ行くと言っていたので、機関室に今いるメンバーの分は、たぶん、OKでしょう。署名をしていない人をチェックして、何人かの人に、署名をもらってきてもらうようにお願いしています」
 フェイは、ヤストに話しながら、手元の書類を整頓していた。フェイの前には、いくつかに分かれて置かれていて、それぞれについているメモ書きには、見慣れない漢字で言葉が書かれていた。

『意外と、アナログなやり方なんだな。だが、それが逆に好印象なのかもしれない』
 ヤストは、その面倒な作業に、敬意を賞した。
 
 フェイは、手元のリストにチェックを入れていくと、ヤストに名前を書いた紙切れを渡した。
「このお二人分、お願いしていいですか。これで、ユウが機関室に今いる人からもらってくれば、全員集まる予定です」

「やったね。じゃあ、この二人を探してくるわ」
 ヤストは、席に戻って、艦内の部屋の検索と、何人かに連絡を取りはじめた。

 トゥルルルルーン

 第一艦橋のドアが開き、署名集めを手伝っている男が入ってきた。
「フェイさん、これでいいかな」

「ありがとうございます」
 フェイのていねいな言葉で、男の表情は、自然ににこやかになっていった。それを見ていたヤストは、リストを手にして、第一艦橋のドアへ向かった。

 

 澪は、紙を手にして、第一艦橋へ向かっていた。別に急ぐことはせず、どちらかというと、ゆっくり遠回りしていた。
 署名を集めたものの、澪の心は、前向きになれなかった。

『ここで、この署名を捨ててしまおうか』

 そう思ってしまう自分の気持ちが、どこからくるのかわからなかった。第一艦橋へ行く前に、後部の展望室へ足が向いていた。

 展望室のほの暗い明かりの中、澪は、手の中の用紙の一番上の紙を取り上げた。<真田澪>と書かれた紙。さっきから、この紙のことを考えはじめると、澪の頭の奥で、混沌としたものがどうにか一つのものにまとまろうと、ぐるぐるうねりだすのだった。

『何が……』

シューン
 何かが頭の中をよぎる。体の震えが納まらないほど、澪の体が揺れた。澪は、めまいが起きていることに気づいた。
 頭の中は漠然としていて、像を結ぶことはなかった。胸が苦しいほどの感情だけを、澪の脳は感じていた。だが、それすらもほんの一瞬で、澪には、それがどういう感情かを察知することができなかった。

『何が待っているというのだろう』

 澪は、くらくらする頭を支えながら、壁にもたれかけた。

 経験したこともないほどの激しい感情が渦巻いている。澪にわかるのはそれだけだった。
 予知能力とは言いがたい力。今までも、分岐点となる時に何かしらの予兆があった。しかし、体までを揺さぶるほど激しいものではなかった。

『こわい……』
 澪は、手の中の紙をぐじゅぐじゅと握り締めた。
   
「お願いしたいんだ」
 澪の頭の中に、ユウの声が響く。

 澪は、体に力を入れると、壁から自分の体を離した。

『届けなきゃ』

 星の光が瞬くように、澪の揺れる髪が光の加減で光る。澪は、第一艦橋への階段を上り始めた。


(17)
 ドアが開くと、そこは怒号が飛び交う世界だった。声が飛び交うのは、第一艦橋も同じであったが、低いエンジン音が響くエンジンルームは、自然と声も大きくなっていくのか、機関部員たちは、大きな声で話をしている。

「さっきのエンジン出力の不安定の原因はわかったのか」

「いいえ、今……」

「何言ってんだ。もっと、大きな声で言え」

「わかりました。さっきの原因は……」

 ユウは、うわさ以上の声の大きさに驚いた。しかし、そのおかげで、機関長である、徳川太助がどこにいるのか、一目瞭然だった。

「機関長!」
 ユウの声は、太助には届いていないようだった。太助は、さっきの機関部員と話をし続けていた。
 ユウは、とりあえず、近くにいる機関部員に署名の説明をし始めた。

「何やってんだ」
 大きな声がどこからか聞こえる。ユウは、そのまま説明続けていた。

「何やっているんだ、こんなところで」
 ユウの話を聞いていた機関部員たちがその声に反応し、手を止めた。ユウは、機関部員たちの顔を見た。
 
「戦闘班長、何をしているんだ」
 急に近づいてきた声に、やっと、ユウも顔を上げた。すぐ近くに、太助が立っていた。

「すみません。突然、エンジンルームにやってきて、勝手なことをしてしまって」
 ユウは、太助に頭を下げた。
「今、署名を集めています。乗組員として、当然の権利ですので、署名を集めること、お許しください」
 ユウは、先に謝ることで、太助の理解を得たいと考えた。

 太助は、ユウから用紙を受け取ると、ていねいに端から端まで、文章の一語一句を見逃さないよう読み始めた。

 読み終わると、太助は、ユウを見た。太助は、好意的な顔ではなかった。ふっくらとした顔を赤らめ、唇をギュッと閉じている。いつもの和やかな顔つきではない。

「機関部員への署名の説明、続けます」
 ゆっくりユウは頭を下げると、太助の近くから逃れるように、近くの機関部員へ向かって歩き出した。

「戦闘班長」
 太助の呼ぶ声で、ユウは、チラリと体半分だけ振り返った。
 太助の手の中の紙が、かさりと音をたてて、握り締められていった。

「君がやるのか……」
 さっきまでの大きな声ではない、囁くような太助の小さな声が、ユウの耳に届いた。

「はい」


(18)
 太助の次の言葉次第では、ユウも機関部員に自分の気持ちを話さなければならないと考えていた。ユウは、さっき話をしていた機関部員に持っていた紙を全部渡すと、また、太助の方へ向かった。

「どの程度、集まった」
 ユウの顔はピクリと反応した。太助の言葉は、意表をつかれた質問だった。
 しかし、周りの機関部員たちは、太助とユウのやり取りを気にしているのは明白だった。

 ユウは、きっぱりした言葉を返した。
「あと、この機関室だけです」

 続けてユウは、頭を下げた。
「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします。結果よりも、自分たちも選択したんだと自覚をして欲しいんです」
 太助の唇は、閉じたままだった。
 ユウは、太助の手の中で細かい蛇腹になっている紙を見ていた。太助の手に一段と力が入り、紙は、より小さく折りたたまれていった。

「署名、結構。やりたい奴はやればいい」
 
 太助の言葉が契機になり、機関部員たちは、また、紙を回し始めた。

「時間をかけるな。回収は、竹内、お前がやれ」
 太助は、ユウと目をあわすことなく、エンジンの状態が表示されているパネルへ歩き出した。

「徳川機関長。機関長もお願いします」
 ユウは、紙を持って走って太助の後についていった。

 太助は、黙々とチェック作業を続けていた。口の中で、声にならない言葉を口ずさみながら、一つ一つチェックをしていた。時には、指を指し、そして、また、口をもごもごさせて、チェックしていく。ユウはその様子をすぐ側で見ていた。太助の動作を途中で止めることはできない。その一連の作業は、本当に基本の動作で、太助の体が覚えているものに違いないとユウは思った。

『自分は、こんな風に、どんなときにも、基本をこなすことができるのだろうか』
 ユウは、以前見た、進が戦闘指揮者の席のパネル上で、ピアニストのように軽やかに指を走らせていたことを思い出していた。どれ位、自分は近づけたのだろうか。

「なぜ、こんなことをする?」
 太助の目は、パネルに向いていた。ユウは、その横顔に視線を注いでいた。

「艦長のためです。このままだと、艦長は、自分の意思に関係なく、与えられた任務を遂行するでしょう」
 ユウの背筋は、ピンと伸びていた。

 ゆっくり振り向いた太助は、ユウの顔をしばらく見ていた。
「思い込みだ。艦長は、そんなことを望んでない」
 そして、また、さっきの続きの動作を始めた。
 
 さきほどの怒号が消え、エンジン音が響くだけの異様な機関室の中、ユウは、ただ立っていた。そして、時間だけが刻々と流れていった。一方、太助は、一人、チェックを続けていた。

「あの……なぜ、機関長はそう思われるのですか」
 ユウは、あえて太助の動作をさえぎった。太助は、ユウを睨みすえた。

「何もしらないのだな。……艦長命令は絶対だという軍の中の規律にある。その附則に、乗組員の人数に応じて不可の場合もあるが、艦長命令の反対を全乗組員分を署名として提出した場合にのみ、覆すことができるとある。19年前、ごり押しだと批判もあったが、一人の男が言い出して、できたものだ」
 そういい終わると、太助の手は、相変わらず、いつもどおりの順番でチェックを行ないはじめた。
 その手が止まり、ふと思い出したかのように、太助の口が再び開いた。
 
「そのわけのわからないこの附則に固執したのが、古代進……若い頃の艦長だ」
 

(19)
 ふいにパンチを食らったかのように、ユウは、何を言われているのか、気づくことができなかった。
 太助は、相変わらず、黙々と仕事を続けていた。

「ど、どういうことですか?」
 ユウの声は震えていた。

 太助は、額の汗を腕でぬぐった。

 何も答えない太助の胸元にユウは、近づき接近した。

「お願いです、機関長。どういうことなんですか……」

 太助は、パネルの数値をぼんやり眺めていた。

「ユウ……初代ヤマトのことを…知っているか」

「地球を何度も救ったというヤマトですか。学校で習った程度ですが」

「沈んだ時のことを誰かから聞いたことはないか」

「いいえ」

「そうか……」
 太助は、あてが消えてしまったのか、また、口を閉ざしてしまった。

「ヤマトは、自沈したんですよね。地球を救うために」
 ユウはヤマトの記録を思い出していたが、そのありきたりな報告書の内容とは違った何かが、そこに潜んでいることを太助の横顔で知った。

「機関長。お願いします。ヤマトは、乗組員を全員退艦させて、自沈させたんじゃないんですか。何かあったんですか」
 
「君は、何も知らないんだ。というより、記録ではそうなっているんだからな」
 太助の手は完全に止まっていた。


(20)
 艦内通路のゆっくりした動きが、ユウにはもどかしかった。早く第一艦橋へ戻らなければならないのに……そう思うと、どうにか近道はないものかと探したくなる。
 
「艦長は、乗組員にウソを言って、ヤマト自沈を説得していたんだ」
 太助の話は、どろどろと長かった。ユウは、最後まで聞くことになった。そのおかげで、ワープ予定の時間まであと10分もない。
 
「苦渋の選択をしたのは、古代艦長だけだった。結局、俺たちは、あの人の姿に納得したんだ。けれど……」
 『だからって、今聞かされても』
 ユウは、上に向かうエレベーターにたどりついた。手を前に出し、順番をゆずってもらえるように頼んだ。
「古代艦長はねえ、その時、艦長を辞任していたけれど、誰よりも、『艦長とは』、『艦長命令とは』ということにこだわっていた」
 酒を飲んでいたら、もっとうるさかったに違いない。ユウは、勤務中であったことに感謝した。
    
「もし、古代艦長が一度も艦長にならず、あの場面だったら、沖田艦長を置いてきたりはできなかった」
 『それじゃあ、ぼくはどうしたらよかったんだ。父親と同じように、艦長命令を素直に受け入れろってことなのか』
 
 第一艦橋の扉が開く。
「どうして、艦長は、あの附則を作ったのだろうか」
 太助は、その答えを出すことができないと言っていた。だから、賛成も反対もできないのだという。


「どうでしたか」
 フェイの声で、ユウは、やっと頭の中を切り替えることができた。

「機関長からもらえなかった。これは、機関室にいた人たちの分……」
 ユウは、フェイに差し出した。
 フェイの周りの署名の束を見て、ユウは、自分が情けなくなってしまった。さっきまでの怒りは、全部、自分に向けられるべきものだったのだと気づいた。
 ユウは、自分の席にどすんと座ると、最低限のチェック項目だけをいつもの通りこなした。隣の席にすでに座っている次郎は、ユウの動作関係なしに、ワープ準備を進めていた。

「あれ、澪、どうした?」
 隣の空席に澪が座っているのに気づいたユウは、目をまんまるに見開いた。
「体調、悪い?」
 
「どうして、そう思うの?」
 少し乱れた髪の間から、澪の透き通るほど白い肌が見える。澪が髪をはらうと、美しく均整の取れた顔が現れた。

「いや、いつもの勢いってのか、オーラっていうのかが感じないからさ」

「はずれよ。署名の結果を見たかっただけ。残念ね」
 澪は、ぷいっと顔をそむけた。白い肌にほんの少し赤みをさしていた頬が、また、金の髪の毛の中にかくれていった。

 その時、第一艦橋の後部ドアが開き、太助が急いで入ってきた。

「これ、私の分だ」
 席に向かう途中、太助は、フェイの席に近づき、フェイに差し出した。
「必要なんだろ」

「徳川機関長……」
 ユウは、椅子から立ち上がった。

「さっきは、くどくど言ってしまってすまなかった。これが、自分で考えた回答かな。あの時、昔のヤマトが沈む時、時間さえあれば、やっぱり、自分たちも艦長と同じ答えを出していたのかもしれない。冷静な決断力があれば」

 ユウは、頭を深く下げた。太助は、それを静止するようにと手を振ると、機関長席に座った。

 ユウは、艦長席へ目をやった。艦長が下りてくるのを知らせる、艦長席の上部のランプが点滅を始めた。ユウは、その点滅を数えた。

 短い点滅が終わる。その時だった。
「ユウ、あと一枚足らないわ」
 いつもよりかん高いフェイの声が、第一艦橋に響きわたった。


(21)
『そんな……』
 ユウの横で、次郎は相変わらず、ワープ準備を進めていた。

「ユウ」
 ユウの席に近づいてきたフェイが、署名の束をユウに差し出していた。

「あなた、自分の分、書いた?」
 澪のつぶやきでユウは、「あっ」と声を出しそうになった。
「ホント、自分のことは後回ししちゃうタイプね」
 澪は笑ったが、その瞬間、きゅんと何かが突き刺さったような痛さが頭の中に起こった。
 その痛さの中、恥ずかしさのあまり頬を赤くさせたユウの姿と、そのユウにペンを差し出すフェイ、そして、艦長席に座る進の姿をぼんやりとながめていた。
 
「ワープ準備はできているか、航海長」
 進の声が、第一艦橋に響いた。フェイやユウの様子をまったく見ていないかのように、進は次郎に話しかけた。

「ワープ準備、できています。5分前のカウント始めます」
 次郎は、ワープの作業を淡々とこなし始めた。

「行かないのか。ムダになるぞ」
 次郎の小さなささやき声が聞こえた。
『わかっています……』
 そう答える代わりに、ユウは艦長席を見た。

 一旦目を閉じ、小さく息を吸うと、ユウは、艦長席へ向かって歩き出した。その間も、次郎と太助の声が、毎度おなじみの言葉を繰り返していた。進だけでなく、第一艦橋にいる者の視線を感じ、ユウは艦長席へ向かって歩いた。

 ユウは立ち止まると、フェイから渡されたペンを紙の上に走らせた。自分の書いた文字を確かめると、他の紙の上に重ね、両手でトントンと紙端を整えていった。

「艦長、乗組員全員の署名です。ご確認ください」
 ユウは、差し出した。

 進は、紙の束を受け取ると一枚目の紙を一瞥し、席を立ち上がった。

「島、ワープはやめだ。フェイ、地球へ至急交信。ボラーとの交渉を始めると伝えてくれ」

「戦闘班長」
 進はすぐ側にいるユウに今度は呼びかけた。
「はい」
 ユウは、進の次の言葉を待った。しかし、進は、それ以上何も言わなかった。
 数秒の間のことだったかもしれないが、ユウには、もう何十分もその状態にいるかのように感じられた。
「コスモタイガー隊を三つの班に分けておけ。私が乗るコスモゼロも整備しておけ」
「はい」 

 二人の様子を見ていた澪は、この出来事を見届けると、ホッとした。そして、自分の気持ちが大きく変わっていったことに気づいた。
『うっ』
 自分の体が拒否している。何かが変わろうとしていることに拒否している。澪の新しい気持ちを、澪の体は拒否していた。

 ユウを見ていた進は、ユウの隣の席の澪の様子の変化に気づいた。
「澪……澪を医務室へ連れていくように」
 進の言葉で、皆の視線は、戦闘班長の席の横の澪に注がれた。澪の手はだらりと垂れ下がり、体は椅子に委ねるように倒れていた。

『澪……』
 ユウは澪の体を揺さぶった。
 狼狽するユウの姿を見ながら、進は艦長室へ戻っていった。ユウがそれに気づき、進の姿を追った時、一瞬、進が微笑んだように見えた。
『あっ』
 進の口元を見たユウは、前にも同じようなシーンがあったことを思い出した。ユウは、艦長室へ登っていく進を、その姿が見えなくなるまで見送った。


(22)
 父と母がいる……それだけで、結構楽しいものだ。トナティカへ行くと決めた後、家族で海へ行った。いつも見慣れている海も、空も、その時は、なぜか違って見えた。ユウは、無邪気にはしゃいでいた。


「本当によく似ているわ」
 ユキは、波と遊んでいるユウを見ながら、目を細め微笑んだ。
 進は、首をかしげた。

「あなたとあの子よ」

「どこがかい?」

「トナティカ行きを決めた理由」

「あなたは、あの子のことを、あの子はあなたのことを考えて決めている」

「そうだろうか」

 ユキは、進の生え際に手を指し伸ばした。風のせいで、進の顔にかかった髪をその手で押さえた。進は、ユキのその手に自分の手を重ねた。
 ユキの口元が弧を描いていった。
 
ユキは、もう一方の進の手に指を絡ませていった。
「たとえば……あなたが、もし私とあの子のどちらかしか助からない時、こっちの手に私、こっちの手にあの子がぶら下がっているとしたら、私の手をすぐに離しなさいね」

「極端な話だな」

「じゃないとね、あの子が手を離して自分から落ちて、あなたが私を助けた後、追いかけて飛び降りちゃうに違いないわ」
 ふふふとユキが笑う。
「でも、そうなっても、飛び降りないでね。私、生きていけないわ」

「しないよ、そんなこと……」

「絶対よ」

「ああ」

「そういうことに関して、あなたは信頼できないんだから」

「余罪はたくさんあるからな」
 進は、苦笑いをした。

「そう、そしていつも謝ってばっかり」
 笑っていたユキの口元がキュッとしまった。
「あの子は、あなたに喜びをくれるわ。私たちは、そのうち子どもたちに追い抜かれる。けれど、あなたはきっとその時が一番うれしいはずよ。だから、絶対、あの子の手だけは離しちゃダメよ」



「お父さん、お母さんとケンカしてた?」
 ユキが帰ったあと、ユウは、進に聞いた。
「してないよ。どうして、そう思った?」

「お父さん、お母さんに怒られているみたいだったから……」

 進は少しうつむいた。
「ケンカか……ケンカだとしたら、幸せなケンカだな」
 少しはにかんだようなうれしいような……進の口元は、確かに微笑んでいた。


(23)
「停戦…だそうです」
 相原義一は、先ほど送られてきたばかりの通信文を、たまった書類の山をまとめている真田志郎に伝えた。
 志郎は義一に背を向けたまま何も言わず、山の右側の書類を、近くにあった段ボールの箱に無造作に投げ入れ始めた。

「よし、次のステップだな」
 振り向いた志郎の口元から、白い歯がのぞいた。

「乗組員が覆したそうですよ。古代は停戦を無視していく予定だったらしいですが」

「あれか」

「ええ」
 
 志郎は、座っていた椅子をくるりと戻して、机の上に広がる書類から、必要な資料を拾い出しはじめた。そして、ふと、手の動きを止めると、何かを思い出したかのようにつぶやいた。
「じゃあ、一番最初の幸せな艦長は、アイツか」

「何ですか、幸せな艦長ってのは」

「アイツが、古代が言っていたのさ、あの附則で、乗組員全員に反対されるような艦長は、幸せ者だって」

「どういうことですか」
 義一は、眉間に少ししわを寄せた。

「大抵の場合は、時間がないとか、誰かが反対するから、この附則が実行されることはないんだと。もし、実行されるとしたら、艦長の方がわざとそれを狙って、乗組員たちに仕向けるか、それとも、乗組員たちが艦長のことを思って意見をまとめるかだろうって。だから、これは、不名誉なことではなく、幸せ者の証拠なのだそうだ」

「今回は、どっちなんでしょう」

「さあ」
 志郎は手を軽くあげ、フッと笑い出した。



「大丈夫?」
 ユウは、医務室のベッドで横たわる澪を見舞っていた。

「ええ……」
 澪は、めんどくさそうに、枕にうずめていた顔の向きを変えることなく、ユウの質問に答えた。

「ありがとう」
 澪の耳元に、息がきこえそうなくらい近くに、ユウのささやくような声が届く。澪は、驚いて、上半身を起こした。
 身を起こした澪は、ベッドを覗きこんでいたユウと目が合った。澪は、サッと顔の半分をシーツで隠した。

「ありがとう、署名を届けてくれて」
 
「どういたしまして」
 シーツの端から、ユウの様子をうかがった澪は、ユウの笑顔をちらりと見ると、シーツにくるまった状態で、ゴロンとベッドに伏せた。
 澪は顔を伏せながら、ユウが去るのを待った。

「澪」
 ユウの声が澪の元に届いたが、澪は体を硬直させたまま、ベッドに伏せていた。

「澪……聞いてくれるだけでいいんだ、返事はいつでもいいから……」
 澪の体は火照っていった。ユウの視線を背中に感じながら、ユウの強い意志を確かに感じていた。澪は伏せたままの状態で、うなづいた。

「君のことが好きだから……それだけ、おぼえておいて」
 澪の白い肌が、カッと赤くなった。

 ユウの足音がだんだん遠ざかっていった。澪の頬をつるりとすべり落ちるように、涙が流れていった。



 進は、署名の紙の一番上の用紙を眺めていた。乱れていたが、力強い筆跡で書かれたユウの字をもう一度確認すると、その紙を署名用紙の一番下へ収めた。


第11話「ヤマトより愛をこめて」終わり
第12話「サーシャ(澪)」へ続く

なぜ、この話を書いたのか、知りたい方はこちらを読んでね
SORAMIMI 

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