「想人」第十三話 別離
(1)(3)
「艦長は?」
島次郎は、橘俊介が指し出したジュースを受け取ると、即座に質問をした。
「さっき、戦闘班長の持ち物の整理をするために戦闘班長の部屋へ行ったよ」
俊介は、もう一つ持っていたジュースのストローに口をつけた。
通常航行している第一艦橋は、静かだった。次郎の耳には、俊介の声が聞こえていたが、それは、ただの『音』という情報でしかなかった。
「ひどいです。何も、艦長にすぐに言わなくても……」
葵の、ひとり言のような声が、俊介と次郎の耳に届いた。俊介は、ジュースを飲み続けていた。
俊介は持っていたコップを振り、底に残ったジュースを確認していた。そして、また、飲み始めた。
「規則だからね……艦長には、早く気持ちを切り替えて欲しいし。旅はまだ、続いているのだから」
俊介の言葉を聞いていた次郎は、叫びたい気持ちを必死で押さえていた。
「澪さんは大丈夫なのですか?」
俊介は、質問をしたフェイの方を向くと、飲んでいたジュースを口元から離した。
「医務室で寝ているよ。着艦後は、状況を理解してくれなくて……というより、わかろうとしてくれないんだ。気持ちはわかるけど」
俊介は、そう言うと、第一艦橋から出て行った。
次郎は、話し終えたときの俊介のため息を聞き逃さなかった。気持ちを切り替えたいと一番強く願っているのは、俊介なのだと次郎は思った。
進は、ユウの部屋のベッドに座っていた。
少しだけ置かれた荷物を、見渡していた進の視線は、ベッド脇のテーブルで止まっていた。
『ユキ……』
テーブルの写真立てをじっと見つめた。
にこやかに微笑んでいるユキに、進は頭を下げた。
『すまない、ユキ』
進は、写真立てに近づくと、写真に写る二人の顔の輪郭を手でなぞった。
「あゆみ……」
進の唇から、言葉が漏れた。
(2)
「あゆみ!」
次郎は、進の叫び声を聞くと、今まで見ていたパネルから目を離した。衛星アフィラから帰還中の進は、もう、ヤマト着艦目前であった。次郎は大きく体をそらせ、自分の疑問に答えてくれる誰かを探した。
「何があった?」
「戦闘班長のコスモゼロの機影がレーダーから消えました」
すぐに桜内真理が答える。
「だから、何が」
次郎は、自分の感情をセーブできずに叫んでいた。
「わかりません。今確認中です。爆発した記録はありませんでした」
南部ヤストは、躍起になって、いくつかのデータをチェックしていた。
「どういうことだ……」
「あゆみって?」
俊介は、ひどく狼狽するヤストと次郎の様子を見て、ひとり言のようにつぶやいた。
「戦闘班長のことだよ、橘くん」
横の席の徳川太助は、その言葉を聞き取り、返事を返した。
俊介は、太助を見た。
「彼の本当の名前だ。書類上の名前は、古代歩(あゆみ)、森ユウは通称なんだ」
『艦長がユウのことをあゆみと呼んだ……』
次郎は、進が、三年前から、人前で「歩」の名を出さなくなったことを知っていた。
『お互い避けていたわけじゃない、そうでもしなければ、艦長は、軍へ戻って来なかっただろう。ユウも……』
もともと「あゆみ」という女性のような名前で呼ばれることを嫌だからと聞いていたが、次郎は知っていた。ユウが、進との関係を封印した時に、その名も封印したことを。
あのトナティカ脱出の日から、再度トナティカへ行く事だけが、二人の生きる支えとなってしまっていた。「歩(あゆみ)」という名まで、二人の中では思い出になってしまっていた。
(4)「艦長のコスモゼロが着艦しました」
格納庫から、進の帰艦の連絡が届いた。しかし、進からの指示は来なかった。
『艦長どうしたんですか…………ああっ』
突然、ヤマトが大きく揺れ、次郎は、操艦レバーをしっかり握りなおした。
次郎の体中の汗腺から、汗が吹き出してきた。
「7時の方向に、艦隊?……」
俊介は、レーダー上に現れた細かな点を、歯切れの悪い言葉で伝える。
「今のは、7時の方向にいる艦隊からの威嚇射撃です。艦ぎりぎり手前までしか届いていないので、艦の損傷はありませんが、間もなく、ボラー艦隊の射程距離内に入ります。艦載機の着艦急いでください」
葵の声で、各自、雑念を払拭して、それぞれの目の前の計器類の動きに集中し始めた。
「敵艦隊から、第二波来ます。5.4.……」
「旋回中、回避は不可能」
真理と次郎の声で、皆の体に力が入っていった。
一旦は、大きく振動するが、次郎は、手元のレバーを体全体で、しっかり固定をした。次郎が顔を上げると、前面のパネルには、ヤマトの艦影が映し出され、今さっきの攻撃での破損部分が点滅していた。
『艦長、早く来てください……』
次郎は、祈るように、レバーを最大限に回した。
トゥルルルルーン
『艦長!』
次郎は、その音だけで、進が来たことを知った。それは、第一艦橋の皆も同じであった。
「右舷展望室近くが損傷しました。航行には、支障ありません」
「艦内、異常なし。これ以上の至近距離で攻撃を受けた場合、装甲が破られる可能性があります。ヘルメットの着用が必要です」
「宇宙服着用を各ブロックへ伝えます」
振り向いたフェイは、進が頷くのを確認して、各エリアへ伝え始めた。
「迎撃体制はどうした? 南部」
「できてます。旋回中なので、多少、命中率が下がります」
「気にするな。迎撃に入れ」
「わかりました」
「島、ここから一番近いワープのポイントは?」
「敵艦隊の後方にワープポイントがあります」
「第三波、来ます」
「迎撃用意。島、ワープポイントに向かって全速前進」
「よーそろー」
『艦長、ユウは……』
次郎は、言葉にできなかった。ただ、進の言う方向へ操艦するだけだった。
『これじゃ、あの時と、トナティカ脱出の時、ユキさんを置いてきてしまった時とまったく同じじゃないか』
次郎は、レバーを握る手に、力を入れた。
(5)「着艦状況は?」
「艦長、それよりも、戦闘班長の機がまだ……」
「森のコスモゼロはあきらめろ」
ヤストの言葉をかき消すように、いつもより低い進の声が第一艦橋に響く。それほど大きな声ではないのに、第一艦橋にいるメインスタッフ全員の心に突き刺すほど、その言葉は、各人の耳に届いていた。
「戦闘班長のコスモゼロ以外、着艦完了しました」
真理の声を聞き、進は頷く。
ヤストは、自分の拳で目の前のパネルを小さく叩くが、その拳の下で砲撃の準備完了を知らせるランプが揃って光ったのをしっかりと確認していた。
「徳川、最大戦速へ。島、ワープポイントだけを目指せ」
「艦長、波動砲で、前方の艦隊を殲滅しましょう」
ヤストは立ち上がり、艦長席の進を見た。
進は、いつもの進だった。
「波動砲は使わない。ワープポイント近くで波動砲を撃てば、空間に歪が生じて、ワープができなくなる可能性がある。また、今、敵艦隊は、さらに拡がりつつある」
「しかし……」
ヤストは、進を睨んだ。ヤストは、ユウよりも先に進むことを選択したことが、許せなかった。
それ以上、反論ができないヤストは、自分の怒りの感情を静めるため、拳を目の前の計器類にぶつけた。
「ヤマト後方からも、ミサイル……衛星アフィラからです」
俊介の言葉が終わらぬ間に、ヤマトの船体が大きな揺れた。
「ヤマト左後方、被弾」
葵の目の前のパネルには、ヤマトの被弾箇所と、その被害レベルの数字が表示されていた。数字が大きくなったり、少し数字が戻ったりしながら、数値の動きがだんだん小さくなった。経路の遮断や、別の経路をつなげて、故障箇所をカバーをしたりと、葵の指先はせわしく動いていた。
「大丈夫です。別の回線を経由すればカバーできる範囲です」
葵の報告を聞くと、進は、島次郎の緊張している背中に視線を移した。
「島、5度ほど進行方向をずらせ、軌道修正のように見せろ」
「はい」
「迎撃ミサイルを準備、次回攻撃には、迎撃ミサイルで対応する……南部、迎撃ミサイル発射」
「迎撃ミサイル、発射準備完了。発射します」
ヤストは、レーダーからの分析データにより、迎撃可能な光点をチェックすると、発射の命令をかけた。
「うっうう」
ヤマトが大きく揺れ、体を機械類にぶつけた第一艦橋の数人が声を漏らした。
進は揺れを耐えながら、その目は、ずっと、ミニチュアのヤマトとミサイルの弾道が映る前面の大型パネルを見ていた。
「島、そのままワープポイントを目指せ」
「はい」
迎撃漏れのミサイルを繰艦で避けた次郎は、目一杯の声で、進に返事をした。
次郎は、俊介から渡された封筒を、ずっと見ていた。
宇宙勤務になると、不慮の事故の確率が高くなるため、『遺書を書く』というシステムがある。次郎は、両親に宛てた詫びのような手紙を書いていた。たいていは、次郎のように肉親宛てが多いのだが、封筒は、第一艦橋全員にあった。
「彼はこまめに書き直していてね。日記代わりみたいに」と俊介が言っていたことが次郎の頭によぎった。
「マメなんだな」
次郎は、思っていた言葉を先に言われ、声の方を振り向いた。機関長の席に身をイスにまかせて座る徳川太助がいた。太助は、自分の名前が書いてある封筒を見ていた。
「私は、読みたくありません」
リー・フェイが、両手で顔を覆っていた。
坂上葵は、涙を流しながら、艦体の修理状況のチェックをしていた。葵の涙は、止まることなく細かく動く指先に落ち、指先からキーへ流れ落ちていった。
南部ヤストは、手紙をズボンのポケットに突っ込んだまま、目の前の画面を見ていた。
桜内真理だけが、封筒の端を切ろうと封筒に手をかけていた。
ビビっ
紙の破れる小さい音が、第一艦橋に広がった。
皆の体が、その音に反応して、真理の方へ向いた。
「どうして?」
葵の手が止まった。葵は、体の向きを真理に向け、真理の手の封筒を見据えた。
「どうして、平気なの?」
真理は覗き込むような姿勢で、葵の方を向いた。葵は涙を手のひらで払った。
「しかたないじゃない」
真理の手は、封筒の一辺を完全に破っていった。
「もう、彼は帰ってこないわ」
真理の少し小ぶりな指が、封筒の中に入っていった。真理は、封筒の中に入れた指先を葵の方に向けながら出した。差し出された指先には、きちんとたたまれた白い紙があった。
葵は、その白い紙から目をそらした。
「そうだね。今、私たちができることといったら、彼が残してくれた手紙を読むことぐらいだな」
太助も、目の前の封筒をつかんで、封筒の一辺に手をかけた。
真理は、葵の反応に飽きたかのように、手紙を自分の体の方にひっこめると、紙の音をたてながら、手紙を開いていった。
フェイは、小さくため息をついた。
ヤストは、相変わらず目の前の画面をぼんやり見ていた。
次郎は、もう一度、封筒をつかんだ。
<島 次郎様>
少し角張った手書きの文字。次郎は、同じように自分の名前が書かれた封筒を持っていた。兄からの最後の手紙だった。
(6)
(7)ヤマトの艦体に、鈍い音が走った。
『っちぃ、迎撃なんかじゃ、持たないぞ』
ヤストは、自分の出している命令のむなしさを感じていた。目の前のパネルに赤ランプが点滅し出す。ヤストの鼓動も、点滅に同調しているかのように早くなっていった。
『第3主砲が被弾?あいつら、大丈夫か?』
「艦長!」
ヤストが振り向くと、艦長席の進と目が合った。進の前のパネルにも、この第3主砲の赤いランプの点滅が表示されているはずだった。
「南部、波動砲の発射用意」
ヤストは、さっきと違う進の言葉に、復唱を忘れてしまった。
「艦長、波動砲発射準備をしている間に無防備になってしまいます。それに、ワープポイント方向に打ったら、ワープも……」
進の意外な言葉が葵の言葉をさえぎった。
「発射準備だけだ。実際は、カートリッジ弾を撃て。ぎりぎりまで、波動砲を発射するかのように準備しろ」
「はい、波動砲の発射準備に入ります」
ヤストは考えることをやめ、ただ、機械的に動くことにした。余計な考えは、処理能力を遅くする。
「島は、ワープすることだけに専念しろ」
次郎は、動揺して、自分の感情をむき出しにしていたことに気づいた。進の言葉にただ従う……トナティカから帰還する時の連続ワープの時の進の指揮振りを思い出した。
『あのポイントでワープをする』
次郎は呪文のように繰り返した。
『みんなの気持ちが集中していく……』
フェイは、皆のキーを打つ音と、低く囁くような命令の言葉だけになった第一艦橋の変化を感じた。
『私たちは、生きて、この空間から逃げなければならないのですね』
そして、ヤマトはワープをした。
「それで?」
スヴァンホルムは、慣例とはいえ、冷静に、艦隊指令からの報告を聞いていることが苦痛になってきた。
「ヤマトは、波動砲を撃つ準備を始めました。もともと、私たちの艦隊からヤマトを見ると、その後ろにちょうど衛星アフィラがございまして、これ以上の大型火気を使うことが出来なかったのです。ですので、ヤマトが波動砲の発射準備に入ったとき、少しでも被害が過少になるようにと、艦隊の位置を移動させました……あの、わたくしの判断は間違っていたでしょうか」
スヴァンホルムは、平然と答える艦隊の指令官を睨んでいた。言葉はいくつもいくつも口から出そうだったが、唇をぎゅっと締め続けた。
『どんなことがあっても、あのワープポイントを死守しろと伝えたハズだ……』
ヤマトは、波動砲を撃つと見せかけて、結局は、花火程度の影響力しかないカートリッジ弾を撃って、ボラー艦隊を混乱させ、その勢いで、衛星アフィラから一番近いワープポイントでワープをした。追いつめて波動砲を撃たせれば、ヤマトはすぐにワープはできないと思っていたスヴァンホルムは、裏をかかれた形で、ヤマトを逃す羽目になってしまったのだった。
「今日の戦闘の処分は、後日伝える」
スヴァンホルムは、それだけ言うと、艦隊指令が映るモニターを、ぷちりと切った。
『まったく……』
スヴァンホルムは、提出された書類にサインを書き込むと、書類を机に叩きつけるように投げた。スヴァンホルムは、ぐんっとイスの背もたれをしならせるようにイスにもたれ、目を閉じた。
暗いまぶたに映るのは、銀の髪が風になびいている一人の女性だった。草原の中で、野の花をつんでいる。
「イシュ・ファ・アロ ドウダ イシュ・ファ・アロ ドウダ」
スヴァンホルムは、自分の口からこぼれた歌に驚いた。聞き慣れた歌。忘れていた歌。
『あいつのせいだ』
進が歌の事を聞いてきたことを思い出した。
『イシュタルムの好きな歌だった……』
「言葉というのは、体の中から出たがっているのよ」
スヴァンホルムは、昔聞いた、不思議な言葉を思い出していた。
『あの歌を聴いてきた古代は、あの時、何を考えていたのだろうか』
(8)
「航海長、部屋に戻ります。お疲れさまでした」
手紙を読み終えた真理は、次郎に声をかけた。次郎は、思わず持っていた手紙をぎゅっと握り締めた。
「ああ、お疲れさま」
次郎が振り向くと真理は頭を下げた。次郎は声をかけると、また、体の向きを前に戻した。
第一艦橋を出て行く真理の、いつもより大きな足音をききながら、握り締めていたためにできた封筒のしわを腿の上でのばしていた。
トゥルゥーン
ドアの閉まる音の余韻が完全になくなるまで、次郎は、ずっと封筒をなでるように伸ばしていた。
ガサッ
そんな大きな音ではないのに、次郎が封筒から手紙を出す時の音は、周りにいる人すべてに聞こえるぐらいに響いた。それでも次郎は、ゆっくりとした動作で、手紙を押し広げるように広げた。紙が、小さな悲鳴をあげているようにかさかさと音を立てた。
<島 次郎様
いつも、側で見守っているようにいてくださって、ありがとうございます。
小さい頃、兄が欲しいと、両親にダダをこねたことがある私ですが、
トナティカ行きの艦(ふね)であなたに初めて会ってから、あなたは、私の
憧れの兄そのものでした。だから、もう少し、ゆっくり話せる時間があれば、
いろいろなことを相談したかったです。いつも、言い出せなかったのですが、
あなたにほめてもらうと、とてもうれしかった。父がいなくて、ぽっかりあいて
しまった部分を、次郎さんが補ってくれていました。
父をよろしくお願いします。父は、あなたのことをとても頼りにしています。
私もそんな存在になりたいと思っていました。でも、私は、非力で、あなたのように、
父を助けることができません。父をお願いします……>
次郎は読み終えると、大きなため息をついた。次郎は、右手だけを伸ばし、目の前の計器をなでるようにそっと操って、トナティカと現在位置を確認した。
画面に出てきた計算の数値を見て、次郎は、また、ため息をついた。
ヤマトは、トナティカから一番近いワープポイントでワープをして、可能な限りの連続ワープをしていた。トナティカへ戻るだけでも、かなりの時間がかかることを次郎は計算するまでもなく、充分承知していた。
次郎はキーに触れて、計算した数値を画面から消した。
そして、次郎は、最後の手紙の署名を見て、もう一度、ため息をついた。
<……古代 歩>
次郎は、折り目通りに、そっと手紙を閉じた。
(9)
葵の頬に涙が流れ続けていた。堰を切って流れ出していく水のように、葵の涙は、溢れるように、次から次へとこぼれ落ちていった。
<葵さんは、もっと自信を持ってください。あなたは、素敵な女性であり、優れた科学者であり、そして私の大切な仲間なのですから>
葵は目頭を押さえ、溢れ出そうとする涙を押し返していた。しばらく無機質な第一艦橋の天井を見つめ、必死で涙をせき止めようとした。
『私にできること……』
葵は、記憶を戻して、ゆっくり分析を始め出した。次郎の背中や、その上の大パネルを見ながら、戦闘の時の映像を頭の中で、組み立ててみた。
ツー、ツー
葵の目の前の通信ランプが、音と共に点滅を始めた。
葵は、反射的に人差し指でキーを押した。
「技師長、コスモタイガー隊隊長機の異常についての調査が終わりました」
葵の頭の中で、一つのシーンがよみがえってきた。
「ありがとう、今から私も見にいくわ。結果もその時に報告してください」
カサッ
さっきまで葵の手の中にあった手紙が、床に落ちていった。
葵は、とっさにその手紙をすくい取ろうと手をさしのばしたが、間に合わなかった。それでも葵は、すくい取るように、紙をやさしく拾い上げた。
『私にもできることがあるはずよね、ユウ……』
葵は手の平の上の手紙を、両手で小さく折りたたみ、胸にぎゅっと押し付けた。
(10)
進は、ユウのベッドに腰をおろした。
『真田は、変なところにこだわる奴だ』
ヤマトに初めて乗艦した頃もらった部屋と、少しもかわないように設計されていた。進は懐かしい思いで、部屋を見渡した。
一瞬、部屋の明かりが不安定になる。進は、星の瞬きのような小さな変化を見逃さなかった。
進の頭の中は、今までの感傷に浸っていた部分に蓋をして、このイレギュラーな小さな変化の理由の推測のために動きだした。
トゥートゥー、トゥートゥー
進を呼び出す音が、素直に進の耳に飛び込んでくる。進は、腰についている通信機をすばやく操った。
「艦長、山県です。隊長が……真田隊長を止めてください。戦闘班長の部屋に向かってます」
山県さおりが早口に話すと、それ以上の説明ができないのか、目の前の映像を進に送ってきた。
通信機からの音ととリンクしているかのように、進が今いる部屋のドアから音が聞こえる。
「離れていなさい。部屋の中には、私がいる。今から、ドアを開ける。他の者が近づかないようにしてくれ」
「けれど、艦長……」
さおりは、そう言いかけて、周りにいるものを手で制した。
進は、立ち上がり、ドアへ進んでいった。暗闇で静電気が走っていくように、小さな青い光りがちろりちろりと暗いドアから這い出ていた。進は、手袋を手にはめると、蛇の舌のように這い出る青い光りのタイミングを計って、ドアノブに手をかけた。
カチッ
得体の知れない光りに反して、進の体には、何も衝撃が来なかった。進は、そのドアノブを回して、10センチほどドアを開けた。
『澪……』
ドアの隙間からは、寝巻きを着たままの澪がすぐ側に立っているのが見えた。無表情の、それでいて、いつもより、金色の髪が輝いて見える。
『しまった』
さほど警戒していなかった進は、ドアの開けようとする力にあっさり負けてしまった。ドアは、自動に開いたように全開し、部屋は無防備になった。
数歩下がった進は、金色の数匹の蛇が、ドアから這って入ってくるような幻影を一瞬見た。
『澪!』
しかし、ドア付近にいたのは、澪だった。
進と目が合うと、澪はにっこり微笑んだ。
その笑顔と裏腹に、澪の体からは、青い小さな光りがちろりと現れては消えている。進がそれに気づき、澪に一歩一歩近づいていくと、澪の笑顔はだんだん無表情な形相に変わっていった。
「ユウ、どこにいるの? だめよ、隠れていちゃ。もうすぐ、訓練の時間よ。ユウ!」
澪は、ユウのベッドへ駆け寄るように部屋に入ってきた。
「あっ」
ユウを探す澪の体に触れようとした進は、磁石が反撥するようにはじき飛ばされ、床にころがった。受身のおかげで、何事もなかったが、進は、自分の存在などまったく関心がないかのように振舞う澪を見て、彼女が正常な状態でないことを知った。
「艦長、だめです。隊長には、私たちの言葉が届かないんです」
ドアの向こうの廊下から山県さおりが叫んでいた。
進は、そのさおりの忠告を無視するかのように立ち上がると、澪に近づいていった。
(11)
「何?」
桜内真理は、肩に置かれた手を反射的にはじくようにはらった。艦内通路を歩いている時、不意に肩をつかまれたからだった。
「すみません、桜内さん。一つ聞きたいことがあるのです」
肩をつかんだのは、コスモタイガー隊の三上大樹だった。三上は、戦闘機乗りにかかわらず長髪で、常に後ろで束ねていたので、艦内でも目だっていた。
「澪のこと?」
真理が答えると、三上は口角を少しだけ上げた。真理は、その微笑みに眉をしかめた。
「何のことか知らないけど、あなたに話すことは…う……」
真理は、不意に鳩尾(みずおち)に受けた三上の拳に顔をしかめた。その痛さを耐えるかのように三上の腕をグッとつかんだ。真理が見上げると、三上は、さらににやりと不敵な笑いを浮かべた。
「こっちは、話が聞きたいんだ」
格納庫では、葵と工作班員が、コスモタイガー隊員たちに囲まれていた。
「だから、今、説明したとおりです。誰かが仕掛けをしたからという理由ではありません」
葵が必死になるほど、隊員たちの態度は、かたくなになっていった。けれど、葵もそれ以上詳しく説明できなかった。
「葵さん……」
工作班員の一人が葵に救いを求めた。それに対する葵の目は、その妥協を拒否することを命じていた。
「私たちも帰艦後、チェックしたのよ。おかしかったわ」
「あの部分は、通常、操縦している途中に切れるような構造していないんだ。それくらい、我々だってわかってるんだ」
「ですから、その部分も見ましたし、再度検査もしました。あれは、誰かが故意に切ったような断面はしておりません」
弱気になっていた工作員の代わりに葵が答えた。しかし、葵は、コスモタイガー隊員たちの、どうしようもない苛立ちを感じていた。葵は、工作班員と同じように、コスモタイガー隊員たちに飲み込まれそうになった。
『ユウを失ったことを誰かの所為(せい)にしたがっている……別の形で自分の気持ちをどうにかしようとしている……』
(12)
三上に倒れこむような体勢だった真理は、そのまま、力ずくで、近くの部屋に連れ込まれた。両手は体の後ろで縛られたが、暗い部屋の隅で座らされたまま、時間がすぎていった。部屋には、三上を含めて3人いた。そして、その3人が交互に同じ質問を繰り返す……
「あんただろ、真田隊長の機体をいじってのは」
真理は、ただ、じっと3人を見ていた。腹の底からうずくような痛さが、真理の気持ちを逆に強固のモノにしていた。そして、無言を続けた。なぜ自分がここにいるのかも、なんとなく察しがついていた。
『根競べ……ただ、私を助けに来る人がいるのだろうか』
少しがさがさとした音が、真理の朦朧とした意識の中に入ってきた。側にいた3人が、部屋の出入り口で口論しだす。複数の声がとびかっていた。しかし、何を話しているのか、真理にはわからなかった。
「さあ、交代だ」
真理は顔を起こした。
そこに南部ヤストがいた。
「君は、澪の側にいって」
そのヤストの言葉に、真理は驚いた。三上たちに監禁されたことよりも、ヤストの言葉の方がずっと真理には理解しがたかった。
「あなたは……」
「君はやっていない。だから、澪の所へ行くんだ。今の澪には、君が必要なんだ」
ヤストの手首も、体の後ろで縛られていた。
ヤストは、3人のうちの誰かに蹴られたのか、真理の横を一気に通りすぎて、壁に叩きつけられるように倒れた。
その様子を見ていた真理は、結ばれた手首をぐいっと誰かに持ち上げられ、立たされた。
「いいか、誰にも言うな」
その声で、真理は、三上大樹に立たされたことを知った。
三上は、真理の手を縛っているひもをほどいていた。
「言ったら、南部砲術長がどうなるか……」
三上はそれ以上言わなかったが、真理には推測できた。
真理はさっきの一人の時より、怖さを感じていた。
真理は、押し出されるように、部屋から出された。通路の灯りがまぶしい。部屋のドアを叩くが、返事が返ってこなかった。
真理の脳裏には、ヤストがあの3人に殴られている姿が浮かんだ。
『どうしよう……』
ふらふらと座り込みそうになった真理は、手首についたひもの痕を見て、もう一度立ち上がった。
残ったのは、その言葉だけだったが、真理は涙が出てきた。
<今の澪には君が必要なんだ>
(13)
「ちっ。いてぇぜ、ユウ」
ヤストは、顔を歪ませて、ひとり言を吐いた。
痛む腕の付け根辺りをかばうように、ヤストは体を丸くした。
『お前の約束果たすのも大変だぜ』
ヤストは、小さく笑った。
『ホント、最後まで自分勝手な奴だ、ユウ……』
<ヤスト、いつも側にいてくれて、ありがとう。迷っていると「俺もいっしょだから」と励ましてくれた。自分のことより、オレのことを優先してくれた。でも、これからはお前自身を一番大切にして欲しい。それは、オレができなかったことだから……
そして、もう一つ、澪のこと頼めるのお前だけだから。彼女を見守っていて欲しいんだ。オレ、最後まで、お前に頼ってるな。ごめん。>
ヤストは、ユウが残した手紙を思い出していた。
『謝るくらいなら、頼みごとなんか、するんじゃない』
<……一番の友・康人へ>
「馬鹿野郎……」
ヤストの頬に涙が流れた。
『お前が戻って来るんだったら、俺はどんなことでもがまんできるのに……』
「答えてよ、ユウ。あなたがここにいるってわかっているんだから」
澪の声が部屋に響く。進は、澪に近づくのを止め、立ち止まってその様子を見ていた。澪は、目隠ししているように、両手を広げ、辺りのモノを確かめながら、ユウの存在を探していた。ベッドの上を何度も手を往復させて、気配を感じ取ろうとしているようだった。
その様子を見ていた進は、自分のすべきことを模索していた。
「澪……」
進の呼びかけに、澪は、少しも反応することがなかった。
「艦長、彼女の名前を呼んでください」
進は、その声の方を見た。開けっ放しのドアの向こうから、いつの間にか来ていた真理が叫んでいた。
「彼女のもう一つの名を!」
進は澪の後ろに近寄り、辺りを探っている澪の手を掴んだ。
「危ない! 艦長」
その様子を見ていたさおりが、甲高い叫び声を発する。澪の体から、また、青い光りが溢れ出そうとしていた。
「サーシャ」
進は、澪の体を後ろから抱きしめた。破裂寸前の爆弾を自らの体の中に収めるように……
(14)
「オレがやったんだ。戦闘機にしかけをしたのはオレだ」
「なぜ?」
三上大樹は、ヤストの言葉が信じられなかった。
「憎かったのさ。何年もユウに思いを寄せていても届かなかったのに、スッと現れた彼女の気持ちがああもすんなり届くんだから……」
「あっさり、話を信じすぎて、大丈夫か?」
「前々からうわさは聞いていたのさ。まさか、カミングアウトすると思っていなかったけどな……女を閉じ込めていたなんて、別の罪に問われかねないからな。こっちにとっても、真犯人が名乗り出てくれてよかったよかった」
三上大樹は、もう一人がそう言いながら部屋のカギを締めている様をぼんやり見ていた。第三者のように眺めていると、今、自分たちがやっていることを冷静に考えることができる。大樹は、自分の指先が小さく震えているのを感じた。無抵抗のヤストを蹴りながら、ちらちらとよぎっていたことが、怖さとなって、心にのしかかってきていた。
『どんな理由があっても、まずいよな』
自分たちは、罰を下すような、そんな権利は持っていない……
「砲術長、戦闘班長のこと愛しているなんていっていたよな。ま、同性愛者が宇宙勤務に結構いるって聞いていたけど。戦闘班長は知っていたのかな」
「知っていても、知らん振りしていたのさ」
「ま、そうだな。そうするしかないよな」
『澪さんが憎くて、戦闘機に仕掛けをしたと言っていた。じゃあ、なんで桜内さんの身代わりになろうとしたんだ?』
他の二人が、ヤストのカミングアウトの衝撃さで興奮している横で、三上は二人の話を聞いていた。二人の声がだんだん大きくなっていく。誰かが近くで聞いているかもしれないと、周りを見回した。
あれこれと考えていた三上は、さっきまで平気でやっていたことが、子どもの鬱憤晴らしに思えてきた。そして、自分の判断に不安を募らせていった。
三上は、二人の前にふさがるように立った。
「あのさ、砲術長は、部屋から出そう」
「何、弱気なこと言ってんだ。あんな、振られた女みたいなことを言っている奴のこと、平気なのか。俺は、嫌だね。そんなことで、人の命が消えていったなんて、俺は考えたくない」
「みせしめってのがいるんだよ」
二人は、三上の体を押しのけて進んだ。
「何、びびってんだ。みんなに、事の真相を報告するのが先だよ」
二人の足は、勢いに乗って、駆け足になっていった。
三上は、ヤストの顔を思い出していた。恨み言を言っているような顔ではなかった。清々しさを感じた。それは、カミングアウトしたから? それだけではないような気がした。
『少なくとも、愛していたってのは、ホントかもしれない。でも、妬んで澪さんの機体をいじったってのは、嘘だ』
三上は、最後に見た、澪の笑顔を思い出していた。ユウの愛情を一身に受け、内側から光っているようにその嬉しさが溢れていた。
『妬ましいとか、憎いとか、そんなこと感じなかった。戦闘班長に取られたとかそんな気持ちじゃなかった。幸せになって欲しいと思ったさ、俺だって』
三上の中で、一つの解答ができあがった。
「おい、待てよ」
三上は、二人を追いかけた。
(15)
真理やさおりは、その瞬間、体に力を入れた。けれど、目の前の光景は何一つ変わらず、澪を抱え込むように抱きしめた進の体は、微動だにしなかった。
進も、万策尽きたかのように目を閉じて、ただ固く、澪の体を覆うように抱きしめていた。
進の腕の中に、力を失って立っているのもままならない澪がいた。進は、ゆっくり体の重心を落とし、澪の体を床に座らせるように下ろした。
進の緩やかな動作を見て、真理は息を吐き、胸をなでおろした。さおりも、反射的にドアの陰に潜めた体を元に戻した。
腕の中で、巣から落ちた雛のようにすくんでいた澪が、進の顔を見るために顔をもたげていた。
「サーシャ……」
進は、澪の動きに答えるように声をかけた。
「サーシャ……歩(あゆみ)はこの艦(ふね)にいないんだ。どこを探しても、この艦の中にいないんだよ」
澪は何かを言おうと唇を開こうとするが、声が出ない。澪の目には、今にも溢れ出しそうなほど、涙が溜まっていた。
進は、言葉が出せない澪の気持ちを察して、小さくうなづいて応えていた。
「泣いていいんだよ。サーシャ」
その言葉が起爆剤になり、澪の目から、涙が幾筋もこぼれ出した。小さい子どもがむせび泣くように、澪は、嗚咽交じりの声をあげて泣き出した。
進は、澪と向かいあわせになるように体を少しずらした。澪と目を合わせるたびに、澪に向かって何度も小さくうなづいた。
両手を口に当てて、もれる声を押さえようとしていた澪は、進の優しい目に誘われるように進の体に顔をうずめていった。頭を包み込むようになでる進の手の感触を感じながら、ただ泣いた。心の底から溢れるままの悲しみをすべて吐き出すかのように……
「どういうことですか?」
葵の声は震えていた。今しがた格納庫に来た二人の言葉で、葵は、不安が現実になったことを知った。
「だから、真犯人は見つかった。あとは、こちらで調査したことを艦長に報告する。これで、この件は解決したってこと」
「やったって言う奴がいるんだ。オレたちが事情徴集して、報告するってことだよ」
二人の得意げな顔が、葵の前にあった。
「この件から手を引きましょう」
葵の横の工作員が、葵の耳元でささやく。
葵は顔を伏せ、頭の中で幾通りの行動パターンを考えてみた。
『この二人を助長させてはいけない』と、思案をめぐらせたが、葵にはいい案が浮かばなかった。
「わかりました。私も、私の報告書を艦長に提出します。一つだけ質問していいかしら……真犯人って誰なの?」
「それは、ノーコメント。なっ」
「ああ」
男は、少し後から来た三上大樹に相槌を求めた。
『しかたがないわ。こちらが探れば、隠すだけ……』
「技師長、話があります」
格納庫から出た葵たちに、ドアの閉まる間際に出てきた三上大樹が後ろから声をかけてきた。
葵の毛先がサラッと大きく横に揺れた。葵は、大樹の方に振り向いた。
(16)
「大丈夫…なの?」
暗い部屋の隅で、一つの塊のように床に転がっているヤストの姿を見て、葵は、後ろにいる大樹を振り返った。
「命だけは……たぶん」
大樹の言葉を聴いて、葵は、恐る恐る手を伸ばした。丸まった体のシルエットだけは、他のものと区別がついていた。
伸ばした葵の手が触れそうになると、その部分だけがぴくりと反応して動く。葵は、反射的に手を引いた。
「南部君……」
葵が一度、手を伸ばすと、のそっと塊が全体的に、揺れるように動きだした。
「イテッ。まじに蹴るから」
わき腹を押さえながら、ヤストはあぐらをかいて座った。
「立てるか?」
大樹は、ヤストの視線と同じ位置になるまでしゃがんだ。ヤストと目を合わせると、ヤストは目をしかめた。
「ああ、いい、いいって。一人で動けるから……いい経験させてもらったぜ、三上」
顔を振って、大樹の助けを拒否すると、ヤストは、小さく息をついた。そして、ヤストを覗き込むように中腰になっていた葵の顔を見て、にこりと笑った。
「葵さんが来るとは思わなかったな」
「どうして嘘を? 南部君がやったわけじゃないのに」
「なんとなく……ね。しいて言えば、ユウの馬鹿野郎のせいだ」
ヤストは、ポケットからくちゃくちゃになった封筒を取り出した。
「いっそのこと、破いてしまおうかと思った」
ヤストの話に、葵はうなづいた。
「このことは、艦長に報告するわ。いいわね、二人とも」
三上は、小さくうなづいたが、ヤストは答えなかった。
「三上、やったのは、俺じゃないけど、ユウへの気持ちはホントだからな」
大樹の肩にぐいっとつかまると、大樹の頬のすぐそばに、ヤストは顔を寄せた。
大樹は、反射的にヤストから体をはなそうと、少し体をそらせた。
「ふふっ、当分これで遊べるな」
にやりと微笑んだヤストに、大樹は頭を深く下げた。ヤストは、肩にまわした手で、大樹の縛っている部分を引っ張った。
「ホントにやめてくださいよ」
大樹の悲鳴のような声を聞きながら、ヤストはけらけらと声を出して笑い出した。。
「くっくっく、あーおもしろい。それから、葵さん、澪のことだけど……」
大樹にもたれて歩くヤストは、後ろを歩く葵の方を向いた。
「彼女、もろそうな部分もあるけど、最後には、いつもクリアできる人よ。大丈夫」
「葵さんもそうだね」
「ありがとう」
(17)
柳原涼子は、そっとドアを閉めた。目の前の進は、珍しく何かを考えているようで、涼子が部屋に入っても気がついていないようだった。
涼子は出そうになったため息を、のどの奥に押し込めた。
「澪の様子、どうですか?」
最初に声を出したのは、進だった。
涼子は、進を直視できず、わざと背をむけ、机の上に開いていたカルテに手を伸ばした。
自分を落ち着かせるために、涼子は、カルテに所見を書き込んでいった。ボードをこするような、涼子のペンの音が部屋の中を駆けめぐっていた。その音を聞きながら、落ち着くどころか、かえって緊張を増幅させていたことに、涼子は気づいた。
「今は、ぐっすりと寝ています。……桜内さんと同室でよろしいでしょうか」
ちらりと、涼子は、椅子に座っている進を見た。
手には、封筒を持っている。涼子が部屋に戻ってくる前に、読んでいたのだろうか。しかし、別段、進は、それをかくす様子はなかった。
「ああ、彼女たちは、姉妹のように暮らしていたこともあったんだ。表面上は、不仲のように装っているんだが、澪が一番信頼しているのは、彼女なんだと思う……」
涼子、すっと進から目をそらした。進が微笑んだように見えたからだった。ユウがいないこの状況で、進が笑うはずはないと思う気持ちが、涼子にそうさせた。
「もう少し、素直にならなければ……」
進の呟きが、澪たちのことでなく、自嘲の言葉のように涼子に聞こえた。
足元から、艦底からのエンジン音が響く。
『素直……』
窓の向こうの処置室のベッド脇に、背中を伸ばして座っている桜内真理がいた。
「最悪ですよ、真田さん」
相原義一は、真田志郎を見つけると、腕を引っ張った。
「ユウくんが」
今度は、逆に志郎が、義一の肩をぐいっとつかんで寄せた。
何も話さない志郎は、義一の言葉を待っていた。義一は、周りの人から奇異に見られないように、できるだけポーカーフェイスを装いながら、志郎の耳元に、できるかぎりの小さい声でささやいた。
「先ほどの通信の中の報告で……不明者のリストに」
「不明者……」
志郎はそれ以上聞き返すことなく、義一の肩を突き放した。
(18)
「真田さん、待ってください」
人にぶつかりながらも足早に義一から離れ去ろうとしている志郎に、義一は叫んだ。
「今のあなたにはやることがあるはずだ」
志郎は、振り返った。
「午後の会議の資料、つくり直す必要があるんじゃないんですか?」
志郎は、立ち止まった。
午後、政府への提出資料の検討会がある。志郎もさまざまなデータから、今後の予測を求められていた。
「地球に残っている…私たちの仕事じゃないんですか?」
志郎の背中から、追いついた義一が乱れた呼吸のまま、しゃべっている。
志郎の脳裏に、トナティカから戻ったばかりの時の進の姿がよぎった。
『病室の天井ばかり見ているだけのオマエは、いったい何を見ていたのか……そして、今、オマエは何を見ている?』
「相原、何時だ?」
「11時少し前ですよ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
義一は頭を下げ、微笑んだ。
『まだ、時間はある……か』
義一の策にはまった自分に苦笑いしながら、志郎は自分の部屋の方向に足先を向けた。
「康人はどうしているのかしら」
「何しているのかな? ヤマトは戦闘地域から出たそうだ……わが社自慢の情報網で得た最新の情報だとね」
南部康雄は妻の言葉に笑って答えた。
「古代の側にいるんだ、大丈夫だよ」
「そうね。私たちがあの子にどう対処したらいいのかわからなくなっていたときに、康人のことを引き受けてくれたの、古代さんだけだったわよね」
「ああ」
康雄は、大きくなっていく康人に翻弄されていく妻を見るのが辛かった。一番最初に指摘してくれた進の言葉で、どんなに気持ちが楽になっただろうか。
「一番、困惑しているのは、康人くんだよ」
「歩ちゃんも古代さんとうまくいっているといいわね」
「ああ」
康雄は、妻の肩をそっと抱いた。
そして、さっき、会社から出る寸前に聞いた最新情報を思い出していた。
<不明者がいたそうです。それが、古代艦長のご子息だそうで、政府も近々、そのことを発表するようです。今回のヤマトの航海は無駄ではないかという世論も強いですから。政府は、少しでも、可能性があるのなら、ヤマトの航海を続行させるつもりでいます。同情してもらえそうな材料があれば、どんどん使っていくと思いますよ。暴動なんかが起きると、治めるのが大変ですからね>
(19)
「どうしたのですか、持ち場を離れられる者全員集合だなんて」
エンジンルームから展望室へ向かう太助に、機関士が声をかけた。
「大事な話があるんだ。つべこべ言っていないで、こういうときは、全力で走る」
太助は、機関士の背中を思いっきり押した。
「まさか、地球へ戻るとか、そんなことになりませんよね。まだ、間に合いますよね」
機関士の言葉に、太助は答えなかった。
『今度は、嘘はなしですよね、古代さん……』
右舷展望室の入り口のドアがひっきりなしに開閉を繰り返していた。人数が増えるたびに、人の熱気と声が大きくなっていった。太助は、胸が苦しくなった。目の前は見たことのある光景だった。
『ああ、そうだ。あの時もこんな風だった。ヤマトが自沈した時だ』
太助は、自分の胸の奥の痛みがなんなのか思い出した。
次郎は、航海班の別の者に操艦をまかせ、展望室にかけつけた。
『艦長は何をしようとしているのだろうか……』
次郎は、立体映像が自分の周りを取り囲んでいるような錯覚に陥った。声高に隣にいる者に話しかけている乗組員、ただ一人でたたずんでいる乗組員、祈るように目を閉じている者……
『不安……』
次郎は、皆の抱えている不安を、自分も同じように抱えているのだと気づいた。
ヤストは、時折、嫌な視線を感じていた。ちらりと盗み見るような視線。しかし、誰も近づいて来ない状態を、孤独とは感じていなかった。
『もっと、強くならなくちゃ』
ヤストは目を閉じた。
フェイは、左手の4本の指にぐるぐると赤いスカーフを巻いた。フェイの右手は、スカーフを巻いた左手を覆った。ぎゅっと握った右手に、何度も何度も自分の願いを込めた。
『地球にいっしょに帰ろう。お父さん……』
何度も聞こえていたドアの開閉の音。しかし、展望室にいた乗組員たちの視線が、一斉にドアの方に向き、部屋にあふれていた声がぴたりとやんだ。
視線の先には、進が立っていた。手には、手紙が握り締められていた。
(20)
「みんなにここに集まってもらったのは、私の出直しのためだ。貴重な時間を私につき合わせてすまない。けれど、どうしても、この場所からはじめないと、私はまた、みんなを裏切ってしまいそうで……だから、ほんの数十分の時間、私に付き合っていただきたい」
進の言葉を聴いていた太助は、鼻から大きく息を吸って、はいた。太助の中の思い出の一シーンが、目の前の光景と重なって、記憶がより鮮明になっていった。
「私は、初代のヤマト自沈の時に、乗組員をだましてしまった。そのときの私には、皆を説得させる術(すべ)はそれしかないと思ったからだ」
進の目は太助のところで止まった。眼を見開き、真っ赤な顔になっていた太助に、進は小さくうなづいた。
「それから20年……今でも、その判断がよかったのか、私にはわからない。ただ、今は、あのときより時間があって、あのときより切羽詰ってなくて、あのときより私もほんの少し成長できている。だから、みんなには、本当のことを伝えたい」
「今回のこの旅の発端になったメッセージを持ってきてくれたのは、一ガミラス兵だった。彼は、昔、ヤマトの一番最初の旅の時に捕虜になった男だ。その頃、ガミラスの攻撃で家族を失っていた私は、ガミラスがにくかった。ガミラス人すべてが私の敵だった。私は捕虜の彼を刺そうとしたこともあった。その時は、思いとどまることができたが、そんなことがあっても彼は、地球のための使者となり、命をかけてメッセージを届けてくれた」
医務室にとどまっていた涼子は、艦内放送で進の声を聞いていた。
ガラス越しの向こうでは、澪と真理が、自分と同じように進の声を聞いている。二人を見入るように見ている涼子の肩にそっと手が置かれた。涼子が振り向くと俊介が立っていた。
「一番最初のヤマトの旅のきっかけは、イスカンダルのスターシャからのメッセージだった。そのときの使者だった、妹のサーシャは、命と引き換えにメッそのメッセージを運んでくれた。地球の危機の時、いつも誰かが手を差し伸べてくれていた」
康人は自分の手の平を、自分の目の前に広げた。誰かがいつも手を握っていた記憶がよみがえる。康人は互いの手を確かめるように、両手を絡ませていった。
「私はヤマトにいた。戦闘の最前線にいた。だが、戦っていたのは私たちだけではなかった。地球に残った人々も、それぞれの立場で戦っていたし、最前線の私たちを支えていてくれた。それなのに、つい、一人で戦っているような気になってしまっていた」
進は、手に持っていた手紙に視線を落とした。
進は、天井を仰いだ。
小さく息を吐いて、呼吸を整えると、進は、手に持っていた手紙をそのしわをほぐすようにゆっくり広げていった。
「森戦闘班長の手紙だ。……<この艦には、たくさんの人が乗っています。それぞれいろいろな境遇を持ち、いろいろな考え方を持っています。けれどみんな、家族のために、地球を救うために、この艦に乗ってきているのです。もっと、私たち・ヤマトの乗組員を信頼してください。私たちは、あなたと気持ちも志も同じ仲間なのです。喜びも悲しみも分かち合える仲間なのです。>……」
「私には、君たちがいて、古い友がいて、そして、地球には……私の大切な思い出が詰まっている……そんなことをいつの間にか、私は忘れてしまっていた」
「私は同じ過ちをもうしたくない。ここからもう一度、旅をやり直したい。旅をここから、君たちとはじめたいんだ」
次郎は進だけを見ていた。この展望室にいる乗組員一人一人に語りかけるように、必死に、身を乗り出して話す進を見ていた。
(21)
乗組員たちは、進の提案に黙っていた。進も、戸惑っているいくつかの顔に向かって、これ以上何を言うべきかを考えていた。
艦底から響くエンジンの音が、静かな部屋の中で、唯一、自己主張を続けていた。
「行きましょう、艦長」
ウェストあたりで作った拳に力を入れながら、フェイは声を出した。
「そして、任務が終わったあと、必ず、トナティカへ戻ってきましょう」
『必ず』という言葉に力を入れた、フェイは、集中する視線に耐えながら、拳を小さくゆすった。
次郎は、一歩下がった。そして、周りの顔をそっと垣間見た。さきほどとは違い、ぱっと何か答えが導かれたような顔だった。無彩色に近い風景だったのが、彩度が急に上がったように生き生きとした世界に変わりつつあった。
「艦長……」
次郎は、これが、進が故意的に望んだ状態なのか、それとも、進の元来の性格からなのか、わからなかった。よくよく考えてみれば、次郎は、常に進の行動を、乗組員たちがどういう行動になるのか考えているのではないかと思うことがあった。乗組員たちの気持ちが一斉に同じ方向に向かう姿。進・本人は知ってか知らないのかはわからないが、それができるというのは一つの才能であることは確かである。フェイに続いて、自分も……と出しかけた言葉を次郎は引っ込めた。この場面に発言するのは、自分ではない。そういう気持ちが次郎を次第に冷静にさせていった。
「艦長、お願いがあります」
別のところから声があがる。わいわいとあれこれ乗組員たちが声を出し、議論をしだす。次郎は、その様子を目の前の劇を観ているかのように眺め続けた。
その合間に、次郎は、ちらりちらりと進に視線をむけていた。進の顔は、満足げに、一つ一つの意見に対してうなづいている。その様子を見ていた次郎にも、視線が合うと進は、『それでいい』と言っているかのように小さくうなづいた。
次郎の胸の鼓動が早くなった。次郎は、自分の存在を認められたようでうれしかった。
この展望室は、一つの舞台で、それぞれの乗組員がそれぞれの役割を演じられるように、艦長の進がそう演出しているのかもしれない。それでも、各々が自分の存在に満足でき、一つのことを作りあげていくことの満足感を得ることができればいいのではないかと次郎は思った。
『そして、気づかせてくれたのは、ユウ、君だった』
進の手にしっかりと握られている紙を見て、次郎は目頭がだんだん熱くなってきて、涙腺を駆け上ってくる涙を止めるのに精一杯になった。
(22)
「この部分、書き直してくれないか」
志郎はその言葉を待っていたかのように、聞き流した。
「ブラックホールの影響は、当初の計算より早く地球に及んでくる。ヤマト帰還かどうかは、今後の話し合いで決まるだろうが、私たちはまず、きちんとした資料を作る必要がある」
参謀たちの視線を感じながら、志郎は自分の答えを話す間(ま)を待った。
「ヤマトの航海が無駄だとは言わないが、今は、地球からの避難船を守る艦が一隻でも多く欲しいのだ」
「地球市民は、ヤマトに絶大な期待がある。それは、ガミラスへの旅ということでなく、我々を必ず守ってくれるという意味で」
「この危機的状況を大勢の市民に不安を抱かせないために、ヤマトが必要なのだ」
まるで自分たちを説得するように話す参謀たちの言葉が、志郎にはあきらめの言葉のように感じられた。
「ヤマトを行かす案を提出させてくれませんか」
無駄な言葉だとわかっていても、志郎は、口にせずにはいられなかった。
「真田くん、君は、今の状況が見えていない。いいかね、政府は、正確な情報を流し続けている。このことで、悲観的なニュースも発信されているんだ。今後の地球市民の避難計画が着実に実行されるために、市民に対する不安を少しでも少なくする必要がある。ヤマトが近くに守ってくれるということが、どれだけ安心感をもたらすか。君たちは、わからんのか」
「ヤマトの中では、乗組員たちが不安と戦いながら、目的を遂行するためにがんばっているのです。地球側の理由で、無駄にするのですか、今までの航海を。このグラフにあるように、何度も計算しましたが、ヤマトが目的を遂行して帰還するのを待ちながら、地球から一時的に影響の少ない外惑星に移動させるのは、決して今の戦力で不足なわけではないのです。それを、実際目に見えない市民の不安などという理由でヤマトを帰還させ、地球自体を失うことは、私たちの未来を削るようなものです。どうか、ヤマトの航海を続けることができるよう、それを政府へ提言できる道だけを残しておいてくれませんか」
「政府の方からなのだ。ヤマトの帰還の方向で、計画を修正していきたいと提案してきたのは。まあ、地球政府からそのことを言い出すわけに行かず、こちらからそのような資料を出せということさ。わからんでもない。市民は不安になってきている。変なうわさが飛び交えば、暴動だって起きかねん」
ずっと話を聞いていた長官のデューイがつぶやくように、志郎の言葉に答えた。
志郎は、長官の言葉に口を閉ざした参謀たちの様子を見て、それが確かなことだと知った。多分、この会議に及ぶにあたって、同じような話が参謀たちの中で行われていたのであろう。
「政府最終の決定は、わたしたちが提出した資料に基づいて決められる。君なりに、ヤマト帰還の場合と、航海を続けた場合との2パターンで、艦隊の配置、計画の進め方、そして、地球市民が生き残る確率をわかりやすい数字に出してくれないか。それを提出しよう。できるか、真田」
志郎に見えるように、相原義一が残りの時間を指を立てサインを送っていた。
「わかりました。それでは、今から、作業に入ります」
志郎は、目の前の端末に飛びついた。
参謀たちが手を上げ、「何をやっても、どうしようもならないさ」とつぶやきながら部屋から出て行くのを、志郎は見ることなく、一心に画面に集中していた。
(23)
「今回の軍の方が提出された資料ですが、個人的な判断が加味されているようですので、その部分は、削除させていただきました」
政府の会議の直前、志郎たちに告げられたのは、冷たい言葉だった。
『ダメだったか……』
志郎は、今までに味わったことのない虚しさに、あてもなく、廊下を歩いた。
地球に残って、進たちヤマトの航海を支援することが、今の自分のできることだと言い聞かせていた。
『簡単じゃないんだな』
初代ヤマトの、イスカンダルへの旅は、何人かの人が同じような思いをし、それでもへこたれずに果敢に戦ってくれていたことに、志郎は感謝した。
『こんなことでくじけていては……』
先人の努力を無駄にするところだと、志郎は思い直し、顔をもたげた。
「真田さーん、そこにいたんですか」
相原義一が人を掻き分けて近づいてきた。
「真田さん、こっちにきてください」
義一が志郎の腕をひぱった。
「ちょっと、きてください」
……壮太、健介、とうちゃん、絶対地球を助けるためにガミラス本星にいくからな。……ヤマトの乗組員全員、がんばっているからな、俺も……
「何なんだ、これは?」
義一は、通信ルームから送られてくる音声を志郎に聞かせると、荒げた声で一気にまくし立てるようにしゃべりだした。
「ヤマトからですよ。音声の通信、それも、垂れ流しのように長い通信です。感度のいい受信機を持っている民間なら、音声拾えてしまうぐらいオープンにしています。こんな長い通信が続いたら、ヤマト後方の通信衛星の位置やヤマト自身の位置だって、ばれちゃいますよ。ホントに古代ってなに考えているのか」
「民間の誰かが受信している可能性もあるのか……」
志郎は、少し白髪が混ざったこの数日で生えたあごの不精ひげに手を持っていきなでながら、義一の言葉を繰り返していた。
『待てよ……』
志郎の目が、ぱっと開いた。
「相原、民間で傍受できそうなところで、オマエの知り合いはいないか」
はじめは、何を言われていたのかわからなかった義一だったが、志郎の考えに気づき、目を輝かせた。
「わかりました。それを、どこかの報道関係者が気づけばいいんですね」
「そうだ、政府がどうのこうのと言って来る前に。ヤマトの乗組員の生の声だ。地球に残った人がこれを聞いて、どう思ってくれるか、賭けだな。それと、この音声、会議室に流せるようにも手配を頼む。俺は、今から、会議室に戻る。ヤマトからの緊急の通信が入ったと言って、修正なしで、この通信を聞いてもらう」
「わかりました。この通信は軍の通信指令所で全部記録されてますから、通信の最初から聞けるように手配しておきます」
『古代、お前たちに助けられた』
志郎は、今来た道を駆け戻った。
「艦長、後方22875、艦影、多数」
橘俊介の声が、第一艦橋に響く。
「通信、まだ続いていますが、どうなさりますか?」
フェイが艦長席の方を振り返って、答えを待っていた。
「こちらの想定内だ。通信はそのまま。全艦戦闘配置につくよう、各部署に通達」
続けて進は、目の前の画面に釘付けになっている坂上葵を見、
「葵、どうだ?」
と、声をかける。
「まだ、はっきりしませんが、今のところ大丈夫です」
日本人形のように細い黒髪が揺れ、葵ははしゃいでいる子どものような目をして進を見た。
(24)
「ヤマトの位置を特定できました。3箇所の通信発生箇所は、すべて、ヤマトの通信用の小規模衛星かと思われます」
「このまま少しずつ密集、ヤマトの後方に十字にになるように艦隊移動」
「艦隊移動、ダー、ライド、ガー戦法に従い各艦移動」
ボラー艦隊の指令は、自分の命令に酔いしれているかのように、副長の言葉にうなづきながら、満足げな笑みを浮かべた。
まるでヤマトの後方に広がった艦隊が、その旗艦である艦を中心に、十字の形に集まってきた。
ボラー艦隊の指令は、リズムを取るかのように、手を何度も強く握り、そして緩める動作をしていた。
『時間通りに動いているな』
その手は、指揮者のように、大振りになっていった。
カッシューン
何か小さな物に追突したような振動が旗艦を小さく振るわせた。
「小さな機雷のようです」
副長は、被弾箇所からの連絡をそのまま伝えると、艦隊指令は、指を小さく振り、そのまま作戦を続けるようにサインを出した。
ガシューン、カシューン、
今度の衝撃は、何度も小さな揺れを引き起こした。
「先ほどの同等の小さな機雷が、いくつか本艦に被弾しています。この程度の機雷ですと、艦の側面にかすり傷程度の損傷しか……」
ガシューン、ガシューン、ガシューン、ガシューン……
小さな揺れが、細かに続き、だんだん、その揺れも大きくなっていった。
「まるで、ほうき星の軌道に入ったようだな」
艦隊指令は、以前の記憶を思い出していた。
「指令、この機雷群は、本艦のみを狙ってきているようです」
小さな小石のような機雷による揺れは、そのうち、艦を直進させることが不可能なほどの揺れに変わっていった。
「しっ、指令、正面にヤマト。ヤマトの艦首、こちらを向いています」
『しまった……小さな機雷だと気を許しすぎてしまった』
「艦長、完全に敵艦隊に向き合いました」
次郎は、進に声をかけた。
「よし、それでは……」
進が、次の手を言い出そうとしたとき、フェイの通信席のランプが輝きだした。
「艦長、通信が入りました。ガルマン・ガミラスからです」
「通信内容は?」
「ヤマトよ、無駄な戦闘を避け、ただちに戦線から離脱し、われら本星に向かうべし」
フェイは、音訳される言葉をそのまま、声に出していった。進は腕を組み、深く椅子にもたれた。
「進路方向も明示しています。アルファ33306シータ359……このまま、このデータを地図上に載せていきます」
第一艦橋前面のパネルに、航路図があらわれ、ヤマトの進路が、その中へ泳いでいくように線となって、描かれていった。皆の視線は、そのパネルに向いていった。
進は、頭の中で、おおよその計算をしていた。この戦闘の時間のロス、そして、航路に戻る時間……さまざまな時間が頭の中に並んでいく。
「島、進路変更。航路をデータ通りに修正。我々の第一の目的は、ガルマン・ガミラス本星にブラックホールの影響が地球に及ばないための秘策を受け取りに行くことだ。ガミラスの手助け、快く受け取ろう」
「残念ですね、艦長。あの機雷群、無駄になってしまいましたね」
俊介が艦長席を振り向くと、意外にすっきりした面持ちの進がいた。
「いや、機雷を使っての戦闘を今後展開するときのいいデータが取れた。戦闘のバリエーションが広がる。あの機雷で戦術がいくつも考案されるだろう」
進はそう言うと、葵を見た。葵の手は、すでにせわしく動いていた。
「わかりました、艦長。工作班でも、いろいろな戦闘を想定して、また機雷の開発にとりかかります。今後のために」
葵の言葉にうなづくと、進は、パネルに映し出された航路を再び見た。
そうしながら、進の右手は、上着の上から、首にぶら下げている懐中時計をぐっと握り締めていた。
(25)
見上げると暗い中に、ゆらゆらと幾筋の明かりが差し込んでいるのが見えた。けれど、体は、どんどん水の中に沈んでいった。
手を伸ばせば、水面に届くのではないか錯覚を起こすほど、感覚はあいまいになっていた。何度も、手を伸ばすが、水面ははるか彼方で、体は海の底に引かれるように沈んでいくばかりだった。時には、きらきらと水に取り込まれた光の欠片が指先に届くのだが、体は深く暗い水底にとらわれていった。
『助けて、お父さん……』
失いかけている意識の中、ユウは、両手を水面に向かって伸ばしながら、叫んでいた。
ごぼごぼと吐く息が音を立て、のどの奥に進入してくる海水に、かろうじて抵抗している。塩水の塩の辛さと、もう吐くものがなくなっていると肺が悲鳴をあげる……
『お父さん……』
断末魔のように叫ぶが、声にならなかった。
「歩(あゆみ)……」
澪は、ベッド中で、もがいていた。
目を開け、周りを見渡す。そこはいつもの自分の部屋だった。
澪は、リアルなほど、感じた塩の味、息の苦しさを思い出していた。夢なのか、それとも、澪の血の中の力が何かを感じたのか。
「また、会えるよね。きっと、会えるよね」
澪は、ベッドの脇に置いてあった、ユウと写した写真につぶやいた。その言葉と裏腹に、涙が、澪の頬を走っていった。
第13話 「別離」 終わり
第14話 「悲恋」 へつづく
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