「想人」第十七話 傷ついた戦士たち


(1)
「夢、じゃないですよね」
 ヤマトに戻る途中、澪がつぶやいた。
「夢……」
 進は、小さな声で、その言葉をつぶやいた。
 進は、遠くの景色を見ながら、友の言葉を思い出していた。

「お前はできる……自分を怖がるな。信じろ、古代」
 

(そうだ、君にそんなことを言われるなんて……夢であってほしい)
 澪は進の顔を覗き込んだ。
「艦長、何かありましたか?」
 進は、小さく微笑んだ。
「いや、君が言った『夢』を考えていた。私にとって、今だけじゃない、この三年間、ずっと夢の中にいたような気がしたんだ。いや、もっと昔からかな」
 進は目を細めた。
(そう、君にそっくりな人と火星で出会ってから)
 澪は首をかしげた。
 進は小さく頷いた。
「長い間、現実を見ようとしてなかったのかもしれない……」
「現実は辛いことが多いです」
 澪はぽつりとつぶやいた。
 今度は進が澪の様子を窺うように覗き込んだ。視線が合うと、進はにこりとした。
「大切な思い出も、始まりはすべて現実の中だった……そうじゃないかい、澪」
 進の言葉に澪は大きく頷いた。



(2)
「サニア(お兄さん)……」
 ぼんやりしているユウの袖を少年が引っ張った。
「ああ……」
 ユウは、建物と庭の間の段差に腰を下ろしたまま、重い頭を抱えていた。
「サニア」
 マアはユウの横に座り込んで、時折、ユウの顔をのぞき込んだ。

「ああ、ヴィ・クァさま」
 ユウを部屋から見ていた青い服の女は、外から帰ってきた女に丁寧にあいさつをした。
 ヴィ・クァと呼ばれた女は、ユウとマアの様子を柱の影から見ていた。
「彼女に会ってしまったのですか」
 青い服の女に尋ねると、女は小さく頷いた。
「そのようです。少し早かったでしょうか」
 青い服の女の目を見ながら、ヴィ・クァはユウの姿を見続けていた。
「でも、いつかは越えなくてはならないのです。彼女は?」
 そう言い終えると、ヴィ・クァは、垂れたヴェールを肩にかけた。青い服の女は目を伏せた。
「大声を出して、行ってしまいました。その声に私が気づいたとき、すでに、ここから立ち去ってしまった後でした」
 ヴィ・クァは、女の手を取った。
「そう……」
 ヴィ・クァは腰を低くし、自分の頬へ女の手を持っていった。
「彼をお願いします」
 ヴィ・クァの手が離れると、青い服の女は、そのぬくもりを頬へ伝えるため、自分の手を頬に当てた。
「はい。見守ることしかできませんが、できる限り寄り添ってみたいと思います」
 ヴィ・クァはにこりと微笑んだ。
「ありがとう。あなたがいるから、私も安心して出かけることができます」
 ヴィ・クァは頭を下げ、青い服の女に微笑んだ。
「私はただ、食事やベッドの支度しかできません……それにしても、お二人は本当に兄弟のように見えますね」
 青い服の女は、ヴィ・クァのやさしい笑みにつられるように笑顔になった。
「マアはサニアを欲しがっていましたからね」
 ヴィ・クァは微笑んだ。
「それでは、よろしくおねがいします」
 ヴィ・クァはヴェールを髪に撒きつけるようにかけ、足早に出て行った。青い服の女は、ベッドメイキングを始めた。

 
「手、つめたくなっちゃったね」
 ユウは、自分の手に触れるマアの手が冷たくなってきたことに気づき、マアの手を握り締めた。
「部屋に戻ろう。風邪をひいたら、アロウ(お母さん)が心配するよ」
 ユウは、そっとマアを抱えた。マアは体を丸めてユウの胸にくっついてきた。ユウは丸まったマアの体に顔を寄せた。
 青い服の女が二人に近づいてきた。
「お体が冷えてしまったでしょう。夕ご飯は温かい物を用意しましょう。シーツも新しくしましたよ。少しベッドでおやすみなさい」
 柔らかいベッドの感触を思い出したユウは、体がまだ休息を欲しがっているのを感じた。
「マア、一緒に寝ようか」
 大きく頷くマアを抱きながら、ユウは少し乱暴にマアを放り投げるまねをして、マアの笑顔を誘った。
「うん、アユ、寝る」
 ユウはマアを抱きしめ、ベッドの端に座らせた。
 その様子を、青い服の女はそっと見つめていた。



(3)
「坂上、ガミラスの技術士官とはどの程度の話が進んでいるのだ?」
 第一艦橋に戻った進は、工作室にいる葵に報告を求めた。
「私たちが出したいくつかの質問の最終の回答を待っているところです。後は、この対ブラックホール砲であるというこの装置をヤマトに設置したときに、ヤマトの動力でどう動くか、ガミラスでの動作と同じ結果が得られるか……ガルマン・ガミラス側のデータから検討しています」
 工作班のメンバーとの協議を引き続き進めるように伝えると、進は葵への通信を切った。
「桜内、発進準備は?」
 真理はキーをリズム良く打ちながら、目の前の画面をチェックしていく。
「食料などの航海で必要なものの積み込みはすでに完了しています。ガルマン・ガミラスから帰路の航路図も届き、島航海長が第二艦橋で航海班のメンバーと現在航路を検討中です。エンジンチェックについては徳川機関長お願いします」
 指名された太助は、咳払いをする。
「ウゥンッ、エンジンは良好。いつでも発進できます」
 進がうなずきながら聴いていると、太助の言葉のあとにフェイも通信班の報告をする。
「現在、ガルマン・ガミラス側の要望で地球への通信はできませんが、通信関係、すべて万全です。ガミラス側の指定宙域航行中も通信はできませんので、地球への通信は当分できません。以上です」
 フェイの言葉のあとに、俊介が言葉を続ける。
「レーダー機器類も良好です。ただし、こちらも、指定宙域を出るまでは、ガミラス側からの指定されている出力制限を守っての航行になります。医療班については、医療機器や薬など過不足なし、緊急を要する患者もおりません。支障は、佐渡先生が少しお暇で、お酒の量がほんの少し多くなっているくらいでしょうか」
 進は俊介の言葉を聴くと、にやりと笑った。
「澪、戦闘班は?」
 ユウの席に座っている澪に、進が声をかける。澪については当分戦闘機に乗らず、ユウの代理をするよう、進は澪に命じていた。
「はい、砲術関係の標準整備、完了しています。コスモタイガー隊はいつでも出られるように整備万全です」
 不慣れな澪のサポートになるようにと、その隣の席にはアナライザーが控えている。
「ダイ2シュホウトウノヒョウジュンキガ、0.00006ホドズレテイマス」
 アナライザーの体が光る。
「アナライザー、それはそれぞれの砲塔ごと微調整だ。そういうのはずれって言わない」
 ヤストがアナライザーの言葉を指摘すると、アナライザーは赤く点滅しだした。無言の抵抗である。
「南部、本当にずれているかもしれない。アナライザーの報告を第2砲塔へ連絡しておくように。航海班、工作班での協議が終了しだい、ガルマン・ガミラスに発進の連絡をいれ、ただちに地球へ向けて発進をする」
 進は、そう告げると、イスの昇降ボタンを押した。
 進の姿を見送ると、俊介は医務室へのインターフォンのナンバーを押した。
「佐渡先生、艦長は艦長室へ戻られました」
「了解じゃ、今から、わしも艦長室へ向かう」
「よろしくお願いします」
 佐渡酒造の声に頭を下げる俊介の様子を横目で見ながら、太助も機関室の機関士へ連絡を入れた。
「いつでも発進できるように、もう一度チェックをしておけ。そう、なるべく新人にさせて、今日の責任者が再度チェックだ」
 あわただしい第一艦橋の中、澪は一人、前方の暗い宇宙空間を見た。。
(ヤマトは地球に帰るよ。そのあと、きっと、きっとあなたに会いにいくから……)



(4)
 ユウは、マアを抱きしめている女をぼんやり見つめていた。体を隠すように、布を幾重にも巻いていた。
「あなたは……」
 ユウは、女が巻いている布端を引っ張った。
「あああー」
 叫び声とともに、布がユウの体に絡みつく。ユウは思わず、布を体から引き離そうと布をつかんだ。そのユウの手に白い手が重なる。
「行かないで」
 ユウは不自由の体になりつつも、叫んだ。
「い、行かない…で……」
 言葉も不明瞭にしか出ない。
「い…行かないで……」
 やっと声が出せたと思ったとき、ユウの体ががくりと床に沈んだ。
「大丈夫ですか?」
 その言葉の返事のために頭を振ったユウは、上半身を起こした。夢を見ていただけだと気がつき、ユウは小さくため息をついた。
「夢を見たのですか?」
 ベッドの傍らに青い服の女がいた。
「マアさまはよく寝ていらっしゃる……あなたもまだ寝ていていいですよ」
 女は、持っていたタオルでユウの額の汗を拭いた。少し恥ずかしがるユウの目が会うと、女はにこりと笑った。
「そうそう、まだ自己紹介をしておりませんでした。ドンナットと申します。この館の主のヴィ・クァさまの手伝いをしています」
 そうドンナットは言うと、小さく体を曲げた。トナティカでの軽いあいさつのポーズである。
 ユウは、もう一度ため息をつくと、頭をぺこりと下げた。
「私は地球人で歩(あゆみ)と言います。ドンナットさん、いろいろありがとうございます。おかげさまで、とてもゆっくり眠れました」
 ユウの横には、マアが小さな寝息を立てて、丸まった状態で寝ていた。ユウは、手を伸ばし、そっとマアの頭を撫でた。
 ドンナットはその様子を目を細めて眺めていた。
 ユウはもう一度、庭での出来事を思い出していた。
「あ、あの」
 ユウはドンナットへ話しかけた。
「庭にいらした、あの女性は……」
 その言葉で、ドンナットの目はみるみる下向きになり、口も完全に閉じてしまった。ドンナットは、ベッドから落ちかかったシーツを直しながら、言葉を続けた。
「ああ、アユミさま。あの方は気持ちが不安定なのです。時に月が満ちていたり、ほとんど欠けてしまっているときは、昔を思い出しているようで、落ち着きがなくなってしまいます。普段は、とてもやさしいマアのお母さんなのですけれど」
 ユウがドンナットを見つめると、ドンナットは頷いた。
「もう少し待ってください。きっと、落ち着いてきたとき、あなたにすべてを話してくれるでしょう」
「そう、ですね。きっと、そうですよね」
 ユウは不安を蹴散らすように、大きな声で、ドンナットの言葉に同意を示した。



(5)
 ユウはドンナットが部屋から去ると、外の明るさに誘われるように窓からの月明かりを目指した。
 窓枠に体を預けると、月を見上げた。
(そういえば、地球で月を見たのは、ヤマトに乗る前、ヤストと酒を飲んだときか)
 あの時は、その月の光に照らされて、アクエリアスの残骸が、天空に煌めいていた。
「お父さん……」
 ユウは自分の発した言葉に笑い、目を閉じた。
(お父さん、あなただったら、どうしますか? やはり、戦いしか道はないですか)
 最後に見た父の記憶は、艦長席で冷静に戦局を判断している姿だった。実際、その姿を目にすることはほとんどなかった。しかし、背中で、いつも感じていた。

「寒くないか? 歩」
 二人での暮らしの中、二人で夜、よく散歩をした。
「うん、大丈夫だよ、お父さん」
 月明かりの下、父の言葉はいつも気遣いの言葉だった。優しく、微笑んでいる父の顔……そして、空には、月……そして……
 

(アクエリアス氷塊……)
 ユウは、トナティカの空をもう一度見た。空には、地球で見る月とは少し違う色で輝く月があった。
(お父さん……)
「アロウ」
 マアの声で、ユウは、ベッドを見た。ベッドから降りたマアがユウを見ていた。
「アロウは今いないけど、大丈夫だよ。今日は僕が一緒にいるから」
 ユウは、マアを抱きかかえると、ベッドにもぐり布団をかぶった。
「大丈夫だよ」
 寝ぼけていただけだったのか、マアはすぐに寝息を立て始めた。
(行くよ、お父さん)
 マアの髪を撫でながら、ユウは、もう一度、父の姿を思い出した。月の光に輝くアクエリアスの名残を、無言で眺めていた父の姿を。



 ヤマトの艦長室には、艦低から響いてくるエンジン音に包まれていた。
 進は、診察の最後に脈拍数を計る佐渡酒造の動きを静かに見ていた。
「ま、おまけをつけて、ぎりぎり合格としておきますわ」
 カルテの記入が終わると、佐渡酒造は大きく口を開けて笑った。
「おまけ付きでぎりぎり合格ですか」
 進は佐渡の言葉を繰り返し、苦笑した。
「薬の量は少し増えます。この航海が済んだら、病院に入院して治療をすることになるでしょう」
 酒造は、落ち着いた低い声で言葉を続けた。
 進は小さく頷いた。
「薬で散らせるならば、それでお願いします」




(6)
「サニア、サニア」
 朝、まだ薄暗い中、マアはベッドの上で叫んでいた。窓からは、うっすらと明るくなった外の淡い光が入り、もうすぐ日の出が近いことを知らせていた。
「サニア……」
 マアは、体全体で鼻をすすった。
「マア」
 ドアが開いて、更に外の柔らかな光が部屋に差し込んできた。
「マア、ごめん。ここにいるよ」
 ユウは、ドアを閉めると、ベッドに駆け寄った。
 泣いているマアに、ユウは手を伸ばした。そっと右手で後頭部をなで、左手でマアの頬の涙をぬぐった。
「ごめんね」
 ユウは、両手でマアを抱きしめた。
「ごめん」
 ユウは小さい肩を抱きしめた。
「どうしましたか?」
 寝着にクリーム色の上着を羽織って、ドンナットが駆けてきた。
「マアさまが夜泣きでしたか」
 ドンナットがベッドに近づいてきた。
「マアさまは、人の気持ちを敏感に感じてしまうことがありますからね。マアさま、さあさあ、もう少し寝ましょうね」
 ドンナットの言葉に、ユウは、腕の中の小さな少年の背中を見た。
(ボクの気持ちが、マアに伝わっている……)
 ユウは、マアの体から手をはずした。
 うなだれていたマアの顔が少しずつ起き上がってきた。ドンナットは二人の様子を無言で見守っていた。
「マア、ボクは行かなきゃならない。やらなきゃならない仕事があるんだ」
 マアの背中が大きく動く。涙をためた目をし、頬には涙の筋が残ったまま、ユウの顔を見上げてた。
「マア、その仕事が済んだら、必ず君のところに戻るよ。だから、いなくなっても、泣かないで」
 ユウの言葉に、ドンナットは口を開いた。
「アユミさま……」
 ユウはドンナットの顔を見て、頷いた。
「ドンナットさん、すみません……ボクはこの島を出て、行かなければならないところがあります」
 ドンナットは、顔を小さく振った。
「だめです。ヴィ・クアさまがお帰りになってから、ご相談してください。あと、二日。せめて……せめて明日の夜までこの屋敷にいてください。お願いします」
 ドンナットは自分の額を隠し、ユウにお願いをするポーズをとった。
 ユウは、額へ持っていったドンナットの手を両手で包んだ。
「ごめんなさい、ドンナットさん。ボクには時間がないのです」
 ドンナットは、ユウの言葉を聞きたくないと額に手をやったまま、顔を振った。
「だめです。だめです。今はこの島から出ては。お願いです。ヴィ・クアさまがお帰りになるまで、この屋敷にいらしてください」
「ここは、外からの情報がシャットダウンされているみたいに、島の外の様子がわからない。けれど本当は、大きな気持ちの流れが、この星全体を覆っているのでしょう? 敏感なマアはそれを感じ取っているんじゃないですか?」
 顔を隠すように額の手をどけないドンナットの手に、小さな手が伸びていった。
「サニア……サルテュ」
 マアは手をドンナットの額に滑り込ませた。



(7)
(「……サルテュ(許して)」…か)
 ユウはマアを抱き上げ、ベッドにそっと置いた。マアの顔にかかる髪をかきあげる。ぐっすり深い眠りに入っているマアの様子を確認すると、ユウは床に倒れているドンナットの方を見た。
 マアの手がドンナットの額に触れるかどうかのときに、マアの手のひらから光があふれたように見えた。その後、ドンナットが倒れ、マアも重なるように倒れた。
(マアは力を持つ者なのか)
 トナティカには幾種類の力を持つものがいることをユウは知っていた。それでも、直接力を出すものを見たことがなかった。というのは、力持つ者は人前で力を出してはいけない、ということがトナティカの人々の常識であったからだ。昔の友だったプファンは『とまり木』という能力をを持っている者だということを知っていたが、その力が具体的にどんなものかを知ったのは、再びトナティカに留まることになり、ボラーの館でどこからかの声が聞こえ、自分の意識を飛ばした時だった。中継する誰かの力を借り、地球人である自分でも意識を飛ばせることができたとき、それは、自分の力ではなく、誰かの助力であることは、ユウには明白だった。
(子どもだった……)
 前のトナティカ滞在のとき、ビヤコウクやイシュタルムの館に疑問や深く考えずにプファンたちと出入りしていたことをユウは悔やんだ。
「サニ…ア……」
 マアの唇が小さく動く。庭先で見た女の、布の隙間から見えた瞳がユウの記憶の中によみがえってきた。
「はあ……」
 大きく息を吐くと、ユウは息を吸った。この島の中は、何も乱れた気が流れていない。時が止まっているかのように、静かである。
(行かなければ)
 何が待っているか、わからない。けれど、その言葉が何度もユウの頭の中をよぎった。
(行かなければ)



「ワープ」
 ヤマトは漆黒の空間を進んでいた。途中まで道案内をしてくれたガルマンガミラスの艦艇を残し、ヤマトは指定ポイントでワープをした。
 進はワープ終了した第一艦橋でそれぞれのチェックをしている班長たちの姿を見守っていた。
「艦長、艦には異常ありません。すべて良好です」
 坂上葵の声と共に、進の目の前のパネルの一列すべてがグリーンの点滅からグリーンになった。
「島、帰路の航路について、メインスタッフに説明をしてもらいたい。メインスタッフは大会議室に集まるように。以上」
「了解」
 進の言葉を受けて、島次郎は大きく返事をした。



(8)
「そう、行ってしまったのですか」
「すみません」
 ドンナットは顔を上げることができず、寝ているマアを抱き続けていた。
「私が代わりましょう」
 女は手を差し伸ばした。
「……すみません。ヴィ・クァさま」
 ヴィ・クァは、マアを胸前で抱き直すと、小さく会釈した。
「そんな気がしましたから」
 眠るマアの頬を自分の頬とすり合わせると、ヴィ・クァは目を閉じた。
「たぶん……いないだろうと……彼が自分で選んだのなら、きっとそれが最善でしょう」
 ヴィ・クァは口を一旦閉じると、マアの髪をなで、窓の端に見える青い空を見た。
「彼女は?」
 その言葉にドンナットは頭を振った。
「いいえ、あれから戻ってきていません……ご心配ですか?」
 ヴィ・クァは羽織った布の一部を広げ、マアの体を包み込んだ。
「彼女も自分の意志で動いたのですね」
 「自分の……」とつぶやきながら、ヴィ・クァは、ユウたちが使っていたベッドのある部屋を出て行った。
 


ハァハァ
 ユウは息を整えながら、目の前に広がる湖面を見つめた。
(誰か、私の声を拾って。渡し舟のお婆に届けて。誰か……)
 目をつぶり、ユウは強く願った。
クイー
 鳥の声が響き、ユウの脳裏に空から舞いおりてくる鳥の羽の映像が浮かんだ。ユウは手を伸ばし、羽をつかもうとする。
(伝えて、お婆に。誰か、伝えて)
 
 

(9)
「まったく……」
 渡し舟のお婆とともに現れたのは、オウルフだった。オウルフは、首筋をぼりぼりかいて、次の言葉を捜しているようだった。
「まあまあ、元気でなりより」
 お婆はにんまりと口を大きく開けて笑っていた。
 ユウが叫んで数時間後、もう誰も気づいてくれていないとあきらめかけた時、櫂をこぐ音が聞こえ、ユウは自分の声が誰かに中継されていたことを知った。そして、やってきた舟には、数日前に別れた二人がいた。生きて二人に会えたこと、誰かが『とまり木』となってユウの言葉を伝えてくれたことに、ユウは感謝した。
(ありがとう……一人ではない、一人では)
 オウルフは、ユウが島からでることに対して、あまり賛成ではない様子であった。それでも、ユウはオウルフたちに話をした。自分の気持ちを素直に話してみた。
「大きな戦いが始まる前に、戦いをやめさせなければならない。じゃないと、この星の人たちがたくさん死んでしまう」
 オウルフは口をへの字に曲げた。
「もう、あちこちで戦いの準備をしている。確かに、いろいろな考えをしている者もいて、お前さんと似たような話をしていた者もいた。だが、この星の人々の心は、だんだんとボラーを許せなくなってきている。どうやってやめさせる?」
「戦いの一番の先頭に立っている人に会って話をします。もちろん、スヴァンホルムにも」
 オウルフはため息をついた。そして、鼻で笑うと声を荒げた。
「スヴァンホルムはだめだ。彼は昔の彼とは違う。それから、戦いの先頭に立っている者も誰かというわけではない。今度の戦いは、私のようにこの星のためにと祖国を捨てた者が中心となって、近代的なボラーの設備に対抗しようをしている。トナティカの人たちの心情に同意して、協力している、それぞれ、『賢者』の名で呼ばれている。トナティカの人たちの心は一つの方向にまとまりつつある……ボラーを許せないという気持ちだ。だから、その人たちに訴えるのは難しい。けれど」
「けれど?」
 言葉を止めたオウルフにユウは言葉を続けるように促した。
「『賢者』と呼ばれている人たちはトナティカの人に信頼されている。彼らから諭してもらえれば、トナティカの人たちの心も……いや、やはり難しい。たとえ、『賢者』たちにわかってもらえても、トナティカの人たちの心を変えるのは」
 オウルフは頭をかいた。
「わかっています。トナティカの人たちの気持ちは憎悪で一杯で、お互いの気持ちをどんどん増幅していっているんです。このままだと、ボラーがいる周辺の人々だけでなく、他の地域の人たちにも広がってしまいます。だから、完全に広まっていない今、やらなければ」
 ユウの言葉に、オウルフは答えることができなかった。
「誰かが広げとる。そんなことがわかっていても、わしらは突き進むじゃろうな。ここがうずいているんじゃ。ぐるぐると」
 お婆は胸の上の辺りを手で丸くなでた。
「戦いが始まれば、ひどい状況になると思います。この星は荒れて、住んでいる人たちの心も体も壊れていきます。そうならないように、僕たちでできるのは、少しでも、この戦いをやめさせるチャンスを作ることです。『賢者』と呼ばれている人たちは、それを手伝ってくれそうですか?」
 オウルフはうーんと唸った。
「我々も、戦いでこの星がどうなるかは、心配している。そして、何人かの『賢者』は、被害が少なく済む、効率的な戦いをしなくてはならないと思っている……そんなことが簡単にできるのなら、私だって手伝いたい。激しい戦いをした後の、生活基盤を失った星のことも知っているいるから、なおさらだ」
 オウルフは息を大きく吐いた。
「しかし、そんなことが簡単にできるんだったら、とっくに誰かがやっていた……『賢者』たちは皆、この星の人々が、この星の自然が好きなのだから」
 ユウはさらに大きく頷いた。



(10)
「少しでも賛同してくれる人がいれば、可能性はあります」
 ユウの言葉に渡し舟のお婆が頷いた。
「アラへ カエラ」
 渡し舟のお婆の手に力が入り、手に握られていた櫂が、水を掻き分け始める。
(アラへ カエラ……善く生きよ、か)
 ユウは前にも聞いたその言葉を、もう一度つぶやいた。
「何がいいのか、悪いのか。オレにはさっぱりわからん」
 オウルフはユウの顔を避けるように、遠くの景色に目をやった。ユウもその視線につられるように周りを見渡した。
(この豊かな星を守らなければ)
 その言葉と共に、ユウの頬に涙の粒が流れた。
(おとうさん……)
 お婆やオウルフに気づかれないよう、ユウはその涙を拭った。
(お父さん、あなたもそんな気持ちで地球を守っていた?)

 ギューイ、ギューイ
 オウルフが笛を吹く。
 誰も答えない。それでもオウルフは、何かしらの音を拾おうとして、耳を澄ましていた。池の周りの森は静かだった。
 ユウは目を閉じた。
(誰か受け止めて、この星に生きる、多くの生き物たちを守るために、私たちにはしなければならないことがある)
 ギィ
 櫂をこぐ手をお婆が止めた。水の音が消えると、あたりはまったく音がしない宇宙空間のようになった。
 ギ…ギュ…
 かすかな音がユウの耳に飛び込んできた。オウルフの目が輝いた。
「ここから、歩いておゆき」
 お婆の手がまた動き、舟は緑に近づいていった。
 ギューイ、ギューイ
 ギュ……
 かすかな音をたよりに、オウルフとユウは舟から水の中に降りた。
 バサ、バサ、バサ、バサ
 ひざ下まである水を掻き分け、二人は陸へ向かってまっすぐ進んでいった。
「殺されるのだけは嫌だぜ」
 ずっと無言を続けていたオウルフの言葉を聴くと、ユウはニコリと微笑んだ。



(11)
「オウルフさん、僕たちは賢者のところにたどりつけるんですか?」
 ユウは陸地を歩くオウルフが当てもなく歩いているように思えた。
 すねあてを巻きつけた簡易ブーツを履いていたが、水の中を歩いたせいで、足の裏がぺたぺたと音を立てていた。ユウは地球での靴では味わうことのない気持ち悪さを感じながら、無言のオウルフについて歩いていた。
「そのうち、向こうから襲ってくるさ」
「襲って?」
 ぶっきらぼうに答えるオウルフの言葉を、ユウは繰り返した。しかし、オウルフはそれ以上答えを返してはくれなかった。
 オウルフの腰についたいくつかの道具類がカチカチと音を立てていた。
「近いな」
 そう言って、オウルフは立ち止まった。オウルフは目の前の木につけられた傷に手を伸ばした。
「『護りの賢者』のエリアだ。堅固な守りを是とする護りの部隊が配置されている……ボラーの連中に潰されていなければ、護りの部隊がこっちを見つけてくれるだろう」
「『護りの賢者』……」
 ユウは周りを見回しているオウルフの様子をずっと見ていた。
「大騒ぎするか……すぐに見つけてくれる」
「大騒ぎ?」
「まあ、しなくても、向こうから来てくれる」
 オウルフはそう言うと、また歩き出した。その動きにあわせて、オウルフの腰にぶら下がっているものがぶつかり合い、また、音を立てる。
 ユウは歩きながら、耳をすました。
(鳥の声がしない……誰もいないようだけれど、でも、人がいない森はもっと鳥の声がするはず……)
「『護りの賢者』というのは、どういう人なのですか?」
 ユウはオウルフに近づき、話しかけた。
「森の番をしているグループのリーダーさ。彼らは、基本的には攻撃をしかけない。だが、森の奥へ入っていこうとするものを惑わせる。ボラーの連中が調査に入っても、わからぬようにいろいろと仕掛けている。それに」
 オウルフは額から流れ落ちる汗を手で拭った。ユウはその後の言葉を待った。
「彼らのリーダー『護りの賢者』は、前のままであるのなら、お前さんと同じ地球人だ」
「地球人」
 ユウはオウルフの言葉を繰り返した。
 オウルフが最初に会う賢者に、地球人を選んでくれたことに対してユウは感謝した。



(12)
 サトイモのような大きな葉をつけている草をかき分けて進んでいると、不意にオウルフがユウの腕をつかんだ。声を出そうとしたユウに動作を止めるよう、もう片手の拳を唇に当てていた。ユウはトナティカで見たことのあるサイン(拳を唇に当てる)に気づき、同じ動作をオウルフに向けて行った。
(了解)
 キューイ
 鳴き声と共に、ガサガサという動物の動く音が、二人の後方から聞こえた。
(後ろだけじゃない、前方にも横にも何かが潜んでいる……)
 ギューイ、ギューイとオウルフは笛を吹いてから、ユウの耳元に囁いた。
「来るぞ」
 ユウは、息を飲み込んだ。
 ガサッ、ガサッ、
 身構えずに、知り合いを待つかのように立っていたオウルフは、音の方向に目をやった。
(これが護りの部隊?)
 地球でいうと10歳くらいの少女を含んだ、ごく普通の家族のようなグループが、ユウとオウルフの前に現れた。
「私はオウルフ。『森の歩き人』とも呼ばれている」
「『森の歩き人』と呼ばれているボラー人の話は聞いたことがある。普通のボラー人は森の中をうろうろ歩かないから」
 一番年上で父親格の男がオウルフの言葉に返事を返してきた。
「そう、私は昔っから、変なボラー人だったからね」
 オウルフはそう言うとにやりと笑った。
「彼はユウ。地球人だ。最近までボラーの基地に捕らわれていた」
 オウルフが話していると、木の影から子どもの姿が何人か現れ、じっと話を聞いている。最初にあわられたグループは男と女と子どもの組み合わせだったので家族のように見えたが、こうして子どもたちの数を確認すると子どもの数が異常に多く、まるで、学校の先生が森に子どもたちを引率して来ているかのようにも見えた。
「子どもたちが声がすると言っていた。もしかしたら、あなたが送っていた声か?」
 父親格の男がユウに質問を投げかけてきた。
「すみません。声が聞こえてしまいましたか」
 ユウの言葉を聴くと、父親格の男はユウが話せることを予想していなかったようで、目を開いて、じっとユウの頭の先からつま先を舐めるように見て、観察をし始めた。
「彼は、子どもの頃にトナティカにいて、トナティカの子どもと同じように学校へ通っていたから話せるんです」
 父親格の男は、それほどその話には驚きもせず、特別にそれ以上、ユウのことに触れようとしなかった。
「私たちは、家族としてこのあたりに暮らしている。……しかし、本当の家族ではない」
 ユウの疑問を察知したのか、男は聞かれる前に答えた。
「『森の歩き人』がここに来たというのは、目的があってのことでしょう。チャチャン」
 男が近くの少女に声をかけた。
「チャチャン、お前が案内しておあげなさい。ウ先生の所へ」
 少女の顔がパッと明るくなった。少女は案内する役目が、相当嬉しいようであった。



(13)
 一時間ほど歩いただろうか。それでも、相変わらずチャチャンの足取りは軽く、ユウはついていくだけで精一杯だった。いつの間にかユウは下向きになり、足元ばかり見て、歩いていた。
「ずいぶん、いくつかの森を歩いてきたが」
 オウルフは目の前の風景をそれ以上言い表せず、言葉を止めた。ユウは頭を上げた。
(ツリーハウス? 木に住んでいる人々……)
 大きな木の枝の張りを使った小さい小屋が、いくつにも分かれて木の枝にあった。
「こっち」
 チャチャンが手招きをして、目の前の木を迂回するような小道に来るようにユウとオウルフを呼んだ。
「なるほど、水が豊富にありそうなところだな」
 オウルフは、少しぬかるんでいる道を歩きながらつぶやいた。
「ほう」
 右手に見える切り開かれたところには畑がいくつかあり、働いている人たちが幾人か見える。さっき木にあった小屋は物見のためのものかもしれないとユウは思った。
「こっちよ」
 チャチャンが畑を見ていたオウルフの服を引っ張った。
「ああ」
 オウルフは背中をぽりぽりとかき、ばつが悪そうにチャチャンの言葉に従った。
「さっきの木は、見張りの小屋か」
 オウルフは何も言わずに黙々と歩くユウに声をかけた。
「わかりません。地形をうまく使っているようですね」
 岩場を登っていく道を軽々と進むチャチャンの様子を立ち止まって二人は眺めた。
「こっち、こっち」
 オウルフは足の裏の土を落とすため、とんとんと靴裏を少しとがった岩に押し付ける動作をした。
「さてと」
 オウルフは歩き出した。そして、何かを思い出したように振り向き、ユウに話しだした。
「賢者たちには、お前さんがお前さんの言葉で交渉するんだな。そのとき、あんたは、なんて名乗るつもりなんだい?」
 オウルフの意味ありげな言葉にユウは言葉を返した。
「どういうことですか?」
 オウルフは背中を向けて歩き出し、つぶやくようにしゃべった。
「古代の子どもであることを言うのか、言わないのか。お前さんの自由だ。だが、それは一つの『青い実』だ」
「『青い実』……」
 ユウはかなり先に進んでしまったチャチャンの手招きする姿を見ながら、オウルフの言葉を繰り返した。
(『青い実』……良くなるのか悪くなるのかわからないことをたとえて使うトナティカの言葉……)
 オウルフの腰元で鳴る音を聞きながら、ユウはいくつかの言葉を考えた。



(14)
 さらさら
 ユウは足元に落ちていく葉に気づき、顔を上げた。先に進んだチャチャンが一本の木の前で笑っている。足元は岩盤のように固く感じていたが、チャチャンの傍らの木は、その間に生えたのだろうか、一本だけ、何かの目印のように無機質な岩の背景の中にあった。
 さら、さらさら
 さほど強くない風だが、その風が吹くと、葉が桜の花びらがまうかのように散っていった。
「サハラの木……」
 オウルフの言葉を聴くと、ユウはもう一度見上げた。風が吹くと、その細かな葉は一斉に舞った。その動きを見ながら、ユウは手を差し出した。小さな葉が手のひらを滑り込むように落ちてくるのを見て、ユウは広げた手をぎゅっと握った。
「軽いから、なかなか掴めないよ」
 オウルフと違った、たどたどしいトナティカの言葉がユウの耳に届いた。
「ウ先生」
 チャチャンが飛び跳ねて手を振る。
「やあ、オウルフ殿。チャチャン、案内、ありがとう」
 ウ先生とチャチャンが呼んだ男は、ユウたちと別ルートを使って登ってきた。ユウは地球の東洋人らしい、その男の動きをじっと見ていた。
「地球人だそうだな。私はウ・イーバン。君は?」
 ユウは、オウルフの顔を見た。オウルフの口は真一文字になっていて、手助けはなしだと言っているようだった。
「初めまして、私は古代歩(アユミ)です」
 ウは首をかしげた。
「コダイ……、君のお父さんは古代進?」
 ウがニッコリと笑い、言葉を続けた。
「そう、どうりで似ていると思った。さっき、君がその木…サハラの木を見ていたのを見て、古代進に似ていると思ったんだ」
 オウルフはユウの肩を叩き、先にチャチャンの待っている木へ向かって進んでいった。ユウはウが登ってくるのを待っていた。
「ハア、間にあった」
 ウはユウと向き合うと、右手を差し出した。
「よろしく、アユミ。君は三年前に地球へ帰還したんだよね」
 戸惑うユウの手をウはしっかりと握った。
「ええ。あ、あの昔から『古代歩』の名は使っていなくて……ユウって読んでもらえませんか」
 ウはユウの顔をちらりと見てから、大きく頷いた。
「コダイの名は、地球人なら誰でも知っている名だからね。わかった、ユウ、話の続きは、私の家で話そう。サハラの木の向こうに洞窟があるんだ。そこが私の家さ」
 ウはユウの背中を押すと、後について来いと手を振った。



(15)
「それで、ヤマトはガミラスからの装置提供を受けるために、宇宙へ出たのか。新しいヤマト……」
 ウの矢継ぎ早にくる質問をユウは一つ一つ答えていった。
「ボラーとの戦いで、捕虜か。抜け出せれて何よりだ」
 洞窟に柱を何本か立てて作られた部屋の真ん中にはランプが一つ天井にぶら下がっていた。そのランプに照らされて、何とか目の前に座っている人の顔が観ることができるぐらいの明るさの中、ウはユウとオウルフを座らせた。
「あの古代進がヤマトに乗って戦っているのか」
 ウのもらした言葉にユウも思わず頷いた。ウは頬づえをついて、何かを思い出しているようだった。
「ウさんは父に会ったことがあるのですか?」
 ユウの言葉に、ウは顔だけユウに向けた。
「何度かね。私は、トナティカでは彼の護衛していた。外出も共にしたことがある」
「地球防衛軍所属でしたか」
「ああ。彼に、護衛なんかいらないんだろうけど。一応、形式上ね」
 ウは笑って、ユウに飲み物を勧めた。
「その時、この家の前にあるサハラかそれに似た木の葉が散っていたことがあった。その時、なんともうれしそうな、いや、悲しそうでもあったかな、涙を流していた古代進を見たことがある」
「父はトナティカの自然に関心がありましたから。それに涙もろい人でした」
「学者やっていたんだったな、前のヤマトが沈んでからは」
「ええ」
 ユウはウ・イーバンのコップが空になったのに気づき、飲み物を注いだ。
「ありがとう」
 ウは微笑むと、ゆっくりコップを傾けた。
「さて」
 ウはウの言葉を待っているユウの目を覗き込んだ。
「今度は、なぜ、私がこの星にいるかを話そう。三年前、私は地球の艦に乗れなかった。と言うか、乗らなかった」
「乗らなかった?」
 ウは頷いた。
「古代進は、きっと、最後の一人まで待ってしまう男だろう。あの日、私や私の仲間は少し離れたところにいた。私たちがたどり着くまで待っていたら、いつまでも発進できず全滅してしまうかもしれない……で、我々は残りたいと最後の連絡をして、通信を切った」
 ユウはウの顔をじっとみつめた。
「何人か残ったのですか?」
「ああ。私を含めて4人」
 ウの目じりには深いしわが何本も寄っていた。
「残ることは怖かった。もう二度と、自分たち以外の地球人と会えないかもしれないと思っていたし。だから、この星で生きていくことを考えた。髪の毛さえ伸ばしてしまえば、地球人とトナティカ人は似ているからね。そこで私たちはボラーの連中に気づかれないよう、髪を伸ばし言葉を覚え、トナティカの人の中に入った」
 ウはもう一度ユウの目の前に右手を伸ばしてきた。
「生きていれば、なんとかなる……明日、トナティカに残った仲間を紹介しよう」
 ユウはウの右手を両手で握った。
「そうですね。私もあきらめたくない」
 二人のやり取りを側で聞いていたオウルフは、その様子をただ黙って見ていた。



(16)
 ジリジリ、ジリジリと闇夜に小さな音が響く。空を見上げれば星が瞬く暗い闇に、二人の人影が動いていた。
 カチカチ
 腰に吊り下げた小さな道具の重なり合う音が響く。
「いくのか」
「ああ」
 カチャン
 男が座り込むと腰の道具が激しくぶつかり合った。男は靴をしっかり履きなおした。
 さらさらさら
 風に揺れた葉がそのまま枝を離れ、風に乗って舞っていた。
「もうすぐ始まる……か」
 もう一人の男は手元に持っていたライトをつけあたりの様子を探り出した。
「言わずに行くつもりか」
 独り言のように話しながら、目標物を見つけると、男はすぐに明かりを消した。それを待っていたかのように、無言で座っていた男は立ち上がった。
 カチャリ
「あの男はお前にまかせる、『護りの賢者』よ」
 そういい終わると、さっきライトで照らされていた方向を目指して歩き出した。
 カチャ、カチャン
「自分の正体をユウに言っていないのだろう、『闘いの賢者』」
 カチャリ
 一瞬、男の腰で鳴っていた音が止まった。
「言う必要がなかっただけだ」
 カチャ、カチャ、カチャ
 ライトを手にしていたウ・イーバンは、音の聞こえる方をずっと眺めていた。やがて、音がほとんど聞こえなくなると、ウ・イーバンはすぐ近くにあった木の幹に手をかけた。
 さらさら
 葉が風に乗って散っていく。


「う、ううん」
 ウ・イーバンは丸くなって寝ているユウをしばらく眺めていた。
 ユウはうなされていた。ユウの指先に力が入っていく様を、ウは静かに見守った。
「お母さん……」
 ユウの言葉を聞いて、ウは一瞬ぴくりと体を反応させた。その後、ユウが起きないと判断したウは、ユウの傍らの毛布に体を滑り込ませた。
「『あきらめたくない』……か」
 ウは大きく息を吐くと、目を閉じた。



(17)
「どうしたんですか、涼子先生」
 白衣のポケットに手を突っ込んで歩く柳原涼子を見て、橘俊介は声をかけた。
「えっ、何が?」
 涼子は俊介の真意がわからず、立ち止まった。
 俊介は涼子の唇に人差し指を近づけた。
「いくらお化粧しない日はあっても、お手入れ、忘れすぎですよ。最近、唇がガサガサしてます」
 涼子は上下の唇をこすり合わせた。
「そうね」
「そうですよ」
 俊介は言葉を続けた。
「キスしていいですか?」
「えっ」
 涼子は一歩後ろに下がった。
「私はいつでもいいですよ。本気ですから」
 俊介はそう言って笑った。
「島のことが気になるなら、試してみませんか?」
「な、なにを」
「島とはどうしても合わない許せない部分があるのでしょう。好きなのに」
 涼子は口を固く閉ざした。
「だから試してみません?」
 涼子は俊介の笑顔を見続けることができず、下を向いた。
「少し…少し待って」
 涼子は自分の指の腹で唇をなでた。
「ちゃんと唇のケアしておくわ」
「待っています」
 顔を上げると、涼子の目の前に俊介の笑顔があった。
 「ヤマト、ワープの準備に入る……」という島次郎の声が館内放送で流れる。
「では、私は第一艦橋に戻ります」
 走っていく俊介の後姿を見ながら、涼子は微笑んだ。
(久々に胸がどきどきしたな)
 


(18)
「オウルフさん、行っちゃったんですか」
 驚くユウの言葉に、ウ・イーバンは「ああ」と小さく答えた。それでも、黙ってしまったユウを気にしてか、話は続けた。
「『森の歩き人』だからな。また、どこかで会うだろう」
「そうですね」
 舞い落ちる葉を目で追いながら、ユウは空を見上げた。そんなユウの姿を横目で見ながら、ウは舞う葉を追っかけているチャチャンに声をかけた。
「チャチャン、明日は西の森の奥へ移動すると、皆に伝えてきてくれないか」
 ユウはウの顔を見た。気づいたウは、小さくうなずいた。
「今日は、この近辺に広がっている仲間を集める。明日、なるべく早い時間に西の森へ移動する予定だ」
「西の森……」
 ユウがウの言葉を繰り返した。
「そう、あんたたちが来た方向はここから東だったから、更に奥へいくことになる」
「奥……」
 ウはユウの肩をバンと叩いた。
「心配するな。トナティカに残った私以外の地球人も集まってくる。古代進の息子だと知ったら、あいつらも喜ぶだろう」
 
 トナティカの太陽が真上に来る頃になると、サハラの木の側のウの住処に、たくさんの人が集まってきた。ユウはウ・イーバンの横にいて、人がウのところに来ると、紹介してもらっていた。
「おお、イーバン。地球人が一人増えたそうだな」
 チャチャンたちを手伝いつつ、昼食の用意をしていたところに、トナティカではない言葉をユウは耳にした。
「彼だ。彼は古代進の息子。ユウと呼んで欲しいそうだ。ユウ、こいつは、アルフレッド。で、こっちはシャフィーク。あと大木がいる。大木は日本人だが、少し遠くに行っていたので、今日中には来れないかもしれない」
 体の大きいアルフレッドが、ユウに手を伸ばしてきた。ユウは少し体を後退させた。
「日本人はハグは苦手だろう」
 そう言いながら、アルフレッドと呼ばれた男は半ば強引に、ユウの右手を握ってきた。
「すみません。ユウです。よろしくお願いします」
 その横で、アルフレッドをにらんでいる、髯の男がアルフレッドを小突いた。
「アルフレッド、早くどいてくれ。私はシャフィーク。古代進の息子だって? 古代進の息子は三年前に地球に帰ったんじゃないのか? なんでこの星にいる? どうやってここに来た?」
 アルフレッドもシャフィークも、久しぶりの地球人と会うことで、少々興奮気味のようであった。
「シャフィーク、そんなにいくつも質問しないで、この青年に回答の時間をあげたまえ。なあ、イーバン」
 アルフレッドは答えに窮しているユウの代弁をしたあと、ウ・イーバンに話を振った。
 ウはとりあえず、皆に一旦座るようにと声をかけ、落ち着いたところで、ユウに自分のことを話すように進めた。

「ヤマト……」
 アルフレッドは、とにかくそれ以上言葉にならない様子で、涙ぐんでいた。
「アルフレッドは地球の家族を心配しているんだ」
 そう言うシャフィークの黒い瞳もキラキラと輝いていた。
「シャフィーク……」
 アルフレッドはシャフィークに抱きつくと、声を出して泣いた。
「アルフレッドは泣き虫なんだ」
 子どもをあやすように、アルフレッドの背中をなでているシャフィークは、ユウにウィンクをした。
「アルフレッドだけじゃない、我々は皆、いつか地球に帰る日をずっと夢見ていた」
 ウはそう言って立ち上がった。次の客が来たようだった。しかし、ユウにはアルフレッドたちと座っているように合図し、一人入り口へ歩いていってしまった。
 ユウがしばらくシャフィークと話していると、アルフレッドも落ち着いた様で、急ににこにこした顔で、ユウに話しかけてきた。
「ユウ、今日は何の日か知っているか? クリスマス……地球では今日はクリスマスなんだ。メリークリスマス、ユウ」
 その言葉にユウが戸惑っていると、シャフィークが手を振った。だが、その動作と裏腹に、シャフィークは深いしわを浮かべながら笑っていた。
「アルフレッド、その話はもうやめてくれ。一ヶ月前からアルフレッドは毎日毎日、地球の時計を指差して、『あと何日でクリスマス』ってばかりさ」
 シャフィークの笑顔につられるように、ユウも笑った。
(クリスマスなんだ、もう)



(19)
 澪は一人食堂で、さめたカップを握っていた。
「残念だね。来年はユウとクリスマスを祝えるといいね」
 澪が声のする方を見上げると、南部ヤストの笑顔があった。澪は小さく「うん」と頷いた。
 時々、騒がしい声が聞こえる。クリスマスだというので騒いでいる輩たちだった。
 さきほどまで、皆が食堂でクリスマスを祝っていた。澪はその騒ぎを避けるように、人がいなくなってから食堂にやってきたのだった。
 炊事係たちが時折ふざけているが、忙しさで澪にかまっている暇はなく、厨房の中で片づけをしていた。そして、澪は一人、がらんとした食堂の隅のテーブルで紅茶を飲んでいた。
「紅茶……艦長好きだったよ、紅茶。そういえば、ユウも艦長に紅茶煎れてた」
「昔の話?」
 ヤストは顔を振った。
「いや。昔もだけど、ヤマトに乗ってからも紅茶を煎れていたよ」
 伏せがちだった澪は、ようやくヤストと目を合わせた。
「じゃ、艦長の紅茶係は」
「いない……」



「真田さん、世論がだんだん厳しくなっています。マスコミの押さえも限界です」
 対策室での会議で、今後の手立てを話し合っていた。だが、出てくる意見は悪い話ばかりだった。
「せめて、ヤマトからの連絡が入れば、新しい情報として、今の状態も少しは打破できるかと」
 真田志郎は皆の意見を聞きながら、唇を噛んでいた。
(古代……)



 進は遅くの艦長室の訪問者に驚きながらも、にこやかに迎えていた。
「紅茶? いただこう」
 ヤストが見守る中、澪が手際がいいとは言い難い手つきで紅茶を煎れはじめた。その様子を進は腕を組んで見ていた。
 そこに突然、ドアをノックする音がした。
「島です」
「入れ」
 気にする澪に笑顔で応え、進はドアに向かった。
「艦長」
 島次郎が飛び込むように艦長室に入ってきた。
「艦長、ガルマン・ガミラス側から、通信OKの連絡が入りました」
 進はその言葉を待っていたかのように、次郎に指示を出した。
「島、小ワープの用意を。なるべく早くワープした後、通信衛星を一機出せ。ワープ先は、今までの通信衛星が使えるところで、地球に早く連絡が取れるところを優先してくれ」
「了解」
 次郎が立ち去ったあと、澪が進の横に歩を進めてきた。
「艦長、紅茶を、どうぞ」
「ありがとう」
 進は笑顔で、澪の手の上の盆から紅茶のカップを受け取った。
「地球へのいいプレゼントになればいいですね」
 ヤストは、紅茶を一口口に含んだ途端に顔をしかめた進に声をかけた。
 艦長室に笑い声が、久々響いた。
第17話 傷ついた戦士たち おわり

 第18話 回想   





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SORAMIMI 

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