「想人」第七話 真赤なスカーフ

(1)

「その書類を配って、フェイ」

「どの書類ですか」

「『その書類』っていったら、あなたに一番近い書類よ」

 少しムッとした真里の言葉に、通信班長のリー・フェイは、ドキリとした。

「すみません」
 フェイは、書類を机から取ると、左右に立っているメインスタッフに手渡した。

 今日は、航海ルートの確認のため、メインスタッフは、中央作戦室に集まっていた。

「この不安定な銀河系中心部を通っての航海は、かなり危険度が高くなります。今回の航海は、オリオン腕を出た後、いて腕とペルセウス腕の隙き間を縫うように進んでいきます。下のスクリーンを見てください......」
 航海班長の島次郎が床のスクリーンに映るヤマトの航路を、棒を差しながら説明をしていた。

 ユウの耳には、次郎の言葉が一応届いていたが、別の言葉がずっと繰り返されていた。

『ボラーの捕虜は、残念ながら、昨夜死亡した......』

 今朝の会議で一番に出た進の言葉が、何度も何度も繰り返していた。

 進の言葉を聞いた瞬間、ユウは、橘俊介の方を見た。俊介は目が合ってもそらさず、逆にユウをじっと見つめ返した。ユウはその視線に耐えれなかった。

 昨晩、隙があったら、捕虜が付けていた生命維持装置のスイッチを止めてしまおうかと一瞬考えていた。そのユウの殺意を知っていたのではないだろうか。俊介も、涼子も。

『だから、昨日の夜、何も言ってくれなかった?』

 ユウは、第一艦橋に用がなくなると、急いで格納庫へ向かった。別に急ぎの理由が合ったわけでなく、ただ、俊介に何を言われるのかが恐かった。それ程、俊介の目は、何かを語りたがっていた。

 

「いやね、ゲンなんかかついじゃって」
 格納庫では、山県さおりが、他の機のスティックについている赤いスカーフを見て、笑っていた。

「うるさい。彼氏もいない奴にわかるかい。これがあると、絶対、生きて戻れるっていう御利益があるんだ」
 顔を明らめる隊員を囲んで、皆でひやかす。

 ユウは、何気なく話を聞き流そうとした。こうした些細な会話は、日常茶飯事。特に、最近は険悪だった以前と違い、言葉の掛け合いのようになっていた。けれども、今日はそこに、突っ込む気にはなれなかった。ユウの頭には、あのボラー兵の顔がちらつく。ユウは、自分の機コスモゼロに早く辿り着きたくて、足の運びを速くした。

「戦闘班長、何か聞いてないの?」
 話は、突然ユウに振られる。

「えっ?」

「だって、スカーフを送るモトになったのは、班長の御両親なんでしょ?」

『親父たち?』

 ユウは、女性の隊員の言葉に、足を止めた。

「戦闘隊長のお母さまが、宇宙に旅立つ恋人の安全を込めて送ったって、軍の中じゃ有名な話よ」

 ユウの目は、開かれたままだった。

『し、知らない......』

 ユウの足は、完全に動くことを忘れてしまった。

 

(2)

 澪は、反応が悪いユウを誘い出し、一緒に昼食を取りに食堂にやってきた。しかし、相変わらず、ユウの唇は閉ざされ、ただ、食べ物を口に入れる時にだけ開いていた。

『わかりやすい性格』

 それならと、澪はユウのトレーの肉の塊をそっと食べてやろうかと、フォークを伸ばした。

「いい?」
 その声で、澪は計画を中断した。二人の前にヤストが立っていた。

 ヤストは二人の返事を聞く前に、二人の前の席に座った。ユウは、ヤストを無視して、ひたすら食べ続けていた。

「なんか御不満?戦闘班長」
 ヤストの言葉に、ユウは、ますますモグモグそしゃくをした。 

「そんな顔をすんな」
 ヤストは、ユウの頭を小突いた。
「何があったんだい」

「戦闘班長の事、よくわかるのね」
 澪は、ドリンクのストローに口を付けた。

「そりゃあね、赤んぼの頃から一緒だからね」
 ヤストは、ニコリと笑い、パンを一口ほうばった。

「親父は、ユウの誕生に合わせて、おふくろと結婚して、俺を作ったんだぜ」

「どうして?」
 澪は、ストローから口をはずし、ヤストとユウの顔を見比べた。

「親父が、異性同志だったら、結婚させて、同性同志だったら、無二の親友にしたかったらしい」

「へー」
 澪がユウの反応を見ようと目線だけユウに向けた。しかし、ユウは、すでに別の所を見ていた。

「彼女が来たのか」
 ヤストは、顔を上げず呟いた。澪は、ユウの視線の方へ目をやった。

 ユウの視線の先には、ユウを見つけて嬉しそうな顔をしている、葵の笑顔があった。
 葵は、脇に書類をかかえて、トレーを危なっかしく支えていた。少し早めに歩み寄ってくる葵を見ながら、ユウは、ハラハラしながら彼女の姿を見つめていた。

 ガガガチャー......

 葵の姿が急にストンと抜けたようにユウの視線から消えた。

「ああ、ああ、なんか危ないなあって思ってたら......」
 葵は、数メートル手前で転んでいた。

 ユウは、葵のもとにかけていったが、ヤストと澪は、少々呆れて、席を立とうともしなかった。葵とユウの方をむいていた澪は、葵が転んだあたりに座っていた女性が立ち上がって立ち去っていく様を見た。

『やな奴』

 澪は、頭を振ると、食べることに専念しようと体を自分のトレーの方に向けた。一口口に入れ、顔を上げると、ヤストと目があった。澪は、どきりとした。ヤストの目......無機物なモノを見るかのような冷たい目......。

「お邪魔虫になりそうね」
 澪は、さり気なく、次の一口を口に放り込んだ。

「そうだね、急いで食べて、ふけよっか」
 その声に、澪が顔をあげると、ヤストは、いつものヤストだった。ウィンクをして、笑顔で.....

 

「すみません。私のミスで」
 持っていた書類を気にしながら、落ちた食器を片付けるユウに小さな声で葵は謝った。

「いいよ、それに、葵さん絶対なンかしそうだって思いながら見てたから」
 書類の確認が終り、顔を上げた葵は、話していたユウと目があった。葵の顔は赤くなり、サラッと落ちた髪が、その赤い顔を隠した。

「ホントにドジで、ごめんなさい」
 今にも消えそうな葵の声を聞いて、ユウはなんとか励まさねばと頭を巡らせた。

 ウィーンウィーンウィーン...... 

 音に反応して、ユウが顔を上げた。

「技師長!」
 ユウは、葵の腕を掴んで立ち上がった。
「行かなきゃ」

 その言葉に、葵も頷いた。

 

(3) 

「地球の艦の様です。識別信号も出してます。このあたりで遭難した艦があるかどうかチェック中です」
 桜内真里が、データを読み上げる。

 頭上のビデオパネルには、複雑な宇宙図と、一箇所の点滅が描かれていた。先程、レーダーに引っ掛かった一隻の戦艦の位置を示していた。

「三年前、へび座の球状星団方面から地球に向かって帰還中、消息を断った戦艦ヒュペリオンだと思われます」

「他に何か信号は?」
 進の言葉に、通信班長のフェイは、何も答えない。フェイは、通信室が解明した、いくつかの信号をヘッドフォンで聞いていた。

「フェイ?」

 進の呼び掛けに、フェイは慌てて手元のスイッチの切り替えた。突然、第一艦橋のメインスピーカーから普段聞き慣れない音が流れ出した。

ツツツーツ ツツーツー ツ ツツ ツツツーツ ツツーツ......

 何度も同じ調べを繰り返す音がザーザーという音と共に微かに響く。フェイはひと呼吸置くと、スイッチを切った。

「す、すみません。スイッチの操作ミスです。遭難用識別信号の他に、きちんと聞き取れる信号は今のモノだけです」

「三年も前に遭難した艦です。もう、乗組員たちは全員死亡しているでしょう」
 桜内真理が何も答えない進に代わって答えた。

「それでも、行方不明の艦です。確認の調査だけは、必要なのではないですか」
 ユウが振り向き、進を見た。

 進は、目を閉じ、考えていた。

「あの、艦長」
 ヘッドフォンをはずして、フェイが立ち上がった。

「私に調査させてくださいませんか」

 その言葉に進は目を開けた。

「もしかしたら、ボラーの罠かもしれないんだぞ」
 次郎は、進がどうして決断を渋らせているか、わからない。

「でしたら、私一人だけで。よろしくお願いします。艦長」
 フェイは、深々と頭を下げた。

「艦長、通信班長の護衛で私もついていきます。ボラーの艦隊が見張っている可能性が高いですが、我々を囮として、あぶり出しもできます」
 ユウは立ち上がって、進の方に体を向けた。

「無茶だ。通り過ぎれば、こっちは、攻撃されずに済むのに」
 次郎は、あまりにも無茶なユウの提案に賛同しかねた。

 進が口を開いた。

「いいだろう、我々には、遭難した艦の調査の義務がある」 

「艦長!」
 次郎は、不服だった。

「通信班長、戦闘班長とアナライザーを連れて、ヒュペリオンの生存者確認を調査しろ。そのかわり、生存者がいないと確認したら、すぐ帰艦しなさい」

「はい」

 ユウとフェイの声が重なり、第一艦橋に響いた。

 

(4)

 ユウとフェイは、探査艇に乗って、真っ暗な世界に飛び出した。

 アナライザーの体がチカチカと煌めく。ヤマトからのデータを、ナビゲーター席のアナライザーが、レーダー用に書き換えていた。ユウは、そのレーダーの示す方向に機体を向けていた。

「あれだ」
 ユウは、声に出すつもりではなかったが、言葉にした。その言葉に反応して、フェイが動いたような気がした。ヘルメットをかぶっていたので、そんな細かいことまでわからないはずなのに、ユウは、なぜかそんな気がした。

 ユウは、見慣れない艦の周りをゆっくり飛び、探査艇を寄せる場所を探した。

「右舷後方に接舷します」
 ユウは、一つずつ言葉にした。

 機体がガシンと小さく揺れた。機体は、目標の場所に辿り着くことができた。機体から触手の様なモノが艦底に伸びて行き、探査艇を固定した。

「アナライザー」
 ユウは、アナライザーにヒュぺリオンかどうかの確認を促した。

 アナライザーの体が光る。ユウは、ヘルメット具合を再度確かめた。

「フェイ」
 ユウは、声をかけた。

「フェイ、後部の緊急時の入り口から入るよ。船外活動の前の宇宙服の確認、お願いします」

 こうした時は、声を出し合って確認をする......ユウは、訓練学校の教官から厳しく言われた事を、実践した。

「わかりました」

 ヤマトを出てから初めて、フェイの声を聞いた。妙に丁寧な、しかし、考えて見ると、フェイの言葉は、いつも丁寧な言葉使いだったような気がした。同期の間で会話する時もそうだった。それが、妙によそよそしく感じられるのか、フェイは、ひとりでいることが多かった。

「ブンセキカンリョウ。コノフネハ、90ぱーせんとノカクリツデ、ひゅぺりおんとハンメイ。タダシ、こんんぴゅーたナド、ひゅぺりおんノしすてむガノコッテイルカハフメイ。イマノトコロ、セイゾンシャノカクニンデキズ」

『船内に入らないとわからないか......』

 ユウは、ちらりと、第一艦橋でのフェイの姿を思い出した。

「私に調査をさせてくださいませんか」

 

「ヒュペリオンへは、私とアナライザーで行くわ」

「俺も行くよ。護衛なんだから、君の」

「でも、危ないわ。内部は、どうなっているかわからないのよ」

 ユウはそれ以上答えず、探査艇の入り口を開ける準備をしだした。

(5)

「じゃ、行こうか」

 ユウはドアを開け、先にアナライザーを船外に出した。船外は、飛遊物がいつ飛んでくるかわからない。人は、最低限だけしか船外に出るべきではない。こういう時、アナライザーの本来の力が発揮される。

 アナライザーは、外壁の一部に手を近づけた。その手の先端は、ドライバーのようにとがっていた。アナライザーの手が鍵のように小さな穴に吸い込まれていくと、まるで魔法にかかったように、上下左右にとドアが開いていった。

「なんとか、中に入れそうだね」
 ユウは、フェイに船外に出るように促した。

 

 ヒュペリオンの中は、真っ暗であった。エネルギーは、ほとんど使い切っていて、最後に残されたわずかなエネルギーは、最優先のSOSの信号発信用だけのようだった。

 アナライザーの目がライト代わりに光る。ユウは手もとの簡易探査器に映る、ヘルメットの外の大気成分を見た。もう、人が生きることができるほどの酸素はない。気温もあまりにも低過ぎる。生きている人がいるとは考えられない。

『とりあえず......』
 ユウの足の方向は決っていた。---通信室へ......

 フェイは、迷いなしに進むユウに、少し動揺した。

「どうして?こんな状況では、生存者はゼロだわ」

「第一艦橋で流れてしまった通信、モールス信号だよね」
 ユウが答えると、フェイは驚いた。

「じゃあ、あなたは、あの信号が何を示していたのか知っていたの?」

「うん。でもそれは、艦長も一緒だよ。モールス信号は、艦長から昔教わったから」

「そうだったの......」
 いつも明瞭なフェイの言葉がフェイドアウトしていく。

「発信した人に会いたいんだろ」

 フェイは、深く頷いた。

「さあ、急ごう」

 ユウたちの足は、速くなっていった。

 

(6)

「ヤマトを捕らえました。どうしましょうか」

 レーダーに映る艦影をコンピュータは、『宇宙戦艦ヤマト』と判断していた。

「スヴァンホルム司令からの命令どうり、直ちにヤマトに攻撃をかける。幸いヤマトは、こちらに気付いていないようだ。ここから撃てば、回避運動も間に合わないだろう」

「わかりました。すぐに主砲発射します」

 少し、あごにひげが生えた艦長は、報告を受けると満足げにうなづいた。

「あのヤマトに出会えるとは......何と運がいいのだ」

 ヤマトといえば、叔父の所属していた艦隊を一隻で全滅させたという話を父から聞いた事があった。ボラー連邦の艦隊の威厳が落ちては、と密かに語られて広まっていた。父は口惜しがっていた。叔父の艦隊は、事故によって全滅したと公表されていたからだった。

「撃て」 

 大きな光の筋が一直線に走っていく。その先に、光が広がっていった。

 艦内には、歓声が響いた。

「どうだ、レーダーには、映っているか」
 艦長は、少し得意げに、オーバーアクション気味にレーダー手を振り返った。

「艦長、何も映っておりません」
 レーダー手は、大きな声で叫んだ。

『ヤマトを撃沈できたのか......』
 安心するわけにはいけない。相手は、あの宇宙戦艦ヤマトなのだ。

 

(7) 

「戦闘班長、この通路の真上が通信室です」

 ヒュペリオンの艦内図と、現在進んだ位置を確認したフェイの言葉に従って、アナライザーが腕を伸ばし、何とか上の階へ行けないか探り始めた。

「そういえば、フェイの言葉って、いつも丁寧だよね」

 アナライザーの動きを見つめていたフェイは、ユウの言葉に顔を赤らめた。
「いえ、そんなこと......」

「実は、数年間地球外に住んでいたから、俺も少し、日本語を習ったんだ」

「そうだったの。私は、主に母から教わりました。父が日本人だから、あなたは、日本語を話せるようになりなさいと、いつも言われてました。でも、感覚的に少し、理解できない時があって、自信ないの。母は、もともと中国育ちだったし、小さい頃は、中国人の祖父母に育ててもらっていたから」

「大丈夫だよ。フェイの言葉は、分かりやすいよ」

「ありがとう。そう言ってくれたのは、ユウ、あなたがはじめてよ」

 アナライザーは、少しずつずれて、何とか簡単に解体できる所を探し続けていた。

「時間がかかるな。エレベーターのところから、上に行こう。このままだと時間が無駄になる」

「アナライザー」
 ユウは、作業中のアナライザーに声をかけた。

 

「ここからのぼるか」

 ユウ達は、エレベーターのドアをこじ開け、アナライザーの伸ばした腕を頼りに上の階層に飛び上がった。

 先に上ったユウは、あたりを見渡した。周りは真っ暗だが、ヘルメットのガラス部分は、赤外線スコープになっているので、不自由はしない。動く物が見当たらないと確認できると、再び下に身を乗り出し、フェイを手招きした。

「手を伸ばして、フェイ」
 フェイは、上から伸びてきたユウの手に助けられながら、何とか上がることができた。

 アナライザーがするするとワイヤー部分をを縮め、重い体を簡単にユウたちの足元に移動させた。ユウとフェイは、ホッとし、顔を見合わせた。

 

(8)

<もう一度、ヤマトの撃沈を確認しろ>
 ひげの男がそう命令を出そうとした時だった。

「艦長、2時の方向から、強力なエネルギーが。逃げることができません......」

 レーダーの画像には、糸のような細い光の筋がきれいに、先ほど主砲を発射した艦に伸びてきていた。あっという間に赤い艦(ふね)は、細い光の筋に飲み込まれていった。

 

「ボラーと思われる敵艦隊に命中しました」
 レーダーの様子を見ていた橘俊介が、消えていく点滅を、レーダーのレンジを広げたり狭めたりして、確認していた

「艦長、もう一回、主砲を撃ちましょうか」
 ヤストが少し興奮気味になって振り向いた。

「いや、今はいい。それよりも、残存の艦が辺りにいないか確認しろ。旗艦が沈んでいれば、残った艦隊は、引き上げていくだろう。しかし、ヒュペリオンを盾にする可能性もある」

 進の言葉に、俊介と桜内真理が、レーダーの画面を何度も確認し始めた。

「工場長のおもちゃに、こんな簡単に引っかかると思わなかったな」
 次郎は、振り返って葵の方を見た。

「いえ、これは、真田所長が昔造った、ミニチュアの偽ヤマトを、もう少し見栄えをよくしただけなんですよ」

「それでも、相手を完璧にだませたじゃあないか、上出来だよ」
 ボラーの艦からの主砲が発射されたのを合図に、それまで止まっていたヤマトのエンジンを、テキパキと始動させ徳川太助が、腕まくりした袖を下ろしながら、笑っていた。

 囮のミニチュア・ヤマトを狙った光の道筋は、ボラーの艦隊の居場所を明確に印した。エンジンを止め、浮遊物のように漂っていたヤマトは、急速にエンジンを始動させ、主砲の標準をボラー艦隊に向けることができたのである。

 

「艦長、9時の方向に2艦確認」

 第一艦橋に再び緊張した空気が漂った。9時の方向には、ユウたちが乗り込んだ戦艦ヒュペリオンがあった。 

 

(9)

 ピ・ピー、ピ・ピー......

 ユウの腰につけられた通信機が突然鳴る。ヤマトから通信が入った。

「戦闘班長、敵艦隊の残存艦がヒュペリオンの側にいます。直ちにヤマトに帰還してください」 

「了解、ヒュペリオン通信室で、通信の発信源を確認次第帰還します」
 ユウは、その通信を聞くと、プチリとスイッチを切った。

「セントウハンチョウ、やまとカラノキカンメイレイヲムシシテハ、イケナイデス」
 アナライザーが叫ぶと、ユウは、アナライザーを睨んだ。

「アナライザー、あと少しで通信室なんだ。ここで引き返したら、来た意味がない」

「シカシ......」

「行きたくなければ、探査艇に戻れ」

 そのとき、アナライザーの体がチカチカと光りだした。

「アブナイ」

 アナライザーがユウたちの前に立ちはだかった。アナライザーの体に向かって、複数の光が走り、アナライザーの体のあちこちから煙が出始めた。

「なんだ?」

 アナライザーが、最後の力を振り絞るように辺りを照らした。人の形をした影が動く。

『誰だ?』

 ユウは、思うよりも先に、腰の銃を発射していた。

 ガタッ

 音がして、一発は当たったと確認できた。

 フェイも銃を構えた。アナライザーのライトが、倒れたあたりを照らす。

『まさか......』

 倒れていたのは、地球防衛軍の宇宙服を来た『ヒト』型であった。

「ナカミハ、......キカイ...デ...ス」

 アナライザーの言葉は、途切れ途切れになっていった。そして、ユウの体に抱きついた。パシッパシッとアナライザーに衝撃が走る。

「アナライザー!」

「ダイジョウ...ブ...デス。ハヤク...ワタア...シハ、コ...コ...デ...」

 ユウを離すと、アナライザーの光が消え、沈黙した。

『アナライザー......』

 再生可能な故障であることを祈りつつ、ユウとフェイは、その場を離れた。

 

(10)

「森戦闘班長に通信切られました」
 フェイの代わりに副通信班長が第一艦橋に上がっていた。

「どうしましょうか」

 進は、表情を変えずに聞いていたが、がたんと、立ち上がった。

「今から、残った2艦を攻撃する。ヒュペリオンが9時の方向にあるため、この位置からでは、ヤマトは攻撃できない。次郎、ヒュペリオンの正面にヤマトを移動させろ。敵にわざとヤマト気づかせるように。澪にコスモタイガー隊を出すように命令を送れ。別ルートで近づき、敵艦に奇襲をかけろと伝えろ」

 

「チクショー、やっぱり、待ち伏せか」
 ユウは、攻撃してきた敵が地球人の形をしていたことより、アナライザーを撃ったことに腹を立てた。

「ユウ、慎重になりましょう。相手は、私たちが通信室に向かっていることを知っています。あのモールス信号もきっと、罠に違いないです」

「いや、何も知らない人が、あの信号を送るはずないよ」

「そうですが......」

 ユウは、そっと通路を窺った。

 パシッパシッパシッ

 ユウの銃からの光の先に、鈍い音がした。

「まるで、ゾンビだな」
 相変わらずユウは、通路に集中していた。

「でも、動きは、単純です。簡単な反応に対して、動いているよう」

 その言葉を聞くと、ユウは、近くに落ちていた破片を拾い、通路に投げた。

 カンカンカカカカ......

 その音に反応してか、何かが動き出した。

「フェイ、ナイス勘」
 パシッパシッパシッパシッ

 その後、何回か同じことを繰る返したが、ヒト型のロボットは出てこなかった。

「行こう。通信室へ」
 ユウの言葉に、フェイも頷いた。

 

(11)

「艦長は優しい人ですね」
 後ろを歩くファイの声がヘルメットの耳の部分から聞こえた。

 ユウは、行く手にモノを投げては、周りの反応を気にしていたが、その動きを止めた。

「優しくないさ。俺なんか、ヤマトに来て、殴られるは、怒鳴られるはで、散々さ。子どもの頃は、優しい親父だったのになあ」

「どのように呼んでいたのですか?やっぱり、お父さん?」

「お父さん......」
 ユウは、何年も口に出してない言葉を呟いた。ユウは、また、歩き出した。

「くくく.....いいですね。ユウと艦長、いろいろ思い出があるのでしょう、きっと」

『思い出......』
 確かに、ヤマトに乗る前の三年間以外は、ほとんど毎日の様に進と一緒にいた。ユウの思い出のほとんどに、父、進の存在があった。

「私は、父を知らない。父が日本人だってことだけしか知らない。ただ一度、父からヒュペリオンの航海の前に、<会わないか>っていう連絡がありました。けれど、私は、母の前で、会いたいって言えなかった。母は、本当に一所懸命に仕事をして、私を育ててくれたから」

 フェイの話を聞きながら、ユウは今度は少し遠くに投げた。

「ヒュペリオンが遭難したと地球に知らせが来てから、母は、ずっと泣いていました。それから、母は、現実と夢との境がわからなくなっていきました。母は......」

「あぶない」
 小さい物音を聞いたユウは、フェイの体をわきに押し退けた。

 銃の音が行き交い、目の前が明るくなる度、防衛軍の宇宙服が浮かびあがり、すぐに暗闇に消えていった。

「フェイ、大丈夫?今、攻撃をかけてきたロボット達は、全部片付いたよ。フェイ?」

 ユウは、不安になった。フェイからの返事がない。

「フェイ?」

「大丈夫よ、戦闘班長。少しお手柔らかにね」

 フェイは、腰のあたりをさすっていた。ユウに押されて、壁に激しくぶつかったらしい。

「さすがね。私、少し油断してたわ。おしゃべりは、ダメね」

 ユウは、首を振った。

「君がこの艦に来たかった理由、少しわかったよ」

「きっと、艦長も、このことを知っていたと思う。母から、昔上司だったあなたのお母さまや、父の上司だった艦長の事を、何度も聞いたことがあります」

 ユウは、驚いた。

「母が、スカーフの事を嬉しそうな顔で教えてくれました」

「もしかして、赤いスカーフ?」

「そう」

 ユウは、少しうつむいた。

「知らないんだ。赤いスカーフの話」

 

(12)

「ボラーの主力戦艦1隻、駆逐艦1隻、ヒュペリオンから遠ざかっています」

「艦長、彼らを追撃します」
 次郎が叫ぶ。

「次郎、追うな」

「しかし、艦長。傷付いた獣ほど危ないモノはないです。彼らが距離を取ってヒュペリオンを撃つことも考えられます」

「だからだ、次郎。追い詰めるな」

 次郎は、少し不満が残った。

「コスモタイガー隊隊長の澪を呼び出せ」

 ヤマトに乗ってから、進の考えが読めない。

 

「それどころか、何も話してもらってないんだ。父や母がヤマトに乗っていた頃の話を......」
 ユウは、持っていた銃をぎゅっと握り締めた。

「あっ」

 フェイの目は、新しく視界に入ってきたドアに、釘付けになった。ユウもそのフェイの様子に気づいた。

『ここだ......』

 二人は、息を潜めた。その必要がないとしても、物音をたてぬように細心の注意を払った。フェイは頷き、持っていた小さな塊を部屋に投げ入れた。斜めに開いていたドアの向こうからは、何も聞こえてこなかった。

 ユウは、壊れているドアに、体を添わせ、少しずつ体を部屋の中に滑り込ませた。その動きに合わせ、フェイも、同じように、ドアから中を覗き始めた。

 ユウとフェイの視線が一つのところで止まった。通信機器の前に、誰かが突っ伏しているような影......

「お父さん!」

「フェイ!」

 フェイの動きにユウが反応した。ユウは、フェイの体を捕まえようと手を前に出したが、空を切るばかりだった。

「フェイ!待って」

 勢いよく踏み切ったおかげで、ユウはフェイを取り押さえることができた。しかし、二人の体は勢い余って、部屋の隅へ流されてしまった。

「だめだ、フェイ。何か仕掛けがあるかもしれない。安易に近づいちゃ」
 フェイの腕をつかんだまま、ユウは体を起こした。

「だって、お父さんが......あれはきっと、お父さんだから......」
 フェイの頬に涙が流れた。小さい子どもが泣くように、フェイは泣きじゃくっていた。

「待って、確認するから」 

 ユウは、通信機に突っ伏している人物と通信機の間をゆっくり確認した。

 

(13)

『だめだ......』

 この事実を、どう伝えようか。

「ダメでしたか?」
 フェイの意外な程、冷静な声が聞こえてきた。フェイは、すぐ近くにいた。

「やっぱり、ダメでしたか......」
 何も答えないユウを見て、フェイは呟いた。

「ごめん、何か間に入っているものが見えるんだ。アナライザーがいたら、もっときちんとわかるのに」
 フェイのヘルメットが下を向く。

「いいんです。一つだけ......この人....私の父なのかもしれない人の、最後に送った通信が<フェイ>って言葉だってことは、確かなんですから」

「そうだね」

 第一艦橋でモールス信号の音を聞いた時、昔、進との暗号解きのゲームをしながら、モールス信号を覚えたことを思い出した。
短い音と長い音の組み合わせをアルファベットに当てはめていく。<フェイ>という言葉が頭の中で自然にできあがっていた。

 その言葉が浮かんだ時、ユウは、この通信の意味がわからなかった。でも、進は違っていた。ヒュペリオンがフェイの父親が乗っていた艦だと知っていた。だから......

 ユウは、銃をホルダーに戻した。顔を上げる瞬間、ユウは驚いた。

「フェイ!」
 まっすぐ自分を見ているユウが何を言いたいのか、最初はわからなかった。ユウの手がフェイの体を揺さぶった。

「フェイ、あの人の手首」
 ユウは、指を差した。

 フェイは、ヘルメットの上から口元へ手を持っていった。

『真っ赤なスカーフ......』
 通信機の上に突っ伏した格好の男の右手首に、赤いスカーフが巻かれていた。地上勤務の女性が付けている赤いスカーフ......

 フェイの目が輝いていた。
「病院にいた母がいつも言っていました。父に赤いスカーフを渡したと」

 

(14)

「何してるの?」

 赤いスカーフを見ていた二人のヘルメットから、半分怒っている声が響いてきた。振り返ると、澪がアナライザーと共に、ドアの外に立っていた。

「み、澪。それにアナライザーが動いてる」
 ユウは目を丸くした。

「一度、リセットボタンを押して、強制的に再起動かけると、最小限の機能だけ復帰できるのも確認してないなんて」
 かろうじて、アナライザーは、動くようになっていたが、動きはぎこちない。

「ごめんなさい。彼だけが悪いわけじゃないの。私も、すっかり忘れていたから」
 澪が怒っているのは、それだけではなさそうだった。澪の目は、ずっとユウを睨んでいた。

「さあ、行くわよ。ここは、いつ、攻撃対象になるかわかんないんだから」

「確認したいんだ。今のアナライザーにできないかもしれないけど」

「何考えてるのよ。今、外がどんな状況か、わかってないのね。この艦に当たらないように、ヤマトが体はって守ってくれているんだから。アナライザーだって、最低限しか、動くことしかできないわよ」

「わかった。フェイ、ヤマトに帰還しよう」
 ユウは、フェイに同意を求めた。フェイは、目を伏せた。

 三人は、来た道を急いで戻った。しかし、出口の手前で、フェイの足がぱたりと止まった。

「フェイ?」

「ごめんなさい、やっぱり、私.....」

「フェイ......」

「スカーフを取ってくるだけ。大丈夫、それ以上しないから」

 ファイは、くるりと方向を変えて、走り出した。

「いいの?」
 澪は、見送るユウの後ろに立っていた。

「戻ってくるよ。きっと」

 

(15)

 ユウは、コスモゼロに乗り、いつでも、発進できる準備をした。そこで、ヒュペリオンの外で行なわれている戦闘を目にした。まるで花火のように光りがチラチラと輝く。輝きが一つ光る度、ヤマトかボラーのどちらかに、砲弾が当たっている。歯がゆいが、今は、フェイを信じて待つしかない。

「ユウ、私はヤマトへ向かうわ。早くここから離れなさいよ」
 澪の機体が動き出した。ユウは、ヒュペリオンにポッカリ開いた穴を見つめ続けた。

 

「お父さん」
 フェイは、そっと近づいた。体を持ち上げれば、顔を見ることができるかもしれない。だが、起爆装置が起動して、いつ爆破するかわからないだろう。

「お父さん......」

 

「戦闘班長、いい加減、発進しなさい」 
ヘルメットから澪の声が響く。

『フェイ......』
 もう、フェイは来ないのかもしれない......

 

「ユウ、ありがとう」
 ヘルメットのスピーカーから聞こえるフェイの声。ユウは、ヒュペリオンの側面に目を向けた。

「フェイ?」
 ヒュペリオンの穴からフェイの体が現れた。その瞬間、光の筋が近づいてきた。遠くから見ていると、それは、まるで糸のようにしか見えなかったのに、光の束が一気にやってくるようだった。

「フェイ!!」

 光の束は、ヒュペリオンの前方に当たった。ユウたちは、直接被害を被ることはなかったが、その光で、周りが見えなくなり、ヒュペリオンの艦体が大きく揺れた。ヒュペリオンから出てきたばかりのフェイの体は、一瞬のうちに、ユウの視界から暗い闇の世界へ消えていってしまった。

「フェーイ!」

 

(16)

フェイ

 ユウは、大きな声で叫んだ。でも、声は帰ってこない。

「フェイ......」
 もう、時間がない。ここに留まっていれば、ヤマトはかばって被弾し続け、多くの乗組員が死んでいくだろう。

「...ヤク......」

 後ろの席のアナライザーの小さな声が聞こえたような気がした。

「ハヤク、ハヤク......」

 いつものアナライザーとは違うのでユウは、何を言っているかわからない。よく見ると、アナライザーの片手はなく、腕の付け根から闇に向って、一本のワイヤーが伸びていた。

「ヒッパレ、ハヤク」

 ユウは、その言葉通り引っ張った。 

「フェイ」

 アナライザーの伸びた腕を引っ張ると、フェイの体が暗闇から浮き出てきた。アナライザーはしっかり、フェイの左手首をつかんでいた。

 フェイの右手には、何かが握られていた。

『真っ赤なスカーフ......』

「大丈夫ですよ。私は」
 フェイの笑顔を確認すると、ユウは、通信をONにした。

「こちら、森です。ヒュペリオンから離れます」

 

(17) 

「結局、彼らは、逃げていきましたね」
 レーダーを見ていた俊介が呟いた。

『逃げる事ができるように、わざと退路を確保してやるなんて』

 次郎は、艦長室へ上っていく進を見た。

「航海班長、ヤマトの航海は、いつも、ギリギリだった。窮地に立たされて、いつも必死で乗り越えてきた。その結果、勝つだけでなく、相手を滅ぼしてしまうこともあった......わかるかい?」
 徳川太助が、次郎に話しかけた。

『ヤマトがいつも傷付いた獣だったから......か』

 次郎は席に戻り、艦の方向が予定された航路に戻るよう、操艦し始めた。

 

 ヤマトに戻ったユウとフェイは、艦長室へ呼ばれた。 

「ヒュペリオンでの生存者の確認できませんでした」

 フェイの報告の後、進は、ユウに細かい報告を促した。

「モールス信号発信者は、特定できませんでした。ヒュペリオン内の様子から、この艦は、白兵戦で戦い、乗組員は全滅したものと思われます。艦内には、ボラーが置いていった、数体の地球人の形をしたロボットと遭遇しました。ボラー連邦は、ヒュペリオンから、様々なデータや艦の構造を調査していった可能性があります......」

 ユウの報告が終ると、フェイが一歩前に進み出た。

「ありがとうございます。艦長」
 深々と、それもなかなか顔を上げないフェイの姿を、ユウは見ていた。
 フェイの体が小刻みに震えていた。

 進も、フェイの様子に気づいたようである。フェイに近づき、肩をそっと起こした。その後、ユウをちらりと見ると、進は、また、窓際の方へ歩いていった。

「リー通信班長、森戦闘班長、帰還命令を無視したのは、放っておくことができない。罰として、今から艦内のトイレ掃除 を命ずる。以上」

「はい」
 ユウは多少不服だったが、フェイの横顔を見て、ぐっとこらえた。 フェイの目には、今にも流れ落ちんばかり、涙がたまっていた。

 

「あ〜あ、なんちゅう罰を考えるんだ、あのクソ親父は」
 ユウの作業は、大雑把になっていった。

「戦闘班長、さっきの便器、まだ、きれいになってませんよ。ちゃんとやってくださいね」

「はいはい」

 ユウの言葉にフェイがクスクスと笑い出した。ユウは、膨れた。

「こうしていると、いろいろ考える時間があって、自分の考えがまとまります」

 ユウは、フェイの顔を見た。

「これを使ってみて、ユウ。少しは、楽よ」
 フェイは、トイレ用モップを差し出した。

 その時、ユウは、フェイのゴム手袋の下に、赤いスカーフが幾重にも腕に巻かれているのに気がついた。フェイも、ユウの視線を感じたのか、赤いスカーフがついている腕を振った。

「そう言えば、真っ赤なスカーフの話、途中でしたね」
 

(15)

「ちゃんとやってね、古代君」
 昨日から、何度も何度も同じことを言われて、進は、少しムッとしていた。

「みんなから頼まれたでしょ」

 ここで何か口をはさむと、雪の機嫌が最悪になる。進は、溜め息をついた。できるなら、やりたくない......

「雪先輩!」

 先にエアポートに来ていたのは、雪の後輩と、今回進とパトロール艇に乗る、旧ヤマト乗組員の男。二人の姿を見て、進は、雪の方を見た。雪が睨み返してきた。しかし、進は、完全に気乗りではなかった。

 今回の休暇で酒を飲む度、雪の後輩と、目の前に立っている男の話で皆、けんけんがくがくだった。
 最後には、『この役ができるのは、おまえだけだ』と島大介が何度も繰り返した。 

「案内します。古代艇長」
 雪より一つ年下の、まだまだあどけない少女のような笑顔。雪は、進の腕を取った。

「いきましょ、古代君」

 『始まった』......進の憂鬱が始まった。

「ここの紅茶、どうですか」
 カップに口をつけようとした進に、声がかかる。となりの雪が、必要以上にくっついている。進は、頭が痛くなってきた。

「そうだね。いい香りだ......」
 それ以上、言葉が思いつかない。口を付けて、一口飲んでも、味がわからないほど、進の頭の中は、どう切り出すかで一杯だった。

「古代君」
 雪の言葉がきつくなった。

『みんな、よってたかって......。そんなこと、俺が言い出せると思っているのか』
 雪の過激な接近が、進の迷いををせっついた。

『早く言ってよ、古代君。不倫なんてするもんじゃないって、意見が合ったでしょ』
 雪が進の肩に顔をすり寄せた。

「いいなぁ、公然のカップルは」
 フッとつぶやきが聞こえた。

「でも、いいもん」
 小さな声で言うと、雪のかわいい同僚は、グラスの中の氷をストローで突いた。

 進は、時計をわざと見た。

「さっ、そろそろ時間だ」

 

(16) 

 ゲートの入り口は、見送りの人たちも多かった。濃厚に別れを惜しんでいるカップルもいた。雪も進も少し気後れした。それでも、雪は、進に顔を寄せた。雪は、進の耳もとで囁いた。

「結局、言えないんだ」

 ムッとした進は、雪の耳もとに口を近づけた。その時、すぐ側に立っている二人が視線に入った。目の前の二人は、人目を気にしてか、手もつなぐことができないようだった。

「航海中、なんとかする」

 

 そして、本当に時間がやってきて、進たちは、ゲートの中へ向かって歩き出した。

「待って」
 ゲートに入って行く進の横の男に走り寄って来る影があった。

「こ、これ、私だと思って」
 首からはずしたスカーフを、そっとその男に渡した。

「待ってるね」

 間近で見た進は、何も言えなかった。昨日の、皆の勝手な打ち合せでは、きちんと二人に、『不倫は良くないから、別れなさい』と言うべきだと言われたが、進は、結局何も言えなかった。

 

「いけない、これから仕事だった」
 雪と二人見送った少女は、胸元を押さえた。雪は、そっと、自分のスカーフをはずした。

「これ、使いなさい」

「ありがとうございます」

 雪は、そのニッコリ微笑んだ笑顔に、それ以上何も言えなかった。

『古代君に文句言えないか......』 

 

「その後、スカーフがない、ユウのお母さまが、皆に冷やかされてしまったそうです。いつの間にか、その時の事が、真っ赤なスカーフのおまじないになっていったみたいです」

 フェイの視線は、腕のスカーフに注がれていた。

「でも、このおまじない、私には効いたみたいですね」

 フェイがニコリと笑った。ユウは笑顔につられて頷いた。

「そうだね」

 

(17)

 ユウは、艦長室の前に立っていた。ただ一言、進に言いたいことがあってやってきたが、ノックする手を止めた。時間に比例して、気持ちがなえてくる。しかし、さっきのフェイの笑顔を思い出して、一度下ろした手を、再び持ち上げた。

「入れ」
 その声で、また、体が動かなくなった。

 やっとの思いで、手を伸ばした時、ドアが動いた。

「どうした?」

「いえ、すみません」

 

 部屋に入ったユウは、何と言おうか迷いながら、まずは、トイレ掃除が済んだことを報告した。

「ごくろうさま」

 進は、椅子に、どっかり座り、腕を組んでいた。

「紅茶を入れてくれないか」

 ユウは、一瞬、耳を疑った。

「あっちにあるモノを使って、紅茶を煎れてくれないか」
 進の指は、部屋の奥を指していた。

「あ、はい」 

『もう、何年、紅茶を煎れてないのだろう』
 ユウは、お湯を注ぎながら考えた。

 カップが乗っているソーサーを進の前に差し出す時、目が合った。

 ユウは、目を伏せた。

 進は、何ごともなかったように、ユウが作った紅茶をソーサーごと受け取った。ユウは、どきどきしながら、進が紅茶を飲むのを見ていた。

「ふん、意外とおいしいな」

 進の言葉に、目を白黒させていると、進は鼻で笑った。

「昔は、まずい紅茶も飲まされな」

「まずかったのは、小さい頃作った紅茶だけです」

「そうか、そうだったな」

 進は、一度カップを揺らしたあと、一気に飲み干した。

「ありがとう」
 進は、ソーサーの上に空のカップを置くと、ユウに差し出した。

 進の手からユウの手に渡る瞬間、再び、ユウは、進と最接近した。

「あのモールス信号の送信者らしき人物の腕に、赤いスカーフが巻かれていました」

 進は、ユウの顔をじっと見つめ返した。

「そう......」

 進は、窓の外に視線を移した。ユウは頭を深く下げ、カップを奥に片付けた。 

 

 はぁ......

 部屋のドアを閉めると、ユウは思いっきり息をはいた。 

 

第七話「真赤なスカーフ」終わり

第八話「LOVE」へつづく


なぜ、この話を書いたのか、知りたい方はこちらを読んでね。

SORAMIMI 

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