「想人」第八話 LOVE
(1)
進は、フェイの父親と航海に出た時の事を思い出していた。
「言いたい事があるのなら、きちんと言ってください」
そう、フェイの父親が切り出したのは、パトロール艇に搭乗した直後だった。「ユキさんの様子も変でしたし、何かあるなら、今言ってください」
進は、迷った。確かに、妻も子もいるのに、少女のような彼女と付き合っているこの男の気持ちがわからない。
「どうして、彼女と付き合っているのかということですか?」
進が話すより先に、フェイの父親が話し出した。「艇長は、幸せなのですよ、一番最初に深く愛した人が、運命の人だったは。でも、世の中には、そんな人は、ほんのひとかけらなんです」
男の勢いに、進は、口をはさむことができなかった。
「信じてもらえないかも知れないけれど、私は、妻や子を、とても大切に思っています。でも、彼女も、愛しているのです」
「では、君の妻や子は、彼女の存在を知っているのか」
「いいえ。でも、彼らが、それで幸せならいいではないですか。彼女は、私が結婚していることを知っていますが、決して、自分の事を不幸だと思っていません」
『そうなのだろうか。それでいいのだろうか』
「いつかは、皆を不幸にしてしまうかもしれない。でも、今は、皆、幸せなんですよ。私も、彼女か家庭かを選択できない。そういうのは、あなたからは、エゴだと思われてしまうかもしれない」
進は、何も言葉を返せなかった。自分は、確かにそういう経験をしたことがない。それだけで、彼の行為を全ていけないことだと否定してもいいのだろうかと迷った。
『そういう人の愛し方もあるのかもしれない』
そして、進は、その男が腕に赤いスカーフを巻き付けている姿を、黙って見つめることしかできなかった。
(2)
「相原、『運命』を信じるか?」
「運命...ですか?」
相原義一は、真田志郎に言葉を返した。「ああ。たまに考えてしまうんだ。ホントの運命は、スターシャの妹のサーシャが火星に生きて着陸できて、古代と会って、恋に落ちて......そういうことだったかもしれないと」
志郎の顔を不思議そうに覗き込んでいた義一は、ふと、柔らかな笑みを浮かべた
「澪の事ですね」「古代は、決して、澪とはそういう関係になろうとは望まない。雪に固執しているのも、雪との運命を固く信じているせいなのかもしれない。けれど、どうだろう、本当の出会うべき人は、サーシャであって、最初の出会いを逸してしまった二人は、うまく出会えない運命にすり代わってしまっているとしたら......」
「古代さんが帰ってきたら、そう言うつもりですか?」
志郎は、落ち着いて話している義一の自信に満ちた顔を見た。「私も娘を持っているので何となく真田さんの気持ちわかります。私も、自分の娘が幸せになって欲しいと願ってますから」
義一は、さっき見ていた太陽系の立体映像をもう一度、目の前のディスプレイに映し出しながら話し続けた。「娘の幸せか......」
「どうすれば幸せなのか、何が運命なのか、自分ではなかなか気づけませんよ。僕も晶子と出会ったのは、運命だったのか、それとも、若気の至りだったか、今でも判断つきかねます」
義一は、何かを思い出したようにふふっと一人笑った。「確かに。人生で必然的なことはないのかもしれない」
志郎はそう言いながら、義一の操作していたキーボードに手を伸ばした。「そうですよ。偶然の連続。何が起こるかわからない。だから、楽しめる」
「なるほど......」
義一には、志郎のその返事が、自分の言葉に答えたものなのか、目の前のディスプレイに映るデータの感想なのか、わからなかった。
(3)
「今は、ヤマトが無事に航海し続けることを祈ろう」
志郎は、一旦、画像を停止した。義一は、志郎の一連の動作を、横で、ただ見ているだけだった。キーが押される音がぽつりぽつりとし始めた。その音は、次第に早くなっていった。志郎の頭の中は、目の前のデータに集中していた。
「ヤマトは、順調に航海しているんですか?」
義一は、志郎に訊ねた。もともと、今日は、そのことで、志郎の知っているデータと義一の知っているデータを交換するために会っていた。「ああ、発進前に俺が作った乱数表を元にして、毎日、順調に航海しているという通信を送っている。通信を中継している通信衛星は複数だから、この通信が原因で、ヤマトの位置が知られてしまうことはない。今回のヤマトの航路は、三年前、トナティカからの帰路に使ったコースだ。古代も次郎君も慣れているはずだ」
志郎は、顎先に手を持っていった。
「何か心配ごとでも?」
「あのブラックホールの影響が、思っていた以上に深刻だ。もともと、ヤマトが行って戻ってくるだけでもギリギリの日数だったのに、もしかしたら間に合わないかもしれない。それに......」
「それに?」
「そろそろヤマトは、ボラーの勢力圏近くを航行予定だ。あのトナティカのすぐ近くを通る」
「トナティカですか」
「そこを通り過ぎてしまえば、ガルマン・ガミラスの勢力圏は、目と鼻の先なのだが、それ故、ボラーも必死になって阻止してくるだろう」
「トナティカの近くで大きな戦闘もありうるってことですか......」
『何が起こるのだろうか』
二人は黙ったまま、暗い画面で瞬いているヤマトを指す点滅を、長い間見つめ続けた。
(4)
澪と涼子は食堂で隣に座って少し遅くなった食事をとっていた。澪は、涼子の仕種を見ながら、食べ物を口に運んでいた。
涼子の白衣は、ゆったりしていたが、白衣の影から、涼子の豊かな体の線がうかがえる。女性にしては、少し体格がいいかも知れない涼子の姿は、見ているだけでも均整が取れていて、色気より美しさを感じた。それは、澪にとって、生ける女神の様に見えた。「涼子先生、どうしたら、胸、大きくなるの?」
澪は、涼子の胸元をじっと見つめる。「ばか!澪は、まだまだ、これから大きくなるんだから、心配するな」
涼子は、顔を赤らめた。「だってぇ」
まだ話したがる澪の口に手をやり、涼子は、澪を睨んだ。
「ここは、食堂なんだから、質問をわきまえなさい」
涼子は、周りの人を少し気にしつつ、澪の耳もとで囁いた。隣のテーブルの乗組員が涼子と目が合うと、おじぎをした。「ほらごらんなさい」
涼子の声は、ますます低く押し殺した声になった。「だって、聞きたかったんだもん」
澪は、頬を膨らませた。「時と場所を考えなさい」
コホンと一つせき払いをすると、涼子は、更に小声で囁いた。
「今度、医務室に相談しに......」
涼子は、言葉を途中で止めた。「航海長は、恋人いるんですか?」
涼子達が座っていたテーブル横には植え込みがあり、その向こうから、桜内真理の声が聞こえてきた。真理の横には、島次郎がいた。涼子は、背中を曲げて、見えないよう、最大限の努力をした。「いや、いないよ」
次郎の声だけが涼子の耳に届いた。その後の話は、二人が通り過ぎていってしまったため、聞こえなかった。
澪は、次郎の言葉で、涼子の顔色が変わったのをしっかり見ていた。「澪、ごめん、仕事思い出した。今度相談に来た時に、私がとっておきの秘策を教えてあげる」
涼子は、ウィンクして、席を立った。去っていく涼子の後ろ姿を澪は、見送った。
「何かあったか。恐い顔して」
すぐ横にユウが、食器を乗せたトレーを持って立っていた。「何も」
澪は、ユウの肩ごしに人陰を見つけると、トレーを乱暴に持ち上げ、立ち上がった。ユウの後ろには、引き返してきた真理が立っていた。
(5)
「航海班長から、食事の後に時間があったら、操艦の練習をしたいと伝言を受けてきたのですが、戦闘班長のスケジュールはどうですか」
真理の言葉を聞いているユウの前には、相変わらず険しい顔の澪がトレーを持って立っていた。
「戦闘班長は、コスモタイガー隊の演習よ」
ユウより先に澪が答えた。ユウは、下唇を噛んで、考えていた。波動砲の発射の際の操艦の練習が、忙しい次郎とユウのスケジュールが合わず、なかなかできずにいた。
「澪、コスモタイガー隊の演習は、君が中心でやってくれ。俺の方は、操艦の練習を航海長にお願いするよ。桜内さん、航海長に後10分程で第一艦橋に行けますとお伝えしてくださいませんか」
「わかりました、そうお伝えします」
真理の笑顔に、ユウも笑顔を返した。「あ〜あ、ホント、女の笑顔に弱いわね」
立ち去る真理に聞こえる様に、澪は、わざと大きな声で言った。「しょうがないだろ、わざわざ、俺を探してくれたんだから」
「葵が怒るわよ」
「工場長は、関係なしでしょ」
「うそうそ。気をつけなさい。真理も葵も同期だったから、彼女達の性格良く知っているのよ、私。それに、八方美人はあらぬ誤解を招くわ」
「だからさ、そんなつもりは」
「さあさあ、おしゃべりしている時間はないでしょ。まだ、食べてないんだし。私は、時間通り、演習を指揮すればいいのね、戦闘班長」
何か言いたげなユウの言葉を遮った澪は、長い髪を大きく揺らし、体の向きを変えた。「ああ、...ぐぅ...よろしく」
ユウは、口の中に食べ物を押し込みながら、澪の言葉に答えた。澪は振り返ることなく、ユウの所から離れていった。
(6)
「すまないな、こっちに合わせてもらっちゃって」
次郎は、ユウの操艦を見ながら声をかけた。「いいえ、教えてもらうのは、僕の方ですから」
ユウは、手動に切り替えた操縦捍を器用に操りながら、波動砲発射手順を追っていた。「よし、そんな感じでいい。筋がいいよ。もう一回、時間を作って復習をやろう。今日、できたことを完璧にできるようになれば、大丈夫だ」
次郎がユウの肩に手をポンっと置いた。ユウは、逆の手順で、元のオートプログラムの操艦モードに戻した。最初の頃に比べて、ヤマトでの手動の手順も、スムーズに進むようになっていた。
「他の艦での経験がない分、戸惑いが少なくて良かった。最近の艦の操艦をおぼえてしまうと、なかなか体がおぼえてくれなくて......」
「次郎さんでも大変だったんですか?」
「まあね、艦長や機関長以外は、皆、不馴れだったんじゃないかな、最初は。みんな、自分だけできないんじゃないかって、不安だったと思うよ」
次郎は、微笑んでいた。ユウは、次郎がまた、頼もしく見えた。トナティカでの次郎の横顔が脳裏によぎる。ユウも笑みを返した。
「今日は、本当にありがとうございます」
最終チェックをした次郎は、再びユウと目を合わせた。
「艦長とうまくいってる?」「あ、ああ......」
ユウは、何と答えたらいいのか、言葉に詰まった。「二人っきりになると、どきどきしてしまって.......」
ユウは、目を伏せた。次郎は、ユウと同じように、床に視線を落とした。
「まあ、航海中は、父親として接することもないだろうけど」「そうですね」
「艦長は、宇宙にいても、君のこと、気にしていた。地球と連絡がとれる度、君の事を、いろんな人に聞いていたよ」
「え?」
「トナティカからずっと、艦長と行動を共にしていたから。君の訓練学校の成績や様子もよく問い合わせていた」
ユウは、信じられないといった顔をした。
「三番で入学して、トップを2度。実技は、いつもトップ。だろ?」
ユウは、目をぱちくりして、次郎を見た。「筆記テストは、単語のつづりや漢字がわからず、苦手だったとか」
次郎は、少しウソをついた。本当は、進が調べていたというより、皆が気にして進に報告していたことだった。
でも、報告を聞いている進は、まんざらでもなさそうな顔をしていたことだけは、次郎にもわかっていた。複雑な気持ちになったユウは、頭を下げて、次郎と別れた。
『次郎さん......』
ユウは次郎の気持ちがありがたかった。昔のやさしい父をほんの少し思い出すことができて、優しい気持ちになれた。
(7)
「すまないな、こんな時間に」
「今日は、どうしたの?」
「人に聞かれたくないんだ。部屋に入れてくれないか」
涼子は、嫌だと言えず、次郎を部屋に入れた。「で?」
でも、帰ってもらおうと、涼子は、少し、冷たく声をかけた。「艦長の体調のことを知らないか?」
「艦長の体調?」
「ああ、また、トナティカの二の舞いはごめんだからな」
「わからない。艦長のことは、佐渡先生にお任せなの。彼が、トナティカ以後の艦長の主治医だから」
「そう、か......」
「用がなかったら、帰って」
「どうした?」
涼子は、何も喋らず、ずっと、立っていた。腕を組んだまま、突っ立っていた。自分の意志でそういう態度を取りながら、涼子は、少し悲しくなっていた。つい、口調がきつくなっていった。
「恋人、いないんでしょ」
しばらく考えていた次郎は、食堂のことを思い出してクスッと笑った。そして、涼子の腕をつかもうと手を伸ばした。涼子は、半歩さがり、その手から逃げた。
次郎にとって、それは意外な行動だったらしく、目をぱちくりさせた。
「君が言ったんじゃないか、艦長やユウの前では、付き合えないって。それって、皆の前で大っぴらにできないってことじゃないのか」
涼子ははっとした。
確かにそれは、自分が言った言葉である。そう、それは、自分せいであったことから逃れるために、言った言葉だった。
(8)
「私もあの花欲しいなあ」
進の家を後にした涼子は、少し甘えた声で次郎に言ってみた。雪が抱えきれない程の花をもらっているのを見て、涼子は、その一本でもいいから、次郎からもらいたいと思った。プロポーズの言葉はもらったけれど、花をもらったことがない。
「森の奥に行かなきゃないんだろ。俺、普段は艦の管理を任されているから、森に入ったことないしなあ」
「いいなあ、雪さん」
涼子は、ちらりと次郎を見た。『このくらい、わがまま言ってもいいよね』
「う......ん、そうだな、ユウが知っているなら、案内してもらえるか......」
涼子は嬉しかった。次郎がこんなに簡単にOKをしてくれると思っていなかったからだ。
「ところで、君は明日、仕事?」
「仕事っていうか......ちょっと子守りを頼まれていて」
「子守り?」
「8歳の双児ちゃんよ。ほら、通信長のとこの」
「ああ、あのやんちゃな......」
トナティカへは、家族同伴も可だったことから、進をはじめ、数家族が地球から来ていた。「奥さん調子が悪いから、私ができる範囲で、子守りしてるの。......ねえ、その子たち、一緒に連れていっていい?」
涼子は、軽く引き受けたものの、二人組のちびっ子ギャングたちに手を焼いていた。ただ留守番して、二人を見ているより、外へ連れていった方が、楽だと思った。「ユウに聞いてからだよ。ホントに道に迷いそうなすごい所だったら、連れて行けないしね」
言い出しっぺは、涼子だった。
そして、翌日、ユウに案内してもらい、涼子は次郎と二人の子どもを連れて森へ出かけた。。それは、楽しいピクニックになるはずだった。なのに......
(9)
ユウは、一人、第一艦橋で、次郎から教わったことをいくつか復習していた。
「こんなもんかな」
ユウは立ち上がろうとした時、第一艦橋のドアが開いた。トゥルルーン
その音に反応して、ユウは振り向いた。
「どうしたんですか、葵さん」
ユウは、年上の葵を、呼び捨てにはできなかった。葵は、ユウの言葉を聞くと、足を止めた。ユウは、その姿を見て、自分がここにいてはいけなかったのではないかと思った。葵の体は、すっと後ろに向いてしまいそうだった。
「僕なら、もう、部屋に戻ろうと思っていたところですから......」
ユウは、その後、何と言葉を続けていったらいいのかわからず、口籠っていった。「気にしないで......」
葵は、両手を振って、取り繕った。
「ただ、眠れなくて来ただけだから」葵は、一人頷いていた。サラッとした髪がゆれる。ユウは、その横をさっとすり抜けようとした。
「あ、あの」
ユウは、葵の小さな声に振り向いた。葵の腕がユウのすぐ側まで伸びていた。
「あ、あの......よかったら、いっしょに......」
「いっしょに?」
葵の声がますます小さくなっていき、何を言っているのか、ユウは、聞き取れなかった。ユウが葵の言葉を繰り返すと、葵はうつむいた。
「あの......部屋に来ませんか、私の.....」
「えっ?」
ユウの目がまん丸に開いた。葵は、顔を一段と下げると、そのまま、第一艦橋から走り出ていった。トゥルルーン
音が部屋に響き渡った。ユウは、ただ、ぼんやり立ち尽くしていた。
(10)
香りがきつい。花の匂いで酔ってしまいそうだった。
スヴァンホルムは、誰もいないベッドのシーツの上に腕を伸ばした。
あの日は、この横に、確かなぬくもりを感じていた。そして、床には、たくさんの花が散らかっていた。
「きれいな花でしょう、スヴァン」
あの日の言葉が頭の中にはっきり残っている。トナティカの森の奥の小さな小屋。いつも二人っきりで会う時は、その小屋であった。
生まれて初めて、花をもらった。でも、その花をどうしたらいいのかわからなかった。もらった花をベッドの周りに放り投げた。二人の間には、花はいらない。そう、彼女さえいてくれれば......
抱き合っている間中、匂いが鼻についた。彼女は、悲しい声を上げた。それは、愛し合っているからだと思った。指が透き通るかのような銀の髪。銀の粉がついた白い肌......
あの時、何故言ってしまったのだろうか、本国からの地球人への一斉攻撃の話を。そして、何故気づけなかったのだろうか、彼女が泣いていたのを。
月の光を浴びた花は、銀色の花粉のせいで花びらの表面がキラキラと光っているように見えた。
スヴァンホルムは、シーツを引っ張り、うなり声を上げた。
起き上がって、周りを見ても、銀の花びらの花も、銀の髪の女もいない。
「夢か......」
思いっきりシーツを引っ張り、ベッドから全て剥がしていった。しかし、あの花の匂いは、ベッドから消えなかった。
(11)
「ちょっと、待ちなさい」
澪は走って、腕をつかんだ。「何?」
捕まえられた方は、腕を振って、振り切ろうとした。
「もう、少し、気をつけなさい。あなたは、そういうところ、鈍いんだから」
澪は、自分から手を離した。
「人間じゃないあなたが、何言うの?」
澪は、驚いた。
「あなたになんかに、言われたくないわ」
突き刺さるような言葉に、澪は動けなくなった。
「あなたなんかに......」
ぷいっと顔を背けた。、澪は回り込んで、その女の前に立った。「気をつけなさい。あなたの何気ない言葉で、傷付く人もいるの」
やっと澪が言葉を口にすることができた。「余計なおせっかいよ」
言葉が終る前に、持っていたファイルを澪に投げ付けていた。澪は、当たったところを手で押さえた。血は出ていないが赤くなっている。
「あなたなんか......」
すぐ側から聞こえた声に、澪は顔を上げた。ファイルがすぐ覆いかぶさるように近づいていた。「あんたなんか、あんたなんか......」
澪は、腕でかばうが、ファイルは、否応無しに澪目掛けて振られ続けられた。澪は、何も言わず、必死で耐えていた。「やめないか!」
男の声が二人の背後から飛び込んできた。それでも、女の手は止まらなかった。「やめないか、真理さん」
その声で、やっと桜内真理の手が止まった。
(12)
振向くと、そこには、ヤストが立っていた。
「どんな理由があるかしらないけど、やりすぎだよ、真理さん」
真理は唇を噛んでいた。
真理は髪の毛をかきあげた。ヤストは、澪の腕を取り、澪を立たせた。真理はその二人の姿をじっと見つめていた。
「あまり、関わらない方がいいわよ」
ヤストの側を、何もなかったかように過ぎていく真理が、ぼそっと言葉を漏らした。「チッ、なんだい」
真理の後ろ姿を見ていたヤストが振向くと、いつもと違って、覇気のない澪がいた。最初の出会いを考えると、ヤストには、ただ黙って耐えている澪を想像できなかった。「いつもなのかい」
床についていたひざを叩いている澪に、ヤストは声をかけた。「彼女、下手なのよ」
「なにが?」
「彼女、うまく立ち回れないタイプの人なのよ」
「えっ?」
「不器用だってこと。わかった?」
ヤストの前に立っているのは、いつもの澪だった。これ以上何か言ったら、また、首を絞められるかもしれない、あの少し短気で、強気の澪だった。金の髪が、まるで後光のように輝いている。ヤストは、これ以上、何かを聞いてはいけないと察した。
「大丈夫なら、いいさ......」
ヤストは、ゆれる長い髪を見送った。
(13)
「今日から、少しの間一緒に暮らすことになった。仲良くしなさい、お前の方が大きいんだから、真理」
父が金色の髪の少女を連れてきたのは、真理が16の時だった。
「可愛い妹ができてよかったわね、真理」
真理しか子どもがいない母は、このお人形の様に美しい少女が家に来たことを喜んだ。昔から家族でどこかに行くことはない家庭だった。その上、最近、父は仕事が忙しくて、帰るのが遅く、真理は父の顔を忘れそうなぐらいだった。
母は、いつもその少女の髪をすいていた。きれいに伸びた少女の金色に輝く髪は、櫛の通りがよかった。
「くせ毛の真理の毛は、なかなかブラシでもとけないのにね」
母の言葉を背中で聞いた。父は、その少女が来てから、家に帰って来るのが早くなった。休みには、家族で出かけるようになった。少女がにっこり微笑むと、父も母も喜んだ。
『私には、そんなことしてくれなかったじゃない』
そう思いつつ、父と母と少女の姿を離れたところから眺めていた。
「私のこと、すき?」
人なつっこい少女の瞳に、じっと顔を覗き込まれた時、真理は、つい、少女の体を突き放した。その時、勢いがあったせいで、少女は、後ろにしりもちをつき、倒れた。「何するの、真理」
母の大きな声が真理を襲った。
「あたりどころが悪かったら、怪我するのよ。そんなこともわからないの」『わからないわ』
そう声に出して言いたかった。
そして、真理は、一つのことに気づいた。先日、まだ、キッチンのカウンターから少し頭の先が見えるぐらいだった少女の背は、いつの間にか、カウンター越しに顔が見えるぐらいに、大きくなっていた。
『この人達は気づいているんだろうか』
数年前、真理の妹を亡くした母は、そんな少女の変化を気にはしてない。ただ、死んだ子にしてあげたかったことを少女にしていた。それは父も同じだった。
この生活は、意外と早く終った。どうやら、父は、仕事の都合で、彼女を育てていたらしい。そのことがバレて、少女は、本当の保護者だという人の所に引き取られていった。母はすっかり気落ちして、ますます真理のことに関心がなくなっていった。
数年後、真理は、宇宙戦士訓練学校に入った。その時、自分と同じ身長になった少女に再会した。
『あんたなんか、人間じゃない』
真理は、無視した。
(14)
ユウは、ドアの前で立ち止まっていた。
『俺は、何をやっているんだ』
ユウは、何度も上げた手を下ろしていた。坂上葵の言葉を思い出しては、また手をドアの方に伸ばしていた。
『なるようになるさ』
ユウがノックすると、ドアが開いた。
ドアの側には、葵が立っていた。バスローブを羽織った葵は少しうつむいていて、ユウは、葵の顔をしっかり見ることができなかった。「あ、あ......」
ユウは、何と言ったらいいのか、頭をフル回転させていると、葵は、一段と消えそうな言葉を発した。
「えっ?」
あまりにも小さな声だったので、ユウは、聞き取れなかった。
「シャワーは、あそこだから......」
「あぁ、ありがとう......あの....」
ユウは、何と答えたらいいのかわからず、ただ、勧められるまま、シャワールームの入り口のボタンを押した。
シャワーヘッドからの水の音が激しく、周りから遮断された状態で、ユウは、半分後悔した。
『ちゃんと、話さないと』
では、何と話出したらいいのか?そのことだけがぐるぐる頭中巡り、それを振り切るかのように、ユウはシャワーからの水を顔に受けた。
(15)
男は愛機の機器調整をしながら、スティックについている赤いスカーフを何度も触っていた。
「いつ、帰ることができるかな」
「帰ることができても、地球がないかもね」
男の独り言に、答えが返ってきた。
振り返ると、隣の機体のチェックをしていた女性と目が合った。「ヤマトの航海の日数が足らなくて、間に合わないってことよ」
「そんな」
男は、スカーフの端を握り締めた。
柳原涼子は、記憶を遡らせ、そして三年前を思い出していた。島次郎は、涼子が思い出しているのをじっと待っていた。
涼子がハッとした表情を見せた時、次郎は、声をかけた。
「思いだせた?」
その言葉に、涼子はうなずいた。
「思い出した......」
涼子の言葉に反応して、次郎は手を差し出した。
「?」
涼子は、一歩下がって、次郎を拒否した。
「思い出した、あの頃のことを。トナティカから帰って来た頃を......。近くに、ただ、近くにいて欲しかったのに......あなたは、いてくれなかった」
ユウは、シャワーの水を止めた。
『言わなくっちゃ』
タオルを腰に巻き、ドアを思いっきり開けた。そして、目の前の光景に、仰天した。
「なんで......?」
目の前に立っていたのは、澪だった。
(16)
「澪......」
ユウは、自分がとても情けなく思えた。
「何してるの?早く着替えなさい。私は、後ろ向いてるから」
澪は、まるで母親が子どもを叱りつけるように怒鳴っていた。『澪でよかった......』
ユウは、少しホッとした。そう思った自分が不思議だった。澪はすっと背を向けた。ユウも後ろを向いて、服を着始めた。ユウは、着衣の際の衣擦れの音をわざと出し、自分の荒い呼吸を隠そうとした。
「葵が...ごめんねって言ってた......」
澪とユウは、背中合わせに立っていたのだが、ユウは、澪に見られているような気がした。「葵は......訓練学校以来の親友なの」
ユウは、手を止めず、澪の言葉に耳を傾けた。
「葵は......真田の父が好きで......それで私にも遠慮するようになって。ヤマトで再会した頃から、あまり話さなくなってしまったけれど......」
ユウの体の動きが一瞬、止まった。
「葵、父のことを諦めようと、あなたを好きになろうとがんばったみたい......でも、やっぱり、父のことが好きだと気づいて......私の部屋に、さっき、飛び込んで来たの」
葵の切羽詰まった顔がユウの頭の中に浮かんだ。
「そ...う...」
着替え終ったユウは、天井を仰いだ。暗く、飾りっ気のない天井......「あなたのこと、嫌いじゃないのよ。ただ、初めての人は、一番好きな人でなきゃダメって......」
「ありがとう」
澪の方に体の向きを変えたユウは、澪の背中にむかって、息を吐くようにつぶやいた。「未練、ある?」
振り返った澪は、目一杯明るく微笑んでいた。ユウは、『うん』とは答えられず、顔を伏せた。葵への好意は、確かだった。「じゃ、泣きたい時は、お姉さんがなぐさめてあげる」
澪は自信ありげに、腰に手をあてて胸を張った。「今日は、さっさと寝なさい」
ユウは、澪に背中を押され、部屋を出た。澪の手の感触が温かく感じた。
「誰?」
澪は、誰かがドアをノックする音に振向いた。ユウが戻って来たのだろうか、それとも葵が部屋に戻って来たのだろうか。澪は、部屋のドアのロックをはずした。
「あっ」
口を押さえられた澪は、振り払おうとして、体を動かそうとしたが、数人に取り押さえられ、体の自由がきかなくなっていった。油断したことを悔やみながら、澪は、押さえられた顔を上げようとした。その時、後頭部を何かで殴られた。
『誰?......』
目の前が暗くなり、澪の体は、床に沈んだ。
(17)
翌朝、ユウは、第一艦橋で、葵をまともに見ることができなかった。どうも、すっきりしない。寝不足のせいか、頭が冴えない。
『澪に間に入ってもらって、話をして.......』
ユウは、そう考えながらも、溜め息が出てきそうだった。時間通りに、第一艦橋にメインスタッフ達は集まってきた。一人ぐらい挨拶をしなくても目立たない程、短い連絡事項を伝え合う声、挨拶の声が行き交う。
「よっ」
戦闘班長席でうつむいていたユウは、ヤストの声で、顔を起こした。「昼飯の時間、合わせられないか?話したいことがある」
ヤストが耳もとで囁いた。「ああ、なんとか......」
ユウが答えていると、後ろから、艦長席が下りてくる音が聞こえてきた。皆、何ごともなかったように、さっと艦長席の前に整列した。進は、並ぶメインスタッフを見て、深くかぶった帽子を少し持ち上げた。
カチッ、カチカチ......
小さな音が第一艦橋に響いた。皆が、その音に反応して振向いた瞬間、第一艦橋から、光が消えた。暗い闇に包まれたように、艦橋内は、何も見えなくなった。数秒後、非常用の室内灯だけがつき、かろうじて、並んでいたスタッフの顔が見える程度の明るさに戻った。
ユウは、進の姿をじっと見つめた。ユウだけでなく、それは、第一艦橋にいる者全て同じであった。対して、進はぴくりとも動かず、静かに何かを見極めているようだった。
「坂上、コンピュータ関係をチェックをしろ。エンジン音は変わりない。第一艦橋だけの問題かどうかだけをチェックしろ。次郎、操艦に関するシステムが機能しているかチェックを。復旧次第で、第二艦橋に移る」
話ながら艦橋を見渡していた進の目が、点滅しだしたパネルを捕らえた。その視線を追うように、フェイが自分の席に戻った。光っていたのは、フェイの席のパネルだった。フェイは、スイッチを入れ、ヘッドフォンを耳にあてた。
「艦長、第一艦橋だけ完全にシャットダウンされてます」
葵がいつもより大きな声で叫んだ。「艦長!」
フェイは、助けを求める様に振り返った。「コンピュータ室を占拠したと言う人物が、艦長と直接話をしたいと言ってきています」
(18)
「わかった。いいだろう」
フェイは、ヘッドフォンのマイク部分に向って、小さな声で進の言葉を繰り返した。
「条件があるそうです。艦長が一人でコンピュータ室に行くこと。武器は、不携帯であること。真田澪を人質にしていると言っています」
「今すぐ行くと伝えろ」
進はフェイにそう答えると、徳川太助の側に近づいた。進と太助とひそひそと声をひそめて話し合った。「わかりました」
太助が答えると、進は、次に第一艦橋の前方に足先を向けた。「次郎......」
「はい」
ユウは、その時、次郎の声を今日初めて聞いたことに気づいた。ユウが、今朝、誰とも話さず済んだのは、次郎が声をかけてこなかったからだった。「次郎、第一艦橋が完全復旧した時にすぐ、ワープできるように待機......」
進は、次郎の顔を見ただけで、それ以上何も言わなかった。次郎は、さっきからしきりに動かしていた手を止めた。次郎が押した操艦に関するボタンや操縦捍は、ただの飾り物になっていた。「森は、徳川の指示に従え。」
「坂上は、復帰作業ができる準備を、他の者は、機関長の指示に従うように。以上だ」
「艦長は、どうなさるんですか?」
坂上葵の声は少し震えていた。「私は、今から、彼らとの交渉にむかう。ボラーがいつ来るかわからない。早期解決を目ざす」
進は、第一艦橋の全員を見渡した。一人一人の顔を確認すると、腰のホルダーから、銃を取り外した。それを艦長席に駆け寄ってきた葵に差し出した。「艦長」
銃を受け取った葵は、小さなボタンのようなものを進に渡した。進は、小さくうなずいた。「艦長、今から、数秒だけドアを開けるそうです」
フェイの声に従って、進は、ドアから出ていった。閉まるドアの隙き間から、軽く手を上げ、敬礼をする進の姿が消えていった。その姿に、返礼していたユウは、大きく息を吸った。
(19)
「ユウ、それと、坂上くんと橘くん、いいかな?」
太助が三人を呼び集めた。「じゃあ」
太助が手招きをし、席の側の一箇所をこじ開けだした。
ユウは、そこが、機関室への非常用通路だと気付いた。危険な機関室からは、幾筋もの小さな通路が走っていた。それは、機関室へすぐ移動できるように、そしてすぐに脱出できるように機関室が危険になった時の脱出通路になっていた。太助は、三人をそこへ押し込んだ。
「航海長、後は後はよろしく」
太助は、次郎にウィンクして、通路口に入っていった。
「機関長、どうするんですか、こんなところに入り込んじゃって」
「ここから、コンピュータ室に行く。ドアは、コンピュータ室で管理されて、自由に開かないだろう。この通路は、機関室ヘの途中、コンピュータ室へ抜けるところがあるんだ」
「コンピュータ室に篭城している輩の人数が多かったらどうするんですか?」
橘俊介が太助を振り返りながら、質問をした。「艦長がなんらか、サインを送ってくれるといいのですが......。さっき艦長に渡したのは、極小のマイクなんです」
縦一列で進んでいるせいもあり、葵の声が聞きにくい。そこへ太助の大きな声が葵の言葉をさえぎった。「大丈夫さ。艦長なら。マイクが見つからないことを祈ろう」
「一か八か、ですね」
俊介が、にやっと笑った。「そんな...こんないいかげんで......」
ユウは、あまりにも確実ではないこの作戦に不服であった。「時間をかければいいってものじゃない。我々が早く動く程、勝率は高くなる。そうそう、突入のタイミングは、森君、君が決めて」
「僕がですか?」
「そう」
太助は、楽し気に答えた。
(20)
進は、コンピュータ室に入ると、瞬時に周りを見渡した。『6人か......』
正面には、澪がいすに座らされていた。コンピュータについている者が二人。澪の後ろに一人。澪の前に首謀者らしき男。そして、ドアの脇、ドアを入った進のすぐ後ろに二人......
進は、両手をあげた。斜め後ろの二人が近寄り、進が何か武器を武器を持っていないか、体に触って確認する。進は目を閉じ、その時間をやり過ごしていた。
「艦長、ありがとうございました」
澪の前に立っていた男が頭を下げた。進は、何も言わず、ただ、その男を見ていた。進はおもむろに、両手を差し出した。
「人質交換だ」
進は、前にいる男だけに話しかけた。進の後ろにいる男たちは、縄のようなワイヤーを持って来た。動かぬ進を警戒しつつ、二人は、進の差し出した手をきつく縛り上げた。澪は、その様子をじっと見ていた。「艦長、我々の話を聞いてください。ヤマトは、地球がブラックホールの影響を受ける前に、帰ることができないと聞きました。本当なのですか?」
進は、口を開かず、近づきつつある6人の顔を見た。
「かも、しれない......」
進は、口を開いた。「そうだからと行って、あきらめるわけにはいかない。間に合う可能性もあるのだから」
進は、多くは語らなかった。
「艦長は、ご子息と一緒だからわからないのです。自分たちは、家族を置いて来ました。もう、会えないかと思うと、仕事が手につかないんです」
進は、その言葉にすぐ答えなかった。進はもう一度、6人を見渡した。
「そうかもしれない。君たちの気持ちは、私にはわからないかもしれない」
進は、目を伏せた。「しかし、家族を失うことがどんなことなのか、わかっているつもりだ。だから、もう、あんな思いを、皆に味わせたくはない」
進は言葉を続けた。
「万に一つの可能性があるのなら、私はそれにかけてみたい。あきらめる気はない」「以上が私の意見だ。では、最初の約束、真田を開放しろ」
そして、両手を縛られていた澪は、椅子から立たされ、ドアに向かって歩くように体を押された。
(21)
ユウたちは、進が持っている極小のマイクが拾う音を聞いていた。マイクは、進が指の間に潜ませていて、進の伸ばした手の方にいた男の声も拾っていた。『今だ!』
ユウは、ドアの開く音で、飛び込む体制になった。あらかじめ葵が簡単に開くようにしてあった所を手で開け、部屋に突入した。
その音に気づいたのか、それとも、自分の意思でなのか、澪も、ドアの閉まる前に、部屋に戻ってきた。
それからは、個々の判断で動く。太助は、葵がコンピュータの作業をできるよう葵の側に、ユウは、自然に進の側に近寄っていった。
がしっ
ユウが伸びてきた手を振り払う。その向こうに、両手を縛られているのに、そんな風に微塵に感じられない進がいた。ユウは、にやりと笑う進を一瞬見たような気がした。
「早く、縛れ!」
進の怒号。倒れた男たちを、澪と太助が縛る。
進がすとんと床に倒れた。最後の男に蹴りを入れたときにバランスを崩したようだった。ユウは、すかさず男の腕をつかんで、その手を男の背中に回した。
「澪!」
ユウの声に反応して、金の髪が大きく揺れた。
「ううっ」
「澪!」
近づいた澪は、男のみぞおちを殴った。ユウは、それを制するように叫んだが、澪は、止まらなかった。
不満顔のユウを、澪は、あごで指示した。そこには、進が倒れていた。
何かを言おうとしたユウは、無言で、澪の指示に従った。
「大丈夫ですか」
ユウが差し伸べた手を、進は思いっきり引っ張り、立ち上がった。ユウは、その感触に驚いた。
進は立ち上がると、俊介に銃で縄の一部を撃たせ、縄を解きはじめた。
「訓練は終わりだ。縄を解いてやれ」
皆、進の方を向く。
『.......』
進の姿にユウは、呆然とした。進は笑っていた。
(22)
「絶対、訓練なんかじゃないのよ」
澪はつぶやいた。ユウと澪と次郎は、首謀者の男を艦長室まで連れて行った。すぐに部屋から退出するようにと言われた三人は、今は閉まっている艦長室のドアを黙って見つめていた。澪の言葉は、その沈黙を破った。
「たぶん、そうだろう」
次郎は、ドアから目を反らした。澪は、その返事に満足げだったのか、にこりとした。「でも......艦長はなぜ、訓練だと?」
ユウは、第一艦橋へ下りようとしていた次郎の背中に言葉を投げかけた。「たとえ、今回、彼らを力ずくで押さえても、また、不安を感じた誰かが同じことをするだろう。皆、不安なんだ。出発時の地球は、平和だったからね。実感してなかったんだよ。この銀河系は、どんな状態なのかってことを」
次郎は、振り返ることはなく、話し続けた。「僕らは、トナティカから地球まで、必死に逃げてきた。銀河系内の不安定さから、長距離ワープが出来ない中、ボラ―に見つからないように」
次郎は、ため息をついた。「こんなにも時間がかかるだなんて、思ってなかったんだよ。20年前、イスカンダルへの距離を比べてみて、簡単な航海だと思っていたんじゃないかな」
次郎は、止まっていた足を再び動かした。「止まっている時間はないのさ」
ユウと澪は、無言で次郎の後ろについて行った。一ヶ所に長居はできない。
『進むしかないのか......』
ユウは、唇を噛んだ。
「言葉では、君の気持ちを引き止めれない」
進は、一人の男を見つめていた。「時間がないのだ、我々には。やってみないか、可能かどうか」
男の頬から涙が流れ落ちていった。
「次郎、ワープ準備だ」
進は、マイクに向かって叫んだ。
(23)ユウは、自分の右手で左の拳を握り締めた。自分の中で、何かが騒ぎ出していた。
『何なのだろ、これは?』
ワープ後、艦長室へ登っていく進を見送りながら、ユウは一人考えた。「お疲れさま」
次郎に肩を叩かれ、ユウは、我に返った。「気にするな」
次郎の言葉は、進が簡単に彼らを許したことを指していた。ユウは、頷いた。頷きながら、どうも釈然としない自分がいた。
『違う......』
第一艦橋から下へ下りていく間中、ユウの心は何かにとりつかれたように、心臓の音が高鳴った。なぜだかわからないが、きっかけだけは、はっきりしていた。久々に触れた、進の手......
『今なら......』
ユウは、振り返り、今来た道を戻り始めた。
『早く!早く!』
どこかで誰かが叫んでいた。そして、ユウは、艦長室の前に来た。大きく息を吸って吐いた。そして、ドアに手をかける。また小さく呼吸をして、ドアを叩いた。
何も返ってこない。
普段なら、ドアのセンサーが昔のドアのように、艦長室に、この音を伝えているはずだ。ユウは、また、叩いた。何度も何度も、強く叩く必要がないと知っていても、叩き続けた。「艦長!艦長!」
ユウは叫んでいた。『開いてくれ!』
叩き続けていたユウの右手の小指は、皮が破れ、ドアに血がつき始めていた。
『開けて!お父さん』
第八話「LOVE」終わり
第九話「決戦」へ続く
なぜ、この話を書いたのか、知りたい方はこちらを読んでねSORAMIMIへ
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