『蝉の声』

 

 進は、すでに、体力の限界を感じていた。もう、そこから大きく動く事は、できなかった。痛さと疲労で、いつ倒れてもおかしくない状態だった。もう、足が前に進まなくなってきている。進は、とにかく、今をやり過ごす場を求めた。

 人の声と靴音が、どちらから聞こえるのか判らない程、感覚が麻痺していた。進は、人が入れるのかと思う程狭い隙間に隠れた。今、見つかれば、簡単に捕まってしまうだろう。狭い隙間に引っ掛かっている事で、かろうじて立っている状態を保てているのだから。

 ジ、ジジ....

 朦朧とする意識の中、進は、聞こえるはずのない音を聞いた。

『とうとう、幻聴まできたか。』

 自分の姿を想像して、進は、苦笑いをした。

 あの時、生きる事を選んだのだから。最後の一歩まで、諦めないで生きようと決心したのだから。

 進は、目を閉じ、ゆっくり思い出していた。

 

 

第一章 シロイハネ

(1)

 今日も太陽系内では、記録に残るような大事件は、起きていなかった。

 各パトロール艇の報告をチェックしていた森ユキは、安堵するとともに、次の会議の資料作りを再開した。

「ユキ」

 資料の最終チェックのため、画面上のデータを見つめていたユキに、声がかかった。他の人の声であれば、聞き逃していたかもしれない。ユキは、まわりの音が耳に入らない程、集中して画面を見ていた。しかし、恋人の古代進の声に似ている、その声に、ユキは特別に反応した。

 顔をあげると、すぐ横に、進の兄、守が立っていた。

「忙しい時に、声を掛けて、すまなかったな」

 守と進とは、年が離れていたが、声や、ちょっとしたしぐさや、顔の表情が、良く似ていた。

 守は、ユキが自分の事に気づくと、ニコリとした。

「夕御飯一緒に食べないか?」

 人前で、堂々と言われるのは、人のうわさになるので、少し嫌だったが、これは、守流の心配りだった。影でコソコソされて、とんでもない推測がつくより、進が理解できる範囲のうわさの方が、ずっと、ましである。

「はい、いいですよ。今日は、7時くらいに上がれそうです」

 ユキは、わざとまわりに聞こえるように、答えた。

「そう、じゃあ、司令部の食堂のいつもの場所で待っているよ」

 守は、進と同じで、女の子が喜びそうな所とは、縁のない人であった。ユキは、くすっと笑ったが、守は、そんなユキに、かまっていられない程いそがしく、ユキの返事を聞くなり、さっさと立ち去っていた。

 ユキも、時計の針を気にしつつ、再び画面上のデータとにらめっこを始めた。

 

 いつの間にか、フロアは、男の声に混じり、女性の声もかなり聞こえている。なかなか、女性が進出できなかった世界であったが、人手不足という現実もあり、年々女性部員も増えてきた。仕事を終えた数人が、今の守との会話をネタに好奇心いっぱいな目で、ユキに話しかけてきた。

「弟くんもいいけれど、いっそ、お兄さんの方に乗り換えちゃったら。ユキ」

「確かに、弟くんも、有望株よね。でも、今現在の地位って言うとね〜」

 無邪気な笑いの中、ユキは、黙々、会議室へ運ぶ荷物の確認をしていた。

「私は、弟くんの方がいいな。だって、先任参謀って、仕事の鬼じゃん。いつも、残業ばかりしているし。休日返上でしょ。長期の休暇を取るな−と思えば、基地巡りしてるだけで。その点、弟くんの方が、休暇のときは、ユキの事一番優先にしてくれるもの」

 仕事からの解放と、監視役がいないことで、話の輪が広がっていった。にやにやしながら、後ろの机の男もその中に入ってきた。

「それとも、彼との相性が、ものすごくいいとか?」

 ユキは、そう言われた時、ピシャリと、自分専用の端末を閉じた。

 今まで、さんざん、ユキの事を肴にして喋っていたものたちは、その音にぴくりとした。

「じゃ、私、会議の方に行ってきます。それと、あんまり変なうわさ、流さないでね」

 自分のことをネタにされたおしゃべりには、うんざりしたが、自分も、おしゃべりの中に入りたかったというのも、本音だった。今、軍の中で、注目を浴びている兄弟の側にいるユキは、自分の言葉には、慎重になっていた。何気なく話した事が、別の話となり、それが進や守を傷つけてしまうかもしれない。日常の何気ない会話の中に、容易く入っていけないことが少し寂しかった。

 

 

(2)

 ユキは、司令長官の部屋に連絡を入れた。

「長官、会議の時間です」

 

 会議でのユキの仕事は、資料作成や記録等、補助的なものだった。そのためか、会議に出席しても、冷静な目で議事進行を見守る事ができた。

 以前と比べ、守が先任参謀として、司令部に配属されてから、会議は、いつも緊張した空気に満ちていた。それは、彼の仕事に対する熱心さからくるものであった。

 白色彗星帝国との戦い後、いかに、元の状態近くに、軍の施設や艦隊を復興させるかが、一番の問題であったが、ほとんど、壊滅状態まで陥った地球防衛軍を立て直すのは、至難のわざであった。人員確保から、施設の修復、そして、艦隊運営の問題と、いつも、問題にあがるのは、時間と人であった。オートマチック化された戦艦の艦隊では、臨機応変には、戦えないというのが実証されたにもかかわらず、地球防衛軍は、この短期間に、艦隊に配属されるべき人員を到底、そろえる事が出来なかった。苦肉の策として、司令部は、地上からリモートコントロールされて動く完全無人艦隊を、何箇所か配置し、有人パトロール艇に、その隙間をうめる形として、分散させ、日々の警備に当たらせていた。

 外敵がいない時は、うちなる敵(地球人による犯罪)が増える。特に、復興で使う資材が、行き来する回数が多ければ、多い程、その旨味に群がる輩も多い。守は、 不正・腐敗を嫌い、その摘発はかなり厳しかった。しかし、摘発もエスカレートしていくと、本来の、『地球の防衛』の仕事は、ますます遅れ、現場は、オーバーワークになる。

 守は、そういう状態の中で、いかに少数で、合理的かつ完璧な守りができるのか、日々頭を悩ましていた。そして、今日の会議にも、かなり厳しい注文を、参謀たちに突き付けていた。各参謀が示した提案と、現在の状態のデータには、どうしても、納得がいかなかったのである。

「私たちは、有人の艦隊を増やしていかなければならないという問題を、忘れているわけではありません。アステロイドベルトの周辺に出没する窃盗団の対策の方が、今一番大事なのではないのですか?」

 守より年上の参謀が、声を張り上げる。

「外からの侵入は、いつ何時あるか分からないのだ。アステロイドベルト地帯の警備強化は、切りがない。今までも、集中してパトロール艇を配置しても、彼らは、それをかいくぐって、わざと挑発しているかのように、略奪行為を繰り返している。犯罪発生率は、むしろあがっている。警備の強化より、頭を捕まえなくては、何も解決しないのではないか」

 守は、左右に座る参謀たちの顔を一人ずつ確認するかのように、目で追いながら話した。

「しかし、移動している彼らを見つけるのは至難のわざです。捕まえろと言われても」

 パトロール艇による、今ままでの作戦はすべて失敗していた。最もな意見を言われ、守は、小さくため息をついた。

「有人艦隊の案をもう少し可能にするため、計画を練り直す必要があるのではないか、古代先任参謀」

 その声を聞き、守は、斜め前に座って先ほどからのやり取りを聞いていた、司令長官の藤堂の方を向いた。

「判りました。早期、窃盗団、SEVEN EYES の対策を含めて、計画を立て直します」

 ドスンとイスに座り、不満顔の守を残し、会議は、終了した。

 

 

(3)

 食堂は、あいている席を探すのも大変な昼間と違い、ガランとしていた。守との食事は、いつも、この食堂であった。

 守が仕事の鬼とまわりから思われているのは、仕方がないとユキは思っていた。実際、二人で食事をする時も、また、他の何人かと同席の時も、話題は、仕事か、進のことばかりであった。今夜は、特に、進の事で、話したい事があったのだろうか。進が帰ってくるため、明日、明後日と、休暇をとっていたユキはそう思った。

「すみません、少し遅れて」

 すでに、テーブルに着いていた守に、数分遅れて来た事を、ユキは詫びた。

「今日は、コック長におまかせしたんだが、それで、よかったかな?」

「はい、コック長の腕は、よくわかっていますから」

 ニコリと微笑するユキは、守にすすめられ、イスに腰を下ろした。

 テーブルに、料理が運ばれると、ユキは、急にお腹が空いてきた。そして、昼は、忙しくて、飲み物だけで済ませていた事に気がついた。

「明日だね、進が帰ってくるのは」

 ユキは、守が、どんなに忙しくても、やっぱり進の事を気にかけているのだと思った。

「急で、済まないんだが、明後日の夜、進と二人っきりになりたいんだけれど、いいかな?」

 今まで、言い出せなかったのか、それとも、突然決めたたのだろうか。今まで、二人の予定を優先して、休暇を組んでくれていた。

「君が、二日間、休暇を取っていたので、話しにくかったのだけれど、明後日は、両親の命日なんだ」

 ユキは、進と守の両親が、亡くなった事は、聞いてはいたけれど、命日の事を聞いたのは、初めてだった。

 守の言葉に戸惑ったユキは、あまりにも突然の守の申し出を、快く受ける事が出来なかった。

「あ、いや、今までも、命日だからって、何かしていたわけじゃないんだ。今回、初めてなんだ。進と命日を過ごすのは」

 守の、ユキを心配させまいとする様子に、ユキの心は少しほぐれた。『不器用なんだ、この人も』

「いいですよ。でも、古代くんは、その事を知っているんですか?」

「たぶん。俺には何も言わないけれど、知っていると思う。いままで、傷つけまいと思って、切り出せなかったのは、俺の方だから」

 そう言うと、守は視線をユキからそらし、何か、一人で思い出しているようだった。

「実は、その日、本当は、地下都市に避難する日だったんだ」

 守は、食前酒のグラスをつかみ、ぐっと、飲んだ。ユキは、なぜ守が、進に気づかっているのか、話の続きを聞きたかった。

「では、なぜ、御両親は、お亡くなりになったのですか?」

 守はユキと目を合わせた。

「進が、避難する前に、俺に会いたいといって、地下都市行きを一日ずらしたんだ。結局、それが裏目に出てね」

 守は、ふっと、テーブルに視線を落とした。

「たぶん、両親が死んだのは、自分のせいだと思っている」

 守は、心配そうに見つめるユキの視線を意識したのか、手を振った。

「済まない。こんな話を出して。やっぱり、君も聞いていなかったみたいだね。両親の死というのは、俺にとっては、そんなにショックな事では、なかったけれど、進にとっては、重要な事だったんだ」

 守は、そう言いながら、ユキにテーブルの食事をすすめた。守も、一応は、フォークで、皿の上の料理をすくおうとするのだが、心ここに有らずという感じで、フォークは、皿の上を踊っているばかりだった。守は、食事より、話をしたいようだった。

 

 

 

(4)

「あの日、俺に会いに来た進は、予定より帰るのが遅くなってしまった。もし、定刻通りに帰っていたら、進自身も、遊星爆弾に巻き込まれていただろう」

 ユキは、守の言葉に少しどきりとした。『定刻通りに......』そう、世の中には、そういう運命の分かれ道があるのだ。

「両親の死後、進は変わってしまってね。人と争って勝つ事で、自分を支えているようだったんだ。それまでは、争う事をとにかく嫌っていて、虫も殺せない子だったのに」

 ユキは、守が小さなため息をついたように見えた。きっと、守は、小さい頃の進を、とても可愛がっていたのだろう。守は何か、昔の事を思い出しながら、話しているようだった。

「この間、再会した時もそうだった。進は、素直な性格だから、結構傷つきやすい。必要以上に自分を責めてしまう......」

 守は、少しカシャカシャ音をたて、メインディッシュの肉を切り出した。それは、食べるためというより、気持ちを落ち着けるために、フォークとナイフを動かしているように、ユキには見えた。今日の会議をいつもと違い、簡単に引き下がってしまった事といい、この落ち着きのなさといい、いつもの感じと違った守を、ユキは感じていた。

 メインディッシュの皿は、片付けられ、デザートがテーブルに置かれた。給仕は、軽く会釈して去り、まわりに誰もいない事を確認した守は、今日の本題らしき質問をユキに投げかけた。

 

「ユキ、君は、進が、このまま軍にいることが、あいつにとって幸せだと思うかい?」

 ユキは、思いがけない質問に、まばたきを何度も繰り返してしまった。

「あのう、それは......」

 守がかなり真剣である事は、今日の落ち着きのない姿から、よくわかっていた。ユキは、どう答えたらいいのか、わからず、答えかねた。

「進は、優秀な人材だよ。兄の俺から見ても。これから、地球防衛軍の再編計画が進んでいくと、当然、進もその中に組み込まれていくだろう。それも、かなり重要なポストにね。でも本当に、それでいいのだろうか、と思ってしまうんだ。進は、本当に、それを望んでいるのだろうか」

 守の問いは、ユキも感じていた事だった。宇宙にいる事を望んだ進は、星間パトロールという、進の功績に対して、異常に低い地位にいた。

「たまにね。あの時、両親が死ななくて、進が、軍人なんかにはならなかったらどうなったってたんだろうと、考える事があるんだ。」

 守は、食べる気のないデザートを、フォークで、おもちゃのようにつつきながら、話を続けた。

「世間の人に、名前を憶えられる程の功績を、一生かかっても残せないかもしれない。それでも、進は、そういう人生の方が、幸せに一生を過ごせるのではないのかなって」

 確かに、ごく一般の二十歳そこそこの青年の生き方ができるのなら、どんなにか、気が楽で、楽しい事か。ユキもそのように思う事がある。きっと、進も同じように思う事があるだろう。でも、進が、心から、そう望んでいるのか、ユキですらわからなかった。

 

 

(5)

「その選択は、今でなければならないのですか?」

 何と答えたらよいのか、ユキは、迷った。守に、心のどこかで、何となく、自分もそう思っていた事をつかれたような気がした。『そんな事はない』そう否定できない自分が確かにここにいる。その、なんとも言えない不安を解消するため、ユキは、守に、質問を投げかけた。

 視線をガラスの向こうに向けていた守は、ユキの言葉に、敏感に反応した。その時、守は、ユキもまた自分と同じような疑問を抱いていた事に気づいた。

「わからない。でも、今の進は、自分でも、なぜ軍にいるのか、自分はこの先、どうしたいのか、わかってないと思う。ヤマトの事だって、沖田さんが進に託したまま逝ってしまったから、進は、離れなれないんじゃないのかな」

 『ヤマト』の言葉を聞いて、ユキは、自分の顔が火照るのを感じた。ああ、自分が、一番気になっていた事を、この人も気づいていたのだ。

 ヤマトと共に、一人死のうと考えていた進。今度、同じような事があった時、進は、また、一人で逝こうと思うのだろうか。それとも、自分と生きる道を選ぶのだろうか。ユキは、進の心が、ヤマトに囚われていることが不安だった。進が、星間パトロールに固執しているのは、ヤマトの居場所を探すためなのかもしれないと思った事もあった。

 ユキは息を飲んだ。

「だから、だから、古代君をヤマトから離したのですか?」

「一つの艦を背負うには、まだ若すぎるよ。こだわり過ぎてしまうんだ、若すぎると。自分もそうだったしね。進がヤマトに乗り続けたら、あの時みたいに、一人で残ろうとする事があるかもしれない」

 守の言葉に、ユキは、寂しく微笑んだ。進のヤマトに対する思いは、まるで、魔物に魂を奪われているようにも見えた。一見立ち直って、元気そうに見えても、ユキは、何も言わない進が怖かった。

 ユキは、ただ、皿を見つめ、美しく飾られた皿の上のモノを恨めしく思った。むげに残すのは、余計な心配をコック長にさせるだけであろう。ふたりは、言葉を発する事なく、黙々と、皿の上の食べ物を口に運んだ。

 食事が一通り済んだ後、ユキは、食後用に頼んだコーヒーを一口飲んだ。その時初めて、さっきの皿の上のモノが、とても甘かった事に気づいた。

 

「うまく、話せるといいですね」

 守の言う事なら、少し違う反応を見せるかもしれない。守が帰ってきてから、進は、随分変わった。ユキは、それまで、沖田十三以外の人物に、精神的に甘えている進を、見た事がなかった。守には、その甘えが、兄としては許せても、上司としては許せないのだろう。表面上、今の生活をとても楽しんでいるように見える進が、どういう選択をするのだろうか。ユキは、守にこの事を任せようと思った。

 

 

(6)

 食事が済み、守は、ユキを車まで送っていった。

「今日は、済まなかったな。一方的に話をしてしまって」

 守は、思っていた以上に、ユキに話してしまった事を、反省しているようだった。食堂を出てから、言葉少な気に、自分のペースでどんどん歩いていく守を見て、考え事をしている進とよく似ていると、ユキは、思った。

「いいえ、古代君の事を、しっかり見ていてくれる人がいて、安心しました」

「そう?」

「ええ、あんまり頼ってくれませんから」

「そうかな。随分、君を頼っているようにみえるんだけど」

「大事にはしてくれるんですけど......。相談してはくれません」

「あいつは、自分の事を人に相談するタイプじゃないからな」

「そうかもしれません。でも、守さんには、甘えてますね。今まで、人から頼られる姿しか見てなかったので、意外でした」

 守の目がやんちゃな子どもが悪戯する時のように、輝いた。

「じゃあ、次回には、いかに古代進は、甘えん坊の少年だったか、の話をしよう」

「はい、楽しみにしています」

 ユキは、進が自分に甘えている事を喜んでいる守をみて、こういうのが『お兄さん』なのかなと思った。一人っ子のユキには、兄弟という関係があるこの二人が、やけに羨ましく思えた。

 車のドアをしめようとした瞬間、守は、思い出したように、ユキに声をかけた。

「そうだ、もうひとつ進に言っておくよ。早く結婚しろってね。」

「あの......、それは......」

 ユキは、急に言われた言葉に、答える事が出来ず、ただ、顔が赤くなっていくのを感じた。

「二人とも若いから、まだ必要ないと思っているかもしれないけれど、本当にこの人と一緒にいたいと思ったら、結婚した方がいい」

 『この先、どうなるかわからない』そう、続けようとしたが、守は、手を上げ、ドアを閉めた。

 

 ユキと別れた守は、地上の、ビルの間を歩いた。誰一人歩いていない、生きているものが何もいないような、清潔で、静かなゴーストタウンの様なビル群。機密の場所に近づくと、警備ロボットに見つかってしまうので、あまりふらふらできないが、守は、この場所が好きだった。

 誰もいないのに、異常に明るいライトに照らされた舗道を歩いていた守は、自分が、なぜここが好きなのか知っていた。あんなにも毎日、仕事を目一杯いれて、考えるのを最少に押さえているのに、その反面、時々、ここに来て、あの頃を思い出している自分がいる。あの幸せな一年間だけが支えで、何とか生きている。

 守は、ライトの明るさでほとんど星の見えない夜空を見上げた。

 

 

(7)

 進は、何も言わず、車を運転していた。ユキは、進が何を考えているのかわからず、不安になった。

 

「明日の夜に、二人っきりになりたいって、言っていたわ」 

 地球に着いたばかりの進に、ユキは、守の約束を伝えた。進は、ただ一言、

「ドライブに行かないか?連れて行きたい所があるんだ」

 そう言ったっきり、その事に対して一言も語ろうとしなかった。命日の話を出さなかったが、進には、守が何を言いたかったのか、わかったようだった。

 

 車を運転している進の今の心の中には、ユキの存在なぞ、片隅にもないようであった。ユキは、ただ、外の風景をぼぅっと眺めているしかなかった。

 街を離れ、かなり長い間、草だけが繁っている緑地地帯を走っていた。進は、何かで確認する事なく、かなりスピードをだして、車を走らせていた。その姿は、何度も走り慣れた道を運転しているかのようだった。

 

 進の目的地についた頃には、日は、傾きかかっていた。進は、車を止めると、エンジンを掛けたままドアを開け、降りた。

「はぁー。やっぱり、夏は暑いね」

 車の外に出た進は、上着を脱いで、体を伸ばした。目を閉じ、深く深呼吸をする進の姿は、まるで、この場所を確認しているようだった。進は、上着を車の座席に投げ込むと、エンジンを切り、助手席のユキに手を差し伸べた。

「ごめん。どこへ行くかも言わなくて」

 進は、いつもの通り、やさしい笑みをユキの目の前に見せていた。

 ユキは、進に手招きされ、車の外へ出た。昼間の刺すような強い光はなかったが、車の外に出た瞬間、汗がどっと吹き出してきた。

 車から降りたユキは、車がちょうど、大きな窪地の端に止められていた事を知った。進は、驚いているユキの手を取ると、ゆっくり、窪地の中心に向かって下りていった。ユキは、進の導きに従い、ゆっくり歩いて、ついていった。

「古代君?」

 突然止まった進に、ユキは声をかけた。進の視線は、数メートル先の、一本の木の苗に注がれていた。

 

「ここなんだ。父と母が最後にいたのは」

 進の言葉に、ユキは、進の横顔を見た。斜め後ろにたっているユキには、進の顔は見えなかったが、進の手は、ぎゅっと、ユキの手を握った。

「ここにね、バス停があったんだ。大きな木があってね、母さんが好きな所だった......」

 ユキは、進のすぐ横に足を進めた。進の横顔が見える。こういう時の進の顔は、無機質なものを見ているように無表情であった。進のここでの体験は、彼にどんな影響を及ぼしたのだろうか。ユキが近づいた事に気づいた進は、ユキの肩を寄せた。

「あの日、何時間かかったかわからないけど、ここまで歩いて戻ったんだ。遊星爆弾が落ちたここに。それからかな。勘で来れるんだ。なぜだかわからないんだけど、何もないんだけど、ここには、迷わず来れるだ」

 進の心の熱さを、ユキの身体は感じていた。

 

 

(8)

 夏の暑い外気にふれる事なく、毎日を過ごしているユキは、ブラウスがじっとり汗ばんできたのを感じた。

 進は、そっと、ユキの肩から、腕を外した。

「ごめん、暑かっただろう。車に戻ろう」

 ユキは、もう少しこの場所にいたいという気持ちを言う事が出来ず、進の後をついて歩いていった。両親の話をしたがらない進が、はじめて、明かしてくれた。だから、もう少し......。

 

「ユキ。疲れた?」

 少し遅れ気味のユキを気にして、進は声をかけた。振り返った進は、いつもどおりの笑顔だった。

「ううん、ちょっと、あなたの御両親のこと考えていたの。」

 進は、ユキの言葉には答えてはくれなかったが、わざわざ、ユキの立っている所まで戻ってきた。ユキの左手を掴むと、軽く引っ張るようにして、一緒に歩く事を促した。

「きっと、父さんとの思い出の場所だったんだよね」

 進は、歩きながら、ぼそっと呟いた。

 ユキは、その言葉で十分だった。進の両親も、こんな風に手をつないで、このあたりを歩いたことがあったのだろうか。今は若い二人が、夕日に照らされて歩いていた。

 

 

「こわいな」

 夕日に追われるように走っていく車の中、進は独り言のようにいった。

「何が?」

 ユキが、運転する進の横顔を見つめた。

「兄さんと、何を話したら、いいんだろう?」

「いつもどおりでいいんじゃない」

「いつもは、兄さんが、聞いてくるだけだよ。仕事絡みの話が多いしね」

「心配?」

「うーん、今まで年が離れていたせいか、会話になってなかったし」

「最初から、うまくいかなくてもいいじゃない」

「ああ」

 進は、守と二人っきりになる事を気にしていた。

「兄弟だもの、大丈夫よ」

「ああ。そうだね」

 その時、戦闘中の凄味のある進と違い、自信のない、普通の青年の進がユキの隣にいた。

 

 

(9)

 守は、必要以上に時計を気にしていた。集中力が途切れると必ず時計に目が行く。計画案の練り直しのことと、進のことがだぶって、考えがまとまらない。キーボードを叩く手は、何度も止まり、そして、頭をかく。朝から、何杯飲んだかわからないぐらいコーヒーを飲んだ。  

 今日は、何日かぶりで進に会う。それだけならいいのだが、未だ進にどう切り出すか、考えがまとまっていなかった。二人っきりで何を話そう?守は、 膨大な仕事を目の前にしながら、集中できない自分にイライラしていた。

 

 守が軍に入った頃から、地球は絶えず外からの侵略者に狙われていた。しかし、そのような状態ではない今でさえも、地球防衛軍の仕事はたいして減ってはいない。絶えずくり返される、惑星・衛星から採掘される物資の蜜貿易は、警察の手に追えず、宇宙での戦闘もたびたび起きていた。太陽圏内では、こうした小さいごたごたが、日常茶飯事のように起こっていた。

 守は、いろいろな報告書を読みながら、なぜ、自分はこんな事をしているのか、不思議な気持ちになった。誰からの束縛を受けず、自由気ままに生きる......そういう生活に憧れていたはずなのに。そんな矛盾を抱きかかえている自分に、進に意見をする資格が本当にあるのだろうか。自分自身、本当に納得して、仕事をしているのか。答えのでない自分への問いかけの答えを探しながら、机にちりばめられた書類を、守はぼんやり眺めた。

 

 トゥ−トゥ−トゥートゥ−

 考え事をしていた守は、通信機からの受信音にすぐ反応をする事が出来なかった。何度鳴ったかわからない程、受信音を鳴らしている通信機に表示された発信者名は、地球防衛軍司令長官の藤堂であった。守は慌てて受話器を取った。

「何か、緊急な事でもありましたか、長官」

 秘書を通さず、直接かけてきた通信を珍しく思った守は、先に声を出した。

「いや。2、3時間程度、一緒に司令部を離れて、出かけたいのだが......。別に、今日でなければならない事でもないので、無理ならば別の日でも」

 いつもと違って、端切れの悪い藤堂の言葉に、守は、何か不自然さを感じた。それでも、今、この部屋にいても仕事はこれ以上進まないだろう。守は、時計を見た。2、3時間なら、大して遅れる事はない。守は、二つ返事で行く事を告げ、散らかった机上を、ほんの少しかたづけた。

 

 

(10)

 「すまないな、突然で。司令部での仕事は、他の参謀たちに任せてきたよ」

 『突然』の用であるのに、藤堂の用意周到ぶりに、守は、少し驚いた。何日も前から、この日が来る事を、ある程度予測しての行動のように見えた。

「長官、いったいどこへ行くのですか?」

 勤務中、行き先を告げぬまま、二人が司令部を抜ける事は、今まで一度もなかった。

「あの、そんなに重要な事なのですか?」

 守の言葉に背を向けたまま藤堂は、エアカーの乗り場へ向かって歩きだした。守は黙って、藤堂のあとについていった。

 二人は、エアカーを乗り継いで、郊外へと進んでいった。目立たない家屋の地下に、緊急避難用の入り口がある。学校や郊外に数カ所あるその入り口の一つ、たぶん避難訓練の時だけ開かれるドアが、開いた。そこから、高速のエレベーターで地下に降りていく。誰も住んでいない旧居住地。枯れ果てた植物。かろうじて、エアカーとエレベーターは、緊急用として整備されていたが、他の建築物は、ほとんど使用されてはいない状態であった。守たちは、人に出会う事なく、どんどん地下に降りて行った。

 旧司令部の近くなのだろうか、見覚えある通路を見ながら、守は、来た道を確認していた。藤堂が向かっているのは、守の記憶では、医局の方向であった。医局の中も、緊急時のため、いつでも使えるよう、メンテナンスは行き届いているようだった。ただ、人がいないだけで、そこは、昔と何一つ変わってはいなかった。

 そして、二人は、大きな厚いドアの前まで来た。そこからは、関係者以外立ち入り禁止区域なのだろう。入室チェックの機能がついている。

 藤堂は、守に、身分カードと声紋、指紋、瞳の登録を促した。

 

[mamoru kodai ] Registered

 

 登録済みの表示がでた後、厚いドアが左右に開いた。 ドアの中は、煌々とライトがつき、パネルの表示が点滅しており、今現在使用していることを証明していた。それは、非常用のライトしかついていなかった 今まで通ってきた所と大きく違っていた。藤堂は、かまわず、どんどん奥へと進んでいった。

 .....ッン、カツン、カツン、カツン

 奥から、規則正しい足音が響き、白衣の人物が現れた。藤堂も、医師らしいその白衣の男も、お互い連絡済みなのだろう。淡々とした二人の様子から、守は、藤堂が自分をどうしたいのかを推測できなかった。

 白衣の男が軽く藤堂に一礼する。守を見ても、顔色を変える事はなかった。どうやら、守が来る事も、その理由もわかっているらしい。

「なにか、あれから変わった事は?」

「いえ、いつものとおりです」

「そうか」

「上からだけですが、よろしいですか?」

「ああ、案内を頼む」

 二人は、短い言葉をいくつか交わしただけだった。守は、ただ、藤堂の横に突っ立っているしかなかった。

「それでは、こちらへ、どうぞ」

 守は、導かれるまま、動き出した白衣の後ろについて歩き始めた。

 白衣の男が案内した部屋のドアが開いた。そのがらんとした広い部屋の奥は、ガラス張りになっていた。そこから、下の部屋が見えるようになっているらしい。

「どうぞ」

 白衣の男の口元がそう動いたのだが、守は、すぐに動けなかった。何か、見てはいけないものがそこにあるのではないか?

 男は、手をガラスの方を指し、再び守に見る事を促した。ゆっくり、ガラスの方へ近づいた守は、下の部屋が見えた瞬間、まるで、子どものように、窓に張り付いた。目を一杯に開き、息を殺して。

 

 

 

(11)

 何気ない日ほど、二人にとっては、貴重な時があふれていた。二人は、子どものようにはしゃいでいた。ままごと遊びの延長のようだといわれれば、二人は、そうだと答えるかもしれない。

「ユキ、できた?」

「う〜ん、一応」

 キッチンでの作業が終わり、コンロのスイッチを切った進は、ユキに声をかけた。

「いい匂いね」

「ああ、だいたい成功かな」

 すぐ後ろに近づいたユキを察した進は、次の瞬間、するりと移動した。ユキは、進の立っていた所に飛びつこうとしていた。

「おっと、危なかった」

 進は、ユキの両手を見ながら、笑っていた。

「残念。やっぱり、古代君の勘ってすごいな」

「君もすごいよ。物覚えいい」

「そう?見た目は自信あるんだけど」

「その手さえ、見なければ、美味しそうに見えるよ」

 手にいっぱい御飯粒をつけたユキは、頬を膨らませ、手を進の方へ近づけていった。

「ごめん、ごめん。手を見ても美味しそうだよ」

「もう!」

   

 

 守は、何度も何度も、ガラスの向こうを確認した。下の部屋には、一人の人物が機械から伸びた無数の管に繋がられていた。規則正しく動く機械、データを表示する画面、うす暗いライト。部屋には、生きているものがいるようには感じられない。しかし、その中心に眠る人物は、守もよく知っている人であった。

 沖田十三。宇宙戦艦ヤマトの初代艦長。

 その前は、守の上司だった。最後の地球艦隊司令。

 守は、藤堂に詰め寄りたい気持ちを押さえ、振り向き、睨んだ。『なぜ?』

 藤堂は、守に近づき、そして、横に立った。

「沖田十三は生きている......。しかし、意識は戻らないままなのだ」

 守は、目を伏せ、苦悩に満ちた藤堂の横顔を見つめた。

「ど、どういうことなのですか?」

 守の言葉に、藤堂は、目を開き、沖田のいる方向に顔を向けた。

「イスカンダルからの帰還直前、沖田十三は、心臓が止まった。佐渡先生は、その体をすぐさま、冷凍保存し、ここへ運んだ。それが功を奏したのか、その後、地球の最高医療チームの処置後、再び心臓が動き始め、蘇生した。しかし、しかし、脳には、異常がないのに、意識が戻らないのだ」

 守は、再び窓にはりつき、眠る沖田十三に視線を移した。

『進がこの事を知ったら......』

 守が一番最初に思ったのは、そのことだった。

 

 

(12)

「兄さん、少し遅かったね」

 インターフォンから聞こえてきた進の声は、少年の頃のように、弾んでいた。

「カギを開けたから、入ってよ」

 進は、手が離せないようである。守は、進の言葉どうり部屋の中に入っていった。テーブルには、いろいろな料理が並んでいた。守は、料理を見ていて、ある事に気づいた。

「ワイン冷やしているんだけど、日本酒の方がよかった?南部が結構いいワインくれたんだ」

 ソファーには、読みかけの本が無造作に何冊か置かれていた。守は、少し厚い本を一冊、手にとってみた。題名から、植物に関する専門書のである事がわかった。部屋を見渡すとソファーの上だけではなく、部屋の何箇所かの隅に、本が積まれていた。

 

「兄さん?」

 返事のない守を気づかって、進がキッチンからでてきた。進は、守が部屋にいることを確認すると、微笑んだ。進の体は、あの頃より大きくなっているが、目もとは、昔のままだった。

 守が本を持っているのに気づくと、進は、ソファーの上の本を重ね、抱えた。

「ごめん、兄さん。さっきまで、本読んでたから......」

 守の様子がいつもと違うと察した進は、再び、やさしい瞳になった。そして、守に近づいて、本を受け取ろうと手を差し出した。進は守が持っている本を掴んだが、守が手を離さなかった。引っぱり取ろうとするのだが、守がしっかり持っているので、取る事ができない。進は、守の目を覗くようにして見た。

「進」

「ん、何?」

 進は突然本の重さを手のひらに感じた。守が本を離したのだ。

「何?兄さん」

 守は、進の明るい視線を外したくて一瞬下を向いたが、すぐ顔を上げた。

「おまえ、大学に行く気はないか?」

「えっ?」

 突然の、予想だにしなかった守の言葉に、進は一瞬戸惑った。

「軍を辞めて、大学へだ」

 守は、強く進に言い放った。守の目は、進を捕らえていた。

「軍にいながらならまだしも、辞めてだなんて。第一、無職になって、誰が学費や生活費出すの?」

「俺が出す」

 守が言い出したら、なかなか引かない質(たち)だと進は知っていた。進は、この場をどう切り抜けるか考えた。

 

 

(13)

 兄ゆえの責任感なのか、なぜ守が急にこんな事を言い出すのか。

「兄さん、何かあったの?突然変な事言い出して」

 守から受け取った本を一番上に乗せ、本を両手で抱え直しながら、進は、部屋の隅に本を運ぼうときびすを返した。

「な、何......」

 進のからだの向きが変わる瞬間、守の手が進むの襟元に伸びた。進はいとも簡単に、襟元をつかまれてしまった。

「にいさ..ん......」

 苦しさに顔をしかめた進は、それでも、守に対して、無抵抗だった。締め上げられる程近づく守の顔は、怖いくらい真剣だった。

「なぜ、こだわる。なぜ、軍人なんだ、なんで宇宙なんだ」

 守の力は、中途半端ではない。

 どさあ、どどぉー

 進は、苦しさのあまり、持っていた本を落とした。

 空いた両手で、守の腕をつかみ、引き剥がそうと、進はもがいた。

「う、うぅ......」

 進は、力を入れていた手の力を一瞬抜いて、後ろに転ぶため、重心を下げた。守は、下に座り込むような進の動きについていけず、進の上に倒れ込む体勢になってしまった。

「はぁっ」

 守の倒れ込む勢いを使って、進は、守を蹴り飛ばした。

 だだん、がたっ

 

「う、くぅう」

 壁に強く打ちつけられた守は、脇腹を押さえ、うずくまっていた。

「兄さん!」

 進は、守の様子に驚き、走りよった。それが、進のやさしさであって、弱さでもあった。しかし、進のその姿は、守が求めているものではなかった。守のそばに膝をつき様子をうかがう進の姿に、守は、無性に腹が立った。

 ぐゎしっ。

 身を乗り出した進の顔面を守は、拳(こぶし)で殴った。

 拳のあたった左頬を押さえ、進は、上半身を起こしただけで、動こうとしなかった。ほとんど腰が入っていない拳なのに、進は、理由なく守に殴られたことで、ひどく動揺していた。

 守は、壁を支えにして立ち上がった。脇腹は相当痛いらしく、無意識に手を当てていた。その守の姿を見ながら、進も立ち上がった。

「はぁ。いつまでもおまえは子どもじゃないんだ、進。もっと前を見ろ、もっとまわりを見ろ」

 守の怒号の声の大きさは、守の憤怒の度合いを象徴していた。 

 

(14)

「おまえは、自分のしたことの結果をきちんと見ているか?」

 守は、一歩一歩、脇腹を押さえながら進の方にゆっくり近づいた。

「軍人であれば、許されると思っていないか?」

 少し進んでは立ち止まり、息を整える。痛さを振払うように、首を振り、目をカッと開く。そして、心を落ち着け、再び言葉を続けた。

「おまえは、死んでいった人々に対して、恥ずかしくない生き方をしているか」

 守の言葉に、進は、ただ黙っていた。

 守はいやになった。こんな事をして、何になる?守の目の前にいるのは、小さかった頃の進だった。 やさしくて、守のことをいつも追いかけてきた、進。守は、自問自答をくり返した。自分は、あの時みたいに自分に甘えてくる進で、いて欲しいのか。それとも......。

 

「ばかやろう」

 それは、自分に叫んだのかもしれない。守は、進に殴り掛かった。しかし、守が殴りかけても、進は逃げようとはしなかった。ただ、体を少しずらして、ダメージを少なくしているだけだった。それでも、確実に何発かは、効いているようだった。進の口元が赤く腫れていた。

『なぜ?』

 進は、守の行動が理解出来ずにいた。

 守は、近くのテーブルに片手をおいて、体を保っていた。

「進、佐渡先生のことを知っているか」

 ソファに、腰の半分をもたれ、みぞおちを押さえている進に、守は、別の話を切り出した。

「あれ程の名医なのに、なぜ、ヤマトに乗る前は、獣医をしていたのか」

 守は、進の反応をジッとみていた。進は、今まで、大して気にもしなかった質問に答える事が出来なかった。

「その顔は、知らないようだな」

「どういう事?」

 進は、口の中を切った事に、その時、気がついた。喋ると傷口がしみる。

「十年前、遊星爆弾被弾跡に一人の少年が調査団により、発見された。多量の放射能をあびてしまった少年は、当時、違法な方法で、ある医師によって、奇跡的に助けられた。しかし、その医師は、罰せられた。その治療法が認められる何年間、医療の現場に入る事すら許されなかった」

「それは......」

 進は、自分がそういう事の上で助かった事を、初めて知った。そして、自分を生かしてくれた人の名を。

「おまえは、もっと、自分を大切にしなくてはいけない。死んでいった仲間の分、おまえを見守ってくれた人の分」

 ヤマトの艦医佐渡酒造と自分が、そんな所で接点があったとは。進は、今までのヤマトでの生活が、思い出が、止める事が出来ぬ程、あふれ出てくるのを感じた。

 

 自分の身体なのに、自分でコントロールできない。進は、守の言葉で、心を揺さぶられていた。守は、進の動揺を見ながら、言葉を続けた。

「おやじとおふくろが今のおまえを見たら、なんて言うだろう」

 進は、自分の手を見た。左手の手のひらのうっすらと残っている傷を、そっと確認した。

 

 

 

(15)

 進は、はっきり覚えていた。守が宇宙戦士訓練学校へ行ってから、家の中がすっかり、静かになった事を。

 入学するまで、兄は、両親から猛反対されていた。

 人と争う事、競争する事を嫌っていた進の両親は、町医者だった。毎日、朝、夜関係なしにやってくる急患を、快く迎え、時間がある限り往診を続けていた父親、そして、それを支えていた母親は、どんなに忙しくても、子どもに対してやさしかった。しかし、この時ばかりは、違っていた。何日も、何日も、兄と両親は平行線の状態を続けた。

「おとうさん、今、僕は、この仕事をしたいんです。少しでも、人の役に立つ仕事がしたいのです」

「その仕事に、本当に誇りが持てるのか」

 もう、十年以上も前、父と兄の交わした言葉。

 兄がいない家は、灯が一つ消えた以上暗かった。父と母を喜ぶ顔を見たさに、 必要以上はしゃいだ。でも、後から、疲れている自分がいることに気づいていた。

 

 ある夏の日の宵闇の中、進は、初めて蝉の幼虫が、木に登っていくのを見つけた。木に登って、そっと、蝉を木から剥がす。その瞬間、進は、木から滑り落ちてしまった。右の手のひらには、脱皮する前の幼虫がいた。左手は、落ちた時に、けがをしてしまった。

「どうした?進」

 往診帰りの父は、木から落ちた進に声を掛けた。

「なんだ、手をけがしたのか」

 二人で、暗い道を帰った。進は、父に、そっと右手の宝物を見せた。

「蝉の幼虫か。幼虫からでたばかりの蝉は、透き通っていて、きれいなんだぞ」

 父の顔は、疲れているはずなのに、とても嬉しそうだった。

 家に帰った進は、父に言われたように、網戸に蝉の幼虫を這わせた。

 母は、進の手の傷をひどく気にしていた。消毒をし、薬をぬってくれた母は、進の手をやさしく包んだ。

「あなたの手は、人を救う手でありますように」

 宇宙戦士になる兄のことを憂えていたのか、進に医療の道に進んで欲しかったのか。その意図は、今となっては、知る由もないが、進は、母のやさしい手の感触はよく覚えている。

 その時、網戸の幼虫からは、背中を割って、白い成虫が、脱皮し始めていた。

 

 

(16)

「おやじとおふくろが今のおまえを見たら、なんて言うだろう」

 いったい、自分は、何億という人の人生を狂わせてしまったのだろうか。

 進は、何も入っていない握り締められていた右手を今見ていた左手で包んだ。その進の目の前に守が立ちはだかっていた。

 

「じゃ、じゃァ、俺は、どうすればいいの、兄さん」

 進は、守の肩を掴んでいた。守を見上げた進の目は、さっきまでの、柔らかい目でなかった。もうひとりの進の、冷たく、どう猛さを秘めた目だった。

「兄さんに何がわかる」

 守は、避けたつもりだったが、進の拳は、守の左頬に、見事なまでに入った。守は、後ろに転がった。そして、すぐに立ち上がる事が出来なかった。守の奥歯は、ぐらついていた。

『なんて、力なんだ』

 初めて知った進の強さに、守は、驚いた。

 

 今度は、さっきのように、守の側に近寄ることはしなかった。進は、右手をぎゅっと握りしめた。血が出る程、強く。そして、自分の中に押さえきれない、もう一人の自分をはっきり認識した。兄の挑発に自分を押さえる事が出来なかった。

 進は、逃げ出した。兄の思惑はどうであれ、兄を殴ってしまった。右手の感触が抜けない。部屋を後にした進は、とにかく、その場を離れたかった。

 とにかく、ひとつひとつ確かめたかった。進は、雑居ビルの片隅に車を止めた。

 

「アナライザー、今日は、満月だがちょっと曇っているなー」

「ツキガトッテモアオイカラー、トーマワリシテ、ヒック」

「ははは、今日の酒は、おいしいのう」

 佐渡酒造は、ヤマト乗船以前からの友、ロボットのアナライザーと、気持ちのよい酔いを楽しんでいた。裏口の階段をめざしていた佐渡は、月が雲間から現れた瞬間声を上げた。

「ほーう、今日の月は、美しい!」

 そして、佐渡は、裏口の非常階段に誰かがいるのを見つけた。

 雲間からさしている月の光に照らされているその姿は、暗いビルから、白く浮き出ていた。

「ほぉ−お、珍しい客じゃな」

 非常階段にうずくまっていたのは、進だった。

 

 

 

ILLUSTRATION BY よっしー

[第一章 シロイハネ 終わり] 

 

(17)につづく



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