『蝉の声』
第三章 蝉噪[SENSOU]
(28)
ユキの心の中には、不安の種が尽きなかった。進は、休暇の間、ほとんど家には居らず、外出ばかりしていた。仕事の合間にかけた電話からは、留守を伝えるメッセージばかりがくり返されていた。それでも、仕事から帰宅すると、にこやかな笑顔の進が待っていた。
仕事を抜け出し、エアポートにたどり着いても、きっと進は、自分のことを待ってはいない。それでも、できる限り近道をして、走っていた。
「無理して、抜けてこなくてもいいよ」
今朝、進に言われたものの、やはり、出勤してから、時間ばかり気になってしまった。結局、まわりの人の善意によって、外出できることになったのだが、いかにも嬉しそうにお礼を言うことが苦痛だった。
定期便の時間が近づき、家族との別れをしている人たちで、エアポートはごった返していた。ユキは、なかなか進を見つけることができなかった。やっと、見つけた進は、新しい相方と打ち合わせを熱心にしていた。『きっと、気づかない......』
『やっぱり、かえろう』ユキは、笑って打ち合わせをしている進の姿を想像しながら、出口へむかおうと思った。
「ユキ!」
それは、進の声だった。離れた柱の側でぼんやりしていたユキは、自分の名を呼ばれているのに、気づけなかった。進が、そんな大きな声で、自分を呼ぶとは、思ってなかったし、人目をはばからず、大きな振りをして、呼んでいる姿は、進には見えなかった。
「どうした?ユキ」
この休暇の進の不可思議な行動を、ユキは、理解できずにいた。追求もできなかった。目の前にいる進も、いつもと違う進にしか見えなかった。
「いえ、ごめんなさい。もう、行ってしまったかと勘違いして」
「そう。ああ、こっちは、今度、パトロール艇にいっしょに乗る長谷川啓(ひろむ)」
進の少し後ろにいた青年は、進より少し若く、大人しそうな男だった。進が、無理に自分の前に押し出したのだが、ユキに対しても、ただ、頭を下げて挨拶するぐらいだった。
「おい、ちゃんと口で挨拶しろよ」
「す、すみません。初めまして、長谷川です。古代艇長といっしょに勤務できるだけで、舞い上がっています。て、艇長のフィアンセは、とてもきれいな方だと、聞いていたんですけど、本当にそうなんで、ちょっと、あの......」
ガチガチになりながら喋る青年は、目を合わせるのを恥ずかしがって、下を向きながら、ちらちらユキを気にしていた。進は、そんな男を、ニコニコしながら、眺めていた。
「じゃあ、ユキ、時間だから......。そうそう、いつものように、定期通信の最後に、探して欲しい本や、論文のリストをくっつけて送るから、毎回チェックしておいて。もし、兄貴になんか言われたら、全部話せばいい。俺に探してくれって頼まれたって」
ユキは、驚いた。今までそんなことを言われたことがなく、進は、そんなことを、頼む様な性格ではない。
「古代くん?」
ユキが聞き返そうとした瞬間、進は、そっと、ユキの両腕を掴んだ。
『えっ?』ユキは、完全に唇を塞がれた状態になった。人前では、絶対しないのに、なのに......。
「忘れないで、毎日だよ。じゃあ」
離れていく進は、笑顔を振りまいているようだった。
ユキは、進が触れた唇を手で覆いながら、その場から、動くことができなかった。
(29)
*****一日目*****
「かわいい方ですね。顔を真っ赤にしてましたよ」
長谷川啓(ひろむ)は、エアポートのユキを思い出しながら、話しているのだろう。進は、その言葉に答えるわけでもなく、雑誌を読み続けていた。啓は、何も言わず、進の顔の横に持っていたマグカップを差し出した。
「ああ、ごめん。無視していたわけじゃないんだ」
進は、きちんと座り直し、マグカップを受け取った。啓は、進の笑顔で少し機嫌を直したのか、隣の自分の席に座った。
「結婚は、しないんですか?」
カップを傾けていた進は、啓の質問でその動作を止めた。
「俺と組んだやつは、いつも最初に、その質問をする...。そんなに変かな?」
進は、また、カップに口をつけた。進の好みを知っていたのだろうか。啓の作った紅茶は、おいしかった。
「いえ、きれいな方だったので。心配じゃないのかなって」
進は、クスクス笑い出した。半分近く残ったカップを、啓の側の小さいテーブルに置いた。
「まだ、若いし、今の状態で満足しているから。結婚のメリットがないし」
進は、読んでいた雑誌より、啓(ひろむ)との会話に興味を持ったのか、雑誌を閉じた。
「お前は、付き合ってる人とかいないのか」
進の言葉で、啓は、両手を振り回した。
「いっいません。お女の人と話すこと自体苦手だし......」
啓の振った手が、すぐ側にあった、進のカップに触れた。カップは、床に落ちていった。
「あぁっ」
進の手が伸びるのが間に合わず、カップは床に落ちてしまった。
「す、すみません」
啓は、動揺しているのか、落ちたカップが、どこに転がっていったのかわからず、辺りをさぐった。
「おい、カップは、ここだ」
進は、落ちたコップを拾い上げた。そして、近くの(艦内についている)掃除機の吸い口を、こぼれた紅茶に向けた。
「おいおい、いくら、防水になっているとはいえ、計器類の内部に、水が入ったら、機械がオシャカになっちまうんだぜ」
進の素早い対応を、ただ見ているだけの啓は、かなり動揺していた。進は、そんな啓の姿を見つめていた。
「ホントに、すみません!」
「気をつけろ。いつも、万全な状態でいられるわけではないんだ、宇宙では」
「はい......」
紅茶でぬれた啓の手のため、進は、ハンカチを差し出した。啓がなかなか受け取らなかったので、進は、ぬれた手のひらに、直接ハンカチをのせた。
「すみません」
啓の声は、消えてしまいそうなほど、小さくなっていった。
「でも、紅茶はおいしかった。また煎れてくれよ」
「はいっ」
啓の元気な返事に、安心したのか、進は、イスを倒して、再び雑誌を広げた。
(30)
「ごめんなさいね、相原くん。こんなこと頼んで」
ユキは、進のメッセージを教えてくれるように、司令本部で通信業務担当の相原義一に手を合わせて、お願いをした。
「いいですよ。他でもない、ユキさんの頼みごとだし。でも、ホントに変ですね。古代さんが、こんなことを頼むなんて」
「ええ......」
義一の言葉に、ユキは、また不安をつのらせた。義一は、側にいて、自分の言葉が不用意なものであったことに気づいた。
「ユキさん」
義一は、ぼっと、考え事をしていたユキに声をかけた。
「え、なに?」
「昼、島さんと食べる約束なんですけど、いっしょに、食べませんか?島さん、こっちに用があって、来ているんですよ」
「ええ、今日は、緊急なことが入らない限り大丈夫だけど」
「じゃあ、場所が決まったら、連絡します」
「ありがとう」
ユキは、義一の気遣いが有り難かった。
昼間の食堂は、やけにざわざわしている。仕事の話をする者、うわさ話に花を咲かせている者、一人で、かきこむように食べている者......。
「変だね」
ユキの話を聞いた、島大介は、食べる動作を完全に止めていた。
「今回の休暇に、連絡なしだったし」
「えっ、島君、会ってないの?」
大介の言葉に、ユキは、過剰に反応して、つい大きな声を出してしまった。ユキは、進の昼間の留守の一回分は、大介であろうと思っていたのだ。ユキは、大きな声を出したあと、口を押さえた。
「守さんとのことは、相原から聞いていたんで、気になっていたけれど、ちょうど、システムを切り替えていて、忙しくて」
「そう......」
ユキの声は、だんだん小さくなっていった。
「あのぉ」
義一が、申し訳なさそうに、声を出した。
「実は、島さんだけに、今日言おうと思っていたんですけど......」
義一は、ユキの方を、ちらっと見て、話し出した。どうやら、ユキの存在を気にしているらしい。義一は、まわりに聞こえないように、急に 声をひそめた。
「古代さんが、女性といっしょだったのを、見たっていううわさを聞いたんです」
(31)
「その女性、以前から、守さんと付き合っているっていううわさがある人で......」
ユキは、知らぬ間に、そんなうわさが司令部内で流れていたことがショックだった。まわりの人の優しさが、自分のことを哀れんでしてくれた行為のように思えた。
「もしかしたら、ミューズのママ?」
そう言った大介は、しまったと思った。ユキの顔が、その瞬間、硬直していったのを、見てしまったのだ。大介は、義一に、目配せした。『これは、まずい』
「ミューズって?」
ユキの顔は、少し赤く、そして、口元が固くなっていった。
「守さんたちの世代の人がよく行く、店なんです」
ユキは、守が、よく同期の人たちと話しているのを、司令部でよく見ていた。ガミラスからの遊星爆弾が激しくなった頃、訓練学校を卒業した彼らは、正義感が強く、死亡率も高い年代であった。そのためだろうか、いまだに、結束力が強い。彼らは、ヤマト以前の、圧倒的にガミラスより遅れた兵器で戦ってきた、古武士たちである。 進や大介のヤマトに多く搭乗した世代も、つながりを大事にしていたが、同じ場所で働いているユキは、両者の雰囲気の違いを肌で感じ取っていた。
「そこのママと、守さんとの仲が、異常にいいからって、前から、うわさがあったんです。兄弟が喧嘩したことも重なって、たぶん、それに尾ひれがついて、そういううわさになったんだと......」
義一は、一生懸命、最もらしい言い訳を作ったつもりだった。
しかし、ユキは、それが、単なるうわさではないと思った。ただ、進が後ろめたいことをしていた様子はないのに、自分に何も言ってくれなかったことが、さみしかった。
ユキの箸の動きが完全に止まったのを気にして、大介が、声をかけた。
「もしかしたら、守さんのことで、会ってたのかもしれないし、今度帰ってきたら、古代に詰問すればいい。あいつが、何も言ってなかったってことは、たぶん、その程度のことなんだよ」
ユキは、落ち着いた声で話す大介に視線を移した。その隣の義一は、ユキの顔色をずっと、見ていた。ユキは、箸を再び動かし始めた。
「そうね、帰ってきてから、古代君をねちねちいじめるのもいいわね」
ユキの言葉を聞いた二人は、ほっと、肩をなでおろした。ユキは、その様子を見て、皆が、ヤマト以外でも、二人のことを、いつも気にかけているのだと気づいた。
「ぼくも、なるべく情報を集めて、教えますかすから」
「ありがとう。相原君。手始めに、ミューズのママって人のこと、調べてもらっていい?」
「いいですけど......」
「大丈夫よ。直接彼女に、怒鳴り込むなんてまねしないから」
大介は、ユキの見えないところで、義一をこづいた。
「じゃ、なるべく早くそろえておきますよ」
(32)
*****二日目*****
時計の針は、ずいぶん前に、12時を通り越していた。
「今日は、あまり人が来なかったわね」
女は、店の外のライトのスイッチを全部オフにした。
「瑞樹(みずき)が変なうわさになるようなことをするから」
古代守は、飲みかけのグラスを無意識になぜながら、女に向かって言った。瑞樹という名の女は、どんなうわさ話かわかっているようであった。テーブルを片付けている手は、止まることはなかった。
「いいじゃない。彼、ホントにかわいかった」
グラスをなでていた手の動きが止まった。守は、グラスを持ち上げ、残っていた酒を一気に飲み干した。
「本気になるなよ、瑞樹」
「さあ?」
瑞樹は、首をかしげて、戯けた。
「かわいいフィアンセがいるんだ、進には」
「そう」
瑞樹は、守の言葉を、聞き流しているようだった。
「瑞樹!」
瑞樹の態度に、イライラしたのか、守は、強く呼んだ。
瑞樹は、カウンターに身を乗せるように寄り掛かり、守の目の前に顔を突き出した。急に振り向き、自分の側に身を乗り出した女の動きに守は驚いた。瑞樹は、守の額を指で弾いた。
「瑞樹......」
一瞬、ぽかんとした顔をした守を見て、女は、にっこり微笑んだ。
「大丈夫よ、もう、会わないわ」
そう言うと女は、後ろを向いて、手に持ったグラスを、棚にしまった。
「艇長は、本を読むことが好きなんですね」
長谷川啓(ひろむ)に急に言われ、進は、上半身を起こした。
「それも、動植物の難しい本ばかり。私なんか、文字読んでいると、眠たくなってしまうほうですから」
啓は、進の隣の自分の席に座った。
「ははは、興味のないことは、俺だって同じようなもの」
進は、本にマークされた、論文名を、手帳に書き写していた。
「今、地球では、野生の動物と植物を根付かせるか、いろんな研究がなされているからね。いくら、読んでも追い付かないぐらい、論文が出ているんだよ」
進は、手帳の一ページを切って、手帳に書いてある文書名を書き写した。
「長谷川、定時の通信の時間、もうすぐだろう。さっき教えた、異常がない時の文面の後に、これを入れてくれないか」
進は、啓(ひろむ)に、紙を渡した。
「わかりました。艇長、他に何か打たなくていいのですか」
啓は、用心深いタイプなのだろうか、さっき、進が説明した手順を全部メモしていた。計器の横に張られたメモの横に、進からの手帳の切れ端を貼った後、もう一度、進の方を向いた。
「ああ、混乱するだけだからな。とりあえず、お前一人でも、通信できるようになっておかないと、非常時の時、困るから」
「了解。それでは、定時の通信を送ります」
進は、啓の動きを、隣の席から眺めていた。
(33)
*****三日目*****
森ユキは、朝、司令本部のフロアに入ると、相原義一に、手招きされた。
「とりあえず、この程度ですけど」
義一は、半分に畳んだ紙片をユキに渡した。
ユキは、そっと、その紙を開いた。
『ミューズ 北原瑞樹』の文字。そして、その下に、書かれた、簡単な地図。
「ありがとう、相原くん」
ユキは、そう言うと、紙を元の形に沿って折った。その動作を見届けた義一は、小さいせき払いを一つすると、囁いた。
「この間言っていた、古代さんとその女性のうわさなんですが......」
ユキは、言葉を見のがさないように、耳の後ろに手をやった。
「いろいろなうわさがあって、確定できませんでした」
「そう......」
ユキの言葉は、力が完全に抜けていた。しかし、義一からもらったメモをぎゅっと、握り締めると、何もなかったかのように、義一の席から離れていった。
自分の持ち物である手帳に、メモを挟んだのだが、ユキの目には、しっかり、文字が刻み込まれていた。
『ミューズ 北原瑞樹』......
「どうした?」
ユキは、初めはわからなかったが、自分に対して声がかかったことに気づいた。声の方向を見ると、そこには、古代守がいた。
「いえ、ちょっと、考え事をしてました。すみません」
言葉とは裏腹で、守の目からは、今のユキが、普通ではない状態に見えた。だが、守は、それにかまってはいられなかった。
「ユキ、今日は、ちょっと、司令部の外に行くから、緊急の時は、呼び出して欲しいと長官に伝えてもらえるかな?」
「はい、それだけでいいんですか?」
「ああ」
守は、いつもと違い、元気のないユキを見て、もっと、言葉をかけてあげたかった。しかし、今は、その時ではない。気持ちを、胸に押し込めて、守は、しばらくユキの動きを遠くから見ていた。
(34)
守は、まだ設備がきちんとしていないドックに来ていた。そこでは、突貫作業が行われているのだろうか、何人かの作業員による、小形艦の整備が急ピッチに進められていた。
艦橋に登ると、そこには、数人の乗組員が、計器のチェックをしていた。
「どうだ?」
守は、一番全面に座っている男に声を掛けた。
「たぶん、自動から、手動には、今日中に、切り替えが終わるそうです」
男は、片手にマニュアルを持って、操艦のチェックをしていた。
「この航海が、お前の最後の仕事だ。自分の力を出し切ってくれ。北野」
守は、そう、強い語調で言った後、つぶやくような声を、北野哲にかけた。
「悔いが残らないように」
戦艦の艦橋ほど広くはないが、この艦には、五つの席がついていた。全面に二つ、左右に一つずつ、そして、後方に一つ席があった。守は、後ろの一段高い 艦長席に向かってゆっくり歩いて行った。
守は、その席に無造作に置かれたマニュアルを、掴んだ。
何ページかをパラパラとやり過ごし、赤いマークがついているページを開いた。そして、一字一字丁寧に追っていった。
トゥートゥー。トゥートゥー。
艦長席の通信機がなった。表示を見ると、機関室からだった。守は、マニュアルを広げたまま、受信のスイッチを押した。
「先任参謀。そちらにおいででしたか。機関室の作業がもうすぐ終わります」
「そう、こっちの作業が終り次第、発進の作業に入る。この艦は、試験的に改装しているのだが、実戦に投入されても、きちんと動くように、整備は、万全にしておいてくれ」
「はい」
その艦内通信の間中、哲は、熱心に、チェックを続けていた。最後に、もう一度、艦を手動で動かすことができる......。それは、儀式なのかもしれない。軍から離れて行く前の。
<もったいないけど、お前の生き方なんだから、お前が決めたことが、一番だと思うよ>
哲は、突然進の言葉を思い出した。
『もしかしたら、古代さんも?』
哲は、後ろを振り向いた。守は、マニュアルをペンで印をつけながら確認していた。
(35)
*****四日目*****
「艇長、紅茶をどうぞ。」
その声に反応して、長谷川啓(ひろむ)に差し出されたティーカップを、進は、受け取ろうとした。
「おい」
「あ、すみません」
啓の差し出したティーカップが、進の手と随分ずれていたのを指摘され、啓は、カップを引っ込めた。
「気をつけろよ」
「はい」
進にカップを渡すと、啓は、自分の席についた。啓は、進がカップを顔に近づけて、香りを楽しんでいる様子を見つめていた。それに気づいた進は、カップを膝の上に戻した。
「香りが強いな......。おい、そろそろ、今日の定時の通信を送る用意をしろ」
「はい。艇長、今日は、いつものようにメッセージを送らないんですか?」
啓の顔は、体ごと進の方を向いていた。いつものように、答えを求めるような、すがるような目で、進を見ていた。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
進は、そう言いながら、ごそごそしながら、手帳を取り出した。左手は、カップを持っているので、右手だけでページを送りながら、進は探した。そして、該当のページを見つけることができたのか、上半身を、啓の方にずらし、書かれている部分を親指で押さえながら、手帳を差し出した。
「今日は、これを」
「あ、はい」
啓は、進が差し出した状態そのまま、受け取ろうとした。 しかし、進は、その伸びてきた手の上に、ポンッと 手帳を乗せた。
「もう、少し自信を持てよ」
進は、必要以上に慎重な啓をたしなめた。
「す、すみません」
啓がちらっと、自分を見るのを気にしつつ、進は、膝の上で、湯気を出しているカップを見ていた。
そっと、カップを口元に近づけ、もう一度、香りを確かめた。カップは、あらかじめ温めておいたのだろうか、まだ、十分温かい。啓の作る紅茶は、香りが少し強かった。今日は、特に、匂いに酔ってしまいそうなぐらい強く感じた。その上に、レモンの香りは、ちょっと、きつい。
『しょうがないか......』
艇内は、啓のキイを打つ音が響いていた。最後に、送信のボタンを押すと、啓は、ホッとした顔をした。そして、隣の進の顔をうかがった。
床には、からのカップが転がっていた。
啓は、イスからそっと立ち上がると、進の席に近づき、床のカップを拾い上げた。同時に、手をついて、床が濡れていないことを確認した。
すうっと立ち上がった啓は、進の席の真横に立ち、進を見下ろすように眺めた。
「おやすみなさい、古代艇長」
(36)
フロアには、定時の終了を告げる時計の音が、静かに流れていた。引き継ぎを済ませ、帰る人、席に着く人の中、ユキは、何度も何度もキーを打ち続けた。
タンッ。
検索のボタンを押して出てくるのは、『0件』の結果だけだった。
「ふーぅ」
今日の通信で送られてきた文字をもう一度眺めてみた。いくら探しても見つからない。
「どうした。ユキ」
一人、キイを打ち続けるユキに気づいたのか、古代守が近づいてきた。ユキは、反射的に、メモを左手の中に隠した。
「いえ、少し探し物を......」
ユキは、守の視線を避けるように、わざと違う画面をディスプレイに出した。
「進に頼まれた?」
「!」
ユキは、守の言葉に、胸を突かれた。斜め後ろの守の方に振り返った。
「図星か......。それで?」
守は、腕を組んだ。ユキは、いやな予感がした。守は、まるで、こうなることを予想していたようであった。ユキは、進の言葉を思い出した。
<もし、兄貴になんか言われたら、全部話せばいい。俺に探してくれって頼まれたって>
『探してくれ......』
ユキは、はっとした。進が、伝えようとしていたことは、別のことだったのではないのか。
「ここでは、なんだから、食事に行こう」
守は、ユキがいじっていた端末を強制終了させた。
「えっ......」
「さあ。いつもの食堂でいい?」
守は、うなずくように顎を少し下げた。それは、ユキに同行するよう、促しているサインだった。
「はい。少し待って下さい。いま、荷物を持ってきますから」
ユキは、自分の荷物をまとめ、守と共に、司令本部の司令室を後にした。
(37)
夕方の食堂は、ライトの明るさが不必要なほど明るかった。西空の雲が、夕日を受けて、気持ちが悪いくらい、鮮やかな赤紫色に染まっていた。
ユキの中で、あの時の進の声が、姿が、時間が経つにつれて、鮮明になっていった。進は、あの時、何を伝えたかったのだろうか。ユキは、守に話すことで、自分の心の中で疼き出した不安が、解消されるかもしれないと思った。
ユキは、進との約束を守に話した。
「『探してくれ』か。まあ、今日は、通常だったから、明日の通信で送られてきたものも、やっぱりそうだったら、教えてくれないか」
守の言葉は、ユキの不安に対しての慰めにはならなかった。
「あまり、進だけを特別視できないからね。明日の通信次第で、連絡を取ることにするよ」
何百と散らばるパトロール艇の行動を毎日チェックしていたら、切りがないだろうことは、ユキにもわかっていた。定時の報告時に、一日の航路のデータも送られてくるため、勤務状況もつかめるようになっていたので、何も異常がない場合は、音声や、文字だけの報告で通していた。
気落ちしたユキは、首を少し下げた。そのため視線が下がったユキは、詰め込むように食べている守の姿に気づいた。短い時間の中、守の皿の中身はほとんどなくなっていた。ユキは、守の忙しさを知った。
「すみません」
ユキの言葉に、守は、自分が相手のことをかまわず食べていたことに気づいた。ユキの皿は、ほとんど、手がつけられてなかった。しかし、守には、まだ、やらなければならない仕事が待っていた。
「いや、伝えてくれてありがとう。無理矢理付き合わせて、悪かったな」
「いえ」
守は、食事を済ませると、司令室へ戻っていった。
ユキは、一人、雲の端の残る、鈍いピンク色を見ていた。
「どうだ、『部屋の掃除』済んだか」
守は、通信機に向かって、話した。
「はい、いくつか『ゴミ』がありましたが、片付けました」
「ありがとう。次は、ちょっと広いが、このフロアを掃除してくれないか」
「わかりました。すぐ、取り掛かります」
通信機の男の画像が消えた瞬間、通信機に違う番号を打ち込んだ。画面には、さっきと違う男の姿が現れた。男の敬礼を受け、守はうなずいた。
「どうだ、明日の夜、出航できそうか?」
(38)
紙に書かれた住所は、この辺りである。ユキは、治安の良いとは、お世辞にも言えないこの雑居ビルの区域で、右往左往していた。
「じゃ、瑞樹ママ、また来るよ」
「ありがとう。今度は、ゆっくりしていってね」
非常階段だと思っていた階段の上から、偶然聞こえた声に、ユキは反応した。『みずき』という言葉に。
そこには、階段の上から見送る女と、階段の上から降りて、帰っていく男の姿があった。女は、しばらく男を見送っていたが、自分のことをジッと見つめているユキに気づいたのか、視線をユキの方に向けてきた。
ユキは、すぐ視線を反らした。それで、女の視線をかわせればと祈った。
カッカッカッカッカ......
女は、階段を降りてきた。ユキは、無関心を装っていた。しかし、階段を下りた女は、ユキの肩にぽんと手を乗せた。
「やっぱり。森ユキさんですよね」
ニコリとした女は、ユキの手を取った。
「ここだと寒いわ。店に来て。今は、誰もいないの」
さっぱりとした言葉と柔らかい笑顔。強引な行動なのに、ユキは、何も言い返せなかった。女に引っ張られて、つられるように階段を上りながら、ユキは、声を出した。
「あ、あの、私......」
「ふふふ、待っていたの、あなたが来ることを」
女の言葉に驚き、目をぱちぱちさせた。『待っていた?』
女は、ドアを開けると、ユキのウエストの辺りに手をまわした。そして、そっと、店に押し込むようにユキを押した。
「カウンターに座って。ちょっと待っていてね」
女は、手際良く、スイッチを切ったり、最後の客のグラス類を片付け始めた。ユキは、座ることができず、カウンターのイスの前に棒のように立っていた。
「さあ、座って。あまり、気を使わないで」
そっと、両手を肩に乗せ、ユキに座るように言う女の目は暖かい目だった。
「あの。北原さんですよね」
「ええ」
返事を簡単に済ませ、女は、カウンターの中に入って行き、ユキに何を出そうか思案していた。
「私のこと待っていたって、おっしゃってましたね」
「ええ、あなたは、きっと来ると思っていたわ」
女は、喋りながら、後ろのガラスの棚から、ティーカップのセットを取り出した。
「どうしてですか」
瑞樹は、ポットの中に、一さじ、一さじ、ゆっくり茶葉を入れた。
「ん〜、そうね。あなたが、十年前の私に似ていたせいかしら」
(39)
「私が、ですか?」
ユキは、瑞樹という名の女の昔と似ていると言われ、ショックだった。
「ええ。信じたくない?」
「いえ、私は......」
ユキの言葉を遮るように、瑞樹は、ポットの中にお湯をそそいだ。
瑞樹は、笑っていた。声を出しているわけではなかったが、口角があがった口元は、確かに笑っていた。
ユキは、この場から立ち去りたい気分になった。瑞樹の目から逃げたかった。 自分を見すかしている、やさしい目から、逃げたかった。
「何か、何か、聞いていませんか、古代くんから」
ユキは、瑞樹がそっと目を閉じながら何かを考えているのを見ていた。 もしかしたら、自分よりも、瑞樹の方が、今の進を理解しているのかもしれない。
「ごめんなさい。あなたが聞きたいと思っていることは、何も聞いてないわ」
進は、この女性と何を話していたのだろうか。ユキは、自分が進をきちんと見てなかったのではないかと思った。
カシャッ
カップが擦れる音で、ユキは、目の前に紅茶を出されたことに気づいた。
「信じてあげて。今は。不安で心が潰されそうになっていても」
ユキは、そっと、女の方を向いた。視線が合うと瑞樹は、ニコリと笑みを返した。
彼女は大人なのだ。そう思ったユキは、この空気の中にいっしょにはいられない気持ちになった。
「今日は、すみませんでした」
ユキは、席を立って一礼すると、出口のドアの方に向かって駆け出した。
司令室は、夜勤の数人が残っているだけで、昼間のように、喋り声も聞こえないほどだった。皆、モニターのチェックや、新しいデータを送くる仕事にそれぞれが専念していた。キーが叩かれる音だけが、妙に、大きく聞こえた。守が残って仕事をしているのも、いつもとかわらぬ風景だった。
守は、キーの操作が終わると、イスにもたれた姿勢で、画面のデータを眺めていた。指先で画面に流れる線をたどっていく。そして、次の画面に変わっていくのを見守った。
守は、突然思い立ったように、通信機にナンバーを打ち込んだ。画面に人物が写し出されると、守は、イスにきちんと座り直した。
「テスト航海は、明日の夜に決定した。明朝、時間を連絡する。以上だ」
相手の言葉を聞くことなく、守は、通信機のスイッチを切った。
フロアには、相変わらず、キーの音だけが響いていた。
(40)
*****五日目*****
ユキは、休日を一人で過ごしていた。夕方になれば、相原義一が、進からの伝言を知らせてくれる。しかし、進の伝言よりも、昨日の初めて会った瑞樹の言葉が忘れられない。
『信じてあげて......』
逃げるように、店から帰ったユキは、自分の気持ちが、いろいろなことから逃げているように思えた。
部屋の窓から見える雲は、生き物の様に、うごめいていた。何年前ぶりだろうか。こんなに長い時間、空を眺めていたのは。ユキは、進といる時にも、何時間も空を見上げていたと思っていた。しかしこんなに雲の動きをじっと観察したのは、初めてだった。進の側にいる時は、いつも進のことを気にかけていた。
『この人は、今、何を考えているのだろうか』
結局、空がうっすら紫色を帯びてくるまで、ずっと、一人で部屋にいた。
『私は、何をしたらいいの?』
トゥートゥートゥートゥートゥ−トゥートゥ−......
うとうとしてしまったのか、それとも寝ぼけてしまったのか。通信機から聞こえる音が耳にこだまする。電気のついてない部屋は、もう、すっかり日が沈んでしまったせいで、暗かった。しかし、それが、本物の音であることに気づくと、ユキは、光っているランプを目安に、受話器に飛びついた。
「すみません。森ユキです」
通信機の言葉は、速くて、聞きそびれそうだった。できるだけ早く、司令部へ出て来るようにという言葉を聞き取ると、普段着のボタンを外そうとしたところで、ユキの手は、止まった。外からは、ほとんど見えないとわかっていても、カーテンを閉めようと思った。暗い部屋の中、窓に向かって歩いて行く。窓の外は、西の空の厚い雲が、いかにも重たそうな色をしていた。一番星が、ちかちかと輝いていた。
ユキが司令部に着くと、夕刻すぎなのに、フロアには、いくつかの声が飛び交っていた。ぼっと、立っていると他の人の邪魔になってしまう程であった。
「森さん、先任参謀が、待っています」
ユキの二の腕を捕まえて、話しかけてきた者がいた。
「あ、はい」
ユキは、皆の動きの渦には、入れなかった。いったい何があったのか?
「ユキさん」
ユキの顔を見るなり、義一が、驚いたように声を上げた。ユキは、そのかん高い声に一瞬、驚いた。
「どうしたの?いったい」
「こっちに、来て下さい、説明しますから」
こわばった顔をした義一は、ユキをフロアの上段の方へ押しやった。ユキの目線は、自然と上段の方に向いた。そこには、守が、腕を組んで、画面を睨んでいた。
(41)
ユキには、守が、まわりの人々の慌ただしく落ち着きのない中で、一人浮き出ているように感じた。
まわりから、そして、通信機からの情報が、絶えることなく守に届けられていた。ユキが、一歩一歩近づくにつれて、フロアの人間の目は、その後ろ姿を追っていった。
ユキが現れたことによって、変わっていく空気を察知したのか、守は、ユキの方を向いた。呆然と歩いているユキのすぐ後ろには、義一がついていた。
「ユキ」
守は、画面を見ていた顔と違う、少し困ったような表情をしていた。
「はい」
「誰かから、説明は?」
守の言葉に、ユキは、少し首をかしげた。義一は、ユキの後ろで、そっと、首を振った。
「そう......」
守は、一度、視線を床の方に落として、小さなため息をついた。
「ユキ、じゃあ、状況の説明をまず。16時の定時通信の後、航行中の輸送艦隊が襲われた。その後、近くのパトロール艇が急行。結局、輸送艦隊の荷は、奪われ、駆け付けたはずのパトロール艇のうちの一隻は、行方不明。その直後、現場空域にメッセージ入りカプセルが届けられた。これが、その中身......」
ユキの顔をちらちら見ながら、守は、自分の前のディスプレイにその中身を写し出した。
「なんですか?」
ユキは、画面に写った、(比較のためにとなりに置かれたものと比べて)小さいものが何かわからなかった。守も、はじめてみるユキには、説明不足だと思った。
「君に来てもらったのは、理由があったんだ。ユキ」
守は、少しためらっていたが、キーを叩いて次の画像を出した。
写し出された画像を見て、ユキは、なぜ自分が、この画像を見なければならないのか、わからなかった。守は、そのユキの表情を見て、次の画像に変えた。そして、スライドで、写真を交換するように、キーを定期的に打っていった。守は、数枚の画像を何度も繰り替えしてユキに見せた。
一こま一こま、少しずつしか動いていない、同じような画像を見ていたユキは、その画像のまん中の、後ろ姿で写っている男に釘付けになった。守は、そのユキの様子を見て、画像を止めた。
何が写っているのかわからなかった最初の画像を除いた、すべての画像には、数人によって、取り押さえられている男の背中と、背中で手首を縛られているように固定された両腕が写っていた。止まった画像には、取り押さえられている男の顔がちらりと見えていた。
「古代くん.......」
ユキの後ろに立っていた義一は、最後の希望が失せたかのように、肩を落とした。
「ありがとう、ユキ」
守は、言葉とともにディスプレイのスイッチを切った。しかし、ユキには、守の言葉が届いていなかった。さっき、ちらっと見えた、苦しみに歪んだ、進の顔の輪郭だけが、ユキの頭に焼き付いていた。
(42)
あれから何時間たったのだろうか、ユキは、司令部のフロアの自分の席に座っていた。その姿は、マネキン人形のように動くことがなかった。医務室で、休憩することも勧められたが、ユキは、ここで一番新しい情報を、自分の耳で聞きたいと申し出た。
そのユキの姿に声をかけるものは、皆無に近かった。慰めの言葉は、今のユキに、何ももたらさないことがわかっていたからだった。宇宙で、船を捜査することの難しさを、星間航行を経験したユキは知らぬはずはない。ましてや、アステロイドベルト地帯のような小惑星や岩が多数あるところでは、捜査する側も、お手上げ状態であった。
輸送艦隊の襲われた現場に残されたカプセルの中身は、進の写真と進の『爪』であった。守から進の写った写真を見せられた数分後、現場の鑑識の結果で、小さい物体は、進の爪であることが確認された。その報告が、司令部に伝わった時、守の右手の拳にぎゅっと力が入ったのを、ユキは見ていた。
報告された言葉を頭の中で何度も繰り返すうち、ユキは、血が逆流したのかと思うほど、胸が締め付けられた。それから、ずっと、食事取ろうとせず、机に座っていた。机についた方の手で顔を覆っていたので、表情を見ることはできなかったが、時折、差し入れする者が声をかけると、顔を少しもたげ、断わりの言葉を返すのが精一杯であった。
ユキは、宇宙港で進と別れた時のことを思い出した。満面笑顔の進を、何度も何度も思い出した。
非常事態の状態は、続いていたが、フロアは、夜が深まるにつれ、閑散としてきた。通信担当の相原義一は、自分の番ではなかったが、やはり、進の安否を心配して、フロアに残っていた。そして、ユキの様子と、自分の目の前の計器類を交互に見ていた。
トゥルルールーン
久々に開いた扉から入ってくる人物を見つけると、義一は、声をあげずに手を振った。それに気づいて、うなずいて答えた、その男は、ユキが座っている席に向かって歩き出した。
「ユキ」
聞き覚えのある声に、ユキは、顔を上げた。
「島君?」
島大介は、そっと、ユキの両肩を掴んで、ユキと視線を合わせた。ユキの目は、今にも泣きそうな目だった。
「ユキ、俺を先任参謀のところへ連れていってくれないか?」
「島君を?」
大介は、うなずいた。
「そう。守さんのところに」
大介の目は、何かを決意しているような目だった。
ユキは、そっと立ち上がった。その様子を、遠くから義一が見守っていた。
(43)
ユキが大介とやって来たのは、守の部屋だった。
進の確認が済んだ後、守は、自室に戻っていった。ここは、一般の軍人が入れるところではない。しかし、長官秘書であるユキは、フリーで入いることができた。いつになく堂々としている大介は、足早に部屋へ急いだ。ユキは、時々小走りをしないと大介に追い付くことができなかった。
ユキは、入室を簡単に許可された。もちろん、大介が同行していることは、内緒だった。
ドアが開くと同時に大介は、一番奥に座っている男に向かって進んでいった。
「あ、あなたは......」
大介は、イスに座っている男の前に立つと、驚いた。後から近づいたユキは、大介の後ろから、その男の姿を見て、その名を呼んだ。
「伊達参謀」
なんとなく、後ろ姿が似ていたが、守とは、全く違う人物がそこにいた。
「先任参謀に会いに来たんです。彼はどこにいるんですか」
大介は、守が不在なことで、ひどく慌てていた。
「彼は、ここにはいない」
守の部下である伊達がそう答えると、大介は、ゆったりイスに座る伊達の前の机に両手をついて、身を乗り出した。
「お願いです。時間が惜しいのです。先任参謀を......」
大介が話している途中に、伊達は、イスから立ち上がった。
「先任参謀は、いないんだ。もう、地球に」
大介とユキは、その言葉に驚いた。伊達は、イスの後ろの窓にもたれた。
「島、君が来ることは、何となくわかっていた。例の改装中の艦のことだろう」
「なぜ、そのことを.......」
ユキは、大介のつぶやきのような言葉を聞いて、大介の本心がその艦にあることを知った。
「さっき、一時間ほど前、発進したよ。特別任務のために」
伊達は、ゆっくり、大介に向かって言葉を投げた。
「そ、そんな」
大介は、別の衝撃があったのか、ひどくその言葉に驚いていた。何か思い当たったのか、大介の目がカッと見開き、伊達に詰め寄った。
「まさか、古代をおとりにしたんですか」
伊達は、大介を無視するように、背を向けた。
「全部、計画的に進めていたんですね。突然の改装や、さっきの艦隊の配置変更の命令も」
ユキは、大介の言葉を聞き、守の様子に合点がいった。
伊達は、動じることなく、窓の外の暗闇を見つめていた。
(44)
「二人にまかせているんだ」
伊達の静かな声が響いた。
「そんな......。滅茶滅茶無理する二人なんですよ」
「わかっている。そんなこと」
大介は、圧倒されていた。伊達が、これ以上進めないように、立ちはだかっている様に感じた。
「わかっているんだ。だがな、島」
伊達は、ゆっくり、大介とユキの方に振り返った。
「あの二人は、一人ずつだと無茶するが、二人だったらどうだろう?」
ユキは、伊達の方を見た。『二人だったら.......』
大介は、息を飲んだ。『二人だったら......』
伊達は、二人の様子を見て、うなずいた。
「そう、二人なんだ。戦っているのは。長官もそういう理由で、GOサインを出した。」
伊達は、再びイスにどっしり腰を下ろした。
「信じないか。あの二人を」
ユキは、その言葉をきき、瑞樹の言葉を思い出した。
『信じてあげて。今は。不安で心が潰されそうになっていても』
「わかりました」
大介は、きちんと背筋を伸ばし、伊達に敬意を示した。
ユキは、大介の横で、二人の様子を見ていた。
『私は、信じることができるのだろうか......』
「今回の事件で、多くの軍関係者が検挙されている。かなりの人数のスパイが入り込んでいたんだ。盗聴、データ流用......。買収されていたものも含め、軽犯罪まで取り締まりきれないほどになるだろう」
伊達は、机に少し身を乗り出した。
「この部屋は、大丈夫だと思うが、まだまだ、司令部のフロアは、不特定多数が出入りするため、セキュリティーが100パーセントにならない。君たちにも、これ以上言えないので、命令に従ってもらうしかない」
伊達は、ユキと大介を交互に見た。
「私が言えるのは、それだけだ」
大介は、何も言わなかった。伊達は、言い終わるとユキの様子をうかがっていた。ユキは、男たちのように信じることができない自分が悲しかった。
「ユキ、この件が解決するまで、別のセクションに行った方がいいか?」
その言葉で、自分の信頼度まで奪われそうな、そんな不安感を感じた。
「いえ、大丈夫です」
「そう」
伊達の言葉は、無理をするなと言われているようで、嫌だった。
(45)
*****六日目*****
大介は、ユキを車の横に乗せていた。
ユキは、伊達の言葉に納得することもなく、揺れていた。
今自分たちのすべきことはない。そう、感じた大介は、ユキを自宅に送ることにした。
『進は、いったい何を伝えたかったのだろう?』
ユキは、考えていた。
「一人っ子の君には、わからないかもしれないけれど、今回のあの二人の喧嘩の話を聞いた時、いいナァと思った」
ユキは、大介が、とても楽しそうに話すのを恨めしく感じた。
「ぼくもね、十何年したら、弟とあんなふうに喧嘩できるのかなって」
ユキは、大介の横顔を見た。大介は、笑顔を返した。
「古代を見ているとね、弟の未来を見ているみたいで、つい、口を挟みたくなってしまうんだ」
フフッと大介は、笑いをもらした。
「変だろう?」
伊達も大介も信じているのだ。ユキは、進のことをあんなに心配していた大介が、笑っているのを見てそう思った。
「大丈夫だよ、あの二人は。お互いをものすごく気づかってる......。わかりあってる」
そんなことは、わかっているつもりなのに、ユキは、不安に負けそうだった。
『信じてあげて。今は。不安で心が潰されそうになっていても』
瑞樹の言葉が、頭から離れなかった。
車を降りると、街のライトのせいで、星が数えるほどしか見えなかった。
今、この空の向こうで、進は戦っているのだ。
ユキは、宇宙(そら)に背を向け、建物の中に入っていった。
第三章終わり
(46)につづく
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