『蝉の声』
第四章 空蝉[UTUSEMI]
(46)
古代守は、窓の外を見た。守の乗っていた艦は、小さい障害物を蹴散らしながら進んでいた。どうやら、小惑星帯に入ったようだ。
「どうだ、その後、連絡は取れたか?」
通信担当者に守は声をかけた。
「届いているはずです。返信もありましたし......」
「そうか......」
再び守は、窓の方に目をやった。
トゥートゥ−、トゥートゥ−
通信が送信されたことを示すランプが点滅し出した。ヘッドホンを耳にあてて通信を確認すると、男は、守の方に振り向いた。
「間もなく、着くそうです。こちらの正確な位置を送信します」
守は、待切れないのか、席から立ち上がった。
やがて、レーダーは、一つの機体を捕らえた。お互い光を点滅させて、位置を確認しあったあと、小さい機体は、艦の下部に吸い込まれていった。
守は、下部の格納庫で、機体から人が下りてくるのを待った。
「やあ」
機体から下りた男は、白い歯を見せて笑った。その男の後ろから、守に向かって、まっすぐ一つのかげが駆けていった。
「お父様」
守の首に飛びついた少女は、顔を守の顔にくっつけた。守は、少女の勢いの強さで、体のバランスを崩しそうになった。
「お、おっと.......会いたかったよ、サーシャ」
その言葉で、少女は満足のようであった。
「驚いただろう、大きくなったから」
機体から下りた男は、二人の様子を見ながら、ゆっくり近づいた。
「ああ。真田、すまないな、突然で」
二人分の荷物を担ぐように持っていた真田志郎は、一旦荷物を下ろした。
「そうだ、びっくりしたぞ。なんなんだいったい。」
「ここでは、なんだし......。それから、サーシャは、お前の姪ってことでいいかな?」
「わかった。 じゃ、荷物を運びたいんだが」
守は、志郎が下ろした荷物を持ち上げた。
「部屋に行こう。話は、それからだ。さ、サーシャも」
「はい、古代のおじさま」
サーシャは、守に向かってウインクをした。
(47)
「すまないな、サーシャは、寝ていた途中だったから」
志郎は、守が座っているベットに寝ているサーシャの寝顔を見て微笑んだ。
「いや、こっちこそ、突然ですまなかったな」
小さな寝息を立てて眠っているサーシャは、守の手をぎゅっと握りしめていた。守は、サーシャの顔をじっと見つめていた。
「びっくりした......」
「想像以上に、大きくなっていただろう」
守のつぶやきに、志郎は、答えた。
「いや、似ているなって」
守は、サーシャの肩まで毛布を上げた。志郎は、何も言わずその様子を見守っていた。
「進の小さい頃に......。笑った顔が似ていた」
守は、サーシャの手を握られている手の親指でなでた。
守は、志郎に一通り今までの経過をより詳しく話した。
「古代進を救出するのか」
すべてを聞き終えた後、志郎は、少しトーンを落とした声を出した。
「ああ。そのためにサーシャの力が必要だ」
守は顔を上げた。
「位置はわかっているのか?サーシャだって万能じゃない」
「ある程度。移動していたら、勝算はないが」
志郎はため息をついた。
「お前たちは......」
志郎は、守の顔を見ながら、言葉を続けた。
「なんで瑞樹さんを使った?」
守の目が一瞬、志郎の方を向いた。
「ただの連絡係だって言っただろう」
守の言葉を聞くと志郎は、黙った。
二人の間に沈黙の時間が流れた。
「気にしているのか、北原が死んだことを」
志郎の言葉で、守は、最後に瑞樹と会った日を思い出した。
(48)
『明日は、宇宙だな』
守は、瑞樹の店のドアを開ける前に、空を見上げた。ドアを開けると、瑞樹が立っていた。瑞樹は、急に開いたドアに驚いていたが、入ってくるのが守だとわかると、飛びつくように近づいた。
「さっき、森ユキさんが来たのよ」
瑞樹は、守に、いきなり切り出した。
「落ち着けよ。座らせてくれない?」
「ごめんなさい」
瑞樹は、罰が悪そうな顔をして、カウンターの方へすごすごと退去していった。落ち着きのない瑞樹は、いつもの酒を出して、グラスに注ぐ動作をし始めた。
「彼女、心配そうだったわ。とても」
グラスを差し出そうとすると守は、手で押し返した。
「今日は、いい。水だけくれないか」
瑞樹は、グラスの酒をゆっくりこぼした。そして、たたたぁーと流れる酒が、排水溝に向かって流れていく様をゆっくり眺めた。そのグラスに水を注ぎ、ぶっきらぼうな動作で守の前に置いた。
「どうして、弟さんと私を逢わせたの?」
瑞樹の声は、心なしか、震えていた。守は、瑞樹の顔を見たくなかった。瑞樹から渡されたグラスを回しながら、水の渦の中心を見ていた。
「私のため?それとも弟さんのため?」
「自分のため......さ」
志郎は、守の答えに顔をかしげた。守は、つい口に出てしまった言葉を慌てて否定した。
「ああ、いや、そうじゃなくて」
「う、うぅん......」
守の声は知らぬうちに大きくなっていったせいか、サーシャは、うるさそうに寝言を発した。
「多少はね。俺だけだったからな、『ゆきかぜ』で生きていたのは。乗組員が、北原が帰れなかったのは、艦長だった俺のせいだ」
守は、押し殺したような声で話した。守につられて志郎も低い声で話し出した。
「別に責めているわけではないんだ。お前だって、こうして、生きているのは、奇跡に近かったわけだし」
「いや、艦長が俺じゃなかったら、みんな生きていたかもしれない......」
「お前から"IF"の話は、聞きたくないな」
志郎は、今の守に何を言っても無駄であろうと思った。
「場所が大体わかっていると言ったな」
志郎は、座っていたイスから、腰を上げた。たぶん、こうしている間に事態は刻々と変化しているのだ。
「それじゃあ、なんとしても、古代を助けないとな。お前がまた後悔する」
(49)
*****七日目*****
瑞樹は、一人海を見ていた。
アー
波の音と混ざりあうように、声が目の前の空間に響いていった。
瑞樹は、目を閉じた。声だけは、風が海へ空へ運んでいってくれる......
瑞樹のまぶたに、進とここへ来たときの情景がうかんだ。
「もう、泣けないと思った」
進は、海風を受けながら、それでも、水平線を見つめていた。
「両親が死んで、そういう感情は消えてしまったと。そんな自分を、ちょっと、嫌っていましたでも、まだ、泣けるんですね。そういう感情が残っていたんだなと」
「彼女のことを愛しているんでしょ?」
「ええ、そのことで、ふつうでいられる......彼女を愛していることで、自分は、普通の人間なんだなと。もしかしたら、必要以上にそのことにしがみついていたかもしれない」
「じゃあ、これからは、いっしょに生きてかなきゃ」
「いっしょに?」
「そう、自己完結な思いだけでは、相手に負担をかけるだけだわ」
「二人、平行に生きていくの。二人で同じ道を進むこともあるし、時には、離れてしまうこともあるかもしれないけれど、それぞれ自分の道を歩いて行くの。それでも、あなたの横には、いつも必ず彼女がいるはずよ。彼女の横には、きっとあなたがいるし」
進は、どういう反応をしたらいいのかわからなくて、ただ、瑞樹の顔を眺めていた。
それでも、瑞樹は、にっこりとほほえみを進に返してきた。
「変な夏ね。暑さは、昔と変わらないのに。蝉の声がしない夏なんて」
彼女の心の中にも、蝉が泣いている夏の思い出があるのだと、進は思った。
もう、日が傾いていた。青い空と海が、次第に赤味がかってきた。
刻々と色が変わっていく海を見ていた進が、何かを思い付いたように喋り出した。
「日が暮れてくると思い出しません?ドボルザーク作曲の......」
「新世界ね。くくく、それって、山でしょ」
「あは、ホントですね」
二人は、顔を見合わせて笑った。
遠き山に 日が落ちて.......
瑞樹は、歌い出した。進は、その姿を見ていた。空気の中を響く声は、心地よく進の耳に届いた。
瑞樹の歌は、素人が聞いていても、きちんと発声を習った者の歌い方だった。
「歌っている時が一番いい顔ですね」
「そう、失礼ね。いつも変な顔してた?」
「いえ、そうじゃないんですけど。好きなんですね、歌が」
瑞樹に複雑な思いが込み上げてきた。何年前にも、同じ会話が、同じように海の見える場所であったことを思い出した。
(50)
進は、突然目が醒めた。夢で、またあの時の両親を見たのだろうか。そうだとしたら、瑞樹に会えてから、夢の母は、何かを語りかけてくれるようになったのだろうか。しかし、進は、夢のかけらも思い出せなかった。
額には、汗が浮かんでいたが、この真っ暗な世界にいる間は、手足の自由はきかない。手首と足首には、分厚いリングがはめられ、自由に動かせないようになっていた。左手の指にまかれていた包帯が、崩れかけていた。痛さは感じないが、直接モノが触れると、きっと、痛いだろう。不定期に出される食事の為、『時間』を忘れてしまいそうになる。
部屋の小さな窓から見える宇宙だけが、進の心を支えていた。目線をちらりと窓の方に向けただけだが、進には、それで、充分だった。たぶん、この部屋は、何台ものカメラが進の一挙手一投足を捕えているに違いなかった。
ユキは、いつもと変わらない日常を抜けたかった。進が行方不明なのに、地球防衛軍は、何ごともなかったように装っていた。
ユキに対しても、それは、要求されていた。『できないのなら、長期の休暇を取るように』それが、ユキの役割であった。
昨日も、また、一つの輸送船団が襲われ、進の爪が、やはり送られてきた。きっと、今日も、そして、明日も。彼らが進を狙ったのも、毎日爪を送ってくるのも、守に対しての報復なのだろうか?彼らSEVEN EYESと呼ばれている一団は、進をどうするつもりなのだろうか?
「森さん、ちょっと」
食堂で、のどを通らぬ食事を何とか詰め込んだユキは、席を立とうとした瞬間、声をかけれられた。司令本部勤務の男であった。以前、守と談笑していたのを見たことがある。
「これを、あなたにと頼まれて」
「私にですか?」
「ええ」
ユキは、うすっぺらの封筒を受け取った。
「気を落とさないで下さいね。古代は、ああ見えても弟思いだから」
この男は、何か知っているのだろうか。ユキは、何か聞いてみたかったが、男は、用件を済ますと足早に立ち去っていった。
『何なんだろう?』
ユキは、その男が食堂を出ていくのを見送った後、渡された封筒を裏返した。
『北原瑞樹』
やさしい字で書かれていた。
(51)
「ごめんなさい。あなたに話したいことがあって。無理に手紙を頼んで渡してもらったの」
彼女は、ふせ目がちに言った。あまりにも、元気がないユキの姿を見たせいなのであろうか。
ユキは、瑞樹の手紙にあった言葉どうり、瑞樹に会いにきた。
『森雪様。あなたに話したいことがあります。今日は、店は休みです。夕方から店にいますから、来て下さい。 北原瑞樹』
「あなたにだけには、きちんと言いたかったの」
「十年近く前の話から、始めさせて。当時、私の父は、宇宙戦士訓練学校の教官だったの。それで、何かと用事を言い付けて、私を、訓練学校によんだわ。その時、守さんや、当時の学生たちと知り合ったの。彼とは、......私の夫だった人のことなのだけれど、その時、知り合ったの。彼は、医者になりたかったけれど、早く、一人前になりたかったらしくて、宇宙戦士に志願したの。当時は、放射能によって、地球に住めなくなるのは後何年かって時だったから。私は、当時、音楽大学に通っていて、歌手になりたかった。彼は、歌を歌っている私が好きだと言ってくれた......。私は、彼といつもいっしょにいたかった。彼ね、そんな、私の為に軍人をやめてくれたの。そして、医者になるため、大学にはいった。私は、嬉しかったわ。彼と毎日、同じ家で生活できることが嬉しくて。私、大学をやめて、働いたの。私は、歌うことより、彼との生活の方がずっと大切だった。その数年間が、とても幸せだった。でも、彼は、医者になると、また軍に戻ったの。軍医として。わからなかった。なぜ、私との生活から離れて、軍に戻ったのか。そして、軍に戻って数カ月後、彼は、死んでしまった」
ユキは、女の様子をジッと見つめていた。瑞樹は、そこまで一気に話していたが、髪が気になったのか、さっと、髪を耳にかけた。
「一人で話してごめんなさい」
瑞樹は、顔をもたげ、ユキの方を見た。
「それから、そう、死にたかった。何度死のうかと思ったか。でもね、人間って、なかなか、死ねないのね。お腹が空けば、御飯を食べたくなるし、何日も泣いていると、眠たくなるし。昔、訓練学校で知り合った人たちが、いろいろ助けてくれた。みんな、ナイト気分が抜けないのかしら。いつまで経っても、私を昔の少女だと思っているのよ、きっと」
彼女がニコリと笑った。ユキもつられて、愛想笑いのような笑みを返した。
「進さんは......」
彼女は、一度、話を止めた。
「進さんは、死んだ夫に、似ているの。姿形じゃなくて、なんとなく。私の声って、進さんのお母さんの声に似ているらしいの。ちょっと、ずるいことしちゃった。そのこと知っていて、彼に無理難題言って。海を見に行ったり、買い物手伝ってもらったり。その時、進さんに言われたの。『歌っている時が一番いい顔をしていますね』って。そう彼に言われた時、やっと、気づいたの。死んだあの人は、自分の為に歌をやめた私を重荷に思っていたかもしれないって。私は、一人酔いしれて、彼が悩んでいたことに、気づかなかったんじゃないかって。ばかでしょ。そんなこと、何年もかかって気づくなんて。そしたら、また、歌いたくなっちゃった。彼が好きだと言ってくれた自分になれるかもしれないし、何よりも、歌っていて、気持ちがよかったの」
ユキを見ていた女の目は、静かに閉じた。
「あなたに、聞いて欲しかったの。あなたを見ていると、昔の私みたいに見えて......。ごめんなさい。意地悪をして。休暇中、進さんひとりじめして。ごめんなさい」
今のユキには、瑞樹の話をきちんと受け止めることはできなかった。ただ、言葉だけが、ユキの頭に、そのまま残っていた。瑞樹の後ろでグラスが複雑に光っていた。
(52)
「なんだ、今日はえらく不機嫌なんだな」
大介は、自分の帰りを気づかない次郎に声をかけた。
「あっ、兄ちゃんお帰り!」
大介は、ぱっと顔色が変わった次郎の一部始終を見て、かわいいと思った。大介の帰りを待っていた様子である。進の事が気になって、今日は一日、まわりの人を見る余裕がなかった大介は、思わず、口元が緩くなった。
「なんかあったのか?」
大介は、自分の部屋に入る前に、次郎の側に近寄った。次郎も待っていたとばかり、すっと大介にすり寄ってきた。
「俺の言うこと全然聞いてくれないんだ。ホントは、なんにもやってないのに」
大介は、やけにすねている次郎の背の高さに合わせるように、腰を少しかがめた。その時、次郎と自分の身長差がまた縮まったことに気づいた。
「いつもいっしょにいる俊樹が、塾をさぼった時に、ぼくがいっしょにいるって電話したんだ、自分ちに」
次郎は、キッチンの方を気にしつつ、大介に、必死に訴えていた。
「それを母さんが俊樹のお母さんから聞いて、ぼくもさぼったと信じているんだ。何言っても、聞いてくれなくて」
「お前は、ちゃんと塾へ行っていたのか?」
「うん。でも、俊樹のお母さんは、その電話の時、ぼくを見たって言うから、信じてくれないんだ」
「本当に、お前じゃないのか。その時いっしょにいたのは」
「たぶん、別の子だと思う......」
「じゃ、なんで、俊樹君のお母さんは、お前だと思ったんだ?」
大介の問いかけに、今にも泣きそうな目を瞬きもさせず、次郎は聞いていた。次郎は、少し間を開けて、ゆっくり喋り出した。
「いつも、ぼくが俊樹といるから、側にいる子は、きっとぼくだと思ったと思う」
「そうだな、人って、そういう錯覚するよな」
大介は、自分の言葉にはっとした。
『そうだ、本人の声を聞いたわけでもなく、ましてや、姿を見たわけじゃないんだ』
「次郎、ごめん。ちょっと、仕事に戻るよ。帰ったら、俺も協力するよ」
大介は、手に持っていた上着を羽織ると、外へ飛び出した。
(53)
ユキは、もう一度、自分の頭の中を整とんしなければならないと思った。それも、今すぐに。瑞樹の話を聞き、呆然としていたユキは、とりあえず、司令部へ戻った。
司令部は、夜勤の者が何人かいるだけだった。
その中に相原義一がいた。
「ユキさん、どうしたんですか?」
ユキが来たことに気づいた義一が、先に声をかけてきた。
「ちょっと、気になって、もう一度、あの資料を見たくなって」
「そうですか......。ところで、今日の話をききましたか?」
ユキは、義一の表情から、今日起こったことが予想ができた。
もう、最初の日ほど、司令部は、大騒ぎにはなってはいない。進の爪は、今日も送られてきたのだ。ユキは、その『慣れ』のような感じが嫌だった。それは、あくまで表面上のことで、実際は、地上でも宇宙でも、最大限の努力がなされていると解っていても、嫌だった。
「ちょうど良かった。データをまとめていたんです。このカードには、古代さんが宇宙に出てから、今日までのデータが入ってます」
義一は、ユキに気を使ってか、なるべく明るく振るまっていた。それは、宇宙で、何度も、窮地を乗り越えた時に身についたのだろう。今できることをやっておきたいという気持ちは、ユキも義一も同じである。
「ありがとう」
ユキは、データが入っているカードを受け取ると、開いている席の端末機の中にカードをセットした。アステロイド地帯に、進の乗ったパトロール艇の航路と輸送艦隊が襲われた場所が立体的に映し出された。それを一通り頭に入れ、ユキは、最初に送られてきた画像を出してみた。何度も、何度も見た画像なのに、守は何かを見たのだ。きっと。
ユキは、すべての画像を横に並べて、一枚一枚チェックした。初めて見た時に、正視できなかった画像を確認してみる。進の左の爪は、すでに、剥がされた後なのだろう。進の爪を写しているところから、爪を届けることで、人質の存在をアピールしているにちがいない......
義一は、画像が映し出されたディスプレイを食い入るように見ているユキに、それ以上声をかけることはできなかった。
『ユキさん......』
誰かが、ユキの姿を見ていた義一の肩をそっと叩いた。
「島さん?」
大介は、うなずくとユキの側に近づいた。
「ユキ、今日はもうやめよう」
大介は、ユキの腕を引っ張った。それを振り切ろうと、ユキは、腕をぐっと振った。
「私は、まだ......」
振り切ったと思ったユキは、フッと、体のバランスがおかしくなっていった。
遠くで声がしているような気がした。けれども、目の前には、暗い闇しかなかった。
(53)
義一がどこからか、緊急時用の移動用ベットを持ってくると、大介はユキを抱えて、ベットに乗せた。そっと、細心の注意をはらって下ろしたつもりだったが、ごろっと、転がりそうになった。少し動いたユキの体を支えようと添えた大介の手に、ユキの柔らかな体を感じた。大介は、こんな風にユキに触れることは、はじめてだったことに気づいた。いつもは、進がその役をやっていたのだ。
「あの、これは、どうしますか?」
義一が、さっきまで、ユキが見ていたデータが入っていたカードを、大介に差し出していた。
「俺が預かってもいいのか?」
「ええ、今日までのデータが入ってます。島さんも見ますか?」
島は、何も言わず、うなずいた。
大介は、胸の内ポケットにカードをおさめた。
「それでは、私は、仕事中なので、よろしくお願いします。病院の方には、私が連絡しておきます」
「ありがとう、相原。ついでに、端末機も一台貸してもらえないか」
義一は、自分のベルトについている小さい箱のようなものを大介に渡した。
「移動用なのですが、広げるとノートタイプと同じ仕様になりますから、使い易いと思います」
大介は、義一に見送られ、司令部を後にした。
さすがに、十時過ぎるとあまり人が歩いていない。しかし、中央病院に近づくほど、人とすれ違うようになった。今日は、特別何かあったのだろうか。移動用ベットを押している大介に、目を向けるのだが、それ以上の関心はなさそうである。
「なんじゃ、島じゃないか」
前から歩いて来た数人の男たちの中に、小柄で、少しガラが悪い男が声をかけてきた。
「佐渡先生!」
げたの男は、いっしょに歩いていた三人の男に簡単な別れの挨拶をして、大介に近寄ってきた。佐渡は、ベットの中に横たわっている人物に驚いた様子だった。ユキを見て、ベットのカバーを外した。さっと、手首を掴み、脈を確認する。
「過労か......」
「はい。たぶん」
「何があったんじゃ」
大介は、佐渡の耳もとに顔を近づけた。
「古代が、宇宙で事件に巻き込まれたんです」
『今はそれ以上を言えないのか......』---大介の表情を見て、佐渡は、それに気づいた。そして、ため息をつき、肩を落とした。
「とりあえず、診察室だな」
「はい」
大介と佐渡はそれ以上語らず、進んでいった。
(54)
「やあ、佐渡先生、お久しぶりですね」
担当の医者は、年輩者だったが、佐渡を喜んで迎えてくれた。大介は、その暢気さに少し、不満を抱いたが、手は、口とは、別の動きをしていたので、ぐっとこらえた。担当医は、近くにいた看護婦に指示を書いた紙を見せ、自分も、機械をセットしていった。
「今日の研究会はどうでしたか?佐渡先生」
「いや、さすが、ワシの思っていた以上の進歩だったよ」
「先生も、ここに戻ってきませんか。せっかくの腕をほっておくのは、本当にもったいない......」
大介は、とりあえず、待ち合い室で待つことを看護婦に告げて部屋を出ていった。衣服を脱がされていくユキの横にいるわけにはいかないし、義一から預かったデータカードを使って、チェックしたい事があったからだ。
一人、待ち合い室のイスに座って、データを確認した。
アステロイドベルトの一部に三回の輸送艦隊や襲撃された中継地のポイントを入れていく。そして、進の航路を入れ、進の行方がわからなくなった辺りを赤の光点で示した。
大介は、それを見ながら、画面の隅で、計算をしだした。ポイントからポイントの間の距離と、実際かかる時間。思うような解答が得られず、大介は、天井を仰いだ。
『古代、お前、今何をしているんだ?』
*****8日目*****
何時間経ったのか、大介は、時計を見るまで気づかなかった。一時間ほどと思っていたが、三時間以上、計算をしていたことを知った。
ほっ......
安堵の息がこぼれた。
しかし、目の前の、大介の予想空域は、画面上では、小さいが、実際の空間は、果てしないほど広いことも気づいていた。
大介は、これから何をすべきか、また考えなくてはならなくなった。
頭を抱えて、考え事をしていた大介の肩に、誰かの手がそっと、触れた。大介は、パッと顔を上げた。大介の動作に、驚いたのか、その手は、さっと肩から離れた。手の主は、さっき、ユキが運ばれた診察室にいた看護婦だった。
「島大介、さん、ですよね?」
不思議な発音の声に呼ばれた大介は、答えた。
「はい」
「森ユキさんが、目を、さましました。どうぞ」
大介は、膝の上にのっていたものを片付け、看護婦の後ろをついていった。
「あの、彼女の体は、どうですか?」
大介の問いかけに答えは返ってこなかった。
(55)
大介が、部屋に入っていくと、ユキがブラウスのボタンを止めていた。本人から話を聞きながら、医師がもう一度、診察をしていたのだった。
パッと、目を反らした大介に気づいたユキは、大介に声をかけた。
「島君、もう、こっちを向いてもいいわ」
ユキの顔は、司令本部のフロアで見たのより、かなり表情が良くなっていた。顔色が良くなったのだろう。
「 今日は、ありがとう」
「いや」
その先の言葉が見つからず、大介は、ユキに笑顔を返しただけだった。
「先生も、こんな時間まですみません」
ユキは、すぐ側にいた佐渡にも声をかけた。佐渡は、看護婦が用意してくれた酒を口にして、すでに上機嫌になっていた。酒が、容易く出てくることから、この当直医も、酒好きなのだろう。
「ははは、滅多にこないところで、お前たちに会えたんだ。運がいいのう」
「そうだ、そうだ、佐渡先生は、ホントにこっちには来てくれないんだ。ユキ君からも言ってくれないか」
診察の道具を片付けながら、当直の医師は、話に割り込んできた。
「今日は、どうしていらしたんですか?」
「まあ、放射能を多量に浴びた患者の治療とその実例の研究発表があってな」
「佐渡先生は、昔から、その方面では、先進的な治療をやっていますから、招待されるのは、当然なんですよ」
当直医の言葉で、ユキは、思い出した。進も、子どもの頃佐渡に治療されたことを。
「先生」
「なんじゃ、ユキ」
佐渡は、いつもより暗い面持ちをしていたユキに、やさしい目を向けた。
「先生の治療のためには、遺伝子の情報が必要ですよね。古代くんは、遺伝子の登録をしていたんですか?」
遺伝病の疑いのあるものは、子どもの頃にチェックすることは、知っている。しかし、これは、記録が残るため、嫌う人が多い。今の進には、そんな病気をかかえている様子はない。もし、かかえていたら、宇宙勤務から外されているはずである。よっぽど、何か調べる理由があったのだろうか。
「あの男の場合は......祖父母の誰かに、聴覚異常があったんだったか......」
佐渡は、頭の奥から絞り出すように、思い出していた。
「聴覚異常?」
その時、側にいた看護婦が、その言葉に、異常に反応を示した。今まで、話をきいているのかわからないほど、器材のかたづけに専念していたが、横にいた当直医の方をむいてなにやら、小声で、手を動かしながら、訴えていた。佐渡は、口元に手を添え、ユキに話した。
「彼女も、聴覚障害を持っているんじゃ。仕事は、きちっとできるが、気にしている言葉を使ってしまったようだ」
ユキは、彼女と医師の方を見た。医師は、一生懸命説明をしていた。口を大きく動かし、いくつかの手の動きを繰り返している。佐渡も、悪いと思ってか、両手を合わせて謝っていた。
ユキは、驚いた。進と守は、もしかしたら......
「島君、相原君のデータカード、今持っている?」
佐渡と医師と看護婦のやり取りの横で、ユキは、大介の持っていた、端末機の小形パソコンに目がいった。
(56)
ユキは、カードを差し込み、データを呼び出した。
ユキが出したのは、進が写っている画像のデータだった。すべての画像を横に並べ、ユキは、看護婦に、画像の説明をした。
「彼の手を見て欲しいの。後ろ向きだけど、彼の手は、手話の何かを表わしていませんか?」
看護婦は、ジッと見ながら、自分の手で、再現していた。
「これは、指文字なのかもしれません」
「指文字?」
「はい。たぶん、『い』と『た』。もしかしたら『だ』かもしれません。この男の人の手の動きは、この二つのどちらかです」
看護婦は、わかり易いように、音と同時に 、『た』と『だ』の指の動きの違いを見せてくれた。
「『い』と『た』か......『い』『た』、『た』『い』、『い』『だ』、『だ』『い』......」
大介は、独り言のように、ぶつぶつと言いながら、音を発した。
「『い』『だ』......『い』は伸ばした音にしてもいいんですか?」
大介は、看護婦に聞き返した。
「はい、表現方法が、あるのですが、他の言葉と、間違えるといけないから、出さなかったかも、しれません」
看護婦の言葉を聞いて、自信が出てきたのか、大介は、ユキに見てくれとばかり、端末機のキーを打ち始めた。
「古代の送ってきたメッセージがおかしかったのは、四日目。だから、この時は、もう、すでに捕まっていた可能性がある......」
「でも、実際パトロール艇が消息をたったのは、五日目だったわ」
「古代がそこにいたって証拠はないんだ」
「四日に捕まって、爪を取られ運ばれた......。少なくとも、古代は、この写真を取られてとき、ここにいたはずだ」
大介は、キーをポンと押した。
「イーダ、小惑星イーダだ」
「どうして、古代くんは、イーダだと気づいたの?」
「あいつは、パトロール艇で、この辺りをぐるぐるしていたはずだ。庭みたいなものだよ。その上、イーダは、衛星を持っている、珍しい小惑星なんだ」
ユキは、大介の言葉に驚いた。
「見たんだ、イーダを。古代は、イーダを見たんだ」
(57)
「それで、なぜ、この方向か、教えてくれないか?」
真田志郎は、宇宙航路図を見ながら、古代守に聞いた。
「進が教えてくれた。イーダだと」
「それだけ?」
「ああ、それだけだ」
「しかたがないな。だが、彼らのベースは、常に動き回っているんじゃないのか?」
「これだけ囲まれているんだ、そうそう、大きく動けないはずだ」
「だが、前にヤマトがやったように、艦のまわりに岩をくっつけていたりしたら、見つからんぞ」
「アステロイドシップか......。それでも、彼らが大きく動くのは、明日だ。そのとき、絶対ぼろがでる。じゃなければ、進がぼろを出させる」
「なんで明日なんだ?」
「明日は、五日目だ。 爪を剥ぐのさ、次の五日間のため」
志郎は、守の目が、生き生きとしているのが、気にくわなかった。
「古代進がぼろを出させるため動くのか」
「爪を取った後、彼らは、次の行動をとる。その前に、やらないと移動されて、場所がわからなくなる」
「そこまで、打ち合わせたのか?」
「いや」
「やけに、自信があるんだな」
「似ているのかな?自分と。きっとあいつも、同じ考えだ」
確かに、そういうノリは、兄弟似ているのかもしれない。自分だったら、こんなデメリットの多いことをしないし、させないだろう。
「お父様と、おじさまは、似ているの?」
傍らで、進のイメージを掴みかねていたサーシャは、見ていた進の写真を二人に差し出した。
進のイメージを浮かべるため、守と志郎から進の事を聞いたのだが、どうも、二人の話は、噛み合わない。
サーシャは、進の写真を穴があくほど見ながら、守たちの話に聞き耳を立てていた。
「危なくなるとね、とたんにやる気が出るところが似ているかな」
「サーシャ、真田の言葉を鵜呑みにするんじゃない。俺は、誰かと違って、普段からやる気があって、きちんと仕事をやっているぞ」
志郎の言葉に不服があるのか、守は身を乗り出して、サーシャに訴えた。
「わかってるわ、お父様」
サーシャは、守に向かって、にっこり微笑んだ。
「ところで、サーシャは、古代進のことをどう思う?」
「進おじさまのこと?」
志郎の言葉にちょっと、とまどった。まだ、どんな人物かわからない。でも、二人の話を聞いていて、一つだけわかったことがあった。父・守にとっても、真田志郎にとっても、古代進は、大切な人であるということが。
「わからない。でも、もっと、近づけばわかるかもしれない......」
『会ってみたいな』
サーシャは、進の写真を自分の膝の上において、窓の外を眺めた。
押し入れTOP