『蝉の声』

第四章 空蝉[UTUSEMI] その2

(58)

*****9日目***** 

 進は、床の冷たさで、目をさました。何日も過ぎてないはずなのに、体が随分重たくなったような気がする。動いてなかったため、体力が、落ちたのか、それとも、この部屋が通常より、Gの負担が多いのか。

 

 ガシャン

 今どき、こんな音を立てて開くドアも珍しい。そして、久々の明かりが、こんなに眩しいとは、想像以上だった。明るさに、慣れず、顔を伏せたままの姿勢のままだった進の手首に、力がかかった。手首にはめられている、リングは、まるで、手錠の様に引っ付いた。足のリングには、変化がないところを見ると、ここから、出すつもりなのだろうか?

「立つんだ」

 声と共に、進は、両腕を引っ張りあげられた。進は、ふたりに支えられるように立たされた。

 ドアのところにもう一人。彼が、腕輪のコントロール装置をもっているのだろう。進が立ち上がるのを見ると、先に出て行ってしまった。

 進は、後ろ手になっているため、二人から逃げることができても、脱出することはできないと思った。今は、従うのが、一番の選択だろう。

『それにしても、悪趣味だ』

 進は、左手をすこし動かした。随分、痛さは取れたが、爪が取れた部分は、圧迫すれば、痛いだろう。たぶん、今日は、ここに来て五日目。人質であることを考えれば、相手は、自分を見せしめにしたいだろう。この待遇は、良い方だと思いたいのだが、地球にいる人々は、どう思うだろう。

『一番、傷つけてしまったかもしれない......』

 進は、エアポートで別れたユキの顔を思い出した。

 

 軍艦に比べて、少し粗末な艦であることは歩いて、見える範囲で、十分うかがえた。非常用電源だけなのだろうか?廊下の明かりも、目が慣れると、暗ぼったい感じがした。近くに、地球防衛軍の艦艇がいるのだろうか?

 

「ここだ」

 一つの部屋の前で、止まるように指示される。ドアが開くと、中の暗さは、廊下以上だったが、部屋の中央の大テーブルには、いくつもの燭台があり、ろうそくの炎が、部屋を浮かびあがらせていた。

 両サイドの男は、中へ無理矢理にでも入れようと、掴んでいる腕に、力を入れた。

 進は、大きく息を吐き、その力に体を任せて、部屋の中に入った。

 中央のテーブルの上には、今から、晩餐でも始まるかのように、グラスやナイフやフォークやナプキンが、所狭しと並べられていた。

 

(59)

 『最後の晩餐』......進の頭には、その言葉しか浮かばなかった。もし、それが、本当であるならば、何かのチャンスを見つけて、逃げ出さねばなるまい。

 進は、イスに押し付けられるような格好で、座らされた。そして、カチッ、カチッという音がして、進の手足は、イスに固定された。手足の四つのリングは、磁石の様に、イスにぴたっとくっ付く仕組みになっていた。自分の真後ろにコントロール装置を持っている男がいて、操作しているようである。部屋の横長のテーブルには、正面に四つ、そして、向いに進の席が一つだけ、セッティングされていた。進のイスは、床と一体になっているのか、まったく動かない。

 進が、動けない状態になると、後ろの男が合図をしたのだろうか、進を連れてきた二人は、部屋から出て行った。進は、動かせるだけ、体をひねってみた。

 後ろに立っている男は、進と目が合うと、にやっと笑った。これ以上進が動けないことを十分わかっての上の余裕の笑みなのだろう。進にとっては、ほんの少しの希望が、その瞬間、くだけた。

「なぜだ?」

 進の声に、その男は、笑い出した。

 ダァン

 部屋の奥のドアが強く開けられ、そして、どやどや複数の足音と、声が聞こえ始めた。進の後ろに立っている男の笑いは消えていた。最初に入ってきた男が、進を見ると、後ろの男に何か耳打ちをした。声は、笑い声も混じり、部屋は、一変して、騒がしくなった。

 そして、騒がしい男たちは、進の前の席に向かって歩いていた。

 進は、その男たちの姿を一人ずつ観察した。衣服の違いはあるが、背格好から、顔立まで、良く似ている。

 三人の男が、それぞれ、進の前のイスについた。

「おまえは、いいのか」

 まん中の男が、進の後ろの男に声をかけた。

「私は、ここで見ています。その方が、面白い」

「面白いか......ふぁはははは.......」

 後ろの男の言葉に、三人が良く似た反応をする。三人の笑い声は、大きく、部屋の音響のせいか、こだましていた。

「ははは......、我が艦(や)にようこそ。古代艇長。あなたに会え、我々は、とても光栄だ」

「ほんとうだも。どんな人物か楽しみにしていたから......」

 進は、三人をキッと睨んだ。

「いい目をしている。きっと、今、離したら、大暴れしそうだな」

「ただのラッキーボーイでは、なさそうだ」

 進は、背筋を伸ばした。自分の気持ちをなだめようとする力が、右手の拳に力を入れさせる。しかし、手首のリングは、ウンともスンとも言わない。痛さで少し、気が落ち着いてきた。

 

(60)

「なるほど、それで、SEVEN EYESなのだな」

 進は、まず、反応を見るため、興味を引く言葉を選んでみた。

「ほう、さすがだ。シャオチーのことまで、わかっていたか。はははは......」

 進は、自分の後ろの男が、シャオチ−と呼ばれていることを知った。

「だが......」

 右隅の男が、その笑い声を切るように話し出した。

「君の兄上は、どこまで、我々のことを知っているのかな?」

「何しろ、この容貌の三人だ。身内ですら、誰が誰なのか、そして、自分たちの頭領は、何人なのか知らない状態なのだ」

 『複数の頭領が、絶妙な連繋で動いていたのか?』

 進は、時間的、空間的に軍を翻弄しつつ、その姿がなぞのままだった、この窃盗団の意外な事実を知ることができた。

「では、なぜ、私の前に、そろって現れたのだ?」

 進は、今度は、ごくあたりまえな質問をしてみた。

「皆、あなたに会いたかったのだよ。あなたは、ヤマトに乗って、二度も地球の危機を救ってくれた。二十歳前の青年がだよ。どんな人物なのか、知りたくてね。会ってみたかった。ただ単純に」

「あなたは強そうだ。安心した。繊細で、プライドが高くて、私たちがこんなことをした後、自殺でもするんじゃないかと思ったのだが」

「そう、本当に、私たちの期待通りの人物だったよ、君は」

 三人の顔を見ていると、その言葉は、満更嘘ではないようだ。なら、いつかは釈放するつもりなのだろうか。

「さあ、シャオチ−、彼の手を自由にさせてあげたまえ」

 進の両手は、ぱっとイスから離れた。進は、さっき力を入れていた右手首を左手でさすった。

「あと、五日、あなたが、いい子でいるならば、我々は、無事送り届けるつもりだよ」

 まるで、子どもをあやすような声で男は進に話しかけた。

「それでは、なぜ、私を捕まえた?」

「挑戦だよ。ただの」

「君の兄さんにね」

「私たちの自由を束縛するつもりでいるからね。君のお兄さんは」

「自由だって?こんなに人に迷惑をかけているのに」

 進は、『自由』と言う言葉を特別好んで使う彼らのあげ足をとった。『もっと、彼らから、いろいろ聞き出さなくては......』 

「我々だって、すべてを狙っている訳じゃない。被害総額だって、全体のほんの数パーセントなのだよ。利権絡みで消えて行く資材や金は、その何倍もあるんだ」

「フッ、所詮、あなた達の自由は、そういう、勝手のいい言葉の中でしか成り立たないのか」 

 そう言った瞬間、進は、頭の後ろに固いものの感触を感じた。銃を突き付けられた......。

「シャオチ−、やめなさ......」

 進は、後ろの男の腕をつかみ、そのまま、全身の力を背筋と右腕に集中させた。

 ガシャン、ガタッ。ガララッ

 カラカラ......

 後ろの男は、進に投げられ、テーブルに打ちつけられた。

 しかし、三人の男たちは、その行動を予期していたのだろうか。シャオチ−と呼ばれる男が持っていたコントローラーをまん中の男が素早く取り上げ、操作した。進の手首は、強い磁石に引かれるように引っ張られ、再びイスに固定された。

 

(61)

「どうだ、ダミーは役立っているか」

 古代守は、レーダー手のイスの背もたれに上半身を乗せ、同じ映像を見ていた。

「今の所、特別な動きをするものは、ないですね」

「すまないな、もう、少しがんばってくれ」

 守は、体を起こすと、後ろの艦長席で同じモニターを見ていた真田志郎と少女の方に、振り向いた。

「どう?」

 その声は、さっきとは違い、やわらかなトーンである。

 少女は首をかしげた。薄暗い艦橋の中、メーターからぼおっともれる光が、少女の髪の毛を輝かせていた。

「違う場所に移動するか......」

 少女の様子を見ていた守は、艦長席に近寄り、小さな声で呟いた。少女は、つぶやく守の顔をじっと見ていた。

「この辺りだと、思うの。なぜだか、わからないけど......」

 言葉尻をはっきりさせず、少女は、使っていないメーターの上に置かれた進の写真に、目を向けた。

『もうすぐ、会えそうな気がする......』

 ただ、それだけだと、守にも志郎にも言えなかった。二人は、だんだん、ピリピリしてきている。

「......フ−。もう少し、時間をかけるか?」

 いろいろな種類の分析器のデータを見ていた志郎は、顔を上げて、守に決断を求めてきた。時間がそんなにないということを知っているのは、自分と守だけである。この時点の動きは、後々まで、尾を引くだろう。進の安否に関わる。

 守は、目を閉じ、考え始めた。しかし、考えはひとつである。自分たちの『勘』を信じるしかない。

「もう少し、ここで、待ってみるか......」

 守の言葉に、少女は、ニコリとした。

 前面に座る、航海長の北野哲に、隣の男がささやいた。

「一体、何が始まるんだい。艦の動力止めて、さ。岩までくっつけて」

 哲は、美しい少女の存在も気になったが、志郎と守の二人が、宇宙に揃って出て、何をするのか、内心ワクワクしていた。軍を辞めると決めたのに......。この気持ちは、初めてヤマトに乗った時の感覚と似ていた。

 窓の外は、岩石に覆われて、ほとんど、自分の目で、外を見ることはできなかった。

 哲は、イスにもたれ掛かり、目を閉じた。心なしか、艦内温度がいつもより低いような気がする。動いていたのは、メーター類だけであり、この艦に乗っている人の大多数は、皆、理由を知らされず、息をひそめていた。

 

(62)

 ユキは、藤堂の机の上に花を飾った。小さい鉢に植えられていたその花は、花びらが少なく、小さかった。しかし、濃い緑の葉の上に咲く、鮮やかな薔薇色の花は、明るく、力強く見えた。

 病室で、仮眠したユキは、今朝、夜勤を終えた看護婦から、この鉢植えをもらった。病院では、縁起が悪いと嫌われるから、持って行って欲しいと言われたのだが、ユキは、彼女のやさしい気持ちが嬉しかった。

「無事に、解決すると、いい、ですね」

 ゆっくりとした言葉のあと、がんばってと手でメッセージを送ってくれた。ユキも同じ動作をして、笑顔で答えた。彼女の笑顔が、この花に重なる。

 

「長官、おはようございます。午後の大統領官邸での大統領との会談以外、今日は、特別な予定はありません」 

 ユキは、やっと、笑顔で、藤堂を迎えることができた。

「おはよう。今日も、私についてこないで、司令部内で待機していてもいいぞ、ユキ」

「いえ、大丈夫です。今日は、お供させて下さい」

 ユキの笑顔に納得できたのか、藤堂は、うなづいた。

「彼らを信じてみようと思ったのです」

「そうか......」

 藤堂は、机の上の、小さく、それでいて、元気な花を見て、微笑んだ。

 

 

「おっと。あなたを見くびっていたようだな。」

 進が動けないことを確認すると、テーブルの向いに座っていた男たちが、投げ飛ばされた男を立たせた。男は、たいした怪我はしてなかったが、テーブルの上は、皿やグラスの破片が飛び散っていた。

「あなたとの食事を楽しみにしていたのに、残念だ」

 コントローラーを持っていた男は、そう言うと、音を聞いて駆け付けた部下数人に、部屋を片付けさせる合図を送った。

 進に投げ飛ばされた男は、体についた破片を簡単に取り去ると、進のすぐ近くに寄ってきた。

「これが、あなたの正体ですか?」

 言われた進は、男を睨んだ。

「さあ?こっちも、お前の正体も、見せてもらったぞ。長谷川」

 長谷川啓(ひろむ)は、進の言葉を無視して、足元に落ちた、銃を拾おうとした。

「もう少し、右だぞ」

 進の言葉を聞くと、啓の手は、止まった。そして、顔を起こして、進の方を、一瞬見た。

 進は、初めて、啓の冷たい目を見た。それは、進個人に向けられたものだったのか、それとも、正規の軍人である進に向けられたものであったのか、わからなかったが、明らかに敵意に満ちた目だった。

 

(63)

「撃っては、ならないぞ」

 銃を拾った啓(ひろむ)に声をかけたのは、三人の男のうちの一人だった。声をかけたのは、一人だったが、他の二人も同意見だったようであった。ほぼ、同時に三人ともイスから立ち上がっていた。三人は、姿も似ているが、反応も似ている。

「われわれは、テロではない」

「じゃ、ただの無差別の殺人犯か」

 進は、叫んだ。この状態をどうにかしなければならない。どうにか......

「あなたに、そんなことが言えるのか」

 啓の言葉は、進の口を塞いだ。

 啓は、進の真横に移動し、進の頬に銃口を滑らせた。進は、その冷たい金属の感触に耐えた。

『一番の殺人者は、俺か......ふふっ』

  進は、自嘲の笑みを浮かべた。しかし、啓は、その進の口元の動きを見て、自分たちのことをあざ笑ったと勘違いした。銃口を進に向け、ぐいっと頬に押しつけた。

 

「やめなさい」

 その言葉で、啓の持っていた銃の動きは、ぴたりと止まった。啓は、銃を腰のホルダーに戻すと、後ろに下がり、進の真後ろに立った。

「古代、あなたは、人質だ。役目を果たしてもらうよ」

 まん中の男が言うと、近くにいた部下に耳打ちした。

 その男は、一度は、部屋を出て、数人を従えて、再び、部屋に戻ってきた。

「あと五日、そうしたら、あなたを元のところに返そう」

 数人の部下たちは、進を取り囲むように、近づいた。そして、一人の男が、右手の甲を体の力、すべてを込めて固定した。

「大丈夫だ。前回のように一本一本じゃなく、五本一気に一回で済むから......」

 三人は、再び、子どもに言い聞かせるような言葉使いで、進に話し掛ける。テーブルは、ずらされ、指は、これ以上広がらないほど、一本一本引っ張られた。

「大丈夫、大丈夫。少し、痛いだけだ」

 進の体は、手を引っ込めようとするのだが、動こうとすれば、するほど、進の爪には、尖ったものが食い込んでいった。そのたびごと、痛さが増して、体の感覚が麻痺していった。

「あ、ああ〜あ!」

 進は、叫んだ。声を出して。声を出すことで、痛さを少しでも粉らせることができるのなら......

 

 進の指の先から、赤い血が流れていた。その血がイスに伝わり、ゆっくり、床に流れ落ちていった。

 啓は、イスに倒れ込むように、斜めに崩れていく、進の背中を眺めていた。

 

(64)

 狭く暗い部屋は、薬品のきつい匂いが漂っていた。その部屋の中で、汚い白衣の男が、一人、忙しそうに手を動かしている。

「ま、こんなもんでいいだろう」

 お世辞にも、上手だと言い難いほど、男は、包帯を巻くのが下手であった。

「もう、少しきちんと包帯を巻けないのかい、ドク」

 ベッドの横にいた啓が、笑いながら、服をきていた。

「啓さん、あんたの方も、包帯を巻いてあげようと思っていたのに」

「いいよ、ドク。何時間も、かかりそうだから」

 啓は、少し背中を伸ばしてみた。どうやら、傷は、深くなさそうだ。その様子を見ていた白衣の男は、頭をかいた。

「背中の傷は、縫うほどじゃなかったが、何日かは、ここへ来てくれよ」

「アイアイサー。そうだ、ドク......、その男は、危ないから、気をつけてよ」

 啓は、ベッドに置かれている男を顎で指した。

「わかった、わかった。啓さんは、用心深いな」

「ドク、その男は、古代進だよ」

 白衣の男は、心配顔で振り返った啓にむかって手をふった。その体は、再び、包帯を巻き始める姿勢になっていた。

『そう、古代進なんだ。あの男は......』

 啓は、パトロール艇に乗っていた時の、やさしそうな先輩づらをした男が、さっき自分を投げた男と同一人物であったことを再確認した。

 

 白衣の男は、何回も、包帯を巻き直しながら、その上手く行かない理由を探しはじめた。

「俺は、看護婦じゃないんだ......」

 男はぶつぶついいながら、今、回した包帯が、するりと、落ちてきたことにいらつきはじめた。

「ああ、もう、やめた、やめた」

 途中の包帯をそのままにして、まわりを片付けはじめた。

 啓の忘れ物なのだろうか、テーブルに置いてあったモノを男は、手にとった。

 カチッ

 持ったはずみでスイッチを押してしまったらしい。

「ふ〜ん」

 ベッドに横たわっている進を一瞥したあと、男は、もう一度押して、オンの状態に直した。そして、進の肩を少し揺すってみた。

 白衣の男は、反応がないのを、じっくり観察したあと、男は一旦ベッドから少し離れた。その時、男は、進の包帯がきれいに巻かれてないことが気になった。

『また、あの三人兄貴たちに嫌みを言われるか......』

 男は、もう一度スイッチを押した。そのまま、進の様子を見ていた。その間、何秒、時が過ぎたのかわからないが、その時の長さが、男に安心感を与えた。

 そっと、右腕のリングを外し、注意深く、進を観察した。何度も何度も、進の方をちらちら見ながら、床に垂れていた巻きかけの包帯の端をつかもうと腰をかがめた。

 包帯の先を手で捕まえた時、白衣の男は、何かが動いたと思った。

ガシッと後頭部を思いっきり殴られた。

『しまった......』

 そのまま崩れて、屈んだ白衣の男は、顔をあげる前に、首筋に冷たいモノがあたっていることに気づいた。しかし、その感触は、よく知っているものである。男は、マネキン人形のように、体をこわばらせた。

 

(65)

 進は、声を出すことで意識を保った。それは、あくまで、『かろうじて』の状態であった。体の防衛本能に委ねてしまうと、体と意識が完全に休眠状態に入りそうだったのである。

 朦朧とする頭の中に入ってくるのは、まわりの音だけであるが、その情報だけを頼りに、いつ、どのように動くのか、幾パターンの行動を頭の中で駆け巡らせた。

 カシャカシャする音と、臭い、そして、自分の手を触られている感触で、体の方も徐々に目醒めてきた。それまで、動こうと思っても、動かない体は、やっと、進の命令どおり動く体になった。

 『ここは、医務室?』

 人の気配がするので、目をあけることはできないが、薬の匂いが充満したその部屋は、誰が居ても、ここは医務室だとわかる程、匂いがきつかった。

 カチッ

 その音とともに、手首や足首にかかる力は、消えた。逃げなければ......そう思うのだが、絶対不利な状態では、逃げ切ることはできない。リモコンは、まだ、この部屋にいる男が持っているのだ。もしかしたら、相手は一人ではないかもしれない。

 カチッ 

 また、スイッチが入った。肩を触られ、揺すられる。力を入れず、あくまで自然に、体を保つ。

 カチッ

 いつ動こう。進の頭の中では、その考えが優先順位一番になっていた。これが、最後のチャンスかもしれない。今しかないのか?

 進は、さっきまでと違う雰囲気になってきたことを肌で感じた。いままであった見られているという緊迫感がなくなっていた。そこで、ちらっと、薄目を開けてみる。男の体が進の視界に下に下がっていった。今なら、見られてない......

 進は、手を組み、男の後頭部にふりかざした。

『っつう』

 その痛さに、一呼吸を置きたいほどであったが、進は、すかさず、足の輪を外すと、目を開けたとき見つけた、テーブルに並べられたメスを掴んだ。

 首に走っている血管にメスをあてる。血管が波打つたび、メスと皮膚が触れあいそうになる。自分の力加減で、ひと一人の命を左右できる......。進は、そんな自分に嫌悪感を抱いていたが、頭の片隅にいるもう一人の自分は、危機迫るこの状況に、心踊らせていた。

「スイッチを出せ。お前がコントロール装置を持っているだろう」

 進は、他より明るい医務室の天井のライトをわざとメスに反射させ、光をちらつかせた。

「こ、ここ.......」

 白衣の男は、動かないようにしゃべっていたが、体の震えのために、皮膚とメスの刃が何度も触れた。そのたびごとに、男の首に赤い筋の本数が増えていった。

 男の白衣のポケットから、小型のコントロール装置を取り出すと、進は、ベッドの上においた。そして、さっき、自分がしていたリングを男の手足につけた。

 カチッ

 その音を確認すると、シーツを破り、男の口にシーツの切れ端を突っ込んだ。そして、医療用のテープを見つけると、男が完全に動かないよう、ベットに固定した。

「静かにしていれば、命は助かる」

 進は、その男の耳もとで、いつもより低い声でささやいた。

 『次は......』

 進の頭の中は、すでに、次の行動の為の情報収集と分析そして、計画で一杯になっていた。

 

 

(66)

 腰のベルトに数本のメスをはさみ、進は、医務室の扉を用心深く開けた。

『廊下には、人は歩いていない。艦内の電気も暗いし、軍の艦(ふね)が近くにいるかもしれない』

 進は、廊下に飛び出すと、とりあえず、カーブの手前まで進んだ。艦内には、エンジン音がしない。窓もすべてシャッターが下ろされている。自分の勘があたっていると感じていたが、こういう時は、最悪の状態も想定しておかなくてはならない。進は、とにかく時間稼ぎできる方法を選ぼうとした。

 身を隠しながら、少しずつ進んでいく。複数の人数が来たら、勝ち目はないだろう。そして、無駄な格闘技を繰り返せば、体力の限界のところで、おしまいになってしまう。

 そうこうしているうち、前進している進は、左右に、小さなドアが並ぶ廊下にたどり着いた。乗組員の部屋だろうか。その一つから、音楽がもれてきていた。かなりの音で、音楽をかけているのか。それとも、音がもれるほど、ドアの作りが悪いのか。

 進は、入り口のスイッチを押した。居れば、人が出てくる。

「なんだ?」

 ドアを半分開けて、出てきた男の首筋にメスをむける。部屋の中は、散らかっていて、大きな音が鳴り響いていた。部屋には、出てきた男が一人しかいない......進は、そう判断すると、メスを突き出し、男を部屋に押し戻すと、ドアを閉めた。

「な、なんだよお、お、おまえ......」

 部屋の男は、進の服を見て、進だとわかったのか、言葉につまった。

「コンピュータールームは、どっちだ。管理している部屋があるだろう」

 首を振る男に、進は、皮膚にメスを少し触れさせた。頚動脈ではないが、鮮血が流れる。その、流れる感触に、男は、徐々に怯え出した。

「この廊下の突き当たりをを、右に折れると、制御室が、あって......」

「左はなんだ」

「左は、隔壁があって、今は、進めない.......」

「隔壁の向こうは?」

 進の突き出すメスをさけるように、男は、仰け反った。

「隣の艦につながっている......」

「隣の艦?」

「そう、今は、三つの艦がつながっているので......」

「で?」

 男は、徐々に部屋の隅に後ずさりしていった。

「壁のコントロール装置で、隔壁をあければ、移動で..きる......」

 進は、後ろを気にしながら後ずさりしている男の手の動きにとっさに反応した。

 男は、壁際のテーブルの本の下の銃を取ろうと手を伸ばした。

 

(67)

 進は、嫌な感触を味わった。

 男が手を伸ばした時、体の方が、先に反応していた。気づくと切れ味のいいメスが、簡単に肉を裂いていた。それは、軽く、そして、一瞬のことであった。偶然骨をそれていたのか、サッとメスが刺さったときの手の感覚が、逆に、かえって進の心に深く残った。刺した場所が、相手の手のひらで、死ぬような致命傷ではなくてもである。

「うっわああああ」

 進に手を刺された男は、大きなリアクションして、後ろに転んだ。その大きな声に、現実に引き戻された進は、男が取ろうとした銃を手に取った。

『改造したやつか......』

 右手の感触を確認しながら、銃に指をかける。なんとか、引き金は引けそうだとわかると、男に向かって銃を構えた。

「動くな。目を閉じて、後ろ向きになれ」

 男は、手のひらを気にしつつ、進の命令に従った。出血は、少ないが、メスが貫通した状態が、男の気をいっそう動転させた。進は、手足を縛り、男を動けないようにすると、音楽と部屋の電気を消して、廊下に出た。

 ぶるっと、震えが走った。艦内の気温が低いのだろうか。それとも、別に憎んでいるわけでもない地球人を、自分の都合だけで、刺してしまったことを、自分の体が受け入れられなかったのだろうか。しかし、今は、そんなことを深く考えている暇はない。自分がここにいることを軍の艦艇に気づいてもらって、ここから脱出しなければならない。

 進は、さっきの男が言っていた『隔壁』に向かった。艦(ふね)の形が、なんとなく変わっていると思ったのは、離れたり、くっついたりできる構造だからなのかもしれない。そうなると、一隻の艦の足止めだけでは、逃げられてしまう。

『さて、何から......』

 進は、迷わず、左の方へ進んだ。

 左に伸びている廊下の壁は、ほとんど突起物がみられない。外に面している壁を、注意深く確認して行くと、大きく逆三角形のマークが書かれていた。その横は、厚いドアが存在しているように切り込みがはしっている。マークの下の部分を押すと、パネルが現れた。地球防衛軍の艦艇で使われているものとほぼ同じようである。進は、慣れた手つきで、パネルのボタンを選んでいった。

 OPENの文字が、点滅し出した。どうやら、ドアは、開けれるようである。進は、ボタンを押し、ドアが完全に開くまで、壁にくっつくように立ち、銃を構えた。反対側からの反応がないことを確認すると、パネルに銃を打ち込み、表面部分を操作できないようにし、進は、その場をすぐ離れた。ここにいれば、ドアが開いたことに気づいた誰かが、来る可能性がある。

 少し走るだけで、息が荒くなる。体が熱い。それでも、進は、休むことをしなかった。今は、少しでも時間が惜しいのだ。

 

(68)

 啓は、艦橋に兄たちといっしょにいた。これからの計画を立てている兄たちは、まるで、子どものようにはしゃいでいた。今、この空域をいる防衛軍の艦艇が、遠ざかっていくと同時に、3艦は、分離して、それぞれの行動を取る。今度連絡を取るのは、何日か後である。それまで、どの方向にどれだけ進むのか、シュミレーション用の立体映像の宇宙図を出して、ゲームの様にコマを動かしていた。

 立体映像に心奪われている兄たちの横で、啓はひとり落ち着きがなかった。医務室にいる進が気掛かりだった。

 功績、実力、そして、軍内でも、皆に特別視され、美しいフィアンセがいる。何不自由ないように見える進に対して、嫉妬に似た感情を押さえることができない。背中の傷が痛むたび、進に、いとも簡単に投げられた自分が不甲斐なく感じる。

 

「どうした?」

 艦内をチェックしていた男が、何度も何度も、キーを打って、何かを確認しているのを見て、啓は、声をかけた。

「はい、一番の隔壁が開けられたままになっています。誰も使ってない場合は、閉まっているはずですが」

「誰かが使ったのでは?」

「今は、分離の準備をしているので、開けっぱなしにないように、皆言われています。誰かの閉め忘れの可能性もありますが」

 啓は、その男の前のパネルを覗き込んだ。

「こちらからのコントロールは?」

「移動用通路に人が取り残されることが、しばしあるので、基本的にはしません。それに、配線が切れているのか、こちらからは、上手く反応しないんです」

「どこの隔壁だ?」

「開いているのは、右舷の艦(ふね)の方の隔壁です」

「右舷?」

「ええ、最初に分離して、移動するはずの方の艦です」

『古代進がいる医務室も右舷の艦だった......』

 はっとした啓は、インターホンを取り上げると、ナンバーを告げた。何コール待っても、返事は戻ってこない。

『まさか......』

 啓は、嫌な予感になった。

「どうしました?啓さん」

「いや、ちょっと。右舷の艦との隔壁を見てくるよ」

 艦橋から出ると、啓は、走り出した。通路では、誰にも会わない。分離前なので、皆、自分の管轄の場所にいる。

『あいつがやったのか?』

 ホルダーに手をやり、銃を手にした。隔壁の位置に近づくにつれ、走るスピードを落とした。

『あの男は、何を狙ってくるのか?』  

 

(69)

「ここだな」

 進は、艦の構造上、この辺りにコンピューター類が集まっている部屋があるはずだと確信していた。ドアをあければ簡単だ。しかし、何人、この部屋にいるのだろうか。

 銃を握りしめ、あらかじめいろいろなシーンをイメージした。

 ドアを開ける。はっと息を吐いて、一気に中に飛び込む。そして......

 中に飛び込んだ進は、目に入った人から順番に銃をむけた。1.2.3......

『こっちは、機械類に気を使わない分、有利なはずだ......』

 進の読みは、あたり、中にいた者は、進の侵入に驚いて、反撃が遅れた。隠れるもの、機械を気にする者......

 六人目......。進は、さっき撃った男を盾に、反撃していた六人目を撃った。

 はあ......

 吐いた息と共に、進は、一つの席にどっと座り込んだ。全員、死んではいないと思うが、このままほっておいたら、死ぬものもいるかもしれない。

『ごちゃごちゃ考えるな』

 進は、キーを打ちはじめた。それが終わると、コンピューターの中心であろう部分に銃を向けた。

『これからだな......』

 進は、システムがダウンして、艦の機能が、完全に停止したことを見届けた後、再び、廊下に飛び出した。

 

 啓は、艦が繋がっている部分にやってきた。ただの杞憂であればいい。とにかく医務室へ行けば、すべてわかる。啓は、迷わず、艦を繋いだ通路を通って、右の艦へ移動することにした。

 通路に足を踏み入れた時、向こうの艦がぼやっとした。右舷の艦は、完全に電気が消えた。

『しまった』

 啓は、一旦、元の場所に戻ると、インターホンで、艦橋の兄たちに今の状態を告げた。

「いいだろう、古代進のことは、お前に任せよう」

「で、右は捨てるのか」

 啓は、辺りを見渡しながら、インターホンの画面に映った3人に質問をした。

「時間がかかり過ぎれば、こちらにとっても致命傷になる。それもあり得る」

「艦が繋がっている間は、こちらからも管理できる。今から15分だけだ」

「15分でシステムが復旧しなかったら、ただちに切り離しに入る」

「わかりました。作業員をこっちに送っ下さい。私は、古代をさがします」

 啓は、もう一度銃の安全装置を確認し、真っ暗な方向をめざした。

 

(70)

 艦の中は、すべてのシステムが止まって、真っ暗やみになった。進は、人の駆け寄ってくる音を聞きながら、近くの部屋に入った。何も見えない中、進は、手探りで、廊下から見えない位置に隠れようとした。いろいろな臭いが漂っている。進は、ここが調理室だと気づいた。

 がらあん、がん、がん......

 伸ばした手に何かが辺り、物が下に落ちた。

「だれだ」

 進は、その声に反応して、銃を持つ手に力を入れた。

「まいったぞ、突然暗くなって」

 相手は、進を見方と思って、声をかけてきた。進は、声を出そうか迷っていた。

「エンジンルームに行こうと思っていたのに。ホントに突然でしたね」

 システムが復旧するのは、時間の問題だろう。その前に、少しでも情報を得ることができたら......進は、乗組員になりすまして、答えた。

「聞いたことない声だな。隣の艦からかい」

「ええ、ちょっと、手伝いに来たんですけど、迷ってしまって」

 男は、手探りで、進の側に近づいてきた。

「ここの下なんだがね。こう真っ暗じゃあ、ちょっと、動けないねえ」

 男は、ごそごそ懐から何かを取り出した。

 シュッ

 ライターの炎が、辺りを少し照らし出した。男は、たばこに火をつけ始めた。進は、男の視界から逃れるため、少しずつ、ドアの方に移動した。

「どうだい、あんたも......」

 ライターの炎で進の体が浮かび上がった瞬間、二人の目があった。男は、進の姿を見て、驚いた。

 ブンッ

 男が投げた包丁は、進の服をかすった。どうやら、この男は、護身用のためなのか、包丁を持っていた。

 進は、すぐさま、銃を放つ。

「だれかあ、助けてくれ」

 腕を押さえながら、男は、大きな声で叫ぶ。

 カアッっと、ライトが一斉につく。進はそこで、自分の放った一撃が、あたっていたことに気づいた。

 もう、止まってはいられない。進は、足に向かって数発打つと、廊下に出て、壁に通路の入り口を探した。機関室の側ならば、ねずみの通り道のような通路があるはずだ。

 

 小走りしながら、壁を見る。そこで、一つ、ダストボックスの口のような、穴の入り口を見つけた。進は、迷わず飛び込んだ。斜め下に向かって滑りながら、進は、感じなくなってきている 銃を持っている右手を胸に添わせ、左手でバランスをとって降りた。

 

(71)

 進は、広いフロア 飛び出した。目の前にいた女性をまず、撃つ。

「きゃあああ」

 その声で、エンジンのチェックをしていた何人かが、振り向いた。

 進は、かまわず、銃を撃ちまくった。持っていた銃のエネルギーが少なくなると、進は、倒れている者の銃を取って撃ち続けた。

 そのうち、機関室にいた者は、進が、ただ自分たちだけを狙っていたわけではないことに気づき始めた。進は、なるべく、コントロールパネルを撃っていたのだ。そして、撃ちながら、近くのレバーを下げたり上げたり、デタラメな位置に動かしていた。

 切り離し作業の準備で、補助エンジン点火の途中だったため、進のこの動作は、思わぬ効果を上げていた。

 

「しまった。このままでは、暴走してしまう」

 機関士の一人が気づいて、メインブリッジの方に、非常事態のコールを何度も送っていたが、出力計はどんどん上がっていった。進は、機関士たちの慌てぶりで、自分の目的が果たせたことを知った。

 『もう、ここには、いられない』

 機関室にいた人がすべてそう思った。機関室には、警告音が響いた。

「逃げろ」

 追われる者でありながら、進は、叫んでいた。

 

「おいっ」

 画面を見つめながら、真田志郎が古代守に声をかけた。

「どうした?」

「エネルギー反応だ。あまり大きくはないが、補助エンジンを動かしたぐらいの反応がある」

 志郎は、守に向かってうなずいた。守も、それに答えた。

「エンジン始動。航海長、艦の向きをかえるぞ」

 北野哲は、いよいよ、何かが始まることを知った。

「空間騎兵たちにも、伝えろ。いつでも飛び出せるように、準備しろと」

 守の声は、一気に揚々とした声となった。サーシャは、父が、武人であることを知った。

 志郎は、細かい位置を、哲達に伝えた。艦は、いままでの沈黙を破り、艦底からエンジンを響かせた。

 そこで、初めて、哲達全乗組員に、今回の作戦の全容が守の言葉で伝えられた。

「......以上、これは、極秘裏に進めてきたSEVEN EYESせん滅作戦であり、今、やっとその最終段階にきた。皆、最善尽くして、取りかかって欲しい」

 守は、マイクを下ろすと前方を見つめた。

 

(72)

 一番に逃げなくてはならないのに、進は、全員が機関室から退室するのを見送っていた。

 その後、進は、一人、体を引きずりながら、廊下を歩いた。なるべく艦の前方に向かって歩いた。息は、整えることができないほど荒かった。

 どこをどう歩いたか、だんだんわからなくなってきていた。

『とにかく前に、上へ行かなければ......』

 進の頭は、細かいことを考えるほど余裕がなく、そのことだけで一杯になっていた。

 進は、すでに、体力の限界を感じていた。もう、そこから大きく動く事は、できなかった。痛さと疲労で、いつ倒れてもおかしくない状態だった。もう、足が前に進まなくなってきている。進は、とにかく、今をやり過ごす場を求めた。

 人の声と靴音が、どちらから聞こえるのか判らない程、感覚が麻痺していた。進は、人が入れるのかと思う程狭い隙間に隠れた。今、見つかれば、簡単に捕まってしまうだろう。狭い隙間に引っ掛かっている事で、かろうじて立っている状態を保てているのだから。

 ジ、ジジ....

 朦朧とする意識の中、進は、聞こえるはずのない音を聞いた。

『とうとう、幻聴まできたか。』

 自分の姿を想像して、進は、苦笑いをした。

 あの時、生きる事を選んだのだから。最後の一歩まで、諦めないで生きようと決心したのだから。

 進は、目を閉じ、ゆっくり思い出していた。

 

 兄に会ったあと、進は、電車に乗り遅れてしまった。

「バスに乗る時に連絡すればいいか」

 進は、最後かもしれない地上の町並みをぼんやり眺めていた。その時、突然の列車が止まった。遊星爆弾が近くに飛んでくるというアナウンスがかかる。

「きゃああああ」

 大きな振動とともに、列車は、横転した。しかし、止まっていたため、最悪の状態を逃れることができた。

「お父さん、お母さん」

 進は、遊星爆弾が、自分の家の方に落ちたことを知った。

 そして、何時間もかけて、一人歩いた。

『そんな......』

 無差別に落とされる遊星爆弾が、いつかは、自分のところにも落ちてくる可能性はあった。けれど、こんな風に来るとは思っても見なかった。

「お父さん、お母さん」

 

(73)

 進は、辺りが、ほとんど原形を持たないほど変わっていたのに、自分の家に確実に向かっていた。

 やっと、たどり着いた場所は、進の記憶の中では、バス停の側のはずであった。

「お母さんの服の切れ端だ......」

 それが、母のであろうとなかろうと、進には、母の物だと思えた。母は、ここに自分を迎えに来ていたのだ。そう、思いたかった。最後まで、やさしかった母......

 だが、残留の放射能は、進の生命を脅かしていた。進は、その場で崩れた。

『ぼくも、死ぬんだ』

 進は、それでもいいと思った。父と母がいない世界など想像できない......

 ジ、ジジジ.......

 進が意識を失いそうになった時、顔のすぐ近くで、音がした。進は、顔を上げた。

 そこには、一匹のセミがいた。セミは、一歩一歩、ゆっくり足を前に進めていた。

 焼けて、熱い大地。もう、飛ぶ力がないセミ。それでも、最後の力を振り絞って、足を動かしていた。

『もう、いいんだ。ここで』

 進は、声にならない思いをセミに投げかけた。

 ジジジ、ジ......ジ......

 進は、その姿を見ていて涙が流れてきた。なぜなんだ......

 何時間過ぎたのだろう、進にとって、それは、永遠の様にも感じた。しかし、セミは、その間も、ずっと、短い一歩を刻み続けていた。何のために?

 

 進の頭に、固い物が、押し付けられた。進は、けだるそうに、押し付けられた方に顔を向けた。

「やっと、会えましたね。探すのに時間がかかりました」

 長谷川啓が、進に銃を突き付けていた。

 進は、言葉を喋ることもおっくうになっていて、ただ、微笑を返すしかなかった。

 啓は、その笑いが、気にくわなかった。進の腕を取り、引っ張り出そうとした。

「兄たちは、あなたを返すつもりみたいですが、私は、違います。まず、銃を捨てて下さい」

 進は、何も答えなかった。

 次に啓が何か言おうとした時、大きく艦が揺れた。

『エンジンか......』

 揺れに耐えきれず、進は、床に転がってしまった。上半身を起こすのが精一杯で、立つことができない。

 啓も、自分の力だけで立っていることができず、体を壁で支えていた。

 

(74)

 揺れは、短かった。進は、できるだけ大きく息を吸うと、体の力すべてを押し出すよう、足に力を込めて、啓のすねを蹴った。

 不意をつかれた啓は、バランスを崩し、床に転んだ。進は、啓に飛び掛かった。そして、銃を奪おうと手を伸ばした。

 しかし、逆に、啓は、その伸びてきた腕を銃を持っている手で叩いてはらった。

 あうっ

 進は、痛さで顔をしかめた。

 啓は、素早く腰をあげると、足で、進の銃を持っている右手を踏んだ。進は、指先にもう力がはいらなかったが、銃を離すことはしなかった。

「あなたのように、何不自由ない、暢気な軍人を見るだけで、いらいらする」

 啓は、眉間にしわを寄せ、怒りの形相をした。

「暢気な軍人か......」

 進は、ふっと笑った。啓は、力を入れて、踏み出した。何度も何度も、腕を蹴られ、進は、そのたびに、顔をゆがめた。

「いつ、気づいたのですか、私が、スパイだって」

 啓の言葉に進は、答えた。

「お前は、片目が見えない......。微妙な物の位置も、死角に置くと見えないのも、数日いっしょにいれば、大体わかるさ。地球防衛軍は、通常、精神・肉体的ななんらかに問題があると普通、宇宙勤務ができない」

 進は、啓を見つめた。

「正規で入隊ではないとわかったのですね。それで」

 啓は、持っていた銃を進に向けた。そして、ゆっくり、引き金に手をかける。

「今からでも遅くない。いっしょにここから脱出しよう」

「兄貴たちを裏切れと?」

「そう、お前たちは、包囲されている。俺は、おとりだ。ただの」

「おとり?」

「そう、餌なんだ。お前たちを釣る」

 啓は、唇をかんでいた。進は、啓に、どうにかここで思いとどまって欲しいと思った。

「あなたには、わからない。自分の思うようにならないことが理由で、正規の宇宙戦士になれなかったことが、どんなに悔しかったか」

 その言葉に、進は、言葉を詰まらせた。啓の宇宙戦士になりたかった夢は、形式上のことで破れていたのだ。進は、啓の言葉通り、自分には、わかってあげることができないだろうと思った。自分はどれほど、自分の仕事に愛着があったのだろう。

 進の心の動きは、啓に伝わった。啓は、なぜ、進がそんな顔をしたのか考えた。

 二人の間には、さっきの緊張が消えていた。

「もう一度言う。俺といっしょにここから出て行こう。二人は、いっしょに捕まり、そして、逃げてきた。そうすれば、お前の罪は......」

 進がそう言いかけた時、啓は、深く息を吸った。進は、その時、啓の指先に力が入るのを見た。 

 次の瞬間、進の耳につんざくような音が響いた。

 

 第4章終わり

(75)につづく


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