第五章寒蜩[HOUSHIZEMI]
(75)
「このまま、突っ込め、北野」
「このままですか?このままだと、あの岩の固まりにぶつかります」
「それでいいんだ」
北野哲は、古代守の言葉に驚いた。守は、マイクのスイッチを入れた。
「空間騎兵は、接舷と同時に、向こうの艦に乗り込め。かなりの衝撃がかかる。十分、注意しろ」
スピーカーの向こうから、返事が聞こえると、守は、言葉を続けた。
「北野、接舷し易いところを探せ。見つかり次第、その部分を、主砲で攻撃を加えろ」
「はい、今、計測しています。......」
『後少しだぞ、進』
守は、まだ何も見えない前方を見つめていた。
「どうですか、逮捕者の人数は?」
司令部に戻ってきたユキは、今回の作戦の地球側での指示をしている伊達に声をかけた。
かなり、疲れが溜まってきたのか、目の下に疲れが出ていたが、顔は、にこやかだった。
「ほぼ、80パーセント、ってとこかな。今日一気に動きだしたから、結構いい成績だ......。残りも、今、追い詰めているところだ」
「古代先任参謀からの連絡は、どうですか?」
「まだだ。もう、動き出しているはずだけどね。作戦開始の合図は、向こうからだったし」
伊達は、作戦の状況を表示している画面を食い入るように見ているユキを見て、付け加えた。
「時間の問題だよ。それより、がんがんやりそうで恐いね、あの二人」
「そうですね。あまりやり過ぎると、長官から、大目玉だわ」
とりあえず、ユキの笑顔を見て、伊達は、ホッとした。
ユキは、そっと祈った。
『古代くんが無事でありますように......』
「主砲発射!」
「発射」
轟音と共に、暗い空間にひとすじの光が伸びていった。
(76)
真田志郎は、守の手際の良さに感心した。接舷して、空間騎兵が乗り込んでいった敵の艦は、完全に沈黙していた。
『何か、仕掛けがあったのか?いい加減な気持ちで、弟を送ったわけではないのだな』
前面のスクリーンを瞬きせずに見ていたサーシャの肩にぽんっと手を置く。サーシャは、斜め後ろに立っていた志郎の顔を見た。サーシャは、志郎の様子を見て少し安心した。
サーシャと同じように、スクリーンを見ていた守は、空間騎兵から入る報告を聞きながら、指示を出していた。しかし、進が見つかった報告がない。守は、ふと、横にいる志郎とサーシャを見た。
「澪......」
そう呼ぶ父、守を、サーシャは、少しさみし気にを見た。それに気づいたのか、その後ろで、志郎が、サーシャの肩をそっと支えた。
「真田、俺も行ってくる......。艦は、お前に任せるぞ」
『自分の始末は自分でつけるのか』
志郎は、守の気持ちがわかった。 守は、サーシャにやさしい目を向けた。
「澪、手伝ってくれないか、進を見つけるのを......」
サーシャの顔は、ぱっと、花が開くように美しく輝いた。
「わたしでいいの?」
「ああ」
志郎は、親子の会話を、遠慮して、耳だけで聞き、目は、スクリーンの岩の塊を追っていた。しかし、スクリーンに映し出されている岩の塊から小さい閃光が走ったのを見て、志郎の表情は、固くなった。
「古代、誘発が起こるかもしれないぞ。それにともなって、艦の空気ももれ始めるかもしれない。時間の勝負だ」
真田の言葉に、守は、キリッと真顔になった。
「頼むぞ、真田。空間騎兵からの報告を、適宜送ってくれ」
「気をつけろよ」
真田の言葉を受けて、守は、サーシャと共に、艦橋から去った。
「サーシャ、離れるんじゃないぞ」
サーシャは、守に、ヘルメット装着を手伝ってもらっていた。
「大丈夫よ。お父様。ちゃんと、おじさまを見つけるわ」
守は、少し大き目のヘルメットから見える笑顔にうなづく。
守は、サーシャの手を取り、暗い艦に入っていった。
(77)
身体が重たい。進は、もう目を開けていることができない。
ジジ、ジ......
どうして、生きなければならない?なんで、先が見えてるのに、前に進もうとする?
ぼくは、なぜ、生きている?なぜ、生きなければならない?
なぜ?
カサッ
進の耳には、セミの足が土を蹴る音が聞こえた。
生きていても、もう、草が生えた大地を、青い空の下を、歩くことはないだろう。もう、二度と、父や母の笑顔を見ることはないだろう。だから......
進の頭の中には、いろいろな思い出が巡った。
兄が家にいた頃、父がいて、母がいて、ただ、それだけで嬉しかった。楽しかった。
海へ行って、磯部の石を持ち上げたときの驚き。森の中で虫を捕まえた時の嬉しさ。飼っていた犬が、死んでしまった時のこと。母がいない時に、いつも側にいてくれた祖母が逝ってしまった時のこと。
「人間、一生懸命やっても、できないこと、叶えられないことがある。でも、努力して、それに限りなく近づくことはできる。おばあちゃんも、皆と同じ条件にはなれなかったけれど、それでも、誰にも頼らなくても、生活し、生きてきた。音が聞こえないことで、危険が他の人より、多いだけだって言っていたけどね」
祖母の葬式の時に、父が言っていた言葉を、思い出した。
「いつも前を見ていたよ。お前の名前も、いつも、どんな時も、前に進んでいけるようにと、おばあちゃんがつけたんだよ」
本当に、もう一度めぐりあうことは、できないのだろうか?何をやっても?
ジジ、ジ、ジジ......
進は、動かない身体を動かそうとした。
腕を、手を、指を......
微かに指先が動いたような気がした。
(78)
サーシャは、守を、引っ張るように案内した。まわりは、電源が切れているのか、真っ暗である。しかし、ヘルメットの特殊なガラスを通せば、赤外線のカメラで写したように、まわりの風景が見える。
守は、少し待って欲しいと、サーシャに合図を送り、ヘルメットから聞こえる報告を聞き入っていた。
「どうしたの?お父様?」
守は、ニッと笑って、答えた。
「大丈夫だ。サーシャ。頭(かしら)を捕らえることができたらしい。こっちも急ぐぞ」
サーシャは、その場にしゃがんで、頭の中を落ち着かせた。
自分の余分な考えがあると、小さいきっかけを掴むことができないのだ。サーシャは、なるべく、まわりに気を取られないように、目を閉じた。
頭の中が、すうっと、暗く何もない世界になっていく。ぼんやりとした映像が、フラッシュをたいたように、ピカッ、ピカッと、頭の中に浮かぶ。
顔の細部は見えない。けれども、ぐたったりと、床に転がっている人物は、進に違いないとサーシャは思った。そして、視点がその人物から、徐々に離れていくと、サーシャは、驚きで、声を出した。
「あっ」
サーシャの意識は、急速に、今いるところまで、後退した。
「どうしたんだ?サーシャ」
「お父様、おじさまが、危ないの......」
一番驚いた場面が、こびり着いたようにサーシャの頭の中に残っていた。
「誰かが、ずっと、おじさまに銃を向けている」
守の目は、驚きそのままで、開きっぱなしになった。
「こっち、お父様」
サーシャは、震える身体を抑えながら、守の背中を押した。
『おじさま......』
啓は、銃を構えていた。
さっき、放った銃は、二度目の大きな揺れで、かろうじて進の髪の毛をかすっただけであった。
もう、起き上がることはできない進を撃つことは、簡単である。しかし、今度は、引き金をひくことができない。
『俺は、一体、何やっているんだ......』
啓の頭に、その言葉が現れる度、打ち消していた。
「うっ......」
進の指がゆっくりと動いていった。
「に...いさん......」
(79)
啓は、その言葉を聞くと呆然となり、今まで構えていた銃を下ろした。啓が立ち尽くしている部屋に、守達が飛び込んだのは、そのすぐ後だった。
守は、啓が銃を持っていると確認すると、サーシャを後退させた。
守は、銃を構えたまま、そっと近づいていった。
「銃を下ろせ」
守の声が聞こえないのか、啓は、反応しなかった。守は、無理矢理、銃を取り上げた方がいいのか、迷っていると、サーシャが、守の横をすたすたと歩いていった。そして、啓の前にまで、進んでいった。
守は、サーシャの動きに驚き、ますます、どう動いたらいいのか、迷った。「あなたの心は、この人を撃ちたくないっていっているわ」
サーシャは、啓に微笑んだ。啓は、銃を持ったまま、サーシャの方を向いた。時が止まったように、啓も守も、動けなかった。
ガガガダァ−
遠くで、爆発の音がした。
まず、最初に動きだしたのは、啓だった。持っていた銃の銃口を進から外すと、左手に持ち直し、引き金から指を外した。
「ああ、だから、もう、これは必要無い......」
啓は、この不思議な少女には、嘘をつけないと思った。少女の目からは、自分の心の奥底まで見通せるほどの強い力を感じていた。
啓は、自分の言葉にうなづいたサーシャに、銃を差し出した。それは、ごく普通の---まるで、普通のものを少女に渡すような---動作であった。守は、ただ、脇で一部始終を見守っているしかなかった。幼い自分の娘が、近づきがたいほど神々しい存在に感じた。守は、彼女の中にあるスターシャの血がそう思わせたのだと思った。守にとって、それはさみしいことであった。
「おーい、この子、生きてるぞ」
誰かの手が身体に触れた感触だけが、頭の中に残る。
そして、誰かが、がっしりと、抱き締める。
「進、進。生きているのか、進!」
激しく、身体を揺さぶる。抱き上げる......
「進、大丈夫か、進」
激しく揺さぶる。この感触、あの日と同じ......
進は、長い夢から、醒めたように、頭が、はっきりしない。まだ、夢の中?それとも、......
「進!」
「兄さん?遅いよ、ちょっと......」
現実の世界に引き戻された進は、もう、目を開ける気力もなかった。
「進......。よかった、間に合って」
守は、進の身体を起こしてしっかり抱き締めた。
『兄さん、耳もとで、大きな声を出さないでよ......』
進は、苦笑した。あの時も、こうやって、名前を呼んでくれて、きつく抱き締めてくれた。
『ぼくのことを心配してくれる人がいるんだ、まだ......』
そう思った日、進は、生きようと決心した。そして、強くなりたいと願った。
温かいぬくもりの中、進は、深い眠りについた。
(80)
進を無事、艦に収容できると、守は、別の艦の到着を待つ間、捕えた者たちを確認した。
啓の姿を見つけると、守は、啓の言葉を思い出した。
啓は、サーシャヘ銃を渡すと、自らの手を守に差し出した。守は、その従順な態度を、見せ掛けだけではないかと、最初は疑った。しかし啓は、サーシャの笑みに励まされるように、守に自分の気持ちを伝えた。素直な自分の気持ちを他人に話すのは、何年振りのことだったし、そういう心境になった自分が不思議であった。
「古代艇長を見ていたら、昔を思い出しました。兄達からいろいろな話を聞いて、宇宙で仕事がしたくなったことを。だから、きちんとけじめをつけて、今度こそ、ホントの宇宙戦士になりたいんです」
『ハンデがあれば、それだけ、宇宙戦士には、なりにくい。しかし、逆にそれをバネにして、宇宙戦士になったヤツは、何人もいるんだ』
守は、言葉をかけたかったが、立場上、声をかけることができなかった。
そのあと、3人の頭領達が入っている部屋に行った。3人は、別々の部屋にいたが、守に放った台詞は、同じであった。
「あんたの弟は、あんたのこと、最後まで信じて、待っていたぜ」
北野哲は、艦橋の操艦席のパネルのキーをいじって、運行表の登録を済ませていた。
『これで、......』
「あああ、これで、ホントに最後だな」
哲の隣に座っていた男が言った。
「なんだい、お前まさか、軍を辞めるのかい?」
通信席の男が、その言葉に反応した。
「ええ。でも、最後の仕事が楽しかったので、撤回しちゃおうかなーなんて、ちょっと思っているんですけど」
「へえ、奇遇。俺も除隊なんだぜ、帰ったら」
「なんだ、お前達もか......」
機関長が後ろから二人に声をかけた。
哲は、思った。
『 そっか、先任参謀のはかりごとか』
哲は、短い間、心踊って、このまま、軍に残ろうかと考えた自分が、確かにいたことを知っていた。なんとなく守の考えを察知した哲は、一人晴れやかな顔で、皆の話を聞いていた。
(81)
医療室では、進の治療が進んでいた。それを、守と志郎が、ガラス越しに見守っていた。
「やけに、簡単に片付いたな。今まで、さんざん手間取っていたんだろう?」
志郎は、進の姿をずっと追っていた守に、声をかけた。
「ああ、何しろ、何人も侵入させて、失敗してたしな。今回も、ばれないようにするのが大変だった。この艦の乗組員も、すべて、違う仕事につくために、除隊するヤツばかりを集めたし」
「行き先が決まってるヤツは、窃盗団なんかじゃないか......」
「そう、それに、これを気に考え直すかもしれない......」
「色々考えるんだな」
「それくらい、こっちだって、ぎりぎりだったのさ。けれど......」
「けれど?」
志郎は、言葉の続きを促した。
「こっちだって、一枚だけ切り札があったのさ。ずいぶん前に、侵入できたヤツがいてな。そいつが、コンピューターを狂わすプログラムをやつらの艦のコンピューターに入れることができたんだ。その男は、その時点で殺されたけれど、そのプログラムは、奥深く入り込んで、長い間眠っていた」
「誰かが起こせばいいだけだったのか」
守は、志郎の理解度に満足した。
「古代は......古代進は、その眠りをさませる役目、か。それで、そのプログラムが目覚めて、艦の機能を止めてくれたわけか」
「そう。サーシャにもたくさん助けてもらってけれどね」
傍らにいたサーシャは、守の言葉に、ニコリとした。
「そろそろ、お別れだな、サーシャ」
守は、包み込むような柔らかな目で、サーシャに言った。
「お父さま。おじさまに、お別れを言いに行ってきてもいいかしら?」
「たぶん、今は、意識はないよ」
「いいの。今度こそ会えるように、おまじないして来る」
医務室のドアを開けると、医師が出てきた。医師は、守に軽く礼をした。
「傷は、大したことは、ありません。疲労回復の為、今は、寝かせています。地球に帰るまで、寝たままの方がいいでしょう」
「ありがとうございます」
「いえ、それでは」
医者が出ていくと、サーシャは、進のベッドに駆けていった。
「お前の弟も、サーシャを見たら驚くぞ」
「まあ、あの若さでも一応、『おじさま』だしな」
二人は、入り口のドアから、サーシャの動きを見つめながら、歓談した。
「おいおい、ユキが知ったら、大変だぞ」
「あの、二人には、そのくらい刺激が必要かもしれんぞ」
サーシャは、進の枕元に立った。目の前には、写真ではない本人を目にして、サーシャは、嬉しくなった。
『この人は、私と血が繋がっている。この人は、本当の私を見てくれる、わたしの家族......』「今度、会う時を楽しみにしているわ、おじさま......」
サーシャは、そっと、進の頬にキスをした。
(82)
相原義一は、ヘッドホンに手をあて、言葉を一つ一つ確認しながら、通信を聞いていた。
義一の顔が笑顔になると、側にいた参謀の伊達が、義一に言葉を促した。「今、古代艇長を無事救出したとの報告がありました」
「そうか、すぐ折り返し、こちらもほぼ98パーセント作戦が進んでいることを伝えてくれ」
「はい。わかりました」
司令部に吉報が流れると、喜びの声に沸いた。その声は、即、ユキが詰めていた司令長官室にも届いた。
「よかったな、ユキ」
藤堂の声を聞いて、ユキは、やっと、ホッとすることができた。
それまでのユキは、少しやつれ、血色がよくなかった。それは、この数日間の彼女の疲れが表れである。まどろんでくると悪いことばかりを想像してしまった数日間、ユキはゆったりと眠ることができなかった。
藤堂は、ユキのこぼれんばかりの笑顔を見て、さっきまでの疲れがさっと引いていったのを知った。
『今日は、やっと、ゆっくり寝れそうだな、ユキ』
コントロールセンターにいた島大介の元に、普段の航行に切り替えるように命令が下ってきた。大介は、そこで、この作戦が成功したことを知った。
『ユキは、喜んでいるだろうな』
大介は、パネルを操りながら、口元が弛んできた。大介の脳裏には、ユキの笑顔が浮かんでいた。
「島さん、これで、今日は帰れますね。時間外が多くて、結構疲れちゃいましたよ」
隣で、データ送信をチェックしていた徳川太助が、大介に話しかけた。「やっぱり、機械相手は疲れるなあ。早く宇宙(そら)へ行きたいと思わないか」
「島さんもですか。そうですよね。私なんか、いつそうなってもいいように、休みの日は、エンジンのマニュアルばかり見てるんですよ」
「なるほど、単に彼女がいないっていう、時間潰しじゃないんだな、それは」
「失礼ですね、島さんは。でも、わたしも、おやじと同じ、エンジンばかになってきたなと思うんですよ、最近。昔はいやだったのになあ」
「徳川さんのような腕のいい機関士になってくれるのは、心強いよ」
「へへへ、父さんの腕を知っている島さんの前だと、腕がばれちゃって恥ずかしいですけど」
「機関士は、技術職だからな、いつも触っていたいよな、エンジンに」
「島さんだってそうでしょ。でもそれだけじゃなくて、宇宙にいたいんです。恋しいっていうのかなあ。他の人は、どうなんでしょうね」
「みんな、行きたいさ。きっと......。まあ、一人、ばかが未だに駆けずりまわっているけどな」
大介は、進のことを思った。宇宙から離れたくない気持ちが強いのはわかるけれど、なぜ、あれ程、こだわっているのだろう?自分の知らない間に、進は、どんどん変わっていく。いつまでも同じところにいられないとわかっていても、友に置きざりにされたみたいで、寂しさだけが募っていた。
(83)
進を乗せた艦が地球につくと、進は、中央病院に搬送された。ユキは、その情報を得ると、すぐさま、中央病院の方へ向かった。ユキは、そこで、運び込まれる進を見た。進の状態は、通信で、すでに聞いていたが、自分の目で確かめてみたかった。
緊急の患者の処置室へ運ばれる進の乗ったストレッチャーのまわりには、担当の医師や看護婦や看護士たちが取り囲んで、ユキは、全くという程、近づけなった。
ちらっと見えた進の顔色は、普段通りだったのを見て安心したが、ユキは、自分が置いてきぼりをくった子どものように何か寂しさを憶えた。
それは、患者が進だからという理由ではない。自分が病院に運び込まれ、その時の看護婦に花をもらった時から、少しずつ芽生えてきた気持ちだった。ずっと忘れていた気持ち......
「森さん」
呆然と立ち尽くしていたユキに、一人の女性が声をかけてきた。
守は、艦を降りると、急いでエアカーに乗った。それは、進を乗せた救急車輌のすぐあとだった。
「古代守も、人の子だねえ。やっぱ、弟が心配なんだ」
北野哲は、その言葉を聞きながら、帰り支度を始めた。
『古代さん、やっぱり、ぼくは、自分の決めた道に行きます』
自分の決めたことなのに、これで最後の操艦だったと思うと目頭が熱くなった。
「おい。みんなで、最後の酒盛りやろうぜ」
哲の姿を見ていた隣の男が声をかけてきた。
「いいですよ。そのかわり、今日は、お金がかかりますよ」
守は、司令部に着くと、藤堂の元へ向かった。
「すみません。お待たせしました」
藤堂は、ほとんど沈んでしまった夕日を見ていた。沈んだ夕日からの光を受けて、紫に染まった夕焼け雲が、ビルとビルとの切れ間から、微かな輝きを見せていた。
「答えは出たのかね」
藤堂の言葉に答える前に、守は、息を吸った。
「はい。ヤマトの艦長候補なのですが、やはり、古代進は、不適格だと思います」
「そうか」
藤堂は、頷いた。「若いということではなく、彼はまだ私情に流されるところがあります。私から見て、まだ、時期尚早かと思われます」
(84)
一通りの仕事を終え、守は、自室のイスにどっかり座った。この一週間、気が高ぶっていたので気づかなかったが、急に手足が重たく感じた。このまま目を閉じて、少し寝てしまおうと思った。
その時、守は、目の前に、何枚かメモが、貼ってあることに気がついた。その中から、誰かが書いた走り書きの伝言を、守はみつけた。
<今日は、ミューズ閉店。9時から瑞樹が歌を歌うんだってさ。絶対来いよ>
守は、時計を見た。もうすでに、10時近い。しかし、今から急げば、間に合うかもしれない。守は、ばんっと、イスから立ち上がった。
走った。とにかく何も考えず。自分の為に行動したのは、これが最後だったかもしれない。
「地球ともお別れかも知れないな」
守は、北原聡(あきら)にぼそっと告げた。
「お前らしくない」
「俺は、帰るぜ、瑞樹がいるから。」
「俺は誰もいない」
「でも、弟がいただろう」
「あいつ、今、訓練学校の生徒なんだ」
「へえ、標本で泣いた弟が」
「そうだ、俺がプレゼントした標本を可哀相だと泣いた弟だ。お前に、そんな話をしたっけ?」
「ああ、結構、お前、落ち込んでいたから」
「そうだったかな。誕生日プレゼントであげた標本を、喜んで泣いていると思ったら、自分の為に標本にされた昆虫たちを哀れんでいたって、後から、おふくろから聞かされた話だろ。よく憶えているな」
「いや、やさしい子だなって。そうか、宇宙戦士になるのか」
「そっ、虫も殺せない子がね」
「それから、何年も経ったのだろう?強くなったんだよ」
「そうだろうか?破れかぶれになっただけのようにしか見えんが」
「人間、みんな知らぬ間に成長しているんだよ。少しずつね。俺も、何年か前は、宇宙戦士は、自分に合ってないと思ってた」
「思ってた?じゃ、なんでまた戻ってきた?」
守は、北原聡の言葉をくり返した。
「そう、医者になる勉強をしていて、やっぱり、宇宙戦士でいたい気持ちが俺の中にずっと残っていたことに気づいたんだ。あの頃は、一つしか選べないって、諦めていたけれど、こうして、二つできることに今は気づいた」
北原聡の目は、遠ざかる地球を追っていた。
(85)
「俺が迷っている間、結局、瑞樹は、自分の夢を諦めてしまっていた。俺も、気づいてやれなかった。すぐにね。だから今は、瑞樹が、夢を取リ戻す時間が欲しいんだ」
北原聡(あきら)は、みるみる小さくなっていく地球が見えなくなるまで、動かなかった。守は、そんな聡の横顔を見ていた。
「側にいた方がいいんじゃないのか」
「いや、何かしていたいんだ。今度は、彼女の為に」
「瑞樹の為にか......」
「もう一度、歌を歌って欲しいな。歌を歌っている時の彼女の顔って、きれいなんだぞ」
「おまえののろけは、変わらないな」
「ははは......」
二人は、最後の戦いになるかもしれないというのに、わずかな時間を楽しんだ。
守の頭の中には、そのシーンが、昨日の様に鮮明に蘇った。
「お前の弟だって、自分の足で、少しずつ成長しているのさ、きっと」
「変わったな、おまえ」
「言っただろう。俺だけじゃない。お前だって。ちゃんと艦長にやっているじゃないか」
「任命されれば、誰だって艦長さ」
「いや、乗組員を見てればわかるよ。すごいよ、お前は」
『全然、すごくないんだ、北原』
守は、店のドアまでたどり着くと、深呼吸をした。
『俺は、前には、進めていないんだ』
がっと、力を込めて、店のドアを開いた。
中では、宴が盛り上がっていた。
守の姿を見ると、中にいた者すべてが、迎えてくれた。守のために、道を作る。
ピアノの側にいた瑞樹は、皆の反応で、守が来たことを知った。
「それでは、最後の歌を」
瑞樹は、スカートの腰の辺り抑えながら、ピアノのイスに座った。
(86)
ユキは、病室の窓のブラインドを開けた。部屋の中には、夏の強い光が入ってくる。ユキは、その光の中で、背を伸ばした。傍らのテーブルには、さっきから書いている手紙がまだ、書きかけのままであった。
何度も、考えをまとめているのに、いい言葉が浮かばない。ユキは、ベッドに眠る進の顔に光があたらないようにブラインドを調整した。
しかし、晴れやかな気持ちであった。その気持ちのせいで、逆に、余計に言葉だけでは、伝えられなくて、手紙は、最初の部分で止まっていた。<あのエアポートで、すくんでしまったわたしの気持ちは、どんどん不安な方へと傾いていってしまいました。でも、>
進や守のことを信じている伊達や藤堂や佐渡や大介に会って 、そして瑞樹に会って......
少しずつ、自分のホントの気持ちがわかってきた。どうして、自分は、こんなにも不安だったのかを。
ユキは、時計を見て、時間が迫ってきていることに気づいた。
進は、ぐっすりに眠っている。体力的には、ずいぶん回復しているのに、何日分かを取り戻すように、長い時間眠っていた。
ユキは、進の顔を覗き込んだ。
『ほんと、いじわるな人』
進の唇にそっと触ろうと、 人さし指を近づけたユキは、そこで、目覚めた進と目を合わせた。
進は、目覚めてばかりで、驚き、顔を反らした。「な、何してたの?」
ユキは、指を引っ込めると、反らした進の顔を覗き込んだ。
「なかなか起きないから、ちょっと、ね」
進は、身体中の包帯に少し戸惑っていた。そんな進が、不安がっている子どもの患者のようで、ユキは、くすくすと笑った。
「ひびが入っていたり、爪を剥がされていたりして、大変だったのよ」
ユキは、寝ている進の頬に自分の頬をすり寄せた。
進は、驚いた。その感触は、夢とは全然違っていた。寝ている間に、生々しい程、温かで柔らかい肌の感触を感じていた進は、その相手が、当然ユキであると思っていた。しかし......
ユキは、動きの止まった進の顔を見るため、顔を離した。
「どうしたの?」
「いや、夢での中で、君が同じことをしたから......」
進は、余分なことを言ってしまった気まずさに、口元を手で隠そうとした。ユキは、再び進に顔を寄せた。
『じゃあ、あれは、誰?』
疑問が過ったが、こうした人と人のさり気ない触れあいが進にとって、かけがえのないものに感じた。進は、ユキの背中に包帯の巻かれた腕をまわした。
そこで、進は、ユキが白衣を着ていることに気がついた。「どうした?白衣着て」
「ふふふ、あなたのお兄さんにあなたの看護を命令されたの」
「ええっ」
「う・そ。ホントは、昨日婦長に、休みの日に研修しに来なさいって言われたの。看護の仕事も離れていると忘れちゃうし、新しくなったことについていけなくなっちゃうから、医療の世界は、いつでも復帰できるように、研修制度があるのよ」
「なんだ。兄さんのことだから、ホントに君に命令したと思ったよ」
迷惑そうに言う進が、ちっとも嫌そうな顔をしてないと、ユキは思った。
「最近、なんとなく、感じていた不安が、なんだったのか気がついたの。やっぱり、医療の仕事が好きだったことが、自分でもよくわかったの」
「そう......」
進がやさしい笑みを浮かべた。その進の笑顔は、ユキにとって、御褒美のようだった。子どものころ、ほんの些細なことで、父や母にほめられたときのような......
「あっ、いけない。時間だわ。昼休みの時間が終わっちゃったから、行くわね」
「ああ」
テーブルに置かれた書きかけの手紙をつかむと、ユキは、部屋から出ていった。
もう、伝えることは、伝えることができた......手紙が不要なゴミになった。
(87)
ユキが病室に何冊かの本と、本のページをめくってくれる台を持ってきたおかげで、進は、退屈せずにすんだ。進は、見舞いの客が途切れると、今まで、時間がなくて読めなかった本を思う存分読んでいた。
その日も、朝食をすませると、すぐに本を開いたのだが、まだ面会の時間になっていないのに、ノックの音がする。進が答えると、病室に、守が入ってきた。進は、やましい物でも見ていたかのように、包帯が邪魔して、上手く動かせない手で、慌てて本をベッドの脇に移した。その姿を見て、守は、吹き出し、笑いこけた。「くくく......元気そうだな」
「おかげさまで!」
守の言葉に進は、少しすねた答えを返した。
地球についてから、守は、三日間、寝る間を惜しんで、溜まっていた仕事をこなしていた。自分が一番後回しにされたことも、進には、気にくわなかったようだった。
「遅くなってすまなかったな。身体はなんともないって聞いていたから......。そのかわり、休暇だけは、長くしておいたぞ」
自分の動きを完全に笑いの対象にされていると、進はわかると、守に背中を向けた。
「頼み込んで、もらってきた物なんだけれどなあ」
守は、後ろに持っていた物を、ちらちらと進の顔の前にちらつかせた。
「なんだよ、もったいぶって」
口を尖らせ、起き上がった進に、守は、笑い出した。
「お前も、意外と子どもっぽいんだな」
守は、ぽんと、手にしていた物を進の手のひらの上に置いた。
進が紙包みを開けると、小さな箱にセミの個体が三つ並んでいた。「え〜、どこで手に入れたの?」
進は、一匹、一匹、丁寧に確認していた。
「研究所にいる昔の友だちに頼んだんだ」
守は、進の姿を見て、驚いた。
『なんだ、泣かないのか』
「すごいよ、兄さん。これ、なかなか手に入らないんだ。セミは、ほとんど絶滅に近いぐらい数が減っているし。天然のセミには、滅多にお目にかかれないんだ」
進は、目を輝かせて、セミのうんちくを語り出した。
『これも成長か......』
守は、子どもの頃から変わらぬ瞳で喜んでいる弟をジッと見ていた。こうしていると、普通の青年にしか見えない。SEVEN EYESの艦の様子を見た守には、それが同一人物がやったことだと思えなかった。
守の視線に気づいたのか、進は、顔を上げた。
「ありがとう、にいさん」
守は、進のその笑顔に弱かった。
『あの笑顔のせいで、何度もセミを取るはめになったんだったけ』
(88)
『俺の前だけなのかな』
無邪気な進を前にして、守はユキの言った言葉を思い出した。
「守さんには、甘えてますね」
『甘えているのか......』
守は、窓に近づいた。窓は、あまり強い日ざしが入らないように、ブラインドがほとんどしまった状態になっていた。窓辺には、本や雑誌がきれいに並べられている。ユキが、細かく世話を焼いているのだろう。今朝も来たのか、差し入れらしき包みもあった。
「にいさん、朝御飯食べた?」
「いや」
「じゃあ、食べてってよ。一人じゃ食べきれないし」
進は、その包みの中身を守に勧めた。しかし、守の明確な返事を聞かぬまま、進は、不自由な指を使って、包みを開け始めた。
「彼女の家の味付けらしいんだけど」
朝食を食べてない守は、進が広げた包みから一つ、つまみ上げた。包みの中には、いなりずしが並んでいた。
『少し、味が濃いな』
守の反応を予想していたのか、進は、お茶を用意していた。
『こうして、進も、別の家庭の味に染まっていくのか......』
それは、不安というより、良いことなのだと守は思った。以前、母と同じ味のいなりずしを、進の部屋で食べた時、進の傷の深さを知った。両親の思い出を、そういう形で残している姿は、見ているだけでつらかった。
「長谷川のことなんだけど......」
進は、真顔になった。
「ちゃんと、自分のやったことに、責任を持ちたいと言っていたそうだ」
「そう......」
「お前の提出した書類も読んだよ。多少、俺が色をつけといたが......。やったことは、重罪だが、反省してるし、まあ、情状酌量ってやつで、多少は、軽くなるだろう」
進の顔が再びにこやかな表情になった。安心したのだろう。守は、お茶を飲みながら、進の様子を見ていた。
長谷川啓の調書を読んで、進が投降を促したことを知っていた守は、進が啓に対して何を言ったのか、なんとなく察しがついていた。
『甘いな......』
それは、進の若さからなのか、性格からなのか......
「にいさん?」
「ああ、そうそう、瑞樹が店を閉めた。もう、あの店は、ない」
進は、突然変わった話題に驚いて、言葉がでなかった。
「歌を歌いたいって。また、一から勉強し直すそうだ」
進なりに事情が飲めたようで、進の顔を見ていた守は、ほっとした。
「にいさん、それでいいの?」
「ああ」
兄の穏やかな顔を見て、進は、兄が瑞樹の選択を心から喜んでいると思った。
「にいさん......」
進は、標本の箱を握りしめ、何日も考えた答えを、口にするのを迷った。
「もう少し、このままでいたいんだ。決める時は、自分で決めたい......」
「そっか」
帰っていく兄の背中を見て、進は思った。
『父さんに似てきたな』
病院の廊下を歩きながら、守は呟く。
『もう少し、俺の弟でいろ』
(89)
進は、ブラインドから漏れてくる光を眺めていた。いつも、いつも、選択を求められる。自分のこと、地球のこと、乗組員のこと......。今は、逃げたくない。納得できるまで......いつか納得できるのだろうか?
ばっ
突然開いた扉の音に、進は反応した。
肩で息をしている守が走り寄ってくる。
「何?にいさん」
「来るんだ、早く!」
守は、ベッドにいた進の手を引く。
その力は、強く、指先が痛かった。しかし、守の勢いに負けた。進は、守に引っ張られるまま、ベッドから下り、スリッパをはいた。守は、進の手を気にして、左手首を掴んで、走り出した。
進は、子どもの頃、こうやって、手を引いてもらったことを思い出した。それは、何か、嬉しいような、恥ずかしいような思い出......。しかし、今でも、兄は、こうして、自分を引っ張ってくれる。
ここ数日、ほとんど寝てない守は、体力が落ちてきたことを感じながら、進を引っ張る。
『一体、どこへ......?』
足を取られそうになった進は、スリッパを脱ぎ捨てて、守についていった。
「ここからは.....一人、で......」
守は、言葉も絶え絶えになりながら話した。そして、進の腕をさらにぐいっと引っ張る。進に一人で行くことを勧め、前に押し出す。
「病院の中庭だ」
叫んだ守は、もう、立っているのが精一杯で、膝に手をつけて、かろうじて立っていた。息が落ち着かなく、肩を上下させていた。進は、指先がじんじんしてきたが、何かにせかされるように走った。
廊下で、すれ違った人々の顔がやさしい。まわりの人たちの話がちらっと耳に入った。進は、兄が、なぜ、自分を連れ出したのか、理由がわかってきた。
病院の中庭のドアを開けて、外に出る。そこには、たくさんの人がいたが、皆静かに一点を見つめていた。
つくつくでぃーだ、つくつくでぃーだ、つっつっつっつっつっつっつ
びぃー......
ツクツクボウシが飛び立つのを、進は、中庭にいる人といっしょに見た。
『このセミは、研究所からでも逃げ出したのだろうか......?』
三々五々に散らばって去っていく人々の中、進はひとり、いつまでも、中庭から見える青い空を、見上げていた。
進は、夏が、終りに近づいていることを知った。
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