『あなたに白い花束を』第5章

 文中に『ヤマトよ永遠に』の台詞を一部引用させていただきました。

 

(36)

進は何度も同じ『場所』を彷徨っていた。それは、時間軸がどうにかなってしまったような、壊れたレコードがエンドレスに同じ場所をくり返しているような、そんな状態だった。

 気がつくと、あの廃虚の後のエアポートにいるのである。そして、最初は、第三者のように、二人の会話をぼぉーと聞いているだけなのだが、いつの間にか、自分が中心になっていく。

「一緒に帰れだなんて......、私に、一緒に帰れだなんて...。あなたには、ユキさんが......」

 少女の顔は、いつもと違っていた。進は、少女が自分のことを、『叔父』として見ていたのではないことを知った。

「あなたの心には、私の入り込む......。おじさまですものね、はじめからわかってた」

 進は、なんと彼女に声をかけたらいいのか、わからない。騙してもいいから、この場を何とかした方がいいのか、でも、勘のいい彼女に、きっとうそだと見抜かれてしまうだろう。

 何度考えても、彼女の心に届く言葉を見つけることができない。そして、何も言えないまま、少女との別れの時がやってくる。

「来ないで、少しでも私のこと好きなら、追って来ないで、おじさま」

 あの時、どうして何も言えなかったのか。そして、今もどうして言えないのか。

 

「サーシャ、行かないでくれ、サーシャ」

 どうして、あの時、強引に連れもどせなかったのか。進は、エスカレーターの柵を叩いたり、又は、柵を引き千切ろうとしたり、体ごとぶつかったり、あらゆる手段で、柵を壊そうとする。

「行くな、サーシャ。戻ってくるんだ」

 

 何度も何度もくり返す。本当は、どうしたかったのか。進は薄れゆく意識の中で自問自答する。だが、いつも、同じ答えしか出てこない。そして、納得できずにいると、また同じ場所、同じ時に、意識が飛んでいく。

 

『本当は、どうしたいんだ。俺は、あの時、どうしたかったんだ』

 

 

(37)

 大介は、迷っていた。今ここで、あの時のことを皆に話した方がいいのか。

「サーシャ......」

 深い眠りの中のはずの進が、少女の名を口にした。進の頬には、涙が流れ落ちた。疲れた顔をしたユキは、その涙を、そっと、手のひらで拭った。その時、大介の中で、何かが騒ぎだした。

 

「古代は、自分を責めている。あの時、澪を引き留めれなかったことを」
 大介は、重い口を開けた。

「古代は、澪に言われたんだ。ユキのいる地球に一緒に帰れだなんて......と」

 

 進が、少女のことを『サーシャ』と呼んだことが、頭から離れなかった。相原義一達に後を任せ、大介は、二人を追った。そして 大介は、エアポートのエスカレーターが見える所にやってきた。

「......、一緒に帰れだなんて、あなたにはユキさんが......」

 大介は、その言葉を聞き、二人から見えないように身を隠した。

「サーシャ」

 進が少女に声をかける。

「あなたの心には、私の入り込む......。おじさまですものね。はじめからわかってた」

 大介は、今まで、大きな過ちをしていたことに気づいた。急激な成長は、なぜだか解らないが、少女が、古代守とスターシャの子どもであり、進の姪であることに気づいた。

「わたし....、さようなら」

 少女は、すばやく、柵の開閉のボタンを押し、エスカレーターに飛び乗った。さすがの進も、困惑していたのだろう、少女の動きが読めなかったようだった。進は、少女の後を追えず、すでにしまってしまった柵を握りしめていた。

「来ないで、少しでも私のことが好きなら、追ってこないでおじさま」

 少女の声は、涙声だった。進は、一歩も動けず、少女をただ、見送るだけだった。進の背中は、いつものような覇気が、全く感じられなかった。進が髪をかきあげ、そしてため息をついたことを、その背中の動きで知った。進に声を掛けづらくて、大介も、その場から動けなかった。

「シマサン、ヤマトカラ、キカンメイレイデス」

 大介は、驚いた。振り向くとすぐ近くにアナライザーがいた。

「わかったよ、アナライザ-。古代と行くから、先に行っててくれ」

 元の方向に体を戻すと、こちらを見ている進がいた。二人の会話を聞いていたようだった。

「古代.....」

 進は、大介の方に歩いてきた。そして、大介の横を通り過ぎる時、大介の左腕をとった。

「ヤマトにもどろう」

 進は、そう言うと、貝のように口を固く閉ざしてしまった。進は、じっと大介の目を見ていた。大介は、進に何も言えなかった。

 ふっと、進は、視線を落とし、大介の腕を軽く引っ張ると腕を離した。

「ヤマトに戻るぞ。島」

 

 

(38)

 大介はその時、進がふっきれたと思い込んでしまった。しかし、進はその直後、波動砲を撃つことを拒否し、ふっきれずにいた。

 

「うれしそうにしろよ」

 地球との定時の通信が終わった後、大介は、進の耳もとにぼそっとつぶやいた。暗黒星団帝国との戦いの後の帰還の航海は、穏やかであった。地球からは、家族の生存の報告、復興の報告が、日に何度ももたらされた。藤堂司令長官の気づかいなのか、ユキが、通信係をしていることが多かった。

 大介は、初めのうちは、進の表情に、ユキに会えるの喜びを感じたのだが、次第に、進の表情は、複雑になっていったことに気づいた。

「?」

 大介の言葉に、進は、一瞬動きを止めた。そして、二人は、目をあわせた。

「気づかれる様な、顔をするなよ」

 進は、何を言われているのか、気づいたようだった。進が言い返すようだったら、大介も心配はなかっただろう。進は何も言わず、第一艦橋から出ていった。その後ろ姿を、見て、大介は、声にならない声を掛けた。

『地球についたら、ユキのことだけ考えるんだぞ。古代』

 

 

 大介は、そのすべてを話す気にはなれなかったが、エアポートでのできごとだけは、真田志郎と森ユキに聞かせた。二人には、変な誤解をしては欲しくなかった。そして、進とユキには、生きている二人は、幸せになって欲しいという願いもあった。

 

 大介の話に対して、ユキは、何も言えなかった。地球に帰還後、進は、よく自分の事を見つめていた。寂しそうに微笑むことが増えた。そして、進一人で考えて決めてしまうことが多くなった。

 ユキは、眠っている進のふとんを掛け直した。ユキは、進の唇が、一瞬動いたように見えたので、その手を止めた。進が、また、少女の名を口にするのでは......。

 

 志郎は、唇を少し噛んだ。その口元を隠すためなのか、口元に、手を持っていった。『嫉妬しているのか?』志郎は、自分の複雑な気持ちが、自分でもよく判らなかった。

 

 沈黙が続いた。

「黙って、見ているだけですか?僕達は、艦長が目覚めるまで、見守ることしかできないんですか?」

 突然聞かされた話に、一番、驚いたのは、竜介だったのかもしれない。竜介のその大きな声は、彼がどれ程驚いているかを表現していた。

「たぶん。これは、古代が、自分で解決しなければならないことだ。人間、ここぞという時、自分で解決せにゃならんのだ。土門」

 佐渡酒造は、少し醒めた口調で竜介に答えた。

 

 突然、進に着けられていた装置が点滅し、進の表情が苦しそうになった。進は、肩で呼吸をしだし、胸元にかかっているシーツを掴んだ。ユキは、計器の表示をちらっと見て、酒造の方を見た。

「こりゃいかん」

 酒造は、進の口元に酸素マスクを持っていき、鞄から出した注射を進の腕に打った。進の呼吸は、少しずつ落ち着きを取り戻していった。

「もう一回が山じゃな」

 点滴の様子を確認しながら、そう言う酒造に、竜介は、食いついた。

「こんなに、苦しんでいてもですか?何も助けてあげれないんですか?」

 

「俺たちだって、苦しいんだ」

 大介が、酒造に突っかかろうとしている竜介の肩を後ろから掴んだ。

 

(39)

 夢の中で、進は、次第に意識が朦朧となっていった。夢の中とはいえ、それまで、現実と変わらない程はっきりとした情景が見え、そして、音が聞こえていた。

 しかし、何度も何度も同じ場面をくり返すうちに、この様子を第三者のように眺めている自分がいることに気がついた。

 寒い。体が固くなり、動けなくなってしまいそうだった。長い間、忘れていた、感覚だった。そう、両親を失ってからは、一人で泣いていた。冷たいベットで一人。あの時も、こんな感じだった。

 いつの頃からか、自分のそばに誰かがいてくれた。死にたい程苦しい時、落ち着かない時、弱音をはきそうになった時......。

 

「私が一人、残ります」

 ユキは、顔を上げ、皆に宣言した。そして、進の体に着けられた、ベルトを外し始めた。

「一人って?」

 大介は、ベルトを外しているユキの腕を、掴んで、その動作を止めようとした。

「これ以上、彼に負担をかけないように、私が側にいます」

 ユキは、大介の手を振払い、再び、ベルトを外し始めた。

「二人っきりにすることはできない。今の古代は、何をするか分からない」

 志郎も、ユキの動作にストップをかけた。

「彼の側にいたいんです」

 ユキは、き然した表情で、言い返した。そして、ベットのまわりの男たちは、その表情から、ユキが譲らないだろうことを読み取った。

「二人の関係は、わかっているつもりだ。でも、理性のない古代が、君に暴行を加える可能性だってあるんだ。もし、そうなったら、傷つくのは、君たち二人なんだよ」

 志郎は、こんなことを言っても、ユキの気持ちが変わるわけはないとわかっていた。

「今の私にできることは、それぐらいしかないんです。先を恐れて、後悔したくないんです」

 酒造は、ユキの顔を見て、投げやりではないと判断した。酒造は、進の足下のふとんをめくると、下半身のベルトを外しにかかった。その酒造の姿を見て、ユキは、一瞬、動きをとめ、酒造の動きを見た。

「いいだろう。おまえさん、決心は固そうだからな。だがな、ユキ。艦長は、自分の身を守るため、あんたを攻撃してくるかもしれない。艦長は、宇宙戦士としても、超一級だということを忘れるんじゃない」

「ありがとうございます。先生」

 緊張が弛んだのか、ユキの目から涙があふれた。それでも、涙を手で拭って、黙々とベルトを外す動作を続けた。喋りながらベルトを外していた酒造は、手を振って、大介や志郎にも、ベルトを外すように促した。 

 簡単に外れないようにできているベルトを必死に外している四人の様子をただ、竜介は、見ているしかなかった。『自分は、何ができるのだろう?』

 

40)

「何かあったら、必ず、これで呼んでくれ」

 志郎は、進がいつも身につけている、超小型の館内通信機をユキの手のひらにのせた。ユキは、言葉が出ず、うなずくだけだった。

 ユキは、自分の行動は、自分のわがままだということを重々理解しているつもりであった。自分でも、これが、進のためになるのか、それとも、自己満足なのか、わからなかった。しかし、進に何もきけなかった、弱い自分を、どうにか変えたかった。

 

「いいんですか?」

 ユキと進を残して、四人が艦長室を出た後、竜介が、声を発した。

「他に何ができるんじゃ?」

 酒造に言われ、何も言い返せない竜介は、傍らにいた二人を見た。

 志郎と大介は、かなり、こたえているようだった。志郎は、行き場のない気持ちを表わしているかのように、手を口元に持っていったままで、落ち着きがなかった。大介は、そんな志郎を気にしているらしく、何度も志郎の手の動きを見ていた。

 ドン。

 壁をおもっきり叩いたのは、大介だった。自分の判断への不安もあったが、これ以上何もできない、自分に腹が立った。

 

 ユキは、ベッドで眠る進をぼんやり見ていた。薬が効いてきたのか、呼吸は普段寝ている時と変わらない程、安定していた。こんな風に、進の寝顔をずっと見ているのは、地球を出てから、何ヶ月ぶりのことか。少し痩せたせいだろうか、それとも、大人の顔になってきたせいなのだろうか、顎のラインが、以前より、少しはっきりしたように思えた。

 初めて会った頃、進は、感情を身体全体で表わしていた。怒り、悲しみ、叫び、喜び。激しさと冷たさ。寂しさと子どもっぽさ。進の見せるいろいろな姿は、いつの間にか、まわりの人間を魅了していった。

 すべての事を、真正面に受け取り、自分の中に吸収し、成長していく。そんな進の姿をずっと見ていて、一人で消化できる人だと思っていた。しかし、それは、進の本当の姿を見てなかった自分が作った錯覚だったと、ユキは気づいた。ユキを傷つけまいとした、進の優しさに乗っていただけだったのだと、悔やんだ。

 ベッドの傍らに、あの白い花が、少し首を傾けているように見えた。ユキは、花の水を換えようと、花瓶に手をかけた。

 通常の連絡は、第一艦橋の方にすべて行くように切り替えがしてあるため、艦長室は、メーター類が、かすかに点滅をしているだけであった。花瓶から流れる水の音が、どくどくと部屋に伝わる。ユキは、花瓶から、流れ出る水を見ながら、大介の話を思い出した。進が目をさましたら、この花の事を聞いてみよう、進が嫌な顔をしても、少女の事を聞いてみようと思った。それが、何か明確に、よい結果を生むものでないにしろ、聞いてみたいと思った。

 水上げをし、澄んだ水の中に活けられた花は、心なしか、少し元気になったようにも見えた。ユキは、それが自分の気持ちのせいでそう見えたのだと思った。まだ、はっきりしたわけではないのだが、自分のモヤモヤが少しずつ晴れそうな気がした。

 花瓶を再び、進のベッドの脇に戻そうと振り返った瞬間、ユキは、体が凍った。自分の後ろに、進が立っていた。いつもと違う進が、そこにいた。

 

(41)

 志郎に手渡された通信機のことを忘れていたわけではなかった。進が本気になれば、素手で相手を殺傷することなど簡単であることをユキは知っていた。今の進に少しでも隙を見せるわけにはいかない。肩で息をする進は、正常であれば、歩くどころか、立ち上がることもできない程、体力が落ちているはずである。しかし、今の進は、感覚が完全に麻痺しているのにも関わらず、全く『隙』がなかった。何かに乗っ取られた、別の人間だと思わなくてはならない。ユキは、進との間隔が、縮まらないように、ただ、後ろに移動するだった。

 後ろに下がったユキのかかとが、壁にあたった時、ユキは、進から、これ以上、逃げられないことを知った。進との間隔は狭まり、進が腕を伸ばせば、ユキに触れる程になった。進は、体を支えるのが精一杯なのだろうか、不安定な体を支えるため、ユキの顔のすぐ横の壁に左手をついた。それでも、ユキは、進から目をそらさなかった。

「はぁー、はぁー......」

 荒い息が、二人っきりの静かな空間を占拠していた。普段の進と違う、ギラギラとした鋭い眼光に睨まれ、ユキは、目を背けたくなった。

 進の右手は、まるでスローモーションを見ているかのように、ゆっくり、ユキの顔に向かって伸びた。進の手がふれると、ユキは、体全体に電流が突き抜けたように、体の自由がきかなくなった。それは、いつもの二人の行為のときとは、全く感覚が違っていた。ここにいるのは、進だが、それは、本物の『古代進』ではない。 ユキは、自分の身体が、拒否しているのを知った。

 進の右手は、ユキの顎から左頬にゆっくり顔の輪郭に沿って動いた。ユキは、自分の体がこわばっていくのがわかった。それでも、ユキは、進に身を任せようと、目を閉じた。進の手の感触は、襟足の方まで伸びていった。

 進の体は、ほとんど壁の方に重心をかけて、ユキとの空間が、ほとんどない程、接近していた。たぶん、目を開ければ、進の顔がすぐ目の前であるだろう。それは、進の呼吸の音が、証明していた。

 ユキは、涙が頬を走って、流れ落ちるのを感じた。

 

「ユキ......」

 かすれた声で、ユキは、そう呼ばれたような気がした。ユキは、目を開けた。

 そこには、いつもと変わらぬ進の顔があった。

 ユキの瞳が開かれ、目が合うと、進は、にっこりした。それは、普段、二人っきりの時に、見せてくれた微笑みと同じであった。

「君のところにかえっ......」

 進はそう言いかけると、体を支えるモノすべてを失ったように、壁とユキの方に倒れてきた。ユキは、進の身体を片手で抱きとめ、ゆっくり、進の体が倒れないように、壁と背中を擦らせながら、床の方へ腰を落としていった。

 進とユキは、壁にもたれ、並んで座っていた。傍らには、さっき、ユキが持っていた花瓶があった。ユキは、静かに進の様子を見守った。進は、目を閉じていたが、まだ荒い呼吸は納まっていなかった。かろうじて、意識を保っているが、喋ることも、おっくうなくらい、身体の力が尽きているようだった。自分で身体を支えることができず、壁にもたれたまま、動こうとはしなかった。

 ユキは、重なった手のひらから、進とくっ付いている左腕にから、進を感じた。まだ、目は閉じたままだったが、進も、となりにユキを感じていた。進は目を開け、ゆっくり顔を動かして、ユキの方を向いた。

 二人の目と目があった。二人は、まるで、引かれあっているかのようだった。

「?」

 ほんの瞬間 、ユキは、唇に、温かく、そして懐かしい感触を感じた。それは進の唇の感触だった。何ヶ月振りなのだろう。もう、忘れてしまったと思っていた。だが、唇は、その感覚をわすれてはいなかった。

 ユキがその感触を感じた後、進の温かい身体がユキの身体に倒れ込んだ。ユキは、進が楽な体勢になるように自分の膝に進の頭を乗せた。

 進は、安心したのか、すでに、深い眠りに入っていた。ユキは、自分の膝で、警戒することなく、眠りに着いた進を、今まで以上に、愛おしく感じた。

「お帰りなさい、古代君」

 ユキは、ベルトの通信機のスイッチを入れた。

 

(42)

「ユキ......」 

 意識が飛び、進は、再び、サーシャとあのエアポートにいた。だが、今までとは違い、少女は、何も言わず、微笑んでいた。

「好きだよ、サーシャ」

 進は、少女に近寄った。今までのように、行ってしまうかもしれない。それでも、伝えたいことがあった。

「君のおかげで、元気になれた。ユキがいなくなって、ひとりぼっちだった僕の側に、君はいてくれたね」

 少女は、ずっと、目をそらさず、進の話を聞いていた。

「ありがとう......。サーシャ」

 進の言葉に、少女は、にっこりと微笑み返す。

「彼女を、ユキを愛している。たぶん、これからも、ずっと...。彼女は、僕の一部なんだ」

 少しずつ、少女が遠ざかっていく。進は、自分が出せる精一杯の声で叫んでいた。

「ありがとう。君の事は忘れないよ、サーシャ」

 

 進は、自分の中で消化できない部分を自覚した。そして、それをありのまま受け入れるしかないと思った。      

『彼女のもとへ、帰りたい。彼女に会いたい』進は、大きな声で、叫びたかった。

 あの時、ユキとの再会に罪悪感をいだいてしまった。そして、自分を許せなかった。今でも、その気持ちには変わりない。しかし、『ユキに聞いて欲しい』そう思った。彼女を心配させてしまうのではないかと今まで、踏み切れなかった。でも、聞いて欲しい。彼女に嫌われてもいい。本当の自分を知って欲しいと思った。

 

 サーシャは、行ってしまった。エスカレーターに乗って。その姿は、ゆっくりと、ゆっくりと、進の側から離れていく。

 進の中のエスカレーターはようやく過去へと動き出した。

 

 

(43)につづく


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