少しだけ…

 後編

  

 2221年 冬 その1

「遅くなってすみませーん」
 相原義一が駆け寄ってきた。
「あーもう、最初の乾杯終わっちゃったんですか」
 周りの様子を見渡した義一の声の力が抜けていった。
「お前、30分以上遅れたくせに、何言ってんだ」
 太田健二郎が小突く。
「島さんの完全復帰の乾杯したかったのに」
 義一の言葉に、島次郎が義一にグラスを差し出した。
「それじゃ、今から乾杯しましょう。兄貴が遠慮してまだしてないです。ほら、兄貴もグラスを持って」
「やめておこう。店に来ている他の人に迷惑だ」
「いいって、いいって」
 大介は、次郎だけでなく、皆の笑顔にほだされた。グラスになみなみビールが注がれ、次郎の声で杯を交わした。

「ホント、がんばりましたね」
 義一が独り言のようにつぶやくと、皆黙った。
「みんなのおかげなんだからね、兄貴。一時は、辞表まで出して、ホントにみんなに迷惑をかけていたんだから」
 次郎は、不満を言葉にした。
「でも、こうして、艦隊勤務に戻れたってことは、島さんの努力がちゃんと認められたんですよ」
 そう言うと健二郎は、グラスに口をつけ、一気に飲み干した。
「ぷふぁー、うまい」
「復帰はうれしいけれど、これからなかなか会えないのは、ちょっとさみしいですね」
 義一の言葉に健二郎の背中が小さくなった。
「心配しないでください。これからは僕も付き合いますよ」
 次郎の言葉に義一が口をはさむ。
「えーそんなこと言っていいの? 女の子ばっかりと遊んでいるって聞いているぞ、次郎君」
「ちょっと、相原さん、そのうわさの出所どこですか? 困ります」
「軍内は、狭い世界だよ。うわさはすぐに広まるんだからね」
「ちょっと、まいったなー」
 皆の笑いで、次郎は真っ赤になった。冷やかしついでに大介もその会話に入ろうとした時、隣の席のカップルの笑い声が聞こえた。連れの男の話にくすくす笑う声。大介は、気がかりになっていたことを思いだした。

 健二郎の言葉通り、艦隊に配属になったからには、長期間、地球に戻れない勤務となる。
 あの日、『海』と出会った日以後、大介は時間さえあれば、あの宇宙港へ行っていた。なぜか、再び簡単に会えるものだと思っていたからだった。けれど、そうは簡単ではないことを、10回近く通った頃に気がついた。以前の大介だったら、そんなことはもっと早くあきらめていた。でも、会いたい気持ちが抑えられなくなっていた。
 宇宙港へ何度も行くことによって、何度も見かける人たちがいた。宇宙船の出航を見たくて通っている人、恋人を送りそして、迎えに来ている人、毎日の散歩コースの人、宇宙港で働いている人……大介は、その何人かに声をかけてみた。彼女ほど美しさがあれば、人の目に留まっているはずだと思っていたが、頻繁に宇宙港に来る人でも、空港に来るすべての人に出会っているわけではない。海ともう一度会うことが永遠にないかもしれないと思うようになっても、大介は、宇宙港通いがやめられなかった。

「相原さん、遅刻の連絡もくれないんだもの。仕事でした?」
 次郎は、義一の2杯目のグラスに自分のグラスをカチンッとあてた。
「うーん、ちょっと緊急のね。今日の21時のニュースに流れるから、言ってもかまわないことなんだけど」
「あ、何、何? 聞きたい」
 もったいぶる義一に次郎は、その先を聞きたがった。義一は時計を見て、21時近いことを確認した。
「軍関係者が逮捕されるんで、先にその原稿を作ってたんだよ。まあ、公表できる彼の経歴とか、写真とかを作って、配るわけ。必要以上のことはかぎまわらないでねってことで」
 義一は声を小さくして話した。
「軍関係者って?」
 次郎の声の大きさに義一はあわてて指を出して、小さくしゃべるように指示した。
「それこそ、次郎くんとはあんまり関係ないよ。医局のドクター。男だ」
「ああ、よかった。看護師や技師には知り合いがいるんだけど。で、どういうことやったの?」
「卵子や精子の登録って知っているだろ。俺たち危険職だから、希望すれば医局へ行って、登録できるシステム。あれでね、本人が死んじゃった場合、大抵は破棄なんだけど、審議の申請をすれば、時間がかかるけど、審議委員会で審議されて使用することが可能になることがあるんだ。生まれてくる子は、誰の子で誰が責任を持って育てて、遺産相続はどうするかっていくつか項目があって、それさえクリアしていればね。けれど、なかなか審議が通らない。まだ結婚していない相手の精子が欲しいなんて言っても、相続で問題ありそうだと判断されるとかさ。そうじゃなくても、子どもが生まれたら必ず、DNA鑑定っていう風潮でしょ今は。んで、今回は、一人の医師が登録してあった精子をある女性の妊娠のために無断で使ってしまったことが問題になってね。今までも何件かやっていたんだけれど、廃棄寸前で手に入れて、カルテの改ざんしてわからないようにしていたらしい」
「どうして、ばれちゃったの?」
「それがさ、今回依頼の女性が、遺産相続のことで、精子の持ち主の親と争い始めちゃってね。そこから、調べていたら、余罪が結構あるってわかったのさ。金銭授受がなかったことと、どっちかっていうと同情しての犯罪らしいから、罪はそんなに重くならないだろうってことだけど。今の医療の世界では人の生と死については、厳しいから、最終の判決はどうなるかわからない」
「でも、幸せだね。死んでから、子どもが欲しいなんて思ってもらえる奴って。俺の場合は、誰かいるかな」
「いるいる。まずは、登録だね」
「相原さんは登録しているの?」
「当たり前。奥さんに頼まれて、登録したけど、4人子どもいるから、もう必要ないけどね」
「そっか、じゃあ、僕も登録しようかな」
「おいおい次郎くんは、それよりも、ちゃんと結婚しろよ。お母さんを安心させてあげなさい。兄貴がこんな風だから、ねっ」
 健二郎がポンッと大介の肩を叩く。よそ事を考えていた大介は、ハッと驚いた。
「兄貴がこんな風ってどういうことだ、太田」
 大介はムッとなって、健二郎の目をにらんだ。
「だって、島さんの浮いた話なんか、聞いたことないですもん。なあ、相原」
「えー、でも、兄貴は、休暇でも家にいないんですよ。絶対怪しいです」
「何言ってんだ、次郎おまえまで」
「今日だって、強引に引っ張ってきたんですからね」
 確かに大介は、今日も宇宙港へ行こうとしていた。もしかして……という言葉がいつも頭の片隅にあった。あの日のように、今日こそは何万人の中から探せるかもしれない。
「あ、もしかしたら、兄貴、片思いとか失恋? 今度、合コンしよっか。渋好みの娘もいるんだよ」
「おい、勝手に……」
「いいな、俺も入れて、次郎君」
「太田さんもですね。相原さんはダメですよ。奥さまもお嬢ちゃんもいるし」
「ずるいな、経験だけさせてよ。妻帯者だって紹介してくれてもいいから」
 明るい話題には、どうもまだ大介は苦手だった。手に持っていたグラスの中の氷をカラリと鳴らした。
 三日後、宇宙に出てしまったら、2ヶ月は帰れない。宇宙に出たら、本当にもう、海とは会えないかもしれない。

(精子の登録をして、俺が死んでしまったら、海は、俺の子を産みたいと申し出てくれるだろうか)
 自分のことを探してくれていないかもしれない相手が、子どもを産みたいなどと言ってくれるわけもない。少なくとも、海は、大介の住んでいるところを知っているのに、二度と来た形跡がないのは、その証拠ではないか。大介は、自分の突飛な妄想に笑ってしまった。
「ほら、兄貴、やっぱりおかしい」
 そう言いながら、次郎は兄の自然な笑いを久々に見たような気がしていた。



 帰宅後、ベッドの上で仰向けになって、大介は考えていた。
「笑われるんだろうな」
 20歳近く離れた女性を思っていること、自分の子どもを産んで欲しいと思ってしまったことを、本当は、一番の友に話したかった。何と言ってくれるのだろうかと大介は考えた。何度考えても、浮かぶのは、進の笑顔だった。「ばかだなあ」と言った後、笑顔で、がんばれよと言ってくれるにちがいないと。
 その夜は、少し胸のつかえが取れた気がした。

 朝、大介は、目覚ましがなる前に目が覚めた。今日は一日フリーな日の最終日。いつもの通り、やることがない日の日課の宇宙港へ行こうか、それとも、夢の中の友が笑った精子登録に行こうかと迷った。休暇の使い方で迷ったのは久しぶりで、大介は、そのことで又、一人笑った。
 テレビをつけ、身支度を始めた。どこかのカフェで日を浴びながら、朝食をとろうかと考えた。いつもは、義務のように宇宙港の店で食事を済ませていた。
 テレビのニュースは、昨日義一が話していた医局のドクターのニュースに変わった。あらかたの説明のあと、コメンテーターたちが、好き勝手な言葉を言う。
「私は、賛成ですわ。人の命を軽々しく思っているって言われるかもしれませんけど。大好きな人が死んでしまったら、せめて、その人の子どもに私は会いたいです。だって、宇宙戦士の皆さんは、突然逝ってしまう方ばかりだったのでしょう。残された人々はその人の思い出のかけらとして、その人の子どもに会いたいと思うのはいけないことでしょうか」
 30台後半の女優の言葉で、歯を磨いていた大介は手を止めた。
 会いたい……逆の立場、自分が死んで精子だけ残って、それで、もしかしたら海が産みたいと言ってくれるかもしれない。少なくとも、両親や弟の次郎は、そのことを喜んでくれるかもしれない。
 大介の脳裏に昨日の夢に出てきた進の笑顔がよぎった。大介は、振り向き、写真たてを見た。緊張している二人の写真。久しぶりに写真を撮ったので、緊張してしまったと、写真のあと笑っていた友の顔を思い出した。大介の鼓動がどくりどくりと大きくなる。大介は不意に浮かんだ考えに急き立ち、部屋を飛び出した。

(君はまた笑うかもしれない)
 大介は、自分の行為を、どこかで進が見ているような気がした。



その2へつづく




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