少しだけ…

 後編

  

 2221年 冬  その2


「海、忘れ物よ」
 制服を着た少女が呼び止められる。母親らしき女が、建物から飛び出してきた。
「はい、体操着。今日の授業は大切なんでしょ」
 少女は微笑みながら体操着の包みを受け取ると、軽やかに走りだした。
「しっかりしてそうで、おっちょこちょいなんだから、ホントに……」
 女は、少女の姿を見送っていた。目にうっすらと涙を浮かべた女の姿は、この別れが今生の別れでもあるかのようだった。

「あの、お久しぶりです」
 様子を見ていた大介が、家に戻りかけている女に声をかけると、女は首をかしげた。
 だが、すぐに女は微笑んだ。
「ああ、島君ね。最近、お見かけしないから、すぐにわからなかったわ。ごめんなさい」
 女は目元を押さえながら、建物を指差した。
「私の家にいらっしゃいませんか?」

 女は、大介を家に案内すると、お茶の用意を始めた。
「朝食を食べたあとで、ごめんなさいね」
 女は、皿を片付けて、大介に座るよう促した。
「こちらこそ、すみません。お忙しい時間に来てしまって」
「いいえ、居ても立ってもいられない……そうだったのでしょ」
 女はすべてお見通しの様子だった。テーブルから皿をどけ、大介のためのセッティングをはじめた。
「昨日から覚悟していました。誰が一番に来るのか、わかりませんでしたけど」
 言葉とは裏腹に、大介の前に差し出されたカップとソーサーが、カタカタと音をたてる。女の手が震えていた。
「海のことよね」
 女はカップを大介の前に置くと、大介と向き合うように座った。
「海は、私が産みました。私の娘。雪の妹です」
 そう言うと、女は大介の瞳を覗き込むように見つめた。
「でも、今日、あなたが何を聞きに来たのか、わかっています」
 大介は小さくうなづいた。
「島君でよかった」
「私でよかったのですか?」
「ええ、いつか誰かに話さなくてはと思っていましたから」
 女は、両手を握り締めていた。細くて白い手が、小さく震えていた。

「あの二人がいなくなってから、私は半狂乱になりました。死にたいとも思っていました。だって、一番幸せになるはずだった二人なのよ。その二人が結婚できずに、逝ってしまった」
 女は、震えを抑えようと、体を小さく縮めた。
「その時、沢村先生に出会ったの。先生は雪が看護師になって一番最初にお世話になった先生で、その先生から、二人が精子と卵子の登録をしていた話を伺ったの。先生は、二人がヤマトに乗り込む前、結婚式の前に、精子と卵子を登録することを強く勧めてくださっていたのよ。先生自身、奥様を亡くされていてね。せめて、奥様がいた証として子どもが欲しかったという話を二人にしたそうなの。『何もないことが一番。でも、もしもの時、愛している人の生きた証をいつまでも感じたいものだよ』って」
 雪の今際の際に、進が何とか時間を作っては、雪の側にいた姿が、大介の記憶に蘇ってきた。進は、どんな状態でも、雪へのやさしいまなざしを忘れていなかった。

「一番合法的に子どもを産むためには、私が産んだ方がいいのではということになったのだけれど、私もその時に40歳すぎていたから、審議委員会の結果を待っていられなかった。結論が出るまで、4年から5年かかると言われていたし、それにダメだと言われたら、もうチャンスがなくなってしまう。だから、先生にお願いをして……。無理なお願いなのに、先生はいつも笑ってたのよ。『あの二人だってそれを望んでいたから登録したんだよ』って」
 女の頬には幾筋の涙が流れていた。大介は、再び震えだした女の手を両手で包んだ。女の長いまつげが涙を含み、より長く見えた。

「海の…あの子の本当の父親と母親はあの二人……」
 それ以上は言葉にならず、全身を震わせて、女は泣くだけだった。大介は、ほっそりとして筋が目立つ白い手をぎゅっと握った。無言の時間は長かったが、大介は、少女を産む決心をして今日までの女の苦しみを少しでも感じ取ろうと思っていた。
 女の肩越しの飾り棚に写真が並んでいた。雪の写真、海の写真がたくさん飾ってあった。その中に、大介と写る進の写真。それは大介の部屋にあった写真と同じものだった。ヤマトに乗る前、大介と進が火星基地に向かう時に写した写真。いつガミラスの攻撃があるかわからない状況で、撮った写真。

「ありがとう、島君。続きもちゃんと話すわね。……今年の8月に先生から、近く捜査の手が入るという連絡を受けたの。それで、海が人から知る前に私たちの口から言おうと、海に告白した。海は……そのことが受け入れられなくって、一旦は家を飛び出してしまったけれど、翌日、ケロリとした顔で帰ってきてくれました。そして、あなたたちが両親であることはかわりはないからと言ってくれました」
 大介が宇宙港で見た海の寂しげな横顔は、自分の出生の話を聞かされた後の姿だった。

 海の横顔が、進の横顔と重なる……

 進と写真を撮った時、大介は初めて進に両親がいないことを知った。
 出発前、教官に、「もしも何かあった時、遺品や遺骨もないかもしれない。せめて、遺影だけでもご両親に送ろうじゃないか」と言われた。進は、写真を撮ることを嫌がったが、しぶしぶ一緒に撮った。シャッターが押された後、進がポツリとつぶやいた。「俺には、遺影を受け取る両親はいない」と。フッとそっぽを向いて、何かを思い出すように遠くを見つめていた横顔……決して弱さを見せなかった進が初めて見せた顔だった。
 
 大介に話すことにより、心のつかえが取れたのか、女は、棚の写真を大介の前に持ってきて、一つ一つ説明をした。おどけた二人の写真の話の時には、女の口元には笑みがあった。
 女の話が終わると大介は、一つの写真たてを手にした。
「この写真、古代と私が写っている写真は、いつから飾っていたのですか」
「もうずっと前よ。海が生まれる前から。進君の写真、なくてね。彼の遺品は私たちが引き取ったのだけれど、彼が写っている写真は、あなたと撮った写真と雪と撮った写真の2枚だけだった。だから、あの二人が亡くなった時からずっと、飾っているのよ。遺影がわりね」
(そう、ホントに遺影になってしまった……)

 すぐ横に、制服を着た海の写真があった。入学したてだろうか、大介が見た顔より少し丸みがあって、あどけなさが残っている。大介が見たことのない笑顔で写っていた。そんな大介の視線をに気づいたのか、女はその写真たてを大介がよく見えるように差し出した。
「女の子って、ぐんと成長しちゃうのよ。家を飛び出してから、海は、二人の話を聞きたがったわ。どんな人だったのか、どんな人生だったのかって。最近は看護師になるって、学校の勉強もきちんとするようになって、彼女なりにがんばっているのよ」
 大介は、心の中で、「ありがとうございます」とつぶやいた。どんな思いでこの夫婦は海を育てたのであろうか。どんな思いで、秘密を抱きつつ20年近くをすごしてきたのだろうか。

 帰り間際、女は大介の手を両手でぎゅっと握った。女の目からまだ、涙の粒がこぼれだす。
「ありがとう。本当にあなたでよかった」
 その言葉は、大介の心の奥にいつまでも響いていた。
 



「ママ、予定の時間、もうすぐよ」
 少女は、そういいながらも、さっきから何度も鏡を見て、制服の胸元のリボンの長さを気にしていた。
「ごめんなさい。あと、ちょっとだから」
 女は、時計を気にしつつ、答える。
 
 ピロロロロロ
 玄関の呼び鈴がなる。
「海、受け取ってきて頂戴。注文した花束を届けにきたみたい」

「もう、ママったら。そんなに化粧しなくても、充分きれいよ」
 海は、もう一度、鏡でリボンを確認すると、玄関へ向かった。

「ご苦労さま」
 ドアを開けながら、目に入った花束を受け取ろうとした。
「あっ」
 海は、受け取ろうと差し出した手を一旦引っ込めた。
 必ず、何かあったかたずねるはずの家の中にいる母や父の声がないことから、海は、それが計画的なことであったことに気がついた。
 その大人たちの用意周到なところが、海の癇に障った。
 目の前には、制服をきちんと着た大介が花束を抱えて立っていた。

「さあ、行こう」
 頬を膨らませる海の手の甲をそっと握る手の主の笑顔を前に、海は、どうすることもできなかった。



 海は一言もしゃべらなかった。
 どこへ向かっているのかもわかったし、大介が自分のことも知っているだろうこともわかっていた。

「おこってる?」
 大介の言葉に、そっぽを向く海に、大介もそれ以上何かを言うことはなかった。

 二人は、墓地に来ていた。たくさんの人の墓が並んでいる。その中の墓石がくっついている他の墓と違った形の墓の前に二人はいた。
 海はその墓に花を置くと、大介と目を合わせないように遠く地平線に視線を移した。海風が強く、海の髪の毛が、触手のように、激しく揺れていた。

「君とここに来たかった。今日まで黙っていてごめんね。今日の慰霊祭に君が出席をすると聞いていたけど、偶然ここで会うよりも、きちんと君に話をしたかったんだ」
 髪の毛の間から、強い風に立ち向かうようにきりりと開いた海の瞳が、ちらりちらりと見え隠れしていた。

「宇宙港で、君の寂しそうな顔を見た時、僕は、僕の大事な人を思い出していた。そいつに生きろと言われたのに、どうしたらいいのかわかならくて、ただ、命だけを永らえていた。彼が言った生きるということは、そんなことではないことはわかっていた。わかっていたけれど、何もできなかった」
 目の前に広がる海が太陽の光を受けて、静かに波打つ水面がキラキラと輝く。その光を受けて、海の瞳もキラキラと宝石のように輝いていた。
「大事な友が一人ぼっちの時にしていた寂しい顔と同じ顔をしていた君……。僕じゃだめかもしれないけれど、あれからずっと、気になっていた。君が側にいてくれただけで、僕は安らかな気持ちになれた。君はあの夜、僕の心にずっと寄り添ってくれた。僕は? 僕は、君に何もできないのか? 君は、僕にたくさんのものをくれたのに」

(どうして、お前は、最期にあんなに微笑むことができたんだ)
 大介は、最後に見た進の顔を思い出した。

「あれから、少しがんばってみた。宇宙から逃げようと思っていたけれど、たくさんの思い出の場所を捨てたくないという気持ちに素直になれた。自分には支えてくれるたくさんの友がいることを知り、心配してくれていた家族がいたことにも気づけた。君がくれたものなんだ、みんな。会いに来てくれなかったのは、嫌われているからかもしれないと思いつつ、それでも、君に言いたかった。ありがとうって、君がいてくれてよかったって。僕ではダメかもしれない。でも今度は、僕が君の心に寄り添って、少しだけでも君を助けたい。そして、古代と雪の話を君にしたい」
 
「会うのを我慢するの、大変だったんだから。この日まで、一人でがんばろうって自分で決めていたんだから。おじさんの驚く顔を想像しながら、がんばっていたんだから」
 海は、唇を少しかんで、涙をこらえていた。

「ありがとう……」
 大介は、海の体を風から守るように、覆うように抱きしめた。細くしなやかな海の体が震えていた。海は何度かしゃくりあげて、泣き顔を見られないように、更に深く大介の胸に顔をうずめた。
 
 大介は、墓を見た。
(お前が生きていたら、俺のこと、殴るだろうか……。そうだな、殴るだろうな。でも、殴り合いになっても、お前はいつも最後には笑って許してくれた……)
 
 顔を上げた海は、大介の耳元にそっとささやいた。
「私もあなたとここに来たかった。あなたに、側にいて欲しいと思っていた」

   完


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