前編

少しだけ…

 前編

  

 2221年 夏

「何やってんだ。出航3時間前だろ」
 島大介は、息が荒くなるほど、受話器にどなっていた。
「来てよね。俺だって困るんだ。兄貴がはっきりしてくれないと」
 電話の相手は次郎。弟だった。
 次郎の電話はそこで切れた。大介は、時計を見た。何度確認しても、あと、3時間。
「何考えてんだ……」
 そう言いながらも、大介は、移動手段を考えた。最近の自分はいい加減だとわかっていても、出航時間に間に合わなかったならどうなるかは、知っている。大介は、出航前にアルコールの検査や健康チェックで引っかかっても、数時間後には、何とかクリアすることぐらいはちゃんとしていた。穴をあけることは、他のクルーに迷惑がかかる。
 多少冷静になった大介は、宇宙港行きのバス停が近くであることに気がついた。
「助かった、すぐ来る」
 そこでふと、弟や友人たちの罠に気がついた。気がついたが、行かねばならない。弟・次郎が出航に間に合わなければ、クビにはならないが、それ相当の罰が下る。やはり、弟のことは気になる。わかっていて、罠にはまりにいく自分のふがいなさを感じながら、大介はバスに乗った。

 海沿いの専用バスレーンを走るバスは、半島の崎にある宇宙港目指して、音を立てず進んでいた。窓の外の波を見ながら、大介は思い出していた。この20年、何もなかった。ただ、取り残されて、あの日のことだけを悔いて……
 脳裏にはしっかり焼きついていた。小さな閃光。それは、一つの命が散ったことだった。止めることができなかった。見送ることしかできなかった。そして、それからは、なぜ、自分が生きていて、『友』が死ななければならなかったのか、そのことだけで頭の中がいっぱいになり、前を向いて歩くことができなかった。
 酒に溺れた。それでも、仕事だけは続けた。自分にできるのはそれだけだったから……だが、酒は体の衰えを加速させ、周りにも迷惑をかけていたことに気づいていた。「もう、宇宙にでるまい」と、辞表を出した。自分には、それしかないとわかっていても、宇宙はそんなに甘くない。少しの油断さえ、多くの人の命を巻き込む事故の原因となるのだ。
 
「間もなく、○○宇宙港、○○宇宙港です。お荷物をご確認のうえ、バスが停車するまで、そのままお待ちください」
 車掌ロボの声に、大介は、もう一度時計を見た。

「ごめんなさい」
 早く降りようと、座席から立ち上がった大介は、通路を走って降りようとしていた女性とぶつかった。少し体制を崩したが、前のイスをつかんで、事なきを得た。青いワンピースを着ていた女性は振り向きもせず、走り降りていった。恋人との待ち合わせに遅れそうだったのか。その後姿が、『友』の恋人の後ろ姿と重なった。
 ああ、こんな風に、あの人もあわてて恋人を迎えにいったこともあっただろうにと、大介は思った。が、そう思ったあとに、また、胸の苦しみがくる。20年前に二人はいなくなったのだと。
 
 この20年、胸の奥からわく疼きが、何度あったか。まるで、波のように、忘れないようにと思い出がしぶきを上げて押し寄せてくるのだ。

 バスを降りた大介は、次郎に言われた店を探した。宇宙港には、長旅を終え休憩する人や自分の便を待ったり、恋人と別れを惜しんだりする人のために、いくつかの店があった。大介は、該当の店を見つけ、見慣れたシルエットを探した。
「どういうつもりだ。呼び出して」
 言われた男は、目をぱちくりしていた。大介は人違いをした。
 とんとんと誰かが肩をたたく。大介は振り向いた。
 そこには次郎がいた。少し前髪を伸ばして、整髪剤で立たせていた。記憶の中の次郎の髪型と違っていた。
 次郎は、特定の女性とは付き合っていないようだが、女性の飲み友達はたくさんいるようだった。少し会わないうちに、垢抜けた風貌に変わっていたのは、そのせいだろうと大介は思った。
「俺は、あそこの席。早くこっちにきて座って」
 最初の大声で、人目を引いたせいか、次郎の言葉に反発できず、大介は何も言わずに座った。
「時間ないから、短めに話すけど、兄さん、辞表出しただろ」
 次郎は、大介の前に封筒を出した。大介の字で『辞表』と書かれている。
「太田さんから、これ、撤回するように兄貴に話をつけてこいって言われてるんだ」
 ヤマトの戦友の太田が次郎の上司である。どのルートで太田や次郎の所に、この自分が書いた辞表が届いたのかわからないが、意図だけはわかっていた。
「目の前で破って。やめるなんて言わないで、兄さん」
 その言葉を聴きながら、大介は無表情のまま、テーブルの上の辞表を見ていた。
「こんなことのために、お前、今の立場を棒に振るのか。宇宙勤務になりたいとずっと言っていたお前が……。もし、出航に遅れたら、どんな懲罰をくらうのか、少しは考えているのか」
 大介は足をくんだ。
「こんなことじゃない。俺にとっては、大事なことなんだよ。兄さんが宇宙戦士だから、俺もそうなりたいと思ったんだ。兄さんが辞めることは、俺にとっては、すごく重大ことなんだ。多分、太田さんにとっても。兄さんの友達だって、みんな、そうさ。兄さん、どんなことがあっても、宇宙勤務にこだわっていたじゃないか。死んだ古代さんだって」
 大介は、両手でばんっと机を叩くように手をついた。
「古代の名を出すな」
 大介は、テーブルの上の封筒をつかむと、一気に破り始めた。びりびりと音を立て、これ以上細かく切れないくらいまで、何度も破った。
「これでいいだろ」
 大介はそう言いながら、胸の奥から来る大きな波をせき止めていた。気を緩めると、苦しくて涙が出て、自分がどうしようもなくなる。
 大介は立ち上がった。
「兄さん」
 次郎の目が大きく開く。
「次郎、辞表は、何度でも書けると太田に言っておけ。部下に無茶なことをさせるなともな。出航に間に合わないことをさせるなんて、宇宙勤務を何だと思っているんだ、あいつは」
 大介は、隣テーブルの年配の夫婦が、自分たちを見て、ひそひそと話しているのに気づくと、低い声でつぶやいた。
「早く戻れ」
 次郎を置いて、大介は店の出口へと向かった。
「ちょっと待って、兄さん。一つだけ言わせて。古代さんの名前を出してはいけないと思っていたから今まで言えなかったけど。古代さんのせいにしちゃだめだよ、兄さん。今のあなたの姿、古代さんの死のせいにしないで」

(古代のせい?)
 自分が生き残ったから……大介はそう思っていた自分に気がついた。古代進が死んで、20年。虚空に一人取り残されたようだった。時間だけがすぎ、何をやっても前に進めない。生きている目的もなかった。
 大介は、魂が抜かれたようにふらふらと宇宙港をさまよった。幸せそうなカップル。別れを惜しむカップル。若い二人、歳を召した二人。見送る家族。そうした人たちの中をさまよった。
(古代……)
 少年宇宙戦士訓練学校で会った『友』。ケンカもした、一緒に泣いて、一緒に笑いもした。けれど、時折、ふっとさみしい横顔をする『友』。家族が皆亡くなり、天涯孤独の青年だった。最後の彼は、微笑んでいた。恋人を失い、そして、自らも死を選んだ時に。なぜ微笑んだのだろうか。
 
 あてもなく、歩き回っていた大介は、開けた空間に出た。海に突き出すように建てられた、観光客用のデッキだった。前面の海の景色がよく見える。さっきまで歩いていた部分と違い、そこは、飛び立つ船には関係ない人たちが集まっていた。天井からぶら下がっているいくつかのパネルは、離着陸する船の画像を映してした。
 次郎が乗るはずだった艦がちらりと映る。追って来ないところをみると乗り込んで行ったに違いない……大介は、次郎の艦の付近をデッキから直接見ようと、窓へ近づいた。
(!)
 人影からちらり見えた横顔。さっき思い出した『友』のさみしい横顔だった。
「すみません」
 大介は、目の前をさえぎるように歩いているカップルを押しのけて、窓に近づいた。
 遠くを見る瞳。寂しげな口もと。それは、忘れることのできない『友』の横顔だった。が、大きく違っていたことがあった。その横顔の持ち主は女性であった。ゆっくり目を閉じる目元は、長いまつげでより物憂げな感じになり、さっきの『友』の横顔が別のものへ変化していった。
 女性がぱっと目を開く。目を閉じた時のつややかさは消え、少し幼い横顔になる。
 デッキから離れる様は、童女のような身軽さがあった。ゆれる髪。そして、少し短めな丈のワンピースのすそが動きにあわせてゆれていた。鮮やかな青い色。大介は、バスでぶつかった女性がそんなワンピースを着ていたことを思いだした。
「待って」
 声は届かず、人ごみの中へまぎれていくその女性の後姿を追った。人とぶつかり、そのたびに頭を下げながらも、青いワンピースを追いかけた。
(待って!)
 大介は手を伸ばした。青い袖が指先をかする。そして、もう一方の腕が後ろに振れたとき、大介の手がその細い手首を捕らえた。しかし、手首はそれに抵抗するかのように、強く力がかかっていき、大介の手は振り払われてしまった。
 少女は、さっきの横顔と違い、美しい口元をキッときつく閉じていた。開いている目は、大介の様子を上から下へと見、いっそう眉をしかめた。大介は数日、着の身着のままでいたので、多少、身なりも体も薄汚くなっていた。
「申し訳ない、急に手をつかんでしまって」
 その少女が騒ぎ立てなかったことが幸いだった。大介は、深く頭を下げた。
「人違いでした。あなたが知り合いに似ていたので、つい」
 もう一度、大介は頭を下げた。
 何の咎めも、罵倒の言葉を予想していた大介は、ゆっくり顔を上げた。少女はその様子を見て、くすっと笑った。
「どなたに似ていたのか、教えてくださいません?」
「私の、20年前に亡くなった友に似ていました」
「お友達って、女の方?」
「いえ、男でした」
 素直に答える大介に、少女は、またくすりと笑った。小鳥が小さく羽ばたいたように、ワンピースのすそを揺らす。
「ああ、よかった、またナンパかと思っちゃった」
 確かに少女の美しさから、ナンパは至極日常あっただろうと予想できる。怒った顔も美しかったが、笑みを浮かべているとよりいっそう彼女の美しさが輝いていた。
 細い手が伸び、大介の手をつかんだ。
「私、一人なんです。少しの時間、おじさん、相手してもらえますか?」
 おじさん……という言葉に抵抗を感じながら、大介は、少しどぎまぎしていた。
「相手って?」
「少しの間、一緒にいてください。あ、デートしてください」
 その積極さに大介は、目を丸くした。自分より半分ほどの年齢の少女。今までそんな若い女性といっしょにプライベートで何かをしたことがなかった。
「だめ、ですか?」
 目の前の少女が、上目遣いをして、甘えた顔をする。
「いや、おじさんとじゃ、面白くないかなって」
「大丈夫。私の父なんか60すぎてるんですよ。それに付き合わされることもあるんだから」
「じゃあ、近くの海、行かない? 歩いて」
 大介は、そう言っている自分に驚いた。しかし、目の前の少女は、目を輝かせていた。
「いい。それ」
 揺れるすそから伸びた白く細い足。大介の手首をつかんだまま、少女は走りだした。
 
 砂に足をとられながら、大介は走った。少女の笑い声は、船乗りたちの心を奪うローレライの乙女の笑いのように大介の心をつかんでいた。
「ちょっと、もうちょっと……」
 大介は、息が苦しくなり、限界を訴えた。
 少女の手が離れ、まるで糸のきれた凧のようにひらひらと海風に舞っていった。大介は、ひざに手をついて何度も深呼吸をしながら、息を整えていた。
 ようやく顔を上げることができた大介は、波と風に戯れている少女を見た。風に揺れるスカートのすそ。まるで翼が羽ばたくような音を立てているワンピースの袖。
 大介の様子を笑いながら見ていた少女が、風に乗って、大介に近づいてきた。
 大介は、不意をついて、近づいた少女の手をつかんだ。
「やっぱり、年寄りだって思ったんじゃない?」
「ううん。なんか、安心しながら、走ってた。だって、ずっと見ていてくれてたもの」
 大介の手を振り切ると、また、海へ向かって走っていく。
 大介は後ろを追いかけた。
「おじさん知ってる? 海ってどこでなめても、塩からいんだよ」
「知っているけど、どれだけ塩辛いか知らない……」
 彼女が波打ち際で人差し指を伸ばして、波に指をつけた。その指を、大介の顔の前に差し出した。
 彼女は微笑むだけだった。大介は、そっと、その指先をなめた。
「……塩辛い」
「だよね」
 少女は笑って大介の様子を見ていた。
 大介は、不思議な気持ちになった。若ければ、ここでキスをして、離したくないと言っていただろう。
 
「帰ろうか……」
「送っていくよ」
「大丈夫、ただ、君んちまで送るだけだから」
 大介が言葉を発するごとに、少女の顔が曇っていった。

「どうしたいの?」
 少女は目を伏せた。少しなきそうで、寂しそうな顔。大介が初めて少女を見た時の顔だった。
「私、帰りたくない」
「それはいけない」
 ありきたりな言葉を大介は返した。自分は大人なのだと言い聞かせながら。
「でも、もう会えないかもしれない」
 大介はその言葉がうれしかった。
「なら、また、会おう。君が会いたいときに、会おう」
 少女は首を振るだけだった。

「家には帰りたくないの」
 少女は宇宙港の建物に向かって歩き出した。
 少女のわがままなのだと言い聞かせて、大介は後姿を見送った。けれど、二人の距離が10メートル、20メートルと離れていくにつれて、二度と会えないかもしれないという思いが頭をよぎった。二度と会えない……宇宙勤務だった大介にそれは何度でもあったことだった。さっきまで、一緒にいた人が、もう、自分と同じ世界にいないということがこれまでも何度もあった。
「じゃあ、僕は、いったい何ができるんだ?」
 大介は叫んでいた。
「ただ、いっしょにいて欲しいの」
 大介は、ずっと、いっしょにいてくれる人を探していた。そう、叫びたかったのは、自分の方だった。

 未成年の女性を自分の家に連れ込むことは、犯罪なのかもしれない。そう思いながら、大介は、少女をつれて部屋に帰った。
「あの時、僕が君の事、置いていったら、どうするつもりだったの?」
「誰かを探す……女の子はその気になれば、寝るとこなんて、見つけるのは簡単なのよ」
「もっと、自分を大事にしなさい」
 二人はその後、何もしゃべらなかった。
 大介は、大人ぶったものいいしかできないことを悔やんだ。

「インスタント物だけど」
 大介は家にあった、インスタント食品で、簡単な夕食を作った。
「食べたら、シャワー浴びて、奥の寝室で寝なさい。寝室は、鍵を中からかけることができるから。それから、これ、パジャマに使っていいから」
 大介はそれだけ言うと、少女の顔を見ず、書斎に閉じこもった。悲しい顔をされると、大介は、自分を律することができなくなりそうになる。
 指令本部からの2日間の待機のメールを確認すると、大介は、イスに深く座った。持ってきたアルコール類は、すぐ次の航海に入るかも知れないと思うと、手を伸ばす気になれなかった。
 目を閉じると、少女の悲しそうな顔が浮かぶ。その顔が『友』の顔に重なる。そして、思い出す、別れの時……

 少女は、シャワーを浴びて着替えると、大介の部屋を見渡した。シンプルなモデルハウスのように、ほとんど生活を感じるものが置かれてない。ただ一番最初に目に付いた写真たてが、唯一の人間的な温かさが感じられるものだった。若い大介と並ぶもう一人の青年の写真。初々しい制服姿で、笑顔なく並ぶ二人は、どことなく緊張している様子で写っていた。

 キイ 
 小さな音を立ててドアが開く。少女は、そっと、大介のいる書斎を覗いた。大介は、イスに持たれながら、寝てしまったようであった。音を立てないように、大介の座るイスへ近づいていった。
 
「古代……」
 大介は寝言を言った。涙が零れ落ちる。
 少女は大介の唇に自分の唇を重ねた。
 その感触で目を覚ました大介は驚き、涙を拭き、体を押し離した。
「おじさんだって泣いてもいいじゃない。私だって、役に立たないかもしれないけど、今、おじさんを見ていてあげれるよ」
 大介は首を振った。
「だめだ……」
「どうして?」
 大介は、首を振った。
「そんなことをしたら、君に甘えてしまう」
「いいよ」
「よくないよ。君のことがとても大切なんだ。失いたくない」
 大介は涙が出てきた。
「泣きたいときに泣かないと、病気になっちゃうよ、おじさん」
 大介は、すがりたい気持ちになった。20年、一人胸の中に沈めてきた思いが一気にあふれ出るように絶えることなく涙が出た。

「そんなに大事な友達だったんだね」
 少女の胸に抱かれ、大介は、ポツリポツリと、20年前にことを話す。
 少女は、時折流れる涙を手で拭き、大介が言葉に詰まると、唇を重ねた。
「生きるって難しいね。ただ、息を吸っているだけじゃ、あいつに申し訳ない……」
「そうだね……」
 大介は少女の後頭部に手を回し、髪を指ですいた。濡れていた髪は、半分ほど乾いていて、地肌近くがまだ湿っていた。
「名前聞いてもいい?」
 大介の腕の中の頭がうなづく。
「海……」
「うみ?」
「うん、今日見た海と同じ、海。私が生まれるまで、パパとママはよく海に行ったんだって、だから、海」
 大介はそれが本当か本当ではないかは問題ではなかった。
「海、今日はありがとう」
 大介は、自分から少女の唇を求めた。


 大介は、ぐっすり眠った。人の温かさが心地よかった。
「うん……海?」
 手を伸ばし、温かい人肌を捜すが、大介の指先は、シーツのさらさらとすべる感触だけだった。
「海!」
 起き上がり、周りを見渡す。ベッドの上には、大介だけになっていた。
 それでも、まだ少し温かいベッドと、海の小さな痕跡を見つけた。
「海……」
 けれど、大介の中に、昨日抱いていた、もう二度と会えないという不安は不思議となかった。
(いつか、どこかで、きっと君には会えるはず)

 大介は、ほんの少し、前に進めた気がした。

<前半おわり>

『2221年 冬』 へ
 


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